【取材レポート】「西洋絵画、どこから見るか?」展が国立西洋美術館で開幕。さまざまな角度から作品の楽しみ方を提案

国立西洋美術館
展示風景

東京・上野の国立西洋美術館で「西洋絵画、どこから見るか?―ルネサンスから印象派まで サンディエゴ美術館 vs 国立西洋美術館」展(通称、どこみる展)が開幕しました。会期は2025年3月11日から6月8日まで。
先立って行われた報道内覧会に参加してきましたので、画像とともに会場の様子をご紹介します。

会場エントランス
展示風景、手前はペーテル・パウル・ルーベンスと工房《聖家族と聖フランチェスコ、聖アンナ、幼い洗礼者ヨハネ》1625年頃、サンディエゴ美術館
展示風景、左からホアキン・ソローリャ《ラ・グランハのマリア》1907年、サンディエゴ美術館/《バレンシアの海辺》1908年、サンディエゴ美術館/《水飲み壺》1904年、国立西洋美術館

二つの美術館のコレクションを対話させ、さまざまな角度から魅力を深堀り

同展は、アメリカのサンディエゴ美術館と国立西洋美術館の所蔵品計88点を組み合わせ、ルネサンスから19世紀末までの600年にわたる西洋美術の歴史をたどりながら、「作品をどのように見ると楽しめるか」という観点から鑑賞のヒントを提案するもの。

アメリカ西部において、最も早い時期に充実した西洋古典絵画のコレクションを築いた美術館の一つであるサンディエゴ美術館は、サンディエゴがスペイン人の入植によって築かれた地域であるという文化的・歴史的な結びつきから、スペイン美術を収集の軸としてきました。

そのため、同展にはボデゴン(スペイン静物画)の祖であるフアン・サンチェス・コターンの傑作《マルメロ、キャベツ、メロンとキュウリのある静物》をはじめ、エル・グレコ、スルバラン、ソローリャなどスペイン美術の名品も多数出品されています。なお、今回サンディエゴ美術館から来日した49点はいずれも日本初公開となるそう。

一方で、国立西洋美術館は東アジアにおいて唯一の体系的な西洋絵画のコレクションを所蔵しています。同展の開催経緯について、監修者である川瀬佑介さん(国立西洋美術館主任研究員)は次のように話します。

「ひとつの美術館から借りてきた作品のみで構成する美術展では、1点1点の作品を味わうことはできても、作家の人物像やその作家の画業における位置づけなど、コンテクスト(文脈)はなかなか理解しづらい場合が多いです。それは国立西洋美術館の常設展も同様のことが言えます。そこで今回は、両館のコレクションをかけ合わせ、同一の作家や主題の作品をグループごとに並べ、深掘りしてみようと考えました。そうした試みにより、主題の難しさや時代の古さから敬遠されがちな西洋美術をどこから見ればいいのか、その世界の面白さをわかりやすくお伝えしようと考えて構成した展覧会です」

第1章展示、左からルカ・シニョレッリ《聖母戴冠》1508年、サンディエゴ美術館/ ジョット《父なる神と天使》1328-35年頃、サンディエゴ美術館
第1章展示、左からアンドレア・デル・サルト《聖母子》1516年頃、国立西洋美術館/ カルロ・クリヴェッリ《聖母子》1468年頃、サンディエゴ美術館

川瀬さんが述べたように、実際に展示は36の小テーマで分けられています。たとえば、ジョットからボス(工房)まで、イタリアとネーデルランド(現在のベルギー、オランダ)のルネサンス絵画の展開を探る第1章では、「ヴェネツィア・ルネサンスの肖像画」としてジョルジョーネ(1477/78-1510)とヤコポ・ティントレット(1518-1594)の作品を併置。

第1章展示、左からヤコポ・ティントレット《ダヴィデを装った若い男の肖像》1555-60年頃、国立西洋美術館/ ジョルジョーネ《男性の肖像》1506年、サンディエゴ美術館

ジョルジョーネは30代前半で早逝していることもあり、資料がほとんど残っておらず未だ多くの謎に包まれていますが、ヴェネツィア絵画における盛期ルネサンス様式の創始者として位置づけられている画家です。サンディエゴ美術館所蔵の《男性の肖像》(1506)は小品ながら、ルネサンス肖像画の傑作の一つ。身体的特徴の厳密な描写と柔らかな陰影表現で、革新的なリアリズムを実現しました。

一方のティントレットは、ジョルジョーネ亡き後の16世紀ヴェネツィア絵画においてティツィアーノ、ヴェロネーゼと並ぶ三大巨匠に数えられる人物。サンディエゴ美術館所蔵の《老人の肖像》(c.1550)と国立西洋美術館所蔵の《ダヴィデを装った男性の肖像》(c.1555-1560)をジョルジョーネと並べることで、色彩のグラデーションによりボリュームを表現するジョルジョーネ以来の手法を、ティントレットがどのように発展させていったのかを解説文とともに見せています。

ゴヤやピカソにまで影響を与えた、スペイン静物画の最重要画家の傑作が来日

地域別に17世紀バロック美術の特色を紹介する第2章では、同展のハイライトであるフアン・サンチェス・コターン(1560-1627)作の《マルメロ、キャベツ、メロンとキュウリのある静物》(c.1602)を展示。

第2章展示、フアン・サンチェス・コターン《マルメロ、キャベツ、メロンとキュウリのある静物》1602年頃、サンディエゴ美術館

16世紀末から17世紀初頭にかけて、ヨーロッパ各地で静物画が独立して描かれるようになり、スペインではとりわけ食べ物や食卓に関連するモティーフを主題とした静物画「ボデゴン」が発展します。1600年前後にトレドで活躍した画家サンチェス・コターンは、本作に見られるような、少数のありふれた野菜や果物を石枠の上に並べ、スポットライトのような光で照らして明暗を際立たせる独自の構図法を考案。長く続くスペイン静物画の典型を確立しました。

本作の魅力について、監修者のマイケル・ブラウンさん(サンディエゴ美術館ヨーロッパ美術担当学芸員)は「一見では簡潔な構図に見えますが、中央にある一つの空白のような闇に、無限の要素、また謎めいた、そこに到達することができないような雰囲気のある世界観を醸し出しています」とコメント。

川瀬さんは、サンチェス・コターンの6点しか現存していない静物画のうち、本作は「最もバランスが取れており、サンチェス・コターン独特の厳粛さ、静けさがよくわかる最高傑作」であり、「この作品が来日すること自体が一大イベント」だとアピールしました。

第2章展示、フアン・バン・デル・アメン《果物籠と猟鳥のある静物》1621年頃、国立西洋美術館

スペイン静物画の比較として、サンチェス・コターンの次の世代を代表するフアン・バン・デル・アメン(1596-1631)による、華やかで装飾的な《果物籠と猟鳥のある静物》(c.1621)と、聖人像を多く手掛けたことから「修道僧の画家」とも称されるフランシスコ・デ・スルバラン(1598-1664)による、静かな瞑想と祈りを呼び起こす《神の仔羊》(c.1635-40)が並んでいます。いずれも構図や仕掛けに、サンチェス・コターンからの伝統を明確に受け継いでいることが見てとれるでしょう。

第2章展示、左からフランシスコ・デ・スルバラン《洞窟で祈る聖フランチェスコ》1658年頃、サンディエゴ美術館/《聖ドミニクス》1626-27年、国立西洋美術館/《聖ヒエロニムス》1640-45年頃、サンディエゴ美術館

なお、スルバランについては画家単独でもテーマを立て、彼が得意とした大型の単身像《聖ドミニクス》(1626-27)や、慈愛に満ちた円熟期の傑作《聖母子と聖ヨハネ》(1658)など、4点の作品を並べて紹介。重厚かつ彫刻的なリアリズムから、光のヴェールに包まれたかのように甘美で理想化された表現へと移る画業の展開を簡潔に示すものです。そこには常に気品と静けさが存在し、画家の一貫した美意識も感じられます。

第2章展示、手前はエル・グレコ《悔悛する聖ペテロ》1590-95年頃、サンディエゴ美術館
第2章展示、左からアントニオ・デ・べリス《ゴリアテの首を持つダヴィデ》1642-43年頃、サンディエゴ美術館/グエルチーノ《ゴリアテの首を持つダヴィデ》1650年頃、国立西洋美術館

現実のヴェネツィアと空想のローマ、イタリアで別方向に発展した都市景観画

第3章は、18世紀美術をリードしたイタリア絵画とフランス絵画の展開に焦点を当て、風景画、肖像画、風俗画それぞれのジャンルにおける特徴を見ていくセクション。ここでは、ヴェネツィアとローマにおける都市景観画の比較展示が目を引きます。

18世紀はイギリスやアルプス以北の国々で、上流階級の子弟が文化的教養を身に付けるためにヨーロッパ文明の源であるイタリアをはじめ、欧州各都市を周遊するグランド・ツアーが流行。彼らが帰国の際、土産として求めた物の一つに都市景観画「ヴェドータ」があり、ヴェネツィアとローマというグランド・ツアーの二大中心地で隆盛しました。

第3章展示、左からベルナルド・ベロット《ヴェネツィア、サン・マルコ湾から望むモーロ岸壁》1740年頃、サンディエゴ美術館/ フランチェスコ・グアルディ《南側から望むカナル・グランデとリアルト橋》1775年頃、サンディエゴ美術館

ヴェネツィアの都市景観画としては、カナレットに並びヴェドータの三大巨匠と称されるベルナルド・ベロット(1721-1780)とフランチェスコ・グアルディ(1712-1781)の作品を紹介。いずれも壮麗な水の都らしいアイコニックな景観を、おおむね現実に見える形で写し取っています。対して、同じイタリア国内ながらローマ側の展示では、特定の場所の再現から離れ、現実と空想を融合させたノスタルジアな世界が広がります。

第3章展示、左からユベール・ロベール《モンテ・カヴァッロの巨像と聖堂の見える空想のローマ景観》、《マルクス・アウレリウス騎馬像、トラヤヌス記念柱、神殿の見える空想のローマ景観》1786年、国立西洋美術館

たとえば、「廃墟のロベール」として名を馳せたユベール・ロベール(1733-1808)が描いた一対の景観画では、カンピドーリオ広場にあるマルクス・アウレリウス帝騎馬像やトラヤヌス帝記念柱など、実際には別々の場所にある古代の有名な作品を画面にまとめ、さらに想像の産物であろう巨大な神殿を配置。人々は18世紀当時の服装をしていることから、本作は古代の建造物を廃墟として楽しもうとする当時の人々の視線が強く反映されたものと考えられます。

これらは都市景観画の中でも「カプリッチョ」(奇想画)と呼ばれるもの。崩れ、風化する遺跡や歴史的な建造物が多く残るローマの街並みは画家たちにとって重要なインスピレーション源であったようで、自由な発想で旅行者たちの想像力を刺激しました。ヴェネツィアはリアルへ、ローマはファンタジーへ。絵画ジャンルの隆盛における地域の特色の影響がいかに大きいかが歴然と示されています。

カペとブノワ、二人の女性画家で理解するロロコから新古典主義への変遷

また第3章では、華やかで貴族的なロココから、秩序や理性を重んじる新古典主義へ移り変わる、18世紀フランスの美的価値観の変化を端的に示すものとして、マリー=ガブリエル・カペ(1761-1818)とマリー=ギユミーヌ・ブノワ(1768-1826)、二人の女性画家による肖像画の比較展示があります。

第3章展示、左からマリー=ガブリエル・カペ《自画像》1783年頃、国立西洋美術館/マリー=ギユミーヌ・ブノワ《婦人の肖像》1799年頃、サンディエゴ美術館

18世紀後半からフランスでは女性芸術家が台頭しはじめ、カペとブノワはともに、フランス革命後に女性が初めて出品を許された1791年のサロン(官展)で名を連ねた代表的な画家です。

カペの《自画像》(c.1783)で描かれている、華やかなブルーのドレスとリボンや巻き髪等のファッションがいかにもロココ趣味であり、こちらを見つめる若き画家の表情は、思わず見入ってしまうほど輝きに満ちて晴れやか。自身の腕を誇るような、確かな自信がうかがえます。対してブノワの《婦人の肖像》(c.1799)は、古代風の白いシュミーズドレスや彫塑的で安定感のある身体描写などに、古典古代の美術に規範を求める新古典主義的な志向が顕著に表れています。

作品自体の質の高さはもちろん、先述の都市景観画と並んで「どこを見ると楽しめるか?」が分かりやすいという点でも、特に初心者の方は必見の展示といえるでしょう。

垣根の描き方で絵画の印象はどう変わる?

19世紀における人物表現の多様な在り方に注目する第4章では、印象派の画家による「垣根の表層」の比較展示があり、やや意表を突かれました。

第4章展示、左からカミーユ・ピサロ《立ち話》1881年頃、国立西洋美術館松方コレクション/ セオドア・ロビンソン《闖入者》1891年、サンディエゴ美術館

パリを離れポントワーズ周辺の農民の生活に取材した印象派最年長のカミーユ・ピサロ(1830-1903)と、モネの暮らすシルヴェニーで表現手法を学んだアメリカの画家セオドア・ロビンソン(1852-1896)の作品に描かれた、農村でよく見られる垣根のモティーフに着目。人物の心理と結びつくもの、あるいは空間構成の装置として垣根がいかに効果的に描かれているかなどが解説されています。

こうした少々マニアックといえる角度からも作品の楽しみ方が提案されているため、さらに西洋美術の深みを歩みたい中級者、上級者のファンも新鮮な発見が期待できそうです。

第4章展示、左からウィリアム=アドルフ・ブーグロー《羊飼いの少女》1885年、サンディエゴ美術館/《小川のほとり》1875年、国立西洋美術館(井内コレクションより寄託)

カジュアルに、思考に制限のない状態で楽しむ――ディーン・フジオカ流の鑑賞法

報道内覧会では、同展の音声ガイドナビゲーターを務めるディーン・フジオカさんも登壇しました。

ディーン・フジオカさん

音声ガイドの収録を振り返り、「“ここみる展”みたいに、押し付けがましくなってしまうと意図が変わってしまいます。いろんな時代の背景や社会の空気、宗教観、何を描くかというモティーフの選び方やタッチ、画法など、判断の基準になる要点を打ち合わせの中で教えていただき、自分なりに解釈して、ガイダンス、ナビゲーションの一つとして伝えられたらいいなと考えて務めさせていただきました」と話したフジオカさん。

また、「自分で物語を作り出していくと、自分なりの見方、その日そのときの楽しみ方というものが生まれるのかなと思っています。(司会者に、まずは作品と対峙して自分の中の感性と語り合うということですね、と聞かれて)かっこよく言うとそうですね。自分の中でボケとツッコミを無限に繰り返すみたいな感じ」とフジオカ流の鑑賞方法も提案。

「いろいろな宗教的モティーフや文脈があると思いますが、けっこう突っ込みどころが多い作品もあったりしますよね。そういったものをカジュアルに、何をしちゃいけないみたいなものがない状態で楽しんでみる」と続け、スルバランの《聖ドミニクス》を見ながら「天を仰いで、手元はハート型のキュンな感じのポーズになっています」と独特の視点で魅力を表現するなど、笑いを誘う場面もありました。

《聖ドミニクス》と同じ“キュン”なポーズをとったフジオカさん

なお、会期中は4日間(夜間開館日)限定でイベント「どこみるde夜会」を開催。魅力的な人物像が多数登場する同展の一員となるつもりで、自分なりのおしゃれをして「夜会に招待されました!」と申告すると、オリジナルポストカードがプレゼントされるというもので、会場にはフォトスポットや、仮面や扇子など「夜会用撮影アイテム」も用意されるといいます。
※詳しい日程や注意事項は展覧会公式サイトよりご確認ください。

カぺの《自画像》になりきってイベントをPRした、音声ガイドのナレーターを務める日比麻音子さん。※あくまで演出であり、美術館での作品鑑賞を前提としない服装での来場はNGです。

