東京都美術館「大地に耳をすます 気配と手ざわり」開幕レポート

東京都美術館
東京都美術館「大地に耳をすます 気配と手ざわり」報道内覧会

東京都美術館より、2024年7月20日(土)に開幕した企画展「大地に耳をすます 気配と手ざわり」のレポートが届きましたのでご紹介します。


東京都美術館の企画展、「大地に耳をすます 気配と手ざわり」が7月20日(土)に開幕した。自然と深く関わり、制作をつづける5人の現代作家が、人間中心の生活のなかでは聞こえにくくなっている大地の息づかいを伝えてくれる展覧会だ。7月19日(金)にはプレス内覧会が行われ、報道陣に公開された。本展を担当した大橋菜都子学芸員と参加作家による展示解説をレポートする。

■大地に耳をすます気配と手ざわり
■2024年7月20日(土)~10月9日(水)

「大地に耳をすます 気配と手ざわり」会場
本展を担当した大橋菜都子学芸員

本展を担当した大橋菜都子学芸員は、企画の背景として、「東日本大震災や新型コロナの感染症拡大など、大都市で暮らす便利さとともにその脆弱性を感じることがここ十数年の間に多くあった」という。「都市のもろさを実感したことにくわえ、自然がやや遠く感じ、季節の移ろいだけでなく、自然のあり様や変化を感じ取る力が少しずつ弱まっていっている感覚に気づいたことが大きなきっかけとなり、そのような個人的な思いから、調査を進め」、大都会から離れて自然の中で感覚を研ぎ澄ませ作品を制作している作家らが参加する展覧会となった。

参加作家は、自然と深く関わり制作をづつける川村喜一、ふるさかはるか、ミロコマチコ、倉科光子、榎本裕一の5人。

本展出品作家 川村喜一
展示会場(ギャラリーC)

入り口のエスカレーターを降りてすぐの展示会場(ギャラリーC)に入ると、天井が高く、開放感のある空間に川村喜一の写真作品が並ぶインスタレーションがある。東京で生まれ育った川村(1990年生まれ)は、2017年、北海道知床半島に移住して作家活動を続けている。

「世界自然遺産としても知られる場所。ヒグマやシャチ、ときには鯨もやってくるという、自然が豊かであると同時にとても厳しい環境で生活しています。いわゆるネイチャーフォトというようなかぎかっこのついた『自然』というよりは、そこに生きている生活者として、肌感覚で風土というものを感じながら表現をしていきたいという思いをもって制作しています」と語る。移り住んで、2年目の秋に狩猟の免許をとり、山に入って狩猟も行う。自然のこと、動物のことをより深く知りたいという思いから始めたものの、最初は自分が森に受け入れられていないような感覚があったり、動物に出会うことも難しかったそう。地形やその土地に暮らす生物の生態をわかっていなければ、その場を歩くことも獲物にたどり着くこともできない。

「都会の暮らしでは感じられない、わからないことに問題意識があって知床で暮らしていますけれど、狩猟をとおして生態系を外側からみるというより、その中に入って、いきものの一員として、精神性、行為としてのプロセスと写真の表現を結び付けられたらいいなと思って制作をしています」(川村)

布地に印刷された写真には、家族の一員であるアイヌ犬のウパシとの暮らし、知床の風景など川村の日常がとらえられている。北海道産の木製のフレームに額装されたそれら写真は、アウトドアキャンプ用のロープで吊り下げられ展示空間を構成している。環境に配慮し、美術館の建築に敬意を払い、作品展示のために新たに壁を立てることはしていなかった。作品同士が空間に心地よく配置されている様子は鑑賞者の目にも新鮮だろう。この木製の額縁は折り畳み可能。すべて作家自身が車に詰め込んで会場まで運び、展示されている。展覧会終了後は、また折り畳み、知床まで戻るそうだ。これも生活と制作、展示の連続性を大事にする川村のいう行為としてのプロセスなのだろう。

本展出品作家 ふるさかはるか
展示会場(ギャラリーC)

木版画家のふるさかはるかは、大阪府生まれ。フィンランド、ノルウェーなど北欧での滞在制作を経て、2017年からは青森で自然とともに生きる人々に取材を重ねながら制作している。本展では3つのテーマで作品を展示している。北欧の遊牧民サーミの手仕事にひかれて作られた版画のシリーズ〈トナカイ山のドゥオッジ〉、青森、南津軽の山間地域に取材を重ねて作られた〈ソマの舟〉、〈ことづての声〉だ。

ふるさかは、木版画の木を自身が自然とかかわる手段ととらえている。そう考えるようになったのは、2003年、初めてサーミの村で滞在制作をしたことが大きく影響しているという。それ以降、彼らとメール等でコミュニケーションをとりながら、厳しい自然とともにある暮らしがどういうものかを徐々に知ることになった。

《トナカイの毛皮》は、マイナス40℃にもなる地域で古くからトナカイの毛皮を身にまとうことで生き延びてきたサーミの人たちに想を得て描いたもの。彼らはトナカイを捕えると、毛皮のほか、骨も腱も、そのすべてを自分たちが生きることに使う。ふるさかにとって木版画は、サーミにとってのトナカイのようだ。木版画をつくることで、彼らとトナカイのような生き方をしたいと思うようになり、無垢の木の姿や木目を生かし、拾ってきた土を絵具にして制作するようになった。そこから始まったのが〈トナカイ山のドゥオッジ〉シリーズだ。

《織り》は、森の中の木に縦糸をくくりつけ、張りを調整しながら、自然の中で手仕事をしてしまう身軽さ、またその中にいることの心地よさも感じている人たち。「自然の中でどうふるまうか、彼らの言葉を記録して作品を制作してきました」と話す。

2017年からは日本に目を向け、厳しい冬とともに生きてきた人たちに取材しようと、青森に足を運ぶようになった。本展では、会場の天井高に合わせた大型の木版画を制作した。漆林で版木となる木材の伐採から立ち合い、青森の漆の樹液と自ら育てた藍で刷った新作である。会場には、木版画だけでなくこの版木も展示されており、青森の木立のような展示空間がつくられている。また、絵具としてふるさかが用いる、漆の樹液、藍、土など自然の素材も展示されている。《線を作る器》では、青森のヒバに、青森で採集された泥が薄く入っている。乾くと、少しずつヒビが入ることで線が作られるインスタレーションで、会期が進むにつれ変化する様子も観察できるだろう。

また、ふるさかの自然と呼応しながら制作する様子を記録した映像を上映している。夏の藍の刈り取り、冬の木材の伐採、土の採集、彫りと刷りの場面まで、木版画ができるまでに、ふるさかがいかに自然と関わっているのかということとともに、その素材を育てることから始める制作に途方もない手間と時間がかかっていることを知ることができる。この映像の撮影は、本展の参加作家である川村喜一が行っている。

本展出品作家 ミロコマチコ
展示会場(ギャラリーA)

ひとつ下の階(ギャラリーA)の吹き抜け展示室にはミロコマチコの勢いのある作品世界が広がる。大阪府生まれのミロコマチコは、11年にわたる東京での活動を経て、2019年奄美大島に移住した。展示空間の中央には《島》がつくられ、その周りには奄美大島で制作された作品が多く展示されている。

奄美大島の人たちは自然に合わせて暮らしているため、自然を感じ取る力が強いと話すミロコマチコ。

「自然を感じ取る力が、私には全然ないのだと気づきました。それを身に着けていく上で、とても大切なのではないかと思って、日々、どういった動きがあるのか、変化があるのかをながめているのですけれど、島の自然はとってもざわめきが激しくて。その動きはいきもののようで、それを目に見えないいきものとしてとらえて、制作しています」(ミロコ)。

《島》をかたちづくる壁の内側の絵は、この場で4日間かけて描かれた。外側は2023年に刊行された絵本『みえないりゅう』の原画が取り囲む。

「ぜひ、この『みえないりゅう』の物語を感じてから、中にはいってほしいです。すべてのことは影響しあっていて、風が吹けば波がたって、小さな波が、しぶきとなって打ち寄せるように、そのつながりみたいなものを意識しながら、初めからこうしようというのがあったわけではなく、即興的に制作していきました。わたしが島で見ている世界をここに表現したので、たくさんの自然がざわめいている気配を感じてくれたらうれしいなと思っています」(ミロコ)

《島》の床は泥染めがなされている。奄美大島に移住して約5年、大地のエネルギーをもらえるような島の自然の素材は、ミロコが表現したいことに合うことがわかってきたそうだ。
奄美大島の森で《光のざわめき》を描いたライブペインティングの映像《うみまとう》も会場の一角に設けられた小屋の中で見ることができる。

「屋外で描いていたら、風の動きや光の移り変わり、たくさんのエネルギーなどを受け取って瞬発的に出していきます。そして、それらで形作られていくものがいきもののように、見えてくる。それがいきものとして形作られていくっていうことなんですけれど、周りの環境から受け取るものを自分のからだに刻むように描く、それがわたしにとってだいじなんだなあと感じています」(ミロコ)。

奄美大島の人たちにとって、山や森は神様がいる神聖な場所。むやみに入るのではなく、「入り口におじゃまさせていただきました。森は根っこや石がゴロゴロしていて、身動きが取りづらく、描きたいものが溢れてくるけど、描けない葛藤のような絵が現れたんじゃないかなと。制作時に着ていた服は解体して、カンヴァスにしたり、ほかの作品に使ったりしてつながっています」(ミロコ)

映像の小屋の外側の壁面も奄美に多く自生するヒカゲヘゴという植物の染料が塗られている。

本展出品作家 倉科光子
展示会場 (ギャラリーB)

ギャラリーBで作品を展示している倉科光子は、青森県生まれで現在は東京都在住。2001年から植物画を始めた。

東日本大震災(2011年)の津波により変化があった植物の生育環境を観察し、2013年から定期的に現地に足を運び、植生を水彩画で描き続けている。本展では、被災地に行けなかった時期に描いた関東圏の植物画2点と、岩手県、福島県、宮城県で取材して描いた15点が展示されている。

作品のタイトルとなっている数字は、いずれも描いた植物があった緯度と経度。「その場所が実際にあるということを示唆すると同時に、その時だけ見えた光景を描き出したい」(倉科)という思いによるもので、とても重要なことなのだという。「tsunami plants(ツナミプランツ)」と名付けたそれら植物のひとつひとつを丁寧に観察し詳細に描くことで、「その植物の種子は津波によって運ばれたのか、土の攪拌により芽吹いたのか、あるいは復興工事のなかで重機によって運ばれたのか、その場所に起きたこと、植物がそこに根付いた理由を探る」と倉科。

制作中の作品も展示されている。本展での展示にあたり、倉科が制作に力をいれた白藤だ。一般的に知られている藤は、ツルが上に向かって伸び、藤棚に絡みつき、花は垂れ下がる。ところがこれはツルが地面を這い、葉をつけ白い花を咲かせている。2016年にこの地を這う白藤の写真を見る機会を得た倉科は、どうしてもこれを描きたいと思い、現地を取材し、昨年から描き始めた。地面で白い花を咲かせることはまれだという。咲かせたいというよほどのエネルギーがあるのだろうと倉科。作品の途中経過を見ることができるのも貴重な機会である。

榎本裕一 展示会場 (ギャラリーB)
榎本裕一 展示会場 (ギャラリーB)

榎本裕一(1974年生まれ)は東京で生まれ育ち、2018年から北海道根室、今年から新潟県糸魚川にもアトリエを構え、3拠点で制作を行っている。
本展では根室の風景をモチーフにした油彩とアルミニウムパネルを氷に見立てた新作の《結氷》を展示している。

《沼と木立》は、遠くからみると、白黒の抽象画のようだが、近くで目を凝らしてみると、黒い画面の中に木立が見えてくる。

「誰もいない、誰も来ない深い森の中で突然現れた風景に驚き、喜びと、恐怖も感じたことを覚えています」という榎本の言葉を大橋学芸員が伝え、積もった白い雪––榎本が出会った自然をみずみずしい感性でとらえた作品であると紹介した。白黒にシンプルに削られた作品だからこと、見る人が自分の記憶と結び付け自由に想像を広げる余白をもっている。

一方、アルミニウムパネルに表現している10点の新作、《結氷》には、海からの強い風によって雪が生み出す表情がとらえられている。

「氷の上を歩くような経験は(一般的には)ないにしても、この作品がたくさん並ぶことで、氷に囲まれるような空間になっている」と大橋学芸員。10点が並ぶことで、冬の根室でこうした自然の織りなす美しい造形が無数に生み出されていることを想像させてくれる。ちなみに、最後に展示されている小さな作品には、雪上に動物の足跡が見える。一見すると、静かでモノクロームの世界だが、榎本が根室で感じたいきものの気配や生命の煌めきが表されている。

 

会場の最後には、春を表す作品が展示されている。北海道に分布する多年草で、4月から5月に花をつけるエゾエンゴサクをモチーフにした器型の作品だ。展示の最後にと榎本が制作した新作である。

その隣では榎本が作品制作の資料として撮影した写真のスライドショーが流れ、根室の春から四季の移ろいを見ることができる。榎本が、東京とまったく異なる景色を見せる根室に魅了された瑞々しい感覚を存分に伝えるだけでなく、氷った湖上の風景やエゾエンゴサクの花など、展示されている作品と関連が強い写真も含まれているのも興味深い。

5人の現代作家による写真、木版画、油彩画、水彩画、インスタレーションなど、多様な作品が展示される空間を行ったり来たりしながら、日ごろ忘れがちな本来人間が持っている自然とかかわる感覚を呼び起こすきっかけになるだろう。

