【東京都美術館】「つくるよろこび 生きるためのDIY」取材レポート。自分なりのDIY精神を育むきっかけに。

東京都美術館
展示風景、ダンヒル&オブライエン《「イロハ」を鑑賞するための手段と装置――またいろは》2025年

誰もがもつ創造性に目を向け、自分なりの方法で「よりよく生きる」ことを考える、DIY(Do It Yourself / 自分でやってみる)をテーマにした展覧会「つくるよろこび 生きるためのDIY」が東京都美術館で開催中です。会期は2025年7月24日(木)から10月8日(水)まで。

出品作家たちがレクチャーを行った報道内覧会の様子をレポートします。

■出品作家(展示順/敬称略):若木くるみ、瀬尾夏美、野口健吾、ダンヒル&オブライエン、久村卓、伊藤聡宏設計考作所、スタジオメガネ建築設計事務所

展示風景

 

DIYとは、目の前の問題を自身の創意工夫で解決していくアプローチです。本展では、DIYをより良く生きるための方法であると同時に、不便や困難を乗り越えるための手段であると捉えながら、その過程にある気づきや達成感といった「つくるよろこび」に着目。DIYの手法や考え方に関心を寄せる5組の現代作家と2組の建築家の作品を紹介し、自分なりの方法と感覚を頼りにつくるDIYの在り方や、生きることと密接につながるアートの存在について考えを促す内容になっています。

会場は全4章構成です。第1章「みることから始まるDIY」では、DIYの始まりである「みる」ことに創造の契機を見出し、文房具や台所用品、空き缶、家具といった身の回りの物を彫版として再利用する版画家・若木くるみさん(1985-)の作品を展示。

展示風景
展示風景、左は若木くるみ《CANベルスープ》2024年

生漆のチューブで魚のひらきを象った「チューブのひらき」シリーズは、職人たちが高価な生漆を最後まで使い切るためにチューブを開く様子から着想を得たもの。チューブ特有の質感が凹凸や照りを表現しており、“魚拓”には不思議な趣きがあります。こうした実験的な行為により、ありふれた日用品に新しいイメージや意味を立ち上げるとともに、創造の面白さを誰もが親しみやすいユーモラスな形で提示しています。

左から若木くるみ《のどぐろ》、《アジのひらき》、《ヒラメのひらき》2024年
若木くるみ《タワマン》2025年

天井まで届く《タワマン》(2025)は、若木さんが初めて独り暮らしを始めてから20年以上使い続けてきた冷蔵庫を版とした作品。いよいよ冷蔵庫が寿命を迎えようとしたタイミングで、「版画にすることで、自分で息の根を止めようと決心して」、本展に利用したと話します。

アイデアの出発点となったのは、冷蔵庫に貼りつけたドイツ人画家パウル・クレーの展覧会のチケットとのこと。チケット自体も作品の中に取り入れながら、音楽的な感性による詩情豊かな色彩の世界が魅力のクレー作品に通じる、キュビズム的なタワーマンションを出現させています。

若木くるみ《さいごの版さん》2025年
左から若木くるみ《わたくしのわたくしによるわたくしのメタの版画》2025年、《顔拓》2018年

 

第2章「失って、立ち上げていくDIY」では、自然災害や経済的困難により多くのものを失った人々が、新たに暮らしを立ち上げていく営みに眼差しを向ける、瀬尾夏美さんと野口健吾さんの作品を取り上げています。

東京出身の瀬尾夏美さん(1988-)は、東日本大震災後に東北へ移住し、災禍とともに生きる人々の言葉や風景の変化を記録しながら多彩な作品制作を行うアーティストで、本展ではドローイングや絵画を中心に空間を構成。

冒頭に展示された《輪っか》(2011)は震災当日の夜に描かれたものですが、「きのうと同じような線になったこと」が腑に落ちなかったそう。そこから「本当の現場に行って切実に描くべきものはなんなのか」を、地域の人々とかかわりあう中で考えてきたと語りました。

瀬尾夏美《輪っか》2011年
展示風景
展示風景、左は瀬尾夏美《うつくしい場所》2015年

2015年、岩手県陸前高田の復興にかかる嵩上げ工事によって新しい地面が作られていく過程で、慣れ親しんだ山が削られ、町跡が埋め立てられていく様子を目の当たりにし、物語の必要性を感じたという瀬尾さん。本章では、地面の下にいるかつてのまちの人々と新しいまちの人々がつながる、2031年の陸前高田を書いた物語「二重のまち」にまつわるドローイングの数々も紹介されています。

瀬尾夏美《二重のまち》2015年
左から瀬尾夏美《地底に咲く》《とおくにつづく》2015年

こうした「二重のまち」のイメージは、能登半島地震の被災地をはじめ、災禍を経験したさまざまな場所を旅するたび、人や土地と不意につながり、互いの経験や思考を話し合う対話の時間を生み出しているとのこと。不可逆な変化の中で、語られなくなっていく記憶や想いの居場所を作り、それを別の誰かが受け取り、暮らしの支えとしていく。小さな共同体の人々がつなぐ営みの可能性を、さびしさに寄り添うような言葉とともに鑑賞者に伝えています。

展示風景

写真家・野口健吾さん(1984-)は、川辺や公園で独自の生活空間を構築する人々を訪ね歩いて撮影した「庵の人々」シリーズを展示。廃材やブルーシートなどのブリコラージュで形作られた“庵”には、経済的な理由で住まう人もいれば、自ら好んでその暮らしを続ける人もいて、その意匠や様相も多種多様です。しかしいずれも、さまざまな創意工夫や創造の断片が見出され、ストレートかつ切実な「生きるためのDIY」の精神と彼らの逞しさを感じさせます。

野口健吾《庵の人々 茨城県取手市》2014年

10年にわたる取材の中で、幾度も同じ場所を訪ねているという野口さん。展示の中にも同じ構図で一人の男性と“庵”にフォーカスし、その変化を記録したシリーズが存在します。

野口健吾《庵の人々 東京都渋谷区》2011年、2013年、2014年、2015年

「次に訪ねたら全然変わっていなかった方、逆に老いてきたなっていう方もいれば、同じ庵でもヤドカリのように人が住み変わっているということもあります。あるいは、DIYで自分の暮らしを作り上げたけれど、台風で一瞬のうちに吹き飛ばされてしまうこともあります。都市の片隅でそうした人の営みが行われています。庵はあくまでも、その日暮らし、仮の宿です。作品を見て、『住まいとはいったいなんなのか』というところも考えていただければと思います」(野口さん)

上から野口健吾《庵の人々 大阪府大阪市淀川区》2016年、《庵の人々 大阪府大阪市淀川区 台風21号後》2018年

 

第3章「DIYでつくる、かたちとかかわり」では、彫刻的なアプローチをベースに、立ち上げた「かたち」から人や社会との新たな「かかわり」が生まれるプロセスを重視した多様な表現活動を展開する、ダンヒル&オブライエン久村卓さんを紹介。

ロンドンを拠点とするダンヒル&オブライエンは、協働の難しさと可能性を創造の糧に、独自の装置を作ったり、パフォーマンスや他者との共同作業を取り入れたりしながら作品を生み出すアーティスト・ユニットです。出展作品はすべて本展のために準備された新作。東京都美術館所蔵の野外彫刻である、「いろは歌」を題材にした最上壽之の《イロハニホヘトチリヌルヲワカヨタレソツネ・・・・・・ン》と出会い、かたちと言葉の関係性に感銘を受けたことが新作プロジェクトの出発点になったといいます。(※同作は無料で鑑賞可能です)

そこからイギリスと日本で、芸術家、科学者、音楽家、作家などさまざまなバックグラウンドをもつ参加者をのべ100人以上集め、野外彫刻について描写したテキストをもとに粘土を造形するワークショップを実施。遠隔的な「対話」を通じた粘土作品はすべてデータ化され、3Dプリントを経て会場で「かたちの図書館」として立ち上げています。

「かたちの図書館」の展示、ダンヒル&オブライエン《「イロハ」を鑑賞するための手段と装置──またいろは》2025年
「かたちの図書館」の展示、ダンヒル&オブライエン《「イロハ」を鑑賞するための手段と装置──またいろは》2025年

さらに、これらのデータをマッシュアップし、集合体としての3Dマケット(模型)を作成。19世紀に彫刻の拡大複製に用いられたパンタグラフを設置し、3Dマケットを野外彫刻とほぼ同じ大きさまで拡大した大型インスタレーション《「イロハ」を鑑賞するための手段と装置──またいろは》(2025)が完成しました。

ダンヒル&オブライエン《「イロハ」を鑑賞するための手段と装置──またいろは》2025年

なお、台座に見える部分は、ロンドンにあるダンヒル&オブライエンのスタジオを原寸大で模したものです。これを二人は台座であり、制作の場であり、ホームのような空間としての「実践のためのいかだ」と表現。展示では、スタジオ型「いかだ」の上にパンタグラフを置き、彫刻をつくるための複雑なツールとして機能させています。

多摩美術大学彫刻学科出身の久村卓さん(1977-)は、制度的な枠組みを行き来しながら移ろいやすい美術の価値を問いかけているアーティストです。展示にはいわゆる彫刻らしい彫刻というものがありません。本人の形容するところの「厳しい体育会系なところがある」アカデミックな彫刻から、いかにして距離を取るかを模索した結果、心身に負荷をかけない軽さを重視した素材や、美術の周縁に位置するDIY的、あるいは手芸的な技法を採用するようになったといいます。

久村さんが主に手掛けているのは、台座や額縁、展示空間といったパレルゴン(作品を成立させるための構造的な要素)です。

久村卓《PLUS_Ralph Lauren_yellow striped shirts》2025年

たとえば、「着られる彫刻」である《PLUS_Ralph Lauren_yellow striped shirts》(2025)は、ラルフ・ローレンの古着を素材とした作品。胸元のロゴマークに台座を刺繍して彫刻に仕立てたものですが、それだけでは手芸的な領域を出ないと考えた久村さんは、刺繍を額装することで絵画的に演出。加えて、回転台の上に心棒を作ってシャツを乗せることでトルソーのように見せ、廃材を再利用した階段状の台座を設置するという4重のレイヤーを用いることでアート性を強調しています。

久村卓《PLUS_Ralph Lauren_yellow striped shirts》2025年

廃校から譲り受けたハードルや工事現場で用いられたA型バリケードを素材とした「One Point Structure」シリーズは、台座部分をベンチ風にすることで、来場者が彫刻とは気づかず座ってしまうような仕立てになっています。じっくり鑑賞を楽しんでほしい反面、座って休める場所が少ない傾向にある美術館のジレンマを解消する手段であるとのこと。

展示風景、手前は久村卓《One Point Structure 7》2022-2024年

バーカウンターのようなスペース《織物Bar at 東京都美術館》(2025)は、美術館に長く滞在するためのコミュニケーションを生成する場として制作されたもの。ここでは毎週金曜日、バーでお酒を選ぶように好きな織糸や布をオーダーし、オリジナルの織物をつくれるイベントが開催されます。(※要事前予約)

久村卓《織物Bar at 東京都美術館》2025年

織糸は手芸糸メーカーの提供品や古着を割いたものなどさまざま。中には東京都美術館で過去に開催された展覧会のカーテンだったものも含まれるとの話があり、それらが経験してきた記憶に思いを馳せながら自身の手で織り込む、本展らしい豊かな経験が期待できそうです。

 

第4章「DIYステーション──自分でやってみよう!」は、第3章までで見てきたDIYに通じる多様なアプローチや創意工夫を参照点としながら、来場者が展示内容を反芻し、あらためてDIYについて考えるためのプラットフォームとなっています。

展示風景

空間設計は伊藤聡宏設計考作所スタジオメガネ建築設計事務所の2組の建築家チームが手掛けたもので、テーマは「観察と考察」。その象徴として空間中央では、DIY精神の視点から、産業革命のカウンターとして現れたアーツアンドクラフツ運動を起点とする歴史的な活動を建築家チームでまとめた「DIY年表」を掲示しています。

DIY年表

その周囲では、出品作家の制作手法やアプローチを体験できるコーナーや、DIYや作家に関する資料展示を展開。たとえば、ダンヒル&オブライエンは「彫刻作品に触れてみたい」という来場者の思いに応える形で、箱の中に手を入れ、中にある彫刻を手で観察できる仕掛けを制作しています。

展示風景

一般市民からなる展覧会ファシリテーター「つくるん」の案内に従って、一人が箱の中にある彫刻の特徴を説明し、もう一人が説明をもとに絵を起こすという作業を交互に行いましたが、それぞれが注目する質感や形状のポイント、表現する言葉によって、同じ彫刻でもまったく異なる絵が生まれる過程は非常に楽しいものでした。

そのほかにも、廃材であった柱材に若木くるみさんが版を彫り、来場者がフロッタージュ(凹凸のある物に紙を乗せ、鉛筆などでこすって模様を写し取る技法)で作品にするコーナーなど、つくること・話すこと・考えることを促す展示の数々が用意されています。本展を通じて、来場者が自分の中のやってみたいこと、何か心にひっかかっていること、解決したいこと、さまざまな衝動と感情に出会うことが、オリジナルのDIYの芽生えにつながるのかもしれません。

「つくるよろこび 生きるためのDIY」概要

会期 2025年7月24日(木)~10月8日(水)
会場 東京都美術館 ギャラリーA・B・C
開室時間 9:30~17:30、金曜日は9:30~20:00 ※入室は閉室の30分前まで
休室日 月曜日、9月16日(火)
※ただし、8月11日(月・祝)、9月15日(月・祝)、9月22日(月)は開室
観覧料(税込) 一般 1,100円 / 大学生・専門学校生 700円 / 65歳以上 800円/ 18歳以下、高校生以下無料

※身体障害者手帳・愛の手帳・療育手帳・精神障害者保健福祉手帳・被爆者健康手帳をお持ちの方とその付添いの方(1名まで)は無料。
※18歳以下の方、高校生、大学生、専門学校生、65歳以上の方、各種お手帳をお持ちの方は、いずれも証明できるものをご提示ください。
※事前予約は不要。ただし、混雑時に入場制限を行う場合があります。
そのほか、詳細は展覧会公式サイトでご確認ください。

主催 東京都美術館(公益財団法人東京都歴史文化財団)
お問い合わせ 03-3823-6921
展覧会公式サイト https://www.tobikan.jp/diy/

※記事の内容は取材時点のものです。最新情報は展覧会公式サイト等でご確認ください。


その他のレポートを見る

【国立西洋美術館】「スウェーデン国立美術館 素描コレクション展―ルネサンスからバロックまで」取材レポート。巨匠たちの臨場感ある筆致を堪能する

国立西洋美術館
コルネリス・フィッセル《眠る犬》スウェーデン国立美術館蔵

世界最高峰の素描コレクションを誇るスウェーデン国立美術館より、デューラーやルーベンスなど約80点の名品を選りすぐって紹介する展覧会「スウェーデン国立美術館 素描コレクション展―ルネサンスからバロックまで」が、国立西洋美術館[東京・上野公園]で開催されています。会期は2025年7月1日から9月28日まで。

「スウェーデン国立美術館 素描コレクション展―ルネサンスからバロックまで」展示風景、国立西洋美術館、2025年

スウェーデンの首都ストックホルムにあるスウェーデン国立美術館は、同国王家が収集した美術品を基盤にする、ヨーロッパで最も古い美術館のうちの一つ。中世から現在に至る美術、工芸、デザインなど幅広いコレクションを所蔵していますが、中でも素描コレクションは質、量ともに世界屈指のものと評されています。

素描(デッサン、ドローイング)は、ペンや木炭、チョークなどを用いて対象の輪郭、質感、明暗などを表現した線描中心の平面作品を指します。アイデアを素早く描きとめるため、技術を磨くためと、素描の制作目的はさまざまですが、とくに絵画や彫刻などの構想を練るプロセスと結びつく場合が多いことから、16-17世紀の文筆家たちは素描をあらゆる造形の基本と捉え、高く評価していました。