さらに、同展とは別に、サンディエゴ美術館から借用したゴヤの《ラ・ロカ公爵ビセンテ・マリア・デ・ベラ・デ・アラゴン》(c.1795)をはじめとする絵画5点が、常設展示室にも展示されています。常設展は「どこみる展」の当日有効観覧券があれば無料で鑑賞できるため、こちらもぜひお見逃しなく。

「西洋絵画、どこから見るか?-ルネサンスから印象派まで サンディエゴ美術館 VS 国立西洋美術館」概要

会期 2025年3月11日(火)~2025年6月8日(日)
会場 国立西洋美術館(東京・上野公園)
開館時間  9:30 〜 17:30(毎週金・土曜日は20:00まで)
※入館は閉館の30分前まで
休館日 月曜日、5月7日(水)
※ただし、3月24日(月)、5月5日(月・祝)、5月6日(火・休)は開館
観覧料(税込) 一般2,300円、大学生1,400円、高校生1,000円

※中学生以下、心身に障害のある方及び付添者1名は無料(学生証または年齢の確認できるもの、障害者手帳の提示が必要です)
※観覧当日に限り同展観覧券で常設展も鑑賞できます。
そのほか、詳細は公式のチケットページよりご確認ください。

主催 国立西洋美術館、サンディエゴ美術館、日本経済新聞社、TBS、TBSグロウディア、テレビ東京
問い合わせ 050-5541-8600(ハローダイヤル)
展覧会公式サイト https://art.nikkei.com/dokomiru/

※記事の内容は取材時点のものです。最新情報は展覧会公式サイト等でご確認ください。

記事提供:ココシル上野


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【上野の森美術館】令和6年度「森の中の展覧会」表彰式レポート。「豊かな表現力と個性が発揮された素晴らしい作品」と台東区長が称賛

上野の森美術館

2025年3月7日(金)~3月11日(火)の期間、上野の森美術館で令和6年度「森の中の展覧会」が開催されました。


台東区では、障害のある方の文化芸術活動への参画を支援するとともに、障害への理解促進を図る「障害者アーツ事業」に取り組んでいます。その一環として、台東区と上野の森美術館が共催企画している「森の中の展覧会」は、障害のある方に作品を展示する機会をとおして、芸術に携わる楽しさを知ってもらうことを目的とした展覧会です。

展示風景
展示風景

壁面での展示が可能な平面作品という制限はあるものの、基本的に作品のテーマや形式は自由。台東区に在住・在学・在勤または区内の障害者施設・団体等を利用している障害のある方から作品を募集し、今年で4回目の開催となります。

展示風景
展示風景
展示風景

本展では、美術や書の専門家によって特に優秀だと認められた作品に賞が授与されます。審査には、武蔵野美術大学学長の樺山祐和さん、書家で高友社理事長の蕗野雅宣さん、上野の森美術館学芸課長の坂元暁美さんの3名の審査員に加え、準審査員として美術ワークショップ講師の上久保杏子さん、吉永晴彦さんが参加されました。そして、出品された274点から「台東区長賞」1点、「上野の森美術館賞」1点、「優秀賞」3点、「佳作」6点が選出され、3月8日に表彰式が実施されました。

服部征夫台東区長

表彰式は、服部征夫台東区長の挨拶からスタート。「皆様の作品は、本当に豊かな表現力と個性が発揮された素晴らしい作品です。今回の受賞を機に、さらなる創作に励んでいただけることを期待しています」と受賞者を激励し、来場者には「作品から伝わる作者の個性や才能、作品に込められた思い、そういったものを感じていただいて、障害への理解を一層深めていただける契機となれば幸いです」と呼びかけました。

上野の森美術館 宮内正喜館長

続けて、上野の森美術館 宮内正喜館長が登壇。祝辞を述べたのち、「当館は創作の喜び、発表の感動を多くの方々に体験していただくことを目指し、お一人お一人の個性と感性を尊重する芸術交流の場を目指しております。多様な表現によって相互理解を深める場として、これからも本展の発展を台東区とともに目指していく所存でございます」と本展開催への思いを語りました。

書家、高友社理事長の蕗野雅宣さん

また、審査員を代表して、書家で高友社理事長の蕗野雅宣さんが講評を述べました。

「我々審査員が274点の作品を一つずつ見させてもらって、どれにしようかということを先生方と話し合って、最後には投票したりしながら賞を決めさせていただきました。結果的に賞に入っていなくても、私は票を入れたという作品もありますし、それほど作品の内容に優劣があったわけではないことを一言加えさせていただきます」と選考を振り返りつつ、受賞作品の選定理由については次のように述べます。

「私どもが書道をやるときは墨を使います。墨は黒いですが、書き方によっては少しグレーになったり、書き上がったものが白く見えたりもします。黒の中でもそういった3色を混ぜて字を書いていく、ということを心がけていますが、それに加えて、じゃあ今回の作品はどういう風に書こうかと考えます。たとえば、力強く表現しようとか、優しく表現しようとか、そういうことを思いながら書いています。ここにある(受賞)作品はそれぞれ本当に思いがこもっているし、技術力も高かったということで、すばらしいものだったと思います」と、自身の芸術活動と重ねながら解説。最後に「また来年に向けて、ご家族のご援助をいただきながら、一生懸命に頑張ってほしいと思います」とエールを送りました。

賞状授与の様子

その後、ご家族や来場者が祝福するなか、受賞者に賞状と副賞が授与され、和やかな雰囲気のなか表彰式は終了しました。

台東区長賞《猫》の隣で賞状を掲げる作者の佐藤基さん

モノトーンの水彩絵の具で描いた《猫》で台東区長賞を受賞した佐藤基さんは、通所先の施設からの紹介で本展への参加に至ったとのこと。出品はこれで2度目となり、「展示してもらえるだけで面白いのに、賞までいただいてしまって驚きました」と笑顔を浮かべます。

かわいい動物が好きだといい、本作では猫が「あなた、ご飯をくれるの?」という顔でこちらを見つめる瞬間を切り取ったとのこと。キリッとした眼が一見怖いけれど、フワッとやわらかい姿の表現にこだわったといいます。今後の予定については「特別な場所ではなく、日常生活の中で“おっ”と思ったシーン、かわいい、きれいだなと感じる場面をスナップして描いていきたい」と述べました。

上野の森美術館賞《レシート》 と作者の関口奏瑛さん

上野の森美術館賞を受賞した関口奏瑛さんの《レシート》は、大小さまざまなレシートにカラフルな着色を施した力作。関口さんはもともとレシート集めが好きで、通所先の施設の職員にアートにしようと提案されたことをきっかけに作品に仕立てたといいます。使用されているのは、ご家族とのお出かけ先で食べたものや、大好きなコンビニのホットスナックなど、関口さんにとって大切な思い出の一部。ご本人の好きな色で何度も塗り重ねをしたそうで、色彩の厚みから思い入れの強さまで伝わってくるようです。

また、本展の開催にあたって、区内17カ所の障害者施設を美術講師が訪問し、ワークショップを開催。そこで制作された水彩画、クレヨン画、色鉛筆画、貼り絵などの作品も出品されました。

佳作《不忍池おさんぽしたよ》の作者・渡邉旭さんと美術講師の吉永晴彦さん
本作はワークショップの中で制作されたとのこと

美術講師をつとめた作家の吉永晴彦さんは、本展であらためて作品を一望し、「直接鑑賞して得られるエネルギーに感動しています」とひと際の感慨を込めて語ります。ワークショップでは、遊びの要素を取り入れつつも集中できるような環境づくりに注力。自由な創作意欲や、その人が本来持っている持ち味が緊張感によって遮られないように、場の雰囲気にも気を配っているといいます。

「ワークショップに参加されている方々が集中している様子を見るのは、こちらも非常に励みになる。いつも逆にエネルギーをもらっているような感覚になっています。時間があっという間だったね、今日はぐったりだね、といった感想をいただくのが一番うれしいですね」と吉永さん。

また、作りたい作品の具体的な要望がない人でも、きっかけになりそうなことを情報過多にならない程度に提示したり、一緒に制作に取り組んだりしながら、どんどんイメージを膨らませていくサポートをするケースも多いといいます。目指すのは「いつも新しい感動を見つけていくこと」で、同じ施設でワークショップを開催してもマンネリ化することはないとのこと。お話からは、多様な芸術表現があふれる本展の魅力を裏で支えている方々の尽力が垣間見られました。

(写真手前)優秀賞《しあわせみ〜っけ》つばさ放課後クラブ
佳作《ジンベイザメ》國岡亜由美、佳作《宇宙船》嶋田勝弘

なお、受賞作品の一部は4月18日(金)まで台東区役所1階 アートギャラリーにて展示されていますので、ぜひ足を運んでみてください。

令和6年度「森の中の展覧会」概要

会期 2025年3月7日 (金) 〜 3月11日 (火)
会場 上野の森美術館
入場料 無料
受賞作品一覧 https://www.culture.city.taito.lg.jp/ja/shogaisha_arts/morinonakanotenrankai/r06

※記事の内容は取材日(2025/3/8)時点のものです。

 


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【取材レポート】「ミロ展」が東京都美術館で開幕。〈星座〉シリーズなど20世紀を代表する巨匠の傑作約100点が揃う

東京都美術館

ピカソ、ダリと並び、スペイン三大巨匠に数えられる画家ジュアン・ミロの、70年におよぶ創作活動を振り返る大規模な展覧会「ミロ展」が、東京・上野の東京都美術館で開幕しました。会期は2025年3月1日から7月6日まで。

※本稿に掲載の画像は、報道内覧会にて許可を得て撮影したものです。

会場エントランス

スペイン・カタルーニャ州出身のジュアン・ミロ(1893-1983)は、1920年代にシュルレアリスムを代表する画家として名声を得ました。太陽や星、月など自然の中にあるモティーフを象徴的な記号として描いた、色彩豊かで詩情あふれる独特な画風が有名ですが、90歳で亡くなるまで新しい表現に挑戦し続け、純粋で普遍的な芸術を追求。20世紀で最も影響力のある芸術家の一人と見なされました。

ジュアン・ミロ(展示パネルより)

本展は、代表作である〈星座〉シリーズをはじめ、初期から晩年までの各時代を彩る絵画や陶芸、彫刻などの傑作約100点を一堂に集め、ミロの画業全体を包括的に紹介するもの。没後40年を経たミロの世界的な再評価の流れを受けての企画であり、日本では1966年に存命中のミロが協力した展覧会以来、最大規模の回顧展となるそうです。

展示は全5章構成です。

父親に勧められた会計の仕事が合わず、病に倒れた青年ミロは、山間の村モンロッチの別荘で療養生活を送る中で、かねてからの夢であった画家になる決意を固めます。1912年、ミロはあらためて美術学校に通いながら最先端の芸術の動向を研究。
第1章「若きミロ 芸術への決意」では、キュビスムやフォーヴィスム、当時の前衛芸術家たちに父のように見なされていたセザンヌなど、この時期のミロが自身の表現を模索する中で、さまざまな画風を取り入れていたことを伝える作品が並びます。

展示風景/《バイベルの森》1910年、ジュアン・ミロ財団、バルセロナ(寄託)
展示風景/《自画像》1919年、パリ・国立ピカソ美術館

初期の名作《ヤシの木のある家》(1918)をはじめ、ミロはモンロッチの情緒的な風景をモティーフとした作品を多く残しています。芸術的信念を強固なものにしたモンロッチは、生涯にわたりミロにとってすべての創作の源、芸術に対する考えを深める場所であり、カタルーニャ人としてのアイデンティティを再確認させるものでした。本作は、それまで多大な影響を受けていたフォーヴィスムの作風を捨て、細部の描写にこだわるようになった、いわゆるミロの「細密主義時代」を代表する作例です。

展示風景/《ヤシの木のある家》1918年、国立ソフィア王妃芸術センター、マドリード

1920年、念願であった芸術の中心地パリに初めて訪れ、都市の近代性と前衛芸術に魅了されたミロは、翌年からパリにアトリエを構え、モンロッチと往復する生活を送るようになります。

同地のシュルレアリスム作家や詩人との交流で刺激を受け、具象性から離れた詩的な表現手法に傾倒。1925〜27年には、空虚を示す茫漠とした背景に不定形で動きのある描線を加えて、ミロ自身の「夢の進行を示す記号」とした、100点以上におよぶ「夢の絵画」を生み出しました。その中には、具体的な事物との区別なく、実体をもたない語句もモティーフであるかのように描き、本来の役割から解放した〈絵画=詩〉シリーズがあります。

第2章「モンロッチ─パリ 田園地帯から前衛の都へ」では、こうした1920年代の活動を紹介。「夢の絵画」はパリの画壇で話題となり、ミロは名実ともにシュルレアリスムの画家として人気を博すようになります。

展示風景/左から《絵画(喫煙する人の頭部)》、《絵画(頭部とクモ)》いずれも1925年、国立ソフィア王妃芸術センター、マドリード
展示風景/《絵画=詩(栗毛の彼女を愛する幸せ)》1925年、ジュアン・ミロ財団、バルセロナ(寄託)

《オランダの室内Ⅰ》(1928)は、17世紀オランダ絵画に強い衝撃を受けたミロが、画家ヘンドリク・ソルフの《リュートを弾く人》(1661)をもとに描いた作品。展示では、パネルでソルフの原作と本作の準備素描も紹介されており、見比べると、ソルフの自然主義的な日常の一場面から立体感や遠近感を排除し、平坦な色彩と有機的なフォルムによる超現実な世界へと変容させたことがわかります。

展示風景/《オランダの室内Ⅰ》1928年、ニューヨーク近代美術館

1936年に勃発したスペインの内戦で亡命し、続く第二次世界大戦にわたり戦禍を避けながら孤独に制作を続けたミロ。
第3章「逃避と詩情 戦争の時代を背景に」では、パリからノルマンディー地方の村へ逃れた1940年から制作を開始し、マジョルカ島やモンロッチを転々とする間に完成させた傑作〈星座〉シリーズをハイライトとして展示しています。

展示風景/《明けの明星》1940年、ジュアン・ミロ財団、バルセロナ

〈星座〉シリーズは、カンヴァスではなく紙を用いた小型のグワッシュ画。あえて凄惨な現実から逃避し、広大で美しい星空やモーツァルト、バッハといった音楽で心を慰めながら、それらを着想源に現実を超えた先の希望を示すために描いたとされています。本展では全23点のうち《明けの明星》《女と鳥》《カタツムリの燐光の跡に導かれた夜の人物たち》(1940)の3点が出展。ミロが記号体系を確立したという点でも注目のシリーズですが、各作品は世界中に散らばっているため、複数の作品をまとめて鑑賞できる貴重な機会となっています。

展示風景/《カタツムリの燐光の跡に導かれた夜の人物たち》1940年、フィラデルフィア美術館

一方で、ミロは1928年頃から、芸術の商品化やアーティストへの過度な注目に批判的な視線を向けはじめ、「絵画を暗殺したい」という衝動に駆られるようになります。次第に、本章に登場するアルミ箔にトイレットペーパーを貼り付けた《無題(夜の恋人たち)》(1934)のような、絵画とは無関係な素材や要素を共存させるコラージュやオブジェなど、反芸術・反絵画と呼ばれる作風にも着手。伝統的な絵画表現の在り方を問い続けました。

展示風景/左から《絵画(カタツムリ、女、花、星)》、《無題(夜の恋人たち)》いずれも1934年、国立ソフィア王妃芸術センター、マドリード

1947年、ミロは壁画の依頼を受けて初めてアメリカを訪れますが、すでにその6年前にはニューヨーク近代美術館でミロの回顧展が開催されるなど、同地での評価が高まっている状況でした。滞在中のミロもジャクソン・ポロックを筆頭とする若い芸術家たちから刺激を受け、帰国後にエッチングやリトグラフ、職人との共同作業による陶芸、彫刻など幅広い制作に関心を傾けます。
第4章「夢のアトリエ 内省を重ねて新たな創造へ」では、そうした戦後の1950〜60年代における展開をたどります。

