「東京文化会館 リラックス・パフォーマンス~世代、障害を越えて楽しめるコンサート~」取材レポート

東京文化会館
(C)青柳聡 提供:東京文化会館

2021年11月3日、東京・上野の東京文化会館で「東京文化会館 リラックス・パフォーマンス~世代、障害を越えて楽しめるコンサート~」が開催されました。

一般的なクラシック音楽のコンサートとは違い、発達障害や身体的な特性などにより、静かに鑑賞することが難しい人でも安心して楽しめるような環境が整った本公演を取材しましたので、会場の様子や取り組みについてレポートします。

客席で声も音も出していい!?「リラックス・パフォーマンス」とは

提供:東京文化会館

通常のクラシック音楽のコンサートでは、雑音を立てないことが最も重要なマナーのひとつ。

演奏中に私語は慎む、携帯の電源を切るのは当然として、くしゃみや咳、プログラムをめくる音、ビニール袋を触る音などにも注意する。扉の開閉による雑音を防ぐために、劇場スタッフは曲の間や楽章の間以外での入場を規制する……。演奏や鑑賞の妨げとなる行為に関して、会場にいる一人ひとりの意識が求められるのが常です。

誰もが演奏に集中できるようにとの配慮ですが、一方で外部からの刺激で声が出たり動揺したりしてしまう発達障害のある人や、病気でじっと座っていられない人、呼吸器が必須の人など、一部の人はどうしても鑑賞のハードルが高くなってしまいます。

今回開かれた「東京文化会館 リラックス・パフォーマンス~世代、障害を越えて楽しめるコンサート~」は、そのような劇場での芸術鑑賞に不安がある人が安心して楽しめるような環境を整え、ルールやマナーを緩和する「リラックス・パフォーマンス」という欧米で定着し始めた新しい公演形態を採用したもの。2020年度から始まり、本公演で2回目の開催です。

その名のとおり堅苦しくない空気のなかで行われるコンサートで、

ちょっとした声や音が出ても、体が動いてもOK。
客席の照明を完全に暗くしない。
公演中に休憩が必要になったら、自由にホール外に出ることができる

こうすることにより、「クラシック音楽のコンサートはマナーが多くて息苦しい」と感じている健常者も、「子どもが静かに鑑賞できるか不安」という親御さんも、4歳以上であればあらゆる人が気兼ねなく楽しめる環境になっています。

点字プログラムに体感音響システム…音楽をより味わってもらうためのさまざまな工夫

コンサートホール隣のロビーは、休憩が必要になった人の癒しスペースとしても活躍。
受付やロビーには手話通訳者の姿も。 ?青柳聡 提供:東京文化会館

当日に東京文化会館へ足を運ぶと、受付でもらえるプログラムが一般的なクラシック音楽のコンサートのものとは少し趣きが異なり、イラストがたくさんあってとてもカラフルなことに気づきます。

プログラムの一部 提供:東京文化会館

「通常のプログラムはほぼ文字だけですが、自閉症や発達障害の方は文字から入ってくる情報が少ないため、ビジュアルがとても重要になるのだと学びました。そこで『リラックス・パフォーマンス』のプログラムの曲目解説はやさしい日本語で書くとともに、曲のイメージに合ったイラストをつけ、ビジュアルで曲の順番がわかるような紙面づくりを心がけました」

そう教えてくださったのは、本公演の制作を担当された東京文化会館・事業企画課事業係の杉山さん

ユニバーサルデザインのガイドラインに沿って、色覚異常のある人もわかりやすいような文字の大きさや配色になるよう、特別支援学校ワークショップの先生たちからのフィードバックをもとに試行錯誤で完成させたプログラムなのだとか。

(C)青柳聡 提供:東京文化会館

そのほかに点字プログラムや、読み上げ機能に対応したプログラムデータも用意。これらの情報は障害のある人のご家族や介助者のために、公演の約3週間前にはホームページに掲載したそうで、行き届いた配慮が感じられました。

