「ミケランジェロと理想の身体」

国立西洋美術館
《若き洗礼者ヨハネ》 ミケランジェロ・ブオナローティ 1495-1496年
ウベダ、エル・サルバドル聖堂、ハエン(スペイン)、エル・サルバドル聖堂財団法人蔵 高さ130cm 大理石 
Úbeda, Capilla del Salvador; Jaén(Spain), Fundacion Sacra Capilla del Salvador©Ministero perⅠBeni e Le Attività Culturali e del Turismo , Opificio delle Pietre Dure

国立西洋美術館では、2018年6月19日(火)~9月24日(月・休)の期間、「ミケランジェロと理想の身体」が開催されます。

本展は、ミケランジェロの傑作彫刻「若き洗礼者ヨハネ」と「ダヴィデ=アポロ」を核に、古代ギリシャ・ローマとルネサンスの作品70点をいくつかの観点で比較します。年齢の異なる身体、相貌の表現、アスリートと戦士、神々と英雄。こうした比較により、両時代の特徴をあきらかにします。

開催概要

展覧会名 ミケランジェロと理想の身体
会場 国立西洋美術館
会期 2018 年6月19日(火)~9月24日(月・休)
休館日 月曜日、7月17日(火)
ただし、7月16日(月・祝)、8月13日(月)、9月17日(月・祝)、9月24日(月・休)は開館
時間 午前9時30分~午後5時30分(金、土曜日は午後9時まで)
※入館は閉館の30分前まで
観覧料 一般:1600 (1400)円、大学生:1200 (1000)円、高校生:800 (600)円
※( )内は20 名以上の団体料金
※中学生以下は無料
※心身に障害のある方および付添者 1 名は無料(入館の際に障害者手帳をご提示ください)
URL https://artexhibition.jp/michelangelo2018/

情報提供:ココシル上野
https://home.ueno.kokosil.net/

「ミラクル エッシャー展 奇想版画家の謎を解く8つの鍵」

上野の森美術館

「視覚の魔術師」とも呼ばれる稀代の版画家、マウリッツ・コルネリス・エッシャー。実際にありそうで存在しない世界、ひとつの絵の中に重力が異なる世界が存在するなど、その奇妙で不可思議な作風は世界の人々を魅了し続けています。

生誕120年を記念して開催される大型展覧会「ミラクル エッシャー展」では、世界最大級のエッシャーコレクションを誇るイスラエル博物館の所蔵品より、有名な“トロンプ・ルイユ”(だまし絵)の作品に加え、同博物館でも常設展示されていない秘蔵のコレクション約150点が来日します。

開催概要

展覧会名 生誕120年 イスラエル博物館所蔵 ミラクル エッシャー展 奇想版画家の謎を解く8つの鍵
会場 上野の森美術館
東京都台東区上野公園1-2
会期 2018年6月6日(水)~7月29日(日)
※会期中無休
開館時間 10:00~17:00
※毎週金曜日は20:00まで
※入館は閉館の30分前まで
料金 一般:1,600円(1,400円)、大学・高校生:1,200円(1,000円)、中学・小学生:600円(500円)
※()内は団体料金
URL http://www.escher.jp/

「ミラクル エッシャー展」内覧会レポート

上野の森美術館
左からロニット・ソレック氏(イスラエル博物館 版画・素描部門学芸員)、シヴァン・エラン=レヴィアン氏(イスラエル博物館 巡回展主任)、熊澤弘氏(東京藝術大学大学美術館 准教授)、野老朝雄氏(アーティスト)

2018年6月6日(水)から7月29日(日)まで、上野の森美術館にて「ミラクル エッシャー展」が開催されます。今回は、先日開催されたプレス内覧会の様子をお伝えいたします。


「視覚の魔術師」とも呼ばれる稀代の版画家、マウリッツ・コルネリス・エッシャー。実際にありそうで存在しない世界、ひとつの絵の中に重力が異なる世界が存在するなど、その奇妙で不可思議な作風は世界の人々を魅了し続けています。