第4章 展示風景
第4章 展示風景

ところで、ミロの作品は端的なタイトルも多いですが、その実、タイトルと作品との関係性に遊び心と詩情を与えることを好んでいたといいます。《螺旋を描いて彗星へと這うヘビを追う赤トンボ》(1951)は代表的な例で、説明的なタイトルに導かれ、鑑賞者は彗星やヘビ、赤トンボを見つけようと、まさに螺旋を描くヘビのように画面で視線を惑わせます。その好奇心を後押しするのが鮮やかな配色や蛇行する線、不気味な描写であり、それらすべてがミロの仕掛け。構成の巧みさに驚かされます。

展示風景/《螺旋を描いて彗星へと這うヘビを追う赤トンボ》1951年、国立ソフィア王妃芸術センター、マドリード

また、本章では、1956年に念願の広いアトリエをマジョルカ島に完成させた以降の作品が、アメリカ抽象表現主義の巨大な絵画の影響もあって巨大化していく様子も確認できます。大型絵画《太陽の前の人物》(1968)はミロの造形言語の集大成のひとつで、「○△□」の図形で宇宙を表現した日本の画僧・仙厓義梵の作品から着想を得たもの。

ミロは初期から日本に関心を寄せており、1966年の訪日の際には、日本の伝統芸術や芸術家の考え方に自身との親和性を認めています。確信的な筆づかいが書道を想起させる本作は、そうしたミロの東洋的な感性を示す重要な作例であり、バルセロナ以外で展示されるのは約40年ぶりであるとのこと。

展示風景/左から《月明かりで飛ぶ鳥》1967年、ナーマド・コレクション/《太陽の前の人物》1968年、ジュアン・ミロ財団、バルセロナ

第5章「絵画の本質へ向かって」では、晩年の1970~80年代に制作された作品が並びます。すでに世界的な巨匠としての地位を確固たるものにしていたミロですが、晩年おいても常に自身の活動を検証し続けており、大胆で型破りな試みもためらうことはありませんでした。

たとえば、《焼かれたカンヴァス2》(1973)は5点の連作絵画のひとつで、白いカンヴァスに勢いよく絵具をたらし、踏みつけ、ナイフで切り刻み、最後にガソリンを染みこませて火をつけた作品。衝動的な行為の結果ではなく、焦がしたカンヴァスや紙のマチエール、その物質性に潜む美を探ることが制作意図としてあったようですが、本作からは衰えないエネルギーや、ハイカルチャーとしての芸術、ただの財産になり下がる芸術に対する強烈な反骨心が伝わってきます。

展示風景/《焼かれたカンヴァス2》1973年、ジュアン・ミロ財団、バルセロナ(寄託)

また、晩年のミロは、より体の動きを反映するような筆づかいを採用するようになっていました。イメージとしては水墨画にも近しい三連画《花火Ⅰ、Ⅱ、Ⅲ》(1974)では、絵具を激しくぶちまけ、重力の作用によってしたたり落ちた絵具の跡に重ねるように筆を入れています。これはアメリカ抽象表現主義の画家たちの影響を受けたもので、偶然性に身を任せて生まれた新たな構図によって制作プロセスを導くという手法が用いられています。本作は日本初展示であるとのこと。

展示風景/手前は《花火Ⅰ、Ⅱ、Ⅲ》1974年、ジュアン・ミロ財団、バルセロナ

なお、第4章と第5章の間では、ミロのポスター制作を通じた積極的な社会的、政治的、文化的コミットメントについても取り上げています。

ミロは1960~70年代、フランコ独裁政権末期のスペイン社会において、意見を公然と述べる場に乏しい人々の希望や要求を代弁する手段として数多くのポスターを制作。「芸術家とは、ほかの人々が沈黙するなかで何かを伝えるために声を上げる者」であるという言葉も残しており、展示ではミロの芸術家としてのスタンス、つまり自身の関心事について語るためだけに、生涯を通じて研鑽を重ねたわけではないことを強調しています。

展示風景/手前は《バルサ FCバルセロナ75周年》1974年、ジュアン・ミロ財団、バルセロナ

ミロという画家が、20世紀を通じていかに最先端の芸術に飛び込み、絶えず創造的な緊張感に身を置きながら自身の表現を確立していったのか。その探求の過程、唯一無二の芸術の魅力を、ぜひ本展で体感してみてください。

「ミロ展」概要

会場 東京都美術館 企画展示室
会期 2025年3月1日(土)〜7月6日(日)
開室時間 9:30~17:30、金曜日は20:00まで(入室は閉室の30分前まで)
休室日 月曜日、5月7日(水)
※ただし、4月28日(月)、5月5日(月・祝)は開室
観覧料金(税込) 一般 2,300円、大学生・専門学校生 1,300円、65歳以上 1,600円

※大学生・専門学校生は、3月1日(土)~16日(日)に限り無料。
※身体障害者手帳・愛の手帳・療育手帳・精神障害者保健福祉手帳・被爆者健康手帳をお持ちの方とその付添いの方(1名まで)は無料。
※18歳以下、高校生以下は無料。

詳細は公式サイトのチケットページでご確認ください。

主催 東京都美術館(公益財団法人東京都歴史文化財団)、ジュアン・ミロ財団、朝日新聞社、テレビ朝日
お問い合わせ 050-5541-8600(ハローダイヤル)
展覧会公式サイト https://miro2025.exhibit.jp/

※記事の内容は取材時点のものです。最新情報は展覧会公式サイト等でご確認ください。

記事提供:ココシル上野


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【取材レポート】特別展「旧嵯峨御所 大覚寺」が東京国立博物館で開幕。100面を超える障壁画の華やかさに魅了される

東京国立博物館

平安京遷都から間もない頃より、風光明媚な遊覧の地として王朝貴族に愛されてきた京都・嵯峨に位置する大覚寺は、弘法大師空海(774-835)を宗祖とする真言宗大覚寺派の本山です。
前身は平安時代初期、嵯峨天皇(786-842)が造営した離宮嵯峨院であり、貞観18年(876)に皇女・正子内親王の願いにより寺に改められ、大覚寺が開創されました。以降、歴代の天皇や皇族が門跡(住職)を務めたことから嵯峨御所の呼び名でも親しまれてきた、格式高い門跡寺院です。

その大覚寺が2026年に開創1150年を迎えるのに先立ち、優れた寺宝の数々を一挙に紹介する、開創1150年記念 特別展「旧嵯峨御所 大覚寺 -百花繚乱 御所ゆかりの絵画-」が東京国立博物館で開幕しました。会期は2025年3月16日(日)まで。

※所蔵先の記載のない作品は大覚寺蔵。
※一部作品に展示替えがあります。展示期間の記載のない作品は通期展示です。
前期展示:2025年1月21日(火)~2月16日(日)
後期展示:2025年2月18日(火)~3月16日(日)
※記事の内容は取材時点のものです。最新情報は展覧会公式サイト等でご確認ください。

会場入口

会場は4章に分けて構成されており、第1章「嵯峨天皇と空海―離宮嵯峨院から大覚寺へ」では初期の大覚寺の歴史を示す作品を展示。ひときわ目を引くのは、大覚寺の信仰の要である五大明王信仰を示す「五大明王像」です。

五大明王は、密教の仏である不動明王、降三世明王、軍荼利明王、大威徳明王、金剛夜叉明王という5体の明王で構成されるもの。中国・唐時代に成立し、唐より帰国した空海によって日本での展開が始まったと考えられています。唐の文化を愛した嵯峨天皇は空海の良き理解者でもあり、空海からの勧めで五大明王像を離宮内の持仏堂に安置しました。

重要文化財《五大明王像》明円作 平安時代・安元3年(1177)
重要文化財《五大明王像 軍荼利明王》明円作 平安時代・安元3年(1177)

当時の像はすでに失われていますが、その信仰は脈々と伝えられ、大覚寺は現代でも3組の「五大明王像」を所蔵しています。出展されているのはそのうちの2組。一方は大覚寺の本尊で、平安時代後期に宮廷や上級貴族の仏像を数多く手がけた円派(えんぱ)の一流仏師・明円が、後白河上皇の御所で制作したもの。憤怒の形相をたたえた厳めしい風貌ですが、丸みを帯びた端正な体つきに洗練された気品が感じられる、力強さと優美さが調和した名品です。現存する明円の作例は本作のみという点でも見逃せません。

《五大明王像》不動明王、軍茶利明王、大威徳明王は重要文化財 院信作 室町時代・文亀元年(1501)/ 降三世明王、金剛夜叉明王は江戸時代・17~18世紀

もう一方は京都・清涼寺の五大堂から伝わったもので、2m前後の像高をもつ迫力あるお像です。うち3体は室町時代の仏師・院信の作、2体は江戸時代に再興されたと考えられています。

第2章「中興の祖・後宇多法皇—「嵯峨御所」のはじまり」では、鎌倉時代、大覚寺で金堂や僧房などの広大な伽藍を整備したほか、「嵯峨御所」と称されるきっかけとなった仙洞御所(上皇が住まわれる御所)を新造して院政を行ったことで知られる後宇多法皇(1267-1324)の事績に着目。《大覚寺大伽藍図》で示される往時の広大な伽藍の様子からは、後宇多法皇が「大覚寺中興の祖」と称される所以が見てとれるでしょう。

《大覚寺大伽藍図》江戸時代・18~19世紀

真言密教を厚く信仰していた後宇多法皇は、出家した大覚寺で阿闍梨(師僧)となり、弟子を育てながら多くの聖教や書跡を残しました。展示では、空海への尊崇の念を記した国宝《後宇多天皇宸翰 弘法大師伝》や、密教の授法儀式である灌頂(かんじょう)に関する諸説を記した《後宇多天皇宸翰 灌頂印明》など、貴重な宸翰(しんかん/天皇直筆の書)の数々も見ることができます。

国宝《後宇多天皇宸翰 弘法大師伝》後宇多天皇筆 鎌倉時代・正和4年(1315)前期展示

大伽藍が整った大覚寺ですが、後嵯峨天皇から続く天皇の皇統(大覚寺統、のちの南朝)の本拠となったことで、南北朝時代以降は多くの戦乱に巻き込まれ、応仁の乱でも堂宇の大部分を焼失するなど苦難の時代が続きました。第3章「歴代天皇と宮廷文化」では、その頃の大覚寺を支えた歴代天皇や門跡の功績、それによってもたらされた宮廷文化を紹介しています。

《源氏物語(大覚寺本)》室町時代・16世紀
《若松蒔絵十種香箱》(部分)江戸時代・ 19世紀

本章の見どころのひとつは、平安時代中期に源満仲が天下守護のための刀剣としてつくり、清和源氏の歴代当主に継承された「兄弟刀」と伝わる「薄緑〈膝丸〉」と「鬼切丸〈髭切〉」の同時展示です。

左から重要文化財《太刀 銘 □忠(名物 薄緑〈膝丸〉)》鎌倉時代・13世紀/ 重要文化財《太刀 銘 安綱(名物 鬼切丸〈髭切〉)》平安~鎌倉時代・12~14世紀 京都・北野天満宮蔵
重要文化財《太刀 銘 □忠(名物 薄緑〈膝丸〉)》鎌倉時代・13世紀

「薄緑〈膝丸〉」は身幅の太い、豪壮で腰反りの刀身に、低く焼き入れた小乱の刃文が特長。頼光や義経、頼朝など源氏嫡流で重用されたのちに大友家や田原家、西園寺家、安井門跡を経て大覚寺へと伝わりました。「鬼切丸〈髭切〉」は身幅がやや細く、中反りの優美な刀身に乱刃の刃文が特長。こちらは鎌倉幕府滅亡に際して新田義貞の手にわたり、義貞を討った斯波高経、その子孫の最上家を経て北野天満宮に奉納されました。

「優れた造形の刀には人知を超えた霊威が宿る」という信仰から、この「兄弟刀」にもさまざまな霊異譚が備わっているとのこと。その伝承は源氏の興亡と密接に結びついており、二口が源氏嫡流の正当性と権威を象徴するだけでなく、所有者を勝利に導く存在として信じられていたことをうかがわせます。二口揃って展示されるのは東京では初となるそう。専用の展示ケースと飾り台が設けられ、美しい刀身が見やすいように工夫されています。

《薄緑太刀伝来記》江戸時代・17~18世紀
第4章 展示風景

第4章「女御御所の襖絵―正寝殿と宸殿」は本展のハイライトです。大覚寺伽藍の中心にある「宸殿(しんでん)」は、後水尾天皇より下賜された寝殿造りの建物で、元和6年(1620)に入内された和子(東福門院)の女御御殿を移築したもの。その北西にある「正寝殿」は、安土桃山時代に建てられた書院造の建物で、歴代門跡の御座所(居室)として使われていました。

これらの内部を飾る襖絵や障子絵などの障壁画約240面の多くは、豊臣家や九条家の御用を務めた、安土桃山~江戸時代を代表する画家・狩野山楽(1559-1635)が手掛けており、一括して重要文化財に指定されています。現在14年にわたる大修理の途中ですが、本展では修理を終えたものを中心に、前後期併せて123面(前期100面、後期102面)を紹介。この規模で寺外に持ち出されるのは過去例がないといい、壮観な光景に魅了されます。

正寝殿のうち、後宇多法皇が院政を執ったと伝わる格式高い「御冠の間」の再現展示
重要文化財《牡丹図》(18面のうちの部分)狩野山楽筆 江戸時代・17世紀
重要文化財《松鷹図》(13面のうちの部分)狩野山楽筆 安土桃山~江戸時代・16~17世紀 前期展示

正寝殿の「鷹の間」を飾る《松鷹図》(13面)は、長大な画面内に松の巨木と勇猛な鷹の姿を表した、山楽の水墨花鳥図の代表作。大きくうねる太い幹と蛇行する枝によるダイナミックな躍動感、全体を支配するバランスに、山楽の師・狩野永徳(1543-90)が手掛けた東博所蔵の《檜図屛風》を想起する方もいるでしょう。

重要文化財《紅白梅図》(8面のうちの部分)狩野山楽筆 江戸時代・17世紀

宸殿の「紅梅の間」を飾る、写実と装飾が見事に調和した山楽の最高傑作のひとつ《紅白梅図》(8面)もまた、大樹を画面全体に展開する表現に永徳の影響が感じられます。一方で、いずれも豪放さが際立つ永徳とは異なる柔らかみを帯びた温和な描写となっており、山楽が師の特徴を継承しつつ、様式的個性を洗練させていったことがうかがえます。

重要文化財《野兎図》渡辺始興筆 江戸時代・18世紀
重要文化財《野兎図》(12面のうちの部分)渡辺始興筆 江戸時代・18世紀

正寝殿の屋内縁側を飾る腰障子の板絵《野兎図》(12面)は、狩野派や尾形光琳に学んだ江戸時代中期の画家・渡辺始興(1683-1755)が手掛けたもの。幼くして近衛家から大覚寺に入った卯年生まれの息子を慰めるために近衛家熈が描かせたと伝わっており、伸びやかな野草の間に、後ろ足で耳を描く、寄り添ってくつろぐなど、多様なポーズをとる19羽の兎たちが賑やかに描かれています。

会場内特設ショップでは、《野兎図》の兎たちの愛らしいキーチェーンが販売されていました。(現在は完売)

大覚寺の悠久の歴史、その雅な雰囲気に浸れる特別展「旧嵯峨御所 大覚寺 -百花繚乱 御所ゆかりの絵画-」の開催は2025年3月16日まで。

開創1150年記念 特別展「旧嵯峨御所 大覚寺 -百花繚乱 御所ゆかりの絵画-」概要

会期 2025年1月21日(火)~3月16日(日)

※会期中、一部作品の展示替えを行います。
前期展示:1月21日(火)~2月16日(日)
後期展示:2月18日(火)~3月16日(日)

会場 東京国立博物館 平成館(上野公園)
開館時間 9:30~17:00
※入館は閉館の30分前まで
休館日 月曜日(ただし2月10日、24日は開館)、2月25日(火)
主催 東京国立博物館、大本山大覚寺、読売新聞社、日本テレビ放送網、BS日テレ
お問い合わせ 050-5541-8600(ハローダイヤル)
展覧会公式サイト https://tsumugu.yomiuri.co.jp/daikakuji2025/