作家の思考や手の痕跡が直接的に感じられるほか、慎重な筆運びが求められる本制作では鳴りを潜めてしまう勢いといったものも見てとれるなど、まるで創造の場に立ち会っているような親密な距離感を味わえることが、素描作品の大きな魅力となっています。

本展は、ルネサンスからバロックまでの素描作品の特色と魅力を伝えるもの。スウェーデン国立美術館の素描コレクションから借用した81点の名品、および国立西洋美術館の関連作品3点、計84点を紹介しています。

なお、素描は温湿度の変化や光、振動の影響を非常に受けやすいメディアです。海外の美術館の所蔵作品が、これほどの規模でまとめて日本の展覧会でお披露目されるのは、本展が初めてのことであるそう。

「素描とは何か」を伝える導入部 。
「スウェーデン国立美術館 素描コレクション展―ルネサンスからバロックまで」展示風景、国立西洋美術館、2025年
素描に用いられる画材についても詳しく解説されている。
「スウェーデン国立美術館 素描コレクション展―ルネサンスからバロックまで」展示風景、国立西洋美術館、2025年

 

会場は4章構成で、イタリア、フランス、ドイツ、ネーデルラントという制作地域別に紹介しています。第1章は、ルネサンス、マニエリスム、バロックと燦然と輝く美術の中心地であり続けたイタリアがテーマ。

ジョヴァンニ・ダ・ウーディネ《空飛ぶ雀》スウェーデン国立美術館蔵
手前はフェデリコ・バロッチ《後ろから見た男性の頭部》スウェーデン国立美術館蔵
フェデリコ・ツッカリ《聖母被昇天》スウェーデン国立美術館蔵
ドメニコ・ティントレット(本名ドメニコ・ロブスティ)《ウイルギニアの死》スウェーデン国立美術館蔵

注目したいのは、マニエリスム期に画家たちの関心の低下を被った自然観察が再び重視されはじめた16世紀末頃から、後のバロック美術に繋がる重要な役割を果たしたカラッチ一族の作品です。

アンニーバレ・カラッチ《頭を反らし目を閉じた仰向けの若い男性の裸体習作》スウェーデン国立美術館蔵

カラッチ一族は1582年に故郷ボローニャに設立した私的な美術アカデミーで、古典彫刻の模写や郊外での風景や庶民のスケッチといった、独自の美術教育を行っていました。特に力を入れていたのが裸体素描で、ときには解剖学に基づいて人体構造の理解に努めたといいます。赤チョークで描かれたアンニーバレ・カラッチの《頭を反らし目を閉じた仰向けの若い男性の裸体習作》は、そうした人物素描の好例です。

また、《画家ルドヴィーコ・カルディ、通称チゴリの肖像》(c.1604-09)は、まさに素描を制作中の仲間の画家を描きとめた肖像素描であり、本展のアイコンにもなっています。

アンニーバレ・カラッチ《画家ルドヴィーコ・カルディ、通称チゴリの肖像》1604-09年頃、スウェーデン国立美術館蔵

 

フランスをテーマにした第2章では、パリ南東方フォンテーヌブローの宮廷に招聘されたイタリア画家たちによる風変わりな舞台衣装のデザインを皮切りに、ジャック・ベランジュやジャック・カロといったロレーヌ地方が輩出した個性的な版画家たち、フランス・バロック期を牽引した画家たちの作品などが並びます。

フランチェスコ・プリマティッチョ周辺《白鳥の騎士》スウェーデン国立美術館蔵
ニコロ・デッラバーテに帰属《蛙男》スウェーデン国立美術館蔵

優れた素描家でもあったカロの展示では、聖人アントニウスにまつわる伝説を描いた《聖アントニウスの誘惑》の下絵素描と、それに基づく版画(c.1635)を併置しています。

ジャック・カロ《聖アントニウスの誘惑》スウェーデン国立美術館蔵
ジャック・カロ《聖アントニウスの誘惑(第二作)》1635年頃、国立西洋美術館蔵

細密な調整で線描に動勢をもたせながら自然な遠近感を表現する版画の技術、バラエティー豊かな悪魔のビジュアル、パニック・ムービーを切り取ったかのような躍動感など、それぞれ単体で鑑賞しても見ごたえは十分です。

しかし、版画では悪魔と戦うアントニウスが勇ましく十字架を振りかざしている一方で、素描では尻もちをついて劣勢に追い込まれているほか、構図の左右を縁取る岩の有無など、両作では細部にさまざまな違いがあることがわかります。比較することで、画家が何にこだわって作品を発展させていったのか、構成要素の取捨選択の効果などにも思いが巡るでしょう。

シャルル・ル・ブラン派《ヴェルサイユ宮殿の噴水のためのデザイン》スウェーデン国立美術館蔵

また、同章ではスウェーデン国立美術館の素描コレクションの基礎を築いた建築家ニコデムス・テッシンが、自邸の天井装飾として制作させた優美なデザイン素描についても触れています。

ルネ・ショヴォー《テッシン邸大広間の天井のためのデザイン》スウェーデン国立美術館蔵

 

第3章は16世紀を中心としたドイツ(厳密には、スイス、オーストリア等を含むドイツ語圏地域)に焦点を当てており、ハイライトはマティアス・グリューネヴァルト、アルブレヒト・デューラー、ハンス・バルドゥング・グリーンら、ドイツ・ルネサンスを代表する3人の巨匠の頭部習作と肖像素描です。

マティアス・グリューネヴァルト(本名マティス・ゴットハルト・ ナイトハルト)《髭のない老人の頭部》スウェーデン国立美術館蔵
ハンス・バルドゥング・グリーン《下から見た若い男性の頭部》スウェーデン国立美術館蔵

「黒線で描けないものはない」と評されたデューラーの《三編みの若い女性の肖像》(1515)は、素描でありながら、それ自体が独立したモニュメンタルな芸術作品として仕上げられています。顔の各部や凹凸、肌の質感が細緻な線でデリケートに描かれている一方、髪やリボン、衣服がより太く濃い線の束で描かれている点が興味深く、自然と像主の造詣に意識が向くテクニックとも見ることができるでしょう。

アルブレヒト・デューラー《三編みの若い女性の肖像》1515年、スウェーデン国立美術館蔵

 

17世紀を中心としたネーデルラント(現在のベルギー、オランダにあたる地域)の展開を追う第4章冒頭では、光の映り込む淡い瞳が印象的なリュカス・ファン・レイデンの《若い男性の肖像》(1521)が鑑賞できます。ネーデルラントでは15世紀初頭に油彩技法が急速に発展しましたが、イタリアと比較すると紙の普及が遅れたこともあり、素描に関しては16世紀初頭以前の作品があまり残っていません。そうした意味で本作は貴重な作例といえます。

リュカス・ファン・レイデン《若い男性の肖像》1521年、スウェーデン国立美術館蔵

政治的、宗教的動乱から16世紀末にオランダとフランドルに南北分断されたネーデルラントですが、動乱が落ち着いたフランドル側で芸術復興の中心にいたのがペーテル・パウル・ルーベンスでした。ルーベンスは工房に寄せられた大量の注文をさばくため、大勢の弟子や助手たちにも作業を分担させて絵画制作に当たりましたが、その体制を支えたのが周到に用意された準備素描であったといいます。

ペーテル・パウル・ルーベンス《アランデル伯爵の家臣、ロビン》1620年、スウェーデン国立美術館蔵

《アランデル伯爵の家臣、ロビン》(1620)を見ると、余白にモデルとなった人物の着ている服の素材や色についての詳細なメモがルーベンス自身の手で描き込まれており、素描がどのように活用されていたのかを想像させます。

ヤン・ブリューゲル(父)《旅人と牛飼いのいる森林地帯》1608-11年頃、スウェーデン国立美術館蔵

経済的繁栄に支えられ、絵画制作が未曽有の活況を呈したオランダ側では、宗教画像の礼拝を禁じるプロテスタント国家であったことや、絵の購買層である市民たちが身近で親しみやすい画題を好んだことから、風景、風俗、静物、動物などのジャンルが発展を遂げます。他方で、キリスト教の物語を描くことにこだわり続けた画家たちも存在し、その筆頭がレンブラント・ファン・レインでした。

レンブラント・ファン・レイン《キリスト捕縛》スウェーデン国立美術館蔵

ゲッセマネの園でユダの裏切りにより逮捕されるキリストを描いた《キリスト捕縛》は簡素な印象ですが、レンブラントの代名詞である光と闇の効果が生かされています。緊迫した場面に荘厳さや神々しさ、あるいは自分の運命を受け入れるキリストの精神の気高さが表現され、小品ながら目を引くものがありました。

手前はヘンドリク・ホルツィウス《自画像》1590-91年頃、スウェーデン国立美術館蔵
コルネリス・フィッセル《眠る犬》スウェーデン国立美術館蔵

展示の終わりには、警戒心を解いて眠る姿が愛らしいコルネリス・フィッセルの《眠る犬》があります。うっすら開いた瞼、腹部の柔らかな毛並みなど、細部まで徹底した観察にもとづいて描かれており、優しい色合いは作家の犬にそそぐ温かな視線を感じさせます。本作をモチーフとしたオリジナルグッズも販売されていましたので、会場に足を運んだ際はぜひお見逃しなく。

 

「スウェーデン国立美術館 素描コレクション展―ルネサンスからバロックまで」概要

会場 国立西洋美術館[東京・上野公園]
会期 2025年7月1日(火)~9月28日(日)
開館時間 9:30 〜 17:30(金・土曜日は20:00まで)
※入館は閉館の30分前まで
休館日 月曜日、7月22日(火)、9月16日(火)
※ただし、7月21日(月・祝)、8月11日(月・祝)、8月12日(火)、9月15日(月・祝)、9月22日(月)は開館
観覧料(税込) 詳細は公式チケットページをご確認ください。
主催 国立西洋美術館、読売新聞社
問い合わせ 050-5541-8600(ハローダイヤル)
展覧会公式サイト https://drawings2025.jp

※記事の内容は取材時点のものです。最新情報は展覧会公式サイト等でご確認ください。


その他のレポートを見る

【取材レポート】「氷河期展 〜人類が見た4万年前の世界〜」が国立科学博物館で開催中。絶滅・生存の命運を分けた氷河期の謎に探る旅へ

国立科学博物館

「氷河期」と聞けば、現代とは全く異なる、氷や雪や覆われた過酷な世界をイメージする人もいるでしょう。しかし、学問的には、氷河期は陸地を覆う厚い氷の塊である氷床が、大陸規模で広く存在する時代を指します。

寒冷で氷床が大きく成長する時代である「氷期」と、比較的温暖で氷床が後退する「間氷期」を約10万年周期で交互にくり返しているため、氷河期が常に寒い時代というわけではありません。連日酷暑に悩まされている私たちが暮らす2025年も、グリーンランドや南極に氷床が存在する「間氷期」のさなか、つまり氷河期に属していると知ると、少しだけ見え方が変わってくるのではないでしょうか。

現在、国立科学博物館で開催されている特別展「氷河期展 〜人類が見た4万年前の世界〜」(会期:2025年7月12日~10月13日)は、最終氷期に当たる4万年前後の地球の姿に焦点を当てた展覧会。

日本初公開となるネアンデルタール人とクロマニョン人の実物の頭骨をはじめ、絶滅動物の骨格標本や生態復元模型、考古資料の展示などを通じて、現代とは全く異なる環境で生きた人類と動物の暮らしや環境の変化を、最新の科学的知見と迫力ある展示で紹介する内容になっています。

「氷河期展」入り口

本展の監修を務めた国⽴科学博物館⻑・篠⽥謙⼀さんは、報道内覧会で次のように述べています。

「世界には80億の人類が住んでいますが、実はすべてホモ・サピエンスという1種類の生物です。かつてヨーロッパやアジアには別の⼈類がいましたが、1万2000年前にはホモ・サピエンスのみになりました。私たちの祖先が6万年前にアフリカを出た後、どんな⼈類や動物と出会っていたのか。滅んでしまった動物たちはどこに住み、どんな姿をしていたのかを体験していただくことが本展の大きな趣旨になります。これまでの私たちの旅について思いを馳せていただくとともに、地球温暖化で環境が変わっていく中で、私たちはどのように生きていくべきかを考えるきっかけにしていただければ幸いです」

ナガマンモス(生体復元模型、骨格標本)、ライス・エンゲルホルン博物館所蔵

会場では、ドイツのライス・エンゲルホルン博物館が所蔵する、数千年前までシベリアやアラスカの島で生き残っていたというケナガマンモスの威容が来場者をお出迎え。本展の目玉の一つであり、迫力に目を奪われるところですが、その手前でさりげなく展示されている「槍の刺し傷のついたホラアナライオンの肋骨」も忘れずにチェックしたい一品です。

槍の刺し傷のついたホラアナライオンの肋骨[実物]、マンモス博物館ジーグスドルフ所蔵
本品はドイツ南部で発掘された4万8000年前の肋骨化石。現生のライオンの近縁であるホラアナライオンは、壁画や彫刻でも多く登場しており、ネアンデルタール人やホモ・サピエンス(クロマニョン人)の身近な狩猟対象だったことが分かっています。槍の刺し跡が、極寒の氷期で闊歩する動物と私たち人類の祖先が対峙し、たくましく生きていたことを示す、本展の幕開けにふさわしいロマンあふれる展示といえるでしょう。

3~2万年前の最寒冷期をピークに、ユーラシア大陸の高緯度地域では寒冷化とともに広大なステップ・ツンドラ(寒冷な草原と永久凍土地帯)が形成されます。この環境で繁栄したのがケナガマンモス、ホラアナライオン、ケサイ、ステップパイソンなどの草原棲のマンモス動物群であり、さらに間氷期から森林で生き伸びたギガンテウスオオツノジカやホラアナグマ、その他多くの現生種が入り混じって、最終氷期の巨大動物群「メガファウナ」となりました。

展示風景、左はギガンテウスオオツノジカ(生態復元模型、全身骨格)、ライス・エンゲルホルン博物館所蔵

「第1章氷河期 ヨーロッパの動物」は、そうしたメガファウナの化石や全身骨格標本、生体復元模型を展示し、絶滅種と現生種、その生態を解説しつつ盛衰の謎について迫る構成です。寒さに耐えるための立派な体躯と長い体毛をもつ動物たちの姿からは、当時の環境の厳しさが想像されます。

ステップパイソン(頭骨化石[実物])、ライス・エンゲルホルン博物館所蔵
ホラアナグマ(生態復元模型、全身骨格)、ライス・エンゲルホルン博物館所蔵
ケサイ(生態復元模型、全身骨格)、ライス・エンゲルホルン博物館所蔵

まるで布を被っているかのような長い毛皮と大きな蹄が特徴のジャコウウシは、マンモス動物群の生き残りでヤギ亜科の一種。2万年前以降、突如始まった温暖化によってステップ・ツンドラが縮小し、寒冷地適応した種や草原棲の種が次々に姿を消していった中で、ジャコウウシやホッキョクギツネなどは北極圏に生息域を移せたことで、今も細々と生存しています。

左からジャコウウシ(剥製)、サイガ(生態復元模型)、ライス・エンゲルホルン博物館所蔵

クロマニョン人の祖先は約30万年前にアフリカで誕生し、約6万年前にユーラシア大陸に広がっていきました。当時、ヨーロッパにはネアンデルタール人という別の人類が暮らしていましたが、約4万年前になると姿を消してしまいます。

ネアンデルタール人の復元模型、パリ国立自然史博物館 ©2019 Sculpture ELISABETH DAYNES, France
クロマニョン人の復元模型、パリ国立自然史博物館 @2025 Sculpture ELISABETH DAYNES, France