客席には聴覚障害のある人のために、振動で音楽を感じられる体感音響システム「ボディソニック」という機材つきの座席が設けられました。また、スマートフォンのアプリを使用し、各々の聴覚特性に合わせて音量や音質を調節できるシステム「モバイルコネクト」など、各企業の協力により本公演のためにさまざまなサポートが試験導入されました。

「ボディソニック」体験の様子 (C)青柳聡 提供:東京文化会館

実はこの日、公演制作担当者や文化施設・団体職員、自治体職員向けの鑑賞サポート機材体験会が実施され、筆者も体験させていただけることに。
特に「ボディソニック」は体感のタイムラグがほとんどないことに感動! 「モバイルコネクト」は補聴器や人工内耳ユーザーの聞こえ方を想像しながらの疑似体験でしたが、アプリで音の大小だけでなく低音や高音の聴きやすさを自在に調節できるのがとても便利そうでした。

客席については、全体の7割程度が埋まるように調整したとのこと。その意図について杉山さんは次のように明かします。

「コロナ対策の入場制限も解除されましたし、売り上げのことを考慮して、埋めようと思えば客席を100%埋めてしまうこともできました。しかし、他人が近くにいると緊張してしまう方もいらっしゃいますから、お客様同士の間は座席を空けようと決めました。
座席の工夫といえば、ご自身の指定席以外に『退避席』という出入り口に近い席もご利用いただける形にしています。ホールの出入りが自由な公演ではありますが、出入りすることへの心理的抵抗がさらに少なくなくなれば、という期待を込めました」

「障害のある方のなかには、外出するのにも大変なご苦労をされている方も多くいらっしゃいます。それでも『リラックス・パフォーマンス』なら自分でもコンサートを楽しめるかも、と期待してわざわざお越しいただくのですから、お客様に最大限リラックスして、上質な音楽を味わってもらいたいのです」と、公演への思いを語る杉山さん。すべての準備はその一心からのものであるとのことでした。

おおらかな一体感に包まれた公演の様子

14時の開演を前に、客席のあちこちで子どもたちが走ったり、緊張からか興奮からか大声で笑いだす人がいたり。とてもラフな雰囲気で、すでに「これまで経験してきたクラシック音楽のコンサートとはまったく空気が違う」ということを肌で実感しました。

小林海都さん  (C)青柳聡 提供:東京文化会館

演奏は、これからの日本音楽界を担う実力派若手アーティストたち5名によって行われました。

ピアノは、東京文化会館で毎年開催されている東京音楽コンクールで第11回ピアノ部門第2位を受賞された小林海都さん。弦楽四重奏は、第9回弦楽部門第1位の岸本萌乃加さんらが結成したグループ「HONOカルテット」の皆さんです。

(第1ヴァイオリン:岸本萌乃加さん、第2ヴァイオリン:林周雅さん、ヴィオラ:長田健志さん、チェロ:蟹江慶行さん)

 
左から岸本萌乃加さん、林周雅さん、小林海都さん、長田健志さん、蟹江慶行さん  
(C)青柳聡 提供:東京文化会館

演奏の間には、音楽の喜びや楽しさを伝え、人と人を音楽で結びつける活動を行っている東京文化会館ワークショップ・リーダー、桜井しおりさんがナビゲーターとして舞台に登場。各曲の解説をしたり、簡単なアクティビティを挟んだりと、小さい子どもも最後まで飽きずに公演を鑑賞できるように進行を盛り上げます。

左が桜井しおりさん、右が手話通訳者の山崎薫さん
(C)青柳聡 提供:東京文化会館

当日演奏された曲は次のとおり。
ピアノ五重奏をはじめとしたクラシック音楽の魅力を伝えるため、各楽器の音色や、この楽器でこんな演奏ができる、というのがわかるように意識し、初心者でも上級者でも満足できるように各ジャンルから満遍なく選曲されたそうです。

