【東京国立博物館】「法然と極楽浄土」取材レポート。国宝「早来迎」や破格の羅漢図など、浄土宗諸寺院の名宝が多数集結

東京国立博物館
「法然と極楽浄土」会場風景

浄土宗開宗から850年という節目に、全国の寺院から宗祖・法然(ほうねん)ゆかりの至宝が多数集結する特別展「法然と極楽浄土」が、東京・上野の東京国立博物館で始まりました。会期は2024年6月9日まで。

※会期中、一部作品の展示替えがあります。詳細は展覧会公式サイト等でご確認ください。

「法然と極楽浄土」入り口

もともとインドや中国で発展した、阿弥陀如来が西方に建立した一切の苦しみのない世界・極楽浄土への往生を願う信仰は、日本では「浄土教」や「浄土信仰」などと呼ばれ、天台宗の比叡山延暦寺を中心に取り入れられていました。

平安時代末期、戦乱や天災、疫病が相次ぐ末法の世に生まれた法然(1133-1212)は、比叡山で浄土教について学び、1175年(承安5年)に独自の教義として「南無阿弥陀仏」と称えることで誰もが等しく阿弥陀如来に救われ、極楽浄土に往生できると説いた「浄土宗」を開きます。

「南無阿弥陀仏」は「阿弥陀如来に帰依します」を意味します。このわずか六字のフレーズ(念仏)をひたすら声に出して称えれば、厳しい修行や善行の有無に関係なく極楽往生できるというシンプルな「専修念仏」の教えは、その容易さから貴族から学のない庶民まで困難に苦しむ幅広い階層の人々の支持を得て、鎌倉仏教の一大宗派に成長。現代まで連綿と受け継がれてきました。

本展は、2024年に浄土宗が開宗850年を迎えることを記念して、法然による立教開宗に始まり、江戸時代に徳川将軍家の帰依によって大きく発展を遂げるまでの浄土宗の美術と歴史を、全国の浄土宗諸寺院等が所蔵する国宝、重要文化財を含む貴重な名宝によって通覧する大規模な展覧会です。

展示は4章構成になっています。第1章「法然とその時代」では、法然がどういった人物であったのか、その姿かたちや事績、思想を紹介。

国宝《法然上人絵伝》(巻第十四 部分)鎌倉時代・14世紀 京都・知恩院蔵 展示期間:4/16~5/12 ※会期中場面替えあり

ここでは、法然の思想を体系化した浄土宗の根本宗典であり、冒頭部分には法然自筆の書も見られる重要文化財《選択本願念仏集(盧山寺本)》や、全48巻にも及ぶ長大な絵巻に法然の出生から往生までの生涯はもちろん、浄土宗に帰依した公家・武家や弟子たちの事績までをも収めた、数ある法然伝の集大成といえる国宝《法然上人絵伝》などが登場します。

重要文化財《法然上人坐像》鎌倉時代・14世紀 奈良・當麻寺奥院蔵 展示期間:4/16~5/12

奈良・當麻寺奥院の本尊であり、中世に制作された法然の彫像としては貴重な作例の《法然上人坐像》で見られる容姿は、比較的若い時分のものであるとか。肉付きがよく、表情はわずかに微笑んでいるようで柔和な印象を受けました。この肩ひじを張らない親しみやすさは浄土宗の大衆性に通じるものがあり、本展に入ってすぐの場所に展示されていることはじつに象徴的です。

重要文化財《七箇条制誡》(部分)鎌倉時代・1204年(元久元年) 京都・二尊院蔵 展示期間:4/16~5/12

教団の勢力が強まるにつれて、なかには教えを曲解して風紀を乱す者が現れ、延暦寺宗徒が専修念仏の停止を求める訴えを起こすこともありました。その際に法然が自戒を促す目的で弟子たちに署名させた、七つの禁止事項を記した《七箇条制誡(しちかじょうせいかい)》をよく見ると、浄土真宗の宗祖・親鸞(しんらん)の若かりし頃のサインも含まれています。

「僧綽空」が親鸞の署名/ 重要文化財《七箇条制誡》(部分)鎌倉時代・1204年(元久元年) 京都・二尊院蔵 展示期間:4/16~5/12
第2章展示、《菩薩面》左3面が鎌倉時代・13世紀、右1面が室町時代・16世紀 奈良・當麻寺蔵 通期展示