がっしりした体格と強靭な筋肉をもっていたネアンデルタール人。比較的ほっそりした体格に長い手足をもっていたクロマニョン人。一見、過酷な氷期の生存に適しているのは前者のように思えますが、両者の命運を分けたものはなんだったのか。その謎を石器や装飾品などの考古遺物とともにひも解く「第2章 ネアンデルタール人とクロマニョン人」では、同時代を生きた二つの人類の“世界一有名な頭骨”とも言われる「ラ・フェラシー1号」「クロマニョン1号」の実物を日本初公開。

展示風景、左から2点目 ラ・フェラシー1号(ネアンデルタール人)© MNHN パリ国立自然史博物館
左から3点目 クロマニョン1号(クロマニョン人) © MNHN – JCDomenech パリ国立自然史博物館

「ラ・フェラシー1号」は1909年にフランスのラ・フェラシー岩陰遺跡で発見された、4万5000年前~4万3000年前頃のネアンデルタール人のほぼ完全な全身骨格として出土。「クロマニョン1号」は、同じくフランスのクロマニョン岩陰から道路工事の際に発見されたもので、2万8000年前~2万7000年前頃のおそらく男性であると考えられています。展示された頭骨を一見するだけでも頭蓋の長さ、頬骨の広さ、眉骨の隆起具合に大きな違いが見つけられるなど、両者の姿を実物で比較できる贅沢な機会といえそうです。

ラ・フェラシー1号(ネアンデルタール人) © MNHN パリ国立自然史博物館
クロマニョン1号(クロマニョン人) © MNHN – JCDomenech パリ国立自然史博物館

なお、地面に体を曲げた状態で発見された、「ラ・フェラシー1号」をきっかけに、クロマニョン人と比較して、従来野蛮で文化的に劣っていると見なされていたネアンデルタール人に、死者を埋葬する習慣があったことが証明されていったといいます。

展示風景

第2章と第3章をつなぐ通路では、素人には嬉しい氷河期の基礎知識を解説する映像展示や、動物の毛や歯の化石に触れるコーナーが置かれています。ケナガマンモスやオーロックスの歯の個性的な輪郭をなぞりながら、どんなものを食べていたのか、なぜその形状になったのかを想像してみるのも楽しいでしょう。

「第三章 氷河期の日本列島」では、約3万8000年前までには日本にわたってきたと考えられる人類の暮らしや、当時を生きた日本三大絶減動物であるナウマンゾウ、ヤベオオツノジカ、ハナイズミモリウシなどの動物たちの様子について紹介しています。

展示風景、手前はナウマンゾウ(全身骨格[レプリカ])、栃木県立博物館所蔵 /(右切歯、左下顎第3大臼歯、右大腿骨の化石[実物])、野尻湖ナウマンゾウ博物館所蔵
港川人[実物]、東京大学総合研究博物館所蔵
最終氷期、特に寒冷化の著しかった7万年~2万年前においては、氷床・氷河の発達で地球上の大部分の水分が固定されたため、海水準が60m以上低下していた日本列島。北海道はユーラシア大陸と繋がり、本州・四国・九州は古本州島と呼ばれる巨大な島を形成するなど、今とは大きく様相が異なっていたといいます。そうした日本列島の南北に広がった多様な環境を背景に、現生人類は豊かな地域性を獲得していきました。

後期旧石器時代中葉における古本州島の石器の地域性を紹介する比較展示では、岩手、大阪、鹿児島にある遺跡から発掘された品々が並んでいますが、特に目を引いたのは大阪の翠鳥園遺跡から出土した石刃です。

国府型ナイフ形石器と瀬戸内技法の接合資料[実物]、羽曳野市教育委員会所蔵
瀬戸内地方では、世界中で使われる石刃とは異なり、石を打ち割る際の打撃点から末広がりに翼のごとく広がる、不思議な形状の剥片を量産する技術「瀬戸内技法」が発達。この瀬戸内技法で製作された槍先から、「国府型ナイフ形石器」と呼ばれる特徴的な石器が作られました。その発生理由については明らかになっていませんが、世界的にも珍しい技術であったようです。

第2会場では「氷期・間氷期サイクルと植生」の展示が続き、ハート形をしているかわいい(?)花粉化石の拡大模型があるなど、最後まで見どころの多い展覧会でした。

展示風景、左は寒冷期の花粉(ゴヨウマツ)の拡大模型、滋賀県立琵琶湖博物館所蔵
報道内覧会に登壇したアンバサダーのあばれる君

本展のアンバサダーを務める歴史好きのタレント・あばれる君も、「入り口から出口まで丁寧に見ていくと、理科の授業50時間分くらいの濃厚な学びがあるんじゃないでしょうか」「捨てるところ一切なし! すべてが見どころ!」と大絶賛。

「夏休みの自由研究や学びにもいいですね。地球は今さまざまな課題を抱えていますが、厳しい時代を生き抜いた氷河期の動物たちの姿は、我々、現代にも通じるものがあるのではないかと考えます」と熱弁しながら、「私のとっても楽しいナレーション・解説付きで見ていただくと、学び・分かりやすさも100倍でございます」と、自身が担当した音声ガイドをアピールしました。

特別展「氷河期展 〜人類が見た4万年前の世界〜」の開催は、10月13日(月・祝)までとなっています。

特別展「氷河期展 〜人類が見た4万年前の世界〜」概要

会場 国立科学博物館(東京・上野公園)
会期 2025年7月12日(土)~10月13日(月・祝)
開館時間 9:00 ~17:00(入場は16:30まで)
夜間開館 8月8日(金)~17日(日)および10月10日(金)~13日(月・祝)は19時閉館(入場は18時30分まで)。
※常設展示は8月9日(土)~15日(金)は18時まで。それ以外の期間、常設展示は17時まで(入場は各閉館時間の30分前まで)。
休館日 9月1日(月)、8日(月)、16日(火)、22日(月)、29日(月)
チケット ⼀般/⼤学⽣ 2,300円 、⼩中⾼⽣ 600円

※未就学児は無料。
※障害者⼿帳をお持ちの⽅とその介護者1名は無料。
※学⽣証、各種証明書をお持ちの⽅は、ご⼊場の際にご提⽰ください。
その他、詳細は公式HPでご確認ください。

主催 国立科学博物館、TBS、TBSグロウディア、東京新聞
お問い合わせ 050-5541-8600(ハローダイヤル)
展覧会公式HP https://hyogakiten.jp/

※記事の内容は取材日時点のものです。最新の情報は展覧会公式HP等でご確認ください。

 

記事提供:ココシル上野


その他のレポートを見る

「五大浮世絵師展―歌麿 写楽 北斎 広重 国芳」(上野の森美術館)取材レポート。浮世絵の頂点を極めたスターたちの代表作が多数

上野の森美術館

浮世絵黄金期を彩った5大スターの傑作が一堂に会する「五大浮世絵師展―歌麿 写楽 北斎 広重 国芳」が、上野の森美術館(東京・上野)で開幕しました。会期は2025年7月6日(日)まで。

先立って行われた報道内覧会のギャラリートークでは、本展の図録執筆者である川崎浮世絵ギャラリー学芸員の山本野理子さんが登壇。見どころを解説していただきましたので、展示の様子と合わせて紹介します。

展示風景

天明・寛政期に黄金期を迎えた、日本が誇る大衆美術である「浮世絵」で名を馳せた5人の絵師、喜多川歌麿、東洲斎写楽、葛飾北斎、歌川広重、歌川国芳。本展は、美人画、役者絵、風景画など、各分野で頂点を極めた彼らの代表作を中心に約140点の作品を展示し、その表現の特色と魅力を伝えるものです。

第1章「喜多川歌麿―物想う女性たち」

展示は絵師一人ずつに焦点を当てた5章構成となっており、まず登場するのは喜多川歌麿です。

喜多川歌麿《両国橋上橋下納涼之図(橋下の図)》寛政後期(1795-1800)頃

歌麿は、現在NHKで放送中の大河ドラマ「べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺〜」でも活躍している、江戸きっての名物プロデューサー・蔦重(蔦屋重三郎)が見出した絵師として知られています。

蔦重と組み、当時役者絵で用いられていた人物の上半身にクローズアップする「大首絵」のスタイルを美人画にも導入。艶やかな女性のしぐさや想いを写した作品で一世を風靡した、美人画の第一人者です。

喜多川歌麿《五人美人愛敬競 兵庫屋花妻》寛政7-8年(1795-96)頃

展示では、着飾った艶姿より、ほつれ髪で手紙を読む遊女のオフショットを捉えた《五人美人愛敬競 兵庫屋花妻》など、日常の様子を描いた美人画が目立ちます。

女性に対する教訓を記した「教訓親の目鑑」シリーズでは、だらしない格好で酒を呷る「ばくれん」(すれっからしの女性)が登場。美人画では、庶民の憧れだった才色兼備の遊女や町で評判の看板娘といった当世の美人が描かれがちですが、歌麿はこのように、ある意味で正反対の属性の女性も区別なくモデルにしました。

喜多川歌麿《教訓親の目鑑 俗二云 ばくれん》享和2年(1802)頃

山本さんは「歌麿の美人画は、よく理想的な女性像だと表現されることが多いのですが、実はこうした悪女風の女性も得意なんです」とコメント。

家庭で遊ぶ弟を微笑ましそうに見守る姉、海岸で休息する海女、子に乳をのませる山姥など、歌麿はあらゆる女性の生態や風俗に関心を向け、それを網羅するかのように題材にしてきました。そうした多様な女性の魅力を、指先一つに至るまで背景のストーリーを想像させるような豊かな表現力で提示している点が、歌麿作品の大きな特長となっていると話しました。

喜多川歌麿《風流子寶合 大からくり》享和2年(1802)頃

ちなみに、先述の《五人美人愛敬競 兵庫屋花妻》に描かれた手紙には、「ひとまねきらい、しきうつしなし、自力画師哥麿」から始まる、歌麿の美人画絵師としての確固たる自負を窺わせる文章も見られます。崩し字が読める方はぜひ注目してください。

第2章「東洲斎写楽―役者絵の衝撃」

続く東洲斎写楽もまた、歌麿同様に蔦重に見出され、浮世絵の黄金期を彩った絵師の一人。寛政6(1794)年5月から翌年の1月までの10ヶ月間に約145点の錦絵を残したものの、その後忽然と表舞台から姿を消したため、経歴がほとんど明らかになっていないミステリアスな人物です。

個性的でインパクトの強い役者大首絵を数多く手掛けており、その作画期は取材した芝居の上演時期によって4期に分けられ、作風や仕様がきれいに分類できることが特徴です。本展に展示される写楽作品の半分以上は、とくに人気の高い第1期の大首絵で、これだけの点数が一同に揃うのはたいへんに希少な機会とのこと。

手前は東洲斎写楽《二代目嵐龍蔵の金貸石部金吉》寛政6年(1794)

山本さんが写楽作品の魅力の分かりやすい作例として挙げたのは、第1期作の《二代目嵐龍蔵の金貸石部金吉》です。

二代目嵐龍蔵は悪役を得意とした役者で、本図で描かれているのは金貸しの役どころ。袖をたくし上げて見得を切る役者の目の動き、力を込めた指の一本一本、真一文字に引いた口元にできたシワなど、鋭い観察眼による独特の写実表現に着目し、「ズームできるカメラも望遠鏡もない時代に、よくここまでというくらい細部まで描く。役者の演技の一瞬を正確に捉えようとしたのが写楽です」と述べました。

東洲斎写楽《尾上松助の松下造酒之進》寛政6年(1794)

《尾上松助の松下造酒之進》では、落ちぶれた浪人の伸びた月代に乱れた髪、うつろで落ちくぼんだ目の描写が際立っています。全体を暗い色彩でまとめることで、貧窮に陥った寂寥感を表現しているだけでなく、まるでまもなく殺されてしまう悲壮な運命をも描き出そうとしたかのようです。

東洲斎写楽《中山富三郎の宮城野》寛政6年(1794)

当時、他の絵師たちは役者を美化していましたが、写楽はたとえ女形であっても男らしい骨格をそのまま描くなど、美しさよりもリアリティや間近で舞台を望むような臨場感を重視していました。迫真の画面からは他の役者絵にはないエネルギーが伝わってきますが、あまりに真を極めようとする姿勢は、当時の役者本人やファンからの不評を買い、活動期が短命に終わった原因と言われています。

左から東洲斎写楽《大童山土俵入り 谷風、雷電、花頂山、達ヶ関、宮城野》、《大童山土俵入り 大童山文五郎》寛政6年(1794)

第3章「葛飾北斎―怒涛のブルー」

3人目は葛飾北斎(宝暦10~嘉永2年・1760~1849)です。19世紀後半に起こったジャポニズムでその名がヨーロッパ中に広まり、近年アメリカの写真情報誌『LIFE』が特集した「この1000年で最も重要な功績を残した世界の著名人100人」のアンケートでも日本人で唯一選出されるなど、世界で最も有名な日本人画家と評しても過言ではないでしょう。

葛飾北斎《仮名手本忠臣蔵 十段目》文化3年(1806)頃

北斎は90年に及ぶ生涯で、版本挿絵はもちろん、錦絵、摺物、肉筆画などあらゆる分野の仕事に着手し、風景・花鳥・人物に留まらない森羅万象を描き続けました。絵の総数は4,000図ともいわれる北斎の代表的な絵手本『北斎漫画』の尋常ではないデッサン力を見るだけでも、70年以上を画業三昧に励み、ついには「画狂老人卍」を名乗るに至ったその画歴の凄みが伝わってくるはずです。

葛飾北斎『北斎漫画』初~14編、文政11-明治11年(1828-78)

誰もが知る、富士をさまざまな視点で捉えた「冨嶽三十六景」シリーズを発表したのは70歳代の老境に入ってからですが、その前後を展示作品で概観すると、色彩が深く、豊かに変化していることがわかります。絵具の変化も理由でしょうが、何歳になろうと尽きない、北斎の探求心と向上心を感じさせるこうした変化も見どころです。

葛飾北斎《冨嶽三十六景 山下白雨》天保2年(1831)頃

中でも傑作とされる《冨嶽三十六景 神奈川沖浪裏》は、遠景に富士の山容を構える海原で、狂ったように高く上がる波の飛沫が飛ぶ一瞬の様子を、大胆な構図で捉えています。

葛飾北斎《冨嶽三十六景 神奈川沖浪裏》天保2年(1831)頃

山本さんは本図を例に出し、北斎作品の魅力の一つとして「視覚のトリック」を挙げました。

「北斎は、視線を誘導する効果をあえて作品に入れていると指摘されています。人々はこの絵を見たとき、まずは荒々しくせり上がった波に視線が向かうと思います。手前の波は三角形をしていて、よく見ると遠くの富士山と対になっているという呼応関係にあります。手前の三角から遠くの三角へ、鑑賞者の視点が自然に誘導されるように工夫されているんです」

葛飾北斎《冨嶽三十六景 五百らかん寺さざゐどう》天保2年(1831)頃

同様に、視線誘導の意図がわかりやすいのは《冨嶽三十六景 五百らかん寺さざゐどう》で、堂上の床板、屋根、欄干、そして参詣客の指先まで、さまざまな描線が奥にそびえる富士に集まっています。西洋の透視図法(遠近法)を得意としていた北斎の、幾何学的な構成力の巧みさが本図からも感じられるでしょう。

葛飾北斎《諸国名橋奇覧 三河の八つ橋の古図》天保4-5年(1833-34)頃
葛飾北斎《百物語 笑ひはんにや》天保2-3年(1831-32)頃

第4章「歌川広重―雨・月・雪の江戸」

続く歌川広重(寛政9~安政5年・1797~1858)は、デビュー当初こそ美人画や役者絵を中心に制作していましたが、出世作の「東海道五拾三次之内」シリーズで風景画の絵師としての地位を確固たるものにしました。

歌川広重《東海道五拾三次之内 日本橋 朝之景》天保4-5年(1833-34)頃

同シリーズは、江戸と上方を結ぶ東海道に設置された53の宿場に、日本橋と京都三条大橋を加えた55の風景を描いたもの。十返舎一九著の『東海道中膝栗毛』が起こした旅行ブームのあおりを受けて爆発的にヒットしました。風景画の名手として対比されることの多い北斎の「冨嶽三十六景」シリーズと、ほぼ同時期に発表されている点にも注目です。

