【国立西洋美術館】「チュルリョーニス展 内なる星図」レポート。絵画と音楽を融合したリトアニアの国民的芸術家、34年ぶりの大回顧展

国立西洋美術館
《レックス(王)》1909年

リトアニアを代表する芸術家ミカロユス・コンスタンティナス・チュルリョーニス(1875–1911)の、日本で34年ぶりとなる大回顧展「チュルリョーニス展 内なる星図」が、国立西洋美術館で開催中です。会期は2026年6月14日(日)まで。

※展示作品はすべてミカロユス・コンスタンティナス・チュルリョーニス作、国立M. K. チュルリョーニス美術館(カウナス)所蔵です。M. K. Čiurlionis National Museum of Art, Kaunas, Lithuania.

展示風景
左から《第6ソナタ(星のソナタ):アレグロ》、《第6ソナタ(星のソナタ):アンダンテ》1908年

20世紀初頭、絵画と音楽のふたつの領域で卓越した才能を示し、リトアニア近代文化の礎を築いたチュルリョーニス。35年の短い生涯のうち、約6年間の画業で300点以上の作品を残しています。

その芸術は、ロシア帝国の支配下、民族解放運動のさなかに形成されたものであり、祖国の豊かな自然や歴史、古来より伝わる民話を創作の源泉にするなど、リトアニア固有のアイデンティティに根差しています。同時に、神智学や天文学にも関心を寄せ、人間の精神世界や宇宙の神秘を巡る思索を深めました。象徴主義絵画と抽象絵画を橋渡しするような独自の表現で知られ、とりわけ作曲家ならではの感性で、音楽形式の絵画の構造への転換といった造形的革新性が、今日における評価を確かなものとしています。

リトアニアにおける生誕150周年の祝賀ムードを引き継いで開催される本展は、国立M. K. チュルリョーニス美術館(カウナス)が所蔵する代表的な絵画や版画、素描など約80点を紹介するものです。

 展示は全3章にプロローグ、エピローグを加えた構成になっており、プロローグではチュルリョーニスの画業の出発点を紹介しています。

チュルリョーニスは、1875年にリトアニア南部の慎ましい家庭に生まれ、オルガン奏者の父親のもと、幼少の頃から音楽の才能を発揮しました。1894年、作曲を学ぶために18歳で隣国ポーランドのワルシャワ音楽院に進学。1901年まで同地で研鑽を積み、代表的な交響詩《森の中で》をはじめとする音楽作品を手がけます。その後、ドイツのライプツィヒ王立音楽院での学びを経て、長年の夢だった絵画の道を本格的に志すようになるのは、1902年頃になってからのことでした。

《森の囁き》1904年

初期の絵画作品には象徴主義的な表現が強く表れていたといいますが、残念ながらその大部分は失われています。新設されたワルシャワ美術学校に第1期生として入学した1904年に描かれた《森の囁き》(1904)は、現存する貴重な作例です。

画面では、神秘的な暗い森に立ち並ぶ木立の前に、霧のようにかすんだ手が浮かび上がっています。前年に制作された同一モティーフの絵葉書と見比べると、木立の形態にハープの弦が、森の柔らかな騒めきにハープをつま弾く音色が重ね合わされていることが、より明確に読み取れるでしょう。本作にはすでに、チュルリョーニスの絵画を特徴づける音楽的感性が色濃く反映されています。

第1章「自然のリズム」では、チュルリョーニスの描いた自然の表現を辿っています。

展示風景、右は《山》1906年
《庭(噴水)》1905/06年

ワルシャワに拠点を置きながらも、チュルリョーニスにとって、祖国の豊かな自然は創造の源であり続けました。しかし、その絵画に写実的な風景描写は少なく、主に関心が向けられていたのは、自然の動的な移ろいであったといいます。自然の内部に流れるリズムや生命の循環プロセスそのものを抽象的に、時に擬人的に捉え、そこに抒情性や象徴性を吹き込んでいきました。

左から《閃光Ⅰ[3点の連作より]》《閃光Ⅱ[3点の連作より]》《閃光Ⅲ[3点の連作より]》1906年

そうした関心は、四季の巡りなど自然を主題とする連作のかたちで結実します。3点からなる最初期の連作《閃光》(1906)では、夜が深まる中、灰色の煙から生まれた光の群れが列をなして移動し、やがて風に導かれるように青い門の前へとたどり着く、幻想的なイメージが展開されます。

閃光の正体について、一見ではホタルの発光のような自然現象を連想します。しかし、チュルリョーニスにとって「門」は重要なモティーフであり、現実と幻想、可視と不可視の境界を示す存在、あるいは精神的次元への入口や魂の通過点を象徴するものです。こうした点を踏まえると、精神や魂といった根源的な何かが、門を介して変容を遂げる過程を示唆するものとして解釈することもできるでしょう。

展示風景、右は《冬Ⅰ[8点の連作より]》1907年

また、周辺の画家の多くが、冬の静謐でメランコリックな側面に着目したのに対し、チュルリョーニスは、そこに内在する力をダイナミズムとともに可視化しようと試みました。8点からなる連作《冬》(1907)では、生命の象徴である樹木を一貫した主題に据え、冬の自然の諸相の中でさまざまな姿に変奏しています。

《冬Ⅳ[8点の連作より]》1907年
《冬Ⅷ[8点の連作より]》1907年

雪原に立つ樹木を堅牢な氷塊に閉じ込めながら、あるときは生と死、希望と絶望といった対照的な観念を提示するものとして、またあるときは神の啓示を暗示する燭台のメタファーとして表しています。やがて雪解けが生命の息吹を伝える中、樹木や雪片といったすべてのモティーフを幾何学的な星や矩形の集積に還元することで、冬に内在する強靭なエネルギーそのものを示すようなかたちで連作を締めくくっています。

第2章「交響する絵画」では、いよいよチュルリョーニスが試みた、絵画と音楽の融合というテーマを扱っています。

チュルリョーニスがこのテーマに集中的かつ体系的に取り組んだのは、1907年から1909年にかけてのことです。当時のヨーロッパでは、ボードレール、ワグナー、ニーチェらの思想を背景に、画家たちの間で絵画と音楽の融合を試みる動きが広がりました。しかし、多くの画家が色彩による共感覚的な音楽表現に関心を寄せたのに対し、チュルリョーニスは作曲家ならではの視点から、音楽の構造そのものを絵画に応用したのです。この点にこそ、モダンアートの歴史においてチュルリョーニスが特異な位置を占める理由があるといえるでしょう。

左から《プレリュード[二連画「プレリュード、フーガ」より]》《フーガ[二連画「プレリュード、フーガ」より]》1908年

二連画の《プレリュード、フーガ》(1908)では、ポリフォニー(多声音楽)の一形式であり、主題を複数の声部(パート)が模倣しながら追いかけるフーガへの導入として、プレリュードを置いています。

「プレリュード」では画面中央に浮かぶ黄金の船に目が引かれますが、注目すべきは、画面右下に描かれた首を垂れて座る人間や、上方を指す手、塔を思わせるシルエットが「フーガ」の画面下部へと連続している点です。

続く「フーガ」では、それらのモティーフに加えてモミの木が主題として登場します。穏やかな湖畔の風景かと思いきや、よく観察すると、モミの木の像と水面の反映像が対応していません。ここではフーガの構造にのっとり、各モティーフを形や色彩の微妙な変奏を伴いつつ反復し、大きく、小さく、まばらにすることで音楽性を喚起しています。

本作のように、チュルリョーニスは伝統的な遠近法に基づく再現的空間を放棄し、水平に分節した複数の層によって画面を構成していきました。そして、複数の独立した旋律を調和させながら同時進行させる対位法(フーガなどの作曲技法)さながらに、それぞれの層を共鳴させることで、まさにポリフォニーが織りなす響きの印象を視覚的に表すことに成功したのです。

左から《第3ソナタ(蛇のソナタ):アレグロ》《第3ソナタ(蛇のソナタ):アンダンテ》《第3ソナタ(蛇のソナタ):スケルツォ》《第3ソナタ(蛇のソナタ):フィナーレ》 1908年

また、チュルリョーニスは音楽のソナタ形式を絵画に導入し、より壮大な構成を有する連作を生涯で7点制作しました。本展ではそのうちの3点、《第3ソナタ(蛇のソナタ)》《第5ソナタ(海のソナタ)》《第6ソナタ(星のソナタ)》(いずれも1908)を紹介。連作の各章にはテンポを指示するタイトルが付けられており、《第5ソナタ(海のソナタ)》は「アレグロ」「アンダンテ」「フィナーレ」の3章構成です。

左から《第5ソナタ(海のソナタ):アレグロ》《第5ソナタ(海のソナタ):アンダンテ》《第5ソナタ(海のソナタ):フィナーレ》1908年

規則的な水平層によって構成された「アレグロ」では、海が音符の弾む楽譜のように捉えられており、岸辺に広がる波や泡沫、黄金色に輝く粒が軽快なリズムを生み出しています。続く「アンダンテ」では、波の動きがゆったりとしたものへと変化。静謐な雰囲気の中で、視線はリトアニア神話のイメージが重なる海底の王国へと沈んでいきます。そして「フィナーレ」では、立ち上がる大波の高揚するリズムとともに、泡や帆船といったモティーフが集約され、劇的な終幕を迎えます。

本作は、チュルリョーニスが婚約者のソフィヤと、バルト海に面した保養地でひと夏のバカンスを過ごす間に構想・制作されたもので、その祝祭感は私的な幸福感の発露であるという見方もあります。なお、「フィナーレ」の大波の図像については、葛飾北斎の《冨嶽三十六景 神奈川沖浪裏》の影響が指摘されています。(※同作は同時開催されている「北斎 冨嶽三十六景 井内コレクションより」に展示中です)

《ピアノのための交響詩「海」の楽譜草稿》1903年

海は永遠や生命の循環のイメージと結びつくとともに、波の反復が音楽的リズムを体現するため、チュルリョーニスの感性と深く共鳴するモティーフであり、交響詩や散文詩においても主題として扱われました。本章の展示室では、ピアノのための交響詩《海》がBGMとなっているほか、《海》の楽譜草稿も展示されています。チュルリョーニスがどのように自然の気配に対して耳を澄まし、その旋律を作品へ“採譜”したのかを、より多面的に探ることができるでしょう。

第3章「リトアニアに捧げるファンタジー」では、リトアニアの民族性に焦点を当てながら、チュルリョーニスの円熟期の作品を紹介しています。

1904年から1905年の日露戦争でのロシア敗戦とロシア第一革命を受け、リトアニアにおいて民族解放運動が急速に活発化しました。チュルリョーニスもまた、同国の芸術界をけん引する指導者のひとりとして運動に身を投じ、リトアニア文化の精神的マニフェストとしてのエッセイ集や、リトアニア民謡集のための挿絵などを手掛けていきます。その根底には、地方に息づく民話や民謡、工芸といった民族文化の再評価が、失われた国民・国家のアイデンティティの形成や、リトアニア的な芸術様式の構築に不可欠だという思いがありました。

ソフィヤ・キマンタイテ=チュルリョーニエネ著《『リトアニアにて』(1910年出版)のための表紙デザイン》1909年

一方で、民族文化はチュルリョーニス自身の創作においても良い着想源となりました。たとえば、《リトアニアの墓地》(1909)に登場する十字架は、民族の独立への願いが込められた同国を代表するモティーフのひとつです。

《リトアニアの墓地》1909年

本作では、テンペラ画らしい透明感のある青緑を基調とする空に、魂の道標である北斗七星が輝き、地上では十字架のシルエットがリズミカルに配置されています。これらの十字架はリトアニアの自然崇拝や祖霊信仰の伝統と、14世紀に国教として導入されたキリスト教の象徴が融合することで生まれたもので、動植物や天体の装飾的意匠がふんだんに施された独創的なものでした。

次第に十字架そのものが民間信仰化し、死者の弔いのみならず、旅の安全や豊作祈願といった広義の祈りや記念の手段として、墓地や路端、農家の敷地内などあらゆる場所に建てられたといいます。それゆえに、ロシア帝国の同化政策下で弾圧の対象になったのです。

《プレリュード(騎士のプレリュード)》1909年

より高らかに民族復興をうたっているのは《プレリュード(騎士のプレリュード)》(1909)です。めったに特定の景観を表すことのないチュルリョーニスが、リトアニアの首都ヴィリニュスを想起させるエッセンスを散りばめた都市。その上空を勇ましく駆ける透明な騎士(ヴィティス)は、14世紀から18世紀末までリトアニア大公国の国章として親しまれた、国家の独立と栄光の象徴です。

左から《おとぎ話Ⅰ[三連画「おとぎ話」より]》《おとぎ話Ⅱ[三連画「おとぎ話」より]》《おとぎ話Ⅲ[三連画「おとぎ話」より]》1907年

また、チュルリョーニスは1907年以降、民話や神話、普遍的な物語構造を自身のヴィジョンと融合させた原型的イメージを展開する、「おとぎ話」という独自の絵画ジャンルを確立しました。

魔法の世界、王や王女、騎士、旅、道といったモティーフは、このジャンルの典型的な構成要素であり、《おとぎ話(王たちのおとぎ話)》(1909)は王を主題とした作品です。夜闇に包まれた森を舞台に、リトアニアの美しい自然と農村の風景が収められた光り輝くドームを見つめる、ふたりの王。彼らは世界の二元性を体現すると同時に、小さきリトアニアを世界の外から見守る守護者でもあります。

《おとぎ話(王たちのおとぎ話)》1909年

「王」はチュルリョーニスの画業の初期から、一貫して重要な主題のひとつでした。その世界を司る超越的存在としてのイメージは、本展エピローグで登場する大作《レックス(王)》で決定的なものとなります。

一方で、チュルリョーニスは神智学や天文学といった当時の国際的な思想潮流に触れ、人間の精神世界と宇宙の神秘に対する思索を深めていきました。

《祭壇》1909年

日本初公開となる《祭壇》(1909)は、鳥瞰視点の独特な空間表現に、宇宙的なヴィジョンの感覚が満ちたチュルリョーニスの代表作です。階段状の巨大な祭壇の側面に描かれているのは、騎士や天使など、いずれもチュルリョーニスにとって象徴性を備えたモティーフ。それらが複雑に絡み合うことで、下段から上段に向けて壮大な叙事詩の様相を呈しています。同時に、階段というモティーフ自体も、高みへと上昇する人間精神の諸段階を象徴しており、その階数は宇宙と人間の構造を7つの段階に分ける神智学の理論に対応すると考えられています。

《レックス(王)》1909年

エピローグで展覧会を締めくくるのは、チュルリョーニスの思想と造形的探究を最も包括的に示す代表作であり、自身最大の絵画作品でもある《レックス(王)》(1909)です。モノクロームの美しい明暗で彩られた画面に、世界を構成する火・水・大地・大気の四大元素を凝縮。壮大な交響詩を思わせる多元的構造のもと、星や天使、木々といったモティーフが無数に反復されるなか、二重に重なった半透明の王が宇宙を垂直に貫くように地球の上に鎮座しています。

いまだ謎の多い本作において、チュルリョーニスはリトアニア土着の自然崇拝やヒンドゥー教、エジプト神話、神智学、天文学、自然科学など、これまで吸収した多岐にわたる思想をひとつの造形体系として統合し、キリスト教的な神とは異なる新しい物語を創出しました。ふたつの王は、二元論的な原理を示すと同時に、単なる世界の支配者ではなく、自然や宇宙と一体となった汎神論的な存在として描かれているのです。

本作は、画家としてさらなる飛躍を求めたチュルリョーニスが、サンクトペテルブルクへと活動の場を広げた時期に描かれたものであり、その目論見どおりに、ロシア芸術界の重鎮アレクサンドル・ベヌアから高く評価されました。しかし、チュルリョーニスがそれを知ることはなく、過酷な制作活動や精神的緊張により、次第に心身を病んでいきます。そして1911年4月10日、肺炎により35歳の若さでその生涯を閉じました。