多くの人々の願いが込められた阿弥陀如来の造形の数々によって、庶民にまで広がった信仰の高まりを伝える第2章「阿弥陀仏の世界」の見どころは、先に紹介した《法然上人絵伝》と同じく浄土宗総本山である京都・知恩院蔵の国宝《阿弥陀二十五菩薩来迎図》です。

国宝《阿弥陀二十五菩薩来迎図(早来迎)》鎌倉時代・14世紀 京都・知恩院蔵 展示期間:4/16~5/12

本作は「早来迎(はやらいごう)」の異名で知られ、鎌倉時代の仏教絵画の傑作として教科書などで取り上げられているので、ご存じの方も多いはず。臨終を迎えた念仏者を極楽浄土へ連れるべく、菩薩衆を従えた阿弥陀如来が雲に乗って降りてくる様子を描いた絵画を来迎図と呼び、「早来迎」の名は、対角線構図で滝から一直線に水が落ちていくように疾走感を強調した見事な飛雲の表現から来ています。このような造形には、迅速な来迎を願った人々の願いが反映されているのでしょう。

国宝《阿弥陀二十五菩薩来迎図(早来迎)》(部分)鎌倉時代・14世紀 京都・知恩院蔵 展示期間:4/16~5/12

2019年から3年にわたり、肌裏紙(はだうらがみ:本紙の裏に直接貼る補強紙)を交換するなど大規模な解体修理が施されたおかげで画面が明るくなり、水面の青色や彫りの深い山肌など、本図の特徴ともいえる三次元的情景表現を生んだ山水景観がより鮮明になりました。

浄土信仰の聖地である奈良・當麻寺の秘蔵本尊である国宝《綴織當麻曼陀羅(つづれおりたいままんだら)》も必見です。本来は第3章に構成されている作品ですが、スペースの関係か第2章のエリアに並んでいました。

国宝《綴織當麻曼陀羅》中国・唐または奈良時代・8世紀 奈良・當麻寺蔵展示期間:4/16~5/6

本作は、浄土教における三大聖典のひとつ『観無量寿経』の内容を絵解きした縦横4メートルにおよぶ圧巻の極楽浄土図。極彩色で染めた絹糸や金糸を使い、一寸(3.3センチ)幅に60本の経糸という精密な織りが、微細な線描や色調のグラデーションなど描画に迫る表現をしていただろうことが想像されます。唐時代の中国、もしくは奈良時代・8世紀の日本で制作されたと考えられていますが、これほど高度な技術でつくられた8世紀の遺例は他にないとのこと。奈良県外で公開されるのは今回が初となります。

《当麻曼陀羅図》鎌倉時代・14世紀 東京国立博物館蔵 展示期間:4/16~5/12

残念ながらかつての色彩はほとんど失われてますが、本作は鎌倉時代に法然の弟子証空によって絶大な信仰を集め、多くの写しがつくられました。同章でも、墨線のはっきりした写しの《当麻曼陀羅図》が展示されています。《綴織當麻曼陀羅》には、中将姫という貴族の娘が阿弥陀如来の力を借りて、蓮糸を使って一晩で織り上げたという伝承が残っていますが、《当麻曼陀羅図》と合わせて見れば、当時の人々の崇敬を高めた神秘性の一端を体感できるかもしれません。

第3章展示、中央は重要文化財《聖光上人坐像》鎌倉時代・13世紀 福岡・善導寺(久留米市)蔵 展示期間:4/16~5/12

第3章「法然の弟子たちと法脈」では、法然の没後に、彼の教えを広めようと鎮西(九州)や鎌倉、京都など全国で精力的に活動した弟子たちの活躍をたどります。

《末代念仏授手印(生極楽本)》鎌倉時代・1228年(安貞2年)福岡・善導寺(久留米市)蔵 展示期間:4/16~5/12

専修念仏の理念的構築や、その中での諸行の位置づけ、教団の正当性の確保など、弟子たちの間でもさまざまなアプローチの相違があったようです。展示されている《末代念仏授手印(生極楽本)》は鎮西派の祖である聖光(しょうこう)の直筆とされる一本で、門弟間で異議異流が生じている状況を嘆き、法然の真意を後世まで伝えるために著したもの。専修念仏というこれ以上なくシンプルな教えであっても、その一つの教えを守り受け継ぐことがいかに難しいか考えさせられます。