歌川広重《東海道五拾三次之内 蒲原 夜之雪》天保4-5年(1833-34)頃

広重の風景画について、山本さんは次のように話します。

「風景画ではありますが、土着の人々や旅人、旅行の風俗、風情といったものも描かれていて、それが情趣感みたいなものを作り出しています。ただの風景画でもないし、ただの人物画でもない、ただの自然でもなくて、ただの人々の暮らしでもない。それらが一体となっているというところが広重の作品の良さです」

広重と北斎は、ともに無類の旅行好きだったといいます。自然や風土、そしてそこに生きる人々のもつ情趣を存分に生かした広重と、目に映る物の造形性を大胆に誇張した北斎。その眼差しや方向性の違いを比べてみるもの面白いでしょう。

歌川広重《月二拾八景之内 弓張月》天保3年(1832)頃
歌川広重《名所江戸百景 大はしあたけの夕立》安政4年(1857)

また、広重は各地の名所を描いた「名所絵」も得意としており、晩年の傑作と名高い「名所江戸百景」シリーズでは、風景画として異質な縦画面にも挑戦しています。

特に目を見張るのは《名所江戸百景 亀戸梅屋舗》で、近景に極端に拡大して描かれた梅の木の枝、その隙間に梅屋敷の全体的な景色を捉えることで、縦画面でも十分な遠近感を出しています。こうした構図は近像型構図と呼ばれ、晩年の広重が好んで用いていました。

歌川広重《名所江戸百景 亀戸梅屋舗》安政4年(1857)

このように広重作品は、旅人と同じ目線をとったり、鳥のように遥か高みから見下ろしたり、崖の険しさを表現するためにごつごつした岩肌をあえて画面中央に配したりと、作品ごとで構図に緩急をつけていることも大きな特長です。まるでドローン撮影したかのように想像を巡らせて描かれた縦横無尽な空間表現は、鑑賞者を飽きさせません。

第5章「歌川国芳―ヒーローとスペクタクル」

第5章は、歌川広重と同い年で幕末・明治期に活躍した歌川国芳(寛政9~文久元年・1797~1861)を特集。これまでと展示作品の雰囲気がガラリと変わり、スペクタクルな大活劇の様相を呈しています。

国芳は豪快な筆さばきによる躍動的な画面に、ダイナミックな人物描写と美しい色彩を織り交ぜた「通俗水滸伝」シリーズでブレイク。日本の英雄やヒーローを数多く手掛け、奇想天外で心躍る発想の武者絵や、反逆・諧謔精神あふれる風刺画で新境地を拓きました。

歌川国芳《通俗水滸伝豪傑百八人之壱人 浪裡白跳張順》文政末年(1827-29)頃

《通俗水滸伝豪傑百八人之壱人 浪裡白跳張順》はシリーズの中でも傑作と名高く、水軍の頭領である張順が敵の罠にかかり、無数の矢を浴びて壮絶な最期を迎える場面を描いたもの。睨みを利かせる表情、逆立つ髪の一本一本の描写が、死を覚悟した者の凄みを感じさせます。

なお、本作同様、国芳は作品の中で人物にたびたび派手な彫り物(刺青)を施していますが、それらがあまりに見事であったため、江戸では彫り物ブームが巻き起こったとか。

歌川国芳《小子部栖軽豊浦里捕雷》天保7-8年(1836-37) 頃

紙の継ぎ目を跨いだ巨大なドクロが印象的な《相馬の古内裏》は、山東京伝の読本(江戸で流行した挿絵付きの長編小説)に取材した作品。特徴的なワイドスクリーン(続き物を一つの大画面として扱う構図)の三枚続は国芳が得意とした手法です。

手前は歌川国芳《相馬の古内裏》 弘化年間 (1844-48) 頃

廃墟となった平将門の内裏の跡に、異類異形のものが出現している様子を描いていますが、読本の挿絵では小さいドクロが無数に出てくる図だったものを、独自の解釈で一つの巨大なドクロに変更。さらに三枚続で迫力を持たせている点に、国芳らしいクリエイティビティの一端が垣間見られます。

歌川国芳《酒田公時 碓井貞光 源次綱と妖怪》文久元年(1861)

活劇的な武者絵を得意とする国芳といっても、壮大なシーンばかりではありません。たとえば《酒田公時 碓井貞光 源次綱と妖怪》は、源頼光四天王らが悪事を企む妖怪たちと囲碁に興じている場面を描いたもの。難なく抑え込まれた哀れな妖怪たちと、厳めしくも何事もなかったかのような表情で囲碁を指す武士たちのユーモラスな対比にクスリと笑いがこぼれます。

《名誉 右に無敵左り甚五郎》は、江戸に名高い彫物師・甚五郎と彼を囲む彫刻作品を描いたもの。しかし、地獄変相図のどてら、芳桐印の座布団、傍らに侍らせている猫などのトレードマークが散らばっていることから、実は甚五郎に見立てた国芳本人が登場していることがわかります。

手前は歌川国芳《名誉 右に無敵左り甚五郎》嘉永元年(1848) 頃

さらに、周囲の仁王や関羽などの彫刻も、顔は役者の似顔絵風になっていると山本さんは指摘します。

「天保の改革で娯楽産業の取り締まりがあり、浮世絵師たちは役者絵や美人画を描くことを禁じられました。ですが、絵師たちはあの手この手を尽くして作品を制作し、特に国芳は非常に反骨精神が強い人だったので、改革が緩んだ後もこうして幕府をおちょくるかのように役者に似せた仏像を描いて、自分たちはこんなこともできるんだぞと見せつけました。庶民のための絵を描く庶民でありながら、こうして権力に抗う。それが国芳という絵師です」


「五大浮世絵師展―歌麿 写楽 北斎 広重 国芳」の開催は、2025年7月6日(日)まで。本展のキャッチコピーのひとつは「あなたの推しをさがせ!」となっています。浮世絵に詳しくない方も、ぜひ本展で浮世絵の頂点を極めた5大スターたちの傑作に触れ、お気に入りの絵師を見つけてみてください。

「五大浮世絵師展―歌麿 写楽 北斎 広重 国芳」概要

会期 2025年5月27日(火)~ 7月6日(日) ※休館日なし
開館時間 10:00〜17:00(入館は閉館の30分前まで)
会場 上野の森美術館(〒110-0007 東京都台東区上野公園1-2)
チケット 詳細は公式ページをご覧ください。
主催 上野の森美術館 / フジテレビジョン
お問い合わせ 050-5541-8600(ハローダイヤル、全日/9:00~20:00)
展覧会公式サイト https://www.5ukiyoeshi.jp/

※記事の内容は取材時点のものです。最新情報は展覧会公式サイト等でご確認ください。

 

記事提供:ココシル上野


その他のレポートを見る

【上野の森美術館】「生誕100年 朝倉響子展」取材レポート。洗練された女性像を中心に選りすぐりの12点を紹介

上野の森美術館
《リサ》1994年、ブロンズ

現代具象彫刻を代表する芸術家・朝倉響子(1925-2016)の生誕100年を記念した個展「生誕100年 朝倉響子展」が、2025年5月11日(日)から 5月21日(水) までの期間、上野の森美術館ギャラリーで開催されました。入場無料。


朝倉響子は、明治から昭和にかけて日本の彫刻界をけん引し、優れた自然主義的写実表現で知られる彫刻家・朝倉文夫の次女。

父が主宰する朝倉彫塑塾で彫刻を学び、1942年に第5回新文展で初入選を果たします。日展で特選を重ね、1952年には26歳の若さで最年少かつ初の女性審査員となるも、男性社会やさまざまなしがらみから決別するように日展を脱退。その後は自由な立場から、洗練された都会的な女性像を数多く生み出し、自身の様式を確立します。晩年まで第一線で精力的に活動し、2016年に90歳でこの世を去りました。

本展は、没後に遺族から台東区に寄贈された作品群の中から選りすぐりの12点、主に1970年以降にブロンズで制作された作品を紹介。朝倉響子の生誕100年という節目にあたり、作家の魅力をあらためて知ってもらおうと企画されたものです。なお、上野の森美術館ギャラリーは、生前の朝倉響子が最後に個展を開催した会場でもあります。

エントランスで来場者を出迎えた《アリサ》2005年、ブロンズ
展示風景

本展を案内してくださった朝倉彫塑館(※)の主任研究員・戸張泰子さんによると、朝倉響子は作品のモデルに並々ならぬこだわりを持っていたそうで、ときには選定に数年かけたこともあったとか。眼鏡にかなった人物の多くは外国人やハーフの若い女性で、小顔で手足が長い、スタイリッシュな体型をしているのが特徴です。

(※)…朝倉文夫が台東区谷中に構えたアトリエ兼住居であり、朝倉響子もそこで父から彫刻の基礎を学びました。現在は美術館として一般公開されています。

《ツキー》1977年、ブロンズ

精悍な顔立ちに引き込まれる《ツキー》は、シリーズで3点を展示。全身像の1点はダンスをしているのか、不思議な姿勢をとり、その研ぎ澄まされたプロポーションの美しさを遺憾なく伝えています。躍動感のある独特の構えに見られる、張りつめた下半身と弛緩する両腕という対称的な筋肉の表現や、つま先立ちを叶えるバランス感覚などに、彫刻家の確かな技量が感じられます。

手前は《ツキー》1978年、ブロンズ

大きな帽子を目深に被ったエレガントな《帽子》は、朝倉響子が特に気に入っていたと思われる作品のひとつ。正面からは表情が窺えませんが、胸のあたりで開かれた美しい手の表情が作品へ魅力的に華を添えており、鑑賞する目線の高さや角度を変えると印象も多彩に変化します。

《帽子》1976年、ブロンズ

戸張さんによれば、おおよそ本作以降、こうした手の表現が朝倉響子作品のアクセントになっていったのではないかとのこと。

「彫刻家の佐藤忠良は“確かに手という奴は、目立ちたがり屋で、こっちがちょっと気を許すと、一人歩きのおしゃべりをして俗な彫刻になってしまうのである。”と書いています。しかしながら、《帽子》などに見られる手の表現を効果的に用いた響子作品においては、作品に対峙する私たちと対話するような時間と空間を生みだしているように感じます」

手前は《クリスティン》2000年、ブロンズ

会場でひときわ目を引いたのは、朝倉響子作品には珍しい男性像であり、歌手の布施明氏をモデルにした《F》(後に《憩う》に改題)です。忙しく活動する青年歌手が少しの空き時間にテラスで休憩している姿をイメージした作品で、1979年に第7回長野市野外彫刻賞を受賞。黒い台から足の一部がはみ出しているのは、リラックスしている心のイメージを示そうとした彫刻家の意図であるとのこと。

《F(憩う)》1978年、ブロンズ

余談ですが、朝倉響子作品は日本全国のパブリック・スペースに数多く点在し、本作も長野県長野市の城山公園に設置されています。《憩う》というタイトルがピッタリの緑広がるのどかなロケーションで、石の台座から地面につま先を伸ばし、まるでピクニック中であるかのようにのびのびとくつろぐ姿は、鑑賞者の精神にも余裕を与えてくれそうです。

《リサ》1994年、ブロンズ

会場の一番奥には、本展のメインビジュアルにも選ばれた《リサ》が展示されていました。女性の自然な立ち姿を彫刻作品に昇華したもので、その特長は360度、どの角度から見ても“隙がない”ことだと話す戸張さん。

「多くの場合、作品に正面があるといいますか、作品と対峙すると、彫刻家が見せたいのはこの面だな、というのがあります。響子先生の場合は、作品をどの角度から見てもポーズが決まっている。人間にもあるような隙が響子作品にはないんです。それに気づかせてくれるのが本作です。彫刻というものが響子先生にとってどのような存在なのか、その答えのひとつが提示されている作品なのかなと考えています」

《リサ》1994年、ブロンズ

また、戸張さんは本作の足元にも注目してほしいと話しました。

足2本で立たせて彫刻を成立させることは、実はかなり技量が必要なのだそうです。よく、足元の地面まで作品と一体化した彫刻作品を目にすることがあるかと思います。あれは“地余(じあま)”といって、作品の重心を調整する重りのような役割も果たします。

「ある彫刻家の話では、“地余”を設けるとバランスが調整しやすいらしいのですが、本作にはそれがない。難しいことをさらりとやってのけているのが響子先生のすごいところですね。本作は粘土で作った原型から石膏で型を取り、ブロンズを流し込んで仕上げています。人間と同じように立たせ、粘土でかたちやバランスをとって完成に至るためには、人体研究が不可欠です。そうした過程を想像すると、スタイリッシュな響子作品は、観察眼と卓越した技術力の上に成り立っていることがわかると思います」

作品全体を見渡すと、それなりに制作から年代が経過していますが、まったく女性像に古さを感じないことに驚きます。正しく芸術作品として永遠性を獲得するに至った理由の一つには、肉体美を生かしながらシンプルにまとめられたファッションを挙げてもいいでしょう。ジーンズのポケットに指を入れ、凛とした表情を浮かべつつも、かっこつけ過ぎてはいない。自然体で自由な女性像は、まだまだ男性中心だった芸術界で、父の庇護から離れて奮闘した朝倉響子の姿と重なるようにも感じます。

数が少ないという抽象彫刻も出展されていました。《原題不明》制作年不詳、FRP

最後に戸張さんは、朝倉響子作品の魅力について次のような見解を示しました。

「朝倉文夫先生の作品は高い位置に設置されがちで、見上げて鑑賞する作品が多いです。反対に、響子先生の作品は見る者と同じ高さに設置されることが多いですね。空間と作品が一体化して、そこに私たちも溶け込んでいくような気安さ、距離感の近さがある。それが大きな魅力となっているから、今でも屋外のパブリック・スペースに先生の作品が設置され、人々に親しまれているのだと思います」

一種の清涼剤のように、街の風景に爽やかな風を吹かせる朝倉響子の彫刻群。本展を見逃してしまったという方も、ぜひ都内にも多数点在する朝倉響子作品を探して、その溌剌とした雰囲気と普遍的な美しさに触れてみてください。

 

なお、朝倉彫塑館では2025年9月13日(土)から12月14日(日)の期間、特別展として「生誕100年 ASAKURA Kyoko」の開催が決定しています。同館において初めて朝倉文夫と響子の父娘が創り出す彫刻空間が現出するとのことで、詳細は朝倉彫塑館公式HPをご覧ください。

【参考】過去の展覧会の記事を公開しています。
朝倉文夫没後60年特別展「ワンダフル猫ライフ 朝倉文夫と猫、ときどき犬」
(会期:2024年9月14日(土)~12月24日(火))

 

「生誕100年 朝倉響子展」概要

会場 上野の森美術館ギャラリー
会期 2025年5月11日 (日) 〜 5月21日 (水)
開館時間 10:00〜17:00
入館料 無料
美術館公式HP https://www.ueno-mori.org/

朝倉彫塑館(台東区谷中7-18-10)

開館時間 9:30~16:30(入館は16:00まで)
休館日 月曜日・木曜日(祝休日は開館)
入館料 一般500円/小・中・高校生250円
TEL 03-3821-4549
朝倉彫塑館HP https://www.taitogeibun.net/asakura/

※記事の内容は取材時のものです。


その他のレポートを見る

【東京国立博物館 平成館】特別展「蔦屋重三郎 コンテンツビジネスの風雲児」取材レポート

東京国立博物館

江戸時代の傑出した出版業者である“蔦重”こと蔦屋重三郎(1750~97)。その蔦重を主人公にした2025年の大河ドラマ「べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺〜」と連携した特別展「蔦屋重三郎 コンテンツビジネスの風雲児」が、東京・上野の東京国立博物館で開催中です。会期は2025年6月15日(日)まで。