生誕120年を記念して開催される大型展覧会「ミラクル エッシャー展」では、世界最大級のエッシャーコレクションを誇るイスラエル博物館の所蔵品より、有名な“トロンプ・ルイユ”(だまし絵)の作品に加え、同博物館でも常設展示されていない秘蔵のコレクション約150点が来日します。
奇想版画家エッシャーは、どのようにして唯一無二の作品を生み出したのか。本展覧会では、「科学」「聖書」などの8つの独自の観点から、その「ミラクルな」版画の謎に迫ります。


展示紹介

1. エッシャーと『科学』



エッシャーの版画では、特定のモティーフが反復しながら循環したり、タイル状に埋め尽くされるなど、幾何学的な独自の表現が用いられています。エッシャーはこれらの表現を生み出すために、同時代の科学から着想を受け、独自の数学的な理論を発展させました。

この章では、エッシャー版画に現れるさまざまな幾何学的表現を紹介しています。

2.エッシャーと『聖書』



第2章では、若いエッシャーが描いたキリスト教主題の版画が取り上げられています。旧約聖書創世記を扱った連作には、19世紀後半から20世紀初頭にヨーロッパで流行したアール・デコ様式からの影響を見ることができます。

3.エッシャーと『風景』


1920年代からのイタリア、スペイン旅行、特にアルハンブラ宮殿での幾何学な装飾模様との出会いは、のちのパターン化されたモティーフ表現の原点となりました。そしてピクチャレクスな風景版画は、のちに登場する視覚的な実験を先取りしたものとなっています。

4.エッシャーと『人物』


エッシャー版画に登場する人物像は、しばしば反復されるパターンのモティーフの一つとして画面に登場しますが、初期のエッシャーは単身の人物表現にも取り組んでいます。

この章で紹介されている人物像の多くは家族など近しい人を扱っていますが、同時に自分自身の姿もさまざまな方法でモティーフとしていました。

5.エッシャーと『広告』


エッシャーの造形は商業デザインにも登場します。この章では、商用として利用されたイメージとともに、エッシャーらしさが凝縮された小さなグリーディングカードも展示されています。

6.エッシャーと『技法』


自らを「芸術家」ではなく「版画家」と考えていたエッシャーは、木版、リトグラフ、メゾティントなどさまざまな版画技法に取り組み、それらの技法を高度に発展させ、時に複数の技法を統合させながら不可思議な版画空間を作り出しました。

この章では、多種多様な作例、マテリアルとともにエッシャーの版画技法を紹介しています。

7.エッシャーと『反射』


こちらは《球面鏡のある静物》という作品。エッシャーの作り出す不可思議な世界の特徴のひとつが、「鏡面」のイメージです。鏡面を用いた絵画は、ヨーロッパでは近代以前から数多く描かれましたが、エッシャーもまた現実世界のモティーフと仮想世界としての鏡像の共存するイメージを描くことに没頭していました。

8.エッシャーと『錯視』


エッシャーの代表作でもある《相対性》や《滝》といった作品が展示されている最終章。エッシャー芸術を代表する要素が、これらの作品に見られるような実現不可能な建築表現、永遠に変化し続けるパターンを描いた「ありえない世界」です。

この独創的な表現は、当時の数学者が発表した不可能な図形に着想を得たものもあり、正則分割を用いた循環する表現とともに、エッシャーが長年にわたり独自発展させた理論が形になったものです。


大作《メタモルフォーゼII》の前で展示解説をおこなう熊澤弘氏

本展覧会のフィナーレを飾るのは、1939-1940年に制作された大作《メタモルフォーゼII》。文字から始まり、さまざまな形態が変容しながら循環し続け、やがて最初の文字へと至るこの作品は「エッシャー芸術の極点」とも称えられます。

「第二次世界大戦後、エッシャーの展覧会が英語圏で開かれたのをきっかけに、現在まで至るエッシャー人気が生まれましたが、その時に高く評価されたのがこの《メタモルフォーゼII》です。この後、彼の作品はいわゆるアートの領域よりも科学者や数学者に取り上げられる機会が増えていきました。そうした点もこの作者の面白いところだと思います」

