【取材レポ】「憧憬の地 ブルターニュ」展が国立西洋美術館で開催。モネやゴーガンはフランスの内なる”異郷”で何を得たのか

国立西洋美術館

19世紀後半から20世紀にかけ、各国の画家たちが訪れ制作に取り組んだフランス北西部のブルターニュ地方。古来より特異な歴史文化を紡いできたこの地を題材にした作品を集めた展覧会「憧憬の地 ブルターニュ ─モネ、ゴーガン、黒田清輝らが見た異郷」が東京・上野の国立西洋美術館で開催中です。
会期は2023年3月18日(土)~ 6月11日(日)まで。

報道内覧会に参加してきましたので、会場の様子をレポートします。

※記事の内容は取材日(2023/3/17)時点のものです。最新の情報は公式サイト等でご確認ください。

会場入口
展示風景
展示風景
展示風景、ポール・ゴーガン《ブルターニュの農婦たち》1894年、油彩/カンヴァス、オルセー美術館(パリ)
展示風景、リュシアン・シモン《曲馬場》1917年頃、油彩/カンヴァス、大原美術館
久米桂一郎《晩秋》1892年、油彩/カンヴァス、久米美術館

世界中の芸術家が憧れたフランスの内なる異郷「ブルターニュ」とは?

変化に富んだ雄大な自然、古代の巨石遺構や中近世のキリスト教モニュメント、ケルト系言語である「ブルトン語」を話す人々の素朴で信心深い生活様式。フランス北西部、大西洋に突き出た半島を核とするブルターニュ地方は、16世紀までブルターニュ王国として独立していました。

フランスに併合されたあとも独自の景観や文化を保った、フランスの内なる「異郷」。19世紀にロマン主義の時代を迎えると、新たな画題を求める多くの芸術家たちがブルターニュを目指しました。

本展「憧憬の地 ブルターニュ ─モネ、ゴーガン、黒田清輝らが見た異郷」では、画家たちを惹きつけた19世紀後半から20世紀初めに着目し、ブルターニュをモチーフにした絵画や素描、版画、ポスターなど約160点を展示。それぞれの画家たちがこの異郷に何を求め、見出したのかを探っています。展示作品は国内の 30カ所を超える所蔵先と海外2館から集められたもの。

第1章「見出されたブルターニュ:異郷への旅」

展示は全4章構成です。

第1章「見出されたブルターニュ:異郷への旅」では、19世紀初頭にロマン主義の画家たちがブルターニュを”発見”して以降、画家たちがブルターニュについてどのようなイメージを広めていったのか、イギリスの風景画家ウィリアム・ターナーの水彩画をはじめとした「ピクチャレスク・ツアー(絵になる風景を地方に探す旅)」の流行を背景に生まれた作品から紹介しています。

ウィリアム・ターナー《ナント》1829年、水彩、ブルターニュ大公城・ナント歴史博物館
アルフォンス・ミュシャ 左:《岸壁のエリカの花》 右:《砂丘のあざみ》、1902年、カラー・リトグラフ、OGATAコレクション
右はジョルジュ・ムニエ 鉄道ポスター:《ポン=タヴェン、満潮時の川》 1914年、カラー・リトグラフ、大阪中之島美術館(サントリーポスターコレクション)

コワフ(頭飾り)をかぶり民族衣装を着た女性像に代表される、ブルターニュのエキゾチックなイメージの理想化・定型化が大衆向けのポスターなどで横溢した一方で、ウジェーヌ・ブーダンやクロード・モネといった旅する印象派世代の画家たちの作品からは、ブルターニュのありのままの自然に真摯な態度で向き合っていたことがわかります。

ウジェーヌ・ブーダン《ダウラスの海岸と船》1870-73年 油彩/カンヴァス、ポーラ美術館

注目はモネの《ポール=ドモワの洞窟》(1886)と《嵐のベリール》(1886)。

1886年秋、ブルターニュ半島南岸の沖に浮かぶ、野趣あふれる風景で知られるベリール島で2か月半を過ごしたモネは、異なる時間や天候下での海岸の眺めを40枚近いキャンバスで捉えていて、これはそのうちの2作です。