※会期中、一部作品の展示替えがあります。
前期展示:4月22日(火)~5月18日(日)
後期展示:5月20日(火)~6月15日(日)

歌麿や写楽を見出した江戸のメディア王、蔦屋重三郎

蔦重は寛延3年(1750)、幕府公認の遊廓である吉原の生まれ。貸本屋から身を起こし、版元として武家や富裕な町人、人気の役者、戯作者、絵師のネットワークを広げてメディアミックスを展開し、江戸の出版業界にさまざまな新機軸を打ち出した人物です。

時流をつかみながら黄表紙や洒落本、狂歌本、浮世絵などあらゆる出版物を手掛け、数々のベストセラー作品を輩出。現在では世界に冠たる日本の芸術家とみなされる浮世絵師、喜多川歌麿や東洲斎写楽をプロデュースしたことでも知られています。

本展は、前期・後期合わせて約250件の作品を通じて、時代の風雲児たる蔦重の活動を追いながら、彼が創出した価値観や芸術性を体感するものです。

第1章「吉原細見・洒落本・黄表紙の革新」

第1章の「吉原大門」

展示は全3章に附章を加えた構成になっており、第1章のエントランスでは、遊廓・吉原への唯一の入場口だった「吉原大門」が来場者を出迎えます。

これは大河ドラマ「べらぼう」の撮影で実際に使用されたセットであり、制作に当たっては歌川豊春、歌川国貞、歌川広重らの浮世絵が参照されたとのこと。門の先には吉原のメインストリート「仲之町」を模した空間が広がり、立ち並ぶ桜や常夜灯が春の風情を演出しています。

第1章 展示風景
歌川豊春筆《新吉原春景図屛風》天明(1781-89)後期~寛政(1789-1801)前期 個人蔵
重要文化財 平賀源内作《エレキテル》 江戸時代・18世紀 東京・郵政博物館 
※前期展示(後期は複製を展示)

第1章には、蔦重が出版人として活動する出発点となった吉原のガイドブック『吉原細見』が展示されています。

もともとは別の版元が手掛けていた『吉原細見』は、変化の激しい吉原の情報の精査が追い付いていないなど、多くの問題を抱えて信用を落としていました。
比較して、最初の蔦重版『吉原細見』である『籬の花』では、吉原育ちの情報網を生かして最新の情報にアップデートしたのはもちろん、通りの左右に並ぶ妓楼を本紙の上下で向かい合わせ、手に持ちながら街歩きができるレイアウトに改良。また、2頁分の情報を1頁にまとめるなどコストダウンも実現し、斜陽だった吉原に多くの客を呼び込みました。

出版活動全体を通して人々が楽しむものを追い求め続けた蔦重ですが、この時点ですでに、消費者視点が徹底していたことがうかがえます。

山東京伝序『新吉原細見』寛政2年(1790)正月 東京都江戸東京博物館
※前期展示

展示では、新旧の『吉原細見』の変化を見比べることができるほか、当代随一の人気戯作者であった山東京伝に序文をまかせるなど、商品価値を高めるためさまざまな試みをしていた点についても取り上げています。

紅塵陌人作/北尾重政画『一目千本』安永3年(1774)7月 大阪大学附属図書館忍頂寺文庫
※会期中場面替えあり

遊女を生け花に見立てた遊女評判記『一目千本』(1774)は、蔦重が初めて独自に手掛けた出版物。各妓楼の遊女たちが四季折々で琴や書画、生け花など芸事や座敷遊びにいそしむ姿を描いた錦絵本『青楼美人合姿鏡』(1776)は蔦重が企画したもので、人気絵師・北尾重政と勝川春章の合筆です。

どちらも描かれた遊女やその贔屓客、妓楼主などが出資したものと目されており、こうした自らの懐を傷めない形で制作された「入銀物」は、蔦重の主なビジネスモデルの一つとなっていきました。

北尾重政・勝川春章画『青楼美人合姿鏡』安永5年(1776)正月 東京国立博物館
※会期中場面替えあり
手前は礒田湖龍斎筆《雛形若菜初模様 丁字屋内ひな鶴》安永4年(1775)頃
東京国立博物館 ※前期展示

出版人として優れた手腕を発揮した蔦重は、江戸で流行した富本節という浄瑠璃の正本(歌詞を節つきでまとめた本)を独占出版したり、寺子屋などで使われた初等教科書である往来物を数多く手掛けたりと、手堅い定番商品で資金力をつけていきます。

現在確認できる最古の蔦重版富本正本。中村重助作『夫婦酒替奴中仲』安永6年(1777)
東京大学教養学部 国文・漢文学部会 黒木文庫  ※会期中場面替えあり

一方で、人気の作家や絵師を抱え、大衆文芸である黄表紙や洒落本といった戯作の出版にも着手。展示ではその例として、戯作界に蔦重の名を知らしめるきっかけとなった朋誠堂喜三二作の『見徳一炊夢』(1781)や、寛政の改革による出版統制の中で制作された、『浦島太郎』の後日譚を描いた山東京伝によるパロディ作品『箱入娘面屋人魚』(1791)などが紹介されています。

第2章「狂歌隆盛──蔦唐丸、文化人たちとの交流」

第2章では、天明期(1781-89)を中心に江戸で一世を風靡した狂歌(和歌をパロディし、世相に風刺や皮肉を盛り込んだ短歌の一種)と蔦重の関わりに注目。

江戸を謳歌する狂歌を詠む文化は、教養ある武士階級の戯れとして始まりました。寛政の改革によって町人や役者、絵師らさまざまな階層の人々へ広まっていくなかで、蔦重も狂歌師「蔦唐丸」として参入。文芸活動を行う一方で、出版人としても、読み捨てされていた狂歌を出版物としてまとめた狂歌本に活路を見出します。大田南畝や唐衣橘洲、朱楽菅江といった当代一流の文化人たちと交流しながら、流行の発信源であった吉原からブームを牽引していきました。

さらに蔦重は、文字だけの世界であった狂歌本に絵を加えた新ジャンル、狂歌絵本を開拓し、一手に刊行します。狂歌絵本のうち、自分の名を広めたい裕福な狂歌師などが出資したという入銀物は、多色摺による華やかさ、雲母摺や空摺などの技法も備えた芸術作品といえる豪華な仕様になっていました。

宿屋飯盛撰/喜多川歌麿画『画本虫撰』天明8年(1788)正月 千葉市美術館 
※前期展示

本章の見どころは、蔦重がその才能を見出し、専属絵師に近い起用をした喜多川歌麿が挿絵を担当した狂歌絵本。歌麿の狂歌絵本三部作と呼ばれる『画本虫撰』(1788)、『潮干のつと』(1789)、『百千鳥狂歌合』(1790)はそれぞれ虫、貝、鳥をテーマとしており、歌麿の写生描写の精度の高さや確かな観察眼を感じることができます。

赤松金鶏撰/喜多川歌麿画『百千鳥狂歌合』寛政2年(1790)頃 千葉市美術館 
※前期展示

また、ここでは歌麿畢生の作とされる枕絵(春画)本の『歌まくら』(1788)も展示。本展の企画担当である松嶋雅人氏(東京国立博物館 学芸企画部長)によれば、創立150年を超える同館の歴史のなかで、枕絵が展示されるのは今回が初めてとなるそう。

喜多川歌麿画『歌まくら』(部分)天明8年(1788) 東京・浦上蒼穹堂 
※前期展示(後期は別本を展示)

横大判の錦絵12枚に、修羅場や駆け引きなど茶屋での男女の細やかな機微が描かれた本作の中で、とりわけ秀美とされるのは「茶屋の二階座敷」の図です。(画像は部分)
忍ぶ恋を描いたものですが、女は後ろ姿で表情がわからないものの、頬を撫でるしぐさに男への情を感じさせる一方で、女の髷の下にのぞく男の右目は冷静で醒めているようにも見えるという、男女の織りなす思惑、その一瞬のリアリズムは見事というほかありません。

本図について、松嶋氏は「歌麿がどういった想いでこの絵を描いたかは定かではありませんが、見る人によって、二人の感情面がさまざまに思い描ける。それだけ重層的で内容の深い絵なのではないか」との見解を示しました。

第3章「浮世絵師発掘──歌麿、写楽、栄松斎長喜」

第3章は、蔦重の出版業の後半、寛政期(1789-1801)に浮世絵版画へ進出してからの活動を追うもの。西村屋与八や若狭屋与市など他の版元から刊行された作品も含め、浮世絵黄金期と呼ばれる18世紀末の浮世絵界を代表する名品が一堂に揃います。

歌川豊国筆 《役者舞台之姿絵 まさつや》寛政6年(1794)
東京・公益財団法人平木浮世絵財団 ※前期展示
鳥居清長筆《子宝五節遊 上巳》寛政6~7年(1794~95)頃 東京国立博物館 
※前期展示

蔦重は、喜多川歌麿、東洲斎写楽、栄松斎長喜といった名だたる絵師たちを発掘し、彼らの魅力を最大限に生かした浮世絵を企画・出版します。当時の浮世絵はさまざまな版元が新機軸を打ち出していましたが、蔦重版の作品を特徴づけるのは、全身像が一般的だった美人画に、役者絵で用いられていた人物の顔を大胆にクローズアップする「大首絵」の構図を取り入れたことでした。

左は喜多川歌麿筆《当世踊子揃 鷺娘》寛政5~6年(1793~94)頃 東京国立博物館 
※前期展示

美人画の第一人者である歌麿は蔦重と組み、「大首絵」の手法で人物の表情や仕草へ細やかに目配せし、心情までも感じさせる表現が人気を博しました。また、遊女が中心だった美人画において、市井の女性たちを主題とした作品の制作も開始します。

喜多川歌麿筆《婦女人相十品 ポッピンを吹く娘》寛政4~5年(1792~93)頃
東京国立博物館蔵 ※前期展示
喜多川歌麿筆《高名三美人》寛政5年(1793)頃 東京・公益財団法人平木浮世絵財団 
※前期展示

たとえば、《高名三美人》(1793)は難波屋のおきた、高島おひさ、富本豊雛という寛政期に実在した評判の看板娘たちを描いたもの。一見同じような顔に見えますが、よく観察すれば眉や目じり、鼻、輪郭線などでわずかに個性を捉えた似顔絵であることがわかるでしょう。

美人画はその時代ごとの理想の顔や体形で描かれることが一般的であったため、ある意味で絵空事の世界にリアリズムを持ち込んだこの試みは、大変画期的なものでした。

右は栄松斎長喜筆《井筒中居かん 芸子あふきやふせや》寛政4~5年(1792~93)頃
東京国立博物館 ※前期展示
栄松斎長喜筆《四季美人 雪中美人と下男》寛政4~6年(1792~94)頃 東京国立博物館 
※前期展示

第3章の終わりでは、東洲斎写楽が大きく取り上げられています。写楽は日本を代表する浮世絵師の一人ですが、実はその活動期間はわずか10ヶ月ほど。彗星のごとく江戸に現れ、140点以上の作品を残して忽然と姿を消したミステリアスな人物です。

蔦重が役者絵独占を目指して見出したスターであり、有名な作品群もすべて蔦重が出版したもの。歌麿の美人画に続き役者大首絵でも成功を収めるため、芝居興行の演目を網羅した、黒雲母摺の豪華な大判錦絵28枚の一挙刊行で華々しくデビューさせています。

左から《三代目大谷鬼次の江戸兵衛》、《初代市川男女蔵の奴一平》
ともに重要文化財 東洲斎写楽筆 寛政6年(1794) 東京国立博物館蔵 ※前期展示

誰もが一度は目にしたことがあるだろう《三代目大谷鬼次の江戸兵衛》(1794)もそのうちの1点。「恋女房染分手綱」の一場面、奴一平から用金を奪うため襲い掛かろうとする江戸兵衛を描いたもので、特徴的な手の構えは上着を脱ぎ棄てようとする瞬間を捉えています。対になる《初代市川男女蔵の奴一平》(1794)の悲壮な表情と合わせて、黒雲母摺の暗い背景とマッチする非常に緊迫した雰囲気を漂わせています。

重要文化財 東洲斎写楽筆《三代目佐野川 市松の祇園町の白人おなよと市川富右衛門の蟹坂藤馬》寛政6年(1794) 東京国立博物館 ※前期展示
重要文化財 東洲斎写楽筆《四代目松 本幸四郎の山谷の肴屋五郎兵衛》
寛政6年(1794)東京国立博物館 ※前期展示

一般的に写楽の画風はデフォルメだといわれますが、役者自身が隠したいであろうシワやほうれい線はもちろん、女役でも容赦なくごつごつした骨格を描くなど、顔の特徴を容赦なく暴き出しているため、実のところは先進的なリアリズム表現が特徴だといえそうです。

当時、他の絵師たちは役者を美化して描いていました。蔦重はこうした写実的な表現が新しいトレンドになると睨んでいたことが想像できますが、歌舞伎を愛する多くの人々は、贔屓の役者が演じる役割こそに夢を抱くもの。あまりに真に迫りすぎた写楽の絵は、ファンのみならず役者自身からも不評となり、流行には至りませんでした。

そうした顛末はともかく、今を生きる人々の内面を映し出すこうした錦絵は、版元・蔦重の、そして浮世絵の人物表現の一つの到達点を示しています。

附章「天明寛政、江戸の街」

附章 展示風景

蔦重が書店兼版元「耕書堂」を構えた18世紀後半の江戸は、経済や文化が成長し、大江戸と呼ぶべき魅力あふれる都市へと発展した時期にあたります。

附章では、当時の日本橋界隈の街並みを大河ドラマ「べらぼう」の美術チームが再現。日本橋での春夏秋冬を表したCG映像のほか、ドラマで使われた小道具や設定資料も展示し、江戸の文化をどのように物語に取り入れたのかを紹介しています。

なお、附章のみ撮影可能で、建物内には実際に入ることができます。

附章 展示風景
附章 展示風景
附章 展示風景

江戸の空気感を可能な限り感じられるような設えにしたという本展。ドラマでは毎週のように蔦重が手掛けた出版物が登場しますが、会場にはそのオリジナルが多数展示されていますので、熱心にドラマをご覧になっている方ほど多くの発見があるかもしれません。

特別展「蔦屋重三郎 コンテンツビジネスの風雲児」概要

会場 東京国立博物館 平成館
会期 2025年4月22日(火)~ 6月15日(日)
※会期中、一部作品の展示替えがあります。
開館時間 午前9時30分 ~ 午後5時
※毎週金・土曜日は午後8時まで開館
※入館は閉館の30分前まで
休館日 月曜日
観覧料 展覧会公式サイトにてご確認ください。
主催 東京国立博物館、NHK、NHKプロモーション
お問い合わせ 050-5541-8600(ハローダイヤル)
展覧会公式サイト https://tsutaju2025.jp/

※記事の内容は取材時点のものです。最新情報は展覧会公式サイト等でご確認ください。


その他のレポートを見る

リニューアルオープンした「したまちミュージアム」取材レポート。東京下町の文化や伝統に触れることのできる博物館が展示を一新

台東区立したまちミュージアム


古き良き東京下町の文化や伝統を後世に伝えるため、昭和55年(1980)に開館し、訪日外国人を含め多くの来館者を楽しませてきた「下町風俗資料館」。施設老朽化に伴う大規模改修のため令和5年春より休館していましたが、このたび「したまちミュージアム」に名称を変えてリニューアルオープンしました。

※以前の「下町風俗資料館」の様子についてはこちら⇒
https://www.culture.city.taito.lg.jp/ja/reports/29750

したまちミュージアム外観

今回の大規模改修により、1~2階のみだった展示エリアが3階まで拡大。新たに授乳室やバリアフリートイレも新設され、より多くの方が楽しめる施設となりました。

1階展示室では、昭和30年代の下町の町並みを再現しています。モデルとなったのは、関東大震災や東京大空襲などの被害を免れ、近年まで古い町並みや建物が多く残っていたという台東区坂本(現・根岸3丁目)の金杉通りで営業していた提灯屋の一角。実物大で作られた長屋は、実際に中に入り当時の暮らしや風情を体験することができます。