なお、本展の図録には奄美大島で染められた泥染めの布がついている。
参加作家のひとり、ミロコマチコが作品制作に使っている泥染めと同じ工房によるものだ。

東京都美術館「大地に耳をすます 気配と手ざわり」報道内覧会

撮影・鈴木渉


展覧会開催概要
●展覧会名 大地に耳をすます 気配と手ざわり
The Whispering Land: Artists in Correspondence with Nature
●会期 2024年7月20日(土)~10月9日(水)
●会場 東京都美術館 ギャラリーA・B・C
●休室日 月曜日、9月17日(火)、9月24日(火)※8月12日(月・休)、9月16日(月・祝)、9月23日(月・休)は開室
●開室時間 9:30~17:30、金曜日は9:30~20:00 *入室は閉室の30分前まで
●観覧料 一般 1,100円、大学生・専門学校生 700円、 65歳以上 800円、高校生以下無料
※[サマーナイトミュージアム割引]など割引に関するの詳細は展覧会公式サイトをご覧ください。
●主催 公益財団法人東京都歴史文化財団 東京都美術館
●特別協力 株式会社ツガワ
●協力 合同会社 北暦、株式会社ミシマ社、Gallery Camellia、青森公立大学 国際芸術センター青森
●問合せ先 東京都美術館 03-3823-6921
イベントなどの最新情報は展覧会公式サイトをご覧ください
https://www.tobikan.jp/daichinimimi

 

記事提供:ココシル上野


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【東京国立博物館】特別展「神護寺―空海と真言密教のはじまり」取材レポート。日本彫刻史上の最高傑作とされる本尊《薬師如来立像》が寺外初公開

東京国立博物館
展示風景

弘法大師空海と真言密教のはじまりの地、京都・神護寺に伝わる寺宝の数々を紹介する創建1200年記念 特別展「神護寺―空海と真言密教のはじまり」が、東京国立博物館で開幕しました。会期は2024年9月8日(日)まで。

※会期中に一部作品の展示替えがあります。
前期展示:7月17日(水)~8月12日(月・休)
後期展示:8月14日(水)~9月8日(日)

入口にある大きな「神護寺」の看板は、神護寺の谷内弘照(たにうちこうしょう)貫主が揮毫したもの。

真言密教の聖地、1200年の至宝が一堂に

京都の高雄に所在する神護寺(神護国祚真言寺)は、天長元年(824)に高雄山寺と神願寺という二つの寺院が合併して誕生した寺院です。高雄山寺は平安遷都を提案した和気清麻呂の氏寺であり、唐の都・長安で体系的に密教を学んだ空海(774-835)が帰国後に住まいとし、真言密教の礎を築きました。

空海入定後は火災などで荒廃しましたが、後白河法皇や源頼朝の支援を受けた真言僧・文覚上人の尽力により復興。その後も応仁の乱や明治維新での廃仏毀釈、寺領解体など、さまざまな危機に見舞われながらも現在まで法灯を護持してきました。

重要文化財《弘法大師像》鎌倉時代・14世紀、京都・神護寺蔵、通期展示

本展は、2024年が神護寺創建1200年と空海生誕1250年にあたることを記念して開催されるものです。

展示の核となるのは、日本彫刻史上の最高傑作のひとつとして知られる本尊の国宝《薬師如来立像》や、6年にわたる修復を終えた空海ゆかりの国宝《両界曼荼羅(高雄曼荼羅)》といった、神護寺が1200年の荒波のなかで守り伝えてきた至宝の数々。国宝17件、重要文化財44件を含む、仏教美術にとどまらない日本美術の名品など約100件を紹介する、質・量ともに類い稀な規模の展覧会となっています。

国宝《観楓図屛風》狩野秀頼筆、室町~安土桃山時代・16世紀、東京国立博物館蔵、前期展示

展示は神護寺の歴史をたどる形で構成されています。
冒頭には、聖場である神護寺を雲間に臨みつつ、高雄を流れる清流・清滝川に沿って並ぶ楓を肴に宴をする人々を描いた《観楓図屛風》を象徴的に配置。紅葉の名勝として古くから親しまれ、現代もなおその美しい景観で人々を魅了する神護寺の雰囲気を伝えています。

国宝《金銅密教法具(金剛盤・五鈷鈴・五鈷杵)》中国・唐時代・8~9世紀、京都・教王護国寺(東寺)蔵、通期展示/ 空海が師の恵果より拝領したとされる法具。
国宝《灌頂暦名》空海筆、平安時代・弘仁3年(812)、京都・神護寺蔵、展示期間:7月17日~8月25日/ 灌頂という儀式を受けた者の名簿。当時の三筆に数えられる空海の、日常で用いられた自由闊達な書風が見られます。
右は国宝《伝源頼朝像》鎌倉時代・13世紀、京都・神護寺蔵、前期展示/ 神護寺を支援した頼朝公の等身大肖像。生え際やまつ毛に至るまで一本一本を丁寧に描き出した、日本肖像画の傑作。

国宝「高雄曼荼羅」にまつわる寺宝が目白押し!

展示前半の目玉は、日本に現存する最古の両界曼荼羅である国宝《両界曼荼羅(高雄曼荼羅)》です。2幅あるうち前期に「胎蔵界」、後期に「金剛界」が入れ替えで展示されます。

国宝《両界曼荼羅(高雄曼荼羅)》平安時代・9世紀、京都・神護寺蔵、画像は「胎蔵界」で前期展示

両界曼荼羅とは、真言密教が説く大日如来を中心とした宇宙、すなわち悟りへの道筋を示す金剛界と、慈悲の広がりを表す胎蔵界という二つの世界観を2幅一対で視覚化したもの。高雄山神護寺に伝わったため「高雄曼荼羅」とも呼ばれる本作は、天長年間(824-834)に淳和天皇の願いにより、空海が唐から持ち帰った曼荼羅を手本に直接プロデュースしたという点でも極めて高い価値をもちます。

約4メートル四方の巨大な画面を見ると、当時希少だった「紫根」と呼ばれる紫の染料を使い、花と鳳凰の文様を織り出した綾絹に、金銀泥ののびやかな線描で多くの仏や菩薩の姿が端正に描かれています。その数は「金剛界」で1461尊、「胎蔵界」で409尊にもなるというから圧倒されるばかり。それぞれの顔や持ち物すべてに細かな決まりがあり、間違いが許されなかったということで、制作にどれほど時間と気力を費やしたのか思いを馳せずにはいられませんでした。

《両界曼荼羅》右は「胎蔵界」江戸時代・寛政7年(1795)、左は「金剛界」江戸時代・寛政6年(1794)、京都・神護寺蔵、通期展示

同フロアでは、江戸時代に制作された高雄曼荼羅の原寸大摸本も紹介。こちらは2幅とも通期展示です。傷みが目立つ原本と比べて、描線も絹地の色の鮮やかさもはっきりしているうえ、原本の格調高い雰囲気まで見事に表されているため、あわせて見比べたいところ。

諸尊の姿をより詳細に知りたい場合は、それらの図像を墨の輪郭線のみで写した《高尾曼荼羅図像》や、別室で上映される解説映像を参照することもできます。

重要文化財《高雄曼荼羅図像》平安時代・12世紀、奈良・長谷寺蔵、画像は「胎蔵界 巻第三」で前期展示

なお、高尾曼荼羅については過去2度にわたる修理の記録が残っており、1度目は鎌倉時代・延慶2年(1309)に後宇田法皇によって、2度目は江戸時代・寛政5年(1793)に光格天皇と後桜町上皇によって行われたとのこと。そして今回は3度目、2016年から2022年にかけて実に約230年ぶりに大規模な修理が施されてからの公開となりました。

国宝《高雄曼荼羅御修覆記》後宇多法皇宸翰、鎌倉時代・延慶2年(1309)、京都・大覚寺蔵、前期展示

2度の修理の記録がメモされた高雄曼荼羅の旧収納箱や、後宇田法皇自らが経緯を記した修復記といった展示は、空海直筆の曼荼羅の根本・規範とされた高尾曼荼羅を次代に伝えたいと願った先人たちの想いと信仰心の一端を伝えています。

重要文化財《大般若経》巻第一(紺紙金字一切経のうち)平安時代・12世紀、京都・神護寺蔵、通期展示/ 鳥羽上皇が発願し、後白河法皇によって神護寺に施入された、紺地に金泥が映える美しい経典。
《高雄山神護寺伽藍図》室町時代・15世紀、京都・神護寺蔵、通期展示/ 水墨主体の表現で神護寺の伽藍を克明に描いた中世のガイドマップ。

迫力ある立像をそろえた特別展示室も出現!本尊《薬師如来立像》の厳しい眼差しに射抜かれる

展示後半では、神護寺に伝わる彫刻群が怒涛のように登場します。

国宝《五大虚空蔵菩薩坐像》平安時代・9世紀、京都・神護寺蔵、通期展示

神護寺に伝わる最古の密教尊像《五大虚空蔵菩薩坐像》は、空海の弟子真済が仁明天皇の発願を受け、多宝塔の安置仏として建立したもの。神護寺では年2回ご開帳される秘仏で、5躯が勢ぞろいして寺外で公開されるのは本展が初となります。

五大虚空蔵菩薩は、無限の知恵や福徳をそなえ、それを人々に授けるという虚空蔵菩薩の徳を五分にわけた存在、あるいは金剛界の五智如来の変化身ともいわれています。本作は高尾曼荼羅のような初期密教図像を祖型にしたものと考えられており、切れ長の目、ふっくらした唇をもつ品の良い顔立ちや肉感の表現が見どころです。

それ自体が空海にとって一種の曼荼羅であったといい、会場では法界虚空蔵を中心に4躯を円形に配置し、立体曼荼羅らしい様相を演出。目の前で立ち止まると、ほぼ同形の坐像が醸し出す不思議な空気感に包まれるような心地がしました。

《二天王立像》平安時代・12世紀、京都・神護寺蔵、通期展示/ 神護寺の長い階段の先にある楼門で人々を出迎える一対の二天王像。この展示のみフォトスポットになっています。
左から重要文化財《月光菩薩立像》平安時代・9世紀、国宝《薬師如来立像》平安時代・8~9世紀、重要文化財《日光菩薩立像》平安時代・9世紀 いずれも京都・神護寺蔵、通期展示

最後の展示室には立像の名品のみがズラリと並び、荘厳な雰囲気が漂います。中央には本尊の《薬師如来立像》があり、こちらも寺外初公開。密教尊像ではなく、前身寺院のどちらかでまつられていたものを空海が神護寺に迎えたと考えられています。

8世紀末から9世紀初めには個性的な仏像が多くつくられましたが、その中でもさらに異彩を放つ存在です。最大の特徴は、思わず姿勢を正してしまうほど厳しい眼差し。引き締まった口元も相まって威厳に満ちています。

国宝《薬師如来立像》 平安時代・8~9世紀、京都・神護寺蔵、通期展示
国宝《薬師如来立像》 平安時代・8~9世紀、京都・神護寺蔵、通期展示

ふだん神護寺では厨子に入っているため正面からしか拝観できない造形美を、さまざまな角度から堪能できるというのも、本展の大きな魅力でしょう。

両腕をのぞき一本の木から彫り出された一木造りで、正面から見た姿からは想像がつかないほど大きく張り出している大腿部がその厚みを強調。また、左袖には丸い大波と鎬立った小波を交互に表す翻波式(ほんぱしき)衣文という表現が施されており、その彫り込みの深さがさらなる重厚感をつくり出しています。翻波式衣文は平安初期彫刻の特徴ですが、これほど美しくはっきりと見える像は滅多にないとのこと。

密教の仏ではないこの像を空海はなぜ本尊に迎えたのか。理由は定かではありませんが、東京国立博物館の担当研究員、丸山士郎さんは次のように話します。

「密教が造形を大事にした以上に、おそらく空海自身がもともと造形に深い関心をもっていたのではないかと思います。空海はこの像を迎えて、どのように感じたのか。この展覧会で考えてただければ」

《十二神将立像》吉野右京・大橋作衛門等作、「酉神、亥神」室町時代・15~16世紀、「子神~申神、戌神」江戸時代・17世紀、京都・神護寺蔵、通期展示

本尊の周りをぐるりと囲んでいるのは《四天王立像》《十二神将立像》です。神護寺では密集して安置されているものを、一体ずつスペースを空けて設置。さらにライティングによって、個性豊かなポーズをとる像のシルエットを背後に浮かび上がらせることで、その躍動的な表現を見事に際立たせています。あまりの壮観な光景にしばし見入ってしまいました。

空海の思想と息吹を感じられる特別展「神護寺―空海と真言密教のはじまり」の開催は2024年9月8日(日)まで。

創建1200年記念 特別展「神護寺―空海と真言密教のはじまり」概要

会期 2024年7月17日(水)~9月8日(日)

※会期中、一部作品の展示替えがあります。
前期展示:7月17日(水)~8月12日(月・休)
後期展示:8月14日(水)~9月8日(日)

会場 東京国立博物館 平成館
開館時間 9:30~17:00

※金曜・土曜日は19:00まで(ただし8月30日・31日は除く)
※入館は閉館の30分前まで

休館日 月曜日、8月13日(火)

※ただし、8月12日(月・休)は開館
※総合文化展は、8月13日(火)開館

観覧料 一般 2,100円、大学生 1,300円、高校生 900円

※中学生以下、障がい者とその介護者1名は無料。
※事前予約(日時指定)は不要です。
※本展チケットで、当日に限り、総合文化展もご覧いただけます。
そのほか、詳細は展覧会公式サイトでご確認ください。

主催 東京国立博物館、高雄山神護寺、読売新聞社、NHK、NHKプロモーション
問い合わせ 050-5541-8600(ハローダイヤル)
展覧会公式サイト https://tsumugu.yomiuri.co.jp/jingoji/

※記事の内容は取材時点のものです。最新情報は展覧会公式サイト等でご確認ください。


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【国立科学博物館】特別展「昆虫 MANIAC」取材レポート。ムシの圧倒的な多様性の世界をマニア目線で深堀り!