音楽と絵画、リトアニア民族のアイデンティティ、そして人間の精神世界や宇宙の神秘を巡る思索を幻想的に描き出した、唯一無二の芸術家チュルリョーニス。2000年以降、ヨーロッパ各地で展覧会が開催されるなど、再評価の機運が高まるその独創的な世界を、ぜひ会場でお楽しみください。

「チュルリョーニス展 内なる星図」概要

会場 国立西洋美術館 企画展示室B2F(東京都台東区上野公園7-7)
会期 2026年3月28日[土]~6月14日[日]
休館日 月曜日、5月7日[木](ただし、5月4日[月・祝]は開館)
開館時間 9:30 ~ 17:30(金・土曜日は20:00まで)※入館は閉館の30分前まで
観覧料(税込) 一般2,200円、大学生1,300円、高校生1,000円、中学生以下無料

※観覧当日に限り「北斎 冨嶽三十六景 井内コレクションより」と常設展を共通のチケットでご覧いただけます。

※チケットはイーティックス、もしくは国立西洋美術館券売窓口で購入できます。

主催 国立西洋美術館、読売新聞社、国立M. K. チュルリョーニス美術館
展覧会公式サイト https://2026ciurlionis.nmwa.go.jp/

※記事の内容は取材時点のものです。最新情報は展覧会公式サイト等でご確認ください。


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「超危険生物展 科学で挑む生き物の本気」(国立科学博物館)レポート。圧倒的パワーや猛毒など、危険生物たちの“必殺技”に焦点を当てた知的好奇心をくすぐる展覧会

国立科学博物館
展示風景

動物や恐竜、神話生物などの強さを対戦形式で紹介・考察する、いわゆる「バトル図鑑」が近年高い人気を集めています。「世界最強の動物は?」「アフリカゾウでしょ」「いや、なんだかんだ言ってカバが強い」——そうした議論は、好奇心旺盛な子どもはもちろん、大人も思わず白熱する楽しい話題のひとつです。

強大なパワー、鋭い牙、猛毒、電撃。人間が太刀打ちできない、危険生物たちの驚異的な能力。それは、獲物を狩るため、身を守るために進化の中で身につけてきた“必殺技”とも呼べる能力です。

そんな必殺技に焦点を当て、危険生物の驚くべき生態から身近な生物が秘める危険性までを科学の視点から解き明かす特別展「超危険生物展 科学で挑む生き物の本気」が、東京・上野の国立科学博物館で開催中です。「最強」をめぐる議論にも、新たな視点を与えてくれるかもしれません。(会期は2026年6月14日まで)

会場入り口
展示風景
展示風景

会場のデザインコンセプトは、“危険生物の驚異的な能力を探る禁断の研究所(ラボ)”です。既存の分類群ではなく、必殺技を基準に危険生物を8タイプ(型)で分類。貴重な標本、精巧なCG、学びにつながる模型、迫力満点の資料映像など、多角的な手法を駆使して紹介しています。

■展示構成
エリアA「肉弾攻撃系危険生物」
ラボ1. パワーファイター型
ラボ2. キラーバイト型
ラボ3. 武装型
ラボ4. 大群型

エリアB「特殊攻撃系危険生物」
ラボ5. 猛毒型
ラボ6. 化学攻撃型
ラボ7. 電撃型
ラボ8. 吸血型

KEEP OUTテープが張り巡らされ、アンダーグラウンドな雰囲気が漂う危険生物研究所。

基本的に、生物1種につき必殺技1種を紹介しており、それぞれの技名は各分野の担当学芸員が本展のために名付けたそう。思わず口に出したくなるかっこいい技名から、ダジャレっぽいもの、直球すぎるものまで、担当者の個性が光ります。

オオアリクイの必殺技は「死の抱擁」と非常に詩的。

また、国内外で起こった危険生物による実際の事件を新聞風に取り上げた「アニマル新聞 超危険生物事件簿」の展示や、タイプ別に設定されたカードゲーム風のアイコンなど、子供心をくすぐるディティールの凝り方にも注目です。

アニマル新聞の展示

「パワーファイター型」の展示は、とりわけ迫力満点。アフリカゾウを筆頭に、オオアナコンダやヒクイドリなど、小細工を必要としない圧倒的な体格やパワーが脅威となる生物が登場します。

「パワーファイター型」アフリカゾウの全身骨格標本(多摩動物公園で飼育された「タマオ」のもの)/国立科学博物館蔵

たとえば、アフリカゾウは鼻を一振りするだけのシンプルな必殺技「ノーズ・パワーボム」で大打撃を与えます。その要となる鼻は長さ2m、重量150kgにも達し、骨がなく、すべて筋肉で構成されているのが特徴。ヒトの全身分の数に相当する9万本程度の筋繊維の束が集まり、複雑な伸縮を可能にしています。さらに、内部の体液量を変化させて圧力を調整する、いわば油圧のような仕組みによって硬さや形も自在に変えられるそう。そのため、単純なパワーだけではない、ニワトリの卵をつまめるほどの器用さも持ち合わせています。

3Dホログラムを駆使して、恐るべきパワーを生みだすアフリカゾウの鼻の秘密に迫っています。
「パワーファイター型」ミナミゾウアザラシの剥製/国立科学博物館蔵

続く展示では、アフリカゾウに引けを取らない巨大なミナミゾウアザラシの剥製が登場。アザラシと聞くと、のんびり横たわる丸いフォルムの癒し系動物というイメージをもっている方が多いかもしれませんが、ミナミゾウアザラシのオスは体長5m、体重3tもの威容を誇ります。

サメやシャチに咬まれても、その歯を10cmもの厚い皮下脂肪層で阻み、皮膚を再生して生き延びるケースもあるそうで、生存能力の高さもうかがえます。ここでは、街中に迷い込んだミナミゾウアザラシが、這い滑りながら必殺技「ボディプレス」で車を押し潰そうとする資料映像を上映しており、その脅威の一端が実感できるでしょう。

「パワーファイター型」キリン(首・剥製)の展示。おとなしいイメージのあるキリンも、必殺技「ネッキング」で鞭のように首をしならせて強烈な一撃をお見舞いしあう姿は、まさにパワーファイター。
「パワーファイター型」ヒクイドリの剥製/我孫子市 鳥の博物館蔵。ギネス世界記録で「世界一危険な鳥」とされ、アイスピックのような鋭く長い爪が繰り出す足技「スパイクキック」は、スイカを一撃で粉砕します。
「キラーバイト型」の展示

また、テーマ「シャチVSホホジロザメ 海の最強は誰だ」を筆頭に、会場各所に展開されているコラムで、強さをめぐる議題にさまざまな判断材料を提示してくれるのも本展の魅力です。

たとえば、「かみつき」を得意とする危険生物を集めた「キラーバイト型」の展示では、生体内でもっとも硬い組織であるエナメル質に覆われた歯の構造のほか、かむ力=「咬合力(こうごうりょく)」について解説しています。

体型に左右されない相対的な咬合力を比較するために用いられる「咬合力指数(BFQ)」を食肉類で比べると、ライオン(123)やブチハイエナ(99.6)を、体重100gほどの小型種であるイタチ科のイイズナ(164)が大きく上回るという興味深い結果が示されています。さらに、肉食類でありながら植物食であるジャイアントパンダ(151)も上位に位置しており、小さいから、あるいは草食だからといって侮れないことがわかります。

「キラーバイト型」イイズナ、フクロネコの展示

なお、イタチ科は非常に獰猛なハンターぞろいで、イイズナやクズリなど、自分より大きな獲物を鋭い犬歯で仕留めることで知られています。とりわけ、アフリカ大陸に分布するイタチ科最大級の種・ラーテルは、自分の10倍以上の体重をもつライオンにも臆することなく立ち向かうといい、その強烈な闘争心には目を見張るものがあります。

「キラーバイト型」クズリやラーテルなどイタチ科の展示

そんなラーテルの必殺技(能力)として紹介されているのは、かみつきではなく「鉄壁ボディ&アンチポイズン」。分厚く柔軟な皮膚で、動物のかみつきやヤマアラシの針、蜂の刺し傷などのダメージを受けにくいだけでなく、コブラなどの毒ヘビの一撃にも耐性があるというから驚きです。攻撃力、防御力、生存能力いずれも高い水準のバランス型ファイターといっていいでしょう。

また、「キラーバイト型」の展示では、世界最大級6m超のイリエワニ、通称<ロロン>の実寸大レプリカが日本初公開されています

「キラーバイト型」ロロン(イリエワニ)の実寸大レプリカ/原標本はフィリピン国立自然史博物館蔵

多くの人身事故が報告され、時に「人食いワニ」とも呼ばれるイリエワニ。なかでも<ロロン>は捕獲された個体として全長6.17m、体重1,075kgという驚異的な数値を記録し、「飼育下の世界最大のワニ」としてギネス世界記録に認定されています。その個体データを現地フィリピンでスキャンし、実寸大で忠実に再現したレプリカが会場に登場。100人がかりで海から引き上げられたというエピソードも納得の迫力です。また、獲物に食いつき、自身の巨体を水中で回転させ獲物をねじ切る「デスロール」の映像解説も見どころとなっています。

「武装型」の展示。ウシ科やシカ科のスタイリッシュなツノが並んでいる様子が壮観です。
「武装型」オオノコギリエイの展示。狩りの際に目にもとまらぬ速さで振り回す、異様な「大ノコギリ」はインパクト大。

バッタやピラニアなど、集団で脅威となる「大群型」の展示で見逃せないのはサスライアリのコーナーです。

東南アジアからアフリカにかけて生息し、数千万匹の大群で周囲の獲物を食い尽くしては移動する生態で知られるサスライアリ。小さなトカゲやバッタにとどまらず、子ヤギや、さらには病気で動けない老人が襲われて亡くなった例も報告されているそうで、その圧倒的な捕食力は想像するだけでも背筋が寒くなるほどです。

「大群型」サスライアリの展示

群れの中心にいる女王アリは、これまで国内外の研究者が長年調査を続けても、姿を確認すること自体が極めて難しい幻の存在とされてきました。しかし、本展監修者のひとり・九州大学総合研究博物館准教授の丸山宗利さんと、昆虫探検家・写真家の島田拓さんがケニア共和国で調査を実施。TBSの番組「クレイジージャーニー」の取材中に女王アリと遭遇・撮影に成功したとのこと。会場では、女王アリの貴重な標本の一つを日本初展示しています。

トリッキーな必殺技の多様性にワクワクさせられるのが、後半のエリアB「特殊攻撃系危険生物」です。

スズメバチやコドモオオトカゲ、ヒョウモンダコなど、多様な生物がもつ毒を解析する「猛毒型」の展示から始まり、シマスカンクがお尻から噴射する強烈な臭液や100℃の高温ガス、自爆防衛など奇天烈な必殺技が並ぶ「化学攻撃型」、最大850ボルトもの電圧を発生させるデンキウナギなどの発電メカニズムを探る「電撃型」、チスイコウモリやマダニなど吸血性生物を取り上げ、感染症の危険性にも言及する「吸血型」の展示へと続きます。

「猛毒型」コドモオオトカゲの剥製/国立科学博物館蔵

エリアBは、タランチュラやオオムカデなど生理的な嫌悪感を覚えるビジュアルの生物が多く登場するため、苦手な方は要注意。問題なければ、ぜひその姿の細部まで観察してみてください。

「猛毒型」の代表格であるサソリのコーナーでは、中型でスリムな体にサソリ界でも屈指の強力な神経毒をもつデスストーカー(“死に忍び寄るもの”の意)とともに、いかつい外見に反して毒性は弱く、多くの場合ハチに刺された程度の痛みで済むとされるダイオウサソリが登場します。サソリの毒性に「ハサミが小さい種ほど毒が強く、逆にハサミが大きい種ほど毒は弱い」という傾向があるというのが面白く、「危険性の高さは見かけによらない」という事実を分かりやすく示しています。

「猛毒型」サソリの展示
「猛毒型」ヒヨケムシの展示

見かけ倒しの生物といえば、「初対面の印象だけなら節足動物界屈指の怖さを誇る」と紹介されている「猛毒型」のヒヨケムシが象徴的です。巨大な鋏角は迫力がありますが、それ以上の脅威はありません。人間に向かって突進してくるように見えても、実際には苦手な太陽を避けられる影を求めているだけであり、非常に小心者とのこと。毒も毒針も備えておらず、なぜ本展で取り上げられたのかは不思議ですが、そこはご愛嬌。見た目の“危険生物度”は主役級です。

「猛毒型」カツオノエボシの液浸標本/新江ノ島水族館蔵。日本では春ごろに出現。刺針に触れたわずか数ミリ秒で針が飛び出し、けいれんや鋭い痛みを発生される毒を注入します。
「科学攻撃型」ヒメコンドルの剥製/国立科学博物館蔵。胃から未消化物(いわゆる「ゲロ」)を吐きかけるという嫌すぎる攻撃を仕掛けます。

また、「電撃型」のデンキウナギ、デンキナマズ、シビレエイについては、最新の技術で制作された透明標本が用いられている点も見どころです。

透明標本は、薬剤処理などで生物標本を透明にし、解剖することなく体内の構造を観察する方法です。従来の処理では、筋肉や内臓を強力な薬剤で溶かしていたため、骨以外の構造の観察が困難でした。しかし近年では、強力な薬剤を使わずに標本内の細胞や遺伝子を観察する透明化技術が次々に開発されています。本展でも、そのひとつであるCUBIC法を改良した手法が用いられており、これまで可視化が難しかった発電器官の構造を、立体的に観察できるようになりました。

「電撃型」シビレエイの展示。発電器官が体の前半部左右に葉状の1対で存在しており、電流攻撃でホホジロザメすらも撃退した例があるそう。
「吸血型」ツェツェバエの展示。吸血によって猛烈な痛みを発生させるだけではなく、媒介するアフリカ睡眠病にかかると、発熱、頭痛、精神錯乱を経て昏睡、いずれ死に至るとか……。

さて、本展は生物たちの必殺技に焦点を当て、その驚くべき生態から身近な生物が秘める危険性までを科学の視点から解き明かすことを目的とした展覧会です。しかし、総合監修を務める国立科学博物館 動物研究部の川田伸一郎さんが本展に寄せたコメントを読むと、企画の裏には、科学的理解に基づいて「正しく恐れる」ことの重要性を伝えたいという思いがあるようです。

川田さんは、危険生物の不確かな危険性を煽るマスメディアや、フェイク画像や動画があふれるインターネットに囲まれた現代社会に警鐘を鳴らします。ヒトは自分にない能力を持つ者に対して、恐怖のみならず憧れを感じ、よく知り、模倣し、それを超えたいと考える生物であり、その知識欲は、解剖学から最先端の生化学・遺伝学に至るまで、科学の発展を大きく推し進めてきました。さらに、危険生物の能力は「科学的知識の宝庫」であり、我々の生活に必要な素材や技術へと利用可能なものが多々あると強調します。

本展を巡れば、「正しく恐れる」ための知識こそが、より良い明日へ向けたヒトの生存戦略であると感じられるでしょう。

川島明さん

先立って行われた報道内覧会には、本展アンバサダー・音声ガイドナビゲーターを務める麒麟の川島明さんが登壇しました。

本展を鑑賞した感想として、「世界的にも貴重な資料がたくさんあり、エリア別に研究室のような世界観で展開していくので、アトラクションのようでした。奥に進むにつれて没入感が増していき、自分も研究員の一員になったような気持ちになりました」とコメント。特に注目の危険生物はキリンだと述べ、「草食動物で、目を見る限りおとなしくて可愛らしいと思っていましたが、映像を見るとネッキングという、己の首でヒトを死に至らしめるほどの威力で戦うことができるという。気軽に『麒麟です』なんて言うのが申し訳なくなりました」と笑いを誘いました。