※記事の内容は取材時点のものです。最新情報は展覧会公式サイト等でご確認ください。

記事提供:ココシル上野


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【国立科学博物館】特別展「鳥」取材レポート。600点以上の標本が大集合、ゲノム解析による最新研究から鳥の魅力に迫る

国立科学博物館
展示風景

陸上脊椎動物の中で最も多い約1万1000種に分かれ、大空や大地、水中、そして極地まで、地球上のさまざまな環境で繁栄している鳥類。日本における鳥の分類は、日本鳥学会が出版する『日本鳥類目録』に準拠していますが、近年、急速に進展するゲノム解析により明らかになった進化の歴史や系統を踏まえ、今年の9月、12年ぶりに改訂されました。

現在、東京・上野の国立科学博物館で開催中の特別展「鳥 ~ゲノム解析が解き明かす新しい鳥類の系統~」(~2025年2月24日まで)では、最新のゲノム系統による分類に基づきながら、世界の鳥の驚くべき生態など多様な魅力を解説。展示される鳥の標本は600点を超える、国立科学博物館史上かつてない規模感で、初心者から鳥マニア、熱心なバードウォッチャーまで幅広く楽しむことができる内容になっています。

会場入り口では、鳥の「美しさ」と「かわいらしさ」を象徴するような2羽がお出迎え。左からインドクジャク(キジ目)本剥製標本、国立科学博物館蔵 /エナガ(亜種シマエナガ、スズメ目)本剥製標本、国立科学博物館蔵
展示風景

本展の総合監修を務めた西海功さん(国立科学博物館 動物研究部研究主幹)は、開幕に先立って行われた報道内覧会にて、本展開催の意義について次のように話しました。

「鳥は生態系ピラミッドの中で多様な役割を果たしています。たとえば花蜜食の鳥は花粉媒介に、種子食の鳥は種子散布に関係します。巣穴を掘ることができるキツツキは、ムササビやフクロウなど、自分で巣穴を空けられないさまざまな生き物に生息場所を提供し、生物多様性を豊かにしています。そうした鳥たちの中には、近年数を減らしているものも多く、絶滅に瀕しているものも存在します。『鳥』展を開催し、よりいっそう鳥を知り、鳥に馴染んでいただくことは、地球環境を考えていくうえで非常に重要なことだと考えています」

西海さんによれば、鳥は動物の中でも、とくに環境の影響を受けやすいそう。人類活動によってこれまで起きた絶滅は、控えめに見積もっても1,430種に及ぶと推定されており、これは12%の種が絶滅したことを意味します。本展でも序章として、まず「絶滅」をテーマにしたコーナーが設けられており、「何をおいても、鳥をとり巻く現状を知ってほしい」という監修者たちの強い思いが感じられます。

鳥の絶滅に関するコーナーでは、1920年に対馬で採集された雌雄を最期に絶滅した大型キツツキのキタタキなどを展示。
多様に進化した鳥の翼の比較展示。捕食者から急いで逃れるのに適した翼、長距離移動に適した翼など、ひと口に翼といっても、比べてみるとその違いは歴然。
化石骨格標本などの資料から、現生鳥類に至る進化の過程についても解説されています。/デイノニクス 化石骨格標本(レプリカ)、国立科学博物館蔵

およそ2600万年前に生きていた、翼開長が7mにも達する史上最大の飛翔できる鳥「ペラゴルニス・サンデルシ」の実物大生体復元モデルの展示は、本展の見どころの一つ。

ペラゴルニス・サンデルシ 実物大生体復元モデル、国立科学博物館蔵
同上。ペリカンやアホウドリなどの海鳥を思わせる骨格をしていますが、最新の学説ではキジカモ類に属する説が有力なのだとか。

本モデルの監修者である對比地孝亘さん(国立科学博物館 地学研究部研究主幹)は、「現状わかっている範囲で、史上最大の空を飛んでいた鳥ということで。鳥のもつ可能性というか、この体の構造から、どこまでの大きさであれば飛べるのかなど、化石から知られるような形の多様性、形の限界の部分を探ってみたいということもあって、復元に挑戦しました」と思いを語っています。

サイチョウ目の展示。アカサイチョウやギンガオサイチョウなど、くちばしの上の犀角(カスク)と呼ばれる突起が個性的な鳥が多数。

本展の一番の魅力は、やはりその標本のボリュームでしょう。

西海さんによれば、国立科学博物館が所蔵する約3,000点の標本から、とくに見栄えが良いものを厳選したそう。国内では唯一の鳥専門博物館である「我孫子市鳥の博物館」や姫路博物館などの協力も得て展示される、600点以上におよぶ古今東西の鳥たちの標本群は圧巻の一言。「一生分の鳥が見られる⁉」とは本展のキャッチコピーですが、目安として、400種以上の鳥を観察できればバードウォッチャーとしてかなりの経験者といわれるとか。

近年、その愛らしさで人気が高まっているキーウィの姿も。/コマダラキーウィ(キーウィ目)本剥製標本、国立科学博物館蔵
ニューギニア島に分布する体重約2.5kgの世界最大のハト・オウギバトは、レースのような冠羽がまるでクジャクのよう。/オウギバト(ハト目)本剥製標本、国立科学博物館蔵
ガラパゴス諸島に生息し、食物に応じて異なるくちばしの形や体の大きさに進化したダーウィンフィンチ類の、上質なバードカービングがズラリ。

かわいい鳥、個性的な鳥、珍しい鳥。この種類の豊富さであれば、どのような鳥が目当てであっても、間違いなく楽しめるはずです。

「ペンギン大集合」のコーナー

会場は分類学上の「目」ごとにレイアウトされており、なかでも注目してほしいのはペンギン目の展示、「ペンギン大集合」のコーナーです。

ペンギン目の現生種18種のうち11種、15体の標本を展示。ヒナを見守るコウテイペンギンなど、ポーズそのものが個性的な標本がある一方で、何かに興味を引かれたように同じ方向を見つめるケープペンギンとマゼランペンギンのグループなど、配置に物語を感じるものもあります。一つの光景としてまとまりがあり、まるで動物園のような雰囲気が漂っています。

オオウミガラス(チドリ目)本剥製標本、国立科学博物館蔵

見た目はペンギンに似ているけれど系統は全く異なる、チドリ目のオオウミガラスがさりげなく混じっているのも、間違い探しのようで面白いところ。ペンギンの分布は南半球に限定されますが、北極でもオオウミガラスのようなペンギンに似た飛べない鳥が収斂進化(※)していったといいます。

(※)…魚類のサメとほ乳類のイルカ、鳥類の翼とほ乳類のコウモリの翼のように、系統の大きく異なる生物が同じ環境に置かれた際、似たような形質や機能を獲得すること。

オオトウゾクカモメ(チドリ目)本剥製標本、国立科学博物館蔵

「ペンギン大集合」のコーナーの上空に目を向けると、ペンギンの卵やヒナを狙う捕食者であるオオトウゾクカモメが羽を広げ、まさにペンギンたちを狙っている様子。吊り展示は見逃しがちなので、会場では360度、視線を巡らせてみることをおすすめします。

コンドルやオオワシなど、タカ目の標本が顔をそろえる、凛々しさが極まった一角。

また、ゲノム解析による系統研究が本展の骨子となっていますが、展示ではその象徴的な成果として、「目」の大分類にハヤブサ目が立てられたことを紹介。ハヤブサ類は、主に形態の違いを指標とした従来の分類ではタカ目ハヤブサ科とされ、これまでほとんど疑問視されませんでしたが、じつはタカよりも、系統的にはインコ目やスズメ目に近いことが判明したのです。

ハヤブサ(ハヤブサ目)本剥製標本、国立科学博物館蔵
インコ目の展示

なお、ダチョウ目からスズメ目まで44ある「目」ですが、ほぼ全世界に分布しているスズメ目は6,700種余りがいる一方で、アマゾン流域に固有のツメバケイ目は、なんとツメバケイ1種のみと、種数と分布範囲に大きな幅があります。

この1目1種の珍鳥は樹上性で飛翔力が低く、鳥では唯一、木の葉を主食とするユニークな生態をしています。パワフルに空を飛んで獲物を狩る肉食の猛禽類とは正反対なイメージですが、系統的には、このツメバケイ目を通して猛禽類のタカ目やフクロウ目などが生まれた可能性が示唆されているとか。

ツメバケイ(ツメバケイ目)本剥製標本、国立科学博物館蔵

基本的に鳥の「目」は、分岐した年代がほぼそろっており、小惑星の衝突による恐竜の大絶滅があった6600万年前から5000万年前頃までに分岐したグループが「目」となっています。ツメバケイ目は5000万年以上も分岐せず、ただ1種で生き残ってきたのか、1種を残して絶滅してしまったのかは不明ですが、なんともミステリアスな存在です。

国鳥のキジは、これまでユーラシア大陸に生息するコウライキジの亜種とされてましたが、ゲノム解析の結果、日本国有種だと判明。名実ともに「日本の鳥」に。/キジ(亜種シマキジ、キジ目)本剥製標本、国立科学博物館蔵

動物の図解イラストで人気のクリエイター・ぬまがさワタリさんが寄稿している「鳥のひみつ」コーナーも必見です。

同コーナーは、「カッコウの托卵で宿主は滅びないのか?」「鳥にもある“方言”や“言葉”」など23のテーマを設け、最新研究の成果を豆知識的に紹介するもの。ぬまがさワタリさんのイラストは、クスッと笑ってしまうようなユーモアで来場者の理解をサポートしています。

「鳥のひみつ」コーナー、「なわばりを張る損とトク」の展示
「鳥のひみつ」コーナー、「ヒマラヤを越える鳥」の展示

監修者の一人である濱尾章二さん(国立科学博物館 動物研究部研究主幹)は、「本展では、鳥と人との世界の見え方の違いを強調したかった」と話し、同コーナーの「ハトが教えてくれる鳥の“心”」の展示について触れました。

「鳥のひみつ」コーナー、「ハトが教えてくれる鳥の“心”」の展示

そこで紹介されていたのは、日本画と西洋画を区別する訓練を受けたハトに、元の絵を1,024分割してバラバラに配置を入れ替えたスクランブル画を見せるという実験結果です。元の絵が日本画か西洋画か、人にとっては判断することが困難ですが、ハトは初めて見る絵でも容易に区別がついたそう。

「人間は全体を見て特徴を捉えるのが得意で、ハトは細かいところを馬鹿正直にというか、いちいち細かく見て覚える。そういう認知の仕方をしています。つまり、世界の捉え方が違うということです。これは鳩が賢い、賢くないということではなく、ホモサピエンスと鳥とは認知の仕方が違うんだ、違う世界を見ているんだというのがわかるお話です」(濱尾さん)

また、濱尾さんは、鳥のオスとメスの意外なつがい関係に関する展示についても言及しました。「おしどり夫婦」という言葉もあるように、鳥は一夫一妻のつがい関係を結んで、仲良く子育てをするイメージを持っている人もいるでしょう。しかし、たとえばキジ類のオスはつがい関係のメスとの間に子ができると、巣作りや抱卵、子育て、そしてつがいの絆も放棄して、次々に他のメスへ求愛することから、一夫多妻制(あるいは乱婚)であるといわれています。

キジ(キジ目)メス(手前)オス(奥)本剥製標本、国立科学博物館蔵

人間の常識では、「子育てもせずに女を渡り歩くなんて」と眉をしかめたくなる生態ですが、実際はヒナの成熟が早く、子育ては1羽でも事足りるそう。厳しい自然の中で、より多くの子を残すために、それぞれの個体が進化した結果だと濱尾さんは話します。

オーストラリアに分布するセアカオーストラリアムシクイは、実に50%のヒナがつがい外交尾によって生まれるそう。/セアカオーストラリアムシクイ(スズメ目)本剥製標本、国立科学博物館蔵

「このように、我々がもっているイメージ、人間がこう思うから、鳥もこう思うんじゃないかなっていうようなことは、意外と当たっていません。鳥は、厳しい進化の淘汰圧の中で、より多くの子を残すためのあらゆる性質を身に付けてきました。ですので、これは人に結びつけて考えちゃいけないんだなと。本当の鳥の姿を知って、それを愛でるなり、保全を考えていくなりしなければいけないんだな、という想いをもって、このような展示を作っております」(濱尾さん)

ゲノム解析により、従来、私たちが抱いていたイメージとは違った姿が見えてきた鳥たち。彼らがどんな生態的特徴をもち、どんな生活をして、生態系の中でどのような役割を果たしているのか。それを知った私たちは、あらためて彼らにどんな魅力を見出すのか。本展は、ゲノム時代における鳥のイメージのアップデートにうってつけの機会となるでしょう。

 

特別展「鳥 ~ゲノム解析が解き明かす新しい鳥類の系統~」概要

会期 2024年11月2日(土)~2025年2月24日(月・休)
会場 国立科学博物館(東京・上野公園)
開館時間 9:00〜17:00(入場は16:30まで)
休館日 月曜日、11月5日(火)、12月28日(土)~1月1日(水)、1月14日(火)
※ただし、11月4日(月・休)、12月23日(月)、1月13日(月・祝)、2月17日(月)、2月24日(月・休)は開館。
※会期等は変更になる場合がございます。
入場料(税込) 一般・大学生 2,100円、小・中・高校生 600円
※未就学児は無料。
※障害者手帳をお持ちの方とその介護者1名は無料。
※学生証、各種証明書をお持ちの方は、入場の際にご提示ください。
主催 国立科学博物館、日本経済新聞社、BSテレビ東京
お問い合わせ 050-5541-8600(ハローダイヤル)
展覧会公式サイト https://toriten.exhn.jp/

※記事の内容は取材日時点のものです。最新の情報は展覧会公式サイト等でご確認ください。


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【東京国立博物館】特別展「はにわ」取材レポート。兄弟のような5体の「挂甲の武人」が史上初めて一堂に会する

東京国立博物館
展示風景、国宝《埴輪 挂甲の武人》群馬県太田市飯塚町出土 古墳時代・6世紀 東京国立博物館蔵

古墳時代に作られた多種多様な埴輪の中でも最高傑作と呼ばれる国宝《埴輪 挂甲の武人》が、国宝に指定されてから50周年を迎え、これを記念した特別展「はにわ」が、東京国立博物館(以下、東博)で開幕しました。会期は2024年12月8日まで。


展示風景

古墳時代の3世紀から6世紀にかけて盛んに作られた埴輪は、王などの権力者の墓である古墳に並べ置かれた素焼きの造形物です。初期は簡素な筒形でしたが、時代が下ると人物埴輪をはじめ、馬や鳥などの愛らしい動物埴輪、精巧な武具や家を模した象形埴輪など個性豊かに発展。古代人の生活や風習を現在に伝える貴重な資料となっています。

本展では埴輪を中心に、古墳から出土した副葬品などを含めた全国選りすぐりの至宝、約120件が集結。東博では約半世紀ぶりに開催される大規模な埴輪展となります。

第1会場の入口で来場者を出迎えるのは、今や埴輪のアイコンとして認知されている、とぼけた表情が愛らしい《埴輪 踊る人々》です。日本列島で独自に出現、発達した埴輪は、服や顔、しぐさなどの表現を簡略化し、丸みをもつといった特徴がありますが、その独特の「ゆるさ」がつまった代表的作品。儀礼に際して踊る姿を象ったものとされ、東博のマスコットキャラクターである「トーハクくん」のモデルにもなっています。

《埴輪 踊る人々》埼玉県熊谷市 野原古墳出土 古墳時代・6世紀 東京国立博物館蔵

1930年に埼玉県熊谷市の野原古墳から出土した際、すぐに修理復元されましたが、近年は劣化が著しく貸し出しもできない状態になっていたそう。そこで、東博と文化財活用センターがクラウドファンディングなどで寄附をつのり、2022年10月から解体修理を実施。2024年3月に修理を終え、本展が修理後初のお披露目の機会となります。

