【取材レポート】「西洋絵画、どこから見るか?」展が国立西洋美術館で開幕。さまざまな角度から作品の楽しみ方を提案

国立西洋美術館
展示風景

東京・上野の国立西洋美術館で「西洋絵画、どこから見るか?―ルネサンスから印象派まで サンディエゴ美術館 vs 国立西洋美術館」展(通称、どこみる展)が開幕しました。会期は2025年3月11日から6月8日まで。
先立って行われた報道内覧会に参加してきましたので、画像とともに会場の様子をご紹介します。

会場エントランス
展示風景、手前はペーテル・パウル・ルーベンスと工房《聖家族と聖フランチェスコ、聖アンナ、幼い洗礼者ヨハネ》1625年頃、サンディエゴ美術館
展示風景、左からホアキン・ソローリャ《ラ・グランハのマリア》1907年、サンディエゴ美術館/《バレンシアの海辺》1908年、サンディエゴ美術館/《水飲み壺》1904年、国立西洋美術館

二つの美術館のコレクションを対話させ、さまざまな角度から魅力を深堀り

同展は、アメリカのサンディエゴ美術館と国立西洋美術館の所蔵品計88点を組み合わせ、ルネサンスから19世紀末までの600年にわたる西洋美術の歴史をたどりながら、「作品をどのように見ると楽しめるか」という観点から鑑賞のヒントを提案するもの。

アメリカ西部において、最も早い時期に充実した西洋古典絵画のコレクションを築いた美術館の一つであるサンディエゴ美術館は、サンディエゴがスペイン人の入植によって築かれた地域であるという文化的・歴史的な結びつきから、スペイン美術を収集の軸としてきました。

そのため、同展にはボデゴン(スペイン静物画)の祖であるフアン・サンチェス・コターンの傑作《マルメロ、キャベツ、メロンとキュウリのある静物》をはじめ、エル・グレコ、スルバラン、ソローリャなどスペイン美術の名品も多数出品されています。なお、今回サンディエゴ美術館から来日した49点はいずれも日本初公開となるそう。

一方で、国立西洋美術館は東アジアにおいて唯一の体系的な西洋絵画のコレクションを所蔵しています。同展の開催経緯について、監修者である川瀬佑介さん(国立西洋美術館主任研究員)は次のように話します。

「ひとつの美術館から借りてきた作品のみで構成する美術展では、1点1点の作品を味わうことはできても、作家の人物像やその作家の画業における位置づけなど、コンテクスト(文脈)はなかなか理解しづらい場合が多いです。それは国立西洋美術館の常設展も同様のことが言えます。そこで今回は、両館のコレクションをかけ合わせ、同一の作家や主題の作品をグループごとに並べ、深掘りしてみようと考えました。そうした試みにより、主題の難しさや時代の古さから敬遠されがちな西洋美術をどこから見ればいいのか、その世界の面白さをわかりやすくお伝えしようと考えて構成した展覧会です」

第1章展示、左からルカ・シニョレッリ《聖母戴冠》1508年、サンディエゴ美術館/ ジョット《父なる神と天使》1328-35年頃、サンディエゴ美術館
第1章展示、左からアンドレア・デル・サルト《聖母子》1516年頃、国立西洋美術館/ カルロ・クリヴェッリ《聖母子》1468年頃、サンディエゴ美術館

川瀬さんが述べたように、実際に展示は36の小テーマで分けられています。たとえば、ジョットからボス(工房)まで、イタリアとネーデルランド(現在のベルギー、オランダ)のルネサンス絵画の展開を探る第1章では、「ヴェネツィア・ルネサンスの肖像画」としてジョルジョーネ(1477/78-1510)とヤコポ・ティントレット(1518-1594)の作品を併置。

第1章展示、左からヤコポ・ティントレット《ダヴィデを装った若い男の肖像》1555-60年頃、国立西洋美術館/ ジョルジョーネ《男性の肖像》1506年、サンディエゴ美術館

ジョルジョーネは30代前半で早逝していることもあり、資料がほとんど残っておらず未だ多くの謎に包まれていますが、ヴェネツィア絵画における盛期ルネサンス様式の創始者として位置づけられている画家です。サンディエゴ美術館所蔵の《男性の肖像》(1506)は小品ながら、ルネサンス肖像画の傑作の一つ。身体的特徴の厳密な描写と柔らかな陰影表現で、革新的なリアリズムを実現しました。

一方のティントレットは、ジョルジョーネ亡き後の16世紀ヴェネツィア絵画においてティツィアーノ、ヴェロネーゼと並ぶ三大巨匠に数えられる人物。サンディエゴ美術館所蔵の《老人の肖像》(c.1550)と国立西洋美術館所蔵の《ダヴィデを装った男性の肖像》(c.1555-1560)をジョルジョーネと並べることで、色彩のグラデーションによりボリュームを表現するジョルジョーネ以来の手法を、ティントレットがどのように発展させていったのかを解説文とともに見せています。

ゴヤやピカソにまで影響を与えた、スペイン静物画の最重要画家の傑作が来日

地域別に17世紀バロック美術の特色を紹介する第2章では、同展のハイライトであるフアン・サンチェス・コターン(1560-1627)作の《マルメロ、キャベツ、メロンとキュウリのある静物》(c.1602)を展示。

第2章展示、フアン・サンチェス・コターン《マルメロ、キャベツ、メロンとキュウリのある静物》1602年頃、サンディエゴ美術館

16世紀末から17世紀初頭にかけて、ヨーロッパ各地で静物画が独立して描かれるようになり、スペインではとりわけ食べ物や食卓に関連するモティーフを主題とした静物画「ボデゴン」が発展します。1600年前後にトレドで活躍した画家サンチェス・コターンは、本作に見られるような、少数のありふれた野菜や果物を石枠の上に並べ、スポットライトのような光で照らして明暗を際立たせる独自の構図法を考案。長く続くスペイン静物画の典型を確立しました。

本作の魅力について、監修者のマイケル・ブラウンさん(サンディエゴ美術館ヨーロッパ美術担当学芸員)は「一見では簡潔な構図に見えますが、中央にある一つの空白のような闇に、無限の要素、また謎めいた、そこに到達することができないような雰囲気のある世界観を醸し出しています」とコメント。