最後に、本展を次のようにPRしました。
「毒が弱いサソリほどハサミが大きいという展示がありました。弱い奴ほど虚勢を張ってケンカを売ってくる、そうした人間に共通する部分が勉強できますし、展示を見終わった後には、自分の武器はなんだろうと見直せます。人を思いやる心だったり、他人を優先する優しさだったり、人間には人間にしかない武器が見つかるかもしれません。そんな素敵な発見ができる展覧会だと思います」

特別展「超危険生物展 科学で挑む生き物の本気」の開催は、2026年6月14日までとなっています。

特別展「超危険生物展 科学で挑む生き物の本気」概要

会場 国立科学博物館
会期 2026年3月14日(土)~6月14日(日)
開館時間 9:00~17:00(入場は16:30まで)
夜間開館 4月25日(土)~5月6日(水・休)は18時まで開館(入場は17時30分まで)
休館日 月曜日、5月7日(木)
※ただし4月27日(月)、5月4日(月・祝)、6月8日(月)は開館
料金(税込) 一般・大学生2,300円 小・中・高校生600円 (当日券)
主催 国立科学博物館、TBS、TBSグロウディア、朝日新聞社
お問い合わせ 050-5541-8600(ハローダイヤル)、03-5814-9898(FAX)
展覧会公式サイト https://chokikenseibutsuten.jp/

※会期・開館時間・休館日等は変更になる場合がございます。
※最新の情報と異なる場合がありますので、詳細は展覧会公式サイトでご確認ください。

 

記事提供:ココシル上野


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【上野の森美術館】令和7年度(第5回)「森の中の展覧会」表彰式レポート。出品数は過去最多の325点、独創的で自由な表現が集う

上野の森美術館

令和8年3月6日(金)から3月10日(火)までの5日間、上野の森美術館で令和7年度(第5回)「森の中の展覧会」が開催されました。

「森の中の展覧会」は、台東区と上野の森美術館が令和3年度から共催している、障害のある方々によるアート展です。美術館で作品を展示する機会を通じて、文化芸術に携わる楽しさを感じてもらうことを目的としています。

会場風景
会場風景
会場風景
会場風景
会場風景

応募対象は、台東区に在住・在学・在勤、または区内の障害者施設や団体を利用している障害のある方々であり、水彩画やクレヨン画、切り絵、粘土など、ジャンルやテーマを問わず自由な表現で制作できます(※)。5回目の開催となる今回は、過去最多となる325点の作品が展示されました。

(※)…壁面での展示が可能な平面作品に限る。

会場風景
会場風景
会場風景

3月7日(土)には表彰式が行われ、特に優れていると評価された作品として「台東区長賞」(1点)、「上野の森美術館賞」(1点)、「優秀賞」(3点)、「佳作」(6点)の各賞が授与されました。なお、審査員は武蔵野美術大学 樺山祐和学長、書家で高友社理事長の蕗野雅宣さん、上野の森美術館学芸員の坂元暁美さん、準審査員は本年度の美術ワークショップ講師である書家の伊藤桐花さん、画家の吉田さとしさんが務めています。

服部征夫台東区長

式の冒頭では、服部征夫台東区長が受賞者に祝意を示し、「今回の受賞を機に、さらなる創作活動に励んでいただきたい」と激励。出展作品は、いずれも豊かな表現力と独創性にあふれていると紹介し、「作品に込められた思いや自由な発想から生まれるアートの魅力を感じ、障害者への理解を深める機会になれば」と期待を寄せました。

上野の森美術館 宮内正喜館長

続けて、上野の森美術館 宮内正喜館長が登壇。2022年から上野の森美術館が台東区と連携して展覧会を開催するとともに、障害者福祉施設での美術ワークショップにも取り組んできたことを説明し、台東区における美術活動の広がりを喜びました。出展作品については「描くことの楽しさや、伝えたいという気持ちにあふれた、それぞれがかけがえのない表現」と評し、「作品から生まれるさまざまな思いを感じていただければ」と述べました。

武蔵野美術大学 樺山祐和学長

最後に審査員代表として、武蔵野美術大学 樺山祐和学長による講評が行われました。多彩な表現が集う本展ですが、樺山氏は本年度ならではの傾向として、「墨絵や書などの墨を使った作品が非常に多く、良い作品が集まった」と述べ、「今日あらためて壁に飾られた作品を見て、その一つ一つがいろいろな声で歌っているように感じられた」と振り返りました。

さらに、美術(造形表現)が人の心を打つ理由について、「生命感があふれており、作品そのものが私たちにピュアな感覚を与えてくれるからではないか」と述べたうえで、出展作品を「いずれもピュアで、柔らかな印象がある」と称賛。混迷する時代において、「絵を描くこと、表現することには、さまざまな困難を乗り越えていく可能性がある」と語り、展覧会のさらなる発展への期待と、関係者への敬意を表しました。

ご家族や来場者の前で、賞状と副賞が授与されました。
左から、服部征夫台東区長、台東区長賞を受賞した中島直良さん、石川義弘台東区議会議長

台東区長賞を受賞した中島直良さんのアクリル画《前穂高》は、北アルプス・前穂高岳の残雪がのぞく初夏の姿を描いた一作。突き抜けるような深い青の空と、鮮やかな緑の斜面のコントラストが印象的です。筆致をあえて残す伸びやかなタッチが、ダイナミックな山容に生き生きとしたリズムを与えています。

台東区長賞《前穂高》中島直良

中島さんは、「森の中の展覧会」の第1回から出品しているという常連作家です。絵を描き始めたのは、病気で体調を崩してからのこと。なかでも「描いていて心が落ち着く」という山は、10年以上にわたり取り組んでいる主題だといいます。

本作は、体調を崩す以前、長野県を流れる梓川にかかる河童橋から前穂高岳を見上げた思い出をもとに、写真資料などを参照しながら約半年かけて制作したとのこと。「自分の好きな絵を描いただけですが、こういった賞をいただけるのは嬉しいこと」と受賞を喜び、次回は群馬県・榛名山にある烏帽子岩の景観に挑戦してみたいと意欲をのぞかせました。

上野の森美術館賞《万華鏡の家》卵の国の王様の画家

上野の森美術館賞を受賞したのは、「卵の国の王様の画家」さんの《万華鏡の家》。鮮やかな原色のストライプと幾何学的な構図が、空間の奥行きと物語性を感じさせ、見る者を色の世界へと誘うエネルギッシュな作品です。

もともと上野にある美術館や文化施設めぐりが趣味で、上野の森美術館は特にお気に入りの場所だったそう。そのため、初出品でいきなり賞を受賞したことに、喜びもひとしおだったといいます。

「卵の国の王様の画家」という特徴的なアーティスト名は、空想上の物語に登場する、とある王国の王様やモチーフを描く画家、という世界観を表したもの。王様が目にしている万華鏡に現れた花や車、動物などを、これまでも50点以上の絵で表現してきたといいます。なかでも「家」は、温かく安心できる場所として、本人にとって思い入れの強いモチーフだったため、今回の出品につながりました。

頭に浮かんだ景色やひらめきを忠実に再現するため、制作はいつもスピーディーで、本作も10分ほどで仕上げたというから驚きです。次回は「王様の休日」をテーマに制作予定とのこと。これからの「卵の国」ワールドの展開が待ち遠しいです。

優秀賞、左から《書 昇太之円相》横川昇太、《無題》音頭由基
優秀賞《どんな色がすき?》川浦 陽南子
佳作、左上から《どらやき》斎藤 永津子、《元気なカメ》藤田 ウヤンガ、左下から《版画》内山 龍、《旭川の森》恒松 良彰、《夢鯨》なるみ
佳作《みんなのMALAMA》放課後等デイサービスMALAMA

会場では、出品作家がご家族と嬉しそうに記念撮影をしている一方で、来場者が作品に添えられた作家コメントをヒントに、発想の素晴らしさや創意工夫について熱心に言葉を交わす場面も多く見られました。一角では、福祉作業所等で製作されたオリジナル商品の販売「森の中マルシェ」も行われ、終始にぎわいに包まれていたのが印象的です。

右は、「森の中の展覧会」チラシの題字・森のイラストを担当した高橋祐次さんの原画《森の中》

ますます輪が広がる「森の中の展覧会」。受賞作品の一部は4月30日まで台東区役所1階 アートギャラリーにて展示を予定していますので、ぜひ足を運んでみてください。

 

■令和7年度(第5回)「森の中の展覧会」概要
会期:令和8年3月6日(金)~3月10日(火)
会場:上野の森美術館
入場料:無料
受賞作品一覧:https://www.culture.city.taito.lg.jp/ja/shogaisha_arts/morinonakanotenrankai/r07

■美術ワークショップの様子を公開しています
令和7年12月5日実施 美術ワークショップ映像
https://www.youtube.com/watch?v=cFAXP3nOTe8

■表彰式の様子を公開しています
令和8年3月7日実施 令和7年度(第5回)「森の中の展覧会」表彰式映像
https://www.youtube.com/watch?v=FQtVyqyo1v8


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【東京都美術館】「スウェーデン絵画 北欧の光、日常のかがやき」取材レポート。スウェーデン画家たちが自国のアイデンティティを示した黄金期をたどる

東京都美術館
カール・ラーション《カードゲームの支度》1901年(年記)

近年世界的に注目を集める、スウェーデン美術黄金期の絵画を本格的に紹介する日本初の展覧会「東京都美術館開館100周年記念 スウェーデン絵画 北欧の光、日常のかがやき」が東京都美術館で開催されています。会期は2026年1月27日(火)から4月12日(日)まで。

※掲載作品はすべてスウェーデン国立美術館所蔵です。

「東京都美術館開館100周年記念 スウェーデン絵画 北欧の光、日常のかがやき」展示風景、東京都美術館、2026年

岩礁が続く海岸線。雄大な森や湖。雪に覆われた厳しい冬の大地。あるいは、夏至祭に代表される伝統文化やウェルビーイングな暮らし――。今日、私たちが思い描く「スウェーデンらしさ」が同国出身の画家たちにより「再発見」されたのは、スウェーデン美術の黄金期といわれる1880年代から1915年頃にかけてのことでした。本展は、スウェーデン国立美術館の全面協力のもと、スウェーデン美術の黄金期の展開を約80点の絵画で体系的に紹介。自然と共に豊かに生きる北欧ならではの感性に迫るものです。

展示は全6章構成。第1章「スウェーデン近代絵画の夜明け」は、スウェーデン独自の芸術の確立を目指し、北欧の神話や民間伝承を主題とした最初の画家とされる、ニルス・ブロメールから始まります。

ニルス・ブロメール《草原の妖精たち》1850年(年記)

スウェーデンでは、1735年に他の北欧諸国に先駆けて王立素描アカデミー(のちに王立美術アカデミーに改称)が創設されました。フランスに倣った伝統的な美術教育が行われ、自国の歴史や神話が重要な主題として奨励されていましたが、19世紀半ば頃になると、フランスやドイツで新たな潮流となっていたロマン主義的理念の影響を強く受けるようになります。とりわけ風景画では、綿密な自然観に基づいて、その荒々しさと崇高さをドラマティックに描き出すドイツのデュッセルドルフの画家たちの作品が手本とされ、スウェーデンをはじめとする多くの北欧の画家たちが憧れをもって同地へ赴きました。

マルクス・ラーション《荒れ狂うボーヒュースレーンの海》1857年(年記)
エードヴァッド・バリ《夏の風景》1873年(年記)

こうした動向は、1850年にストックホルムで開催された北欧美術の展覧会が関係しています。同展には、デュッセルドルフ派に学んだノルウェー人画家たちが、ノルウェーの農民の生活やフィヨルドの雄大な景観を描いた作品を出品しました。それらはスウェーデン人画家たちの目に、外国の斬新な表現をまといつつも北欧の現実の世界に深く根差した芸術として映り、自国にも新しい固有の芸術を創造したいという思いを芽生えさせたのでした。

1870年代後半に入ると、アカデミーの時代遅れの教育法に不満を抱いていたスウェーデンの若い画家たちは、新しい表現や価値観と指導を求めてパリへ向かいました。当時のパリでは、従来の芸術の価値観を覆す印象派などの新しい表現が花開いていましたが、スウェーデン人画家の多くは、むしろ人間や自然のありのままの姿を写し取ろうとするレアリスムや自然主義的な表現に傾倒していきます。

ヒューゴ・サルムソン《落穂拾いの少女》1880年代初頭

第2章「パリをめざしてーフランス近代絵画との出合い」で紹介されるヒューゴ・サルムソン(1843-1894)は、フランスで研鑽を積んだ最初期のスウェーデン人画家であり、労働にいそしむ農民の姿を見つめたバルビゾン派やジュール・バスティアン=ルパージュ、ジュール・ブルトンらのレアリスム絵画を好んでいました。《落穂拾いの少女》を見れば、その影響が主題のみならず、即興的でラフな筆遣いによる自然描写にも顕著に表れていることがわかります。

展示風景、右はアンナ・ノードグレーン《車窓の女性》1877年(年記)
アーンシュト・ヨーセフソン《少年と手押し車》1880年

また、パリ滞在中に外光派に触れ、明るくみずみずしい色彩と光に満ちた作風を獲得した画家のひとりにアーンシュト・ヨーセフソン(1851-1906)がいます。1885年には、ヨーセフソンらを中心とする若い芸術家たちが、旧態依然とした王立美術アカデミーに改革を求める意見書を提出。決別の道を選んだ彼らは「オポネンテナ(反逆者たち)」と呼ばれ、1890年代以降のスウェーデン絵画の流れを先導していくことになります。

第3章「グレ=シュル=ロワンの芸術家村」では、戸外制作を重視するようになった北欧の芸術家たちによって、フランス各地で制作のコロニー(共同体)が形成されたことを紹介。1880年代、スウェーデン人画家たちが拠点のひとつとしたのは、パリの南東70キロメートルに位置する小さな村グレ=シュル=ロワンです。彼らはここで夏を過ごしながら、農民たちの日常の営みやロワン川沿いの牧歌的な情景などを捉えました。

カール・ノードシュトゥルム《グレ=シュル=ロワン》1885-1886年(年記)
ブリューノ・リリエフォッシュ《カケス》1886年(年記)
オスカル・ビュルク《スケーインの学校》1884年

スウェーデンの国民的画家カール・ラーション(1853-1919)もまた、無名だった時代に同地に転居して水彩と出合い、まばゆい光にあふれた軽やかな風景画に新たな表現の方向性を見出しています。

1880年代の終わり頃になると、フランスで制作していたスウェーデン画家たちの多くが帰郷し、自国のアイデンティティを示すべく、スウェーデンらしい芸術の創造を目指しました。

第4章「日常のかがやき―“スウェーデンらしい”暮らしのなかで」では、厳しくも豊かな自然や自らの家族、気の置けない仲間たち、あるいは日常にひそむ一瞬の喜びのような「かがやき」にモティーフを見いだし、親密で情緒あふれる表現で描き出していった画家たちの作品を取り上げています。

カール・ラーション《カードゲームの支度》1901年(年記)

なかでも「スウェーデンらしい暮らし」のイメージをかたち作ったのはラーションです。ラーションは、中部のダーラナ地方にある田舎町スンドボーンに構えた2階建ての家「リッラ・ヒットネース」に、同じく画家であった妻カーリンと7人の子どもたちと暮らしました。家族の用途に合わせて繰り返し改築を行っており、当時イギリスで流行したアーツ・アンド・クラフツ運動にも影響を受けつつ、さまざまな時代・様式の家具をうまく組み合わせ、カーリン自らデザインしたテキスタイルや刺繍などで室内を装飾。情熱をもって生活の総合芸術たる理想の家を作り上げていきました。