1.  ムソルグスキー(加藤昌則編曲)/ 組曲『展覧会の絵』より「プロムナード」
2. エルガー(阿部海太郎編曲)/ 愛の挨拶12
3. 吉松隆 / アトム・ハーツ・クラブ・カルテット70より 第1・4楽章
4. ストラヴィンスキー(アゴスティ編曲)/ バレエ音楽『火の鳥』より「魔王カスチェイの凶悪な踊り」
5. ヨハン・シュトラウス2世 / 皇帝円舞曲 437(抜粋)
6. ポルディーニ / 踊る人形
7. ドビュッシー /『べルガマスク組曲』より第3曲「月の光」
8. アンダーソン / プリンク・プランク・プルンク
9. ドヴォルザーク / ピアノ五重奏曲第2番 イ長調81より 第3・4楽章


1曲目の「プロムナード」、2曲目の「愛の挨拶」と、出だしから有名どころの穏やかな曲が続くなか、観客の皆さんはなんとなく集中しきれない雰囲気でした。慣れない公演形態に、どういう姿勢で向き合うべきか戸惑っている人が多かったのかもしれません。(筆者もそうでした)

しかし、弦楽四重奏による3曲目の「アトム・ハーツ・クラブ・カルテット」に入った途端それまでの空気が一変。疾走感のあるクールなサウンド。激しく踊り、ときに風を切る弦の動き。演奏者の皆さんもエンジンがかかってきたようで、ホール中の意識がスッとステージに集中するのを感じました。

特に第4楽章のジャカジャカとしたブギウギ風のリズムは観客の心をとらえたようで、それまでキョロキョロと客席を眺めまわすばかりだった女の子も、手をくるくるとさせてノリにノっていた姿が印象的です。

ダンスするかのようにエモーショナルに体を動かして演奏する林さんの姿にワクワクとさせられた、「踊る人形」の演奏。 
(C)青柳聡 提供:東京文化会館

ピアノ独奏による7曲目の「月の光」は本公演で一番しっとりとした静かな曲。客席のざわめきが目立つタイミングではありましたが、聴く者に情景を豊かにイメージさせる小林さんの卓越した演奏技術のおかげで、集中を切らすことなく音の世界に浸れました。

(C)青柳聡 提供:東京文化会館

筆者は「リラックス・パフォーマンス」の趣旨を頭では理解していたつもりでしたが、実際に演奏が始まってからしばらくは、大声や手をたたく音がホールに響くたびにソワソワ、ハラハラと落ち着かない心境でした。

一般的なクラシック音楽のコンサートの鑑賞経験があるせいか、一観客ながら「これは大丈夫なのか?」「観客同士でトラブルになったらどうしよう」と心配だったのです。

しかし、皆さんどんなこともおおらかに受け止めていてひと安心。「そういうものなんだ」と割り切れたらざわめきにも慣れ、演奏を楽しめる態勢に。終わるころには観客の充足感がホールを包み込むようで、「こういうコンサートもいいなあ」としみじみ実感した60分間でした。

すべてのコンサートがこのような公演形態をとるべき、というわけではなく、選択肢のひとつとしてあっていい、ということ。

100%音楽に集中したいときには向きませんが、自然体で音楽と向き合いたい、人とのかかわりの中にある音楽を感じたい気分のときに「リラックス・パフォーマンス」を選びたいという人は、きっと少なくないはずです。

来場していたクラシック音楽が大好きだという5歳くらいの男の子とそのお母さんに感想をうかがうと、男の子は「『月の光』が一番よかった」「また来たい!」と満足げ。お母さんも「いつもコンサートでは静かにしなさい!と注意していますが、今日の公演はそのあたりが緩やかで子どももリラックスして聴けたみたいです」と笑顔を見せます。