川瀬さんは、サンチェス・コターンの6点しか現存していない静物画のうち、本作は「最もバランスが取れており、サンチェス・コターン独特の厳粛さ、静けさがよくわかる最高傑作」であり、「この作品が来日すること自体が一大イベント」だとアピールしました。

第2章展示、フアン・バン・デル・アメン《果物籠と猟鳥のある静物》1621年頃、国立西洋美術館

スペイン静物画の比較として、サンチェス・コターンの次の世代を代表するフアン・バン・デル・アメン(1596-1631)による、華やかで装飾的な《果物籠と猟鳥のある静物》(c.1621)と、聖人像を多く手掛けたことから「修道僧の画家」とも称されるフランシスコ・デ・スルバラン(1598-1664)による、静かな瞑想と祈りを呼び起こす《神の仔羊》(c.1635-40)が並んでいます。いずれも構図や仕掛けに、サンチェス・コターンからの伝統を明確に受け継いでいることが見てとれるでしょう。

第2章展示、左からフランシスコ・デ・スルバラン《洞窟で祈る聖フランチェスコ》1658年頃、サンディエゴ美術館/《聖ドミニクス》1626-27年、国立西洋美術館/《聖ヒエロニムス》1640-45年頃、サンディエゴ美術館

なお、スルバランについては画家単独でもテーマを立て、彼が得意とした大型の単身像《聖ドミニクス》(1626-27)や、慈愛に満ちた円熟期の傑作《聖母子と聖ヨハネ》(1658)など、4点の作品を並べて紹介。重厚かつ彫刻的なリアリズムから、光のヴェールに包まれたかのように甘美で理想化された表現へと移る画業の展開を簡潔に示すものです。そこには常に気品と静けさが存在し、画家の一貫した美意識も感じられます。

第2章展示、手前はエル・グレコ《悔悛する聖ペテロ》1590-95年頃、サンディエゴ美術館
第2章展示、左からアントニオ・デ・べリス《ゴリアテの首を持つダヴィデ》1642-43年頃、サンディエゴ美術館/グエルチーノ《ゴリアテの首を持つダヴィデ》1650年頃、国立西洋美術館

現実のヴェネツィアと空想のローマ、イタリアで別方向に発展した都市景観画

第3章は、18世紀美術をリードしたイタリア絵画とフランス絵画の展開に焦点を当て、風景画、肖像画、風俗画それぞれのジャンルにおける特徴を見ていくセクション。ここでは、ヴェネツィアとローマにおける都市景観画の比較展示が目を引きます。

18世紀はイギリスやアルプス以北の国々で、上流階級の子弟が文化的教養を身に付けるためにヨーロッパ文明の源であるイタリアをはじめ、欧州各都市を周遊するグランド・ツアーが流行。彼らが帰国の際、土産として求めた物の一つに都市景観画「ヴェドータ」があり、ヴェネツィアとローマというグランド・ツアーの二大中心地で隆盛しました。

第3章展示、左からベルナルド・ベロット《ヴェネツィア、サン・マルコ湾から望むモーロ岸壁》1740年頃、サンディエゴ美術館/ フランチェスコ・グアルディ《南側から望むカナル・グランデとリアルト橋》1775年頃、サンディエゴ美術館

ヴェネツィアの都市景観画としては、カナレットに並びヴェドータの三大巨匠と称されるベルナルド・ベロット(1721-1780)とフランチェスコ・グアルディ(1712-1781)の作品を紹介。いずれも壮麗な水の都らしいアイコニックな景観を、おおむね現実に見える形で写し取っています。対して、同じイタリア国内ながらローマ側の展示では、特定の場所の再現から離れ、現実と空想を融合させたノスタルジアな世界が広がります。

第3章展示、左からユベール・ロベール《モンテ・カヴァッロの巨像と聖堂の見える空想のローマ景観》、《マルクス・アウレリウス騎馬像、トラヤヌス記念柱、神殿の見える空想のローマ景観》1786年、国立西洋美術館

たとえば、「廃墟のロベール」として名を馳せたユベール・ロベール(1733-1808)が描いた一対の景観画では、カンピドーリオ広場にあるマルクス・アウレリウス帝騎馬像やトラヤヌス帝記念柱など、実際には別々の場所にある古代の有名な作品を画面にまとめ、さらに想像の産物であろう巨大な神殿を配置。人々は18世紀当時の服装をしていることから、本作は古代の建造物を廃墟として楽しもうとする当時の人々の視線が強く反映されたものと考えられます。

これらは都市景観画の中でも「カプリッチョ」(奇想画)と呼ばれるもの。崩れ、風化する遺跡や歴史的な建造物が多く残るローマの街並みは画家たちにとって重要なインスピレーション源であったようで、自由な発想で旅行者たちの想像力を刺激しました。ヴェネツィアはリアルへ、ローマはファンタジーへ。絵画ジャンルの隆盛における地域の特色の影響がいかに大きいかが歴然と示されています。

カペとブノワ、二人の女性画家で理解するロロコから新古典主義への変遷

また第3章では、華やかで貴族的なロココから、秩序や理性を重んじる新古典主義へ移り変わる、18世紀フランスの美的価値観の変化を端的に示すものとして、マリー=ガブリエル・カペ(1761-1818)とマリー=ギユミーヌ・ブノワ(1768-1826)、二人の女性画家による肖像画の比較展示があります。

第3章展示、左からマリー=ガブリエル・カペ《自画像》1783年頃、国立西洋美術館/マリー=ギユミーヌ・ブノワ《婦人の肖像》1799年頃、サンディエゴ美術館

18世紀後半からフランスでは女性芸術家が台頭しはじめ、カペとブノワはともに、フランス革命後に女性が初めて出品を許された1791年のサロン(官展)で名を連ねた代表的な画家です。

カペの《自画像》(c.1783)で描かれている、華やかなブルーのドレスとリボンや巻き髪等のファッションがいかにもロココ趣味であり、こちらを見つめる若き画家の表情は、思わず見入ってしまうほど輝きに満ちて晴れやか。自身の腕を誇るような、確かな自信がうかがえます。対してブノワの《婦人の肖像》(c.1799)は、古代風の白いシュミーズドレスや彫塑的で安定感のある身体描写などに、古典古代の美術に規範を求める新古典主義的な志向が顕著に表れています。

作品自体の質の高さはもちろん、先述の都市景観画と並んで「どこを見ると楽しめるか?」が分かりやすいという点でも、特に初心者の方は必見の展示といえるでしょう。

垣根の描き方で絵画の印象はどう変わる?