当時のスウェーデン社会では、職人の手仕事による「真に美しいもの」に囲まれた、質素でありながら快適な住居環境が人々の美意識を育み、よりよい社会の形成につながるという考え方が広まりつつあったといいます。こうした文化的背景のもとで、ラーションは自邸の室内装飾や、賑やかでのびのびとした生活の様子、季節行事などを収めた水彩画集『ある住まい(Ett hem)』を1899年に発刊。これが「スウェーデンらしさ」を象徴する理想的な家庭のイメージとして広く知られるようになったのです。

カール・ラーション《キッチン(『ある住まい』より)》1894–1899年

なお、24点の水彩画が収録されている『ある住まい』ですが、本展では作品保護のため、原画展示は東京、山口、名古屋の各会場で1点ずつとなっています。かわりに、特別制作された映像コンテンツによってさらに9点の水彩画を紹介。大画面で「リッラ・ヒットネース」に満ちた心温まる雰囲気を伝えています。

ブリューノ・リリエフォッシュ《そり遊び》1882年(年記)
ハンナ・パウリ《グランドピアノにて》1892年(年記)
展示風景、左からエルサ・バックルンド=セルスィング《コーヒー・タイム》1916年頃、エーヴァ・ボニエル《家政婦のブリッタ=マリーア・バンク(愛称ムッサ)》1890年

ラーションの友人であり、国際的に最も早く成功を収めたスウェーデン人画家のひとりであるアンデシュ・ソーン(1860-1920)もまた、パリから戻り、生まれ故郷であるダーラナ地方のモーラに定住しました。ダーラナ地方はスウェーデンの中でも特に歴史や伝統が息づく土地であり、ソーンは近代化の影で失われつつあった、ダーラナの伝統的な音楽や衣装といった民俗文化をたびたび主題にしています。素早い筆致で、そこに流れる一瞬の光や空気を逃さず鮮やかにとらえた作風が魅力であり、《編み物をするダーラナの少女コール=マルギット》は、今日までスウェーデンで最も愛され、繰り返し複製イメージが作られた作品として知られています。

アンデシュ・ソーン《編物をするダーラナの少女コール=マルギット》1901年(年記)
アンデシュ・ソーン《故郷の調べ》1920年(年記)

一方で、自らの精神世界やナショナリズムに結びついた北欧神話、民間伝承の視覚化といった、現実を超えた見えない世界に関心を寄せた画家たちに焦点を当てるのが第5章「現実のかなたへ―見えない世界を描く」です。

アウグスト・マルムストゥルム《インゲボリの嘆き(エサイアス・テグネール『フリッティオフ物語』より)》 1887年頃

スウェーデンの童話集『トムテとトロルといっしょ(Bland tomtar och troll)』の挿絵で有名なヨン・バウエル(1882-1918)は、トロルや森の妖精が登場する北欧民話を主題とした幻想的な世界観で愛された挿絵画家です。抑制された色彩で描かれた、まるで意思を持つかのような薄暗い森の表現、不気味さの中に哀愁やユーモアを帯びたトロルの姿は、神秘性をたたえて自然への畏敬の念を強く印象づけます。

ヨン・バウエル《扉を開けたラッブモール》1913年以降
カール=フレードリック・ヒル《馬車のいる荒地の風景》1878年

ひときわ特異なのは、19世紀スウェーデンを代表する劇作家、文筆家のアウグスト・ストリンドバリ(1849-1912)です。ストリンドバリが独学で絵画制作に没頭したのは、生涯のうちごく限られた期間であり、それは戯曲創作の不振や家庭内での不和、オカルティズムや化学実験への傾倒など、精神的に不安定であった時期と重なります。ペインティングナイフを用いて、制作過程での偶然性や無意識から浮かび上がるイメージを最大限に生かす独創的な表現で、自身の心境までも見る者の心理に直接訴えかける風景を生み出しました。

アウグスト・ストリンドバリ《ワンダーランド》1894年(年記)

第6章「自然とともにー新たなスウェーデン絵画の創造」は本展のハイライトです。かつては「描くべきもののない国」とされたスウェーデンでしたが、1890年代以降、豊かな森林や湖、岩礁の続く海岸線、雪に覆われた冬の大地といったスウェーデンならではの自然が画家たちによってあらためて「発見」され、それらを描くにふさわしい表現方法が模索されました。

オーロフ・アルボレーリウス《ヴェストマンランド地方、エンゲルスバリの湖畔の眺め》1893年(年記)
ゴットフリード・カルステーニウス《群島の日没》1907年

たとえば、グスタヴ・フィエースタード(1868-1948)はスウェーデン中西部ヴァルムランド地方のラッケン湖畔に定住し、生涯を通じて冬の情景を描き続けた画家です。《冬の月明かり》は、地面や針葉樹を覆う、もこもこと丸みを帯びた雪の量感たっぷりな装飾的表現が特徴の作品。小さな点や線をリズミカルに重ね、面としての統一感をもたせるような独自の点描が生み出す光の効果が、一面の銀世界にフィエースタードらしい神秘的で静謐な雰囲気を与えています。

グスタヴ・フィエースタード《冬の月明かり》1895年(年記)

とりわけこの時期の風景画では、画題や技法の探求にとどまらず、風景を通して感情や雰囲気を表現することが重視されました。その役割を担ったのは、1880年代の作品に見られた燦燦と輝く陽光の代わりに登場した、黄昏時や夜明けの淡く繊細な光――夏の夜であれば、長い時間続く薄明りや夜を包む青い光が叙情をたたえて、スウェーデンの豊かな自然の風景を照らすようになったのです。のちに「ナショナル・ロマン主義」と呼ばれるこうした芸術潮流により、他国の美術には見られないスウェーデンらしい絵画が生み出されていきました。

オット・ヘッセルボム《夏の夜(習作)》1900年頃

パリ滞在時からさまざまな労働環境で働く馬に強い関心を寄せていたニルス・クルーゲル(1858-1930)は、スウェーデン帰国後も故郷カルマルに近いウーランド島で、放牧された馬や牛などの家畜が憩う姿を繰り返し描きました。晩年のファン・ゴッホから強い影響を受けており、黄昏時の空気と光を情感豊かに捉えた《夜の訪れ》でも、画面の半分を占める青い光が、ファン・ゴッホ的な短いストロークの描線で表現されています。よく観察すれば、青い光は空を満たすだけでなく、草を食む馬の身体や大地にも降り注いでおり、何気ない風景に壮大で幻想的な雰囲気を生み出しています。

展示風景、右はニルス・クルーゲル《夜の訪れ》1904年(年記)

なお、本展の音声ガイド(有料)には、同館初の試みとしてスペシャルトラックに「スロールッキング」が取り入れられています。スウェーデン国立美術館の教育プログラムでも実践されている鑑賞プログラムであり、1つの作品をじっくりと観察し、問いを重ねるプロセスを通じて、作品をより深く味わうことができますので、来場の際はぜひ忘れずにチェックしてみてください。

「東京都美術館開館100周年記念 スウェーデン絵画 北欧の光、日常のかがやき」概要

会場 東京都美術館
会期 2026年1月27日(火)―4月12日(日)
開室時間 9:30~17:30
※金曜日は20:00まで ※入室は閉室の30分前まで
休室日 月曜日、2月24日(火)
※ただし2月23日(月・祝)は開室
観覧料 一般 2,300円、大学・専門学校生 1,300円、65歳以上 1,600円
※18歳以下、高校生以下無料。
※1月27日(火)– 2月20日(金)までの平日のみ、大学・専門学校生は無料。
※身体障害者手帳・愛の手帳・療育手帳・精神障害者保健福祉手帳・被爆者健康手帳をお持ちの方とその付添いの方(1名まで)は無料。
※18歳以下、高校生、大学・専門学校生、65歳以上の方、各種お手帳をお持ちの方は、いずれも証明できるものをご提示ください。
主催 東京都美術館(公益財団法人東京都歴史文化財団)、NHK、NHKプロモーション、東京新聞
お問い合わせ 050-5541-8600(ハローダイヤル)
展覧会公式サイト https://swedishpainting2026.jp
公式X @swedish2026
公式Instagram @swedish2026

※記事の内容は取材時点のものです。最新情報は展覧会公式サイト等でご確認ください。


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【一葉記念館】特別展「一葉が暮らした下谷龍泉寺町」取材レポート。名作「たけくらべ」を生んだ創作の転換点をたどる

台東区立一葉記念館

 

台東区立一葉記念館では、代表作「たけくらべ」の舞台にもなった、下谷龍泉寺町(現・竜泉)での樋口一葉の暮らしを紹介する特別展「一葉が暮らした下谷龍泉寺町」が開催中です。会期は令和7年10月25日(土)から12月21日(日)まで。

台東区立一葉記念館
■台東区立 一葉記念館
明治期の傑出した女流作家・樋口一葉の文学業績を永く後世に遺すべく集まった有志らの尽力により、昭和36年(1961)に日本初となる女性作家の単独文学館として開館。一葉が新五千円札の肖像画に選ばれたことを契機に、平成18年(2006)に老朽化した旧館をリニューアル。建築家・柳澤孝彦設計によるデザインの美しさも見どころとなっています。館内には「たけくらべ」の未定稿をはじめ、書簡、和歌短冊といった、一葉の創作活動や暮らしぶりを伝える貴重な資料が多数収蔵・展示されています。

〈奇跡の14か月〉の糧となった、下谷龍泉寺町の生活体験

樋口一葉(本名:奈津)は明治5年(1872)生まれ、当時の中流家庭の出身です。幼い頃から才気にあふれ、14歳で中島歌子の歌塾「萩の舎」に入り、古典や和歌、書を学びました。

明治22年、病没した父が遺した多額の負債を抱え、わずか17歳で戸主として母たき・妹くにを支える苦しい生活を余儀なくされます。新聞記者兼作家の半井桃水に師事し、明治25年に文芸雑誌『武蔵野』に掲載した「闇桜」で小説家デビュー。原稿料で家族を養おうとしますが、窮乏から脱することは叶わず、明治26年7月、閑静な本郷菊坂町から吉原遊郭近くの下谷龍泉寺町368番町に転居し、荒物(※日用品)駄菓子屋を開業。千束稲荷の祭礼や酉の市など地域の年中行事の熱気に触れ、遊郭に出入りする人々を観察しながら日々を過ごします。

結局、商売は軌道に乗らず、わずか9か月余りで本郷丸山福山町へ移り住むことになりましたが、そこから執筆活動に専念し、下谷龍泉寺町での生活体験に取材した「たけくらべ」や「にごりえ」、「十三夜」など傑作小説を次々に発表。のちに〈奇跡の14か月〉と評されます。森鷗外や幸田露伴らに絶賛され、執筆依頼も相次ぎますが、明治29年(1896)、肺結核のため24歳の若さでこの世を去ります。

展示風景

特別展「一葉が暮らした下谷龍泉寺町」は、一葉が作家として才能を開花させる土壌となった下谷龍泉寺町の地域性を紹介し、彼女がここでどのように暮らし、何を見て、何を学んだのかをひも解くものです。

一葉が暮らした貧しい長屋街

展示室に入ると、綿密な時代考証と聞き取り調査にもとづき再現された、当時の下谷龍泉寺町の模型が来場者を迎えます。中央には一葉が暮らしていた二軒長屋があり、そこからまっすぐ伸びる大音寺通り(現・茶屋町通り)の先に見えるのは、吉原遊郭との境界を示す「お歯黒どぶ」の石垣と非常門。歩いて数分ほどの近さです。

「明治26年頃の下谷龍泉寺町」昭和36年(1961)/考証:上島金太郎他
「明治26年頃の下谷龍泉寺町」昭和36年(1961)/考証:上島金太郎他
「お歯ぐろ溝に燈火うつる三階の騒ぎも手に取る如く、明けくれなしの車の行来にはかり知られぬ全盛をうらなひて(中略)三嶋神社の角をまがりてよりこれぞと見ゆる大厦(いへ)もなく、かたぶく軒端の十軒長屋二十軒長や……」(「たけくらべ」冒頭より)

現代語訳:お歯黒どぶにまで灯りが映る三階建ての遊郭の騒ぎが、手に取るように聞こえてくる。朝夕の区別がない車の往来の多さに、計り知れない栄華があることが伺える。(中略)しかし、三嶋神社の角を曲がって進むと、目立つような大きな屋敷は見当たらず、傾いた軒の長屋が十軒、二十軒並んでいる。

■「此家ハ下谷よりよし原がよひの只一筋道にて 夕がたよりとゞろく車の音飛びちがふ燈火の光り たとへん詞になし」(日記「塵之中」より)

現代語訳:この家は下谷から吉原へ通じるただ一本の道沿いにあり、夕方になると人力車の音が響き、明かりがあちこちに揺れている。その様子は言葉でたとえようがないほどだ。

三島神社から吉原遊郭へ繋がる大音寺通りは、吉原通いの人力車が行き交う主要なルートでした。一葉の残した言葉と模型を合わせて眺めると、吉原の華やかな灯りや三階建て妓楼の賑わい、絶え間ない車の往来と、そのすぐ近くの粗末な長屋街という、強い対比が鮮明に立ち上がってきます。

三浦宏「下谷竜泉寺町 一葉旧居」昭和50年代
二軒長屋の隣は人力車の車宿として使われていました。
樋口一葉自筆 西村釧之助宛書簡、明治26年7月9日
転居の前、一葉が商いを始めるための融資について問い合わせた手紙。

明治時代の吉原の姿――仁和賀は子供たちも熱中

「たけくらべ」は、下谷龍泉寺町界隈と吉原遊郭を舞台に、いずれ僧侶となる信如と、遊女となる美登利、そしてその幼馴染・正太郎の淡い恋心や大人に近づいていく葛藤を、季節の行事を背景に情緒豊かに描いた作品です。

物語は千束稲荷の祭礼2日前の8月18日に始まり、三の酉の後、11月末から12月初め頃に終わりますが、それは一葉が下谷龍泉寺町で過ごした期間と重なります。一葉自身の生活体験が作品に色濃く反映されているのは明らかで、登場人物も多くは実在の人物をモデルにしていたといわれます。

明治時代の吉原の写真資料

今にも喧騒が伝わってきそうな錦絵「新吉原角街稲本樓ヨリ仲之街仁和賀一覧之図」で描かれているのは、作中にも登場する秋の仁和賀(にわか)。街頭の屋台で芸者衆が即興芝居を披露する行事です。吉原では春の仲之町桜(夜桜)、夏の玉菊灯篭、秋の仁和賀が吉原三景物として人気を集めており、一葉はこれらを作品に取り入れることで四季の移ろいを美しく表現しました。

上:落合芳幾「新吉原角街稲本樓ヨリ仲之街仁和賀一覧之図」明治2年(1869)
下:楊州周延「新吉原俄の賑ひ」明治12年(1879)

また作中では、吉原の空気にすっかり染まった訳知り顔の子どもたちが、仁和賀の時期になると芸者の真似をし始める様子が描かれていますが、一葉はその上達の早さを「孟子の母も驚くだろう」と半ば呆れを滲ませるように記しています。こうしたリアルな所感が盛り込まれるのも、実際の生活者であった一葉ならではと言えるでしょう。

一葉は吉原を外から眺めるだけでなく、実際に足を運ぶこともあったといいます。仕事を斡旋してくれた引手茶屋の女中頭から廓内の事情を聞いたり、玉菊灯篭を見物したり、廓内を流す新内節の女大夫の年齢・服装・佇まいまで細かく書きとめたり……。そうした一つひとつの取材が、のちの『たけくらべ』を形づくっていったのです。

荒物駄菓子屋で試行錯誤する日々――ときには愚痴をこぼすことも

瀧澤康裕「仕入れ帰りの一葉」昭和59年(1984)

ひときわ目を引く一葉の肖像画は、日記「塵之中」にある明治26年(1893)8月6日の記述「六日、晴れ。店を開く、(略)今宵はじめて荷をせをふ、中々に重きものなり……」から着想を得たとされています。8月6日は店の開店日であり、当初ははたき、石鹸、たわし、浅草紙などの雑貨を販売していました。すぐにそれだけでは商売にならないことを察し、菓子卸売業を営む友人の父を頼り、めんこ、風船、絵草紙といった玩具や駄菓子の扱いも開始。集まった子供たちとも親しく接する日々を送りました。