また、杉山さんによれば、障害のある子どもをもつ親御さんからたくさんの喜びの声が届いたそう。

「障害のある息子とクラシックのコンサートへ行くなんて不可能だと諦めていたので、今日は本当に感動した。1曲目から涙が止まらなかった」

「いつもロビーのモニターから演奏を聴いていたわが子が、今日初めてホールの中で鑑賞できたのがうれしかった」

「リラックス・パフォーマンス」公演が、いかに障害のある人とそのご家族にとって得難い経験になりえたのかが伝わってきます。

東京文化会館の挑戦はまだ始まったばかり

「リラックス・パフォーマンス」公演は今後も毎年開催していく予定とのことで、次回の開催が待ち遠しい限り。
最後に、杉山さんは公演の意義についてこう話します。

「特別支援学校にお話を聞きにいって知ったことですが、私たちのような文化施設やアーティストが学校に出向く機会というのはあるものの、学校を卒業した途端にアートや文化的なモノから離れてしまうという方が多くいらっしゃるそうです。

音楽的なものに触れたいと思ったときに、周りに迷惑をかけないためにはカラオケに行くくらいしか選択肢がない、それは寂しい、という切実なお声をいただきました。

考えてみれば、今まで私たちは未就学児が入れるコンサートや、ゼロ歳から入れるワークショップなどさまざまな層へ向けた企画を実施してきましたが、大人で障害のある方にフィーチャーした企画はなかったなと。

そういった方や、その介助者・ご家族の方たちが、周りの目を気にせず安心して来られる場をつくりたい。目だけで、耳だけで楽しむだけではなく、肌から音が聞こえるくらいの距離感で音楽の醍醐味を味わってほしいと考えたのが本公演の開催の経緯です。これは公共文化施設である当会館の使命であると感じています。

まだ『リラックス・パフォーマンス』の取り組みは始まったばかり。コンテンツだけではなく情報を届ける仕組みやお迎えする体制も含めて、少しずつパワーアップしている最中です。

今は皆さんに来ていただいて、私たちがいろいろと教えていただく段階。皆さんの声がどんどん反映されていく公演ですので、ご興味があればぜひ鑑賞をご検討いただければうれしいですね」

「東京文化会館 リラックス・パフォーマンス~世代、障害を越えて楽しめるコンサート~」開催概要

日時2021年11月3日(水・祝)14:00~15:00
会場東京文化会館 小ホール
チケット料金一律1,100円 ※対象年齢4歳以上
主催東京都、公益財団法人東京都歴史文化財団 東京文化会館・アーツカウンシル東京
特別協力ゼンハイザージャパン株式会社、パイオニア株式会社、株式会社フルノシステムズ
お問い合わせ東京文化会館 事業係 03-3828-2111(代表)
公式ホームページhttps://www.t-bunka.jp/

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【東京都美術館】「ゴッホ展 障害のある方のための特別鑑賞会」取材レポート

東京都美術館

フィンセント・ファン・ゴッホ《夜のプロヴァンスの田舎道》1890年5月12-15日頃 クレラー=ミュラー美術館蔵

東京・上野公園にある東京都美術館では、2021年9月18日(土)から『ゴッホ展──響きあう魂 ヘレーネとフィンセント』が開催中です。

国内外の名品を紹介する同館の特別展(直近では『没後70年 吉田博展』や『イサム・ノグチ 発見の道』など)は毎回大変な人気を集めていますが、今回の『ゴッホ展』も例にもれず多くの来場者で賑わっています。

特別展を車いすの方や視覚障害、聴覚障害などさまざまな障害をお持ちの方に安心して鑑賞してもらいたい――そんな思いのもと、特別展の期間中には毎回「障害のある方のための特別鑑賞会」が行われており、『ゴッホ展』でも休室日の10月11日(月)に開催されました。

※『ゴッホ展──響きあう魂 ヘレーネとフィンセント』の会場の様子や展示作品については別記事で詳しく紹介しています。⇒https://www.culture.city.taito.lg.jp/ja/reports/22665

「障害のある方のための特別鑑賞会」を支えるアート・コミュニケータたち

「障害のある方のための特別鑑賞会(以下「特別鑑賞会」)」は1999年にスタートしたプログラム。2012年からは同館と東京藝術大学、市民とが連携する「とびらプロジェクト」で活動するアート・コミュニケータ(愛称「とびラー」)が準備段階から関わり、当日の鑑賞の手伝いや声がけなどを行っています。

 