そう語ってくださったのは、東京藝術大学大学美術館 准教授の熊澤弘氏。

「彼のフォロワーの一人が『インセプション』を監督したクリストファー・ノーランであり、変わったところでは『ジョジョの奇妙な冒険』の荒木飛呂彦さんもそうですね。このように現代の私たちのポップカルチャーにも影響を与えているエッシャーですが、彼の展覧会では東京では12年ぶりとなります。ぜひまたフレッシュな視点で、エッシャーの作品をご覧いただければと思います」

会期は2018年6月6日(水)から7月29日(日)まで。
これは現実なのか?仮想世界なのか?
今世紀最大の「奇想の版画家」に挑む「ミラクル エッシャー展」、ぜひ足を運んでみてはいかがでしょうか。

開催概要

展覧会名 生誕120年 イスラエル博物館所蔵 ミラクル エッシャー展 奇想版画家の謎を解く8つの鍵
会場 上野の森美術館
東京都台東区上野公園1-2
会期 2018年6月6日(水)~7月29日(日)
※会期中無休
開館時間 10:00~17:00
※毎週金曜日は20:00まで
※入館は閉館の30分前まで
料金 一般:1,600円(1,400円)、大学・高校生:1,200円(1,000円)、中学・小学生:600円(500円)
※()内は団体料金
URL http://www.escher.jp/

記事提供:ココシル上野
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ビートたけしさんも登壇、「江戸まち たいとう芸楽祭」記者発表会レポート

木馬亭

台東区では、2018年8月~2019年2月にかけて、本区に根付く芸能や伝統文化を肌で感じてもらう新事業、「江戸まち たいとう芸楽祭(げいらくさい)」を開催します。5月30日に浅草・木馬亭で開かれた記者発表会には、名誉顧問に就任されたビートたけしさんも登壇されました。

芸能・伝統文化の継承・発展

粋や人情など、心を感じる生活文化が息づく台東区。この風土の中で、先人たちは芸を磨き、世へ発信していきました。「江戸まち たいとう芸楽祭」は、こうした芸能や伝統文化に触れてもらうとともに、次代を担う新しい才能を発掘しようとする取り組みです。2018年8月~10月は「夏の陣」と題して、北野武監督作品の上野公園野外上映をはじめ、むかし話を創作する講談ワークショップや、屋形船で実演芸能を堪能するイベントなどが実施されます。また11月~2019年2月は「冬の陣」として、演芸場などの文化資源を活用した朗読、演劇などのほか、江戸~平成の芸能を堪能できる豪華プログラムが予定されています。

名誉顧問には、浅草フランス座(現 東洋館)で修業し芸人を目指したビートたけしさんが就任。顧問には、「浅草演芸ホール・東洋館」を率いてビートたけしさんや萩本欽一さんを育てた松倉久幸(まつくら ひさゆき)さんが就任しました。記者発表会のトークセッションには、お二人のほか、服部征夫(はっとり ゆくお)台東区長も登壇。冒頭では、服部区長がビートたけしさんに「(浅草に)おかえりなさい、たけしさん」と呼びかける場面もありました。

服部征夫 台東区長

トークセッション

先ほど区長から「おかえりなさい」という言葉がありました。たけしさん、いかがでしょうか。

ビートたけしさん:
まあ、帰ってきたわけじゃなくて、よくいるから(笑)。暇さえあれば、浅草で呑んでるんですけど。とにかく、自分が学校をクビになって辿り着いたのが、この街で。それで、妙な拍子に芸人になってしまったものだから、自分の人生の半分以上は浅草の人情でもってきたようなものです。できれば時間の許す限り、恩返ししたいと思っています。

ビートたけしさん
司会を務めたのは、河井卓治(台東区文化産業観光部長)さん

松倉会長にも、芸楽祭を盛り上げていただきます。今のお気持ちはいかがでしょうか。

松倉久幸さん:
たけしさんが名誉顧問を引き受けてくれたのは、台東区にとって、浅草にとって、非常にありがたいことだなと思っています。浅草というところは、エノケン以来、数多くの芸人が巣立っております。今も第二の「たけし」になろうということで、若い芸人さんたちが張り切っております。これから浅草は益々盛んになるだろうと思っておりますので、どうぞ皆様、よろしくお願いいたします。