19世紀における人物表現の多様な在り方に注目する第4章では、印象派の画家による「垣根の表層」の比較展示があり、やや意表を突かれました。

第4章展示、左からカミーユ・ピサロ《立ち話》1881年頃、国立西洋美術館松方コレクション/ セオドア・ロビンソン《闖入者》1891年、サンディエゴ美術館

パリを離れポントワーズ周辺の農民の生活に取材した印象派最年長のカミーユ・ピサロ(1830-1903)と、モネの暮らすシルヴェニーで表現手法を学んだアメリカの画家セオドア・ロビンソン(1852-1896)の作品に描かれた、農村でよく見られる垣根のモティーフに着目。人物の心理と結びつくもの、あるいは空間構成の装置として垣根がいかに効果的に描かれているかなどが解説されています。

こうした少々マニアックといえる角度からも作品の楽しみ方が提案されているため、さらに西洋美術の深みを歩みたい中級者、上級者のファンも新鮮な発見が期待できそうです。

第4章展示、左からウィリアム=アドルフ・ブーグロー《羊飼いの少女》1885年、サンディエゴ美術館/《小川のほとり》1875年、国立西洋美術館(井内コレクションより寄託)

カジュアルに、思考に制限のない状態で楽しむ――ディーン・フジオカ流の鑑賞法

報道内覧会では、同展の音声ガイドナビゲーターを務めるディーン・フジオカさんも登壇しました。

ディーン・フジオカさん

音声ガイドの収録を振り返り、「“ここみる展”みたいに、押し付けがましくなってしまうと意図が変わってしまいます。いろんな時代の背景や社会の空気、宗教観、何を描くかというモティーフの選び方やタッチ、画法など、判断の基準になる要点を打ち合わせの中で教えていただき、自分なりに解釈して、ガイダンス、ナビゲーションの一つとして伝えられたらいいなと考えて務めさせていただきました」と話したフジオカさん。

また、「自分で物語を作り出していくと、自分なりの見方、その日そのときの楽しみ方というものが生まれるのかなと思っています。(司会者に、まずは作品と対峙して自分の中の感性と語り合うということですね、と聞かれて)かっこよく言うとそうですね。自分の中でボケとツッコミを無限に繰り返すみたいな感じ」とフジオカ流の鑑賞方法も提案。

「いろいろな宗教的モティーフや文脈があると思いますが、けっこう突っ込みどころが多い作品もあったりしますよね。そういったものをカジュアルに、何をしちゃいけないみたいなものがない状態で楽しんでみる」と続け、スルバランの《聖ドミニクス》を見ながら「天を仰いで、手元はハート型のキュンな感じのポーズになっています」と独特の視点で魅力を表現するなど、笑いを誘う場面もありました。

《聖ドミニクス》と同じ“キュン”なポーズをとったフジオカさん

なお、会期中は4日間(夜間開館日)限定でイベント「どこみるde夜会」を開催。魅力的な人物像が多数登場する同展の一員となるつもりで、自分なりのおしゃれをして「夜会に招待されました!」と申告すると、オリジナルポストカードがプレゼントされるというもので、会場にはフォトスポットや、仮面や扇子など「夜会用撮影アイテム」も用意されるといいます。
※詳しい日程や注意事項は展覧会公式サイトよりご確認ください。

カぺの《自画像》になりきってイベントをPRした、音声ガイドのナレーターを務める日比麻音子さん。※あくまで演出であり、美術館での作品鑑賞を前提としない服装での来場はNGです。

さらに、同展とは別に、サンディエゴ美術館から借用したゴヤの《ラ・ロカ公爵ビセンテ・マリア・デ・ベラ・デ・アラゴン》(c.1795)をはじめとする絵画5点が、常設展示室にも展示されています。常設展は「どこみる展」の当日有効観覧券があれば無料で鑑賞できるため、こちらもぜひお見逃しなく。

「西洋絵画、どこから見るか?-ルネサンスから印象派まで サンディエゴ美術館 VS 国立西洋美術館」概要

会期 2025年3月11日(火)~2025年6月8日(日)
会場 国立西洋美術館(東京・上野公園)
開館時間  9:30 〜 17:30(毎週金・土曜日は20:00まで)
※入館は閉館の30分前まで
休館日 月曜日、5月7日(水)
※ただし、3月24日(月)、5月5日(月・祝)、5月6日(火・休)は開館
観覧料(税込) 一般2,300円、大学生1,400円、高校生1,000円

※中学生以下、心身に障害のある方及び付添者1名は無料(学生証または年齢の確認できるもの、障害者手帳の提示が必要です)
※観覧当日に限り同展観覧券で常設展も鑑賞できます。
そのほか、詳細は公式のチケットページよりご確認ください。

主催 国立西洋美術館、サンディエゴ美術館、日本経済新聞社、TBS、TBSグロウディア、テレビ東京
問い合わせ 050-5541-8600(ハローダイヤル)
展覧会公式サイト https://art.nikkei.com/dokomiru/

※記事の内容は取材時点のものです。最新情報は展覧会公式サイト等でご確認ください。

記事提供:ココシル上野


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【上野の森美術館】令和6年度「森の中の展覧会」表彰式レポート。「豊かな表現力と個性が発揮された素晴らしい作品」と台東区長が称賛

上野の森美術館

2025年3月7日(金)~3月11日(火)の期間、上野の森美術館で令和6年度「森の中の展覧会」が開催されました。


台東区では、障害のある方の文化芸術活動への参画を支援するとともに、障害への理解促進を図る「障害者アーツ事業」に取り組んでいます。その一環として、台東区と上野の森美術館が共催企画している「森の中の展覧会」は、障害のある方に作品を展示する機会をとおして、芸術に携わる楽しさを知ってもらうことを目的とした展覧会です。