クロード・モネ《ポール=ドモワの洞窟》1886年、油彩/カンヴァス、茨城県近代美術館
クロード・モネ《嵐のベリール》1886年、油彩/カンヴァス、オルセー美術館(パリ)

描かれているのは、穏やかな海と嵐の海という対称的な風景。《ポール=ドモワの洞窟》はタッチが穏やかで比較的リズミカルになっていますが、《嵐のベリール》はまるで嵐の中、自らの身体感覚が乗り移ったかのように、荒々しく筆が載せられているなど、モネの体験が絵に刻み付けられているかのよう。

モネは1890年代から、刻々と変化する光や大気の一瞬をキャンバスで捉えようと連作を発表し始めましたが、ベリール島での千変万化する天候の断崖を相手にした経験が、絵画連作の思索を深めるきっかけになったのではないか、と考えられているとのこと。

第2章「風土にはぐくまれる感性:ゴーガン、ポン=タヴェン派と土地の精神」

第2章「風土にはぐくまれる感性:ゴーガン、ポン=タヴェン派と土地の精神」では、ポール・ゴーガンをはじめとする、ブルターニュ地方南西部の小村ポン=タヴェンに逗留した画家たちの作品を展示。

第2章展示風景、ゴーガンの作品がズラリと並んでいます。

ゴーガンは、パリでの生活苦から逃れるように1886 年から1894 年までブルターニュ滞在を繰り返し、土地の風土や風習、人々の厚いキリスト教信仰や純朴な精神との交感のうちに、自身が芸術に求める「野性的なもの、原始的なもの」の思索を深めていったそう。

ポール・ゴーガン《ボア・ダムールの水車小屋の水浴》1886年、油彩/カンヴァス、ひろしま美術館

ゴーガンの展示作品は12 点(絵画10 点、版画2 点)あり、本展の見どころの一つになっています。年代順に並べられていて、カミーユ・ピサロ風の印象派様式を留める《ボア・ダムールの水車小屋の水浴》(1886)から、単純化したフォルムと色彩を用いて現実世界と内面的なイメージとを画面上で統合させる綜合主義様式が成熟した様子がうかがえる《海辺に立つブルターニュの少女たち》(1889)など、作風の変遷をたどっていけました。

ポール・ゴーガン《海辺に立つブルターニュの少女たち》1889年、油彩/カンヴァス、国立西洋美術館(松方コレクション)

《海辺に立つブルターニュの少女たち》は、手を握り合い、画家を見極めるかのように視線を投げる2人の少女を描いた作品。ゴーガン自身がこの地に見出そうとしていた「野性的なもの、原始的なもの」が、非常にたくましく大きな足や、質素な身なりなど、労働と貧しさに忍従する農民の子どもたちの姿に仮託する形で象徴的に表されています。

第3章「土地に根を下ろす:ブルターニュを見つめ続けた画家たち」

第3章「土地に根を下ろす:ブルターニュを見つめ続けた画家たち」では、19世紀末から20世紀初頭にかけて観光地化・保養地化が進んだブルターニュで、ついに別荘を構えるまでに至り、第二の故郷とした画家に注目。

アンリ・リヴィエール 連作「時の仙境」より:《満月》 1901年、カラー・リトグラフ、新潟県立近代美術館・万代島美術館  ※展示は5/7(日)まで
アンリ・リヴィエール 連作「ブルターニュの風景」より:《ロネイ湾(ロギヴィ)》 1891年、多色木版、国立西洋美術館

浮世絵版画にインスピレーションを得て、世紀末のジャポニズムをけん引したアンリ・リヴィエールは、独学で多色刷り木版画の制作に取り組みました。ブルターニュの牧歌的な情景に、リヴィエールが親しんだもう一つの“異郷”である日本のイメージを投影したのでしょうか。彼はブルターニュを和訳し、まるで日本であるかのように描いているのが面白い点。