樋口一葉自筆 仕入帳、明治26年(1893)9月1日~11月23日

夏の暑さの中、転居先探しに下駄か草履で一日20kmを歩き回るほど元気溌剌な一葉でも、商いの目まぐるしさは堪えたようで、手紙や日記にはさまざまな愚痴が残されています。たとえば、友人・野々宮起久子から故郷の千葉県多古町へ保養に誘われた一葉は、

■「せめては三日がほどを塵外にのがれ度と願ひながら(中略)厘毛のあらそひに寸の暇もなく火宅のやどにうごめき居候次第御笑い可被下候」

現代語訳:せめて三日でもいいから、この煩わしい俗世の外へ逃れたいと願っているのですが、些細な問題事が絶えず起こり、少しの暇もなく、苦しい生活環境でもがいているありさまです。どうか笑ってやってください。

と、返事の手紙の中で自身の境遇を自嘲気味に綴っています。

樋口一葉筆 野々宮起久子宛書簡、明治26年(1893)9月28日

方々に手を尽くしたものの、翌年1月には茶屋町通りに同業者が開業したこともあり、経営は悪化。結局、わずか9か月余りで荒物駄菓子屋を畳み、転居した本郷丸山福山町で腹をくくり、執筆活動に専念することとなりました。

再び小説家の道に戻った一葉

ところで、ほぼ絶筆状態だった下谷龍泉寺町での生活の最中も、「うもれ木」で一葉の才能を高く評価していた作家・星野天知や平田禿木は、多忙を理由に執筆をためらう一葉を根気よく説得し続けていました。その結果、彼らが創刊した雑誌『文学界』に「琴の音」と「花ごもり」の2作を発表するに至っています。本展では、推敲の跡や大幅な削除が見られ、執筆の苦心が伝わる「花ごもり」の未定稿や、「琴の音」執筆時の呻吟の様子を記した日記資料、両作の初出掲載誌などを展示しています。

『文学界』12月号(「琴の音」掲載)、明治26年(1893)12月30日、文学界雑誌社
樋口一葉自筆 小説「花ごもり」未定稿、明治27年(1894)

会場の最後には「たけくらべ」の関連資料が並び、未定稿や折画本『たけくらべ絵巻』、さらには『文芸倶楽部』一括掲載時の原稿を掲載した書籍などを鑑賞できます。未定稿は完成稿とは大きく内容が異なるため、読み比べてみると新たな発見があるでしょう。

小説「たけくらべ」未定稿、明治28年(1895)
左:豊原国周「見立昼夜廿四時之内 午后十二時(新内)」明治24年(1891)
右:昇斎一景「東京名所四十八景 新吉原見かえり柳」明治4年(1891)

ありふれた悲恋物をはじめ、空想的な作風だった初期から、下谷龍泉寺町での鮮烈な生活体験をもとに、ときに貧困や女性の苦境など過酷な現実を捉えたリアルな作風へ変化した一葉。明治期を代表する作家として高い評価を受けることとなった彼女の、重大な創作の転換点を紹介する本展にぜひ足を運んでみてください。

樋口一葉旧居跡碑

なお、一葉記念館から2分ほど歩いた茶屋町通りには「樋口一葉旧居跡碑」があります。竜泉界隈は、関東大震災後の帝都復興計画による土地区画整理事業の影響で、一葉が暮らしていた当時とは大きく姿を変えていますが、「下谷よりよし原がよひの只一筋道にて」の面影は残っています。

茶屋町通りを東側に進むと、吉原揚屋町の非常門の場所を示す柱も建っています。特別展の鑑賞とあわせて、一葉の長屋から吉原遊郭がどのように見えていたか、現地で思いを馳せてはいかがでしょうか。

特別展「一葉が暮らした下谷龍泉寺町」概要

会期 令和7年10月25日(土)~12月21日(日)
会場 台東区立 一葉記念館(東京都台東区竜泉3丁目18番4号)
開館時間 午前9時~午後4時30分(入館は4時まで)
休館日 毎週月曜日
入館料 大人 300円、小中高生 100円

※身体障害者手帳、療育手帳、精神障害者保健福祉手帳、特定疾患医療受給者証をお持ちの方とその介護者の方は無料。
※毎週土曜日は台東区在住・在学の小、中学生とその引率者の入館料が無料。

お問い合わせ 一葉記念館 03-3873-0004
公式サイト https://www.taitogeibun.net/ichiyo/

※記事の内容は取材日時点のものです。最新の情報は公式サイト等でご確認ください。


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【国立科学博物館】「大絶滅展―生命史のビッグファイブ」取材レポート。絶滅と進化の歴史を最新研究で紐解く

国立科学博物館

 

地球40億年の歴史上で起きた5回の「大量絶滅」事変、通称ビッグファイブをテーマとした特別展「大絶滅展―生命史のビッグファイブ」が、国立科学博物館で開催中です。会期は2025年11月1日(土)から2026年2月23日(月・祝)まで。

会場風景

生命史において「絶滅」と「進化」は隣り合わせです。ある生物種が子孫を残さずに死に絶えることを絶滅と呼び、通常では100万年ごとに10%程度の種が絶滅すると考えられています。一方で、異なる分類群の生物種が、地質学的に極めて短期間で一斉に絶滅する現象を大量絶滅と呼びます。

ときに生物種の約90%が死に絶え、生態系に甚大な影響を及ぼしてきた――。こう聞くと、大量絶滅という現象にネガティブな印象を抱くかもしれません。しかし、約6600万年前の小惑星衝突は「恐竜時代」に終焉をもたらした一方で、空白となった陸上生態系の主導権を哺乳類が引き継ぎ、その後の多様な進化の過程が私たち人類の誕生へとつながりました。このように、絶滅した分類群に代わって新しい分類群が繁栄することは、生命史を通じて繰り返されてきました。つまり、大量絶滅は生命史における大きな転換点であり、生命の進化と多様化を促す原動力としても捉えることができるのです。

特別展「大絶滅展―生命史のビッグファイブ」は、生命史を大きく方向づけた、特に大規模な5回の大量絶滅事変、通称ビッグファイブをテーマに、それぞれの要因や絶滅前後の生物多様性を、最新研究にもとづくエビデンスとともに紐解くものです。

会場風景、中央は「大絶滅スフィア」

イントロダクションを抜けると、ビッグファイブのダイジェストイメージを流す球状の映像展示「大絶滅スフィア」が来場者を出迎えます。

この大絶滅スフィアを中心として、ビッグファイブをエピソード別に解説するエリアに、その後に続く新生代の世界について触れるエリアを加えた、計6エリアを放射状で配置。一つのエリアを見終わるたびに大絶滅スフィアに戻っているという、科博の特別展ではやや珍しい展示構成になっており、各エリアの行き来がしやすいのがポイントです。

展示内容は次のとおり。

エピソード1「O-S境界 海の環境の多様化」 
エピソード2「F-F境界 陸上生態系の発展」
エピソード3「P-T境界 史上最大の絶滅」
エピソード4「T-J境界 恐竜の時代への大変革」
エピソード5「K-Pg境界 中生代の終焉」
エピソード6「新生代に起きた生物の多様性 ビッグファイブ後の世界」

「〇-〇境界」は地質年代区分の用語であり、たとえば「O-S境界」は、第1の大量絶滅が起きた約4億4400万年前、オルドビス紀とシルル紀の境界を表しています。

エピソード1「O-S境界 海の環境の多様化」の展示風景/主にカンブリア紀~オルドビス紀に生息した、アノマロカリスに代表されるラディオドンタ類の展示
エピソード1「O-S境界 海の環境の多様化」の展示風景/第1の大量絶滅後、シルル紀の水中生態系で多様化した動物の一つであるウミサソリ類、アクティラムスとユーリプテルスの展示
エピソード2「F-F境界 陸上生態系の発展」の展示風景/デボン紀前期に誕生したアンモナイトは、絶滅と回復を繰り返しながら、白亜紀末に起きた第5の大量絶滅まで世界中の海で繁栄した

なお、本展開催にあたっては、ビッグファイブと関連の深いモロッコにおいて、オルドビス紀末の大量絶滅前の世界を垣間見られる「フェゾウアタ化石群」や、三葉虫などの採集標本、三畳紀末の大量絶滅に関わる火山活動の調査なども実施し、調査結果を世界初公開しています。エピソード2で登場する巨大な甲冑魚、板皮類のダンクルオステウスの化石標本もその成果の一つです。

エピソード2「F-F境界 陸上生態系の発展」の展示風景/ダンクルオステウスの展示
エピソード2「F-F境界 陸上生態系の発展」の展示風景/モロッコ南部で発見されたダンクルオステウスの化石、東京都市大学蔵

約3億8000万年前~約3億6000万年前、F-F境界(デボン紀後期に相当)で段階的に発生した大量絶滅は、火山噴火などによる急激な寒冷化と、海洋無酸性化の二重打撃が原因とされています。規模はビッグファイブの中で最小であったものの、主に海域生物が甚大な被害を受け、属の18~41%、種の42~69%が絶滅。サンゴ礁の大崩壊が起き、顎をもたない魚類はほぼ100%が姿を消しました。

ダンクルオステウスは4mを超える体長、強力な顎を備えた頭骨を持つ大型の板皮類。デボン紀後期の海の支配者として君臨していましたが、板皮類もまた、石灰紀まで生き延びることはできなかったようです。

エピソード2「F-F境界 陸上生態系の発展」の展示風景/ワッティエザ(幹と葉)の化石(レプリカ)、国立科学博物館蔵

一方で陸域を見ると、根も葉ももたなかった植物は、デボン紀を通じて体の構造の急速な進化を果たし、デボン紀中期以降には太い幹をつくり木となる複数の分類群が登場。このうち、世界最古の木として知られるのがアメリカ・ニューヨーク州で発見された原始的なシダ類、ワッティエザです。(本展ではレプリカを展示)初期の全裸子植物や小葉類なども現れ、デボン紀後期には史上初めての森林が形成されました。

こうした森林の登場による大規模な二酸化炭素の消費が気候の寒冷化を促し、海洋生物の大量絶滅を助長した可能性も指摘されています。

エピソード3「P-T境界 史上最大の絶滅」の展示風景/第3の大量絶滅前、ペルム紀に栄えた螺旋形に巻く奇妙な歯をもつ軟骨魚類ヘリコプリオンの化石、群馬県立自然史博物館蔵
エピソード3「P-T境界 史上最大の絶滅」の展示風景/ペルム紀に地上の支配者となった単弓類の一種、コティロリンクスの全身骨格化石(レプリカ)、栃木県立博物館蔵
エピソード4「T-J境界 恐竜の時代への大変革」の展示風景/第4の大量絶滅前、三畳紀後期に繁栄したフィトサウルス類のレドンダサウルスと、絶滅後のジュラ紀に繁栄した恐竜類のクリオロフォサウルスの比較展示
エピソード4「T-J境界 恐竜の時代への大変革」の展示風景/足跡は意外とかわいい、恐竜類の行跡化石(レプリカ)、ジュラシカミュージアム(スイス)蔵

エピソード5「K-Pg境界 中生代の終焉」では、約6600万年前の白亜紀末に起きた第5の大量絶滅について解説しています。引き金となったのは、メキシコのユカタン半島付近に落下した、直径約10kmもの小惑星の衝突です。

落下の衝撃エネルギーは大量の硫黄を含む蒸気を発生させ、それが水蒸気と反応して硫酸塩エアロゾルとなり、森林火災により発生した煤とともに数年~数十年間にわたり太陽光を遮断。食物連鎖の基盤たる植物の光合成を停止させたうえ、硫酸塩エアロゾルが硫酸の酸性雨を発生させたことで、生物に大打撃を与えました。

会場では、その小惑星と同タイプだと推定される、1969年にオーストラリア・マーチソン地方に落下したCM2型の炭素質コンドライト隕石や、小惑星衝突の際に発生した地震と巨大津波が形成した地層の標本を展示しています。

エピソード5「K-Pg境界 中生代の終焉」の展示風景/左がマーチソン隕石、国立科学博物館蔵

また、第5の大量絶滅を生き延びた中生代の哺乳類や森林の回復を取り上げるパートでは、世界有数の脊椎動物と植物の化石コレクションを誇る、アメリカのデンバー自然科学博物館から来日した貴重な化石標本が多数登場しています。

エピソード5「K-Pg境界 中生代の終焉」の展示風景/デンバー自然科学博物館提供の化石展示

貴重な標本といえば、続くエピソード6「新生代に起きた生物の多様性 ビッグファイブ後の世界」では、東京・多摩川で発見されたステラーダイカイギュウの全身骨格化石を世界初公開しています。ステラーダイカイギュウは北太平洋に生息していた海藻食の大型哺乳類で、今回展示している全長約6mの化石は世界最古のもの。この種は1768年の目撃情報を最後に姿を消しており、人間活動が絶滅を早めたのではないかとする説もあるようです。

エピソード6「新生代に起きた生物の多様性 ビッグファイブ後の世界」の展示風景/ステラーダイカイギュウの全身骨格化石(一部レプリカ)、国立科学博物館蔵

近年、人間活動が起因したと考えられる環境変化や生物多様性の消失が世界各地で話題となり、現代は「第6の大量絶滅期」であるとも表現されています。本展を訪れたなら、通覧してきたような自然科学研究から得られた知見で、いま起こっている絶滅や気候変動が将来何をもたらしうるかを予測し、準備や対策につなげることの重要性を理解できるでしょう。

本展総合監修をつとめた矢部淳先生と福山雅治さん

先立って行われた報道発表会では、本展のスペシャルナビゲーターをつとめる福山雅治さんが登壇しました。

福山さんは、NHKの自然ドキュメンタリー番組『ホットスポット 最後の楽園』でナビゲーターを務め、15年にわたり世界各地を巡りながら、絶滅の危機にある野生動物たちの驚きの生態や進化の不思議を追いかけてきました。第2会場では、福山さんが撮影した動物たちの写真27枚を、ステートメント「生命の声、地球の歌」とともに特別展示しています。

第2会場の展示風景

創作活動の原点には、女手一つで4人の子どもを育てながら、農業で自然と向き合い続けた祖母の存在があったと話す福山さん。「自然は、遠くにあるすごく美しいものであると同時に、生きていくには非常に大変な場所、という考えが幼い頃からありました。ですので、自然番組のオファーをいただいたときに、なにか美しいものを見に行きたいというよりは、僕たち家族が生きてきた、生きさせてもらえた自然というものが、今どうなっているのかということに関する興味がありました」と番組への想いを明かします。

また、福山さんは本展を通じて、地球を一つの生命体と捉えたときの“代謝”として、地殻変動や火山活動が起きているように感じたそう。「大絶滅が起こったときは70%、場合によっては90%の生物が絶滅してしまうということで。それは地球という生命体が成⾧・進化するための生贄だったのか。生き残った生物は地球にとって必要な生物だったのだろうなと考えると……。であれば、現在を“第6の絶滅期”と考えたときに、果たして我々は地球という生命体に対して何ができているのか。もしかしたら我々も、地球の成長・変化の生贄になってしまうのか」と、さまざまに考えを巡らせたと語りました。

福山雅治さん

最後に、本展を訪れる子どもたちに向けて次のようなメッセージを贈りました。

「展示を見て、(周囲の環境や運など)与えられたものと、自分で一生懸命つかんでいくもの、両方がなければ生き残っていけないのだと感じました。なぜ勉強しなければならないのか、なぜ学校に行かなければいけないのか、といった思いがあるかもしれません。しかし、世界に貧困、差別、分裂、断絶がある中で、義務教育として学校に行ける、学べるという環境があることは、非常に恵まれているのだと気づいてもらえたらいいなと。大絶滅展を見て怖いなと思っても、大好きな家族や友達と生き残るためにはどうすればいいかな、頑張らなきゃいけないな、という気持ちになってもらいたいですね」