国立科学博物館
「昆虫 MANIAC」会場風景

地球上で報告されている生物種の半数以上を占める、最大の生物群「昆虫」。その知られざる世界を多様な切り口とユニークな視点で深堀りする特別展「昆虫 MANIAC」が、国立科学博物館で開幕しました。会期は 2024年10月14日(月・祝)まで。

エントランス
展示風景
展示風景

昆虫は、人がこれまで名付けたものだけでも約100万種に及びます。人の暮らしのもっとも身近に生息する野生動物でありながら、一般的に認知されている種はほんの一握り。さらに、誰もが名前を知っている昆虫であっても、じつは生態が謎だらけであったり、研究者しか知らないような面白い秘密が隠されていたりするケースも少なくありません。

本展には、10cmを超える巨大なカブトムシから、1mmにも満たない微小なハチ、さらにクモやムカデなど、昆虫と同じく“ムシ”とよばれる陸生の節足動物まで幅広く登場。国立科学博物館の5人の研究者が貴重な標本や最新の昆虫研究を織り交ぜながら、本や図鑑で得られる知識の一歩先にある、ムシたちの圧倒的な多様性の世界をマニアックに掘り下げています。

「ゾーン1:昆虫とムシ」展示風景

マニアックとはいっても、会場では導入部として「ゾーン1:昆虫とムシ」というセクションを設け、昆虫とムシの違いやその特徴など基本情報をおさらいしているので、昆虫に詳しくない方も心配いりません。

続く「ゾーン2:多様なムシ」が本展のメインセクションです。研究者の専門ジャンルごとに5つの扉に分け、「トンボの扉」ではトンボ・バッタ・セミなどの不完全変態昆虫を、「ハチの扉」では膜状の翅をもつハチとハエの仲間を、「チョウの扉」ではチョウとガの仲間を、「カブトムシの扉」ではカブトムシ・クワガタムシなどの甲虫を、そして「クモの扉」ではクモ・ムカデ・サソリなど昆虫以外の節足動物の世界を紹介。それぞれ「多様化のカギ」「昆虫新常識」「ムシたちの衣食住」という3つのキーワードに絡めた内容を扱っています。

「ゾーン2:多様なムシ」展示風景。扉ごとに制作されたムシの集合標本も見どころです。

各エリアで目印代わりに来場者を待ち構えているのは、研究者が細部までこだわって監修したという5体の巨大模型です。

一般的な昆虫展とはひと味違い、たとえばエゾオナガバチの模型は、かっこよく飛んでいる様子ではなく、体を変形させて産卵する様子というなんともいえない姿を再現したもの。「そこに注目するんだ!?」という意外性も、本展の醍醐味といえるでしょう。

エゾオナガバチの巨大模型

ムシに詳しくない筆者にとって、本展は驚きの連続です。

たとえば、ムシが形成する社会について。スズメバチやミツバチでおなじみの、働きバチと女王バチが集団生活をして労働と産卵を分業する生態は、約15万種にのぼるハチ目全体からすればむしろ珍しく、単独で暮らすハチのほうが圧倒的に多いのだといいます。マニアック度でいえば低めの知識ですが、「ハチは群れで生きる昆虫」という固定観念があったので衝撃を受けました。

ムシの社会に関する展示

ハチは集団生活をする「真社会性」とよばれる生態のほか、産卵後に母バチが離れた後は基本的に1匹で暮らす「単独性」、産卵後も母バチがふ化した幼虫に食物を与える「亜社会性」、巣づくりや食物集めをほかのハチに依存する「労働寄生性」など、さまざま生態が見られます。そのため、昆虫における社会性の進化について考えるための研究材料として、ハチは高い関心が寄せられているとか。

性別の多様性に関する展示はなかなかマニアックなものが充実していて、中でもオスとメスの特徴が同居した特異な個体「ギナンドロモルフ(雌雄型)」が目を引きました。

ギナンドロモルフのチョウの標本。右下のベニトガリシロチョウは雌雄の特徴が対角に現れています。

同じ種のたくさんの個体の中には、まれにギナンドロモルフが生じることがあり、特にチョウの場合は中心線から左右にはっきりと分かれている例が多く見つかっているといいます。展示ではさらに珍しく、左前翅と右後翅がオス、右前翅と左後翅がメスの特徴をもったギナンドロモルフの標本も登場。いずれのチョウも対称性が美しく、生命の神秘を感じずにはいられません。

枯れ枝や落葉に擬態するカマキリの標本。上段右端のバイオリンカマキリは特にユニークな形態で、一見では生き物には思えません。
南米に生息するパンダアリの標本。その正体はパンダでもアリでもなく、じつはハチだというややこしさ。

会場ではムシの複雑な・奇妙な・きれいなビジュアルをそのまま、ときには顕微鏡を使って観察できるのはもちろん、単調に並べるばかりではない趣向を凝らした標本も楽しめます。

さまざまな大きさのカブトムシとクワガタムシの標本

たとえば、サイズ違いのカブトムシとクワガタムシでグラデーションになるように円を描き、スタイリッシュなアートのようにしたり、同じチョウが並ぶ中に1匹だけ別の種を紛れこませて間違い探しのようにしたり。来場者を楽しませるため、アレンジにもメリハリがきいています。

1匹だけまじった別の種を当てるクイズ。なかなか難易度が高いです。

ヤマトタマムシの「玉虫色」に代表される、色素ではなく微細な構造に太陽光が干渉することで発色する「構造色」をそなえた昆虫の標本は、さながら風変わりなジュエリーボックスといった様相。ニューギニア周辺に生息し、フォロニック結晶と呼ばれる構造色を体表にもつホウセキゾウムシは角度によって緑、青、紫と艶やかに輝き、たいへん美しいものでした。

ホウセキゾウムシの標本

本展は「見る」だけでなく、「聴く」「触る」「嗅ぐ」などムシの世界をさまざまな切り口から体験できる点も魅力のひとつ。

北米には17年周期で羽化するジュウシチネンゼミと、13年周期で羽化するジュウサンネンゼミと呼ばれるグループのセミ、いわゆる「素数ゼミ」が生息しています。両グループは17年と13年の公倍数である221年に一度のタイミングで同時に大発生しますが、日本でもニュースで話題になったように、ちょうど2024年がその当たり年となりました。

素数ゼミの展示

会場は多様なムシたちが発する音であふれていますが、「聴く」体験展示として特に注目してほしいのが、その素数ゼミたちの大合唱を体験できるスポットです。研究チームが本展のためにイリノイ州シカゴを取材。現地で録音した、最大で85〜86デシベル(パチンコ店の店内と同程度の音の大きさ)に達したという騒がしさを旅行記とあわせて紹介しています。

素数ゼミの大合唱を体験するスポット

「嗅ぐ」体験展示としては、シタバチが好むユーカリの精油に含まれるユーカリトールや、糞などに含まれているスカトールの香りを噴出するスポットを設置。シタバチは中南米にのみ生息し、メスへのアプローチのためにオスが花の香り成分を集めるという世界的にも珍しい習性をもっているハチで、その光沢感のある美しさも見どころです。

シタバチの展示

「触る」体験展示では、植物に寄生したアブラムシの幼虫が、外敵から身を守るために植物を異常発達させてつくる巣「虫こぶ」の実物に触れられるなど、いずれも派手さはないものの知的好奇心をくすぐる内容となっていました。

虫こぶに触れるスポット
さまざまな虫こぶの標本。シャーレに入っているのは世界唯一の“跳ねる虫こぶ”として知られているジャンピング・コールワスプの虫こぶで、跳ねている様子も動画で紹介されています。

残る「ゾーン3:ムシと人」はエピローグとして、人の暮らしと共にある身の回りのムシの世界を覗き、ムシと人の未来について考えていきます。

「ゾーン3:ムシと人」の展示風景

人の視点によって、ムシは害虫とも益虫とも見なされます。展示では代表的な害虫の例としてクロスズメバチ類を挙げ、人を刺す危険性がある一方で、農地におけるムシによる食害を抑制する働きをもつ点も紹介。視点を変えれば、人の暮らしが多様な生物たちで構成される生態系によって支えられていることに気づけるのだと伝えています。

都会に息づくムシのマップ

ムシは一見すると、自然環境があまり残されていないような都市でも、さらには家の中でもたくましく暮らしていて、ムシが苦手な人にとっては一大事でしょう。興味深い話として、人は同じムシを見るにしても、家の中と外とでは、家の中で見たときのほうが心理的な嫌悪感が増すという仮説が提唱されているとか。さらに、都市化によって日常的にムシを見る機会が減少していることが、ムシを「得体のしれないもの」として嫌悪する原因になっている可能性もあるそうです。

そのため、エピローグのキャプションには「一つ一つのムシのことやなぜムシが苦手なのかを知ることで、すべてのムシに対する嫌悪感は少しだけ和らげることができるのかもしれない」とアドバイスめいた文言も添えられていました。

絶滅危惧種のイシガキニイニイなど、地球環境の変化に伴い個体数が減少しているムシの展示

小さなムシの世界はほとんどが人に認識されませんが、それでもムシは私たちの暮らしとは切り離すことができない、最も身近な隣人であることに自然と考えが巡る展示内容でした。

モトナリヒメコバネナガハネカクシの展示

なお、本展ではお笑いコンビ「アンガールズ」の山根良顕さんが2023年、広島の山中で『元就。』という番組を収録していた際に発見した新種の昆虫、モトナリヒメコバネナガハネカクシの標本も鑑賞できます。

アンガールズの山根良顕さん(左)と田中卓志さん(右)

この発見がきっかけで、アンガールズは本展の公式サポーターに就任。開幕に先立って行われたオープニングトークに登壇した山根さんは、新種の発見当時、同行していた比和自然科学博物館の千田良博研究員に「これは珍しいですよ」と指摘されても、テレビ的なお世辞だと思って真に受けていなかったと振り返ります。

続けて相方の田中卓志さんが「山根は早めにロケを終わらせようと思って、山の奥へ入らずに入口あたりの適当な土をパッとすくったら新種が見つかった。そこは逆に先生が探さないような場所だったんですよ」とコメント。新種発見の理由が山根さんの「だらしなさ」にあったと笑いながら分析しました。

私たちが気づかないだけで、意外と身近に昆虫の新種はいるそうです。展示の締めくくりに、研究者たちがムシを探す際の目線や技、道具なども紹介しているので、学生の皆さんは夏休みの自由研究として、ムシの新種発見にチャレンジしてみるのも面白いかもしれません。

特別展「昆虫 MANIAC」の開催は10月14日(月・祝)まで。

特別展「昆虫 MANIAC」概要

会期 2024年7月13日(土)~10月14日(月・祝)
会場 国立科学博物館(東京・上野公園)
開館時間 9時~17時 (入場は16時30分まで)
※ただし毎週土曜日及び8月11日(日)~15日(木)は19時まで開館延長(入場は18時30分まで)
休館日 9月2日(月)、9日(月)、17日(火)、24日(火)、30日(月)
入場料(税込) 一般・大学生 2,100円、小・中・高校生 600円

※未就学児は無料。
※障害者手帳をお持ちの方とその介護者1名は無料。
※そのほか、詳細は公式サイトでご確認ください。

主催 国立科学博物館、読売新聞社、フジテレビジョン
お問い合わせ 050-5541-8600(ハローダイヤル)
展覧会公式サイト https://www.konchuten.jp/
監修者 井手竜也[総合監修、ハチ類]/国立科学博物館 動物研究部 陸生無脊椎動物研究グループ 研究員
野村周平[コウチュウ類]/国立科学博物館 動物研究部 陸生無脊椎動物研究グループ グループ長
神保宇嗣[チョウ・ガ類]/国立科学博物館 動物研究部 陸生無脊椎動物研究グループ 研究主幹
清拓哉[トンボ類]/国立科学博物館 動物研究部 陸生無脊椎動物研究グループ 研究主幹
奥村賢一[クモ類]/国立科学博物館 動物研究部 陸生無脊椎動物研究グループ 研究員

※記事の内容は取材日(2024/7/12)時点のものです。最新の情報は展覧会公式サイト等でご確認ください。


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【国立西洋美術館】「内藤コレクション 写本 — いとも優雅なる中世の小宇宙」取材レポート

国立西洋美術館
会場風景

中世ヨーロッパで普及した彩飾写本の魅力に触れる展覧会「内藤コレクション 写本 — いとも優雅なる中世の小宇宙」が国立西洋美術館で開催中です。会期は2024年8月25日(日)まで。

会場風景
会場風景
会場風景

写本とは、15世紀に印刷技術が発明される以前のヨーロッパで普及した、動物の皮を薄く加工して作った紙(獣皮紙)に人の手でテキストを筆写し、膨大な時間と労力をかけて制作した本のことです。

華やかな装飾や挿絵が施されるケースも多く、ときに非常な贅沢品になった写本ですが、当時の人々にとって情報伝達の主要な媒体であったと同時に、キリスト教の信仰を支える重要な役割も担っていました。

本展タイトルにある「内藤コレクション」とは、筑波大学・茨城県立医療大学名誉教授の内藤裕史氏が収集した写本零葉(リーフ/本から切り離された一枚一枚の紙葉)を中心とするコレクションを指します。国内美術館の写本コレクションとしては最大級のもので、2015年度に同館に一括寄贈され、2020年にかけてさらに26点の写本零葉が追加されました。