展示風景
展示風景

壁面での展示が可能な平面作品という制限はあるものの、基本的に作品のテーマや形式は自由。台東区に在住・在学・在勤または区内の障害者施設・団体等を利用している障害のある方から作品を募集し、今年で4回目の開催となります。

展示風景
展示風景
展示風景

本展では、美術や書の専門家によって特に優秀だと認められた作品に賞が授与されます。審査には、武蔵野美術大学学長の樺山祐和さん、書家で高友社理事長の蕗野雅宣さん、上野の森美術館学芸課長の坂元暁美さんの3名の審査員に加え、準審査員として美術ワークショップ講師の上久保杏子さん、吉永晴彦さんが参加されました。そして、出品された274点から「台東区長賞」1点、「上野の森美術館賞」1点、「優秀賞」3点、「佳作」6点が選出され、3月8日に表彰式が実施されました。

服部征夫台東区長

表彰式は、服部征夫台東区長の挨拶からスタート。「皆様の作品は、本当に豊かな表現力と個性が発揮された素晴らしい作品です。今回の受賞を機に、さらなる創作に励んでいただけることを期待しています」と受賞者を激励し、来場者には「作品から伝わる作者の個性や才能、作品に込められた思い、そういったものを感じていただいて、障害への理解を一層深めていただける契機となれば幸いです」と呼びかけました。

上野の森美術館 宮内正喜館長

続けて、上野の森美術館 宮内正喜館長が登壇。祝辞を述べたのち、「当館は創作の喜び、発表の感動を多くの方々に体験していただくことを目指し、お一人お一人の個性と感性を尊重する芸術交流の場を目指しております。多様な表現によって相互理解を深める場として、これからも本展の発展を台東区とともに目指していく所存でございます」と本展開催への思いを語りました。

書家、高友社理事長の蕗野雅宣さん

また、審査員を代表して、書家で高友社理事長の蕗野雅宣さんが講評を述べました。

「我々審査員が274点の作品を一つずつ見させてもらって、どれにしようかということを先生方と話し合って、最後には投票したりしながら賞を決めさせていただきました。結果的に賞に入っていなくても、私は票を入れたという作品もありますし、それほど作品の内容に優劣があったわけではないことを一言加えさせていただきます」と選考を振り返りつつ、受賞作品の選定理由については次のように述べます。

「私どもが書道をやるときは墨を使います。墨は黒いですが、書き方によっては少しグレーになったり、書き上がったものが白く見えたりもします。黒の中でもそういった3色を混ぜて字を書いていく、ということを心がけていますが、それに加えて、じゃあ今回の作品はどういう風に書こうかと考えます。たとえば、力強く表現しようとか、優しく表現しようとか、そういうことを思いながら書いています。ここにある(受賞)作品はそれぞれ本当に思いがこもっているし、技術力も高かったということで、すばらしいものだったと思います」と、自身の芸術活動と重ねながら解説。最後に「また来年に向けて、ご家族のご援助をいただきながら、一生懸命に頑張ってほしいと思います」とエールを送りました。

賞状授与の様子

その後、ご家族や来場者が祝福するなか、受賞者に賞状と副賞が授与され、和やかな雰囲気のなか表彰式は終了しました。

台東区長賞《猫》の隣で賞状を掲げる作者の佐藤基さん

モノトーンの水彩絵の具で描いた《猫》で台東区長賞を受賞した佐藤基さんは、通所先の施設からの紹介で本展への参加に至ったとのこと。出品はこれで2度目となり、「展示してもらえるだけで面白いのに、賞までいただいてしまって驚きました」と笑顔を浮かべます。

かわいい動物が好きだといい、本作では猫が「あなた、ご飯をくれるの?」という顔でこちらを見つめる瞬間を切り取ったとのこと。キリッとした眼が一見怖いけれど、フワッとやわらかい姿の表現にこだわったといいます。今後の予定については「特別な場所ではなく、日常生活の中で“おっ”と思ったシーン、かわいい、きれいだなと感じる場面をスナップして描いていきたい」と述べました。

上野の森美術館賞《レシート》 と作者の関口奏瑛さん

上野の森美術館賞を受賞した関口奏瑛さんの《レシート》は、大小さまざまなレシートにカラフルな着色を施した力作。関口さんはもともとレシート集めが好きで、通所先の施設の職員にアートにしようと提案されたことをきっかけに作品に仕立てたといいます。使用されているのは、ご家族とのお出かけ先で食べたものや、大好きなコンビニのホットスナックなど、関口さんにとって大切な思い出の一部。ご本人の好きな色で何度も塗り重ねをしたそうで、色彩の厚みから思い入れの強さまで伝わってくるようです。

また、本展の開催にあたって、区内17カ所の障害者施設を美術講師が訪問し、ワークショップを開催。そこで制作された水彩画、クレヨン画、色鉛筆画、貼り絵などの作品も出品されました。

佳作《不忍池おさんぽしたよ》の作者・渡邉旭さんと美術講師の吉永晴彦さん
本作はワークショップの中で制作されたとのこと

美術講師をつとめた作家の吉永晴彦さんは、本展であらためて作品を一望し、「直接鑑賞して得られるエネルギーに感動しています」とひと際の感慨を込めて語ります。ワークショップでは、遊びの要素を取り入れつつも集中できるような環境づくりに注力。自由な創作意欲や、その人が本来持っている持ち味が緊張感によって遮られないように、場の雰囲気にも気を配っているといいます。

「ワークショップに参加されている方々が集中している様子を見るのは、こちらも非常に励みになる。いつも逆にエネルギーをもらっているような感覚になっています。時間があっという間だったね、今日はぐったりだね、といった感想をいただくのが一番うれしいですね」と吉永さん。

また、作りたい作品の具体的な要望がない人でも、きっかけになりそうなことを情報過多にならない程度に提示したり、一緒に制作に取り組んだりしながら、どんどんイメージを膨らませていくサポートをするケースも多いといいます。目指すのは「いつも新しい感動を見つけていくこと」で、同じ施設でワークショップを開催してもマンネリ化することはないとのこと。お話からは、多様な芸術表現があふれる本展の魅力を裏で支えている方々の尽力が垣間見られました。