修理を経て変わった点はいくつかありますが、最も大きな変化はその赤みの強さでしょう。クリーニングの際に、土に埋まっている中で付着した土や、長年の展示により堆積した空気中の汚れなどによって、本作が実際よりも黄みが強い色調となっていたことが判明。古い出土品は来歴を示す意味でも、汚れを無理に落とさないケースがしばしばありますが、今回の修復ではあくまで製作当初の姿をイメージできるよう、極力汚れを落とすことにしたといいます。こうして現れた本来の色は、まさに北関東でよく見られるような、火山性の鉱物を含む鉄分の多い赤っぽい焼け色であるとのこと。

そんな《埴輪 踊る人々》ですが、東博の山本亮研究員によると、最近では「踊っているのではなく、じつは馬を曳いている姿では?」という説も有力視されているとか。

《埴輪 踊る人々》の前で作品解説をする山本研究員。手前の埴輪の腰部には紐や鎌が見えます。

片手を挙げるポーズをとった埴輪は、もともと馬と一緒に発掘されるケースが多いこと。また、背の低いほうの埴輪の腰に提げたねじり紐は手綱を、背中に背負った鎌は馬の餌となる牧草を刈るためのものを表している、という可能性が根拠にあるようです。もし馬曳きだったとしたら、長年「踊る人々」で親しんでいたぶん、少し残念な気もしますが……。

「一方で、もともとの埴輪から発展して、意味が変わるということもよくあることではあります。本展では埴輪群像と呼んでいますが、違う種類の埴輪を組み合わせて、たとえば狩人の埴輪と鹿や猪の埴輪で狩りの場面を表現するなど、いろんなストーリーを表すものがあります。ですから、埴輪の組み合わせによっては今まで言われてきたとおり、踊っている場面を表現した可能性もまだまだ残っています」と語った山本研究員。今後の研究が待たれます。

続く「王の登場」と題された展示コーナーは、展示品がすべて国宝のみで構成されている贅沢な空間。

国宝《金象嵌銘大刀》奈良県天理市 東大寺山古墳出土 古墳時代・4世紀〔刀身:中国 後漢時代・2世紀〕 東京国立博物館蔵

古墳では、埴輪とともに豪華な副葬品が見つかることがあります。たとえば、古墳時代前期(3~4世紀)では王が卑弥呼のように司祭者的な役割を果たしていたため、青銅製の鏡や貴重な石材で作った腕飾型の宝器などが多く出土しています。

展示では、4世紀後半に築造された東大寺山古墳から出土した、他に例を見ない装飾の柄頭をもつ国宝《金象嵌銘大刀》を紹介。日本出土の銘文刀剣として最古のものと知られる本作は、まさに卑弥呼が中国王朝から譲り受けたとする研究者もいるようです。

上から国宝《衝角付冑》、国宝《頸甲》、国宝《横矧板鋲留短甲》熊本県和水町 江田船山古墳出土 古墳時代・5~ 6世紀 東京国立博物館蔵

朝鮮半島の動乱期を受けて、王が武人的な性質を強めた古墳時代中期(5世紀)では武具類が目立つように。ヤマト王権の中央集権的な性格が強まり、乗馬の風習がより広まった古墳時代後期(6世紀)になると、煌びやかに王やその馬を飾り立て、権威の高さを示す金銅製の装身具などが登場します。

国宝《金製耳飾》熊本県和水町 江田船山古墳出土 古墳時代・5~ 6世紀 東京国立博物館蔵
国宝《金銅製鈴付大帯》群馬県高崎市 綿貫観音山古墳出土 古墳時代・6世紀 文化庁蔵(群馬県立歴史博物館保管)

このように、副葬品は王の役割の変化と連動するように移り変わっていたため、それらを概覧することで、埴輪が作られた時代の文化や風習がどのように変遷したのかも窺うことができます。

古墳に埴輪を立てる風習は、ヤマト王権との関係を軸に、古墳文化の中心地であった近畿地方から北限は岩手県、南限は鹿児島県まで日本列島各地へ普及。それらの埴輪は地域ごとの習俗の差、技術者の習熟度、大王との関係性の強弱によって、大王墓の埴輪と比較しても遜色ない精巧なもの、地域色あふれる独自性の強いものなど、発展の中で表現に個性が出ていきました。「埴輪の造形」の展示コーナーでは、そうした多岐にわたる造形の展開に焦点を当てています。

《模造 船形埴輪》原品:三重県松阪市 宝塚1号墳出土 古墳時代・5世紀/平成時代・21世紀 文化庁蔵(九州国立博物館保管)
《馬形埴輪》三重県鈴鹿市 石薬師東古墳群63号墳出土 古墳時代・5世紀 三重県蔵(三重県埋蔵文化財センター保管)

たとえば、三重県鈴鹿市の石薬師東古墳群から出土した《馬形埴輪》は、まっすぐ伸ばしたたてがみか、被りものか、独特の頭部の表現は全国的に見ても類例のない珍しいもの。茨城県出土と伝えられる《埴輪 あごひげの男子》は、巻き毛のような美豆良やとんがり帽子が絵本に出てくる妖精のよう。こうした長いあごひげをもつ埴輪は、6世紀代の極めて地域色が強い作例として知られています。

《埴輪 あごひげの男子》伝茨城県出土 古墳時代・6世紀 東京国立博物館蔵

密かに来場者の注目を集めていたのは、円筒埴輪になぜか顔面の表現が施された《顔付円筒埴輪》です。

手前が《顔付円筒埴輪》群馬県前橋市 中二子古墳出土 古墳時代・6世紀 群馬・前橋市教育委員会蔵(大室はにわ館保管)

円筒埴輪のルーツは、弥生時代に吉備地域(現在の岡山県域)で祭器として用いられた、壺をのせる台として作られた特殊器台と呼ばれる土器であり、そこに顔がつく由来はありません。埴輪の誕生から消滅まで主流であり続けた円筒埴輪ですが、顔面のある円筒埴輪の出土例は、群馬県玉村町の下郷天神塚古墳や栃木県足利市の行基平山頂古墳など、北関東を中心にわずか数例が認められる程度であるそう。「ただの筒形じゃつまらない」と考えた埴輪職人の遊び心だったのでしょうか?

第2会場に入ると、いよいよ本展のハイライトである「国宝 挂甲の武人とその仲間」の展示コーナーが現れます。

展示風景

東博が所蔵する《埴輪 挂甲の武人》は、群馬県太田市で出土し、埴輪として初めて国宝に指定されたものです。本作と同じ工房で制作されたと考えられる類似の武人埴輪のうち、完全な形で復元されたものが他に4体存在しますが、本展ではそれらの“兄弟”たち、全5体を史上初めて一堂に展示。うち1体は、現在アメリカのシアトル美術館が所蔵しているため、比較して楽しめる貴重な機会となっています。

国宝《埴輪 挂甲の武人》群馬県太田市飯塚町出土 古墳時代・6世紀 東京国立博物館蔵

東博所蔵品は細部まで立体的、かつ精巧な造りをしており、頭から足先まで全身を防具で覆い、左手に弓を、右手に太刀を持ち、背には靫(ゆぎ/矢入れ具)を背負った姿。ちなみに挂甲とは、上半身に表現されている小さな鉄板を綴じ合わせた防具のことを指します。

「これほど厳重に鎧を身に付けている埴輪は他に例がない」と語ったのは、東博の河野正訓研究員です。

「こうした『挂甲の武人』は6世紀後半に作られたものです。6世紀前半までは当時の文化の中心であった近畿地方が埴輪づくりをリードして、地方がそれを真似る、ということが行われていました。仏教が入ったことで価値観が変化し、次第に近畿では前方後円墳づくり、埴輪づくりが衰退していくのですが、6世紀後半になっても群馬にはまだその影響は及ばず、盛んに埴輪がつくられていたんです。群馬は異常なほど埴輪づくりに熱心で、非常に巧みな技術を習得して、日本を代表するような埴輪をたくさん残しています」

重要文化財《埴輪 挂甲の武人》群馬県太田市成塚町出土 古墳時代・6世紀 群馬・(公財)相川考古館蔵

5体の「挂甲の武人」は表情も含めて非常に似た姿形をしていますが、よく観察すると背負った矢入れ具が靫ではなく、靫より後に登場した胡籙(ころく)であったり、下半身に身に付けているのが防具ではなく袴であったりと差異も見られます。最も古い東博所蔵品、群馬の相川考古館所蔵品から、最も新しい奈良の天理大学附属天理参考館所蔵品へと、細かな表現の省略化が進んでいっている点も見逃せません。

重要文化財《埴輪 挂甲の武人》群馬県太田市世良田町出土 古墳時代・6世紀 奈良・天理大学附属天理参考館蔵

また、本展について河野研究員は「ただの名品展にはしたくない、最新の研究成果をわかりやすく皆様にお伝えしたいという思いが強く、研究成果に照らし合わせて構成も考えました」と話し、その最たる事例として同館所蔵の「挂甲の武人」の彩色復元展示を挙げました。科学分析と詳細な肉眼観察の結果、全面的に白、赤、灰色の3色で塗り分けられていたことが判明。従来のイメージが大きく覆されることになりました。

《埴輪 挂甲の武人(彩色復元)》原品:群馬県太田市飯塚町出土 古墳時代・6世紀/ 制作:文化財活用センター 令和5年(2023) 東京国立博物館蔵

展覧会の終盤、「物語をつたえる埴輪」のコーナーでは、人物や動物など複数の埴輪を組み合わせてさまざまな物語を表現した、先述の「埴輪群像」に着目。亡き王の道徳をたたえ、新たな王への忠誠を誓う公式的な拝礼場面を表す「ひざまずく男子」や、四股を踏んで古墳が築かれる土地の邪気を払う相撲の力士など、物語の中でそれぞれの埴輪が分担した役割について紹介しています。

左から重要文化財《埴輪 ひざまずく男子》群馬県太田市 塚廻り4号墳出土 古墳時代・6世紀 文化庁蔵(群馬県立歴史博物館保管)/重要文化財《埴輪 ひざまずく男子》茨城県桜川市青木出土 古墳時代・6世紀 大阪歴史博物館保管
左から《埴輪 力士》福島県泉崎村 原山1号墳出土 古墳時代・5世紀 福島・泉崎村教育委員会蔵/《埴輪 力士》神奈川県厚木市 登山1号墳出土 古墳時代・6世紀 神奈川・厚木市教育委員会蔵(あつぎ郷土博物館保管)/《埴輪 力士》大阪府高槻市 今城塚古墳出土 古墳時代・6世紀 大阪・高槻市立今城塚古代歴史館蔵
重要文化財《家形埴輪》大阪府八尾市 美園古墳出土 古墳時代・4世紀 文化庁蔵(大阪府立近つ飛鳥博物館保管)

また、ここでは愛らしい動物埴輪も大集合。動物埴輪の中で最も多く製作されたのは権力の象徴であった馬ですが、ほかに夜明けを告げる鶏、狩猟場面を構成する鹿、猪、犬なども王権儀礼に関連してつくられていたとのこと。一方で、一部の水鳥や魚などは自然の動物を素直に写したものと推測されており、古代人たちの自然な造形意識の発露を感じられます。

展示風景
《鹿形埴輪》静岡県浜松市 辺田平1号墳出土 古墳時代・5世紀 静岡・浜松市市民ミュージアム浜北蔵
《水鳥形埴輪》埼玉県行田市埼玉出土 古墳時代・6世紀 東京国立博物館保管

それぞれの所蔵先のエース級の名品を集めるため、約5年の準備期間をかけて奇跡的に実現したという大規模な埴輪展。ぜひこの機会に、埴輪の世界の奥深さをあらためて体感してみてはいかがでしょうか。

 

※本展では、一部の作品を除き、展示室内で写真撮影ができます。

挂甲の武人 国宝指定50周年記念 特別展「はにわ」概要

会期 2024年10月16日(水)〜12月8日(日)
会場 東京国立博物館 平成館
開館時間 9:30〜17:00

※毎週金・土曜日、11月3日(日)は20:00まで開館
※入館は閉館の30分前まで

休館日 月曜日

※ただし11月4日(月)は開館
※11月5日(火)は本展のみ開館

観覧料(税込) 一般 2,100円、大学生 1,300円、高校生 900円

※中学生以下、障害者とその介護者1名は無料。入館の際に学生証、障害者手帳等をご提示ください。
※本展チケットで、当日に限り、総合文化展もご覧いただけます。(11月5日(火)は本展のみ開館)
そのほか、詳しくは展覧会公式サイト等でご確認ください。

主催 東京国立博物館、NHK、NHKプロモーション、朝日新聞社
問い合わせ 050-5541-8600(ハローダイヤル)
展覧会公式サイト https://haniwa820.exhibit.jp/

※記事の内容は取材時点のものです。最新情報は展覧会公式サイト等でご確認ください。


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【国立西洋美術館】「モネ 睡蓮のとき」取材レポート。過去最大規模で〈睡蓮〉が集結、晩年の瞑想的な色彩の世界を体感する

国立西洋美術館
「モネ 睡蓮のとき」展示風景、国立西洋美術館 2024-2025年

印象派を代表する画家・クロード・モネの晩年の作品と、その表現の変化に焦点を当てた展覧会「モネ 睡蓮のとき」が、東京・上野の国立西洋美術館で開幕しました。会期は2025年2月11日まで。


同一のモティーフを異なる季節や天候のなかで観察し、刻々と変化する印象や光の動きを複数のカンヴァスで描きとめる「連作」の手法を確立したことでも知られるクロード・モネ(1840-1926)。1890年、50歳になったモネは、フランスの小村ジヴェルニーの土地と家を買い取り、数年をかけて睡蓮の池のある「水の庭」を造成します。この睡蓮の池に周囲の樹木や空、光が一体となって映し出される水面が、晩年のモネにとっての最たる創造の源になりました。

本展は、最初期の貴重な〈睡蓮〉の作例から、モネの心を最期まで占めていた「大装飾画」の制作過程で生み出された大画面の〈睡蓮〉など、〈睡蓮〉連作を中心にモネの集大成となる晩年の芸術表現を紹介するもの。

会場には、世界最大級のモネ・コレクションを誇るパリのマルモッタン・モネ美術館より、日本初公開7点を含む48点の絵画が来日。国立西洋美術館の松方コレクションをはじめ、日本国内に所蔵される名画も加えた計66点を展示しています。

会場入口

会場の入口にある大きく引き伸ばされた写真は、帽子を被ったモネの頭部が睡蓮の池に写っている様子を残したもの。本展の報道内覧会に立ち会ったマルモッタン・モネ美術館コレクション部長・文化財主任学芸員であるシルヴィ・カルリエさんは、「モネの視点を通して、モネとともにゆるやかに水の風景や水辺に生息する植物たちの中を進んでいく、この展覧会の全体の意図を視覚的に見せるものです」 と語っています。

クロード・モネ《舟遊び》1887年、国立西洋美術館(松方コレクション)

本展は4つの章とエピローグによって構成されています。第1章「セーヌ河から睡蓮の池へ」では、〈睡蓮〉に着手する以前、1890年代後半のモネの主要な創造源であったロンドンやセーヌ河の風景を描いた作品を紹介。モネがいかにして水というモティーフ、そして水面に映し出される光や反射像が織りなす効果に探求心を傾けていったのかを見せています。

左からクロード・モネ《セーヌ河の朝》1897年、ひろしま美術館/《ジヴェルニー近くのセーヌ河支流、日の出》1897年、マルモッタン・モネ美術館、パリ
クロード・モネ《テムズ河のチャーリング・クロス橋》1903年、吉野石膏コレクション(山形美術館に寄託)

また、モネが初めて〈睡蓮〉を描いたのは1897年とされていますが、第1章にはその最初期の〈睡蓮〉と推定される貴重な作例も展示しています。

左からクロード・モネ《睡蓮》1897–1898年頃、鹿児島市立美術館/《睡蓮、夕暮れの効果》1897年、マルモッタン・モネ美術館、パリ

後年の連作とは対照的に、樹木や空が反射する水面ではなく睡蓮の花自体をクローズアップ。細やかな筆致で写実的な要素を残しながら物体のフォルムが描かれており、抽象化が進むその後の表現との比較も楽しめます。