松倉久幸(浅草演芸ホール・東洋館会長)さん

たけしさんが今回の顧問を引き受けてくださったのは、浅草に対する里帰りや、恩返しというお気持ちがあったのでしょうか。

ビートたけしさん:
浅草に行くことは、子供時代から遠足みたいなもので。中学生から高校生になると、映画から演劇から何でもあって、今でいう下北沢のような感じだったんです。でも、いつの間にか演劇場がなくなったりして、若者のエンターテインメントが下北沢のほうに行ってしまった。浅草は東洋館とかも頑張っているんですけど、もうちょっとライブハウス的なもの、ロックバンドから落語から漫才から、全部が気軽にできるフリーな劇場を浅草が率先して作って、若い奴らがチャレンジできる場所があれば、また若い奴らが目立つようになると思うんです。その助けは、どうにかしたいと思っています。

たけしさんの修業時代の浅草は、まだ人が集まらなかった時代だと思います。松倉会長は、現在の浅草をどうご覧になっていますか。

松倉久幸さん:
たけしさんが浅草に来た時代は、いわば浅草のどん底の時代でございました。オリンピックを境にテレビが浸透しまして、映画館はなくなっていく、演芸場はなくなっていく。けれども、たまたま浅草には深見千三郎という素晴らしい芸人がおりまして、彼に憧れて浅草に来たという芸人さんが大勢おりました。たけしさんも、薫陶を受けた一人。やはり深見千三郎という素晴らしい先輩、指導者がいたのは、浅草にとっても日本の演芸界にとっても、素晴らしいことだったと思っています。浅草はこれからも、そういう素晴らしい芸人が巣立つ場所であってもらいたい。その意味で、今回の芸楽祭はありがたいものだと思っています。

たけしさんを目指している若手芸人の方に、たけしさんから、何かアドバイスはありますでしょうか。

ビートたけしさん:
昔は芸人になることが、ちょっとカッコ悪いことでした。そういうのをぶち破ったのが萩本欽一さんで、そのあとを継いだのが我々だと思っています。最近では、テレビでお笑い芸人を観ないことがない。でもインターネットの世代が登場して、また時代が変わった。今度はライブの時代になって、ライブハウスがいっぱいある下北沢のほうに、文化が全部流れていくような状態なんです。それでも、こと浅草に関してはもともと歴史があって、お笑いとか映画とかの文化は浅草発信というものが多い。浅草は江戸時代くらいからの年季がありますから、そこで育つ人たちのほうが、味があるんじゃないかと思っています。伝統と歴史の裏付けを背負った素晴らしい芸人さんや職人さんがいっぱい出てくれたら、非常に嬉しいです。それで浅草がまた、文化の中心地になったらいいなと思います。

トークセッション後のフォトセッション

トークセッションでは、登壇された皆さんの浅草への愛情、そして浅草で若者に成功してもらいたいという想いを感じることができました。「江戸まち たいとう芸楽祭」は、2018年8月4日(土)より、上野恩賜公園 噴水広場にて開催される映画の野外上映を皮切りにスタートします。台東区に根付く芸能や伝統文化の祭典に、是非ご期待ください。

開催されるイベントの詳細は、公式ホームページをご覧ください。

【江戸まち たいとう芸楽祭】
http://www.taitogeirakusai.com/
 
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【東京藝術大学大学美術館】NHK大河ドラマ特別展「西郷どん」内覧会レポート

東京藝術大学大学美術館


東京藝術大学大学美術館では、2018年5月26日(土)~7月16日(月・祝)の期間、NHK大河ドラマ特別展「西郷どん」が開催されています。5月25日に行われた内覧会を取材いたしましたので、本展覧会の内容をご紹介いたします。