本展は内藤コレクションの大多数に国内の大学図書館収蔵品などを加えた約150点を通じて、それぞれの写本の役割とともに、文字と絵が一体となった中世彩飾(※)芸術の世界を紹介する大規模展です。

(※写本の装飾は、金を多用した光り輝く特徴から「彩飾」と呼ばれます)

展示は、零葉が本来属していた親写本の用途を基準に章分けし、「1章:聖書」「2章:詩編集」「3章:聖務日課のための写本」「4章:ミサのための写本」「5章:聖職者たちが用いたその他の写本」「6章:時祷書」、「7章:暦」、「8章:教会法令集および宣誓の書」「9章:世俗写本」の全9章構成となっています。

写本装飾の代表的な例として挙げられるのがイニシャルです。

会場風景、右はカマルドリ会士シモーネ《典礼用詩編集零葉》イタリア、フィレンツェ 1380年頃 内藤コレクション(⾧沼基金) 国立西洋美術館蔵

イニシャルは文頭のアルファベットを華美に飾ったもの。目を喜ばせるだけではなく、テキストの重要なセクションの始まりを示す目印や、節の区切りの役割を果たしました。面白いのは、装飾の種類がイニシャルの、ひいてはテキストのヒエラルキーを表しているという点。

たとえば、《典礼用詩編集零葉》の紙面左中央には大型の「B」の文字があり、「B」の内部上段には神が祝福する姿、下段には伝承上の「詩編」の作者ダヴィデが楽器を奏でる姿が描かれています。このように、文字の内部スペースに物語の場面や人物などを描いたものを「物語イニシャル」と呼びます。

ほかにも、彩色した地に金の文字を置いた「シャンピ・イニシャル」や、文字の周囲を線描で装飾した「線条装飾イニシャル」などがありますが、ヒエラルキーでいえば物語イニシャルが最上位。核となるテキストを最も目立つ物語イニシャルで示すことで、読む人の理解を視覚的に補助していたのです。

なお、「典礼用詩編集」は修道院や教会で1日8回、定刻に行われる礼拝である聖務日課のために、旧約聖書の「詩編」のテキストや聖歌、祈祷文などを編纂したものです。

《聖書零葉》イングランド 1225-35年頃 彩色、インク、金/獣皮紙 内藤コレクション 国立西洋美術館蔵

内藤コレクションには13世紀のイングランドやフランスで制作された聖書写本の零葉が多く存在し、「創世記」の冒頭を示した《聖書零葉》はその代表的な一葉です。

膨大な文字が細かくぎっしりとレイアウトされた中で、紙面を縦に貫く金縁の装飾が目を引きますが、じつは物語イニシャルの巨大な「I」だとわかり驚きました。まさに壮大な物語の始まりを伝えるのにふさわしいスケールといっていいでしょう。2cmほどの小さな円形の中で、神による万物の創造からカインによるアベルの殺害までのストーリーを緻密に表現しています。

会場風景、ヤコビュス・ファン・エンクハイセン写字/ズヴォレ聖書の画家彩飾《『ズヴォレ聖書』零葉》北ネーデルラント、ズヴォレ、共同生活兄弟会グレゴリウスの家(写字)/おそらくズヴォレ(彩飾) 1474年(写字)/1475-76年(彩飾) 内藤コレクション(⾧沼基金) 国立西洋美術館蔵

15世紀後半の北ネーデルラント(現在のオランダ付近)の街ズヴォレで制作された《『ズヴォレ聖書』零葉》は、物語イニシャルを含めて「D」を強調した一葉。その整然とした美しさに見入りました。

写本は当初、修道士や修道女が筆写や装飾を担っていましたが、次第に在俗の職人たちが参入していきました。本作に見られる到底手書きとは思えない洗練された書体は、ヤコビュス・ファン・エンクハイセンという能書家として名高い人物が手掛けたもので、全巻分を書き写すために14年もの歳月をかけたとか。

この調和のとれたレイアウトは、3バージョンの「詩編」を併記したことで生まれたもの。物語イニシャルには、契約の箱をエルサレムへ運ぶダヴィデなど、それぞれダヴィデの生涯の場面が描かれています。

ジョヴァンニ・ディ・アントニオ・ダ・ボローニャ彩飾《典礼用詩編集零葉》イタリア、ボローニャ 1425-50年 彩色、インク、金/獣皮紙 内藤コレクション  国立西洋美術館蔵

写本が誰のために制作されたのか、どんな場面で使われていたのかをイニシャルで表すケースもあり、たとえば《典礼用詩編集零葉》のイニシャル「C」に描かれているのは、書見台の前で歌うフランシスコ会修道士の姿。つまり、親写本がフランシスコ会のために制作されたものだとわかります。

なお、本作のように植物をモティーフにしてページの余白を埋める枠装飾は、写本の中ではポピュラーですが、よく見ると本作は極彩色の優美な草花にまじって、修道士らしい奇妙な老人の頭部を浮かべている点がかなり独特。

会場にはほかにも、画家の遊び心なのか、余白部分にイタズラ描きのような装飾を施した零葉があり、ページをくまなくチェックする面白さがありました。

フランチェスコ・ダ・コディゴーロ写字、ジョルジョ・ダレマーニャ彩飾《『レオネッロ・デステの聖務日課書』零葉》イタリア、フェラーラ 1441-48年 内藤コレクション 国立西洋美術館蔵

聖務日課の際に朗読する全テキストを収録した「聖務日課書」は、礼拝を進行する司祭が所持するものでしたが、次第に一般信徒の間にも普及していきました。

なかでも、イタリアの街フェラーラを15世紀に統治していたエステ家の依頼で制作された《『レオネッロ・デステの聖務日課書』零葉》は、世俗の信徒のために贅を尽くした華やかな作例。金を散りばめつつ糸のごとく微細な線を引いた枠装飾は豪奢なジュエリーの瞬きを思わせ、見事というほかありません。

装飾はフェラーラを代表する写本彩飾画家であったジョルジョ・ダレマーニャによるもの。全体的には後期ゴシック様式でありながら、当時のフェラーラではすでにルネサンスが幕を開けていた影響もあってか、イニシャル内部の人物の描き方はルネサンス様式の影響が見てとれます。

写本装飾は本の中で守られ、壁画やタペストリーに比べて散逸や破損を免れてきたことから、中世の美術に関する貴重な証言者ともいえます。本作も、流行の過渡期にあった二つの美意識のエッセンスが封じ込められた、時代を伝える好例といえるでしょう。

リュソンの画家彩飾《時祷書零葉》フランス、パリ 1405-10年頃 彩色、インク、金/獣皮紙 内藤コレクション 国立西洋美術館蔵
会場風景、代祷の画家彩飾《祈祷書零葉》北ネーデルラント、おそらくレイデン 1500-30年頃 内藤コレクション 国立西洋美術館蔵

もちろん、イニシャルの装飾ではなく、ページ上で独立したスペースを割り当てられたミニアチュール(挿絵)が載った零葉も多数紹介されています。

《祈祷書零葉》はキリストを描いた挿絵を、金地に草花や虫をトロンプ・ルイユ(だまし絵/1500年頃のヘントやブリュッヘで流行した装飾)風に散りばめた余白装飾で囲っています。本来、既存の写本に挿入して美的価値を高めるために制作された紙葉ですが、所有者はそこに刺繍の縁取りを施し、小型絵画の形で礼拝に使用していたようです。

会場風景、《ガブリエル・デ・ケーロの貴族身分証明書》スペイン、グラナダ 1540年 内藤コレクション 国立西洋美術館蔵

そのほか、会場では百科全書的内容を持つものや身分証明書など、キリスト教関連以外の「世俗写本」も展示。また、作品調査の成果として、筆写されたテキストの内容や書体、装飾の様式などから特定した零葉の親写本や、親写本から切り離された姉妹葉についても取り上げていました。

ときに所有者のステータス・シンボルとして、あるいは美的趣味を満たすために贅を凝らされた彩飾写本。装飾部分のみ切り取るコレクターも生まれ、書物の域を超えた一流の美術品として愛好されました。サイズこそ小型のものが多いですが、私たちが普段、美術館で目にする西洋絵画と同様の美意識が込められており、見ごたえは全く劣りません。ぜひ本展で、現代の私たちとは異なる感覚で本を読んでいただろう中世の人々の美意識について、思いを巡らせてみてはいかがでしょうか。

「内藤コレクション 写本 — いとも優雅なる中世の小宇宙」概要

会期 2024年6月11日(火)〜8月25日(日)
会場 国立西洋美術館 企画展示室
開館時間 9:30~17:30(金・土曜日は9:30~20:00)
※入館は閉館の30分前まで
休館日 月曜日、7月16日(火)
ただし、7月15日(月・祝)、8月12日(月・休)、8月13日(火) は開館
観覧料 一般1,700円、大学生1,300円、高校生1,000円

※中学生以下は無料。
※心身に障害のある方及び付添者1名は無料。
※その他、詳細は展覧会公式ページでご確認ください。

主催 国立西洋美術館、朝日新聞社
問い合わせ 050-5541-8600(ハローダイヤル)
展覧会公式ページ https://www.nmwa.go.jp/jp/exhibitions/2024manuscript.html

※記事の内容は取材時点のものです。最新情報は展覧会公式ページ等でご確認ください。


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【東京都美術館】「デ・キリコ展」取材レポート。多くのシュルレアリストに衝撃を与えた形而上絵画など、その芸術の全容に迫る

東京都美術館
《形而上的なミューズたち》1918年、カステッロ・ディ・リヴォリ現代美術館(フランチェスコ・フェデリコ・チェッルーティ美術財団より長期貸与) © Castello di Rivoli Museo d’Arte Contemporanea, Rivoli-Turin, long-term loan from Fondazione Cerruti  © Giorgio de Chirico, by SIAE 2024

20世紀を代表する巨匠ジョルジョ・デ・キリコ(1888-1978)の、日本では10年ぶりとなる大規模回顧展「デ・キリコ展」が東京・上野の東京都美術館で開催中です。会期は2024年8月29日まで。

展示風景 © Giorgio de Chirico, by SIAE 2024
展示風景 © Giorgio de Chirico, by SIAE 2024
展示風景 © Giorgio de Chirico, by SIAE 2024

サルバドール・ダリやルネ・マグリットといったシュルレアリストをはじめ、数多くの芸術家に多大な影響を与えた「形而上絵画」で名声を獲得したジョルジョ・デ・キリコ。前衛画家としてのイメージが強いですが、一方でルネサンスやバロックといった古典主義的な表現手法にも傾倒し、時代によって画風を大きく変化させていった人物でもありました。

回顧展というと、作家の初期から晩年までの作品を時系列に並べて紹介するのが一般的です。しかし本展では、世界各地から集まった油彩を中心とする100点以上の作品を「自画像・肖像画」「形而上絵画」「伝統的な絵画への回帰」など、デ・キリコが扱ったテーマやモチーフごとにまとめ、それらをどのように描き続け、変化を加えていったのかをわかりやすく紹介しています。

第1章では導入部として、自画像と肖像画に注目。デ・キリコがその画業の初期から取り組み、生涯で何百枚も手掛けたという自画像に見られる多様な様式の変遷には、彼が追い求めたそれぞれの時代の研究成果が表れています。

《弟の肖像》 1910年、ベルリン国立美術館 © Photo Scala, Firenze / bpk, Bildagentur fuer Kunst, Kultur und Geschichte, Berlin © Giorgio de Chirico, by SIAE 2024

デ・キリコは1888年にギリシアでイタリア人両親のもとに誕生し、父の死後、母、弟とともにドイツのミュンヘンへ移住。そこで美術学校に入学するも中退し、1909年にイタリアのミラノへ居を移します。当時のデ・キリコはフリードリヒ・ニーチェの哲学や、《死の島》で有名な抽象主義の画家アルノルト・ベックリンの絵画などから大きな影響を受けており、本展にはこの時期、つまりパリで形而上絵画を確立する以前の初期段階に描かれた貴重な肖像画《弟の肖像》(1910)を見ることができました。

《自画像》 1922年頃、トレド美術館 © Giorgio de Chirico, by SIAE 2024

《自画像》(c1922)は、前衛運動による表現形式の破壊への反動で、古典絵画の秩序を再発見した「秩序への回帰」という動向が西洋美術を席巻した時代に、デ・キリコが応答として手掛けたもの。ピエロ・デッラ・フランチェスカやラファエロ・サンツィオといった、ルネサンス絵画の堅固なヴィジョンに基づいています。

《闘牛士の衣装をまとった自画像》1941年、カーサ・ロドルフォ・シヴィエーロ美術館 © Giorgio de Chirico, by SIAE 2024
《17世紀の衣装をまとった公園での自画像》1959年、ジョルジョ・エ・イーザ・デ・キリコ財団 © Fondazione Giorgio e Isa de Chirico, Roma © Giorgio de Chirico, by SIAE 2024

また、自画像のなかには17世紀風の衣装や闘牛士に扮装をしているものもありました。そういった演出的な試み、演劇的嗜好はデ・キリコ作品の特徴のひとつであり、彼がそのキャリアで断続的にかかわっていたオペラや演劇などの舞台美術と密接に関係しています。なお、展示後半ではデ・キリコが手掛けた舞台衣装やデザインスケッチも紹介されているので、相互に与えた影響を想像しながら鑑賞するのも面白そうです。

第2章ではデ・キリコの代名詞ともいえる形而上絵画を、「イタリア広場」「形而上的室内」「マヌカン」という3つのテーマにわけて構成。ふだんは世界中に散らばっている1910年代黄金期の代表作が多数集結した、本展のハイライトです。