クロード・モネ《 睡蓮》1903年、マルモッタン・モネ美術館、パリ

19世紀末のフランスでは装飾芸術がかつてない隆盛を見せ、モネもまた1870年代の印象派時代に本格的な装飾画を手掛けました。やがて、1890年代を通じて連作の展示効果を追求する中で、睡蓮という一つの主題のみからなる装飾画で展示空間を埋め尽くす「大装飾画(Grande Décoration)」を構想。白内障を患いながらも1914年から精力的に取り組みはじめ、最終的にパリにあるオランジュリー美術館の展示室をぐるりと覆う8点の巨大な装飾パネルの形で結実することになります。

最終的に水と睡蓮、柳の木といったモティーフに収束したものの、当初は大の園芸愛好家であったモネらしく、池の周囲に植えられた多種多様な花々も取り入れられる計画でした。第2章「水と花々の装飾」では、構想の中で重要な一角をなしていた、池にかかる太鼓橋に這う藤や岸辺に咲くアガパンサスなどを扱った作品を展示しています。

左右ともにクロード・モネ 《藤》1919–1920年頃、マルモッタン・モネ美術館、パリ

クロード・モネ《アガパンサス》1914–1917年頃、マルモッタン・モネ美術館、パリ

アイリスもモネがとりわけ好んでいた花であり、1914年以降に手掛けられた花々の習作のうち、アイリスを描いた作品は睡蓮に次いで最も多く、点数は20を数えます。《黄色いアイリス》は一見、虫や魚の目線でアイリスを見上げているような構図に感じられますが、実際は真横からとらえたアイリスと、空が映し出された池の水面を見下ろす二つの異なる視点が組み合わされたもの。モネはこうした、鑑賞者の認識を揺さぶる絵画空間をめぐる探求に余念がありませんでした。

《黄色いアイリス》1924–1925年頃、マルモッタン・モネ美術館、パリ

第3章「大装飾画への道」は、大装飾画の制作過程で生み出された〈睡蓮〉の数々のうち、とくに完成形と関連が深い大型作品ばかりを9点展示。オランジュリー美術館の展示室にイメージを寄せた楕円形の展示空間で〈睡蓮〉に囲まれ、どこまでも広がる瞑想的な色彩の世界と一体化できる本展のハイライトです。なお、このエリアでは特別に写真撮影も可能です。

「モネ 睡蓮のとき」展示風景、国立西洋美術館 2024-2025年
左からクロード・モネ《睡蓮》1916–1919年頃、マルモッタン・モネ美術館、パリ/《睡蓮》1916年、国立西洋美術館(松方コレクション)

9点のうち2点は、1914年以降の制作において重要なモティーフとなった雲の反映が存在感を示しています。一方は、ほのかにオレンジに染まる白い雲が中心となり、青空と明瞭なコントラストをなす様子が特徴的。奔放な筆致で描かれた睡蓮の葉や枝垂れ柳が画面の上下左右に伸び、生き生きとした印象を受けます。

クロード・モネ《睡蓮》1916–1919年頃、マルモッタン・モネ美術館、パリ
クロード・モネ《睡蓮》1914–1917年頃、マルモッタン・モネ美術館、パリ

こうしてモネが雲の反映を重視するようになったのは、ポプラや柳の木々といった大地に結びつく要素と合わせ、池の水面の上で天と地が一体となる感覚を強めようとしたため、という見方もあるようです。

なお、巨大な装飾パネルの制作は、モネが新たに建設した広大なアトリエにおいて戸外で描いた習作をもとに取り組まれました。自然の印象の記憶を内面化し、カンヴァスの上に再構成するプロセスを経て、モネの芸術は網膜に映る現実から離れ、より内的なイメージへと変容していきます。

第4章「交響する色彩」では、死の間際まで続いた大装飾画の制作と並行して手掛けられた小型の連作群を紹介。睡蓮の池にかかる日本風の太鼓橋や、「水の庭」に隣接する「花の庭」のバラのアーチがある小道などがモティーフとなっています。

左からクロード・モネ《日本の橋》1918–1919年頃、マルモッタン・モネ美術館、パリ/《日本の橋》1918–1924年頃、マルモッタン・モネ美術館、パリ

進行する白内障により視力が低下したためか、作品からは次第に遠近感が失われ、平面的な広がりを見せるようになります。色覚も変調をきたし、あるときには黄と緑が彼の世界を支配し、あるときにはそれ以外の色がすべて青みを帯び、とくに赤が濁って見えていたそう。1923年から3度にわたる手術を経て視力はある程度回復しましたが、そのさなかに描かれた〈日本の橋〉連作は、モティーフの判別がつかないほど色調がもつれ、輪郭は溶け、筆触も濃密に絡まり合っています。

クロード・モネ《日本の橋》1918–1924年頃、マルモッタン・モネ美術館、パリ

第1章で見た繊細な表現を振り返ると、歴然とした差に驚くはず。筆を叩きつけるように執拗に色を塗り重ねている様子は、モティーフの実在を刻み込むようでもあり、視力の低下、色彩の欠乏という画家として致命的になりかねない障害に対する恐怖心の表れのようにも感じられます。

クロード・モネ《ばらの小道、ジヴェルニー》1920–1922年頃、マルモッタン・モネ美術館、パリ

しかし、実のところモネは、こうした一見すると迷走期の産物と見なせそうな最晩年の連作を、最期まで手元に残していました。気に入らないものは容赦なく破棄する完璧主義者であったことを考えると、むしろモネの経験から培われた色彩感覚に基づく、豊かな実験精神の成果と判断することもできるでしょう。

左はクロード・モネ《ばらの庭から見た画家の家》1922–1924年頃、マルモッタン・モネ美術館、パリ

エピローグ「さかさまの世界」では本展の締めくくりとして、大装飾画の習作として制作された、枝垂れ柳を描いた作品2点を展示。最愛の家族の死や第一次世界大戦といった多くの困難に直面したモネの晩年にあって、これらの枝垂れ柳は、涙を流すかのような姿から悲しみや服喪を象徴するモティーフとしても解釈されます。

左からクロード・モネ《枝垂れ柳と睡蓮の池》1916–1919年頃、マルモッタン・モネ美術館、パリ/《睡蓮》1916–1919年頃、マルモッタン・モネ美術館、パリ

モネは大装飾画の構想において、始まりも終わりもない無限の水の広がりに鑑賞者が包まれ、安らかに瞑想することができる空間を目指していました。この《睡蓮》もまた、画面の左半分を占める枝垂れ柳の実像と虚像の境界が極めて曖昧になっていることで、静けさに満ちた永遠の世界というものを感じさせます。

新しい空間のとらえ方によって、西洋絵画の伝統的な遠近法にもとづく世界観を覆した晩年のモネ。衰えることのない制作衝動によって印象派を超えた、その画業の豊かな展開を体感できる展覧会「モネ 睡蓮のとき」をぜひお見逃しなく。

「モネ 睡蓮のとき」開催概要

会期 2024年10月5日[土]-2025年2月11日[火・祝]
会場 国立西洋美術館(東京・上野公園)
開館時間 9:30 〜 17:30(金・土曜日は21:00まで)
※入館は閉館の30分前まで
休館日 月曜日、11月5日[火]、 12月28日[土]-2025年1月1日[水・祝]、1月14日[火]
(ただし、11月4日[月・休]、2025年1月13日[月・祝]、 2月10日[月]、2月11日[火・祝]は開館)
観覧料(税込) 一般 2,300円、大学生 1,400円、高校生 1,000円

*中学生以下、心身に障害のある方及び付添者 1 名は無料。
*大学生、高校生及び無料観覧対象の方は、入館の際に学生証または年齢の確認できるもの、障害者手帳をご提示ください。
*観覧当日に限り本展の観覧券で常設展もご覧いただけます。

そのほか、詳細は展覧会公式サイトでご確認ください。

主催 国立西洋美術館、マルモッタン・モネ美術館、日本テレビ放送網、読売新聞社、BS日テレ
問い合わせ 050-5541-8600(ハローダイヤル)
展覧会公式サイト https://www.ntv.co.jp/monet2024/

※記事の内容は取材時点のものです。最新情報は展覧会公式サイト等でご確認ください。


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【朝倉彫塑館】特別展「ワンダフル猫ライフ 朝倉文夫と猫、ときどき犬」取材レポート。猫好きの彫刻家が切り取った愛くるしい日常

台東区立朝倉彫塑館
展示風景、左から朝倉文夫《猫(金メタリコン)》1914年、《原題不明(背伸びする)》1919年頃

日本近代彫刻界をけん引した彫刻家であり、愛猫家としても知られる朝倉文夫。彼の猫をモチーフとした彫刻作品を一堂に集めた、朝倉文夫没後60年特別展「ワンダフル猫ライフ 朝倉文夫と猫、ときどき犬」が、台東区立朝倉彫塑館にて開催中です。会期は2024年12月24日(火)まで。

※紹介している作品はすべて朝倉彫塑館所蔵です。

朝倉彫塑館
展示風景、手前は左から朝倉文夫《餌ばむ猫》1942年、《眠り》1945年

彫刻家 朝倉文夫(1883-1964)は、対象のあるがままの姿を写しとる「自然主義的写実」の表現を徹底して探求する姿勢から、《墓守》や《大隈重信像》といった肖像彫刻の傑作を生みだし、1948年には彫刻家として初めて文化勲章を受章。制作のかたわら、首席で卒業した東京美術学校(現東京藝術大学美術学部)で教鞭をとったほか、アトリエ兼住居であった朝倉彫塑館で「朝倉彫塑塾」を主宰するなど、後進の育成も熱心につとめました。

そんな朝倉は、無類の愛猫家としても知られ、一時は19匹もの猫を邸宅で飼っていたといいます。ときに飼い猫たちをモデルにしながら、猫の彫刻もほぼ生涯にわたって制作。1964年には自身の彫刻家人生60年と東京オリンピックの開催を記念し、猫のさまざまな姿を捉えた「猫百態展」を企画します。

しかし、オリンピックを目前にした4月に、病により享年81歳で死去し、「猫百態展」の開催は叶わずじまいに。その夢は関係者たちに引き継がれ、終の住処であった朝倉彫塑館で1994年と2017年に特別展として実現しました。

今回の特別展「ワンダフル猫ライフ 朝倉文夫と猫、ときどき犬」もまた、「猫百態展」と同様に、猫作品に焦点を当てたものですが、過去の展覧会と異なるのはその展示方法です。

「猫の作品をただ並べるだけではなく、ここ(朝倉彫塑館)で朝倉が猫たちとどう過ごしたのか、猫たちの生活はどのようなものだったかを意識しながら展示しました」と話すのは、朝倉彫塑館の主任研究員・戸張泰子さん。

左から朝倉文夫《墓守》1910年、《原題不明(眠る)》制作年不詳/ 大きな窓から陽光が降り注ぐなか座布団で眠る猫を、朝倉に代わって代表作《墓守》が微笑みながら見下ろしている心温まる構図。
朝倉文夫《追羽子》1919年/ はねつきのはねを目で追う猫の前方を確認すると、実際にはねが宙を舞っているなど細かな演出も。

あまり知られていませんが、朝倉は猫だけではなく犬も飼っていました。愛犬をモデルにした作品は確認できませんが、少数ながら犬の作品も制作しており、それらも加えてより賑やかに、かつての暮らしをイメージしやすい展示を心がけたとのこと。

朝倉文夫《スター》1920年

出展作品は、猫のブロンズ像を中心に、猫のスケッチや猫に関する直筆の俳句などを加えた53点。朝倉にとって重要な制作の手段であった写真もあわせて紹介されています。

メインの展示空間であるアトリエに入ってまず来場者を出迎えるのは、出品記録に残るものとしては最も初期の猫作品、《吊された猫》(1909)です。

朝倉文夫《吊された猫》1909年

第3回文展に出品された、当時としては斬新な構図の作品で、猫の首をつまみ上げる力の入った腕と、猫のぶらりと弛緩した体の対比が見どころです。もの言いたげな猫の表情には思わず笑みが浮かびました。よく見れば猫の後足がわずかに緊張している様子で、東京美術学校を卒業して間もない若き朝倉がすでに持ち得た、対象を捉える鋭い観察眼、そして卓越した表現力を感じることができます。

戸張さんによれば、本作のような他愛のない日常を写しとった小品を文展に出品したという事実を、朝倉と親交のあった彫刻家であり、忌憚のない美術評論家でもあった高村光太郎が評価したエピソードがあるそう。

「それまでの文展というと、人体の美を追求したものや、抽象的なテーマを表現した具象人体などが、もっと等身の大きな作品として多く出品されていました。そのような状況にあって、猫をただの猫として扱ったことを高村は評価しました。朝倉はこうした日常の場面を切り取った小品でも作品として成立するのだと、高村の言葉から自信を得たように思います。だからこそ朝倉は、猫の作品を生涯作り続けたのかもしれません」(戸張さん)

左から高村光太郎《手》1918年、朝倉文夫《腕》1909年頃

一方で高村は、本作における腕の表現の硬さを指摘したといいます。同年制作されたと思しき《腕》(1909年頃)は、いずれの展覧会にも出品の記録が残っていない点からも、朝倉が高村の批評を真摯に受け止め、練習として制作したものと考えられているとか。

会場では《腕》のほか、その10年後に高村光太郎によって制作された《手》(1918)も併置。留学資金を集める高村に対して朝倉が「手一本でも足一本でも」とかつての批評にも通じる言葉で、素性を明かさずに自由な制作を依頼したものです。それだけでも高村にはピンとくるものがあったのか、結局は朝倉からの依頼だとバレたそう。二人の彫刻家としての交流の様子がうかがえる展示となっています。

朝倉文夫《よく獲たり》1946年

《吊された猫》から約40年後に制作された後期の作品《よく獲たり》(1946)に視線を移すと、その技巧の洗練ぶりに驚きます。ネズミをくわえた一瞬の、首周りの筋肉のこわばり、どう猛な顔つき、抵抗するネズミの動きに備えている前足のバランス感。この後に飛び降りる様子まで容易に想像できるリアルさは、まるで実際にその瞬間の猫を型で取ったかのようです。

猫の気まぐれな動きや気質、そのすべてを好んでいたという朝倉は、猫独特のしなやかな動きを生み出す骨格にも強い関心を払っていたそう。骨格標本で勉強していたのはもちろん、「(朝倉の)お嬢さんがおっしゃるには、朝倉はいつも猫を膝の上にのせて撫でていましたが、それはかわいがるためだけではなく骨格や筋肉の付き方を探り、確かめるためだったのではないかということです」と戸張さん。厳格な写実主義を追求した朝倉らしさがあふれるエピソードです。

《骨格標本(猫)》/朝倉が参考にしていたさまざまな骨格標本も展示。あまりに猫に詳しいので「猫博士」と呼ばれたことも。

同じ眠る姿でも、前足に頭をうずめているか否か、耳やしっぽの形が異なる様子なども忠実に表現。そのほか、伸びをしたり、子猫に乳を与えたり、子猫どうしで寄り添ったりと、猫たちのポーズのバリエーションはじつに豊かです。

朝倉文夫《親子猫》1935年

一見、ただ座っているだけに見える《産後の猫》(1911)は、南洋での視察を終えて家に帰った朝倉を、二日前に子供を生んだばかりの飼い猫が出迎えたときの様子を作品にしたもの。くたびれたようなうつむき加減です。

朝倉文夫《産後の猫》1911年

朝倉は、出産の疲労を訴えるとともに、仔猫の生まれた悦びを報告するように膝に甘えてくる愛猫の姿に、制作意欲をかき立てられたそう。他の猫作品と比べて細部の表現のデフォルメが多い理由について、戸張さんは「猫の姿というより、猫の感情、疲れや悦びそのものを捉えようとしていたのかも」との見解を示しました。