薩摩(鹿児島)の一介の下級武士から身を起こし、明治維新を成し遂げた西郷隆盛(1827-77)。しかし彼には肖像写真が一枚も残っておらず、その生涯は多くの謎に包まれています。本展覧会は大河ドラマと連動しながら、西郷ゆかりの歴史資料や美術品などによって、「西郷どん」の人物像と激動の時代を浮き彫りにします。

内容紹介

プロローグ 西郷と薩摩

西郷隆盛は文政10年に鹿児島城下の下加治屋町において生を受けました。プロローグでは、鹿児島の町並みを表した絵図や、桜島の風景画、西郷らが学んだ「野太刀自顕流」で使われた打棒などの資料が展示され、西郷が育った環境を知ることができます。

《西郷隆盛肖像画》石川静正画 大正時代初 油彩、キャンバス 一点 個人蔵
《鹿児島城下絵図屏風(模本)》天保年間(1830-44) 紙本着色 六曲一隻 鹿児島県歴史資料センター黎明館蔵 玉里島津家資料 展示期間:5/26-6/17
《薩摩琵琶 銘 木枯》伴彦四郎作 木製、漆塗 一面 個人蔵

幕末・明治の名士たちが多くの肖像写真を残した一方、西郷の写真は一枚も残っていないと言われています。それでも私たちが「西郷」と聞いてその姿を思い浮かべることができるのは、肖像画によるイメージが流布したためです。エドアルド・キヨッソーネや佐藤均(さとう ひとし)、時任鵰熊(ときとう わしくま)といった画家が、遺族の写真や証言をもとに西郷を描きました。また、石川静正(いしかわ しずまさ)は絵が本職ではありませんでしたが、西郷と面識があり、思い出をもとに西郷のイメージを描き起こしました。

第一章 船出

嘉永6年(1853)のペリー来航は、西郷の人生に大きな変化をもたらしました。外国船の来航に対し、早くから危機感を抱いていた島津斉彬(しまづ なりあきら)が藩主となった薩摩藩では、近代化が推進され、西郷も政治の表舞台へと活躍の場を広げていきます。この章では、斉彬の威厳を示す大鎧や、斉彬から勝海舟(かつ かいしゅう)に宛てた書状、西郷が江戸勤務を命じられた時期の書付などを通して、幕末にさしかかろうとする時代を追います。

《天璋院所用 薩摩切子 藍色栓付酒瓶》江戸時代 19世紀 カットガラス 一対 公益財団法人德川記念財団
《伝島津斉彬所用 紫糸威鎧》江戸時代 一領 京都国立博物館蔵
《木砲》江戸時代 19世紀 木製 一門 京都・霊山歴史館蔵

随分と簡易な大砲が展示されています。こちらは、ペリーが来航した際に幕府が各藩に海岸防備を命じ、大砲が不足したために即席で作らせた木製の大砲。未使用のまま残る数少ない木砲です。

第二章 流転

安政五年(1858)、井伊直弼(いい なおすけ)による「安政の大獄」が開始されました。西郷は、幕府の追求から月照(げっしょう)を守れず、月照と入水自殺を図りますが、一人息を吹き返し、奄美大島に潜居します。文久二年(1862)に、西郷は奄美大島から呼び戻されますが、その後「尊攘派を煽動している」として徳之島への遠島、続いて沖永良部島への遠島命令が下ってしまいます。第二章では、尊王攘夷運動により混迷する政局と、大きく変わっていった西郷の人生にまつわる資料を展観します。

《於薩海二英入水》松月保誠画 明治11年(1878) 錦絵 三枚続 京都・霊山歴史館蔵
《薩英戦争絵巻》柳田龍雪、中島白圭、有馬柳泉筆 紙本墨画淡彩 一巻(四巻のうち) 鹿児島県歴史資料センター黎明館蔵
西郷が沖永良部島で自作したと伝わる疑似餌
《薩摩烏賊餌木》江戸時代末-明治時代初 木製 二点 山形・公益財団法人荘内南洲会