「とびらプロジェクト」とは・・・
美術館を拠点にアートを介してコミュニティを育むソーシャル・デザイン・プロジェクト。2012年度の東京都美術館のリニューアルを機に東京藝術大学と連携して始動したものです。一般から集まった市民と、学芸員や大学の教員、第一線で活躍中の専門家らが美術館を拠点に、そこにある文化資源を活かしながら、人と作品、人と人、人と場所をつなぐ活動を展開しています。

一般公募の市民はアート・コミュニケータ「とびラー」(東京都美術館の「都美<とび>」と「新しい扉<とびら>を開く」という意味を込めた愛称)として、アートを介して誰もがフラットに対話できる場や、多様な価値観をもつ人々を結びつけるコミュニティのデザインに取り組んでいます。

 

3年の任期で活動する「とびラー」は毎年40名ほどが公募され、現在は会社員、フリーランサー、専業主婦、退職後の方、大学生など、年齢もバックグラウンドも異なる約140名が活躍されているそう。

活動はボランタリーですが、美術館から役割を与えられるサポーターではありません。任期中にアート・コミュニケータとしての学びを深めながら、美術館の現場で主体的に企画を立ち上げ実現させている能動的なプレイヤーです。これまでも、夜間に東京都美術館の建築の魅力を味わう「トビカン・ヤカン・カイカン・ツアー」や、東京藝術大学の卒業制作展を作家と対話しながら巡る「卒展ツアー」など、「とびラー」ならではの視点で美術館を活用したさまざまなプログラムが実施されました。

「特別鑑賞会」も、「とびラー」考案のアイデアを取り入れながらよりよい形に進化していっているそう。今回は「とびラー」と、任期を終えた後もそれぞれのコミュニティで自立したアート・コミュニケータとして活動している元「とびラー」をあわせた約100人が参加者を迎えました。

(※以下、当日の様子については、「とびラー」と元「とびラー」の方々が一体として「特別鑑賞会」に関わっていらっしゃることから、「アート・コミュニケータ」と総称します)

障害のある方、一人ひとりが気兼ねなく作品と向き合える時間

ファン・ゴッホ作品の鮮やかな消しゴムハンコはアート・コミュニケータの手作り

「特別鑑賞会」には、障害者手帳等をお持ちの障害のある方約400名とその介助者320名余りが参加されました。

アート・コミュニケータの方々は、実施日の何日も前から「特別鑑賞会」へ向けて準備していたそう。たとえば、「特別鑑賞会」への事前申込方法はWEBフォーム、メール、ハガキの3種類があるのですが、ハガキで申し込まれた方に郵送で送付する参加証封筒には展覧会のテーマをモチーフとした手作りの消しゴムハンコを押しているのだとか。

これも「もらってうれしい参加証にしたい」との思いからアート・コミュニケータが考案した取り組み。実物を見せていただきましたが、ここでしか使われないのがもったいないほどのクオリティでした。

「特別観賞会」の参加者のなかには、駐車スペースを利用される方も多くいました。

ホワイエで過去の特別鑑賞会の様子や、会場で案内しているアート・コミュニケータの役割をモニターで紹介するなど、初めての参加者にも安心して入場してもらえるよう配慮されていました。

受付には聴覚に障害がある方のために手話通訳者も待機。

エントランスから受付にかけて、「こんにちは」「楽しんでください」といった参加者への挨拶が聞こえてきます。

「行っていいのかな? 迷惑をかけるんじゃないかな? と不安な気持ちを普段からお持ちの方も多いんです」と話してくださったのは学芸員の熊谷さん。

「美術館は自分が行っても大丈夫な場所なんだと思ってもらうため、参加者の皆さんをおもてなしする気持ちが伝わるようなウェルカムな空気感を作り出すことを大切にしています」

受付には貸し出し用の車いすが準備されていました。「車いすが必要な人は最初から乗ってきているのでは?」と疑問でしたが、足が悪い方のなかには、展示を見るときだけ車いすを使いたいという方も少なくないのだとか。実際に大量にあった車いすが瞬く間に貸し出されていった光景を見て、その発想がなかった筆者は驚かされました。