1890年から1894年にかけて手掛けた木版40枚からなる集大成的な連作「ブルターニュの風景」は、繊細な色の諧調が目を惹きつけるばかりでなく、北斎を想起させる構図が日本人の筆者にとってはどこか親しみを覚えるものでした。

モーリス・ドニ《若い母》1919年、油彩/カンヴァス、国立西洋美術館(松方コレクション)
モーリス・ドニ《花飾りの船》1921年、油彩/カンヴァス、愛知県美術館
モーリス・ドニ《水浴》1920年、油彩/カンヴァス、国立西洋美術館(松方コレクション)

ナビ派を結成したモーリス・ドニは宗教芸術の振興に力を入れていた画家であり、敬虔なキリスト教徒であったことから、厚い信仰に根差すブルターニュの精神風土に共鳴していたといいます。展示でも《若い母》(1919)をはじめ、ブルターニュで過ごす家族の表象をキリスト教の図像伝統に則り描いている作品が目をひきました。

また、ブルターニュの海岸に古代ギリシャの海を投影した《水浴》(1920)など、現実と虚構が重なる地上の楽園のイメージからは、1895年以降、旅重なるイタリア旅行を経て傾倒した古典主義の影響を感じられます。

シャルル・コッテ《悲嘆、海の犠牲者》1908-09年、油彩/カンヴァス、国立西洋美術館(松方コレクション)

ドニの明るく幸福感にあふれた風景から一転、次の展示では、レアリスムの系譜のなかでブルターニュの自然や風俗を描いた一派「バンド・ノワール(黒の一団)」による、黒を多用する重々しい色調の作品が続きます。

なかでもシャルル・コッテによる横幅約3.5mの大作《悲嘆、海の犠牲者》(1908-09)は圧巻でした。海の悲劇や自然の厳しさに忍従する人々を主題とする作品を多く手掛けたコッテの代表作。海難事故の絶えないブルターニュのサン島の波止場で、溺死した漁師を島民が弔う姿を伝統的なキリスト哀悼図に重ねて描いています。

シャルル・コッテ 左:《聖ヨハネの祭火》1900年頃、油彩/カンヴァス、大原美術館

コッテの作品ではほかにも、死者に祈りをささげる情景を描いた《聖ヨハネの祭火》(c.1900)が印象的でした。バロック絵画を彷彿とさせる明暗表現が美しく、焚火に照らされて浮かび上がる人々の表情が厳かでありつつ、少しゾッとするような雰囲気があります。

第4章「日本発、パリ経由、ブルターニュ行:日本出身画家たちのまなざし」

最後のセクションである第4章「日本発、パリ経由、ブルターニュ行:日本出身画家たちのまなざし」では、19世紀末から20世紀のはじめ(明治後期から大正期にかけて)、芸術先進都市パリに留学し、ブルターニュという“異邦の中の異郷”にも足を運び画題とした日本人画家たちに焦点を当てています。

久米桂一郎 《林檎拾い》1892年、油彩/カンヴァス、久米美術館
黒田清輝《ブレハの少女》1891年、油彩/カンヴァス、石橋財団アーティゾン美術館

日本近代洋画界の重鎮・黒田清輝はブルターニュを訪れた最初期の日本人画家で、東京美術学校教授となる以前、1891年に久米桂一郎とともにブレア島に渡っています。黒田の《ブレハの少女》(1891)は、ブルターニュの少女像としては珍しく髪を下した姿で描かれています。レンブラント風の室内の明暗対比や鮮やかな色彩対比が目をひく、黒田らしい穏やかな画風とは一線を画す荒々しさが魅力的な一作でした。