第4章展示、康如・又兵衛等作《八天像》帝釈天像、持国天像、金剛力士像、密迹力士像 江戸時代・1621年(元和7年) 京都・知恩院蔵 通期展示

浄土宗中興の祖・聖冏(しょうげい)が常陸国で関東浄土宗の礎を築き、その弟子の聖聡(しょうそう)が江戸に増上寺を創建。松平家以来、浄土宗を深く信仰していた徳川家康が増上寺を江戸の菩提所、知恩院を京都の菩提所と定めたことによって、教団の地位は確固たるものになりました。第4章「江戸時代の浄土宗」では、将軍家と諸大名の外護を得て、飛躍的に興隆した江戸時代の浄土宗の様子を、浄土宗寺院にもたらされたスケールの大きな宝物でたどります。

重要文化財《大蔵経(宋版)》中国・北宋~南宋時代 12世紀刊 東京・増上寺蔵 通期展示 ※会期中画面替えあり

ここで鑑賞できる宋版、元版、高麗版の3部の《大蔵経》は、家康が大和国、周防国、近江国の寺院から領地と引き換えにそれぞれ召し上げ、増上寺に寄進した「三大蔵」と呼ばれるもの。

大蔵経とは5,000巻を超える漢訳された仏教経典を総集したもので、中国では北宋時代以降、印刷文化の発展に伴い大蔵経が木版印刷されていきました。刊本大蔵経は個別でも希少な文化財ですが、欠本がない状況で一寺院に三部も所蔵されている事例は世界に類をみないとか。現代の仏教研究の基礎をつくった、文化史上極めて重要な書物です。

伝徳川家康《日課念仏》江戸時代・17世紀 東京国立博物館蔵 通期展示

派手さはなくとも目を引かれたのは、家康の自筆と伝えられる《日課念仏》。晩年の家康が自らの滅罪を念じて毎日こつこつ「南無阿弥陀仏」と写経したものと考えられています。遠目には何かの模様かと勘違いしてしまうほど、縦6段、横41列にびっしりと名号が書き込まれている様子は、それだけの執着の表れのようで少しゾッとするものがありました。しかし、よく見ると間違い探しのように、2カ所だけ「南無阿弥陀仏」ではなく「南無阿弥家康」の文字が……。このように書かれた理由は定かではありませんが、ただのお茶目だったのか、もっと別の深い思惑が込められていたのでしょうか。

狩野一信筆《五百羅漢図》江戸時代・19世紀 東京・増上寺蔵 通期展示 ※会期中画面替えあり

四条派や土佐派などの画風をほぼ独学で学んだ後に狩野派へ入門したとされる幕末の絵師・狩野一信(1816-63)が画業の集大成として、およそ10年の歳月をかけて挑んだ増上寺蔵の《五百羅漢図》は、本展のハイライトといってもいいでしょう。

羅漢とは釈迦の弟子の中でも悟りを得た聖者を指す尊称で、人々を救済する役目をもった存在として信仰されてきました。五百羅漢は釈迦入滅後に経典を編纂する集会(第一結集)に参加した500人の羅漢のことで、日本では江戸時代中期以降に各地で五百羅漢の木彫や石像が盛んにつくられるようになります。

狩野一信筆《五百羅漢図》(第23幅と第24幅)江戸時代・19世紀 東京・増上寺蔵 展示期間:第23幅と第24幅は4/16~5/12
狩野一信筆《五百羅漢図》(第64幅 部分)江戸時代・19世紀 東京・増上寺蔵 展示期間:第64幅は4/16~5/12

本作はその中でも大きさ、数、迫力ともに破格の羅漢図であり、文字通り500人の羅漢を5人ずつ、計100幅に描き分けた大作です。羅漢の修行や生活、六道や人に降りかかる厄災と羅漢による救済といった個性の強い情景を、日本画の枠にとらわれず西洋の陰影表現・遠近法も用いながら、極彩色でドラマチックに表現。四隅まで力を抜いている部分がまるでなく、情報量の多さとそこから伝わってくる情熱に圧倒されました。