そのような方々は、やはり熊谷さんが話してくださったように、周囲に配慮して普段の展覧会へは行きづらいと感じてしまうのかもしれません。もちろん、通常の開館日でも車いすは貸し出されているそうですが、このように展示室入口前にずらりと用意されていると、みなさん気兼ねなく利用しやすいようです。

ここで、「特別鑑賞会」のリピート率が非常に高い理由の一端が垣間見られた気がしました。

特別展の展示室だけでなく、エントランスやエスカレーター、エレベーターなど、参加者が通るほぼすべての場所でアート・コミュニケータの方々がおもてなし。それぞれのポジションで連絡を取り合い、密に連携している姿を拝見しました。

見慣れない光景として、荷物用の大きなエレベーターが稼働していたことも挙げられます。

車いすの方が同じタイミングで何人も通常の来館者用エレベーターを利用しようとすると、どうしても発生してしまう待ち時間。ストレスなく「特別鑑賞会」を楽しんでほしいという思いのもと、現場のアート・コミュニケータ同士で「車いすの方が複数台いらした場合は、大型のエレベーターをご案内しよう」などと改善案を話し合っていたのが印象的です。

事前予約制による鑑賞会ということで、展示室には非常にゆったりとした時間が流れます。参加者の誰もが作品をじっくり鑑賞することができているようでした。

フィンセント・ファン・ゴッホ《夜のプロヴァンスの田舎道》1890年5月12-15日頃 クレラー=ミュラー美術館蔵

本展の目玉である《夜のプロヴァンスの田舎道》の前もこのとおり。通常の開館時には、人気のある作品の前が混雑することも多く、車いすの方はどうしてもその後ろからの鑑賞になってしまいがちですが……この日は近づいてみたり離れてみたり、作品と一対一の対話の時間を楽しまれている様子が見て取れました。

展示室には聴覚に障害のある方のために、磁気式の筆談ボードを携帯したアート・コミュニケータの姿も。これは今回の「特別鑑賞会」から始めた取り組みで、聴覚に障害のある方が、展示室で何かお困りのときに声をかけやすい環境を整えるための試み、とのことです。筆談ボードを使ってお話しするなかで、必要な場合は受付から手話通訳者を呼んでもらうことも可能だそう。

 

取材時には拝見できませんでしたが、新型コロナウイルス感染症の流行以前は、参加者とアート・コミュニケータとが感想や意見を交わしながら作品を鑑賞し、各々が楽しい時間を共有していたそうです。

アート・コミュニケータの発案で、弱視の方や車いすの方など、展示されている状態では作品が見えづらい方が作品画像を手元で見られるiPadを活用したプログラムを実施したり、学芸員が展覧会のみどころ解説を行う「ワンポイント・トーク」で聴覚に障害のある方にも内容が伝わるよう文字表示支援を作成したりといった活動も行っていたとか。

過去の「特別鑑賞会」で、iPadに取り込んだ作品画像を手元で拡大している様子。(「プーシキン美術館展──旅するフランス風景画」2018年)

そういったさまざまな取り組みについて伺った際に熊谷さんが強調したのは、「アート・コミュニケータは、美術館を拠点にアートを介したコミュニティを作っています。『障害のある方に何かをしてさしあげる』といった、支援する側・される側の関係性のなかで、この『特別鑑賞会』の場にいるのではありません」ということ。

「障害のある人もない人も一緒に過ごすこの空間をどんな場にしたいのか、どんな場で『ありたい』のか。それを考え、そのために必要なコミュニケーションをする・行動をする。だからアート・コミュニケータには、するべきことをまとめたマニュアルは存在しないんです」と、誤解されがちなアート・コミュニケータのあり方を語りました。

 

コロナ禍の現在は、残念ながら接触や密を避けるために多くの取り組みが実施不可能な状態に。「せっかく同じ空間にいるのに、参加者の皆さんとお話ができないのは寂しいです」と嘆くアート・コミュニケータの表情に切ない気持ちになりましたが、会話をしないコミュニケーションのあり方や、さらにはリアルの空間以外での対話を補完する方法を模索しているとのこと。