デ・キリコは1910年のある日、フィレンツェのサンタ・クローチェ広場で、見慣れたはずの景色が初めて見るものであるかのような感覚に襲われたといいます。その「啓示」をきっかけに、広場や室内という具象を描きながらも、歪んだ遠近法や本来ならあり得ないモチーフの配置によって、夢のイメージにも似た、私たちに見えている世界の奥にある非日常的なもの、神秘や謎をほのめかすような絵画の制作を開始。

《沈黙の像(アリアドネ)》1913年、ノルトライン=ヴェストファーレン州立美術館 © Giorgio de Chirico, by SIAE 2024

1911年にパリに移り住むと、彼の幻想的な絵画はたちまち批評家たちを虜にし、パリにおける最前線の潮流の一角をなします。敬愛するニーチェの哲学に影響を受けたその作品群を、後にデ・キリコは自ら「形而上絵画」と名付けました。「イタリア広場」のコーナーに出展されている《沈黙の像(アリアドネ)》(1913)は、まさに形而上絵画の傑作といわれる作品です。

《バラ色の塔のあるイタリア広場》1934年頃、トレント・エ・ロヴェレート近現代美術館(L.F.コレクションより長期貸与)© Archivio Fotografico e Mediateca Mart © Giorgio de Chirico, by SIAE 2024

人の姿がない広場で、ただ画面の外から伸びる長い影が不穏な雰囲気を漂わせる《バラ色の塔のあるイタリア広場》(c1934)は、1913年制作の《赤い塔のあるイタリア広場》を複製したもの。デ・キリコは過去に描いた形而上絵画の再制作も積極的に行っており、こうした行為はときに「贋作」として非難されることもありましたが、本人は「これらの複製は、より美しい素材とより洗練された技法をもって描かれているということ以外、欠点はないでしょう」(再制作を依頼した師アンドレ・ブルトンの妻への手紙より)とポジティブに捉えていたようです。

第一次世界大戦の勃発に伴い、兵士としてパリからフェッラーラに移り住んだデ・キリコの絵画は、それまでの広場を見渡す開けた視界から、室内の閉じた空間へと転換。描かれるモチーフも、フェッラーラの家の室内や店先のショーウインドウからインスピレーションを得て、ビスケットや海図、定規といったデ・キリコの身の回りにあっただろう事物が脈絡なく登場するようになります。

《福音書的な静物Ⅰ》1916年、大阪中之島美術館 © Giorgio de Chirico, by SIAE 2024

それらは「形而上的室内」と呼ばれており、1910年代の作品を見ると、描かれているモチーフが不自然なほど目の前に迫っているような、外部の存在を排除した近視眼的な画面構成になっています。それが1960年代に入ると、窓を設置し、空間に広がりを生み出す構図へ変化。窓からはイタリア広場の建物も見えており、これはデ・キリコが1968年ごろから着手した、過去の作品のモチーフを統合する「新形而上絵画」の作品群に見られる特徴です。

《「ダヴィデ」の手がある形而上的室内》1968年、ジョルジョ・エ・イーザ・デ・キリコ財団 © Fondazione Giorgio e Isa de Chirico, Roma © Giorgio de Chirico, by SIAE 2024

「マヌカン」のコーナーでは、古典的な西洋絵画において特権的な地位を与えられていたモチーフである人物像を無個性のマヌカン(マネキン)に置き換え、他のモチーフと同列の、一種のモノとして扱ってみせた一連の作品群を展示。マヌカンの登場が第一次世界大戦の勃発と時を同じくすることから、マヌカンは戦争を引き起こしてしまう人間の理性の無さ、あるいは暴力に対する人間の無力さを表しているともいわれています。

《予言者》1914-15年、ニューヨーク近代美術館(James Thrall Soby Bequest)© Digital image, The Museum of Modern Art, New York / Scala, Firenze © Giorgio de Chirico, by SIAE 2024
《形而上的なミューズたち》1918年、カステッロ・ディ・リヴォリ現代美術館(フランチェスコ・フェデリコ・チェッルーティ美術財団より長期貸与) © Castello di Rivoli Museo d’Arte Contemporanea, Rivoli-Turin, long-term loan from Fondazione Cerruti  © Giorgio de Chirico, by SIAE 2024

ミューズや予言者、哲学者、花嫁などさまざまな役割を演じているマヌカンですが、初期の代表作《予言者》(1914-15)や《形而上的なミューズたち》(1918)では無機質に描写されていながら、時代が進むにつれて古典主義の影響を受ける形で肉感が与えられ、人間化していくという面白い変容を遂げているのは注目すべき点でしょう。

《南の歌》1930年頃、ウフィツィ美術館群ピッティ宮近代美術館 © Gabinetto Fotografico delle Gallerie degli Uffizi © Giorgio de Chirico, by SIAE 2024

デ・キリコは、形而上的絵画からいったん古典絵画に回帰したのち、1925年に戻ったパリでシュルレアリスムの画家たちと交流をもつことによって、ふたたび形而上的絵画に目を向け、「剣闘士」や「谷間の家具」といった新しい主題も扱うようになりました。第3章では、そんな1920年代後半の展開に注目しています。

《戦闘(剣闘士)》1928-29年、ノヴェチェント美術館 © Giorgio de Chirico, by SIAE 2024
右は《谷間の家具》1927年、トレント・エ・ロヴェレート近現代美術館(L.F.コレクションより長期貸与)© Archivio Fotografico e Mediateca Mart © Giorgio de Chirico, by SIAE 2024

続く第4章は【伝統的な絵画への回帰―「秩序への回帰」から「ネオ・バロック」へ】と題し、本稿でもたびたび触れている、古典絵画への傾倒から得た成果を示す作品をあらためて紹介。1920年ごろからはティツィアーノやラファエロといったルネサンス期の作品を、次いで1940年代にはルーベンスやベラスケスといったバロック期の作品を研究し、シュルレアリストたちに批判されながらも、その表現や主題、技法を自らの制作に取り入れていきました。

《鎧とスイカ》1924年、ウニクレディト・アート・コレクション © Giorgio de Chirico, by SIAE 2024

本章には2点の水浴画があります。1点は《横たわって水浴する女(アルクメネの休息)》(1932)で、当時、ルネサンス期の古典主義研究の第一人者として知られていた印象派の画家ピエール=オーギュスト・ルノワールが晩年に描いた水浴画を原型にしています。

《横たわって水浴する女(アルクメネの休息)》1932年、ローマ国立近現代美術館 © Giorgio de Chirico, by SIAE 2024
《風景の中で水浴する女たちと赤い布》1945年、ジョルジョ・エ・イーザ・デ・キリコ財団 © Fondazione Giorgio e Isa de Chirico, Roma © Giorgio de Chirico, by SIAE 2024

もう1点はその10年以上後に描かれた《風景の中で水浴する女たちと赤い布》(1945)で、バロック絵画やそれを解釈したウジェーヌ・ドラクロワ、ギュスターヴ・クールベの作品に着想を得ています。同じ主題でありながら、比較すると後者のほうが全体的に艶っぽく、暗く濃密な色彩が引き立っているなど、その筆致や様式が大きく変化したことがわかります。

最終章となる「新形而上絵画」のセクションでは、デ・キリコが1978年に亡くなるまでの10年余り、再び形而上絵画に取り組み始めてからの展開を追います。

《オデュッセウスの帰還》1968年、ジョルジョ・エ・イーザ・デ・キリコ財団 © Fondazione Giorgio e Isa de Chirico, Roma © Giorgio de Chirico, by SIAE 2024

最晩年にあって、デ・キリコは過去に手掛けてきた広場、室内、マヌカン、古典絵画にみられる神話の物語、さらには挿絵の仕事で描いた太陽と月といった要素を画面上で自由に組み合わせ、ただの焼き直しに留まらない新しい境地を切り開きました。それらの様式は「新形而上絵画」と呼ばれ、1910年代の形而上絵画にあった憂鬱で重苦しい雰囲気はなくなり、いずれも毒気を抜かれたように軽やかで明るく、どこか遊び心を感じるものばかりです。

《放蕩息子》1973年、ジョルジョ・エ・イーザ・デ・キリコ財団 © Fondazione Giorgio e Isa de Chirico, Roma © Giorgio de Chirico, by SIAE 2024
《闘技場の剣闘士》1975年、ジョルジョ・エ・イーザ・デ・キリコ財団 © Fondazione Giorgio e Isa de Chirico, Roma © Giorgio de Chirico, by SIAE 2024

周囲からの批判に左右されず、前衛と古典を相反するものではなく共存可能なものとし、自作の引用やオマージュを繰り返してきたデ・キリコの、まさに画業の集大成と呼ぶにふさわしい独創的な様相を呈していました。

「デ・キリコ展」概要

会場 東京都美術館
会期 2024年4月27日(土)~8月29日(木)
開室時間 9:30~17:30 金曜日は20:00まで(入室は閉室の30分前まで)
休室日 月曜日、7月9日(火)~16日(火)
※ただし、7月8日(月)、8月12日(月・休)は開室
観覧料(税込) 一般 2,200円、大学生・専門学校生 1,300円、65歳以上 1,500円

※土曜・日曜・祝日及び8月20日(火)以降は日時指定予約制。
※高校生以下無料。
※身体障害者手帳・愛の手帳・療育手帳・精神障害者保健福祉手帳・被爆者健康手帳をお持ちの方とその付添いの方(1名まで)は無料。
※そのほか、詳細は公式チケットページでご確認ください。

主催 公益財団法人東京都歴史文化財団 東京都美術館、朝日新聞社
お問い合わせ 050-5541-8600(ハローダイヤル)
展覧会公式サイト https://dechirico.exhibit.jp/

※記事の内容は取材時点のものです。最新情報は公式サイト等でご確認ください。


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【東京国立博物館】「法然と極楽浄土」取材レポート。国宝「早来迎」や破格の羅漢図など、浄土宗諸寺院の名宝が多数集結

東京国立博物館
「法然と極楽浄土」会場風景

浄土宗開宗から850年という節目に、全国の寺院から宗祖・法然(ほうねん)ゆかりの至宝が多数集結する特別展「法然と極楽浄土」が、東京・上野の東京国立博物館で始まりました。会期は2024年6月9日まで。

※会期中、一部作品の展示替えがあります。詳細は展覧会公式サイト等でご確認ください。

「法然と極楽浄土」入り口

もともとインドや中国で発展した、阿弥陀如来が西方に建立した一切の苦しみのない世界・極楽浄土への往生を願う信仰は、日本では「浄土教」や「浄土信仰」などと呼ばれ、天台宗の比叡山延暦寺を中心に取り入れられていました。

平安時代末期、戦乱や天災、疫病が相次ぐ末法の世に生まれた法然(1133-1212)は、比叡山で浄土教について学び、1175年(承安5年)に独自の教義として「南無阿弥陀仏」と称えることで誰もが等しく阿弥陀如来に救われ、極楽浄土に往生できると説いた「浄土宗」を開きます。

「南無阿弥陀仏」は「阿弥陀如来に帰依します」を意味します。このわずか六字のフレーズ(念仏)をひたすら声に出して称えれば、厳しい修行や善行の有無に関係なく極楽往生できるというシンプルな「専修念仏」の教えは、その容易さから貴族から学のない庶民まで困難に苦しむ幅広い階層の人々の支持を得て、鎌倉仏教の一大宗派に成長。現代まで連綿と受け継がれてきました。

本展は、2024年に浄土宗が開宗850年を迎えることを記念して、法然による立教開宗に始まり、江戸時代に徳川将軍家の帰依によって大きく発展を遂げるまでの浄土宗の美術と歴史を、全国の浄土宗諸寺院等が所蔵する国宝、重要文化財を含む貴重な名宝によって通覧する大規模な展覧会です。

展示は4章構成になっています。第1章「法然とその時代」では、法然がどういった人物であったのか、その姿かたちや事績、思想を紹介。

国宝《法然上人絵伝》(巻第十四 部分)鎌倉時代・14世紀 京都・知恩院蔵 展示期間:4/16~5/12 ※会期中場面替えあり

ここでは、法然の思想を体系化した浄土宗の根本宗典であり、冒頭部分には法然自筆の書も見られる重要文化財《選択本願念仏集(盧山寺本)》や、全48巻にも及ぶ長大な絵巻に法然の出生から往生までの生涯はもちろん、浄土宗に帰依した公家・武家や弟子たちの事績までをも収めた、数ある法然伝の集大成といえる国宝《法然上人絵伝》などが登場します。

重要文化財《法然上人坐像》鎌倉時代・14世紀 奈良・當麻寺奥院蔵 展示期間:4/16~5/12

奈良・當麻寺奥院の本尊であり、中世に制作された法然の彫像としては貴重な作例の《法然上人坐像》で見られる容姿は、比較的若い時分のものであるとか。肉付きがよく、表情はわずかに微笑んでいるようで柔和な印象を受けました。この肩ひじを張らない親しみやすさは浄土宗の大衆性に通じるものがあり、本展に入ってすぐの場所に展示されていることはじつに象徴的です。

重要文化財《七箇条制誡》(部分)鎌倉時代・1204年(元久元年) 京都・二尊院蔵 展示期間:4/16~5/12

教団の勢力が強まるにつれて、なかには教えを曲解して風紀を乱す者が現れ、延暦寺宗徒が専修念仏の停止を求める訴えを起こすこともありました。その際に法然が自戒を促す目的で弟子たちに署名させた、七つの禁止事項を記した《七箇条制誡(しちかじょうせいかい)》をよく見ると、浄土真宗の宗祖・親鸞(しんらん)の若かりし頃のサインも含まれています。

「僧綽空」が親鸞の署名/ 重要文化財《七箇条制誡》(部分)鎌倉時代・1204年(元久元年) 京都・二尊院蔵 展示期間:4/16~5/12
第2章展示、《菩薩面》左3面が鎌倉時代・13世紀、右1面が室町時代・16世紀 奈良・當麻寺蔵 通期展示