(写真手前)優秀賞《しあわせみ〜っけ》つばさ放課後クラブ
佳作《ジンベイザメ》國岡亜由美、佳作《宇宙船》嶋田勝弘

なお、受賞作品の一部は4月18日(金)まで台東区役所1階 アートギャラリーにて展示されていますので、ぜひ足を運んでみてください。

令和6年度「森の中の展覧会」概要

会期 2025年3月7日 (金) 〜 3月11日 (火)
会場 上野の森美術館
入場料 無料
受賞作品一覧 https://www.culture.city.taito.lg.jp/ja/shogaisha_arts/morinonakanotenrankai/r06

※記事の内容は取材日(2025/3/8)時点のものです。

 


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【取材レポート】「ミロ展」が東京都美術館で開幕。〈星座〉シリーズなど20世紀を代表する巨匠の傑作約100点が揃う

東京都美術館

ピカソ、ダリと並び、スペイン三大巨匠に数えられる画家ジュアン・ミロの、70年におよぶ創作活動を振り返る大規模な展覧会「ミロ展」が、東京・上野の東京都美術館で開幕しました。会期は2025年3月1日から7月6日まで。

※本稿に掲載の画像は、報道内覧会にて許可を得て撮影したものです。

会場エントランス

スペイン・カタルーニャ州出身のジュアン・ミロ(1893-1983)は、1920年代にシュルレアリスムを代表する画家として名声を得ました。太陽や星、月など自然の中にあるモティーフを象徴的な記号として描いた、色彩豊かで詩情あふれる独特な画風が有名ですが、90歳で亡くなるまで新しい表現に挑戦し続け、純粋で普遍的な芸術を追求。20世紀で最も影響力のある芸術家の一人と見なされました。

ジュアン・ミロ(展示パネルより)

本展は、代表作である〈星座〉シリーズをはじめ、初期から晩年までの各時代を彩る絵画や陶芸、彫刻などの傑作約100点を一堂に集め、ミロの画業全体を包括的に紹介するもの。没後40年を経たミロの世界的な再評価の流れを受けての企画であり、日本では1966年に存命中のミロが協力した展覧会以来、最大規模の回顧展となるそうです。

展示は全5章構成です。

父親に勧められた会計の仕事が合わず、病に倒れた青年ミロは、山間の村モンロッチの別荘で療養生活を送る中で、かねてからの夢であった画家になる決意を固めます。1912年、ミロはあらためて美術学校に通いながら最先端の芸術の動向を研究。
第1章「若きミロ 芸術への決意」では、キュビスムやフォーヴィスム、当時の前衛芸術家たちに父のように見なされていたセザンヌなど、この時期のミロが自身の表現を模索する中で、さまざまな画風を取り入れていたことを伝える作品が並びます。

展示風景/《バイベルの森》1910年、ジュアン・ミロ財団、バルセロナ(寄託)
展示風景/《自画像》1919年、パリ・国立ピカソ美術館

初期の名作《ヤシの木のある家》(1918)をはじめ、ミロはモンロッチの情緒的な風景をモティーフとした作品を多く残しています。芸術的信念を強固なものにしたモンロッチは、生涯にわたりミロにとってすべての創作の源、芸術に対する考えを深める場所であり、カタルーニャ人としてのアイデンティティを再確認させるものでした。本作は、それまで多大な影響を受けていたフォーヴィスムの作風を捨て、細部の描写にこだわるようになった、いわゆるミロの「細密主義時代」を代表する作例です。

展示風景/《ヤシの木のある家》1918年、国立ソフィア王妃芸術センター、マドリード

1920年、念願であった芸術の中心地パリに初めて訪れ、都市の近代性と前衛芸術に魅了されたミロは、翌年からパリにアトリエを構え、モンロッチと往復する生活を送るようになります。

同地のシュルレアリスム作家や詩人との交流で刺激を受け、具象性から離れた詩的な表現手法に傾倒。1925〜27年には、空虚を示す茫漠とした背景に不定形で動きのある描線を加えて、ミロ自身の「夢の進行を示す記号」とした、100点以上におよぶ「夢の絵画」を生み出しました。その中には、具体的な事物との区別なく、実体をもたない語句もモティーフであるかのように描き、本来の役割から解放した〈絵画=詩〉シリーズがあります。

第2章「モンロッチ─パリ 田園地帯から前衛の都へ」では、こうした1920年代の活動を紹介。「夢の絵画」はパリの画壇で話題となり、ミロは名実ともにシュルレアリスムの画家として人気を博すようになります。

展示風景/左から《絵画(喫煙する人の頭部)》、《絵画(頭部とクモ)》いずれも1925年、国立ソフィア王妃芸術センター、マドリード
展示風景/《絵画=詩(栗毛の彼女を愛する幸せ)》1925年、ジュアン・ミロ財団、バルセロナ(寄託)

《オランダの室内Ⅰ》(1928)は、17世紀オランダ絵画に強い衝撃を受けたミロが、画家ヘンドリク・ソルフの《リュートを弾く人》(1661)をもとに描いた作品。展示では、パネルでソルフの原作と本作の準備素描も紹介されており、見比べると、ソルフの自然主義的な日常の一場面から立体感や遠近感を排除し、平坦な色彩と有機的なフォルムによる超現実な世界へと変容させたことがわかります。

展示風景/《オランダの室内Ⅰ》1928年、ニューヨーク近代美術館

1936年に勃発したスペインの内戦で亡命し、続く第二次世界大戦にわたり戦禍を避けながら孤独に制作を続けたミロ。
第3章「逃避と詩情 戦争の時代を背景に」では、パリからノルマンディー地方の村へ逃れた1940年から制作を開始し、マジョルカ島やモンロッチを転々とする間に完成させた傑作〈星座〉シリーズをハイライトとして展示しています。