第三章 飛翔

元治元年(1864)、西郷は、その力量が求められ、沖永良部島から鹿児島に呼び戻されました。「禁門の変」で長州軍の撃退に成功した西郷でしたが、幕府が再び長州攻めを示唆すると、西郷は幕府と手を切ることを決断。坂本龍馬の仲介により、薩長同盟が成立し、武力討幕への道が開かれました。本章では、薩長同盟覚書の写しや討幕の密勅、上野戦争の戦争画などの展示物により、一時代の終わりが示されます。

禁門の変の功績により、西郷が島津久光・忠義から拝領したもの
《西郷隆盛 陣羽織(複製)》唐緞子、唐錦 一領 鹿児島県歴史資料センター黎明館蔵
《討幕の密勅》慶応3年(1867)10月13日付 紙本墨書 一通 鹿児島県歴史資料センター黎明館蔵 玉里島津家資料 ※後期(6/19-7/16)は複製
岩倉具視奉納の錦の御旗
《錦旗》慶応4年(1868) 緞子 一旒 福島・靈山神社

第四章 英雄

新政府の参議となった大久保利通の願いにより、西郷は政府入りを決断します。その後、朝鮮との外交問題をめぐって大久保らと対立すると、西郷は鹿児島へ戻り、狩猟や農業に従事しました。しかし、新政府に不満を募らせた士族の反乱が全国で巻き起こると、やがて西郷は生涯最後の戦い「西南戦争」に赴きます。この章では、西郷が佩用したサーベルや、大久保が所有したキセルなど、新時代を生きた彼らの所有物と合わせて、西南戦争の資料を展観し、彼らの生涯の終わりまでを追います。

(右)《西郷隆盛着用 狩羽織》明治時代初 一点 個人蔵
(中)《西郷隆盛所用 刀装具(縁頭、目貫)》筑山軒元茂作 文政3年(1820) 金製 一式 個人蔵
(左)《西郷隆盛 印鑑》明治時代初 ろう石 三点 鹿児島県歴史資料センター黎明館蔵
西郷軍が軍資金不足を補うために発行した軍票
(下)《西郷札》明治10年(1877)6月 布製、漆 一式 鹿児島県歴史資料センター黎明館蔵
西郷の座右の銘。”天を敬い人を愛す”の意
鶴岡市指定文化財《書「敬天愛人」》西郷隆盛筆 明治8年(1875)1月 紙本墨書 一幅 個人蔵 展示期間:5/26-6/17

エピローグ 人々の中の西郷

最終章では、発起人の急死により建設が中止された幻の西郷隆盛銅像の建設案や、上野の西郷隆盛銅像の制作過程を写した写真が展示されています。展示物を通して、西郷隆盛がいかに人々から慕われていたのか、感じ取ることができます。

幻の西郷隆盛像
《故西郷隆盛翁建碑広告》明治22年(1889) 石版 一点 石川・山鬼文庫蔵
《西郷隆盛未成像并面部》滝川慶雲撮影 明治時代 紙焼き写真 一枚 東京藝術大学 展示期間:5/26-6/17

内覧会で実施されたフォトセッションでは、「西郷どん」で大久保利通を演じる瑛太さんが登場。会場を観覧した瑛太さんは、小物好きの大久保が所有していた懐中時計に興味を引かれたとのこと。瑛太さん自身も懐中時計を持っているそうで「似たところがあるのかもしれない」と話していらっしゃいました。

本展覧会で展示されている資料はどれも状態がよく、非常に驚かされます。資料保全に関わる方の努力に感服すると同時に、幕末がほんの150年前の出来事であることを実感します。皆様もぜひ足を運んで、幕末や西郷隆盛に想いを馳せてみてはいかがでしょうか。

フォトセッションに登場した瑛太さん
《大久保利通所用 懐中時計》19世紀 金製 一点 国立歴史民俗博物館蔵

開催概要

展覧会名 NHK大河ドラマ特別展「西郷どん」
会 期 2018年5月26日(土)- 7月16日(月・祝)
午前10時 – 午後5時(入館は午後4時30分まで)
休館日 月曜日(※7月16日(月・祝)は開館)
会場 東京藝術大学大学美術館 本館
展示室1、2、3、4
観覧料 一般1,500円(1,200円) 高校・大学生1000円(700円)
(中学生以下は無料)
※()は20名以上の団体料金
※ 団体観覧者20名につき1名の引率者は無料
※ 障害者手帳をお持ちの方(介護者1名を含む)は無料