会場では全100幅のうちの24幅(前・後期で12幅ずつ)が展示されます。

《仏涅槃群像》江戸時代・17世紀 香川・法然寺蔵 通期展示

会場で最後に出会うのは、香川・法然寺蔵の《仏涅槃群像》です。釈迦入滅の場面を群像で立体的に表した作品で、等身大を上回る釈迦の涅槃像と、それを取り囲んで嘆く羅漢、天龍八部衆、動物など計82軀で構成されています。高松藩初代藩主・松平頼重が京都の仏師を招いて造営したもので、このような大型の涅槃群像は他に例がありません。

《仏涅槃群像》江戸時代・17世紀 香川・法然寺蔵 通期展示

普段は法然寺の三仏堂(涅槃堂)に置かれていますが、本展ではそのうち26軀が登場。フォトスポットとして開放されていました。

なお、展覧会は東京展の後、京都国立博物館、九州国立博物館に巡回予定です。

 

「法然と極楽浄土」概要

会期 2024年4月16日(火)~6月9日(日)
会場 東京国立博物館 平成館
開館時間 9:30~17:00(入館は閉館の30分前まで)
休館日 月曜日、5月7日(火)
※ただし、4月29日(月・祝)、5月6日(月・休)は開館
観覧料 一般 2,100円、大学生 1,300円、高校生 900円

※本展は事前予約不要です。
※中学生以下、障がい者とその介護者一名は無料です。入館の際に学生証、障がい者手帳などをご提示ください。
そのほか、詳細は展覧会公式チケットページでご確認ください。

主催 東京国立博物館、NHK、NHKプロモーション、読売新聞社
問い合わせ 050-5541-8600(ハローダイヤル)
展覧会公式サイト https://tsumugu.yomiuri.co.jp/honen2024-25/

※記事の内容は取材時点のものです。最新情報は展覧会公式サイト等でご確認ください。


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【取材レポート】国立西洋美術館で初の現代アート展「ここは未来のアーティストたちが眠る部屋となりえてきたか?」が開幕

国立西洋美術館
展示風景

東京・上野の国立西洋美術館で史上初となる現代アートの展覧会「ここは未来のアーティストたちが眠る部屋となりえてきたか? ──国立西洋美術館65年目の自問|現代美術家たちへの問いかけ」が開幕しました。会期は2024年5月12日まで。

■参加作家
飯山由貴、梅津庸一、遠藤麻衣、小沢剛、小田原のどか、坂本夏子、杉戸洋、鷹野隆大、竹村京、田中功起、辰野登恵子、エレナ・トゥタッチコワ、内藤礼、中林忠良、長島有里枝、パープルーム(梅津庸一+安藤裕美+續橋仁子+星川あさこ+わきもとさき)、布施琳太郎、松浦寿夫、ミヤギフトシ、ユアサエボシ、弓指寛治

小沢剛の展示
布施琳太郎《骰子美術館計画》(2024)
パープルームの展示
遠藤麻衣《オメガとアルファのリチュアル─ 国立西洋美術館 ver.》(2024)

主として20世紀前半までの「西洋美術」だけを収蔵・展示している国立西洋美術館で現代美術を大々的に展示するという、これまでにない試み。事前に開催された記者発表会では、その目的は所蔵作品と現代作品を並べて展示することでコレクション理解の地平を広げることでも、現代美術への関心が高い層に興味をもってもらうことでもないと語られています。

同館の母体となった「松方コレクション」が、日本の画家たちに本物の西洋美術を見せ、創作活動に資することを望んだ松方幸次郎の意志によって築かれたように、その過去を振り返ると、同館が未来のアーティストたちを生み育てる触発の場として期待されていたことがわかります。

しかし、実際に同館がそういった空間たり得てきたのかどうか、これまで本格的に問われてきませんでした。

本展はその事実に向き合い、同館やそのコレクションが現代の表現とどのように関係を結び、いまの時代の作品の登場や意味生成にどのような役割を果たしうるかという問いを、ジャンルをまたいだ21組のアーティストに投げかけ、作品を通じた応答を見ていこうというもの。あわせて同館が所蔵するクロード・モネ、ポール・セザンヌ、モーリス・ドニといった西洋美術の名品約70点も紹介している、見どころの多い展覧会となっています。

本企画の出品者のうち、少なくないアーティストが評論などの分野でも活躍する人物であるのはそのためで、会場内に存在するテキストも一般的な現代美術展と比較してボリュームがあり、なかにはほとんどテキスト自体が作品となっているものまでありました。