展示風景/《明けの明星》1940年、ジュアン・ミロ財団、バルセロナ

〈星座〉シリーズは、カンヴァスではなく紙を用いた小型のグワッシュ画。あえて凄惨な現実から逃避し、広大で美しい星空やモーツァルト、バッハといった音楽で心を慰めながら、それらを着想源に現実を超えた先の希望を示すために描いたとされています。本展では全23点のうち《明けの明星》《女と鳥》《カタツムリの燐光の跡に導かれた夜の人物たち》(1940)の3点が出展。ミロが記号体系を確立したという点でも注目のシリーズですが、各作品は世界中に散らばっているため、複数の作品をまとめて鑑賞できる貴重な機会となっています。

展示風景/《カタツムリの燐光の跡に導かれた夜の人物たち》1940年、フィラデルフィア美術館

一方で、ミロは1928年頃から、芸術の商品化やアーティストへの過度な注目に批判的な視線を向けはじめ、「絵画を暗殺したい」という衝動に駆られるようになります。次第に、本章に登場するアルミ箔にトイレットペーパーを貼り付けた《無題(夜の恋人たち)》(1934)のような、絵画とは無関係な素材や要素を共存させるコラージュやオブジェなど、反芸術・反絵画と呼ばれる作風にも着手。伝統的な絵画表現の在り方を問い続けました。

展示風景/左から《絵画(カタツムリ、女、花、星)》、《無題(夜の恋人たち)》いずれも1934年、国立ソフィア王妃芸術センター、マドリード

1947年、ミロは壁画の依頼を受けて初めてアメリカを訪れますが、すでにその6年前にはニューヨーク近代美術館でミロの回顧展が開催されるなど、同地での評価が高まっている状況でした。滞在中のミロもジャクソン・ポロックを筆頭とする若い芸術家たちから刺激を受け、帰国後にエッチングやリトグラフ、職人との共同作業による陶芸、彫刻など幅広い制作に関心を傾けます。
第4章「夢のアトリエ 内省を重ねて新たな創造へ」では、そうした戦後の1950〜60年代における展開をたどります。

第4章 展示風景
第4章 展示風景

ところで、ミロの作品は端的なタイトルも多いですが、その実、タイトルと作品との関係性に遊び心と詩情を与えることを好んでいたといいます。《螺旋を描いて彗星へと這うヘビを追う赤トンボ》(1951)は代表的な例で、説明的なタイトルに導かれ、鑑賞者は彗星やヘビ、赤トンボを見つけようと、まさに螺旋を描くヘビのように画面で視線を惑わせます。その好奇心を後押しするのが鮮やかな配色や蛇行する線、不気味な描写であり、それらすべてがミロの仕掛け。構成の巧みさに驚かされます。

展示風景/《螺旋を描いて彗星へと這うヘビを追う赤トンボ》1951年、国立ソフィア王妃芸術センター、マドリード

また、本章では、1956年に念願の広いアトリエをマジョルカ島に完成させた以降の作品が、アメリカ抽象表現主義の巨大な絵画の影響もあって巨大化していく様子も確認できます。大型絵画《太陽の前の人物》(1968)はミロの造形言語の集大成のひとつで、「○△□」の図形で宇宙を表現した日本の画僧・仙厓義梵の作品から着想を得たもの。

ミロは初期から日本に関心を寄せており、1966年の訪日の際には、日本の伝統芸術や芸術家の考え方に自身との親和性を認めています。確信的な筆づかいが書道を想起させる本作は、そうしたミロの東洋的な感性を示す重要な作例であり、バルセロナ以外で展示されるのは約40年ぶりであるとのこと。

展示風景/左から《月明かりで飛ぶ鳥》1967年、ナーマド・コレクション/《太陽の前の人物》1968年、ジュアン・ミロ財団、バルセロナ

第5章「絵画の本質へ向かって」では、晩年の1970~80年代に制作された作品が並びます。すでに世界的な巨匠としての地位を確固たるものにしていたミロですが、晩年おいても常に自身の活動を検証し続けており、大胆で型破りな試みもためらうことはありませんでした。

たとえば、《焼かれたカンヴァス2》(1973)は5点の連作絵画のひとつで、白いカンヴァスに勢いよく絵具をたらし、踏みつけ、ナイフで切り刻み、最後にガソリンを染みこませて火をつけた作品。衝動的な行為の結果ではなく、焦がしたカンヴァスや紙のマチエール、その物質性に潜む美を探ることが制作意図としてあったようですが、本作からは衰えないエネルギーや、ハイカルチャーとしての芸術、ただの財産になり下がる芸術に対する強烈な反骨心が伝わってきます。

展示風景/《焼かれたカンヴァス2》1973年、ジュアン・ミロ財団、バルセロナ(寄託)

また、晩年のミロは、より体の動きを反映するような筆づかいを採用するようになっていました。イメージとしては水墨画にも近しい三連画《花火Ⅰ、Ⅱ、Ⅲ》(1974)では、絵具を激しくぶちまけ、重力の作用によってしたたり落ちた絵具の跡に重ねるように筆を入れています。これはアメリカ抽象表現主義の画家たちの影響を受けたもので、偶然性に身を任せて生まれた新たな構図によって制作プロセスを導くという手法が用いられています。本作は日本初展示であるとのこと。

展示風景/手前は《花火Ⅰ、Ⅱ、Ⅲ》1974年、ジュアン・ミロ財団、バルセロナ

なお、第4章と第5章の間では、ミロのポスター制作を通じた積極的な社会的、政治的、文化的コミットメントについても取り上げています。

ミロは1960~70年代、フランコ独裁政権末期のスペイン社会において、意見を公然と述べる場に乏しい人々の希望や要求を代弁する手段として数多くのポスターを制作。「芸術家とは、ほかの人々が沈黙するなかで何かを伝えるために声を上げる者」であるという言葉も残しており、展示ではミロの芸術家としてのスタンス、つまり自身の関心事について語るためだけに、生涯を通じて研鑽を重ねたわけではないことを強調しています。

展示風景/手前は《バルサ FCバルセロナ75周年》1974年、ジュアン・ミロ財団、バルセロナ

ミロという画家が、20世紀を通じていかに最先端の芸術に飛び込み、絶えず創造的な緊張感に身を置きながら自身の表現を確立していったのか。その探求の過程、唯一無二の芸術の魅力を、ぜひ本展で体感してみてください。