記事提供:ココシル上野
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講演会シリーズ「江戸から学ぶ」、5/27にキックオフイベントを開催

東京国立博物館
平成館 大講堂

2018年は江戸から明治へと時代が変わって150年の節目の年。台東区では今年度、講演会シリーズ「江戸から学ぶ」と題し、全7回の連続講座を実施する予定です。そのキックオフイベントが、5月27日(日)に東京国立博物館 平成館にて開催されました。当日の様子をご紹介いたします。

本イベントは二部構成。第一部は、德川御宗家十八代当主である德川恒孝(とくがわ つねなり)さんが基調講演を実施。第二部ではトークセッションとして、德川恒孝さん、竹内誠(たけうち まこと・東京都江戸東京博物館名誉館長)さん、浦井正明(うらい しょうみょう・東叡山寛永寺長臈)さん、服部征夫(はっとり ゆくお)台東区長が登壇されました。

基調講演「私の見た江戸時代」

基調講演に登壇された德川恒孝さんは、2003年に財団法人德川記念財団を設立。理事長に就任され、江戸時代の研究とその結果の発表を精力的に行っています。本講演では、江戸時代の特徴や日本人の気質などについて、お話をされました。

德川恒孝さん

德川さんが本講演で特に強調されたのは、江戸時代における「学問」。戦国時代が終わり江戸時代になると、「武」から「文」の時代へと移り、いろはやそろばんといった学問をお寺で教える文教政策が実施されました。こうした政策により、日本人の識字率は同時代のヨーロッパと比べ、非常に高いものとなりました。

18世紀に入ると、資源と人口のバランスが限界を迎え、徹底した質素倹約が始まります。金の掛からない娯楽が求められるようになり、花見や寺社の祭禮、寄席のほか、読書もまた娯楽の一つとして流行しました。その結果、俳句や浮世絵、川柳などの書籍が数多く出版され、日本の書籍出版数は世界最高となりました。書籍を通して様々な文化が広がっていったのも、町人の識字率の高さに由来するものでした。德川さんはこうした江戸時代の文教政策について、「江戸の平和がもたらした最も良いことの一つ」と話していました。

トークセッション「今も生き続ける江戸・台東区」

第二部では、浦井正明さんが進行役を務め、德川恒孝さん、竹内誠さん、服部征夫 区長が、江戸や台東区にまつわるトークセッションを展開。江戸に造詣の深い皆さんのお話に、客席からは驚きの声や、時折笑い声が聞こえていました。

浦井さん:
「江戸から学ぶ」という講演会シリーズは、服部区長が企画されました。なぜこのような企画を立ち上げられたのでしょうか。

服部区長:
江戸時代は町人文化の最盛期でした。防災への取り組みや、教育水準の高さから、地域コミュニティがしっかりと機能していたことが分かります。こうした伝統や文化は台東区のアイデンティティになっていると考えておりまして、江戸に学ぶことで未来を拓く活力が生み出せると思い、企画しました。

浦井正明さん
服部征夫 台東区長

浦井さん:
德川さんにお伺いします。德川家康公は何を理念として江戸を開府したのでしょうか。

德川さん:
家康公は江戸を日本の中心にしたかったのだと思います。地図を見れば分かりやすいのですが、江戸は日本全体の中心に位置しています。もともと江戸は大都会ではありませんでしたが、ポジションとしてはベストだったと思います。