中林忠良の展示

問いに対するアーティストたちのアプローチや問題意識はさまざまです。

たとえば第1章「ここはいかなる記憶の磁場となってきたか?」では、中林忠良、内藤礼、松浦寿夫が自身の作品と、松浦寿夫が触発されたセザンヌ、ドニ、あるいは中林忠良自身の表現の歴史的血脈をたどった先にいるオディロン・ルドンやロドルフ・ブレダンといった同館所蔵の先人たちの作品を併置。美術館をさまざまな時代や地域に生きた/生きるアーティストらの記憶群が同居し、それぞれの力学を交錯させあう磁場のようなものと定義したうえで、同館のコレクションがいかなる磁場を形成しているかを作品群をとおして検証しています。

松浦寿夫の展示/ 左からポール・セザンヌ《ポントワーズの橋と堰》(1881)、松浦寿夫《キプロス》(2022)、松浦寿夫《緑の領土》(2024)

第2章「日本に『西洋美術館』があることをどう考えるか?」では、小田原のどかが新作インスタレーション《近代を彫刻/超克する── 国立西洋美術館編》の中で、同館のシンボルにもなっているオーギュスト・ロダンの彫刻《考える人》を真っ赤な絨毯に台座から外した状態で横倒しさせており、非常に目を引きます。

小田原のどかの展示/ 左からオーギュスト・ロダン《考える人》(1881-82)、西光万吉《毀釈》(1960年代)、オーギュスト・ロダン《青銅時代》(1877[原型])

裏側まですっかり見えるようになっていて、おそらく後にも先にもこの状態の《考える人》を見る機会はないだろうと、座り込んでじっくりと鑑賞する来場者も少なくありませんでした。《考える人》が転倒すると、クッションの絶妙に心地良さような様子とあいまって寝入っているように見えて、どこかユーモラスです。

小田原のどかの展示/ オーギュスト・ロダン《考える人》(1881-82)

小田原は、日本が近代化する過程ではらまざるを得なかった同館の歴史的な「歪み」と、それを抱えたうえで西洋の美術館群と異なり地震が多発する地盤の上に建っているという点に強い関心を抱いたとのこと。

今回の新作インスタレーションは、1923年の関東大震災で倒れた《考える人》や、1922年の部落解放運動のなかで水平社宣言を起草し、のちに獄中で国家主義者へ転向を遂げた西光万吉の日本画《毀釈》、地震のたびに倒壊し作り直される五重塔を模したオブジェ、同館が独自に開発した免震台などを構成要素としています。地震と思想転向という小田原の考える日本の思想的課題を、インスタレーションで「転倒」に「転向」を重ね合わせながら展開することで複雑な問題提起の様相を呈していました。

 

第4章「ここは多種の生/性の場となりうるか?」において、無味無臭のニュートラルな場所たろうとする美術館の展示室の中に、人間の「生」の空間を作り直したのは鷹野隆大です。

鷹野隆大の展示

個人では手が届かないような名品がもし現代の平均的な居室に並んでいたら、どう見えるだろうか。そう考えた鷹野は、同館の所蔵するギュスターヴ・クールベやフィンセント・ファン・ゴッホ、ルカス・クラーナハ(父)の絵画、エミール=アントワーヌ・ブールデルの彫刻と自身の写真作品とを、なんとIKEAの家具で構成された空間に展示したのです。

IKEAの製品は権威を示す装飾性を排除し、シンプルで豊かな生活を送れるようにするモダニズム・デザインの極地であると鷹野は見なしています。そうした手頃なおしゃれで満たされた私たちの日常空間にはけして登場しえない、権威ある美術館のなかにあるはずのクールベやブールデルが置かれる状況は、誰しもすぐに違和感を覚えるのではないでしょうか。「男は強い」というある種の型を過剰に表現した筋骨隆々のヘラクレス彫刻も、同館の前庭にあれば堂々たる威容にほれぼれするところですが、このスマートな部屋にはいかにもミスマッチで、現代的な感覚に対立するものとして映ります。

鷹野隆大の展示

心理的距離が近づいたことで作品の見え方が変わっていきますが、同時に、展示空間に左右されない、作品そのもの”だけ”を鑑賞する/価値をはかることの難しさも実感しました。

 