特別展「大絶滅展―生命史のビッグファイブ」概要

会期 2025年11月1日(土)~2026年2月23日(月・祝)
会場 国立科学博物館(東京・上野公園)
開館時間 9:00~17:00(入場は16:30まで)
休館日 月曜日、11月4日(火)、11月25日(火)、12月28日(日)~2026年1月1日(木)、1月13日(火)
※ただし、11月3日(月・祝)、11月24日(月・休)、1月12日(月・祝)、2月16日(月)、2月23日(月・祝)は開館
観覧料 一般・大学生 2,300円 小・中・高校生 600円

※未就学児は無料。
※障がい者手帳をお持ちの方とその介護者1名は無料。
※そのほか、詳細は展覧会公式サイトでご確認ください。

主催 国立科学博物館、NHK、NHKプロモーション、読売新聞社
お問い合わせ 050-5541-8600(ハローダイヤル)
展覧会公式HP https://daizetsumetsu.jp/

※記事の内容は取材日時点のものです。最新の情報は展覧会公式HP等でご確認ください。


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【国立西洋美術館】「オルセー美術館所蔵 印象派―室内をめぐる物語」取材レポート。“室内”という舞台を鮮やかに照らす、印象派のもう一つの魅力

国立西洋美術館
「オルセー美術館所蔵 印象派―室内をめぐる物語」展示風景、国立西洋美術館、2025年

印象派画家たちの室内をめぐる表象に焦点を当てた展覧会「オルセー美術館所蔵 印象派―室内をめぐる物語」が国立西洋美術館にて開催されています。会期は2025年10月25日(土)から2026年2月15日(日)まで。

「オルセー美術館所蔵 印象派―室内をめぐる物語」展示風景、国立西洋美術館、2025年

私たちが「印象派」と聞いてまず思い浮かべるのは、戸外の光、あるいは移ろう大気をとらえた風景画ではないでしょうか。彼らの風景画における制作態度や外光表現は、たしかに近代美術に一つの革新をもたらしました。一方で、自然光よりも人工的な照明の効果を探求し、磨かれた人間観察による室内画の傑作を多く残したエドガー・ドガを筆頭に、屋内空間への関心もまた、印象派の欠くことのできない一側面をなしています。

第1回印象派展は、大々的な都市整備事業、いわゆるオスマンの大改造を経て、近代化が急速に進む1874年のパリで開催されました。このせわしなくも活気に満ちた大都市において、人々が多くの時間を過ごした屋内環境の情景は、むしろ戸外より親密な関係にあり、本質的に現代的な主題の一つだったといえます。つまり、時代に応じた新しい絵画を生み出そうと目論む画家たちにインスピレーションを与える、格好の画題となったのです。

本展では、「印象派の殿堂」ともいわれるパリ・オルセー美術館所蔵の傑作約70点を中心に、国内外の重要作品も加えたおよそ100点の絵画、素描、装飾美術を展示。ドガ、マネ、モネ、ルノワールなど、印象派あるいは同時代の画家たちの室内をめぐる関心のありかや表現上の挑戦を、全4章でたどる内容になっています。

 

第1章「室内の肖像」では、19世紀後半のサロンや美術市場で非常に高い人気を誇り、印象派にとっても重要な表現手段であった肖像画に着目。彼らは肖像画において、モデルを日常環境の中で描写することで、その人となりや職業、社会階級、美的趣味といった社会的属性を、時に周到な演出を織り交ぜながら表現しようと試みました。

左はエドゥアール・マネ《エミール・ゾラ》1868年、オルセー美術館、パリ
フレデリック・バジール《バジールのアトリエ(ラ・コンダミンヌ通り)》1870年、オルセー美術館、パリ
ジェームズ・ティソ《L. L.嬢の肖像》1864年、オルセー美術館、パリ

本章のハイライトは、修復を経て日本初公開となった、若かりし頃のドガによる傑作《家族の肖像(ベレッリ家)》(1858-69)です。フィレンツェに亡命していたドガの叔母一家を描いた本作は、青色が映えるブルジョワらしい誂えのアパルトマンの一室を舞台にした、一見フォーマルな家族の肖像画に映ります。しかし、そこでは個々人の性格や個性を率直に取り入れるのみならず、緊張状態にあったという夫婦関係や互いの心理的な隔たりをも、表情やポーズ、配置などの巧みな操作によって心理劇のように示唆しています。旧来の表面的に理想化された家族像を逸脱するアプローチは非常に近代的であり、若きドガの誠実さと辛辣なまでの観察眼の鋭さが感じられるでしょう。

エドガー・ドガ《家族の肖像(ベレッリ家)》1858-1869年、オルセー美術館、パリ

パリ近郊アルジャントゥイユのモネの住まいを描いた、詩情豊かな《アパルトマンの一隅》(1875)は、数少ないモネの室内画。光の効果に対するモネの鋭敏な感覚がいかんなく発揮されており、画面手前の開かれたカーテンと植物、その奥に続く薄暗い室内が、光と陰、暖色と寒色のドラマティックなコントラストをなしています。息子ジャンと妻カミーユと思われる女性の姿はごく控えめに、ほとんどシルエットでとらえていますが、カーテンや寄木模様の床で繰り返す斜線が視線を誘導し、その印象を強調しています。

クロード・モネ《アパルトマンの一隅》1875年、オルセー美術館、パリ

また、職場と住まいに明確な境界が引かれつつあった19世紀後半、公共空間を闊歩していた男性とは対照的に、自由な外出が許されなかったブルジョワ階級の女性たちは、家庭室内を主な活動領域としていました。第2章「日常の情景」では、そうした女性たちの奏楽会、読書、針仕事といった、くつろいだ家庭で趣味や手仕事に興じる何気ない情景を描きとめた作品を紹介しています。

アンリ・ファンタン=ラトゥール《ヴィクトリア・デュブール》1873年、オルセー美術館、パリ
ピエール=オーギュスト・ルノワール《ピアノを弾く少女たち》1892年、オルセー美術館、パリ

本展のメインビジュアルにも採用されているルノワールの《ピアノを弾く少女たち》(1892)は、時の美術局長官の要請で、リュクサンブール美術館(当時の国立現代美術館)の栄誉ある買い上げを前提に制作されたもの。この頃、ピアノを持つことは裕福さと文化的な生活を意味し、その演奏は上流階級の子女の嗜みとされ、画題としても人気を集めていました。本作は、温かみのある色調と柔らかな筆致でまとめられた眩い画面に、顔を寄せ合い楽譜をのぞき込む少女たちを、ブルジョワ家庭の理想的なイメージとして表しています。

右はエルネスト・デュエズ《ランプを囲んで》1882年頃、オルセー美術館、パリ
アルフレッド・ステヴァンス《入浴》1873-1874年、オルセー美術館、パリ

印象派が戸外の光や自然への関心を、いかに室内に取り入れていったのかを展覧する第3章「室内の外光と自然」では、バルコニーやテラス、19世紀に社交の場として流行した温室といった、室内と戸外をつなぐ複合的空間を舞台とする作品が並びます。

ベルト・モリゾ《テラスにて》1874年、東京富士美術館

アルベール・バルトロメの《温室の中で》(c1881)は、自邸に誂えたガラス張りの温室での一幕を描いた作品です。強い日差しを後に、ヤシやゼラニウムが生き生きと葉を伸ばす温室の薄暗がりへと足を進めるのは、涼やかな紫のサマードレスをまとったバルトロメの妻プロスペリー。顔やドレスを不規則に陰らせる和らいだ光が、心地よい夏の雰囲気を漂わせます。

左から《アルベール・バルトロメ夫人のドレス》1880年、オルセー美術館、パリ/アルベール・バルトロメ《温室の中で》1881年頃、オルセー美術館、パリ

プロスペリーは本作が描かれてまもなく病に倒れ、1887年に亡くなりました。悲しみに沈んだバルトロメは、本作でとらえた輝かしい一日の思い出を大切にし、絵画だけでなくドレスも終生手放すことがなかったそう。会場では特別に、ドレスの実物を絵画と併置しています。

また、同章では、室内に持ち込まれた装飾的な自然としての静物画や、自然を最大の着想源に斬新な装飾美術を生み出したジャポニズムの展開についても紹介しています。

右はポール・セザンヌ《大きなデルフト陶器にいけられたダリア》1873年頃、オルセー美術館、パリ
エミール・ガレ《花挿:湖水風景》1878年頃、オルセー美術館、パリ
エミール=オーギュスト・レイベール(図案)、クリストフル社による「暖炉飾り(時計と燭台)」1873年、オルセー美術館、パリ

第4章「印象派の装飾」では、旧来低級で浅薄な表現形態とみなされていた「装飾美術」が肯定的にとらえられていく中で、印象派による室内への自然の取り込みが生み出した、さまざまな室内装飾の表象について取り上げます。ルーマニアの貴族ビベスコ公のために、若きルノワールと建築家シャルル=ジュスタン・ル・クールが協業した邸宅の設計案や、モリゾが自ら設計した応接間兼アトリエを再現した模型では、装飾画が生活空間にどのような精彩を添えていたのか、その効果が垣間見えます。

シャルル=ジュスタン・ル・クールによる「ジョルジュ・ビベスコ公の邸宅設計案」1870-1872年、オルセー美術館、パリ

マネとモネは、支援者だった実業家エルネスト・オシュデが所有する城館を装飾するための絵画を制作しました。庭園に繁殖する草花から顔をのぞかせるオシュデ家の長男ジャックを描いたマネの《花の中の子ども(ジャック・オシュデ)》(1876)と、城を背景に草地をそぞろ歩く家禽の群れを描いたモネの《七面鳥》(1877)。いずれも、オシュデ家になじみの深い情景やモチーフを印象派らしい明るい色調と大胆な筆致でとらえており、依頼主の趣味とともに印象派の美学が堪能できます。

エドゥアール・マネ《花の中の子ども(ジャック・オシュデ)》1876年、国立西洋美術館
クロード・モネ《七面鳥》1877年、オルセー美術館、パリ

園芸や造園への情熱をモネと共有していたギュスターヴ・カイユボットは、植物の装飾画にも強い関心を寄せていました。《ヒナギクの花壇》(1892-1893)は自邸の壁面装飾として構想されたと思われる未完成の作品。白いヒナギクを俯瞰視点で画面いっぱいに散らすことで、鑑賞者を包み込むような没入感を生んでいます。始まりも終わりもない無限に広がるイメージは、モネの「大装飾画」プロジェクトへ結実した「睡蓮」連作とも重なります。

ギュスターヴ・カイユボット《ヒナギクの花壇》1892-1893年、ジヴェルニー印象派美術館
クロード・モネ《睡蓮》1916年、国立西洋美術館(松方コレクション)

19世紀パリの都市生活の中で、自然と室内の境界を越える革新的な芸術にたどりついた印象派の魅力に触れられる展覧会「オルセー美術館所蔵 印象派―室内をめぐる物語」は、2026年2月15日(日)まで開催されています。

「オルセー美術館所蔵 印象派—室内をめぐる物語」概要

会期 2025年10月25日(土)~2026年2月15日(日)
会場 国立西洋美術館(東京・上野公園)
開館時間 9:30~17:30(金・土曜日は20:00まで)
休館日 月曜日、11月4日(火)、11月25日(火)、12月28日(日)-2026年1月1日(木・祝)、1月13日(火)
※ただし、11月3日(月・祝)、11月24日(月・休)、1月12日(月・祝)、2月9日(月)は開館。
観覧料(税込) 一般:2,300円 大学生:1,400円 高校生:1,000円

※中学生以下、心身に障害のある方及び付添者1名は無料。(学生証または年齢の確認できるもの、障害者手帳の提示が必要です)
※観覧当日に限り本展観覧券で常設展もご覧いただけます。
※そのほか、チケット情報の詳細は展覧会公式サイトをご確認ください。

主催 国立西洋美術館、オルセー美術館、読売新聞社、日本テレビ放送網
問い合わせ 050-5541-8600(ハローダイヤル)
展覧会公式サイト https://www.orsay2025.jp

※記事の内容は取材時点のものです。最新情報は展覧会公式サイト等でご確認ください。


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【上野の森美術館】「正倉院 THE SHOW」取材レポート。宝物の美を全身で体感、伝説の香木「蘭奢待」の香り再現も

上野の森美術館

 

奈良・東大寺旧境内にあり、天平文化の粋を伝える9,000件もの宝物を1300年近く守り伝えてきた奇跡の宝庫・正倉院。毎年秋には宝物が一般公開される「正倉院展」が行われていますが、このたび上野の森美術館では、実物の観覧とは異なるアプローチで宝物の新しい楽しみ方を提案する「正倉院 THE SHOW-感じる。いま、ここにある奇跡-」が開催されています。

会期は2025年9月20日(土)から11月9日(日)まで。

「正倉院 THE SHOW-感じる。いま、ここにある奇跡-」会場風景

国分寺の建立や東大寺の大仏造立で知られる第45代聖武天皇(701-756)をたすけ、仏教政策や貧民救済に取り組んだ光明皇后(701-760)。正倉院宝物の歴史は、聖武天皇の冥福を祈念した光明皇后が、その遺愛品を東大寺大仏に奉献したことから始まりました。約9,000件におよぶ宝物の中には、制作年代、用途、由来が明確に記録されたものが多数含まれており、当時の技術や美意識、そして人々の想いを今に伝えています。

本展は宮内庁正倉院事務所全面監修のもと、「愛 美 紡ぐ」をテーマに、勅封制度により大切に保護されてきた宝物の背景にあるさまざまなストーリーを紐解き、その魅力を全身で体感させるもの。

会場の冒頭では正倉院宝物の起源を示す形で、奉納された宝物群を記した全長14m以上にもおよぶ目録「国家珍宝帳」の原寸大再現物が、全紙広げた状態で紹介されています。なお、本展は大阪会場からの巡回展ですが、「国家珍宝帳」は東京会場からの新作展示となっています。

「国家珍宝帳」の再現展示

先立って行われた記者説明会で、宮内庁正倉院事務所の飯田剛彦所長は、1300年を経て脆弱になっている宝物を厳重に管理しようとすると、一般への公開がままならなくなるジレンマを語り、打開策として本展が生まれたと説明。「宝物そのものを見ることよりも斬新な体験ができればと考え、五感に訴えるような展示も行い、あらゆる角度から宝物の魅力を味わっていただけるような展覧会になっています」とのコメントのとおり、本展には宝物の実物展示がありません。

「なんだ、本物はないのか」とガッカリされる方もいるかもしれませんが、代わりに、宮内庁正倉院事務所が長年研究・製作を手がけている「再現模造」が出陳されています

「螺鈿紫檀五絃琵琶」再現模造

再現模造は一般的なレプリカとは異なり、単に見た目を似せるのではなく、各種の分析装置や光学機器を駆使して当時の素材や技法を探り、人間国宝ら名工が熟練の技を駆使し、宝物本来の姿を再現することを目指したもの。本展ではそのうち、正倉院を代表する宝物として名高い、世界で唯一現存する古代の五絃琵琶「螺鈿紫檀五絃琵琶」「螺鈿箱」など11件の再現模造を紹介しています。

「螺鈿箱」再現模造
「紺玉帯」再現模造
「金銀鈿荘唐太刀」再現模造

「正倉院宝物をもうひとつ作ること」、それが正倉院事務所の目標であるそう。再現模造はいわば現代にタイムスリップしてきた宝物であり、私たちは変色や欠損のない、奈良時代の人々が実際に見ていた宝物に限りなく近しい姿を知ることができるのです。

また、正倉院事務所は2019年からTOPPANと協業し、最新の3次元計測や高精細写真撮影、質感取得技術を駆使して宝物の精緻な3Dデジタルデータ(デジタルアーカイブ)を作成してきました。