朝倉文夫《愛猫病めり》1958年

一方で、痩せて皮膚がたるみ、毛艶もなくなった愛猫がお尻を上げて痛みに耐えている姿を捉えた晩年の《愛猫病めり》(1958)は、他の作品に見られるある種のやわらかさがそぎ落とされ、目をそらしたくなるような病や死にも正面から向き合う芸術家としての覚悟と悲哀を感じさせるものでした。

朝倉にとって猫作品は、依頼を受けて制約の中でつくる肖像彫刻などとは異なり、肩の力を抜いて自由に、自身の創作意欲にまかせてつくるものであったようです。題材として扱いやすいとはいいがたい姿をあえて造形化しているのも、愛おしい記憶ごと写真や日記のように残したいという、愛猫家としての率直な想いによるものなのでしょうか。そうした姿勢は、朝倉の猫作品がもつ魅力の源にもなっています。

朝倉文夫《たま(好日)》1930年/ 朝倉になった気分で猫作品に触ることができる展示も。
朝倉文夫《たま(好日)》1930年/《たま(好日)》に関しては石膏原型との比較も楽しめます。

そのほか会場では、朝倉のブロンズ作品にまつわる、ガス型鋳造と呼ばれる制作工程を紹介した17分ほどの動画も上映中。まず粘土で作品をつくり、石膏で型取りして原型をつくり、さらにそれを元にブロンズに……と一言で表すのは簡単ですが、実際の作業はまさに職人技。気が遠くなるほど細かなプロセスを経て展示作品が出来上がっていることがわかるため、鋳造の工程をイメージしにくい方は必見です。

本展開催のきっかけについて、戸張さんは「だんだん朝倉のことを知らない人も増えてきたことから、朝倉と朝倉の作品に親しみをもってもらおうと企画しました」と話します。

朝倉の優れた造形力や観察眼、そして猫に対する深い愛情をたっぷりと感じられる本展は、まさに朝倉の魅力を知る入門編にぴったり。猫好きにはたまらない、生き生きと微笑ましいポーズをとる猫たちの姿をぜひ一度、鑑賞してみてはいかがでしょうか。


なお、会場である朝倉彫塑館も非常に魅力的な建物ですので、いくつか見どころをご紹介します。

朝倉は東京美術学校を卒業した1907年、24歳のときに谷中に自らが設計したアトリエと住居を構えます。一流の職人たちの手を借りながら、敷地の拡張や増改築を繰り返し、現在の朝倉彫塑館の建物が完成したのは1935年のこと。2001年に建物が国の有形文化財に登録され、2008年には敷地全体が「旧朝倉文夫氏庭園」として国の名勝に指定されました。アトリエ棟は鉄筋コンクリート造、住居棟は木造の数寄屋造という個性的な構成ですが、朝倉の優れた美的感覚で異なる素材を違和感なく調和させています。

アトリエ

普段から作品を展示しているアトリエは天井高が8.5mもあり、足を踏み入れるとまずその開放感に驚くはず。フロアの西側には3.78mにも及ぶ《小村寿太郎像》(1938)が置かれているのですが、まったく圧迫感がありません。

芸術家のアトリエというと窓は北側がセオリーですが、朝倉彫塑館のアトリエは北・東・南の三方に窓があり、非常に明るいのが特徴です。あらゆる角度から自然光を当てて、屋外に置かれることの多い彫刻の見え方を研究するのが目的で、制作時にはカーテンで光量を調節していたとのこと。また、北側上部の大きな窓に緩やかなアール(曲線)がついているのは、影を強くせず、全体に光を行きわたらせるため。壁の素材には温かみのある真綿が使用されているなど、彫刻家としてのこだわりが随所に溢れています。

書斎

アトリエに隣接する書斎もまた吹き抜けになっており、まるで映画のセットのようです。天井にまで届く、三面にわたるガラス扉の本棚に収められた書籍のうち、洋書の多くは美術評論家であり、東京美術学校時代の朝倉の恩師でもあった岩村透の蔵書でした。岩村の没後、古書店などに散逸しつつあった貴重なこれらの資料を、朝倉が自宅を抵当に入れて資金を調達し、買い戻したものだといいます。

半円型の出窓とソファが独特の雰囲気を醸し出す応接。
朝陽の間

客人をもてなしていた3階の大広間「朝陽の間」は、その名のとおり東側に備えられた窓から朝日が差し込む、朝倉彫塑館の中で最も格式の高い一室です。贅沢な和の設えで、上品に輝く赤みを帯びた壁は、高価な赤瑪瑙(めのう)を人力で砕いて塗りこめた瑪瑙壁。わずかに混じる黒曜石が無二の色合いを生み出しています。

天井板は、伊豆天城の地中より掘り出したという神代杉に杉皮の裏張りを施したもの。床の間には松の一枚板、欄間には桐の一枚板と、当時でも貴重だった素材が使用されています。あえて統一感をもたせないところに遊び心もあり、朝倉の美学が感じられる空間です。

五典の池

中庭「五典の池」は水と巨石、樹木で構成されています。四方を建物で囲んだ回廊式であり、どの部屋からでも美しい風景が楽しめる、彫刻家の視点が生かされた造りです。朝倉はここを自己反省の場とし、生き方に迷いが生じたとき、ものの本質を見極めにくくなったときに、清らかな水を眺めて心身を浄化し、さらなる制作にまい進していたそう。

屋上庭園(※天候により閉鎖)

アトリエ棟の屋上には、オリーブの木がある庭園が広がっています。屋上緑化の早い例であるとのこと。

ここではかつて、朝倉彫塑塾の必須科目として園芸実習が行われていました。園芸も塑造も土で命を育む作業であることから、園芸を通じて塾生たちを土に親しませ、対象を見る目を養わせる目的があったそう。現在は一部に菜園が再現され、四季折々の花が楽しめる憩いの場となっています。

庭園の西側に置かれた男性像《砲丸》(1924)は、広い空の下で谷中の街を眺めています。建物に入る前の門から見上げると作品の正面が確認できますので、訪れた際はぜひ屋上を見上げてみてください。

朝倉文夫没後60年特別展「ワンダフル猫ライフ 朝倉文夫と猫、ときどき犬」概要

会期 2024年9月14日(土)~12月24日(火)
会場 朝倉彫塑館(台東区谷中7-18-10)
開館時間 9:30~16:30(入館は 16:00まで)
休館日 月曜日・木曜日(祝休日は開館)
入館料 一般 500円/小・中・高校生 250円
主催 公益財団法人 台東区芸術文化財団、台東区立朝倉彫塑館
TEL 03-3821-4549
朝倉彫塑館HP https://www.taitogeibun.net/asakura/

※記事の内容は取材時のものです。最新の情報と異なる場合がありますので、詳細は公式HPでご確認ください。


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奄美の光に呼応する、画家の内なる魂。【東京都美術館】「田中一村展 奄美の光 魂の絵画ーTanaka Isson: Light and Soulー」(~12/1)内覧会レポート

東京都美術館
報道内覧会に登壇した俳優・小泉孝太郎さん

「神童」と称された幼少期を経て、晩年は奄美の自然を主題とした絵画に没頭した田中一村。

「田中一村展  奄美の光 魂の絵画」では、全身全霊をかけて「描くこと」に取り組んだ一村の生涯をその作品をともに回顧する。

本記事では開催前日に行われた報道内覧会の様子をレポートする。

田中一村、不屈の情熱の軌跡

展覧会場入口

明治41年(1908)に栃木町(現・栃木市)で生まれた田中一村は、幼年期から卓越した画才を示し、神童と称されました。
彫刻師の父から米邨(べいそん)の画号を与えられ、東京美術学校(現・東京藝術大学)日本画科に入学するも、2ヶ月で退学。
昭和22年(1947)に柳一村と画号を改め、《白い花》が青龍展に入選するも、その後はわずかな支援者を頼る制作が続きました。晩年は単身奄美大島へ移住し、奄美の自然を主題とした絵に専念する日々を送りましたが、69才で亡くなります。

没後の昭和54年(1979)、有志により奄美で遺作展が開催され、異例となる3千人もの動員を記録。メディアがその模様を紹介したことにより、熱狂とともにその生涯や作品が全国に知られることとなりました。

「田中一村展 奄美の光 魂の絵画ーTanaka Isson: Light and Soulー」では奄美で描いた代表作《不喰芋(くわずいも)と蘇鐵》《アダンの海辺》はじめ、未完の大作も展示。絵画作品を中心に、スケッチ・工芸品・資料を含めた250件を超える作品で、一村の画業の全貌に迫ります。

最大規模の大回顧展

展示会場風景
絵画作品を中心に、一村の画業の軌跡を辿る
もともとは新進の南画家として活躍していた一村。一村は昭和10年代から戦後に至るまで、山水画の古典を学び続けた
千葉寺に移住した一村が描いた《千葉寺の秋》(昭和23年(1948)頃 田中一村記念美術館蔵)。一村は身近な千葉の田園風景を愛し、色紙絵を描き続けた
世田谷のK氏宅の仏間を飾っていた《草花図天井画》(昭和25年(1950)頃 田中一村記念美術館蔵)
《奄美の海に蘇鐵とアダン》(昭和36年(1961)1月 田中一村記念美術館蔵)

本展は第1章「若き南画家「田中米邨」 東京時代」、第2章「千葉時代「一村」誕生」、第3章「己の道 奄美へ」の全3章構成。田中一村の作品群を時系列に展示することで、ほぼ切れ目なく変遷してゆく画業を、つぶさに辿ることができるようになっています。

6,7歳という少年時代から多くの作品を描いた一村の作品は、各地に相当数が残されており、本展覧会で展示される作品の多くも近年新出したもので、初公開の作品も少なくありません。出品点数は250点以上。まさに最大規模の回顧展といえるでしょう。

一村が手がけた障壁画や木彫りなど、幅広いジャンルの作品を展示。こちらは一村が絵付けした描絵帯と日傘
一村の集大成ともいえる奄美移住後の作品群を展示した第3章

田中一村の画業は、決して平坦なものではありませんでした。幼少期から「神童」と称えられ、新進の南画家として活躍しつつも、生涯に一度も個展を開くこともなく、無名のまま一人奄美の地で生涯を終えました。
第3章では、そんな一村が不退転の決意で奄美の地にわたり、生活費を工面しながら全身全霊を賭けて描いた作品の数々が展示されており、一村が「終焉の地」でたどり着いた画業の境地を、作品とともに体感することができます。

展示作品紹介

こちらでは、展示作品の一部をピックアップしてご紹介します。

《椿図屏風》昭和6年(1931)絹本金地着色  2曲一双  千葉市美術館蔵

「空白期」の一村のイメージを一変させた大作

一村は「23歳の頃、自分が本道と信じた新画風が支援者の賛同を得られず義絶した」と後年手紙に綴っており、従来この時期は寡作で「空白の時期」であるとみられていました。しかし近年、この時期に描いた力作が発見され、その見方は変わりつつあります。
本作品は、そんな一村昭和初期の活動のイメージを一変させた豪華な金屏風。
当時一村は24歳。新たな境地を求めて模索する情熱とエネルギーが感じられるようです。

《白い花》昭和22年(1947)9月 紙本金砂子着色  2曲1隻  田中一村記念美術館蔵

田中一村、唯一の入選作。

昭和22年(1947)、川端竜龍子主宰の第19回青龍展に初入選した出品作で、結果的に公募展に入選した唯一の作となったものです。
出品目録に「白い花 柳一村」とあり、画号を「米邨」から改め、「柳一村」として臨んだことがわかる、心機一転の戦後の意欲作。
どこか抜け感のある洗練された画風が印象的です。

《秋晴》昭和23年(1948)9月 紙本金地着色 2曲1隻 田中一村記念美術館蔵

栄華に背を向けても、貫いた信念。

初入選を果たした翌年の昭和23年(1948)、第20回青龍展に2つの作品を出品した一村。一村はこの《秋晴》を自信作と認めていましたが、参考出品の《波》だけが入選を果たすという結果に落胆し、入選を辞退してしまいます。

金屏風に黒いシルエットで樹々が大胆に表現された本作。逆光のような効果で聳える樹木、細部に至るまで表現された枝や樹皮の質感は、まさに入魂の出来栄えです。
栄華に背を向けてまで一村が守りたいものは何だったのか。ぜひ、本作に直接向き合って、それを感じてみてください。

《アダンの海辺》昭和44年(1969) 個人蔵

奄美の光が一村にもたらしたもの

昭和49年(1974)1月(66 歳)の書簡に、「閻魔大王えの土産品」だと記した一村入魂の作品が《アダンの海辺》《不喰芋と蘇鐵》。まさに本展の白眉といえる作品です。

もう何の悔いもない制作を成し得たという自負の表れである本作は、来島当初から構想を重ねてきたアダンという植物を題材にしています。緑から青まで多種の顔料を用いて描き分けられたアダンの濃彩。中景には繊細な線でさざ波が描かれ、雲の彼方の金色の輝きは画面全体に崇高さを与えています。
展示会場には、一村が描いた観音や羅漢の絵画の数々も展示されていますが、本作にはそんな彼が人生の最後にたどりついた宗教的な感情が表現されている、といっても過言ではないでしょう。

一村畢生の大作、ぜひ会場でご覧ください。

展覧会アンバサダー・小泉孝太郎さんも登壇!

報道内覧会と開会式では、本展のアンバサダーと音声ガイドナビゲーターを務める俳優の小泉孝太郎さんが、《不喰芋と蘇鐵》をモチーフにした世界に一着しかない大島紬の着物を着用して登場しました。

「とても不思議な田中一村さんとのご縁とかめぐり合わせを感じながら、気持ちを込めて音声ガイドを務めました」と述べる小泉孝太郎さんは、逓信大臣などを歴任した曾祖父の小泉又次郎氏(孝太郎の父・小泉純一郎元総理の祖父)が、田中一村の後援会長を務めていたという縁もあり、幼い頃から田中一村という画家のことを聞いていたそうです。

そこから約一世紀近い時を経て、小泉家に生まれた自分が田中一村展に関わることについて、「本当に驚きましたし、光栄なお仕事をいただいたと思って、気持ちを込めて声を吹き込みました」と、本展を通じて生まれた不思議な邂逅について思いをはせていました。

「子どもの頃から田中一村さんの晩年の絵は目にしていましたが、この展覧会では初期の頃の作品から見させていただきました。個人的には自分の実家にソテツの木が植えられていたので、奄美の大自然の海やパパイヤ、ソテツが描かれている絵に見入ってしまいました」

と本展を鑑賞した感想を振り返り、最後に

「絵画だけではなく、田中一村さんが残された貴重な写真や直筆のお葉書、珍しい領収書なども残っているので、田中一村さんがどういう活躍をされ、どういう人だったのかが思う存分感じられる素敵な絵画展だと思います。初期の頃は千葉県でこういうふうに暮らしていたんだなとか、ものすごく苦しい努力をされた方なんだなとか・・・多くの方に田中一村さんの魅力を感じていただきたいです」

と、笑顔で聴衆に呼びかけていました。

「最後は東京で個展を開いて、絵の決着をつけたい」と語っていた田中一村。本展「田中一村展 奄美の光 魂の絵画ーTanaka Isson: Light and Soulー」は、まさに期せずして叶った一村最後の願いといえるのかもしれません。

開催期間は2024年12月1日(日)まで。
世間の栄達から身を置き、全身全霊をかけて「描くこと」に取り組んだ一村の作品の数々をぜひ会場でご覧ください。

開催概要

会期 2024年9月19日(木)~12月1日(日)
会場 東京都美術館 企画展示室
開館時間 9:30~17:30、金曜日は9:30~20:00
*入室は閉室の30分前まで
※土日・祝日および11月26日(火)~12月1日(日)のみ日時指定予約制※当日の空があれば入場可。
※11月22日(金)までの平日にご来場の場合は、日時指定予約は不要です。
休館日 月曜日、9月24日(火)、10月15日(火)、11月5日(火)
*ただし、9月23日(月・休)、10月14日(月・祝)、11月4日(月・休)は開室
観覧料 一般  2,000円
大学生・専門学校生 1,300円
65歳以上  1,500円※高校生以下無料。
※身体障害者手帳・愛の手帳・療育手帳・精神障害者保健福祉手帳・被爆者健康手帳をお持ちの方とその付添いの方(1名まで)は無料。
※身体障害者手帳等のお手帳をお持ちの方とその付添いの方(1名まで)・高校生以下の方は、日時指定予約は不要です。直接会場入口にお越しください。
※高校生、大学生・専門学校生、65歳以上の方、各種お手帳をお持ちの方は、いずれも証明できるものをご提示ください。
※毎月第3 土曜日・翌日曜日は家族ふれあいの日により、18歳未満の子を同伴する保護者(都内在住、 2名まで)は一般通常料金の半額(住所のわかるものをご提示ください)。日時指定予約不要、販売は東京都美術館チケットカウンターのみ。
※詳細は展覧会公式サイトチケット情報のページでご確認ください
展覧会公式サイト https://isson2024.exhn.jp/