「ミロ展」概要

会場 東京都美術館 企画展示室
会期 2025年3月1日(土)〜7月6日(日)
開室時間 9:30~17:30、金曜日は20:00まで(入室は閉室の30分前まで)
休室日 月曜日、5月7日(水)
※ただし、4月28日(月)、5月5日(月・祝)は開室
観覧料金(税込) 一般 2,300円、大学生・専門学校生 1,300円、65歳以上 1,600円

※大学生・専門学校生は、3月1日(土)~16日(日)に限り無料。
※身体障害者手帳・愛の手帳・療育手帳・精神障害者保健福祉手帳・被爆者健康手帳をお持ちの方とその付添いの方(1名まで)は無料。
※18歳以下、高校生以下は無料。

詳細は公式サイトのチケットページでご確認ください。

主催 東京都美術館(公益財団法人東京都歴史文化財団)、ジュアン・ミロ財団、朝日新聞社、テレビ朝日
お問い合わせ 050-5541-8600(ハローダイヤル)
展覧会公式サイト https://miro2025.exhibit.jp/

※記事の内容は取材時点のものです。最新情報は展覧会公式サイト等でご確認ください。

記事提供:ココシル上野


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【取材レポート】特別展「旧嵯峨御所 大覚寺」が東京国立博物館で開幕。100面を超える障壁画の華やかさに魅了される

東京国立博物館

平安京遷都から間もない頃より、風光明媚な遊覧の地として王朝貴族に愛されてきた京都・嵯峨に位置する大覚寺は、弘法大師空海(774-835)を宗祖とする真言宗大覚寺派の本山です。
前身は平安時代初期、嵯峨天皇(786-842)が造営した離宮嵯峨院であり、貞観18年(876)に皇女・正子内親王の願いにより寺に改められ、大覚寺が開創されました。以降、歴代の天皇や皇族が門跡(住職)を務めたことから嵯峨御所の呼び名でも親しまれてきた、格式高い門跡寺院です。

その大覚寺が2026年に開創1150年を迎えるのに先立ち、優れた寺宝の数々を一挙に紹介する、開創1150年記念 特別展「旧嵯峨御所 大覚寺 -百花繚乱 御所ゆかりの絵画-」が東京国立博物館で開幕しました。会期は2025年3月16日(日)まで。

※所蔵先の記載のない作品は大覚寺蔵。
※一部作品に展示替えがあります。展示期間の記載のない作品は通期展示です。
前期展示:2025年1月21日(火)~2月16日(日)
後期展示:2025年2月18日(火)~3月16日(日)
※記事の内容は取材時点のものです。最新情報は展覧会公式サイト等でご確認ください。

会場入口

会場は4章に分けて構成されており、第1章「嵯峨天皇と空海―離宮嵯峨院から大覚寺へ」では初期の大覚寺の歴史を示す作品を展示。ひときわ目を引くのは、大覚寺の信仰の要である五大明王信仰を示す「五大明王像」です。

五大明王は、密教の仏である不動明王、降三世明王、軍荼利明王、大威徳明王、金剛夜叉明王という5体の明王で構成されるもの。中国・唐時代に成立し、唐より帰国した空海によって日本での展開が始まったと考えられています。唐の文化を愛した嵯峨天皇は空海の良き理解者でもあり、空海からの勧めで五大明王像を離宮内の持仏堂に安置しました。

重要文化財《五大明王像》明円作 平安時代・安元3年(1177)
重要文化財《五大明王像 軍荼利明王》明円作 平安時代・安元3年(1177)

当時の像はすでに失われていますが、その信仰は脈々と伝えられ、大覚寺は現代でも3組の「五大明王像」を所蔵しています。出展されているのはそのうちの2組。一方は大覚寺の本尊で、平安時代後期に宮廷や上級貴族の仏像を数多く手がけた円派(えんぱ)の一流仏師・明円が、後白河上皇の御所で制作したもの。憤怒の形相をたたえた厳めしい風貌ですが、丸みを帯びた端正な体つきに洗練された気品が感じられる、力強さと優美さが調和した名品です。現存する明円の作例は本作のみという点でも見逃せません。

《五大明王像》不動明王、軍茶利明王、大威徳明王は重要文化財 院信作 室町時代・文亀元年(1501)/ 降三世明王、金剛夜叉明王は江戸時代・17~18世紀

もう一方は京都・清涼寺の五大堂から伝わったもので、2m前後の像高をもつ迫力あるお像です。うち3体は室町時代の仏師・院信の作、2体は江戸時代に再興されたと考えられています。

第2章「中興の祖・後宇多法皇—「嵯峨御所」のはじまり」では、鎌倉時代、大覚寺で金堂や僧房などの広大な伽藍を整備したほか、「嵯峨御所」と称されるきっかけとなった仙洞御所(上皇が住まわれる御所)を新造して院政を行ったことで知られる後宇多法皇(1267-1324)の事績に着目。《大覚寺大伽藍図》で示される往時の広大な伽藍の様子からは、後宇多法皇が「大覚寺中興の祖」と称される所以が見てとれるでしょう。

《大覚寺大伽藍図》江戸時代・18~19世紀

真言密教を厚く信仰していた後宇多法皇は、出家した大覚寺で阿闍梨(師僧)となり、弟子を育てながら多くの聖教や書跡を残しました。展示では、空海への尊崇の念を記した国宝《後宇多天皇宸翰 弘法大師伝》や、密教の授法儀式である灌頂(かんじょう)に関する諸説を記した《後宇多天皇宸翰 灌頂印明》など、貴重な宸翰(しんかん/天皇直筆の書)の数々も見ることができます。

国宝《後宇多天皇宸翰 弘法大師伝》後宇多天皇筆 鎌倉時代・正和4年(1315)前期展示

大伽藍が整った大覚寺ですが、後嵯峨天皇から続く天皇の皇統(大覚寺統、のちの南朝)の本拠となったことで、南北朝時代以降は多くの戦乱に巻き込まれ、応仁の乱でも堂宇の大部分を焼失するなど苦難の時代が続きました。第3章「歴代天皇と宮廷文化」では、その頃の大覚寺を支えた歴代天皇や門跡の功績、それによってもたらされた宮廷文化を紹介しています。