本展では、そうした3Dデジタルデータに特別な演出を施した映像作品を、高さ約4メートル、幅約20メートルという巨大スクリーンに約12Kという高精細映像で上映。スクリーンには、2023年にノーベル化学賞を受賞した「量子ドット(Quantum Dot)」の研究をベースに開発されたスクリーン塗料が導入されているため、宝物が一層鮮明なコントラストで輝きます。

ストーリー映像

上映時間は約17分あり、壮大な音楽のもと、正倉院に秘められた物語をめぐる「ストーリー映像」と、宝物の圧倒的な「美」そのものに迫る「デジタル宝物映像」、「再現模造対象宝物映像」の3編で展開していきます。特に圧巻のパートはストーリー映像にある【正倉院「美」の世界】で、宝物群に施された花鳥文様や螺鈿装飾の中をラクダや象、幻獣らが闊歩する幻想的な「美」の宇宙を再構築。宝物に込められた美意識を凝縮しており、スクリーンの目の前に立てば没入感もひとしおです。

デジタル宝物映像「円鏡 平螺鈿背 第11号」のシーン

デジタル宝物映像では、花鳥文様の間にラピスラズリやトルコ石の細片が散りばめられた豪華な装飾鏡「円鏡 平螺鈿背 第11号」や、32枚の極彩色の花弁が美しい香炉台「漆金薄絵盤 乙」など、肉眼では捉えにくい宝物の細部や質感を舐めるようなアングルで投影。単眼鏡を使わずとも臨場感あふれる鑑賞体験が叶います。「漆金薄絵盤 乙」はまるで花がほころぶように花弁を解体して絵柄を見せてみたり、香が立ちのぼる様子を再現していたりと、まさにデジタルデータならではの楽しみ方を提供しています。

デジタル宝物映像「「漆金薄絵盤 乙」のシーン

伝説の香木「蘭奢待(らんじゃたい)」の香りの再現展示も見どころの一つ。蘭奢待(宝物名は黄熟香)は東南アジアに分布するジンチョウゲ科アクイラリア属の切り株などに樹脂や精油が沈着してできた沈香であり、織田信長や足利義満・義政など時の為政者が切望したことから「天下第一の名香」と呼ばれてきました。なんと、現在でもわずかに香りがするそうです。

「蘭奢待(レプリカ)」

その消えゆく香りを記録するため、正倉院事務所は2024年度から高砂香料工業の協力のもと、蘭奢待から揮散する空気中の香気成分などの分析調査を実施。さらに調香師の聞香(香木を香炉で暖め、香りを味わう香道の作法)により、シスタスという植物の樹脂から抽出される天然香料ラブダナムに似ていることを発見し、それをベースに史上初となる再現香料を制作したといいます。

「蘭奢待」の香りの体験展示

高砂香料工業のIR/広報室 鈴木隆さんは、「蘭奢待そのものを嗅いだときの香りというよりは、聞香したときの香り、織田信長らが嗅いだ香りに近いのではないか」と解説。会場ではガラス容器の中に再現香料を入れ、来場者が実際に香りを楽しめるようになっています。

筆者はシナモンや杏仁を想起させる上品な香りだと感じました。現代によみがえった天下の名香、会場で体感してみることを特におすすめします。

東京会場で新設された「美のアベニュー」

多種多様な宝物の文様を色鮮やかに天井まで敷き詰めた「美のアベニュー」を抜けた先には、現代アーティストが正倉院からインスピレーションを受けて制作した新作の展示エリアが広がります。

参加アーティストは、音楽プロデューサー・亀田誠治さん、写真家・瀧本幹也さん、陶芸家・亀江道子さん、そしてデザイナー・篠原ともえさんの4名。

亀江道子さんの展示

亀田誠治さんは、宝物である琵琶や尺八の演奏音源に現代の音楽を融合した楽曲「光」を発表しています。
瀧本幹也さんは暗闇の中、月明かりの照らす方角から光を受けた荘厳な正倉院正倉を切り取ったモノクロームの写真群を展示。現代のような明かりのなかった1300年前の人々が見ていた夜の世界を思わせます。
亀江道子さんは、見たことのない色彩や素材、文様に心動かされたであろう当時の人々の物語を想像し、それを演じながら作品制作にあたったそう。デジタル技術とアナログな筆を巧みに組み合わせて紡いだ文様が彩る小皿や花器などが並びます。

報道内覧会に駆けつけた篠原ともえさんは、正倉院宝物がもつ「いまに通じる美」に着想を得て、ペルシア風の水差し「漆胡瓶(しっこへい)」をモチーフに伝統と現代を融合させたドレス「LACQUERED EWER SHOSOIN DRESS」について制作過程やこだわりを語りました。

篠原ともえさんと新作ドレス「LACQUERED EWER SHOSOIN DRESS」

東アジア独特の漆芸を用いて、銀の薄板で草花や鳥獣の文様を繊細に表した「漆胡瓶」。篠原さんは本作の圧倒的な存在感に魅せられ、「おおらかな大陸の流れや時を超えた美意識を感じた」といいます。

構想から約1年かけたという作品制作にあたっては、宝物の3Dデータを元に400種以上にも及ぶ文様のパーツを、過去の職人たちの情熱と向き合いながら手作業でトレース。1300年の月日を具現化することにこだわり、カットした真鍮を薬剤に漬けたり、熱を加えてニュアンスを加えたりと試行錯誤を繰り返し、クラッシュベルベットの生地に一つ一つ施していったそう。

ドレスのこだわりはフォルムにあり、「3Dデータに基づいて、『漆胡瓶』のオリエンタルなフォルムをなるべくそのまま残すことを大切にしました。3Dデータから衣装を作るのは初めてのチャレンジでしたが、皆さんが宝物を実際に覗き込んでいるような気持ちになってもらえたら嬉しいな、と想像しながら制作しました」とコメント。

水差しの持ち手までリスペクトを込めてデザインに取り入れられている。

「漆胡瓶」を観察しているうち、鹿や鳥などの動物だけでなく小さな昆虫までも雄と雌の番で存在していることに気づいたといいます。そこに「聖武天皇と光明皇后の愛の物語」を見出し、心が震えたというエピソードも明かしながら、次のようなメッセージを寄せました。

「本展は正倉院宝物をアートとして体感できるのが大きな特徴で、宮内庁正倉院事務所さんの本気度を感じる展覧会になっています。本展を通じて、正倉院宝物の魅力、手仕事の価値、そしてこれまで受け継いできた先人たちの情熱を感じ取っていただけたら、こんなに嬉しいことはありません。ぜひ皆さん遊びに来てください」

最新技術により現代によみがえった宝物の魅力を全身で体感できるだけでなく、悠久の歴史を守り伝えてきた人々の想いにも触れられる「正倉院 THE SHOW-感じる。いま、ここにある奇跡-」。会期は11月9日(日)までとなっています。

「正倉院 THE SHOW-感じる。いま、ここにある奇跡-」概要

会期 2025年9月20日(土)~11月9日(日)
会場 上野の森美術館
開館時間 10:00~17:00(※入館は閉館の30分前まで)
観覧料 (当日券)一般2,300円 高校生・大学生1,700円 小学生・中学生1,100円
※未就学児無料
※チケットの詳細は展覧会公式サイトをご覧ください。
主催 上野の森美術館、「正倉院 THE SHOW」実行委員会(読売テレビ、読売新聞社、TOPPAN、角川メディアハウス)、日本テレビ放送網、BS日テレ
監修 宮内庁正倉院事務所
お問い合わせ ハローダイヤル 050-5541-8600(9:00~20:00 無休)
展覧会公式サイト https://shosoin-the-show.jp/tokyo/

※記事の内容は取材時点のものです。最新情報は展覧会公式サイト等でご確認ください。

 


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「べらぼう 江戸たいとう 大河ドラマ館」取材レポート。「江戸のメディア王」蔦重の物語を体感しよう

 

江戸時代中期に活躍した江戸のメディア王・蔦重こと蔦屋重三郎の波瀾万丈な生涯を描く大河ドラマ『べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺〜』。

今回お伺いした「べらぼう 江戸たいとう 大河ドラマ館」は、『べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺〜』の主人公・蔦屋重三郎ゆかりの地である東京都台東区にオープンした施設です。大河ドラマ館には登場人物の衣装や小道具など、ドラマをより楽しむことができるコンテンツが盛りだくさん。

今回の取材レポートではその魅力と見どころをお伝えいたします。

「べらぼう 江戸たいとう 大河ドラマ館」の外観(台東区民会館)

江戸情緒溢れる空間を肌で感じよう

大河ドラマ館から続く通路にもさまざまな仕掛けが
横浜流星さん演じる蔦重の大判メインビジュアル

大河ドラマ館のある台東区民会館は浅草駅から徒歩数分。9階フロアは江戸のまちに見立てた「大江戸からまる町」となっており、足を踏み入れるとまるでタイムスリップしたかのような没入感を感じることができます。

フラッシュ撮影でシルエットから人物が浮き出てくるパネル、見る角度によって変化する浮世絵が描かれた壁面など、エレベーターから大河ドラマ館に続く通路にもさまざまな仕掛けがあり、訪れる人々を楽しませてくれます。

そして「べらぼう 江戸たいとう 大河ドラマ館」に足を踏み入れると、迎えてくれるのは横浜流星さんが演じる蔦重のメインビジュアル。

蔦屋重三郎は、寛延3年(1750)に、江戸・新吉原(現在の台東区千束)で生まれ、20代で吉原大門前に書店「耕書堂」を開業。東洲斎写楽、喜多川歌麿ら、江戸文化を代表する作家たちを交流し、「江戸のメディア王」として大成功を収めた人物です。

この蔦重の生涯を描く大河ドラマ『べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺〜』は、2025年1月5日から放送開始され、取材時の10月初旬においても多くの視聴者を楽しませています。

主要キャスト・スタッフを紹介する「べらぼう入門編」

横浜流星さんが実際に着用した衣装を展示

大河ドラマ館内は9つのゾーンに分かれています。
「べらぼう入門編」では、蔦重の衣装の展示や、主要キャスト・スタッフを紹介。
注目は中央にディスプレイされた蔦重の衣装。ドラマの中で蔦重が着用していた「黒緑色地紬縞着物」です。

衣装デザインを担当された伊藤佐智子さんは主人公の蔦重の着物に一般的な藍色ではなく緑色を選んだ理由として、

「まだ何者でもない彼が何にも縛られず、やんちゃで発想豊かに新しいものを生み出していく。そんなオリジナリティーあふれる人生のスタートを象徴する色として、たやすく再現できない緑という色を選びました」

と語っています。

制作陣のメッセージボード
随所にフォトスポットが設けられている

主演の横浜流星さんや、語り役であり、九朗助稲荷を演じる綾瀬はるかさんといった俳優陣をはじめ、脚本家の森下佳子氏や音楽を手がけるジョン・グラム氏、題字を書いた石川九楊氏といった制作陣のコメントも展示。

また海外向けの英語タイトルである「UNBOUND(アンバウンド)」の文字を押し出したフォトスポットは大人気のようで、多くの人が蔦重と同じ腕組みポーズを取って写真を撮影されていくとのこと。

ちなみに「UNBOUND(アンバウンド)」とは「解放された」「とらわれない」という意味。身分や出自にとらわれず、慣例に縛られないべらぼうな生き様を見せた蔦屋重三郎を表現する言葉として選ばれたようです。

蔦重ゆかりの小道具やパネルなどを展示する「五十間道ゾーン」

「五十間道ゾーン」
べらぼう第34回に登場した『画本虫撰(えほんむしえらみ)』
「江戸生艶気樺焼」に登場する艶二郎が非常にユニーク

続く「五十間道ゾーン」では、版元(現在の出版社。もともと印刷に使われる「版」を持っている事業主を指す)である蔦重ゆかりの小道具や、関連する登場人物のパネルを展示。実際の撮影に使用された衣装や小道具(複製品の場合もあり)などが並べられており、非常に貴重な展示となっています。

特に第34回に登場した『画本虫撰(えほんむしえらみ)』は、歌麿の優れた観察眼と写実力とが遺憾なく発揮された豪華な絵本。その発色の鮮やかさと精巧な写実力につい目を奪われてしまいます。
ドラマのエピソードに欠かせないアイテムをこれほど間近で見られる機会は非常に貴重ですね。

蔦重の活動拠点「蔦屋」再現セット
軒先には蔦重が出版に携わった本や貸本が並ぶ

「蔦屋」の再現セットも展示されています。もちろん縮尺は会場に合わせられていますが、まさに「蔦屋」そのもの。再現度が素晴らしい。

内部は箪笥から神棚まで精巧に再現され、さらに軒先には蔦重が出版に携わった本や貸本が並んでいます。中に座ることもできますので、ぜひ記念撮影を。

吉原一の大通りを再現!「仲ノ町ゾーン」

小芝風花さん演じる瀬川が着用した衣装を展示
吉原を掘り下げる特集パネルや小道具が並ぶ

やはりひときわ目を引くのは、小芝風花さん演じる伝説の遊女、瀬川が花魁道中で着用した衣装の展示。注目を浴びながら大通りを颯爽と歩く、花魁たちの様子が目に浮かびます。
背景の吉原一の大通り「仲ノ町」のビジュアルも鮮烈な印象を残しますが、実際のドラマ撮影ではそこまで長大なセットを組むことはできないため、LEDウォールの映像を使って奥行きを見せていたということが紹介されているパネルもありました。

また、「仲ノ町ゾーン」の隣の「4Kシアター」では番組のテーマや裏側を掘り下げる映像コンテンツを上映。蔦重にまつわる台東区の名所旧跡も紹介してくれます。

大河ドラマ館から蔦重の菩提寺である正法寺、彼と交流があった平賀源内の墓など、蔦重ゆかりの地をめぐる循環バスも運行していますので、シアターで見たスポットを実際に訪れてみるのも良いですね(循環バスの乗車には大河ドラマ館の来館記念証の提示が必要です)。

「蔦重ゆかりの地 台東区」公式サイトでは、大河ドラマ館や蔦重ゆかりの地をめぐる観光モデルコースのほか、蔦重が生きた江戸時代の文化に関するイベントや伝統行事について紹介しています。
ぜひ興味のある方は「蔦重ゆかりの地 台東区」公式サイトをチェックしてみてください。

将軍家や幕臣たちにスポットを当てる「江戸城ゾーン」

渡辺謙さん演じる田沼意次の衣装
将軍家や幕臣たちにスポットを当てて紹介

江戸城も物語の中では重要な場所の一つでしょう。
「べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺〜」の舞台である江戸時代中期は、泰平の世が長く続くなかで芸術文化が花開いた時代でしたが、「松平定信」の「寛政の改革」を契機に、蔦重たちを取り巻く状況も大きく変化していきます。

「江戸城ゾーン」では、将軍家や幕臣といった江戸幕府に関わる面々に焦点を当てた展示や、番組美術や撮影の舞台裏などについての紹介パネルがあります。

「大河ドラマ館」のエンディングには出演者の直筆メッセージやサイン色紙が飾られており、このドラマに賭ける熱い思いが伝わってきます。自分の「推し」のサインを見つけたり、残念ながらすでに退場となってしまった登場人物をあらためて思い出してみるのもよいでしょう。


江戸の「市」を体感できる!「たいとう江戸もの市」

「たいとう江戸もの市」入口
浮世絵に関するさまざまなグッズを展開
商品説明の二次元コードから、実際の店舗の情報を得ることができる
江戸のなぞなぞ「判じ絵」にチャレンジ!
桜の鮮やかなディスプレイ。とにかく映える店内

併設する「たいとう江戸もの市」では、大河ドラマ「べらぼう」のロゴが入ったお土産に加え、江戸にゆかりのあるアイテム、地元である台東区の企業が手がける商品を展開。

この「たいとう江戸もの市」だけで1時間は見られるのではないかというほどの多彩なお土産、そして美麗な館内装飾にも注目です。中には江戸に流行した「なぞなぞ」である「判じ絵」に挑戦できるコーナーもあり、遊び心にあふれています。お子さんと一緒にチャレンジしたら面白そうですね。

記念スタンプコーナー
浮世絵の多色刷りをちょっぴり体験できる

遊び心といえば、ロビーにある記念スタンプのコーナーにもユニークな仕掛けが。
これは来館記念証の裏面に5色の版を重ねていくと、最終的には歌川広重の『名所江戸百景・浅草金龍山』が完成するというもの。浮世絵の「多色刷り」という技法を楽しく体験できます。

また、現在大河ドラマ館ではガイドツアーを開催中。初めての方はもちろん、リピーターの方でも楽しめる内容になっているとのことですので、ぜひ参加してみてはいかがでしょうか。

筆者はドラマ未見でしたが、ドラマを通じて描かれる「江戸のメディア王」蔦重の人物像、そして彼を育んだ台東区という場所に強く興味を惹かれるような内容でした。

「大河ドラマ館」の開館は年明けの2026年1月12日(月・祝)まで。
大河ドラマ館を鑑賞したあとは、蔦重ゆかりの地をめぐり、江戸の当時に想いを馳せてみてはいかがでしょうか?