1階 再現展示室
1階 再現展示室

リニューアル前の再現展示では大正時代をモデルにしていましたが、同館研究員の近藤剛司さんによると、開館から40年以上が経ってから初めての大規模改修という区切りに、内容を一新することに決めたそう。

「昭和30年代、今から60~70年前という時代設定に決めた背景には、当時を知る方がご家族と展示を鑑賞した際に、『この道具はこう使っていたんだよ』といった会話が生まれれば嬉しいな、という想いがありました」(近藤さん)

また、金杉通りは、図面などの研究資料が多く残っていたことに加え、展示の中核をなす「五十嵐提灯店」の店主である五十嵐さんがご健在で、さまざまな協力を仰げたことがモデルの決め手になったといいます。
(※建物こそ建て替えられていますが、五十嵐提灯店は現在も営業中です)

昭和30年代の下町では、関東大震災後の区画・街路整備や、戦後の復興にかかる高度経済成長期の影響で、生活の質が向上していく様子が見られました。展示エリアに設置された大型スクリーンでは、そうした時期の金杉通りをイメージしたレトロタッチのアニメーション映像を上映しています。

大型スクリーン

映像内では、目抜き通りらしく商店や飲食店、美容院などが入った店舗兼住宅の「表長屋」が立ち並んでおり、道路には路面電車や自動車が走る一方で、野菜を売る大八車やラーメン屋の屋台も登場。新しい時代の波の中で、昔ながらの生活が息づいていたことを伝えるもので、あえてBGMをつけず、路面電車の走行音や鳥のさえずりなど環境音を強調することで臨場感を演出しています。

映像は時間経過で朝~昼~夕方~夜に変化するほか、
時期により「春・夏バージョン」と「秋・冬バージョン」を入れ替えるとのこと。
五十嵐提灯店

電気やガスなどのインフラ整備が進むなかでも、祭礼の多い下町地域において、提灯はなくてはならない必需品でした。江戸時代末期から営業していたという五十嵐提灯店の展示では、提灯の組み立てや文字入れを行っていた作業場を再現。丸型の祭礼提灯をはじめ、提灯の上下を固定するための金床や金槌、文字や色を入れるための絵筆が並んでいます。

作業場

こうした生活道具や家具といった収蔵資料は、基本的に区民の皆様からの寄贈品であるため、使い込まれた痕跡があるのが特徴。触れることも可能で、感触や重さといったリアルな使用感を知ることができるのは、同館の魅力のひとつです。(触る際は丁寧に取り扱ってください)

居住空間には、昨今のレトロブームで密かに人気を集めている黒電話の姿もあります。
路地は通路であると同時に生活空間であり、
子どもたちの遊び場、住人たちの交流の場でもありました。

作業場の奥に居住空間と台所が続き、台所にある勝手口から路地に出ると、向かいには「裏長屋」が建っています。裏長屋には、家から仕事場へ通う職人やサラリーマンに加えて、街頭紙芝居屋などの行商人が住んでいたそうで、展示では紙芝居屋の住居を再現しています。

裏長屋は玄関と勝手口が隣り合った造りです。
紙芝居の舞台を載せた自転車
舞台の引き出しには駄菓子が入っています。

玄関の上がり框(かまち)には、駄菓子を入れるためのガラス瓶や木箱が置かれています。紙芝居屋は、紙芝居を見に集まった子どもたちに駄菓子を売って生計を立てていましたが、紙芝居ができない雨の日には、子どもたちが駄菓子を求めて住居を訪れることもあったとか。

上がり框
四畳半の座敷
台所

展示物をよく観察してみると、「台所にガスコンロがある一方で、七輪も使われている」など、アニメーションに描かれた日常風景と同じく、古いものと新しいものとが混在していることに気づきます。近藤さんによれば、こうした過渡期の時代性の再現には特にこだわったとのこと。小学生が社会科見学で訪れた際には、「ガス台が登場する前は何を使って調理をしていたか、同じ役割の物を探してみよう!」と、ゲーム感覚で学んでもらうこともあると話します。

2階エリアは、明治から昭和30年代にかけての台東区を中心とした下町地域の歴史や文化を学べる常設展示室となっています。

2階 導入展示

入ってすぐの導入展示では、台東区の歴史を双六風にたどる映像と、先人たちの暮らしを支えた生活道具を紹介する映像の2種類をスクリーンで上映。さらに、スクリーンの前のステージには、映像内で取り上げた生活道具の実物資料を「衣」「食」「住」「商(商人)」「職(職人)」のジャンル別で並べています。

「導入展示については、初めはしたまちミュージアムを象徴するような収蔵資料を一つだけ選んで展示しようという案が出ていました。しかし、“下町”という概念は、学芸員としても明確に定義することが難しく、資料一つでは到底表現できません。そこで、一つの見せ方として、家族団らんの中心にあった卓袱台(ちゃぶだい)を真ん中に据えて、その周りに生活道具が広がっていくような配置で展示しました。道具を並べてみたときに生まれる空気感、それが“下町”だよね、という話に落ち着いたんです」(近藤さん)

生活道具の収蔵資料

卓袱台や招き猫など、今の子どもたちも知っているであろう道具から、ガラス製の蠅取り器や、商家の帳場で売上金を入れていた銭箱など、令和ではすっかり姿を消したものまで幅広く取り揃えられています。未知の道具の使い方をあれこれ想像しながら鑑賞するのも面白いでしょう。

先へ進むと、「1. 江戸から続く下町の文化と暮らし」「2. 関東大震災と復興」「3. 戦時下の暮らし」「4. 焼け跡からの出発」「5. 高度経済成長へ」「6.私たちの台東区へつながる暮らし」とセクションを分け、時代ごとの大きな変革の影響により、町並み、生活習慣などがどのように変化していったのかを振り返る展示が続きます。

展示室中央のスペースでは、年中行事に関する展示を季節毎に入れ替えて行うとのこと。
取材時は「桜」がテーマ。
リニューアルにより、壁と一体化した展示スペースが設けられたため、
資料の見せ方も以前よりメリハリのあるものになっています。
各時代のトピックは写真やイラスト付きで紹介。子どもでも親しみやすい構成です。

以前は施設の入り口で来場者を出迎えていた「自働電話」(のちの公衆電話)も、下町の移り変わりを象徴するものとして同エリアで登場。自働電話が日本で最初に設置されたのは明治33年、上野・新橋両駅の構内でのことです。

「自働電話」(明治時代)
「上野浅草間 建設工事概要」(昭和2年/東京地下鐡道株式會社)など

見逃しがちですが、引き出しにもさまざまな資料が隠れていますので要チェックです。たとえば、台東区は昭和2年(1927)に日本で初めて地下鉄(現在の銀座線)が通った地域であり、「上野浅草間 建設工事概要」は当時の地下鉄の工事概要をまとめた冊子です。現在の銀座線は、浅草から上野を経由して新橋で西に折れて渋谷へ至りますが、資料には当初、新橋から御成門を経て品川へ至るルートが計画されていたことが記載されており、非常に興味深いものでした。

「防空頭巾」(昭和10年代)、「防毒マスク」(昭和10年代)など
「娯楽のデパート」として親しまれた浅草の「新世界」関連資料

新しく開かれた3階エリアには、企画展示室と下町情報コーナーがあります。

企画展示室では年3回、およそ4ヶ月ごとに展示替えを行うとのことで、記念すべき第1回の企画展は「下町ってどんな町」 がテーマ。そもそも下町とはどのような町なのか、東京下町の成立(成立当初、台東区は下町に含まれていなかったそう)から拡大の経緯、暮らしていた人々の職業や気質などをひも解いています。

3階 企画展示室、「下町ってどんな町」の展示(~2025年6月29日まで)

隣接する下町情報コーナーには、同館の収蔵資料について詳細を調べるための「したまち資料検索」というタッチパネル端末が設置されています。

1階の再現展示と2階の導入展示の資料で興味をもったもの、分からないものがあればこちらへ足を運ぶと安心です。展示していない資料のデータも閲覧できるため、学習や調査研究の一助にもなるでしょう。
(混雑状況にもよりますが、資料について分からないことは学芸員の方々に聞けば快く解説してもらえます)

「したまち資料検索」の画面

また、ここではけん玉やメンコ、松風ゴマ、そろばん、棹秤といった昔のおもちゃや日用品を自由に体験できるほか、ベンチは休憩スペースとしても利用可能。大きな窓からは不忍池を一望でき、桜や蓮、紅葉など、季節ごとに変化する様子を楽しむ絶好のスポットになります。

下町情報コーナー
窓から見える不忍池の風景

子供から年配の方まで、世代ごとにさまざまな発見と喜びがありそうな「したまちミュージアム」。大変身を遂げて再スタートを切りましたが、「下町風俗資料館」の頃から引き継いだのは、どこからともなく来館者のリアルな体験談が聞こえてくることだと、近藤さんは話します。

「展示が呼び水となって、来館者が『こんなのあったなー!』と当時の記憶を思い出して盛り上がったり、祖父母から孫へ、自身の体験から得た知識を共有し、それを近くで聞いた別の来館者も『そうなんだ』と頷いたり……。そうした光景が毎日のように見られます。資料には載っていない、実際に経験した方からしか得られない貴重な情報が自然と聞こえてくる。それが本館の一番の魅力だと考えています」(近藤さん)

不忍池の散歩がてら、ふらりと訪れるのにもぴったりな立地ですので、ぜひ足を運んでみてはいかがでしょうか。なお、リニューアル前と変わらず、街頭紙芝居や伝統工芸の実演会等のイベントも開催されるそうですので、スケジュール等の詳細は公式サイトでご確認ください。

「したまちミュージアム」概要

開館時間 9:30~16:30(入館は16:00まで)
休館日 毎週月曜日(祝休日と重なる場合は翌平日)、年末年始、特別整理期間等
入館料 一般300円(200円)、小・中・高校生100円(50円)
※( )内は20名以上の団体料金
所在地 〒110-0007 台東区上野公園2-1
アクセス 京成本線「上野駅」徒歩3分
JR、東京メトロ銀座線・日比谷線「上野駅」徒歩5分
電話 03-5846-8426
公式サイト https://www.taitogeibun.net/shitamachi/

※記事の内容は取材時点のものです。最新情報は公式サイト等でご確認ください。


その他のレポートを見る

【取材レポート】「西洋絵画、どこから見るか?」展が国立西洋美術館で開幕。さまざまな角度から作品の楽しみ方を提案

国立西洋美術館
展示風景

東京・上野の国立西洋美術館で「西洋絵画、どこから見るか?―ルネサンスから印象派まで サンディエゴ美術館 vs 国立西洋美術館」展(通称、どこみる展)が開幕しました。会期は2025年3月11日から6月8日まで。
先立って行われた報道内覧会に参加してきましたので、画像とともに会場の様子をご紹介します。

会場エントランス
展示風景、手前はペーテル・パウル・ルーベンスと工房《聖家族と聖フランチェスコ、聖アンナ、幼い洗礼者ヨハネ》1625年頃、サンディエゴ美術館
展示風景、左からホアキン・ソローリャ《ラ・グランハのマリア》1907年、サンディエゴ美術館/《バレンシアの海辺》1908年、サンディエゴ美術館/《水飲み壺》1904年、国立西洋美術館

二つの美術館のコレクションを対話させ、さまざまな角度から魅力を深堀り

同展は、アメリカのサンディエゴ美術館と国立西洋美術館の所蔵品計88点を組み合わせ、ルネサンスから19世紀末までの600年にわたる西洋美術の歴史をたどりながら、「作品をどのように見ると楽しめるか」という観点から鑑賞のヒントを提案するもの。

アメリカ西部において、最も早い時期に充実した西洋古典絵画のコレクションを築いた美術館の一つであるサンディエゴ美術館は、サンディエゴがスペイン人の入植によって築かれた地域であるという文化的・歴史的な結びつきから、スペイン美術を収集の軸としてきました。

そのため、同展にはボデゴン(スペイン静物画)の祖であるフアン・サンチェス・コターンの傑作《マルメロ、キャベツ、メロンとキュウリのある静物》をはじめ、エル・グレコ、スルバラン、ソローリャなどスペイン美術の名品も多数出品されています。なお、今回サンディエゴ美術館から来日した49点はいずれも日本初公開となるそう。

一方で、国立西洋美術館は東アジアにおいて唯一の体系的な西洋絵画のコレクションを所蔵しています。同展の開催経緯について、監修者である川瀬佑介さん(国立西洋美術館主任研究員)は次のように話します。

「ひとつの美術館から借りてきた作品のみで構成する美術展では、1点1点の作品を味わうことはできても、作家の人物像やその作家の画業における位置づけなど、コンテクスト(文脈)はなかなか理解しづらい場合が多いです。それは国立西洋美術館の常設展も同様のことが言えます。そこで今回は、両館のコレクションをかけ合わせ、同一の作家や主題の作品をグループごとに並べ、深掘りしてみようと考えました。そうした試みにより、主題の難しさや時代の古さから敬遠されがちな西洋美術をどこから見ればいいのか、その世界の面白さをわかりやすくお伝えしようと考えて構成した展覧会です」

第1章展示、左からルカ・シニョレッリ《聖母戴冠》1508年、サンディエゴ美術館/ ジョット《父なる神と天使》1328-35年頃、サンディエゴ美術館
第1章展示、左からアンドレア・デル・サルト《聖母子》1516年頃、国立西洋美術館/ カルロ・クリヴェッリ《聖母子》1468年頃、サンディエゴ美術館

川瀬さんが述べたように、実際に展示は36の小テーマで分けられています。たとえば、ジョットからボス(工房)まで、イタリアとネーデルランド(現在のベルギー、オランダ)のルネサンス絵画の展開を探る第1章では、「ヴェネツィア・ルネサンスの肖像画」としてジョルジョーネ(1477/78-1510)とヤコポ・ティントレット(1518-1594)の作品を併置。

第1章展示、左からヤコポ・ティントレット《ダヴィデを装った若い男の肖像》1555-60年頃、国立西洋美術館/ ジョルジョーネ《男性の肖像》1506年、サンディエゴ美術館

ジョルジョーネは30代前半で早逝していることもあり、資料がほとんど残っておらず未だ多くの謎に包まれていますが、ヴェネツィア絵画における盛期ルネサンス様式の創始者として位置づけられている画家です。サンディエゴ美術館所蔵の《男性の肖像》(1506)は小品ながら、ルネサンス肖像画の傑作の一つ。身体的特徴の厳密な描写と柔らかな陰影表現で、革新的なリアリズムを実現しました。

一方のティントレットは、ジョルジョーネ亡き後の16世紀ヴェネツィア絵画においてティツィアーノ、ヴェロネーゼと並ぶ三大巨匠に数えられる人物。サンディエゴ美術館所蔵の《老人の肖像》(c.1550)と国立西洋美術館所蔵の《ダヴィデを装った男性の肖像》(c.1555-1560)をジョルジョーネと並べることで、色彩のグラデーションによりボリュームを表現するジョルジョーネ以来の手法を、ティントレットがどのように発展させていったのかを解説文とともに見せています。

ゴヤやピカソにまで影響を与えた、スペイン静物画の最重要画家の傑作が来日

地域別に17世紀バロック美術の特色を紹介する第2章では、同展のハイライトであるフアン・サンチェス・コターン(1560-1627)作の《マルメロ、キャベツ、メロンとキュウリのある静物》(c.1602)を展示。

第2章展示、フアン・サンチェス・コターン《マルメロ、キャベツ、メロンとキュウリのある静物》1602年頃、サンディエゴ美術館

16世紀末から17世紀初頭にかけて、ヨーロッパ各地で静物画が独立して描かれるようになり、スペインではとりわけ食べ物や食卓に関連するモティーフを主題とした静物画「ボデゴン」が発展します。1600年前後にトレドで活躍した画家サンチェス・コターンは、本作に見られるような、少数のありふれた野菜や果物を石枠の上に並べ、スポットライトのような光で照らして明暗を際立たせる独自の構図法を考案。長く続くスペイン静物画の典型を確立しました。