金山平三《林檎の下(ブルターニュ)》1915年、油彩/カンヴァス、兵庫県立美術館
森田恒友《イル・ブレア》1915年、油彩/カンヴァス、埼玉県立近代美術館
山本鼎《ブルトンヌ》1920年、多色木版、東京国立近代美術館  ※展示は5/7(日)まで

創作版画の普及に貢献した山本鼎もブルターニュに足を運んだ一人。日本人画家がブルターニュに取材したイメージとしてよく知られている《ブルトンヌ》(1920)は、滞在時のスケッチをもとに、帰国後完成させた木版画です。スケッチにあった背景を単純した地平線を強調した画面構成や,落ち着いた青と黒でまとめられた色調が、アイコニックに描かれたブルターニュの女性の静謐な雰囲気を醸し出しています。

岡鹿之助《信号台》1926年、油彩/カンヴァス、目黒区美術館

会場にはガイドブックやトランクなどの関連資料も展示されていて、それら資料や作品をとおしてブルターニュを旅するような気分になったことも楽しいポイントでした。

西洋東洋問わずさまざまな画家たちがブルターニュというひとつの大きな主題で制作に取り組んでいますが、異郷に何を見たのか、どのようなアプローチを行ったのかはまったく異なっていました。ブルターニュの風景の美しさを見つめ楽園を幻視した画家、貧しさや海難事故など厳しい現実を作品に昇華した画家。それぞれの個性にあらためて光を当てる意欲的な展覧会でした。

開催は2023年6月11日(日)まで。

「憧憬の地 ブルターニュ ―モネ、ゴーガン、黒田清輝らが見た異郷」概要

会期 2023年3月18日(土)― 6月11日(日)
会場 国立西洋美術館
開館時間 9:30~17:30(毎週金・土曜日は20:00まで)
※5月1日(月)、2日(火)、3日(水・祝)、4日(木・祝)は20:00まで開館
※入館は閉館の30分前まで
休館日 月曜日
※5月1日(月)を除く
観覧料 一般 2,100円、大学生 1,500円、高校生 1,100円

※中学生以下、心身に障害のある方及び付添者1名は無料。チケット購入・日時指定予約は不要です。
※大学生、高校生、中学生以下、各種お手帳をお持ちの方は、入館の際に学生証または年齢の確認できるもの、障害者手帳をご提示ください。

その他、詳細は公式ページでご確認ください。

主催 国立西洋美術館、TBS、読売新聞社
後援 在日フランス大使館/アンスティチュ・フランセ日本、TBSラジオ
問い合わせ 050-5541-8600(ハローダイヤル)
公式サイト https://bretagne2023.jp/

 

記事提供:ココシル上野


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【東京藝術大学大学美術館】「買上展 -藝大コレクション展2023-」会場レポート。明治~令和まで、藝大の歴史に刻まれた優秀作品が一堂に

東京藝術大学大学美術館

東京藝術大学が卒業・修了制作の中から買い上げた優秀作品を厳選して紹介する「買上展 -藝大コレクション展2023-」が、東京藝術大学大学美術館で2023年3月31日から開催中です。(会期は5月7日まで)

※紹介する作品はすべて東京藝術大学所蔵です。

展示風景
展示風景
展示風景、荒川由美《ひろがる》2016(平成28)年//乾漆

東京藝術大学(以下、藝大)は、前身である東京美術学校が1889年(明治22年)に開校してから現在まで、多岐にわたる美術作品や資料の収集を行ってきました。その膨大なコレクションを広く公開する機会として、大学美術館では毎年テーマを設けて「藝大コレクション展」を開催しています。

2023年の「藝大コレクション展」は、戦後1953年(昭和28年)より始まった、藝大が卒業・修了制作の中から各科ごとに特に優秀な作品を選定し、大学が買い上げる“買上制度”に光を当てています。