■「べらぼう 江戸たいとう 大河ドラマ館」概要

期間 2025年2月1日(土)~2026年1月12日(月・祝)
開館時間 9時〜17時(最終入館 16時30分)
休館日 毎月第2月曜日(第2月曜日が祝日の場合は翌日)、年末年始等
場所 東京都台東区花川戸2-6-5 台東区民会館9階
主催 台東区大河ドラマ「べらぼう」活用推進協議会
お問い合わせ 03-4330-1409(大河ドラマ館)
「蔦重ゆかりの地 台東区」公式サイト https://taito-tsutaju.jp/features/exhibition

■「たいとう江戸もの市」概要

期間 2025年2月1日(土)~2026年1月12日(月・祝)
開館時間 9時〜17時(最終入館 16時30分)
休館日 毎月第2月曜日(第2月曜日が祝日の場合は翌日)、年末年始等
場所 東京都台東区花川戸2-6-5 台東区民会館9階
お問い合わせ 03-6802-8150(たいとう江戸もの市)
「蔦重ゆかりの地 台東区」公式サイト https://taito-tsutaju.jp/features/edomonoichi

※記事の内容は取材時点のものです。最新情報は公式サイト等でご確認ください。

 


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「ゴッホ展 家族がつないだ画家の夢」(東京都美術館)取材レポート。なぜゴッホは世界で愛される画家になったのか?

東京都美術館

 

世界中で愛される画家、フィンセント・ファン・ゴッホ(1853〜1890)を献身的に支えた弟テオ、その妻ヨー、そして甥フィンセント・ウィレム。彼らファン・ゴッホ家の活動をたどりながら、フィンセントの夢と作品群が、どのように今日まで引き継がれてきたのかを紹介する展覧会「ゴッホ展 家族がつないだ画家の夢」が、東京都美術館で開催されています。
会期は2025年9月12日(金)から12月21日(日)まで。

「ゴッホ展 家族がつないだ画家の夢」会場写真
「ゴッホ展 家族がつないだ画家の夢」会場写真

フィンセント・ファン・ゴッホが画家を志したのは1880年、27歳になってからとやや遅いスタートでしたが、1890年7月に37歳で亡くなるまでのわずか10年間で約2,000点もの作品を残しました。生前のフィンセントを精神・経済の両面で献身的に支えたのは、弟であり親友であり、芸術に情熱を燃やす同志でもあったテオ(テオドルス・ファン・ゴッホ)でしたが、兄の死後半年で後を追うように他界してしまいます。

フィンセント・ファン・ゴッホとテオドルス・ファン・ゴッホ

生前のフィンセントは無名というわけではなかったももの、作品が数点しか売れなかったというのは有名なエピソードです。それでは、どのような経緯で今日、世界中の美術館に愛蔵される画家として輝かしい名声を得るに至ったのでしょうか。

そこには、テオの死後、膨大なコレクションを引き継いだテオの妻ヨー(ヨハンナ・ファン・ゴッホ=ボンゲル)の活躍がありました。ヨーは義兄の作品を世に出すことに人生を捧げ、展覧会への出品、戦略的な作品の売却、書簡の整理・出版などを通じて、画家として正当に評価されるよう奔走したのです。

ヨハンナ・ファン・ゴッホ=ボンゲル
フィンセント・ウィレム・ファン・ゴッホ

さらに、テオとヨーの息子フィンセント・ウィレム・ファン・ゴッホは、コレクションの散逸を防ぐため、1960年にフィンセント・ファン・ゴッホ財団を設立。作品貸与に寛大な方針をうたう国立フィンセント・ファン・ゴッホ美術館(現・ファン・ゴッホ美術館)の開館にも尽力しました。

本展は、そうして大切に受け継がれたファミリー・コレクションに焦点を当てた日本初の展覧会です。ファン・ゴッホ美術館のコレクションを中心に、フィンセントの油彩画や素描30点以上を展示。加えて、ポール・ゴーガンやエドゥアール・マネらの油彩画や素描、イギリスやフランスの新聞の挿絵版画、あるいは浮世絵版画といったファン・ゴッホ兄弟の関心や同時代の美術動向を示す収集品、日本初公開となるフィンセント直筆の手紙4通などを、全5章構成で紹介しています。

ジョン・ピーター・ラッセル《フィンセント・ファン・ゴッホの肖像》1886年 ファン・ゴッホ美術館、アムステルダム(フィンセント・ファン・ゴッホ財団)
ポール・ゴーガン《雪のパリ》1894年 ファン・ゴッホ美術館、アムステルダム(フィンセント・ファン・ゴッホ財団)
マシュー・ホワイト・リドリー《坑夫、「民衆の顔Ⅳ」『グラフィック』紙より》1876年4月 ファン・ゴッホ美術館、アムステルダム(フィンセント・ファン・ゴッホ財団)

画家を志し、1881年からオランダ・ハーグや農村ニューネンで素描や油彩画の技術を磨いた後、1886年に移り住んだパリで現代的な様式を確立し、南仏のアルル、サン=レミ、終焉の地オーヴェール=シュル=オワーズで革新的な傑作を生み出すに至ったフィンセント。本展の作品展示では、そうした濃密な10年の画業をたどることができます。

フィンセント・ファン・ゴッホ《防水帽を被った漁師の顔》1883年1月 ファン・ゴッホ美術館、アムステルダム(フィンセント・ファン・ゴッホ財団)

《防水帽を被った漁師の顔》(1883)は、ハーグ時代、挿絵入り新聞の版画から写実主義的な題材や白と黒のコントラストなどの影響を受け、鉛筆、チョーク、インクといった黒の画材を熱心に研究していた頃に描かれたもの。ニューネン滞在中には、色彩理論への関心が高まるにつれ、色彩を扱う訓練のため静物画を積極的に手掛けるようになりました。《ルナリアを生けた花瓶》(1884)は、1884年の晩秋から初冬にかけて植物の静物画を初めて制作した際の1点です。

フィンセント・ファン・ゴッホ《ルナリアを生けた花瓶》1884年秋-冬 ファン・ゴッホ美術館、アムステルダム(フィンセント・ファン・ゴッホ財団)

パリに着くと、新しい前衛画家たちの作品が自分の想像とは全く異なるものであることに驚き、本作に見られるような暗い色調からの脱却、新たな色彩や筆遣いの習得をも図るようになります。ドラクロワの色彩やモンティセリの厚塗りの技法など、尊敬する画家たちを手本とし、1886年の夏だけで30点以上の花の静物画を制作。《グラジオラスとエゾギクを生けた花瓶》(1886)はそのうちの1点で、十字を重ねたような背景も特徴的です。

フィンセント・ファン・ゴッホ《グラジオラスとエゾギクを生けた花瓶》1886年8-9月 ファン・ゴッホ美術館、アムステルダム(フィンセント・ファン・ゴッホ財団)

そして、本展のハイライトであり、パリ時代最後に手掛けられたという傑作《画家としての自画像》(1887-1888)に目を移すと、オランダ時代の油彩画と比較して、たった2年の間に極めて近代的な画家へと変貌を遂げたことに驚くでしょう。

フィンセント・ファン・ゴッホ《画家としての自画像》1887年12月-1888年2月 ファン・ゴッホ美術館、アムステルダム(フィンセント・ファン・ゴッホ財団)

パリでの色彩理論研究が結実した豊かで巧みな色遣いは、まさに画面上に見えるパレットの色から生み出されており、ゆるぎない自信を帯びた筆触が生き生きと画面に広がっています。姿勢よく、視線はやや陰りつつもまっすぐ鑑賞者に向けられ、画家としての自負、あるいは決意表明のような強い意志が感じ取れます。

 本作については、1890年にサン=レミの療養院を出てオーヴェール=シュル=オワーズへ向かう前、フィンセントとヨーが初めて出会った際のエピソードが残されています。ヨーは、フィンセントの病気や健康不良の話を散々聞かされていたため、弱弱しい風貌の男を想像していましたが、「がっちりとした肩幅の広い男で、健康的な顔色をし、顔には笑みを浮かべ、とても毅然とした様子」だったと回顧録につづっています。さらに、「数ある自画像の中でも、彼がイーゼルに向かっている作品(本作)が、あの頃の彼にいちばん似ている」と付け加えました。

フィンセント自身は死神と関連付けるなどネガティブな印象も持っていたようですが、いずれにせよ、本作はフィンセント・ファン・ゴッホ財団、ひいてはファン・ゴッホ美術館にとって、最も重要な宝の一つとして扱われています。

フィンセント・ファン・ゴッホ《種まく人》1888年11月 ファン・ゴッホ美術館、アムステルダム(フィンセント・ファン・ゴッホ財団)

また、フィンセントは画業の初期から「農村画家」と呼ばれたジャン=フランソワ・ミレーを敬愛しており、模写も多数残しています。アルル時代に描かれた《種まく人》(1888)はミレーの同名の作品を下敷きに制作されたもの。自分なりの色彩豊かな「種まく人」を描きたいと、納得いくまで試作を繰り返して本作の構図にたどり着いたといいます。

農夫を大胆にひざ下でトリミングする斬新な構図、極端な遠近法で手前にクローズアップした木の幹、農夫を神々しく照らす巨大な太陽など、モチーフの扱いやデフォルメ描写の節々に浮世絵の影響が顕著に認められるということで、展示では浮世絵のコレクションと併置されています。

左はフィンセント・ファン・ゴッホ《夜(ミレーによる)》1889年10-11月 ファン・ゴッホ美術館、アムステルダム(フィンセント・ファン・ゴッホ財団)
フィンセント・ファン・ゴッホ《オリーブ園》1889年9月 ファン・ゴッホ美術館、アムステルダム(フィンセント・ファン・ゴッホ財団)

一方で本展には、ヨーの比類なき企業家精神や美術界における功績を紹介するため、ヨーが売却した、つまりファン・ゴッホ美術館のコレクション以外の作品を特集したセクションも存在します。

ヨーはもともと美術分野では素人だったものの、テオと結婚してから、しだいにファン・ゴッホをはじめとする近現代美術に関する知識や、個人収集家や美術館の世界、美術取引の仕組みについても精通していきました。テオの死後、定期的にフィンセントの作品を売却していきましたが、親子が生計を立てるためという経済的な理由は二の次で、そこには近代美術の中心的人物であると確信したフィンセントの評価を確立するという野心的な目的があったのです。

テオ・ファン・ゴッホ、ヨー・ファン・ゴッホ=ボンゲル『テオ・ファン・ゴッホとヨー・ファン・ゴッホ=ボンゲルの会計簿』1889-1925年 ファン・ゴッホ美術館(フィンセント・ファン・ゴッホ財団)

こうしたヨーの尽力を明らかにしたのがテオとヨーの「会計簿」です。当初は家計の収支が記録されるのみでしたが、テオの死後には作品の売却についても記されるようになり、ヨーがどの作品をいつ、誰に、いくらで売却したのか、生々しい記録が残されました。調査・研究の結果、記載されたもののうち170点以上の絵画と44点の紙作品が特定されており、本展にはそのうちの油彩画3点が展示されています。

「ゴッホ展 家族がつないだ画家の夢」会場写真

ファン・ゴッホ美術館は、フィンセントの油彩画約200点、素描約500点という世界最大規模のコレクションを誇っていますが、ヨーが売却しなければ、さらに250点ほど多かったとされています。しかし、ヨーが戦略的に立ち回ったからこそ、世界中のコレクションに作品が収められ、こうして日本に暮らす私たちも比較的簡単に実物を目にし、正しく評価できるようになりました。「100年後を生きる人々にも自分の絵を見てもらいたい」と願ったフィンセントの夢は、こうして実現したのです。

また、ファン・ゴッホ美術館のコレクションは、とくに1980年代後半以降に寄付や寄贈の恩恵を受け、徐々に拡充されていったといいます。バルビゾン派やハーグ派、象徴主義、印象派、ポスト印象派らの作品、あるいは版画、ポスターといった紙作品など収集対象が拡大する一方で、フィンセントの作品や書簡が組み込まれることもありました。本展では、長らく所在不明だったものの2006年に個人コレクションの中から発見されたというアントン・ファン・ラッパルト宛ての手紙4通が初来日。

アントン・ファン・ラッパルト宛ての手紙の展示
フィンセント・ファン・ゴッホ「傘を持つ老人の後ろ姿が描かれたアントン・ファン・ラッパルト宛ての手紙」1882年9月23日頃 ファン・ゴッホ美術館、アムステルダム(フィンセント・ファン・ゴッホ財団)

フィンセントがブリュッセルで出会った先輩画家であるファン・ラッパルトに宛てた4通の手紙のうち、ベンチに座る人々や高齢者が暮らす救貧院で見かけた老人などの挿絵が入った4枚の紙片です。こうした手紙は劣化しやすく、展覧会に出品されることは非常に少ないため、今回の出品は大変貴重な機会といえます。

アンリ・ド・トゥールーズ=ロートレック《サン=ラザールにて》1886年 ファン・ゴッホ美術館、アムステルダム
ジュール=バスティアン=ルパージュ《ブドウの収穫》1880年 ファン・ゴッホ美術館、アムステルダム
ポール・シニャック《フェリシテ号の浮桟橋、アニエール(作品143)》1886年 ファン・ゴッホ美術館、アムステルダム
イマーシブ・コーナー

展示の終わりには、高さ4m、幅14mを超える空間で体感する「イマーシブ・コーナー」が出現。巨大モニターで《花咲くアーモンドの木の枝》や《カラスの飛ぶ麦畑》といったファン·ゴッホ美術館の代表作を高精細画像で投影するほか、3DスキャンでCGにした《ひまわり》(SOMPO美術館蔵)の映像も上映しています。肉眼では迫り切れない大胆な視点から新たな発見が期待できる没入体験を、ぜひ会場で楽しんでみてください。

「ゴッホ展 家族がつないだ画家の夢」概要

会場 東京都美術館
会期 2025年9月12日(金)~12月21日(日)
※土日、祝日および12月16日(火)以降は日時指定予約制
開室時間 9:30~17:30  ※金曜日は20:00まで (入室は閉室の30分前まで)
休室日 月曜日、 10月14日(火)、 11月4日(火)、 11月25日(火)
※10月13日(月・祝)、11月3日(月・祝)、11月24日(月・休)は開室
観覧料 展覧会公式サイトでご確認ください。
主催 東京都美術館(公益財団法人東京都歴史文化財団)、 NHK、 NHKプロモーション、 東京新聞
お問い合わせ (ハローダイヤル)050-5541-8600
展覧会公式サイト https://gogh2025-26.jp

※記事の内容は取材時点のものです。最新情報は展覧会公式サイト等でご確認ください。

記事提供:ココシル上野


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