本作の魅力について、監修者のマイケル・ブラウンさん(サンディエゴ美術館ヨーロッパ美術担当学芸員)は「一見では簡潔な構図に見えますが、中央にある一つの空白のような闇に、無限の要素、また謎めいた、そこに到達することができないような雰囲気のある世界観を醸し出しています」とコメント。

川瀬さんは、サンチェス・コターンの6点しか現存していない静物画のうち、本作は「最もバランスが取れており、サンチェス・コターン独特の厳粛さ、静けさがよくわかる最高傑作」であり、「この作品が来日すること自体が一大イベント」だとアピールしました。

第2章展示、フアン・バン・デル・アメン《果物籠と猟鳥のある静物》1621年頃、国立西洋美術館

スペイン静物画の比較として、サンチェス・コターンの次の世代を代表するフアン・バン・デル・アメン(1596-1631)による、華やかで装飾的な《果物籠と猟鳥のある静物》(c.1621)と、聖人像を多く手掛けたことから「修道僧の画家」とも称されるフランシスコ・デ・スルバラン(1598-1664)による、静かな瞑想と祈りを呼び起こす《神の仔羊》(c.1635-40)が並んでいます。いずれも構図や仕掛けに、サンチェス・コターンからの伝統を明確に受け継いでいることが見てとれるでしょう。

第2章展示、左からフランシスコ・デ・スルバラン《洞窟で祈る聖フランチェスコ》1658年頃、サンディエゴ美術館/《聖ドミニクス》1626-27年、国立西洋美術館/《聖ヒエロニムス》1640-45年頃、サンディエゴ美術館

なお、スルバランについては画家単独でもテーマを立て、彼が得意とした大型の単身像《聖ドミニクス》(1626-27)や、慈愛に満ちた円熟期の傑作《聖母子と聖ヨハネ》(1658)など、4点の作品を並べて紹介。重厚かつ彫刻的なリアリズムから、光のヴェールに包まれたかのように甘美で理想化された表現へと移る画業の展開を簡潔に示すものです。そこには常に気品と静けさが存在し、画家の一貫した美意識も感じられます。

第2章展示、手前はエル・グレコ《悔悛する聖ペテロ》1590-95年頃、サンディエゴ美術館
第2章展示、左からアントニオ・デ・べリス《ゴリアテの首を持つダヴィデ》1642-43年頃、サンディエゴ美術館/グエルチーノ《ゴリアテの首を持つダヴィデ》1650年頃、国立西洋美術館

現実のヴェネツィアと空想のローマ、イタリアで別方向に発展した都市景観画

第3章は、18世紀美術をリードしたイタリア絵画とフランス絵画の展開に焦点を当て、風景画、肖像画、風俗画それぞれのジャンルにおける特徴を見ていくセクション。ここでは、ヴェネツィアとローマにおける都市景観画の比較展示が目を引きます。

18世紀はイギリスやアルプス以北の国々で、上流階級の子弟が文化的教養を身に付けるためにヨーロッパ文明の源であるイタリアをはじめ、欧州各都市を周遊するグランド・ツアーが流行。彼らが帰国の際、土産として求めた物の一つに都市景観画「ヴェドータ」があり、ヴェネツィアとローマというグランド・ツアーの二大中心地で隆盛しました。

第3章展示、左からベルナルド・ベロット《ヴェネツィア、サン・マルコ湾から望むモーロ岸壁》1740年頃、サンディエゴ美術館/ フランチェスコ・グアルディ《南側から望むカナル・グランデとリアルト橋》1775年頃、サンディエゴ美術館

ヴェネツィアの都市景観画としては、カナレットに並びヴェドータの三大巨匠と称されるベルナルド・ベロット(1721-1780)とフランチェスコ・グアルディ(1712-1781)の作品を紹介。いずれも壮麗な水の都らしいアイコニックな景観を、おおむね現実に見える形で写し取っています。対して、同じイタリア国内ながらローマ側の展示では、特定の場所の再現から離れ、現実と空想を融合させたノスタルジアな世界が広がります。

第3章展示、左からユベール・ロベール《モンテ・カヴァッロの巨像と聖堂の見える空想のローマ景観》、《マルクス・アウレリウス騎馬像、トラヤヌス記念柱、神殿の見える空想のローマ景観》1786年、国立西洋美術館

たとえば、「廃墟のロベール」として名を馳せたユベール・ロベール(1733-1808)が描いた一対の景観画では、カンピドーリオ広場にあるマルクス・アウレリウス帝騎馬像やトラヤヌス帝記念柱など、実際には別々の場所にある古代の有名な作品を画面にまとめ、さらに想像の産物であろう巨大な神殿を配置。人々は18世紀当時の服装をしていることから、本作は古代の建造物を廃墟として楽しもうとする当時の人々の視線が強く反映されたものと考えられます。

これらは都市景観画の中でも「カプリッチョ」(奇想画)と呼ばれるもの。崩れ、風化する遺跡や歴史的な建造物が多く残るローマの街並みは画家たちにとって重要なインスピレーション源であったようで、自由な発想で旅行者たちの想像力を刺激しました。ヴェネツィアはリアルへ、ローマはファンタジーへ。絵画ジャンルの隆盛における地域の特色の影響がいかに大きいかが歴然と示されています。

カペとブノワ、二人の女性画家で理解するロロコから新古典主義への変遷

また第3章では、華やかで貴族的なロココから、秩序や理性を重んじる新古典主義へ移り変わる、18世紀フランスの美的価値観の変化を端的に示すものとして、マリー=ガブリエル・カペ(1761-1818)とマリー=ギユミーヌ・ブノワ(1768-1826)、二人の女性画家による肖像画の比較展示があります。

第3章展示、左からマリー=ガブリエル・カペ《自画像》1783年頃、国立西洋美術館/マリー=ギユミーヌ・ブノワ《婦人の肖像》1799年頃、サンディエゴ美術館

18世紀後半からフランスでは女性芸術家が台頭しはじめ、カペとブノワはともに、フランス革命後に女性が初めて出品を許された1791年のサロン(官展)で名を連ねた代表的な画家です。

カペの《自画像》(c.1783)で描かれている、華やかなブルーのドレスとリボンや巻き髪等のファッションがいかにもロココ趣味であり、こちらを見つめる若き画家の表情は、思わず見入ってしまうほど輝きに満ちて晴れやか。自身の腕を誇るような、確かな自信がうかがえます。対してブノワの《婦人の肖像》(c.1799)は、古代風の白いシュミーズドレスや彫塑的で安定感のある身体描写などに、古典古代の美術に規範を求める新古典主義的な志向が顕著に表れています。

作品自体の質の高さはもちろん、先述の都市景観画と並んで「どこを見ると楽しめるか?」が分かりやすいという点でも、特に初心者の方は必見の展示といえるでしょう。

垣根の描き方で絵画の印象はどう変わる?

19世紀における人物表現の多様な在り方に注目する第4章では、印象派の画家による「垣根の表層」の比較展示があり、やや意表を突かれました。

第4章展示、左からカミーユ・ピサロ《立ち話》1881年頃、国立西洋美術館松方コレクション/ セオドア・ロビンソン《闖入者》1891年、サンディエゴ美術館

パリを離れポントワーズ周辺の農民の生活に取材した印象派最年長のカミーユ・ピサロ(1830-1903)と、モネの暮らすシルヴェニーで表現手法を学んだアメリカの画家セオドア・ロビンソン(1852-1896)の作品に描かれた、農村でよく見られる垣根のモティーフに着目。人物の心理と結びつくもの、あるいは空間構成の装置として垣根がいかに効果的に描かれているかなどが解説されています。

こうした少々マニアックといえる角度からも作品の楽しみ方が提案されているため、さらに西洋美術の深みを歩みたい中級者、上級者のファンも新鮮な発見が期待できそうです。

第4章展示、左からウィリアム=アドルフ・ブーグロー《羊飼いの少女》1885年、サンディエゴ美術館/《小川のほとり》1875年、国立西洋美術館(井内コレクションより寄託)

カジュアルに、思考に制限のない状態で楽しむ――ディーン・フジオカ流の鑑賞法

報道内覧会では、同展の音声ガイドナビゲーターを務めるディーン・フジオカさんも登壇しました。

ディーン・フジオカさん

音声ガイドの収録を振り返り、「“ここみる展”みたいに、押し付けがましくなってしまうと意図が変わってしまいます。いろんな時代の背景や社会の空気、宗教観、何を描くかというモティーフの選び方やタッチ、画法など、判断の基準になる要点を打ち合わせの中で教えていただき、自分なりに解釈して、ガイダンス、ナビゲーションの一つとして伝えられたらいいなと考えて務めさせていただきました」と話したフジオカさん。

また、「自分で物語を作り出していくと、自分なりの見方、その日そのときの楽しみ方というものが生まれるのかなと思っています。(司会者に、まずは作品と対峙して自分の中の感性と語り合うということですね、と聞かれて)かっこよく言うとそうですね。自分の中でボケとツッコミを無限に繰り返すみたいな感じ」とフジオカ流の鑑賞方法も提案。

「いろいろな宗教的モティーフや文脈があると思いますが、けっこう突っ込みどころが多い作品もあったりしますよね。そういったものをカジュアルに、何をしちゃいけないみたいなものがない状態で楽しんでみる」と続け、スルバランの《聖ドミニクス》を見ながら「天を仰いで、手元はハート型のキュンな感じのポーズになっています」と独特の視点で魅力を表現するなど、笑いを誘う場面もありました。

《聖ドミニクス》と同じ“キュン”なポーズをとったフジオカさん

なお、会期中は4日間(夜間開館日)限定でイベント「どこみるde夜会」を開催。魅力的な人物像が多数登場する同展の一員となるつもりで、自分なりのおしゃれをして「夜会に招待されました!」と申告すると、オリジナルポストカードがプレゼントされるというもので、会場にはフォトスポットや、仮面や扇子など「夜会用撮影アイテム」も用意されるといいます。
※詳しい日程や注意事項は展覧会公式サイトよりご確認ください。

カぺの《自画像》になりきってイベントをPRした、音声ガイドのナレーターを務める日比麻音子さん。※あくまで演出であり、美術館での作品鑑賞を前提としない服装での来場はNGです。

さらに、同展とは別に、サンディエゴ美術館から借用したゴヤの《ラ・ロカ公爵ビセンテ・マリア・デ・ベラ・デ・アラゴン》(c.1795)をはじめとする絵画5点が、常設展示室にも展示されています。常設展は「どこみる展」の当日有効観覧券があれば無料で鑑賞できるため、こちらもぜひお見逃しなく。

「西洋絵画、どこから見るか?-ルネサンスから印象派まで サンディエゴ美術館 VS 国立西洋美術館」概要

会期 2025年3月11日(火)~2025年6月8日(日)
会場 国立西洋美術館(東京・上野公園)
開館時間  9:30 〜 17:30(毎週金・土曜日は20:00まで)
※入館は閉館の30分前まで
休館日 月曜日、5月7日(水)
※ただし、3月24日(月)、5月5日(月・祝)、5月6日(火・休)は開館
観覧料(税込) 一般2,300円、大学生1,400円、高校生1,000円

※中学生以下、心身に障害のある方及び付添者1名は無料(学生証または年齢の確認できるもの、障害者手帳の提示が必要です)
※観覧当日に限り同展観覧券で常設展も鑑賞できます。
そのほか、詳細は公式のチケットページよりご確認ください。

主催 国立西洋美術館、サンディエゴ美術館、日本経済新聞社、TBS、TBSグロウディア、テレビ東京
問い合わせ 050-5541-8600(ハローダイヤル)
展覧会公式サイト https://art.nikkei.com/dokomiru/

※記事の内容は取材時点のものです。最新情報は展覧会公式サイト等でご確認ください。

記事提供:ココシル上野


その他のレポートを見る

【上野の森美術館】令和6年度「森の中の展覧会」表彰式レポート。「豊かな表現力と個性が発揮された素晴らしい作品」と台東区長が称賛

上野の森美術館

2025年3月7日(金)~3月11日(火)の期間、上野の森美術館で令和6年度「森の中の展覧会」が開催されました。


台東区では、障害のある方の文化芸術活動への参画を支援するとともに、障害への理解促進を図る「障害者アーツ事業」に取り組んでいます。その一環として、台東区と上野の森美術館が共催企画している「森の中の展覧会」は、障害のある方に作品を展示する機会をとおして、芸術に携わる楽しさを知ってもらうことを目的とした展覧会です。

展示風景
展示風景

壁面での展示が可能な平面作品という制限はあるものの、基本的に作品のテーマや形式は自由。台東区に在住・在学・在勤または区内の障害者施設・団体等を利用している障害のある方から作品を募集し、今年で4回目の開催となります。

展示風景
展示風景
展示風景

本展では、美術や書の専門家によって特に優秀だと認められた作品に賞が授与されます。審査には、武蔵野美術大学学長の樺山祐和さん、書家で高友社理事長の蕗野雅宣さん、上野の森美術館学芸課長の坂元暁美さんの3名の審査員に加え、準審査員として美術ワークショップ講師の上久保杏子さん、吉永晴彦さんが参加されました。そして、出品された274点から「台東区長賞」1点、「上野の森美術館賞」1点、「優秀賞」3点、「佳作」6点が選出され、3月8日に表彰式が実施されました。

服部征夫台東区長

表彰式は、服部征夫台東区長の挨拶からスタート。「皆様の作品は、本当に豊かな表現力と個性が発揮された素晴らしい作品です。今回の受賞を機に、さらなる創作に励んでいただけることを期待しています」と受賞者を激励し、来場者には「作品から伝わる作者の個性や才能、作品に込められた思い、そういったものを感じていただいて、障害への理解を一層深めていただける契機となれば幸いです」と呼びかけました。

上野の森美術館 宮内正喜館長

続けて、上野の森美術館 宮内正喜館長が登壇。祝辞を述べたのち、「当館は創作の喜び、発表の感動を多くの方々に体験していただくことを目指し、お一人お一人の個性と感性を尊重する芸術交流の場を目指しております。多様な表現によって相互理解を深める場として、これからも本展の発展を台東区とともに目指していく所存でございます」と本展開催への思いを語りました。

書家、高友社理事長の蕗野雅宣さん

また、審査員を代表して、書家で高友社理事長の蕗野雅宣さんが講評を述べました。

「我々審査員が274点の作品を一つずつ見させてもらって、どれにしようかということを先生方と話し合って、最後には投票したりしながら賞を決めさせていただきました。結果的に賞に入っていなくても、私は票を入れたという作品もありますし、それほど作品の内容に優劣があったわけではないことを一言加えさせていただきます」と選考を振り返りつつ、受賞作品の選定理由については次のように述べます。

「私どもが書道をやるときは墨を使います。墨は黒いですが、書き方によっては少しグレーになったり、書き上がったものが白く見えたりもします。黒の中でもそういった3色を混ぜて字を書いていく、ということを心がけていますが、それに加えて、じゃあ今回の作品はどういう風に書こうかと考えます。たとえば、力強く表現しようとか、優しく表現しようとか、そういうことを思いながら書いています。ここにある(受賞)作品はそれぞれ本当に思いがこもっているし、技術力も高かったということで、すばらしいものだったと思います」と、自身の芸術活動と重ねながら解説。最後に「また来年に向けて、ご家族のご援助をいただきながら、一生懸命に頑張ってほしいと思います」とエールを送りました。

賞状授与の様子

その後、ご家族や来場者が祝福するなか、受賞者に賞状と副賞が授与され、和やかな雰囲気のなか表彰式は終了しました。

台東区長賞《猫》の隣で賞状を掲げる作者の佐藤基さん

モノトーンの水彩絵の具で描いた《猫》で台東区長賞を受賞した佐藤基さんは、通所先の施設からの紹介で本展への参加に至ったとのこと。出品はこれで2度目となり、「展示してもらえるだけで面白いのに、賞までいただいてしまって驚きました」と笑顔を浮かべます。