東京美術学校時代にも卒業制作を買い上げて収蔵し、教育資料とする伝統は存在していたそうで、現在、藝大が所蔵する「学生制作品」は1万件を超えるとか。

本展「買上展」は、その中から約100件という過去類を見ない件数を蔵出しし、藝大の歴史とともに日本の近現代美術史が生まれてきた場を振り返るもの。明治の大スターの日本画から、令和の気鋭アーティストによるミクストメディアのインスタレーションまでがつながる異色の展覧会です。

第1部 展示風景

展示は2部構成。

第1部「巨匠たちの学生制作」では、明治から昭和前期までの東京美術学校卒業制作に注目。卒業後に美術界の各分野で主導的な役割を果たした作家たちを選りすぐり、彼らのデビュー作とでもいうべき卒業制作品や、慣習的に卒業制作と同時に取り組まれていた「自画像」を展示しています。

横山大観《村童観猿翁》1893(明治26)年//絹本着色
下村観山《熊野御前花見》1894(明治27)年//絹本着色

会場に入ると、さっそく東京美術学校第1期生である横山大観の《村童観猿翁》(1893)や下村観山の《熊野御前花見》(1894)、第3期生である近代陶芸の開拓者・板谷波山の《元禄美人像》(1984)など、そうそうたる顔ぶれがお出迎え。

板谷波山《元禄美人像》1894(明治27)年//木

板谷波山は陶芸家として大成しましたが、本格的に陶芸に取り組むようになったのは20代半ばごろ。在学中は近代彫刻における写実主義を掲げた高村光雲から彫刻の技を学び、《元禄美人像》ではその技量がいかんなく発揮されています。小袖の花唐草文が浮彫で表現されていて、これは後の波山の陶芸作品にも通じるところがあるなど、すでに大家の片鱗がうかがえます。ある意味で陶芸家・波山の原点の一つといえるでしょう。

菱田春草《寡婦と孤児》1895(明治28)年//絹本着色

筆者が注目したのは、数々の傑作を生みだしながらも36歳という若さで生涯を閉じた天才画家・菱田春草の《寡婦と孤児》(1895)。夫を戦で亡くした女性の表情は悲壮感に満ち、この先に待ち受ける運命を予感させます。

東京美術学校開設当時は、新しい日本画を模索するうえでの課題として、歴史上の出来事やそれを描いた物語を主題にした歴史画が位置付けられていたそう。本作も軍記物『太平記』をもとに描かれたとされていますが、勇壮な戦絵巻ではなくあえて戦に巻き込まれた者の悲劇を題材に選んだことは、日清戦争の最中にあった当時の制作背景が無関係ではないでしょう。

実は、本作はある教授に「化け物絵」だと酷評されたものの、校長であった岡倉天心の采配で主席となり、買上されたという曰く付きの作品。その作品をいま描くことに、どんな意味があるのか、どんな意味をもたせるのかを重視した、東京美術学校の教育方針や理念が垣間見えるエピソードです。

高村光太郎《獅子吼》1902(明治35)年//ブロンズ
左、赤松麟作《夜汽車》1901(明治34)年、キャンバス/油彩 右、小林万吾《農夫晩帰》1898(明治31)年//キャンバス、油彩
金観鎬《夕ぐれ》1916(大正5)年//キャンバス、油彩
上、萬鉄五郎《自画像》1912(明治45)年//キャンバス、油彩 下、李叔同《自画像》1911(明治44)年//キャンバス、油彩

1896年開設の西洋画科で教授を務めた黒田清輝の指導で生まれた「卒業時に自画像を学校に収める」という慣習は、今日の藝大まで断続的に続く伝統となっています。意外にも卒業制作が買上にならなかった萬鉄五郎、青木繁、藤田嗣治といった、卒業後に才能を開花した巨匠たちの学習成果についても自画像で確認することができました。

過去を発掘できる、この世界的にみてもほとんど類例のない伝統が、いまや日本の近現代美術史を通覧するうえで非常に役立つ一大コレクションを形成しているのだなと考えると、あらためて黒田清輝の功績の大きさを感じざるを得ません。