美術館は作品を不死の状態に保ち、永続的に未来へと残してゆくことを望む機関でありながら、物質としての作品は時とともに緩慢ながら変化せざるを得ません。第5章「ここは作品たちが生きる場か?」では、竹村京が2016年にルーヴル美術館で大きく破損した状態で発見されたのち、同館所蔵となった旧松方コレションのクロード・モネ《睡蓮、柳の反映》に着目。

最低限の保存処置のみ施されていた縦199.3×横424.4cmという巨大な油彩画の欠損部分を、半透明の布に絹糸で想像的に補完し、二重構造にして見せる作品《修復されたC.M.の1916年の睡蓮》を発表しました。

竹村京《修復されたC.M.の1916年の睡蓮》(2023–2024)釡糸、絹オーガンジー 作家蔵

竹村は、過度な修復により、ある時期に作られた作品がさまざまな時代の人々が考えた「物言い」によって上書きされてしまうことに否定的です。本作では、失われた過去の記憶を「西洋絵画を日本語に変換するよう」に、可逆的に解くことのできる絹糸で繊細に翻訳しなおす作業により、作品に輝きを与えつつ欠損をありのままに肯定しながら未来に残すという保存方法が実践されています。

竹村京《修復されたC.M.の1916年の睡蓮》部分(2023–2024)釡糸、絹オーガンジー 作家蔵

最終章の第7章「未知なる布置をもとめて」では、杉戸洋、梅津庸一、坂本夏子、2014年に亡くなった辰野登恵子の作品を、クロード・モネ、ポール・シニャック、ジャクソン・ポロックなど、かつての高度に実験的であった絵画と同じ空間でシンプルに対峙させることで、日本の「現代美術」と呼ばれるものについて思考し、その実験性の射程をはかろうと試みています。

第7章の展示
第7章の展示/ 左から辰野登恵子《Work 85-P-5》(1985)、ジャクソン・ポロック《ナンバー8、1951 黒い流れ》(1951)
第7章の展示/ 左からポール・シニャック《サン=トロペの港》(1901-02)、坂本夏子《入口》(2023)

本展企画者である国立西洋美術館 主任研究員の新藤淳氏は、本展の準備過程で「率直に申し上げて、国立西洋美術館というのはいまの気鋭のアーティストたちを触発する場とはなりえてこなかったのではないかという想いが強く残りました」と話します。本展の参加アーティストの中には、国立西洋美術館という場やそのコレクションから着想を得た者もいるが、それは機会を用意したからであると。

そのため、最終章では国立西洋美術館のコレクションがいまを生きるアーティストをどのように触発してきたか/しうるかを問うのはやめ、「過去の作品に今日のペインターたちの絵がいかに拮抗しうるかを問いたいと考えました。そこで作家間の時代を超えた相互の問題意識の類似や差異が浮かび上がればと思っています」と構成意図を説明しました。


新藤氏が「自分のキュレーションの手つきというもの自体にご批判も多くあるだろう」とも語る本展は、さまざまな声が挙がることが織り込み済みというより、むしろ積極的に批判を求めている印象を受けます。国立西洋美術館やそのコレクションの在り方に、参加アーティストたちがどのようなメッセージを発したのか。これが日本の現代美術界にどのように影響していくのか。ぜひ足を運んでいただき、鋭い眼差しでその全貌を確認していただきたいです。

「ここは未来のアーティストたちが眠る部屋となりえてきたか?──国立西洋美術館65年目の自問|現代美術家たちへの問いかけ」概要

会期 2024年3月12日(火)~5月12日(日)
会場 国立西洋美術館 企画展示室
開館時間 9:30~17:30(金・土曜日、4月28日[日]、4月29日[月・祝]、5月5日[日・祝]及び5月6日[月・休] は9:30~20:00)
※入館は閉館の30分前まで
休館日 月曜日、5月7日(火)
※ただし、4月29日(月・祝)、4月30日(火)、5月6日(月・休)は開館
観覧料 一般2,000円、大学生1,300円、高校生1,000円

※中学生以下は無料
※心身に障害のある方及び付添者1名は無料
その他、詳細は公式HPにてご確認ください。

主催 国立西洋美術館
問い合わせ 050-5541-8600(ハローダイヤル)
展覧会公式ページ https://www.nmwa.go.jp/jp/exhibitions/2023revisiting.html

※記事の内容は取材時点のものです。最新情報は展覧会公式ページ等でご確認ください。

記事提供:ココシル上野


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