多くの人々の願いが込められた阿弥陀如来の造形の数々によって、庶民にまで広がった信仰の高まりを伝える第2章「阿弥陀仏の世界」の見どころは、先に紹介した《法然上人絵伝》と同じく浄土宗総本山である京都・知恩院蔵の国宝《阿弥陀二十五菩薩来迎図》です。

国宝《阿弥陀二十五菩薩来迎図(早来迎)》鎌倉時代・14世紀 京都・知恩院蔵 展示期間:4/16~5/12

本作は「早来迎(はやらいごう)」の異名で知られ、鎌倉時代の仏教絵画の傑作として教科書などで取り上げられているので、ご存じの方も多いはず。臨終を迎えた念仏者を極楽浄土へ連れるべく、菩薩衆を従えた阿弥陀如来が雲に乗って降りてくる様子を描いた絵画を来迎図と呼び、「早来迎」の名は、対角線構図で滝から一直線に水が落ちていくように疾走感を強調した見事な飛雲の表現から来ています。このような造形には、迅速な来迎を願った人々の願いが反映されているのでしょう。

国宝《阿弥陀二十五菩薩来迎図(早来迎)》(部分)鎌倉時代・14世紀 京都・知恩院蔵 展示期間:4/16~5/12

2019年から3年にわたり、肌裏紙(はだうらがみ:本紙の裏に直接貼る補強紙)を交換するなど大規模な解体修理が施されたおかげで画面が明るくなり、水面の青色や彫りの深い山肌など、本図の特徴ともいえる三次元的情景表現を生んだ山水景観がより鮮明になりました。

浄土信仰の聖地である奈良・當麻寺の秘蔵本尊である国宝《綴織當麻曼陀羅(つづれおりたいままんだら)》も必見です。本来は第3章に構成されている作品ですが、スペースの関係か第2章のエリアに並んでいました。

国宝《綴織當麻曼陀羅》中国・唐または奈良時代・8世紀 奈良・當麻寺蔵展示期間:4/16~5/6

本作は、浄土教における三大聖典のひとつ『観無量寿経』の内容を絵解きした縦横4メートルにおよぶ圧巻の極楽浄土図。極彩色で染めた絹糸や金糸を使い、一寸(3.3センチ)幅に60本の経糸という精密な織りが、微細な線描や色調のグラデーションなど描画に迫る表現をしていただろうことが想像されます。唐時代の中国、もしくは奈良時代・8世紀の日本で制作されたと考えられていますが、これほど高度な技術でつくられた8世紀の遺例は他にないとのこと。奈良県外で公開されるのは今回が初となります。

《当麻曼陀羅図》鎌倉時代・14世紀 東京国立博物館蔵 展示期間:4/16~5/12

残念ながらかつての色彩はほとんど失われてますが、本作は鎌倉時代に法然の弟子証空によって絶大な信仰を集め、多くの写しがつくられました。同章でも、墨線のはっきりした写しの《当麻曼陀羅図》が展示されています。《綴織當麻曼陀羅》には、中将姫という貴族の娘が阿弥陀如来の力を借りて、蓮糸を使って一晩で織り上げたという伝承が残っていますが、《当麻曼陀羅図》と合わせて見れば、当時の人々の崇敬を高めた神秘性の一端を体感できるかもしれません。

第3章展示、中央は重要文化財《聖光上人坐像》鎌倉時代・13世紀 福岡・善導寺(久留米市)蔵 展示期間:4/16~5/12

第3章「法然の弟子たちと法脈」では、法然の没後に、彼の教えを広めようと鎮西(九州)や鎌倉、京都など全国で精力的に活動した弟子たちの活躍をたどります。

《末代念仏授手印(生極楽本)》鎌倉時代・1228年(安貞2年)福岡・善導寺(久留米市)蔵 展示期間:4/16~5/12

専修念仏の理念的構築や、その中での諸行の位置づけ、教団の正当性の確保など、弟子たちの間でもさまざまなアプローチの相違があったようです。展示されている《末代念仏授手印(生極楽本)》は鎮西派の祖である聖光(しょうこう)の直筆とされる一本で、門弟間で異議異流が生じている状況を嘆き、法然の真意を後世まで伝えるために著したもの。専修念仏というこれ以上なくシンプルな教えであっても、その一つの教えを守り受け継ぐことがいかに難しいか考えさせられます。

第4章展示、康如・又兵衛等作《八天像》帝釈天像、持国天像、金剛力士像、密迹力士像 江戸時代・1621年(元和7年) 京都・知恩院蔵 通期展示

浄土宗中興の祖・聖冏(しょうげい)が常陸国で関東浄土宗の礎を築き、その弟子の聖聡(しょうそう)が江戸に増上寺を創建。松平家以来、浄土宗を深く信仰していた徳川家康が増上寺を江戸の菩提所、知恩院を京都の菩提所と定めたことによって、教団の地位は確固たるものになりました。第4章「江戸時代の浄土宗」では、将軍家と諸大名の外護を得て、飛躍的に興隆した江戸時代の浄土宗の様子を、浄土宗寺院にもたらされたスケールの大きな宝物でたどります。

重要文化財《大蔵経(宋版)》中国・北宋~南宋時代 12世紀刊 東京・増上寺蔵 通期展示 ※会期中画面替えあり

ここで鑑賞できる宋版、元版、高麗版の3部の《大蔵経》は、家康が大和国、周防国、近江国の寺院から領地と引き換えにそれぞれ召し上げ、増上寺に寄進した「三大蔵」と呼ばれるもの。

大蔵経とは5,000巻を超える漢訳された仏教経典を総集したもので、中国では北宋時代以降、印刷文化の発展に伴い大蔵経が木版印刷されていきました。刊本大蔵経は個別でも希少な文化財ですが、欠本がない状況で一寺院に三部も所蔵されている事例は世界に類をみないとか。現代の仏教研究の基礎をつくった、文化史上極めて重要な書物です。

伝徳川家康《日課念仏》江戸時代・17世紀 東京国立博物館蔵 通期展示

派手さはなくとも目を引かれたのは、家康の自筆と伝えられる《日課念仏》。晩年の家康が自らの滅罪を念じて毎日こつこつ「南無阿弥陀仏」と写経したものと考えられています。遠目には何かの模様かと勘違いしてしまうほど、縦6段、横41列にびっしりと名号が書き込まれている様子は、それだけの執着の表れのようで少しゾッとするものがありました。しかし、よく見ると間違い探しのように、2カ所だけ「南無阿弥陀仏」ではなく「南無阿弥家康」の文字が……。このように書かれた理由は定かではありませんが、ただのお茶目だったのか、もっと別の深い思惑が込められていたのでしょうか。

狩野一信筆《五百羅漢図》江戸時代・19世紀 東京・増上寺蔵 通期展示 ※会期中画面替えあり

四条派や土佐派などの画風をほぼ独学で学んだ後に狩野派へ入門したとされる幕末の絵師・狩野一信(1816-63)が画業の集大成として、およそ10年の歳月をかけて挑んだ増上寺蔵の《五百羅漢図》は、本展のハイライトといってもいいでしょう。

羅漢とは釈迦の弟子の中でも悟りを得た聖者を指す尊称で、人々を救済する役目をもった存在として信仰されてきました。五百羅漢は釈迦入滅後に経典を編纂する集会(第一結集)に参加した500人の羅漢のことで、日本では江戸時代中期以降に各地で五百羅漢の木彫や石像が盛んにつくられるようになります。

狩野一信筆《五百羅漢図》(第23幅と第24幅)江戸時代・19世紀 東京・増上寺蔵 展示期間:第23幅と第24幅は4/16~5/12
狩野一信筆《五百羅漢図》(第64幅 部分)江戸時代・19世紀 東京・増上寺蔵 展示期間:第64幅は4/16~5/12

本作はその中でも大きさ、数、迫力ともに破格の羅漢図であり、文字通り500人の羅漢を5人ずつ、計100幅に描き分けた大作です。羅漢の修行や生活、六道や人に降りかかる厄災と羅漢による救済といった個性の強い情景を、日本画の枠にとらわれず西洋の陰影表現・遠近法も用いながら、極彩色でドラマチックに表現。四隅まで力を抜いている部分がまるでなく、情報量の多さとそこから伝わってくる情熱に圧倒されました。

会場では全100幅のうちの24幅(前・後期で12幅ずつ)が展示されます。

《仏涅槃群像》江戸時代・17世紀 香川・法然寺蔵 通期展示

会場で最後に出会うのは、香川・法然寺蔵の《仏涅槃群像》です。釈迦入滅の場面を群像で立体的に表した作品で、等身大を上回る釈迦の涅槃像と、それを取り囲んで嘆く羅漢、天龍八部衆、動物など計82軀で構成されています。高松藩初代藩主・松平頼重が京都の仏師を招いて造営したもので、このような大型の涅槃群像は他に例がありません。

《仏涅槃群像》江戸時代・17世紀 香川・法然寺蔵 通期展示

普段は法然寺の三仏堂(涅槃堂)に置かれていますが、本展ではそのうち26軀が登場。フォトスポットとして開放されていました。

なお、展覧会は東京展の後、京都国立博物館、九州国立博物館に巡回予定です。

 

「法然と極楽浄土」概要

会期 2024年4月16日(火)~6月9日(日)
会場 東京国立博物館 平成館
開館時間 9:30~17:00(入館は閉館の30分前まで)
休館日 月曜日、5月7日(火)
※ただし、4月29日(月・祝)、5月6日(月・休)は開館
観覧料 一般 2,100円、大学生 1,300円、高校生 900円

※本展は事前予約不要です。
※中学生以下、障がい者とその介護者一名は無料です。入館の際に学生証、障がい者手帳などをご提示ください。
そのほか、詳細は展覧会公式チケットページでご確認ください。

主催 東京国立博物館、NHK、NHKプロモーション、読売新聞社
問い合わせ 050-5541-8600(ハローダイヤル)
展覧会公式サイト https://tsumugu.yomiuri.co.jp/honen2024-25/

※記事の内容は取材時点のものです。最新情報は展覧会公式サイト等でご確認ください。


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【取材レポート】国立西洋美術館で初の現代アート展「ここは未来のアーティストたちが眠る部屋となりえてきたか?」が開幕

国立西洋美術館
展示風景

東京・上野の国立西洋美術館で史上初となる現代アートの展覧会「ここは未来のアーティストたちが眠る部屋となりえてきたか? ──国立西洋美術館65年目の自問|現代美術家たちへの問いかけ」が開幕しました。会期は2024年5月12日まで。

■参加作家
飯山由貴、梅津庸一、遠藤麻衣、小沢剛、小田原のどか、坂本夏子、杉戸洋、鷹野隆大、竹村京、田中功起、辰野登恵子、エレナ・トゥタッチコワ、内藤礼、中林忠良、長島有里枝、パープルーム(梅津庸一+安藤裕美+續橋仁子+星川あさこ+わきもとさき)、布施琳太郎、松浦寿夫、ミヤギフトシ、ユアサエボシ、弓指寛治

小沢剛の展示
布施琳太郎《骰子美術館計画》(2024)
パープルームの展示
遠藤麻衣《オメガとアルファのリチュアル─ 国立西洋美術館 ver.》(2024)

主として20世紀前半までの「西洋美術」だけを収蔵・展示している国立西洋美術館で現代美術を大々的に展示するという、これまでにない試み。事前に開催された記者発表会では、その目的は所蔵作品と現代作品を並べて展示することでコレクション理解の地平を広げることでも、現代美術への関心が高い層に興味をもってもらうことでもないと語られています。

同館の母体となった「松方コレクション」が、日本の画家たちに本物の西洋美術を見せ、創作活動に資することを望んだ松方幸次郎の意志によって築かれたように、その過去を振り返ると、同館が未来のアーティストたちを生み育てる触発の場として期待されていたことがわかります。

しかし、実際に同館がそういった空間たり得てきたのかどうか、これまで本格的に問われてきませんでした。

本展はその事実に向き合い、同館やそのコレクションが現代の表現とどのように関係を結び、いまの時代の作品の登場や意味生成にどのような役割を果たしうるかという問いを、ジャンルをまたいだ21組のアーティストに投げかけ、作品を通じた応答を見ていこうというもの。あわせて同館が所蔵するクロード・モネ、ポール・セザンヌ、モーリス・ドニといった西洋美術の名品約70点も紹介している、見どころの多い展覧会となっています。

本企画の出品者のうち、少なくないアーティストが評論などの分野でも活躍する人物であるのはそのためで、会場内に存在するテキストも一般的な現代美術展と比較してボリュームがあり、なかにはほとんどテキスト自体が作品となっているものまでありました。

中林忠良の展示

問いに対するアーティストたちのアプローチや問題意識はさまざまです。

たとえば第1章「ここはいかなる記憶の磁場となってきたか?」では、中林忠良、内藤礼、松浦寿夫が自身の作品と、松浦寿夫が触発されたセザンヌ、ドニ、あるいは中林忠良自身の表現の歴史的血脈をたどった先にいるオディロン・ルドンやロドルフ・ブレダンといった同館所蔵の先人たちの作品を併置。美術館をさまざまな時代や地域に生きた/生きるアーティストらの記憶群が同居し、それぞれの力学を交錯させあう磁場のようなものと定義したうえで、同館のコレクションがいかなる磁場を形成しているかを作品群をとおして検証しています。

松浦寿夫の展示/ 左からポール・セザンヌ《ポントワーズの橋と堰》(1881)、松浦寿夫《キプロス》(2022)、松浦寿夫《緑の領土》(2024)