第2部 展示風景

さて、今年で創設70年を迎える藝大の買上制度ですが、現在では多くの科で首席卒業と位置付られているといいます。

第2部「各科が選ぶ買上作品」では、買上制度のある全12科(日本画、油画、彫刻、工芸、デザイン、建築、先端芸術表現、美術教育、文化財保存学、グローバルアートプラクティス、作曲、メディア映像)からそれぞれ数件ずつ、全52件の買上作品について選定意図などを添えて紹介。各科が特に優秀と認めてきた作品の傾向を浮かび上がらせています。

「油画専攻」展示風景
「日本画専攻」展示風景
「彫刻科」展示風景、山口信子《習作》1952(昭和27)年//石膏

各科ごとの展示を見ていると、「日本画専攻」はその時代の空気感や特徴をとくに表す作品をピックアップしていますが、「彫刻科」は買上作品に選ばれた女性作家を時代が古い順に5名選ぶという思い切った選定方法を取っていました。作品の選定や解説は各科の教授が独自の観点で行っているため、個性がでていて面白いです。

「デザイン科」展示風景、岩瀬夏緒里《婆ちゃの金魚》2011-2012(平成23-24)年//アニメーション
「建築科」展示風景、市川創太《なめらかな複眼(=super eye)表記方法による空間概念創出の試み》1995(平成7)年//木製パネル、トレーシングペーパー、ケント紙、インキングコピー、プロッタ出力、BJ出力、模型、テキスト
「美術教育研究室」展示風景、大小田万侑子《藍型染万の葉紋様灯籠絵巻》2018(平成30)年//藍、麻、綿、型染
「グローバルアートプラクティス専攻」展示風景、左がシクステ・パルク・カキンダ《Intimate Moments/Monologue》(一部)2019(令和元)年//映像、ドローイング、インスタレーション

2016年に新設された、藝大で最も新しい専攻である「グローバルアートプラクティス専攻」(GAP)の展示はとくに興味深かったです。文化の既存の枠を超えた領域横断的な現代アートの実践を探究しているGAPには、異なる言語、文化、ジェンダーを背景とする学生が世界中から集まり、中には藝大でありながらアートの分野以外からの入学者もいるとか。

GAPの買上作品からは、近年の藝大における研究領域や表現方法の多様化を感じることができました。たとえば、シクステ・パルク・カキンダによる《Intimate Moments/Monologue》(2019)ドローイングと映像によるインスタレーション作品が挙げられます。

作家のルーツであるコンゴ民主共和国の鉱山で採掘されたウランが米国に渡り、広島・長崎に投下された原子爆弾に使用されたという歴史的事実に向き合い、広島の被爆者へ丁寧なリサーチを実施。鉱山資源の採掘を巡る社会・経済的理由と、その使用による人類・自然への影響についての考察を促す内容の作品として仕上げています。

作家はコメントで、自身を日本とコンゴをつなぐ架け橋のように意識していたものの、広島で行ったドローイングパフォーマンスは日本人たちに気づかれず、「私は見えない橋だった」と失望をのぞかせました。日本人の人種的閉鎖性への気づきがあるという点でも、この作品がGAPの教育の成果として存在し、また買い上げられた意味は大きそうです。

「文化財保存学専攻」展示風景、山崎隆之《教王護国寺蔵重要文化財木造千手観音推定復元像》1967(昭和42)年//檜、漆箔、木彫
「作曲科」展示風景
「メディア映像専攻」展示風景、越田乃梨子《壁・部屋・箱─破れのなかのできごと》2008(平成20)年//映像

第2部の出展作品のうち、筆者がもっとも印象に残ったのは「工芸科」の丸山智巳《千一夜》(1992)でした。

「工芸科」展示風景、丸山智巳《千一夜》1992(平成4)年//銅、鍛金

彫金・鍛金・鋳金・漆芸・陶芸・染織・素材造形(木材・ガラス)の7分野からなる「工芸科」では、素材を通して高度な伝統技術の習得し、さらなる発展をなし得る能力を身に付けることが目指されています。