《源氏物語(大覚寺本)》室町時代・16世紀
《若松蒔絵十種香箱》(部分)江戸時代・ 19世紀

本章の見どころのひとつは、平安時代中期に源満仲が天下守護のための刀剣としてつくり、清和源氏の歴代当主に継承された「兄弟刀」と伝わる「薄緑〈膝丸〉」と「鬼切丸〈髭切〉」の同時展示です。

左から重要文化財《太刀 銘 □忠(名物 薄緑〈膝丸〉)》鎌倉時代・13世紀/ 重要文化財《太刀 銘 安綱(名物 鬼切丸〈髭切〉)》平安~鎌倉時代・12~14世紀 京都・北野天満宮蔵
重要文化財《太刀 銘 □忠(名物 薄緑〈膝丸〉)》鎌倉時代・13世紀

「薄緑〈膝丸〉」は身幅の太い、豪壮で腰反りの刀身に、低く焼き入れた小乱の刃文が特長。頼光や義経、頼朝など源氏嫡流で重用されたのちに大友家や田原家、西園寺家、安井門跡を経て大覚寺へと伝わりました。「鬼切丸〈髭切〉」は身幅がやや細く、中反りの優美な刀身に乱刃の刃文が特長。こちらは鎌倉幕府滅亡に際して新田義貞の手にわたり、義貞を討った斯波高経、その子孫の最上家を経て北野天満宮に奉納されました。

「優れた造形の刀には人知を超えた霊威が宿る」という信仰から、この「兄弟刀」にもさまざまな霊異譚が備わっているとのこと。その伝承は源氏の興亡と密接に結びついており、二口が源氏嫡流の正当性と権威を象徴するだけでなく、所有者を勝利に導く存在として信じられていたことをうかがわせます。二口揃って展示されるのは東京では初となるそう。専用の展示ケースと飾り台が設けられ、美しい刀身が見やすいように工夫されています。

《薄緑太刀伝来記》江戸時代・17~18世紀
第4章 展示風景

第4章「女御御所の襖絵―正寝殿と宸殿」は本展のハイライトです。大覚寺伽藍の中心にある「宸殿(しんでん)」は、後水尾天皇より下賜された寝殿造りの建物で、元和6年(1620)に入内された和子(東福門院)の女御御殿を移築したもの。その北西にある「正寝殿」は、安土桃山時代に建てられた書院造の建物で、歴代門跡の御座所(居室)として使われていました。

これらの内部を飾る襖絵や障子絵などの障壁画約240面の多くは、豊臣家や九条家の御用を務めた、安土桃山~江戸時代を代表する画家・狩野山楽(1559-1635)が手掛けており、一括して重要文化財に指定されています。現在14年にわたる大修理の途中ですが、本展では修理を終えたものを中心に、前後期併せて123面(前期100面、後期102面)を紹介。この規模で寺外に持ち出されるのは過去例がないといい、壮観な光景に魅了されます。

正寝殿のうち、後宇多法皇が院政を執ったと伝わる格式高い「御冠の間」の再現展示
重要文化財《牡丹図》(18面のうちの部分)狩野山楽筆 江戸時代・17世紀
重要文化財《松鷹図》(13面のうちの部分)狩野山楽筆 安土桃山~江戸時代・16~17世紀 前期展示

正寝殿の「鷹の間」を飾る《松鷹図》(13面)は、長大な画面内に松の巨木と勇猛な鷹の姿を表した、山楽の水墨花鳥図の代表作。大きくうねる太い幹と蛇行する枝によるダイナミックな躍動感、全体を支配するバランスに、山楽の師・狩野永徳(1543-90)が手掛けた東博所蔵の《檜図屛風》を想起する方もいるでしょう。

重要文化財《紅白梅図》(8面のうちの部分)狩野山楽筆 江戸時代・17世紀

宸殿の「紅梅の間」を飾る、写実と装飾が見事に調和した山楽の最高傑作のひとつ《紅白梅図》(8面)もまた、大樹を画面全体に展開する表現に永徳の影響が感じられます。一方で、いずれも豪放さが際立つ永徳とは異なる柔らかみを帯びた温和な描写となっており、山楽が師の特徴を継承しつつ、様式的個性を洗練させていったことがうかがえます。

重要文化財《野兎図》渡辺始興筆 江戸時代・18世紀
重要文化財《野兎図》(12面のうちの部分)渡辺始興筆 江戸時代・18世紀

正寝殿の屋内縁側を飾る腰障子の板絵《野兎図》(12面)は、狩野派や尾形光琳に学んだ江戸時代中期の画家・渡辺始興(1683-1755)が手掛けたもの。幼くして近衛家から大覚寺に入った卯年生まれの息子を慰めるために近衛家熈が描かせたと伝わっており、伸びやかな野草の間に、後ろ足で耳を描く、寄り添ってくつろぐなど、多様なポーズをとる19羽の兎たちが賑やかに描かれています。

会場内特設ショップでは、《野兎図》の兎たちの愛らしいキーチェーンが販売されていました。(現在は完売)

大覚寺の悠久の歴史、その雅な雰囲気に浸れる特別展「旧嵯峨御所 大覚寺 -百花繚乱 御所ゆかりの絵画-」の開催は2025年3月16日まで。

開創1150年記念 特別展「旧嵯峨御所 大覚寺 -百花繚乱 御所ゆかりの絵画-」概要

会期 2025年1月21日(火)~3月16日(日)

※会期中、一部作品の展示替えを行います。
前期展示:1月21日(火)~2月16日(日)
後期展示:2月18日(火)~3月16日(日)

会場 東京国立博物館 平成館(上野公園)
開館時間 9:30~17:00
※入館は閉館の30分前まで
休館日 月曜日(ただし2月10日、24日は開館)、2月25日(火)
主催 東京国立博物館、大本山大覚寺、読売新聞社、日本テレビ放送網、BS日テレ
お問い合わせ 050-5541-8600(ハローダイヤル)
展覧会公式サイト https://tsumugu.yomiuri.co.jp/daikakuji2025/

※記事の内容は取材時点のものです。最新情報は展覧会公式サイト等でご確認ください。

記事提供:ココシル上野


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