※記事の内容は取材時のものです。最新の情報と異なる場合がありますので、詳細は展覧会公式サイト等でご確認ください。また、本記事で取り上げた作品がすでに展示終了している可能性もあります。


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東京都美術館「大地に耳をすます 気配と手ざわり」開幕レポート

東京都美術館
東京都美術館「大地に耳をすます 気配と手ざわり」報道内覧会

東京都美術館より、2024年7月20日(土)に開幕した企画展「大地に耳をすます 気配と手ざわり」のレポートが届きましたのでご紹介します。


東京都美術館の企画展、「大地に耳をすます 気配と手ざわり」が7月20日(土)に開幕した。自然と深く関わり、制作をつづける5人の現代作家が、人間中心の生活のなかでは聞こえにくくなっている大地の息づかいを伝えてくれる展覧会だ。7月19日(金)にはプレス内覧会が行われ、報道陣に公開された。本展を担当した大橋菜都子学芸員と参加作家による展示解説をレポートする。

■大地に耳をすます気配と手ざわり
■2024年7月20日(土)~10月9日(水)

「大地に耳をすます 気配と手ざわり」会場
本展を担当した大橋菜都子学芸員

本展を担当した大橋菜都子学芸員は、企画の背景として、「東日本大震災や新型コロナの感染症拡大など、大都市で暮らす便利さとともにその脆弱性を感じることがここ十数年の間に多くあった」という。「都市のもろさを実感したことにくわえ、自然がやや遠く感じ、季節の移ろいだけでなく、自然のあり様や変化を感じ取る力が少しずつ弱まっていっている感覚に気づいたことが大きなきっかけとなり、そのような個人的な思いから、調査を進め」、大都会から離れて自然の中で感覚を研ぎ澄ませ作品を制作している作家らが参加する展覧会となった。

参加作家は、自然と深く関わり制作をづつける川村喜一、ふるさかはるか、ミロコマチコ、倉科光子、榎本裕一の5人。

本展出品作家 川村喜一
展示会場(ギャラリーC)

入り口のエスカレーターを降りてすぐの展示会場(ギャラリーC)に入ると、天井が高く、開放感のある空間に川村喜一の写真作品が並ぶインスタレーションがある。東京で生まれ育った川村(1990年生まれ)は、2017年、北海道知床半島に移住して作家活動を続けている。

「世界自然遺産としても知られる場所。ヒグマやシャチ、ときには鯨もやってくるという、自然が豊かであると同時にとても厳しい環境で生活しています。いわゆるネイチャーフォトというようなかぎかっこのついた『自然』というよりは、そこに生きている生活者として、肌感覚で風土というものを感じながら表現をしていきたいという思いをもって制作しています」と語る。移り住んで、2年目の秋に狩猟の免許をとり、山に入って狩猟も行う。自然のこと、動物のことをより深く知りたいという思いから始めたものの、最初は自分が森に受け入れられていないような感覚があったり、動物に出会うことも難しかったそう。地形やその土地に暮らす生物の生態をわかっていなければ、その場を歩くことも獲物にたどり着くこともできない。

「都会の暮らしでは感じられない、わからないことに問題意識があって知床で暮らしていますけれど、狩猟をとおして生態系を外側からみるというより、その中に入って、いきものの一員として、精神性、行為としてのプロセスと写真の表現を結び付けられたらいいなと思って制作をしています」(川村)

布地に印刷された写真には、家族の一員であるアイヌ犬のウパシとの暮らし、知床の風景など川村の日常がとらえられている。北海道産の木製のフレームに額装されたそれら写真は、アウトドアキャンプ用のロープで吊り下げられ展示空間を構成している。環境に配慮し、美術館の建築に敬意を払い、作品展示のために新たに壁を立てることはしていなかった。作品同士が空間に心地よく配置されている様子は鑑賞者の目にも新鮮だろう。この木製の額縁は折り畳み可能。すべて作家自身が車に詰め込んで会場まで運び、展示されている。展覧会終了後は、また折り畳み、知床まで戻るそうだ。これも生活と制作、展示の連続性を大事にする川村のいう行為としてのプロセスなのだろう。

本展出品作家 ふるさかはるか
展示会場(ギャラリーC)

木版画家のふるさかはるかは、大阪府生まれ。フィンランド、ノルウェーなど北欧での滞在制作を経て、2017年からは青森で自然とともに生きる人々に取材を重ねながら制作している。本展では3つのテーマで作品を展示している。北欧の遊牧民サーミの手仕事にひかれて作られた版画のシリーズ〈トナカイ山のドゥオッジ〉、青森、南津軽の山間地域に取材を重ねて作られた〈ソマの舟〉、〈ことづての声〉だ。

ふるさかは、木版画の木を自身が自然とかかわる手段ととらえている。そう考えるようになったのは、2003年、初めてサーミの村で滞在制作をしたことが大きく影響しているという。それ以降、彼らとメール等でコミュニケーションをとりながら、厳しい自然とともにある暮らしがどういうものかを徐々に知ることになった。

《トナカイの毛皮》は、マイナス40℃にもなる地域で古くからトナカイの毛皮を身にまとうことで生き延びてきたサーミの人たちに想を得て描いたもの。彼らはトナカイを捕えると、毛皮のほか、骨も腱も、そのすべてを自分たちが生きることに使う。ふるさかにとって木版画は、サーミにとってのトナカイのようだ。木版画をつくることで、彼らとトナカイのような生き方をしたいと思うようになり、無垢の木の姿や木目を生かし、拾ってきた土を絵具にして制作するようになった。そこから始まったのが〈トナカイ山のドゥオッジ〉シリーズだ。

《織り》は、森の中の木に縦糸をくくりつけ、張りを調整しながら、自然の中で手仕事をしてしまう身軽さ、またその中にいることの心地よさも感じている人たち。「自然の中でどうふるまうか、彼らの言葉を記録して作品を制作してきました」と話す。

2017年からは日本に目を向け、厳しい冬とともに生きてきた人たちに取材しようと、青森に足を運ぶようになった。本展では、会場の天井高に合わせた大型の木版画を制作した。漆林で版木となる木材の伐採から立ち合い、青森の漆の樹液と自ら育てた藍で刷った新作である。会場には、木版画だけでなくこの版木も展示されており、青森の木立のような展示空間がつくられている。また、絵具としてふるさかが用いる、漆の樹液、藍、土など自然の素材も展示されている。《線を作る器》では、青森のヒバに、青森で採集された泥が薄く入っている。乾くと、少しずつヒビが入ることで線が作られるインスタレーションで、会期が進むにつれ変化する様子も観察できるだろう。

また、ふるさかの自然と呼応しながら制作する様子を記録した映像を上映している。夏の藍の刈り取り、冬の木材の伐採、土の採集、彫りと刷りの場面まで、木版画ができるまでに、ふるさかがいかに自然と関わっているのかということとともに、その素材を育てることから始める制作に途方もない手間と時間がかかっていることを知ることができる。この映像の撮影は、本展の参加作家である川村喜一が行っている。

本展出品作家 ミロコマチコ
展示会場(ギャラリーA)

ひとつ下の階(ギャラリーA)の吹き抜け展示室にはミロコマチコの勢いのある作品世界が広がる。大阪府生まれのミロコマチコは、11年にわたる東京での活動を経て、2019年奄美大島に移住した。展示空間の中央には《島》がつくられ、その周りには奄美大島で制作された作品が多く展示されている。

奄美大島の人たちは自然に合わせて暮らしているため、自然を感じ取る力が強いと話すミロコマチコ。

「自然を感じ取る力が、私には全然ないのだと気づきました。それを身に着けていく上で、とても大切なのではないかと思って、日々、どういった動きがあるのか、変化があるのかをながめているのですけれど、島の自然はとってもざわめきが激しくて。その動きはいきもののようで、それを目に見えないいきものとしてとらえて、制作しています」(ミロコ)。

《島》をかたちづくる壁の内側の絵は、この場で4日間かけて描かれた。外側は2023年に刊行された絵本『みえないりゅう』の原画が取り囲む。

「ぜひ、この『みえないりゅう』の物語を感じてから、中にはいってほしいです。すべてのことは影響しあっていて、風が吹けば波がたって、小さな波が、しぶきとなって打ち寄せるように、そのつながりみたいなものを意識しながら、初めからこうしようというのがあったわけではなく、即興的に制作していきました。わたしが島で見ている世界をここに表現したので、たくさんの自然がざわめいている気配を感じてくれたらうれしいなと思っています」(ミロコ)

《島》の床は泥染めがなされている。奄美大島に移住して約5年、大地のエネルギーをもらえるような島の自然の素材は、ミロコが表現したいことに合うことがわかってきたそうだ。
奄美大島の森で《光のざわめき》を描いたライブペインティングの映像《うみまとう》も会場の一角に設けられた小屋の中で見ることができる。

「屋外で描いていたら、風の動きや光の移り変わり、たくさんのエネルギーなどを受け取って瞬発的に出していきます。そして、それらで形作られていくものがいきもののように、見えてくる。それがいきものとして形作られていくっていうことなんですけれど、周りの環境から受け取るものを自分のからだに刻むように描く、それがわたしにとってだいじなんだなあと感じています」(ミロコ)。

奄美大島の人たちにとって、山や森は神様がいる神聖な場所。むやみに入るのではなく、「入り口におじゃまさせていただきました。森は根っこや石がゴロゴロしていて、身動きが取りづらく、描きたいものが溢れてくるけど、描けない葛藤のような絵が現れたんじゃないかなと。制作時に着ていた服は解体して、カンヴァスにしたり、ほかの作品に使ったりしてつながっています」(ミロコ)

映像の小屋の外側の壁面も奄美に多く自生するヒカゲヘゴという植物の染料が塗られている。

本展出品作家 倉科光子
展示会場 (ギャラリーB)

ギャラリーBで作品を展示している倉科光子は、青森県生まれで現在は東京都在住。2001年から植物画を始めた。

東日本大震災(2011年)の津波により変化があった植物の生育環境を観察し、2013年から定期的に現地に足を運び、植生を水彩画で描き続けている。本展では、被災地に行けなかった時期に描いた関東圏の植物画2点と、岩手県、福島県、宮城県で取材して描いた15点が展示されている。

作品のタイトルとなっている数字は、いずれも描いた植物があった緯度と経度。「その場所が実際にあるということを示唆すると同時に、その時だけ見えた光景を描き出したい」(倉科)という思いによるもので、とても重要なことなのだという。「tsunami plants(ツナミプランツ)」と名付けたそれら植物のひとつひとつを丁寧に観察し詳細に描くことで、「その植物の種子は津波によって運ばれたのか、土の攪拌により芽吹いたのか、あるいは復興工事のなかで重機によって運ばれたのか、その場所に起きたこと、植物がそこに根付いた理由を探る」と倉科。

制作中の作品も展示されている。本展での展示にあたり、倉科が制作に力をいれた白藤だ。一般的に知られている藤は、ツルが上に向かって伸び、藤棚に絡みつき、花は垂れ下がる。ところがこれはツルが地面を這い、葉をつけ白い花を咲かせている。2016年にこの地を這う白藤の写真を見る機会を得た倉科は、どうしてもこれを描きたいと思い、現地を取材し、昨年から描き始めた。地面で白い花を咲かせることはまれだという。咲かせたいというよほどのエネルギーがあるのだろうと倉科。作品の途中経過を見ることができるのも貴重な機会である。

榎本裕一 展示会場 (ギャラリーB)
榎本裕一 展示会場 (ギャラリーB)

榎本裕一(1974年生まれ)は東京で生まれ育ち、2018年から北海道根室、今年から新潟県糸魚川にもアトリエを構え、3拠点で制作を行っている。
本展では根室の風景をモチーフにした油彩とアルミニウムパネルを氷に見立てた新作の《結氷》を展示している。

《沼と木立》は、遠くからみると、白黒の抽象画のようだが、近くで目を凝らしてみると、黒い画面の中に木立が見えてくる。

「誰もいない、誰も来ない深い森の中で突然現れた風景に驚き、喜びと、恐怖も感じたことを覚えています」という榎本の言葉を大橋学芸員が伝え、積もった白い雪––榎本が出会った自然をみずみずしい感性でとらえた作品であると紹介した。白黒にシンプルに削られた作品だからこと、見る人が自分の記憶と結び付け自由に想像を広げる余白をもっている。

一方、アルミニウムパネルに表現している10点の新作、《結氷》には、海からの強い風によって雪が生み出す表情がとらえられている。

「氷の上を歩くような経験は(一般的には)ないにしても、この作品がたくさん並ぶことで、氷に囲まれるような空間になっている」と大橋学芸員。10点が並ぶことで、冬の根室でこうした自然の織りなす美しい造形が無数に生み出されていることを想像させてくれる。ちなみに、最後に展示されている小さな作品には、雪上に動物の足跡が見える。一見すると、静かでモノクロームの世界だが、榎本が根室で感じたいきものの気配や生命の煌めきが表されている。

 

会場の最後には、春を表す作品が展示されている。北海道に分布する多年草で、4月から5月に花をつけるエゾエンゴサクをモチーフにした器型の作品だ。展示の最後にと榎本が制作した新作である。

その隣では榎本が作品制作の資料として撮影した写真のスライドショーが流れ、根室の春から四季の移ろいを見ることができる。榎本が、東京とまったく異なる景色を見せる根室に魅了された瑞々しい感覚を存分に伝えるだけでなく、氷った湖上の風景やエゾエンゴサクの花など、展示されている作品と関連が強い写真も含まれているのも興味深い。

5人の現代作家による写真、木版画、油彩画、水彩画、インスタレーションなど、多様な作品が展示される空間を行ったり来たりしながら、日ごろ忘れがちな本来人間が持っている自然とかかわる感覚を呼び起こすきっかけになるだろう。

なお、本展の図録には奄美大島で染められた泥染めの布がついている。
参加作家のひとり、ミロコマチコが作品制作に使っている泥染めと同じ工房によるものだ。

東京都美術館「大地に耳をすます 気配と手ざわり」報道内覧会

撮影・鈴木渉


展覧会開催概要
●展覧会名 大地に耳をすます 気配と手ざわり
The Whispering Land: Artists in Correspondence with Nature
●会期 2024年7月20日(土)~10月9日(水)
●会場 東京都美術館 ギャラリーA・B・C
●休室日 月曜日、9月17日(火)、9月24日(火)※8月12日(月・休)、9月16日(月・祝)、9月23日(月・休)は開室
●開室時間 9:30~17:30、金曜日は9:30~20:00 *入室は閉室の30分前まで
●観覧料 一般 1,100円、大学生・専門学校生 700円、 65歳以上 800円、高校生以下無料
※[サマーナイトミュージアム割引]など割引に関するの詳細は展覧会公式サイトをご覧ください。
●主催 公益財団法人東京都歴史文化財団 東京都美術館
●特別協力 株式会社ツガワ
●協力 合同会社 北暦、株式会社ミシマ社、Gallery Camellia、青森公立大学 国際芸術センター青森
●問合せ先 東京都美術館 03-3823-6921
イベントなどの最新情報は展覧会公式サイトをご覧ください
https://www.tobikan.jp/daichinimimi

 

記事提供:ココシル上野


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