第2章「日本に『西洋美術館』があることをどう考えるか?」では、小田原のどかが新作インスタレーション《近代を彫刻/超克する── 国立西洋美術館編》の中で、同館のシンボルにもなっているオーギュスト・ロダンの彫刻《考える人》を真っ赤な絨毯に台座から外した状態で横倒しさせており、非常に目を引きます。

小田原のどかの展示/ 左からオーギュスト・ロダン《考える人》(1881-82)、西光万吉《毀釈》(1960年代)、オーギュスト・ロダン《青銅時代》(1877[原型])

裏側まですっかり見えるようになっていて、おそらく後にも先にもこの状態の《考える人》を見る機会はないだろうと、座り込んでじっくりと鑑賞する来場者も少なくありませんでした。《考える人》が転倒すると、クッションの絶妙に心地良さような様子とあいまって寝入っているように見えて、どこかユーモラスです。

小田原のどかの展示/ オーギュスト・ロダン《考える人》(1881-82)

小田原は、日本が近代化する過程ではらまざるを得なかった同館の歴史的な「歪み」と、それを抱えたうえで西洋の美術館群と異なり地震が多発する地盤の上に建っているという点に強い関心を抱いたとのこと。

今回の新作インスタレーションは、1923年の関東大震災で倒れた《考える人》や、1922年の部落解放運動のなかで水平社宣言を起草し、のちに獄中で国家主義者へ転向を遂げた西光万吉の日本画《毀釈》、地震のたびに倒壊し作り直される五重塔を模したオブジェ、同館が独自に開発した免震台などを構成要素としています。地震と思想転向という小田原の考える日本の思想的課題を、インスタレーションで「転倒」に「転向」を重ね合わせながら展開することで複雑な問題提起の様相を呈していました。

 

第4章「ここは多種の生/性の場となりうるか?」において、無味無臭のニュートラルな場所たろうとする美術館の展示室の中に、人間の「生」の空間を作り直したのは鷹野隆大です。

鷹野隆大の展示

個人では手が届かないような名品がもし現代の平均的な居室に並んでいたら、どう見えるだろうか。そう考えた鷹野は、同館の所蔵するギュスターヴ・クールベやフィンセント・ファン・ゴッホ、ルカス・クラーナハ(父)の絵画、エミール=アントワーヌ・ブールデルの彫刻と自身の写真作品とを、なんとIKEAの家具で構成された空間に展示したのです。

IKEAの製品は権威を示す装飾性を排除し、シンプルで豊かな生活を送れるようにするモダニズム・デザインの極地であると鷹野は見なしています。そうした手頃なおしゃれで満たされた私たちの日常空間にはけして登場しえない、権威ある美術館のなかにあるはずのクールベやブールデルが置かれる状況は、誰しもすぐに違和感を覚えるのではないでしょうか。「男は強い」というある種の型を過剰に表現した筋骨隆々のヘラクレス彫刻も、同館の前庭にあれば堂々たる威容にほれぼれするところですが、このスマートな部屋にはいかにもミスマッチで、現代的な感覚に対立するものとして映ります。

鷹野隆大の展示

心理的距離が近づいたことで作品の見え方が変わっていきますが、同時に、展示空間に左右されない、作品そのもの”だけ”を鑑賞する/価値をはかることの難しさも実感しました。

 

美術館は作品を不死の状態に保ち、永続的に未来へと残してゆくことを望む機関でありながら、物質としての作品は時とともに緩慢ながら変化せざるを得ません。第5章「ここは作品たちが生きる場か?」では、竹村京が2016年にルーヴル美術館で大きく破損した状態で発見されたのち、同館所蔵となった旧松方コレションのクロード・モネ《睡蓮、柳の反映》に着目。

最低限の保存処置のみ施されていた縦199.3×横424.4cmという巨大な油彩画の欠損部分を、半透明の布に絹糸で想像的に補完し、二重構造にして見せる作品《修復されたC.M.の1916年の睡蓮》を発表しました。

竹村京《修復されたC.M.の1916年の睡蓮》(2023–2024)釡糸、絹オーガンジー 作家蔵

竹村は、過度な修復により、ある時期に作られた作品がさまざまな時代の人々が考えた「物言い」によって上書きされてしまうことに否定的です。本作では、失われた過去の記憶を「西洋絵画を日本語に変換するよう」に、可逆的に解くことのできる絹糸で繊細に翻訳しなおす作業により、作品に輝きを与えつつ欠損をありのままに肯定しながら未来に残すという保存方法が実践されています。

竹村京《修復されたC.M.の1916年の睡蓮》部分(2023–2024)釡糸、絹オーガンジー 作家蔵

最終章の第7章「未知なる布置をもとめて」では、杉戸洋、梅津庸一、坂本夏子、2014年に亡くなった辰野登恵子の作品を、クロード・モネ、ポール・シニャック、ジャクソン・ポロックなど、かつての高度に実験的であった絵画と同じ空間でシンプルに対峙させることで、日本の「現代美術」と呼ばれるものについて思考し、その実験性の射程をはかろうと試みています。

第7章の展示
第7章の展示/ 左から辰野登恵子《Work 85-P-5》(1985)、ジャクソン・ポロック《ナンバー8、1951 黒い流れ》(1951)
第7章の展示/ 左からポール・シニャック《サン=トロペの港》(1901-02)、坂本夏子《入口》(2023)

本展企画者である国立西洋美術館 主任研究員の新藤淳氏は、本展の準備過程で「率直に申し上げて、国立西洋美術館というのはいまの気鋭のアーティストたちを触発する場とはなりえてこなかったのではないかという想いが強く残りました」と話します。本展の参加アーティストの中には、国立西洋美術館という場やそのコレクションから着想を得た者もいるが、それは機会を用意したからであると。

そのため、最終章では国立西洋美術館のコレクションがいまを生きるアーティストをどのように触発してきたか/しうるかを問うのはやめ、「過去の作品に今日のペインターたちの絵がいかに拮抗しうるかを問いたいと考えました。そこで作家間の時代を超えた相互の問題意識の類似や差異が浮かび上がればと思っています」と構成意図を説明しました。


新藤氏が「自分のキュレーションの手つきというもの自体にご批判も多くあるだろう」とも語る本展は、さまざまな声が挙がることが織り込み済みというより、むしろ積極的に批判を求めている印象を受けます。国立西洋美術館やそのコレクションの在り方に、参加アーティストたちがどのようなメッセージを発したのか。これが日本の現代美術界にどのように影響していくのか。ぜひ足を運んでいただき、鋭い眼差しでその全貌を確認していただきたいです。

「ここは未来のアーティストたちが眠る部屋となりえてきたか?──国立西洋美術館65年目の自問|現代美術家たちへの問いかけ」概要

会期 2024年3月12日(火)~5月12日(日)
会場 国立西洋美術館 企画展示室
開館時間 9:30~17:30(金・土曜日、4月28日[日]、4月29日[月・祝]、5月5日[日・祝]及び5月6日[月・休] は9:30~20:00)
※入館は閉館の30分前まで
休館日 月曜日、5月7日(火)
※ただし、4月29日(月・祝)、4月30日(火)、5月6日(月・休)は開館
観覧料 一般2,000円、大学生1,300円、高校生1,000円

※中学生以下は無料
※心身に障害のある方及び付添者1名は無料
その他、詳細は公式HPにてご確認ください。

主催 国立西洋美術館
問い合わせ 050-5541-8600(ハローダイヤル)
展覧会公式ページ https://www.nmwa.go.jp/jp/exhibitions/2023revisiting.html

※記事の内容は取材時点のものです。最新情報は展覧会公式ページ等でご確認ください。

記事提供:ココシル上野


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【上野の森美術館】令和5年度 台東区障害者作品展「森の中の展覧会」会場レポート。応募数254点、芸術に携わる喜びの輪が広がる

上野の森美術館
「森の中の展覧会」会場風景

2024年3月6日~3月10日の期間、上野の森美術館では令和5年度 台東区障害者作品展「森の中の展覧会」が開催されました。

※作品に使用されている素材の表記については作家(送付者)の申請に準拠しています。

「森の中の展覧会」会場風景

障害のある方のなかには、心理的なハードルがあり作品をなかなか世に出せない方や、そもそもこれまで創作活動に触れてこなかったという方が少なくありません。「森の中の展覧会」は、そうした方々に美術館に作品を展示する機会を通して、主体的に芸術に携わる楽しさ、誰かに自分の作品を認めてもらう喜びを知ってもらおうと、台東区と上野の森美術館が共催して企画した展覧会です。開催は今年で3回目、入場無料です。

出品者は台東区に在住・在学・在勤または区内の障害者施設・団体等を利用している障害のある方で、昨年の214点を上回る254点もの作品が集まりました。

台東区立金竜小学校《真夜中のピエロ》画用紙

会場に入って最初に来場者を出迎えたのは、金竜小学校の児童が制作した「真夜中のピエロ」というカラフルな作品群。マーブル模様のように色を付けた画用紙を思い思いの形に切り取ってピエロを象っています。こちらを笑わせようとしているような優しい風貌のピエロがいるかと思えば、刃物を持ったおどろおどろしいピエロの姿も。基本の型が同じでも、それぞれが表現するピエロのイメージが非常に個性的で、一つひとつが目を惹きつけるパワーに溢れ、この先の展示に対してもワクワクと期待を抱かせてくれました。

会場風景
台東区立浅草中学校 F・M《愛犬「ハル」》マスキングテープ
M《エトピリカ》クレパス

壁面での展示が可能な平面作品という規定はあるものの、題材や素材は自由なので、水彩・アクリル・色鉛筆等を用いた絵画、ちぎり絵、折り紙、粘土、書など、バリエーション豊かな表現を味わえるのも本展の魅力です。

会場風景
山上 ガセイ《美容室》アクリル、油性ペン
伊藤:: 大∴作∴《生命の存在》アクリル絵の具、石粉粘土、板パネル(ミクストメディア)

また、本展では特に優秀だと判断された作品に対して賞が授与されます。今年は武蔵野美術大学学長の樺山祐和さんや画家の遊馬賢一さん、書道家の蕗野雅宣さんが審査をつとめました。

今年は優れた作品が多かったこともあり、昨年までの台東区長賞、上野の森美術館賞、優秀賞、佳作に加え、審査員特別賞を新設。また、惜しくも入賞を逃した作品についても入選作品として紹介されることになりました。

台東区長賞、森村真衣子《盛》アクリル絵の具・色鉛筆・エポキシ樹脂 等

台東区長賞には森村真衣子さんの《盛(さかり)》が選ばれました。

作家コメント:「森」という漢字には”木々が集まる様”が表されていますが、この作品「盛」をとおして、普段は疎遠になってしまっていた人達の思いが集まり楽しい気持ちをもって新たな人生の歩みへ続く物になってもらえたら幸いです。

審査委員から「見ていて飽きない」「玉手箱を開けたような感じ」と評された本作は、タイトル通りまさに「盛」りだくさんに、さまざまな要素が混然一体となって、絶妙な感覚で細部まで詰め込まれた力作です。

台東区長賞、森村真衣子《盛》アクリル絵の具、色鉛筆、エポキシ樹脂 等

いつの時代、どこの国とも判断できない、鳥や卵が象徴的に登場する不思議な世界が、エポキシ樹脂で層を作ることで立体感とともに広がっています。多様なマテリアルが用いられており、右上にある緑の木のような部分は、よく見ればパンの袋を閉じるプラスチックの留め具(バッグ・クロージャー)の形に切った厚紙で作られているなど、出展作品のなかでも頭一つ抜けた独創性を披露していました。

上野の森美術館賞、嶋田勝弘《未来》水彩ペン、マジックペン
優秀賞、放課後デイサービス獏のたまご《春が来た》絵の具、クレヨン、毛糸
佳作、ともだち《雲雀》墨汁
審査員特別賞、Candy 純子《3人の十字架》ぺんてるクレヨン

会場を巡っているうちに、前回の開催時に記憶に残る作品を制作されていた方のお名前が、今回も多く見受けられたことに気づきました。調べてみると、じつは台東区長賞の森村真衣子さんも、第1回で上野の森美術館賞を受賞されていたとのこと。

本展の担当者にお話を伺うと、「開催3回目にしてすでに“おなじみ”の作家さんがでてきています。ご自身の作風を貫きつつも技術を高めてきた方もいれば、ガラリと異なるアプローチの作品を送ってくださった方もいて、本展が創作のモチベーションになっているのかなと思うとうれしいですね」と笑顔をみせます。

佳作、哘 博考《ワン☆ショット》アクリル絵の具、画用紙/ 昨年は色鉛筆の作品で台東区長賞を受賞した哘 博考さんは、今年は切り絵で佳作に選ばれるという多才ぶり。

台東区では「障害者アーツ事業」の一環で、区内の障害者施設に美術講師を派遣して美術ワークショップを開催しています。最近では本展の評判を知った施設側から「ぜひうちでもワークショップをやってほしい」と声が上がることも増えているそうで、着実に本展が周知されつつあるのを実感しているといいます。

「そうやってワークショップに参加してくださった施設の皆さんが、団体で本展に足を運び、喜びを共有していらっしゃる様子は、私たちにとっても大きなモチベーションになっています」と担当者。

卓上カレンダー

なお、今年から受賞作品を絵柄に採用した卓上カレンダーを制作したとのこと。(今年のカレンダーは前回・前々回の受賞作品を掲載)

来年のカレンダーには今回の受賞作品が掲載されるそうで、このように作品を見てもらう機会を増やすことは、作家たちのさらなる意欲向上につながっていくことでしょう。技術を高めて新作を発表する常連作家のなかには、いずれ美術界で躍進を遂げる方もいるかもしれませんので、今後も注目していきたいです。