《千一夜》は山や森を吹き抜ける風を風神と捉え、人体をモチーフとして表現した優れた鍛金技法による作品。まるで水の中を泳いでいるようにも見える、張りのある伸びやかな身体の躍動感や、物語性を秘めた存在感に惹かれました。調べてみると、作家の丸山智巳は現在、藝大の工芸科で鍛金の教授を務めているそうで、近年でも本作と類似点の多い、ボクサーやレスラーをイメージしたたくましくも美しい人物像を制作しています。

解説によれば本作は「鍛金技法と溶接の融合により鍛金作品として表現の可能性を広げた」点が評価の大きな理由になったようです。アーティストとしても教育者としても鍛金作品の表現の可能性を広げ続けている氏の制作姿勢が、学生時代から一貫していたことが伝わる1作でした。

また、「先端芸術表現科」の岡ともみ《岡山市柳町1-8-19》(2017)の体験型インスタレーションも心に残るものでした。

「先端芸術表現科」展示風景、岡ともみ《岡山市柳町1-8-19》2017(平成29)年//ミクストメディア インスタレーション

1999年に新設された「先端芸術表現科」では、特定のメディアの枠組みを超えて多様な手法を用いて造形表現を追求。変化する情報や環境に対応する活動を目指すとともに、社会における芸術の可能性を探っています。

そんな「先端芸術表現科」で首席卒業が認められた岡ともみは、映像と空間設計により、個人の思い出や廃れている風習などをテーマにインスタレーション作品を制作している気鋭作家。《岡山市柳町1-8-19》は、岡山に実在する今は亡き祖母の家やそれにまつわる記憶をテーマにした部屋型インスタレーションです。

実在の家具や小物といったオブジェクトを散りばめた暗い部屋で、映像のプロジェクション、映り込み、照明、数枚のアクリル板を組み合わせることで、虚像と実像の間にレイヤーを重ね、作家の祖母に対する記憶のイメージを立ち上げています。そこには過去と現在、どちらともつかない時間軸の空間が存在していました。映像は約7分ですが、まるで1本の映画を見たような満足感。不気味に明滅する照明や妖しく浮かぶ祖母の写真など、やや演出に和風ホラーの趣きがあり、じっと見ているとまるで意識が異界に取り込まれていくような没入体験ができました。

本展に足を運んだ際はぜひ一度ご覧いただきたい作品です。


会場にはさまざまな時代・さまざまな表現方法のすばらしい作品が並んでいますが、いずれも制作された当時は、作者のほとんどが20代であったという事実は、よく考えるとなかなかすごいことのように感じられます。
のちに巨匠と呼ばれた人もいる一方で、卒業して創作から離れた人もいるかもしれません。それでもすべての作品が、この時点では何者でもなかった学生たちが美大の最高峰である藝大で学んだすべてを注ぎ込んだ集大成、情熱の塊であることは明らかです。

次に表に出てくるのが何年後になるかわからない作品も多いはず。ぜひこの貴重な機会に、藝大による教育の歩みを本展で振り返りながら、年月を経てもなお輝きを失わない作品のパワーを感じてみてはいかがでしょう。

 

「買上展 -藝大コレクション展2023-」開催概要

会期 2023年3月31日(金)~ 5月7日(日)
会場 東京藝術大学大学美術館 本館
開館時間 午前10時 ~午後5時(入館は午後4時30分まで)
休館日 月曜日(ただし、5月1日(月)は開館)
観覧料 一般 1200円、大学生 500円
※チケットは美術館チケット売り場および美術展ナビアプリにて販売中
※高校生以下及び18歳未満は無料
※障がい者手帳をお持ちの方(介護者1名を含む)は無料
主催 東京藝術大学、読売新聞社
問い合わせ 050-5541-8600(ハローダイヤル)
公式サイト https://museum.geidai.ac.jp/

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