そんな事情もありつつの「特別鑑賞会」。1時間、2時間と心行くまでゴッホの世界を堪能した参加者は、皆さん大変満足気な表情で感想を交わしながら美術館を後にされました。

「次の鑑賞会はまだかな、といつも楽しみにしているんです」

笑顔で感想を語る参加者

「特別鑑賞会」に参加された方々にもお話を伺いました。驚いたのは、お話しした全員が「特別鑑賞会」に何度も参加したことがある方だったこと。

ある車いすの女性は、「この鑑賞会は人数が限られているので助かっています。普段だと人が2重、3重、4重くらい重なっているけれど、ここでは一番前で見られるのがうれしいですね」と笑顔を見せました。

足を悪くしたことがきっかけで、足しげく通った美術館から遠ざかっていたという別の参加者は、この「特別鑑賞会」については「次の開催はまだかな、といつも楽しみにしているんです」と目を輝かせて期待を語ります。

視覚に障害をもつある女性は、原田マハさんの小説を読んでどうしてもゴッホ作品が見たいと熱望していたタイミングでの参加となり、喜びもひとしおの様子。介助者に説明してもらいながら作品を鑑賞したそうです。

「音声ガイドがよくできていたなと。ヘレーネさん(※本展で取り上げているゴッホ作品のコレクター)がこういう人だったんだな、というのが理解できました」と満足げ。作風の変化を追いながら、「こうやってゴッホは〈ひまわり〉にたどり着いたんだ」と感慨深い気持ちになったとか。

「普通の展覧会だと、介助の人に一緒に歩いてもらっていてもぶつかったり蹴とばされたり。逆に自分が人の前に割り込んでも気づかないから申し訳ない気持ちにもなってしまうけど、このくらい空いていると安心して見られるので感謝ですね」


本来であれば美術館は、障害のある人もない人も関係なく開かれた場所であるはず。しかし今は残念ながら、美術館へ行くことを躊躇してしまう人が少なくないのが現状です。

「障害のある方のための特別鑑賞会」には、まだまだ工夫できる部分があるのかもしれません。しかし、こういった鑑賞会が存在すること自体、障害のある方々が美術館へ行こうとするハードルを確実に下げる意義深い試みだと実感した取材となりました。

コロナ禍において減ってしまったコミュニケーションの機会をどのように創出していくのか、アート・コミュニケータの方々の動きに今後も注目していきます。

 

なお、東京都美術館で2022年1月22日(土)~4月3日(日)に開催される特別展『ドレスデン国立古典絵画館所蔵 フェルメールと17世紀オランダ絵画展』においても、「障害のある方のための特別観賞会」が開かれます。

身体障害者手帳をはじめとする各種手帳をお持ちの方400名とその介助者(1名まで)が応募可能。申し込み多数の場合は抽選となります。
申込期間は2022年1月5日(水)~2022年1月24日(月)まで。

ご興味のある方は、ぜひ詳細をご確認ください。⇒https://www.tobikan.jp/learn/accessprogram.html

『ゴッホ展——響きあう魂 ヘレーネとフィンセント』開催概要

会期 2021年9月18日(土)~12月12日(日)
会場 東京都美術館 企画展示室
開室時間 9:30~17:30 金曜日は9:30~20:00 (入室は閉室の30分前まで)
休室日 月曜日
※ただし11月8日(月)、11月22日(月)、11月29日(月)は開室
入場料 一般 2,000円、大学生・専門学校生 1,300円、65歳以上 1,200円
日時指定予約制です。
※高校生以下無料。(日時指定予約が必要)
その他、詳細はこちら⇒https://gogh-2021.jp/ticket.html
主催 公益財団法人東京都歴史文化財団 東京都美術館、東京新聞、TBS
お問い合わせ 050-5541-8600 (ハローダイヤル)
展覧会公式サイト https://gogh-2021.jp

 


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