かわいい動物が好きだといい、本作では猫が「あなた、ご飯をくれるの?」という顔でこちらを見つめる瞬間を切り取ったとのこと。キリッとした眼が一見怖いけれど、フワッとやわらかい姿の表現にこだわったといいます。今後の予定については「特別な場所ではなく、日常生活の中で“おっ”と思ったシーン、かわいい、きれいだなと感じる場面をスナップして描いていきたい」と述べました。

上野の森美術館賞《レシート》 と作者の関口奏瑛さん

上野の森美術館賞を受賞した関口奏瑛さんの《レシート》は、大小さまざまなレシートにカラフルな着色を施した力作。関口さんはもともとレシート集めが好きで、通所先の施設の職員にアートにしようと提案されたことをきっかけに作品に仕立てたといいます。使用されているのは、ご家族とのお出かけ先で食べたものや、大好きなコンビニのホットスナックなど、関口さんにとって大切な思い出の一部。ご本人の好きな色で何度も塗り重ねをしたそうで、色彩の厚みから思い入れの強さまで伝わってくるようです。

また、本展の開催にあたって、区内17カ所の障害者施設を美術講師が訪問し、ワークショップを開催。そこで制作された水彩画、クレヨン画、色鉛筆画、貼り絵などの作品も出品されました。

佳作《不忍池おさんぽしたよ》の作者・渡邉旭さんと美術講師の吉永晴彦さん
本作はワークショップの中で制作されたとのこと

美術講師をつとめた作家の吉永晴彦さんは、本展であらためて作品を一望し、「直接鑑賞して得られるエネルギーに感動しています」とひと際の感慨を込めて語ります。ワークショップでは、遊びの要素を取り入れつつも集中できるような環境づくりに注力。自由な創作意欲や、その人が本来持っている持ち味が緊張感によって遮られないように、場の雰囲気にも気を配っているといいます。

「ワークショップに参加されている方々が集中している様子を見るのは、こちらも非常に励みになる。いつも逆にエネルギーをもらっているような感覚になっています。時間があっという間だったね、今日はぐったりだね、といった感想をいただくのが一番うれしいですね」と吉永さん。

また、作りたい作品の具体的な要望がない人でも、きっかけになりそうなことを情報過多にならない程度に提示したり、一緒に制作に取り組んだりしながら、どんどんイメージを膨らませていくサポートをするケースも多いといいます。目指すのは「いつも新しい感動を見つけていくこと」で、同じ施設でワークショップを開催してもマンネリ化することはないとのこと。お話からは、多様な芸術表現があふれる本展の魅力を裏で支えている方々の尽力が垣間見られました。

(写真手前)優秀賞《しあわせみ〜っけ》つばさ放課後クラブ
佳作《ジンベイザメ》國岡亜由美、佳作《宇宙船》嶋田勝弘

なお、受賞作品の一部は4月18日(金)まで台東区役所1階 アートギャラリーにて展示されていますので、ぜひ足を運んでみてください。

令和6年度「森の中の展覧会」概要

会期 2025年3月7日 (金) 〜 3月11日 (火)
会場 上野の森美術館
入場料 無料
受賞作品一覧 https://www.culture.city.taito.lg.jp/ja/shogaisha_arts/morinonakanotenrankai/r06

※記事の内容は取材日(2025/3/8)時点のものです。

 


その他のレポートを見る

【取材レポート】「ミロ展」が東京都美術館で開幕。〈星座〉シリーズなど20世紀を代表する巨匠の傑作約100点が揃う

東京都美術館

ピカソ、ダリと並び、スペイン三大巨匠に数えられる画家ジュアン・ミロの、70年におよぶ創作活動を振り返る大規模な展覧会「ミロ展」が、東京・上野の東京都美術館で開幕しました。会期は2025年3月1日から7月6日まで。

※本稿に掲載の画像は、報道内覧会にて許可を得て撮影したものです。

会場エントランス

スペイン・カタルーニャ州出身のジュアン・ミロ(1893-1983)は、1920年代にシュルレアリスムを代表する画家として名声を得ました。太陽や星、月など自然の中にあるモティーフを象徴的な記号として描いた、色彩豊かで詩情あふれる独特な画風が有名ですが、90歳で亡くなるまで新しい表現に挑戦し続け、純粋で普遍的な芸術を追求。20世紀で最も影響力のある芸術家の一人と見なされました。

ジュアン・ミロ(展示パネルより)

本展は、代表作である〈星座〉シリーズをはじめ、初期から晩年までの各時代を彩る絵画や陶芸、彫刻などの傑作約100点を一堂に集め、ミロの画業全体を包括的に紹介するもの。没後40年を経たミロの世界的な再評価の流れを受けての企画であり、日本では1966年に存命中のミロが協力した展覧会以来、最大規模の回顧展となるそうです。

展示は全5章構成です。

父親に勧められた会計の仕事が合わず、病に倒れた青年ミロは、山間の村モンロッチの別荘で療養生活を送る中で、かねてからの夢であった画家になる決意を固めます。1912年、ミロはあらためて美術学校に通いながら最先端の芸術の動向を研究。
第1章「若きミロ 芸術への決意」では、キュビスムやフォーヴィスム、当時の前衛芸術家たちに父のように見なされていたセザンヌなど、この時期のミロが自身の表現を模索する中で、さまざまな画風を取り入れていたことを伝える作品が並びます。

展示風景/《バイベルの森》1910年、ジュアン・ミロ財団、バルセロナ(寄託)
展示風景/《自画像》1919年、パリ・国立ピカソ美術館

初期の名作《ヤシの木のある家》(1918)をはじめ、ミロはモンロッチの情緒的な風景をモティーフとした作品を多く残しています。芸術的信念を強固なものにしたモンロッチは、生涯にわたりミロにとってすべての創作の源、芸術に対する考えを深める場所であり、カタルーニャ人としてのアイデンティティを再確認させるものでした。本作は、それまで多大な影響を受けていたフォーヴィスムの作風を捨て、細部の描写にこだわるようになった、いわゆるミロの「細密主義時代」を代表する作例です。

展示風景/《ヤシの木のある家》1918年、国立ソフィア王妃芸術センター、マドリード

1920年、念願であった芸術の中心地パリに初めて訪れ、都市の近代性と前衛芸術に魅了されたミロは、翌年からパリにアトリエを構え、モンロッチと往復する生活を送るようになります。

同地のシュルレアリスム作家や詩人との交流で刺激を受け、具象性から離れた詩的な表現手法に傾倒。1925〜27年には、空虚を示す茫漠とした背景に不定形で動きのある描線を加えて、ミロ自身の「夢の進行を示す記号」とした、100点以上におよぶ「夢の絵画」を生み出しました。その中には、具体的な事物との区別なく、実体をもたない語句もモティーフであるかのように描き、本来の役割から解放した〈絵画=詩〉シリーズがあります。

第2章「モンロッチ─パリ 田園地帯から前衛の都へ」では、こうした1920年代の活動を紹介。「夢の絵画」はパリの画壇で話題となり、ミロは名実ともにシュルレアリスムの画家として人気を博すようになります。

展示風景/左から《絵画(喫煙する人の頭部)》、《絵画(頭部とクモ)》いずれも1925年、国立ソフィア王妃芸術センター、マドリード
展示風景/《絵画=詩(栗毛の彼女を愛する幸せ)》1925年、ジュアン・ミロ財団、バルセロナ(寄託)

《オランダの室内Ⅰ》(1928)は、17世紀オランダ絵画に強い衝撃を受けたミロが、画家ヘンドリク・ソルフの《リュートを弾く人》(1661)をもとに描いた作品。展示では、パネルでソルフの原作と本作の準備素描も紹介されており、見比べると、ソルフの自然主義的な日常の一場面から立体感や遠近感を排除し、平坦な色彩と有機的なフォルムによる超現実な世界へと変容させたことがわかります。

展示風景/《オランダの室内Ⅰ》1928年、ニューヨーク近代美術館

1936年に勃発したスペインの内戦で亡命し、続く第二次世界大戦にわたり戦禍を避けながら孤独に制作を続けたミロ。
第3章「逃避と詩情 戦争の時代を背景に」では、パリからノルマンディー地方の村へ逃れた1940年から制作を開始し、マジョルカ島やモンロッチを転々とする間に完成させた傑作〈星座〉シリーズをハイライトとして展示しています。

展示風景/《明けの明星》1940年、ジュアン・ミロ財団、バルセロナ

〈星座〉シリーズは、カンヴァスではなく紙を用いた小型のグワッシュ画。あえて凄惨な現実から逃避し、広大で美しい星空やモーツァルト、バッハといった音楽で心を慰めながら、それらを着想源に現実を超えた先の希望を示すために描いたとされています。本展では全23点のうち《明けの明星》《女と鳥》《カタツムリの燐光の跡に導かれた夜の人物たち》(1940)の3点が出展。ミロが記号体系を確立したという点でも注目のシリーズですが、各作品は世界中に散らばっているため、複数の作品をまとめて鑑賞できる貴重な機会となっています。

展示風景/《カタツムリの燐光の跡に導かれた夜の人物たち》1940年、フィラデルフィア美術館

一方で、ミロは1928年頃から、芸術の商品化やアーティストへの過度な注目に批判的な視線を向けはじめ、「絵画を暗殺したい」という衝動に駆られるようになります。次第に、本章に登場するアルミ箔にトイレットペーパーを貼り付けた《無題(夜の恋人たち)》(1934)のような、絵画とは無関係な素材や要素を共存させるコラージュやオブジェなど、反芸術・反絵画と呼ばれる作風にも着手。伝統的な絵画表現の在り方を問い続けました。

展示風景/左から《絵画(カタツムリ、女、花、星)》、《無題(夜の恋人たち)》いずれも1934年、国立ソフィア王妃芸術センター、マドリード

1947年、ミロは壁画の依頼を受けて初めてアメリカを訪れますが、すでにその6年前にはニューヨーク近代美術館でミロの回顧展が開催されるなど、同地での評価が高まっている状況でした。滞在中のミロもジャクソン・ポロックを筆頭とする若い芸術家たちから刺激を受け、帰国後にエッチングやリトグラフ、職人との共同作業による陶芸、彫刻など幅広い制作に関心を傾けます。
第4章「夢のアトリエ 内省を重ねて新たな創造へ」では、そうした戦後の1950〜60年代における展開をたどります。

第4章 展示風景
第4章 展示風景

ところで、ミロの作品は端的なタイトルも多いですが、その実、タイトルと作品との関係性に遊び心と詩情を与えることを好んでいたといいます。《螺旋を描いて彗星へと這うヘビを追う赤トンボ》(1951)は代表的な例で、説明的なタイトルに導かれ、鑑賞者は彗星やヘビ、赤トンボを見つけようと、まさに螺旋を描くヘビのように画面で視線を惑わせます。その好奇心を後押しするのが鮮やかな配色や蛇行する線、不気味な描写であり、それらすべてがミロの仕掛け。構成の巧みさに驚かされます。

展示風景/《螺旋を描いて彗星へと這うヘビを追う赤トンボ》1951年、国立ソフィア王妃芸術センター、マドリード

また、本章では、1956年に念願の広いアトリエをマジョルカ島に完成させた以降の作品が、アメリカ抽象表現主義の巨大な絵画の影響もあって巨大化していく様子も確認できます。大型絵画《太陽の前の人物》(1968)はミロの造形言語の集大成のひとつで、「○△□」の図形で宇宙を表現した日本の画僧・仙厓義梵の作品から着想を得たもの。

ミロは初期から日本に関心を寄せており、1966年の訪日の際には、日本の伝統芸術や芸術家の考え方に自身との親和性を認めています。確信的な筆づかいが書道を想起させる本作は、そうしたミロの東洋的な感性を示す重要な作例であり、バルセロナ以外で展示されるのは約40年ぶりであるとのこと。

展示風景/左から《月明かりで飛ぶ鳥》1967年、ナーマド・コレクション/《太陽の前の人物》1968年、ジュアン・ミロ財団、バルセロナ

第5章「絵画の本質へ向かって」では、晩年の1970~80年代に制作された作品が並びます。すでに世界的な巨匠としての地位を確固たるものにしていたミロですが、晩年おいても常に自身の活動を検証し続けており、大胆で型破りな試みもためらうことはありませんでした。

たとえば、《焼かれたカンヴァス2》(1973)は5点の連作絵画のひとつで、白いカンヴァスに勢いよく絵具をたらし、踏みつけ、ナイフで切り刻み、最後にガソリンを染みこませて火をつけた作品。衝動的な行為の結果ではなく、焦がしたカンヴァスや紙のマチエール、その物質性に潜む美を探ることが制作意図としてあったようですが、本作からは衰えないエネルギーや、ハイカルチャーとしての芸術、ただの財産になり下がる芸術に対する強烈な反骨心が伝わってきます。

展示風景/《焼かれたカンヴァス2》1973年、ジュアン・ミロ財団、バルセロナ(寄託)

また、晩年のミロは、より体の動きを反映するような筆づかいを採用するようになっていました。イメージとしては水墨画にも近しい三連画《花火Ⅰ、Ⅱ、Ⅲ》(1974)では、絵具を激しくぶちまけ、重力の作用によってしたたり落ちた絵具の跡に重ねるように筆を入れています。これはアメリカ抽象表現主義の画家たちの影響を受けたもので、偶然性に身を任せて生まれた新たな構図によって制作プロセスを導くという手法が用いられています。本作は日本初展示であるとのこと。

展示風景/手前は《花火Ⅰ、Ⅱ、Ⅲ》1974年、ジュアン・ミロ財団、バルセロナ

なお、第4章と第5章の間では、ミロのポスター制作を通じた積極的な社会的、政治的、文化的コミットメントについても取り上げています。

ミロは1960~70年代、フランコ独裁政権末期のスペイン社会において、意見を公然と述べる場に乏しい人々の希望や要求を代弁する手段として数多くのポスターを制作。「芸術家とは、ほかの人々が沈黙するなかで何かを伝えるために声を上げる者」であるという言葉も残しており、展示ではミロの芸術家としてのスタンス、つまり自身の関心事について語るためだけに、生涯を通じて研鑽を重ねたわけではないことを強調しています。

展示風景/手前は《バルサ FCバルセロナ75周年》1974年、ジュアン・ミロ財団、バルセロナ

ミロという画家が、20世紀を通じていかに最先端の芸術に飛び込み、絶えず創造的な緊張感に身を置きながら自身の表現を確立していったのか。その探求の過程、唯一無二の芸術の魅力を、ぜひ本展で体感してみてください。

「ミロ展」概要

会場 東京都美術館 企画展示室
会期 2025年3月1日(土)〜7月6日(日)
開室時間 9:30~17:30、金曜日は20:00まで(入室は閉室の30分前まで)
休室日 月曜日、5月7日(水)
※ただし、4月28日(月)、5月5日(月・祝)は開室
観覧料金(税込) 一般 2,300円、大学生・専門学校生 1,300円、65歳以上 1,600円

※大学生・専門学校生は、3月1日(土)~16日(日)に限り無料。
※身体障害者手帳・愛の手帳・療育手帳・精神障害者保健福祉手帳・被爆者健康手帳をお持ちの方とその付添いの方(1名まで)は無料。
※18歳以下、高校生以下は無料。

詳細は公式サイトのチケットページでご確認ください。

主催 東京都美術館(公益財団法人東京都歴史文化財団)、ジュアン・ミロ財団、朝日新聞社、テレビ朝日
お問い合わせ 050-5541-8600(ハローダイヤル)
展覧会公式サイト https://miro2025.exhibit.jp/

※記事の内容は取材時点のものです。最新情報は展覧会公式サイト等でご確認ください。

記事提供:ココシル上野


その他のレポートを見る