浦井さん:
先ほどの御宗家の講演でも識字率の話がありました。竹内先生、識字率について何かお話しいただけますか。

竹内さん:
江戸時代、村で庄屋さんの選挙をやる場合、入札と呼ばれる記名の投票が行われました。その票が今でも残っているんです。入札を見ると、文字が書けない人のために同一人物が代筆したらしい綺麗な字のものもありますが、それを除くと個性ある字が村全体の70~80%。つまり識字率が70~80%だったということです。小さな村でこの識字率の高さは大変なことで、江戸でも地方でも、人々が身に着けていた教養には大きな格差がなかったんですね。こうした土台があったから、文明開化で西洋文化が入ってきた時にも受け入れることができたし、さらに日本風に咀嚼することができたんです。

竹内誠さん

浦井さん:
女性の教育についてはいかがでしょうか。

竹内さん:
開国後、日本を訪れた大勢の外国人が「驚きは、男性のみではなく女性にも教育がなされていること」と記録を残しています。ですから、日本の女子教育は世界でも有数の水準だったということです。さらに女性と男性の力関係については、武家社会でこそ男性中心でしたが、庶民社会では人生色々(笑)。夫婦のどちらが尻に敷くかは場合によりました。

浦井さん:
服部区長は本講演シリーズを企画された際、江戸時代に創業したお店が台東区に何軒残っているのか、お調べになったと伺いました。そのことをお話しいただけますか。

服部区長:
昨年度の東京商工リサーチの情報ですが、83事業所が現在も事業を営んでいるようです。これだけの数が残っている理由の一つとして、寛永寺や浅草寺の門前町ということで、鰻屋さんや和菓子屋さんが残っている。さらに、360年前の明暦の大火で江戸市中の6割が焼けてしまった際、各地のお寺さんや色々な方々が台東区へ移ってこられた。お寺さんが移ってくれば、職人さんも移ってくる。そのようなことで、職人さんが多くいらっしゃるのではないかと思います。

浦井さん:
江戸後期になると人々は旅行を楽しんでいたようです。その点について、竹内先生いかがでしょうか。

竹内さん:
江戸時代は、一般庶民が机の上で本を読むだけではなく、動くことで文化を築いていく「行動文化」の時代でした。旅もその一つです。江戸時代の旅行は信仰と結び付いていて、お伊勢参りのようにパワースポットを目指しました。さらに、現代でいう旅行代理店も存在したんです。当時の旅は怖いもので、見ず知らずの人と相部屋だったので、非常に危険を伴いました。その点、旅行代理店に入会すると、身分のはっきりした人とだけ同部屋にしてもらうことができました。旅行のシステムが出来上がっていたんです。

それともう一つ、今日僕は台東区のお話をしていないので、それを少しお話しします。今は「西郷どん」ですよね。西郷さんと言えば、上野の銅像です。誰が造ったのかと言えば、高村光雲さん。彼は長屋の生まれだったんですが、12歳になったときに父親から社会へ出ろと言われて、大工の面接を受けることになった。それで面接の前におめかしをしようと床屋へ行ったんですが、そこで床屋が「高村東雲さんが弟子を募集してるから、そっちのほうがいいんじゃないの」と助言をした。そして東雲の面接を受けて、合格したんです。なぜ合格できたのかと言えば、東雲は、脱いだ履物をしっかり揃える彼の姿を見て合格を決めたそうです。長屋生まれであっても他人の家にあがる時は履物を揃えるように家庭で躾けられていて、それが身についていると見えて、弟子にした。この話を読んだ時、僕は東日本大震災の直後に投稿された句を思い出しました。

”大津波 逃れし人の避難所に 百余の靴の 整然と並ぶ”

ごった返し、命からがら逃げてきた先でも靴を並べている。危機的状況の中で、人間の本性(ほんせい)が顕れたのでしょう。まさに高村光雲の持っていた礼儀正しさが、そのままDNAとして日本人の中に今日まで残っているのだと思います。


竹内さんのお話が終わると、客席からは自然と拍手が起こり、キックオフイベントは閉幕となりました。講演会シリーズ「江戸から学ぶ」は、7月から来年1月まで、全7回の講演を実施します。ぜひ足を運んで、江戸や台東区について思いを巡らせてみてはいかがでしょうか。

イベントの詳細や参加申込方法は、台東区のホームページをご覧ください。

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