なお、2024年3月21日(木)~4月19日(金)まで台東区役所1階 アートギャラリーにて受賞作品の一部が展示されますので、ご興味のある方はぜひ足を運んでみてください。

令和5年度 台東区障害者作品展「森の中の展覧会」概要

会期 2024年3月6日 (水) 〜 3月10日 (日)
会場 上野の森美術館
入場料 無料
WEB https://www.city.taito.lg.jp/bunka_kanko/culturekankyo/events/shougaiarts/r5morinonakanotenran.html

※記事の内容は取材日(2024/3/6)時点のものです。

 


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【東京都美術館】「印象派 モネからアメリカへ ウスター美術館所蔵」取材レポート。海を越えて広がった印象派の多彩な表現を体感

東京都美術館

 

パリで開催された第1回印象派展から150周年を迎えた2024年。東京都美術館では、アメリカのウスター美術館のコレクションを中心に、西洋美術の伝統を覆した印象派が欧米へもたらした衝撃と影響をたどる展覧会「印象派 モネからアメリカへ ウスター美術館所蔵」が開催中です。会期は2024年4月7日まで。

エントランス/「印象派 モネからアメリカへ ウスター美術館所蔵」展示風景、東京都美術館、2024年
「印象派 モネからアメリカへ ウスター美術館所蔵」展示風景、東京都美術館、2024年

1898年に開館したアメリカ・ボストン近郊に位置するウスター美術館は、古代エジプト、古代ギリシャ・ローマの古典美術から世界各地の現代アートまでおよそ4万点を所蔵しています。なかでも印象派は開館当時のコンテンポラリーアート(同時代美術)として積極的に収集しており、現在でもコレクションの重要な位置を占めています。

本展は、西洋美術の伝統を覆した印象派の革新性とその世界的な広がりに注目。ほとんどが初来日となる同館の印象派コレクションを中心に、モネやルノワールなどよく知られたフランスの印象派だけでなく、これまで日本で紹介される機会が少なかったチャイルド・ハッサムなどアメリカの印象派を代表する作家らも含めた、40人以上の油彩画約70点を紹介するものです。

展示は全5章構成。第1章「伝統への挑戦」では、祖国フランスの身近な風景や自然に美しさと新しい主題を見出したバルビゾン派やレアリスムの画家たちが、宗教画や歴史画を頂点とする伝統的な絵画のヒエラルキーを覆すという、19世紀前半に起きた印象派の先駆けとなる動きを紹介しています。

トマス・コール《アルノ川の眺望、フィレンツェ近郊》1837年、ウスター美術館蔵
ジャン=バティスト=カミーユ・コロー《幸福の谷》1873年、ウスター美術館蔵
左から、ギュスターヴ・クールベ《女と猫》1864年、ウスター美術館蔵/ジュリアン・デュプレ《干し草作り》1886年、ウスター美術館蔵

同時期のアメリカでも自国の雄大な自然に対する関心が高まり、アメリカ的な風景が人気を博しました。同章ではそうした大西洋両岸における風景画の台頭を比較することができます。

ウィンスロー・ホーマー《冬の海岸》1892年、ウスター美術館蔵

19世紀後半のアメリカを代表する画家ウィンスロー・ホーマーは、フランス印象派の登場以前から戸外制作を作品に不可欠な要素として取り入れていました。《冬の海岸》(1892)は画業後半、海や海と対峙する人々を描くことに注力していた時期の作品で、メイン州海岸の打ち寄せる荒波の描写に直感的で大胆な筆づかいが用いられ、ホーマーの印象派的な側面を示しています。

カミーユ・ピサロ《ディエップの船渠デュケーヌとベリニー、曇り》1902年、ウスター美術館蔵

第2章「パリと印象派の画家たち」では、アカデミーの伝統から離れ、戸外へ赴いて目に映る世界を鮮やかな色彩と大胆な筆づかいで描きだしたクロード・モネ、カミーユ・ピサロ、ピエール=オーギュスト・ルノワールといった第1回印象派展のメンバーの作品を展示。加えて、その後の印象派展に参加した唯一のアメリカ人である女流画家メアリー・カサットや、“アメリカのモネ”とも評されるチャイルド・ハッサムのパリ留学時代の作品も見ることができます。

ピエール=オーギュスト・ルノワール、《闘牛士姿のアンブロワーズ・ヴォラール》1917年、日本テレビ放送網株式会社蔵
メアリー・カサット《裸の赤ん坊を抱くレーヌ・ルフェーヴル(母と子)》1902-03年、ウスター美術館蔵
チャイルド・ハッサム《花摘み、フランス式庭園にて》1888年、ウスター美術館蔵

同章で紹介されるモネの《睡蓮》(1908)は本展の見どころのひとつ。池に溶け込んでいくように輪郭を失いつつある睡蓮や水面に映り込んだ木々、幻想的な色彩など、印象派の風景画ではありつつも、晩年の作品に顕著に表れる抽象表現の兆しがみられる作品です。

クロード・モネ《睡蓮》1908年、ウスター美術館蔵

モネは後半生を過ごしたパリ郊外のシヴェルニーで、自らつくり上げた「水の庭」に浮かぶ睡蓮を250点以上描き続けました。本作は1909年にパリのデュラン=リュエル画廊で発表した〈睡蓮〉連作のうちの1点で、翌年ウスター美術館が直接画廊から購入したもの。今日さまざまな美術館の目玉として収蔵されている《睡蓮》ですが、世界で初めてモネの《睡蓮》を購入した美術館は、じつはウスター美術館だったのです。

書簡の展示/「印象派 モネからアメリカへ ウスター美術館所蔵」展示風景、東京都美術館、2024年

会場では本作購入について同館と画商の間で交わされた書簡(複製)も紹介しており、初代館長による理事会の説得や支払期限の延長など、手紙と電報を駆使した生々しいやり取りも知ることができました。

アンデシュ・レオナード・ソーン《オパール》1891年、ウスター美術館蔵

第3章「国際的な広がり」では、パリで得た印象派のエッセンスを母国へ持ち帰り、芸術的実践に応用したアメリカのジョン・シンガー・サージェントやスウェーデンのアンデシュ・レオナード・ソーン、ベルギーのアルフレッド・ステヴァンス、日本の黒田清輝や久米桂一郎といった画家たちの作品を展示。

左はジョン・シンガー・サージェント《キャサリン・チェイス・プラット》1890年、ウスター美術館蔵
左から、久米桂一郎《林檎拾い》1892年、久米美術館蔵/久米桂一郎《秋景》1895年、久米美術館蔵
斎藤豊作《風景》1912年頃、郡山市立美術館蔵

その多くはフランス印象派の様式を完全に模倣したものでなく、さまざまな地域の文化や社会と融合しながら独自に昇華され、印象派にかかわりのなかった画家やフランスを訪れたことのない画家にも波及しながら多様なかたちで展開されていったことを伝えています。

印象派が国際的に広がっていくなかで、とくにアメリカにおいてどのような受容を辿ったのかを紹介する第4章「アメリカの印象派」は本展のハイライト。

1880年代半ば、アメリカの画商や収集家の間でヨーロッパの印象派が流行し、需要に応えるため多くのアメリカ人画家がフランスに渡ります。批評家が若い画家たちに求めたのは「ヨーロッパの主題から離れた母国アメリカの美」を見出すことだったため、引き続きニューイングランドの田園風景や近代化する都市風景などアメリカらしさを感じる画題が好まれました。

ジョン・ヘンリー・トワックマン《滝》1890年頃、ウスター美術館蔵
ジョゼフ・H・グリーンウッド《リンゴ園》1903年、ウスター美術館蔵

現地で学んだ印象派の様式をいち早く制作に取り入れ、サマースクールや芸術家コロニーを通じてアメリカ各地に広げた立役者が、第2章でも登場したチャイルド・ハッサムです。

ボストン生まれのハッサムは、1883年のヨーロッパ旅行中に初めて訪れたパリで印象派の作品に触れ、1886年から1889年にかけてはパリに留学。帰国後はニューヨークに定住して成功を収め、アメリカにおける印象派の代表的画家となりました。同章では主題の異なる作品3点が制作年順に展示され、第2章の《花摘み、フランス式庭園にて》(1888)とあわせて画風や関心の変遷を追うことができます。

チャイルド・ハッサム《コロンバス大通り、雨の日》1885年、ウスター美術館蔵

落ち着いた色調とやわらかな筆づかいでボストンの雨の大通りを描いた《コロンバス大通り、雨の日》(1885)では、遠景のかすむ街の大気やつややかな舗道の光の表現に印象派の影響が感じられます。

チャイルド・ハッサム《シルフズ・ロック、アップルドア島》1907年、ウスター美術館蔵

パリ留学後に制作された、モネの断崖の風景画を思わせる《シルフズ・ロック、アップルドア島》(1907)はガラリとタッチが変わり、細長い筆触の向きを変えながら岩肌や波を巧みに描き分けています。同じ場所でも景色は絶えず変わりつづけるという考えのもと、モネの連作のようなアプローチで、アップルドア島の風景をさまざまな視点や状況でいきいきと描いたなかの1点です。

チャイルド・ハッサム《朝食室、冬の朝、ニューヨーク》1911年、ウスター美術館蔵

《朝食室、冬の朝、ニューヨーク》(1911)では、高層ビルの建設や自動車の普及など近代的な大都市へ変貌するニューヨークの喧噪を避けるようにカーテンで遠ざけ、洗練された中上流階級の都市生活に焦点を当てています。ハッサムは1909年から本作のような、部屋にひとりでいる女性を描いた〈窓〉シリーズを手掛けていました。カーテン越しに描かれた摩天楼はニューヨークの近代建築の象徴として称えられたマンハッタンのフラットアイアン・ビルディングと考えられており、巧みにアメリカらしさが表現されています。

左はエドマンド・チャールズ・ターベル《ヴェネツィアン・ブラインド》1898年、ウスター美術館蔵

エドマンド・チャールズ・ターベルは「ターベライト(ターベル信奉者)」という言葉が生まれるほど多くのフォロワーが現れたボストン美術界の重要人物であり、美術教師として学生たちにパリで学んだ印象派をもとにした地域特有の表現様式を広めました。

《ヴェネツィアン・ブラインド》(1898)は光と豊かな色彩に印象派らしさを感じますが、伝統的な造形と細部の描写に力を入れているのはボストン派の画家らしい特徴です。レンブラントに代表されるバロック絵画の明暗法のような、ブラインドから差し込む光で情景を照らすことで生まれるドラマチックな光と影のコントラストが印象的でした。

ポール・シニャック《ゴルフ・ジュアン》1896年、ウスター美術館蔵

最後のセクションとなる第5章「まだ見ぬ景色を求めて」では、光学や色彩理論にもとづく点描技法を採用したポール・シニャックや、フォーヴィスムへの傾倒を経てキュビスムの創始者となったジョルジュ・ブラックといった、印象派の衝撃のあとに新しい絵画の探究を続けた画家たちの作品を展示。

ジョルジュ・ブラック《オリーヴの木々》1907年、ウスター美術館蔵
左から、マックス・スレーフォークト《自画像、ゴートラムシュタインの庭にて》1910年、ウスター美術館蔵/ロヴィス・コリント《鏡の前》1912年、ウスター美術館蔵

ジョージ・イネスドワイト・ウィリアム・トライオンは、19世紀末頃にアメリカで流行した絵画様式「トーナリズム(色調主義)」の代表的な画家です。印象派が大胆な色彩と視覚に固執したのに対し、トーナリズムは灰色や青といった落ち着いた色調を使用して静謐さや情感的な雰囲気、目には見えないものを描写することを重視しました。

ジョージ・イネス《森の池》1892年、ウスター美術館蔵

スウェーデンの神秘主義者エマニュエル・スウェーデンボルグの信奉者であったイネスの晩年の作品は、形而上学的な傾向が強まりました。《森の池》(1892)に見られるような霧がかった大気の表現は、現実と神の世界、目に見えるものと見えないものを同時に表す精神的風景を描いているといいます。

一方のトライオンは《秋の入り口》(1908-09)で、マサチューセッツ州サウス・ダートマスの田園風景を、絵具の柔らかな扱い方や繊細な光の輝きによって神秘に満ちた絶景の理想郷へと変貌させています。

ドワイト・ウィリアム・トライオン《秋の入り口》1908-09年、ウスター美術館蔵

南北戦争の影響を引きずっていたアメリカ国民にとって、こういったトーナリズムの目に見えない情緒深い情景が精神的な安らぎとなりました。

デウィット・パーシャル《ハーミット・クリーク・キャニオン》1910-16年、ウスター美術館蔵

パリで生まれ、美の常識を変え、画家たちを厳格なルールから解き放った印象派をグローバルな視点で紹介する「印象派 モネからアメリカへ ウスター美術館所蔵」の開催は2024年4月7日(日)まで。これまで日本であまり紹介されてこなかった、アメリカを中心とするフランス以外の印象派の魅力を楽しめる貴重な機会です。日本初公開の作品が多数ですので、ぜひこの機会をお見逃しのないよう足を運んでみてください。

フォトスポットも多数用意されていました。

「印象派 モネからアメリカへ ウスター美術館所蔵」概要

会期 2024年1月27日(土)~ 4月7日(日)
会場 東京都美術館
開室時間 9:30-17:30、金曜日は20:00まで(入室は閉室の30分前まで)
休室日 月曜日、2月13日(火)
※ただし2月12日(月・休)、3月11日(月)、3月25日(月)は開室
観覧料(税込) 一般 2,200円、大学生・専門学校生 1,300円、65歳以上 1,500円

※土曜・日曜・祝日及び4月2日(火)以降は日時指定予約制(当日空きがあれば入場可)
※高校生以下無料。
その他、詳細は展覧会公式サイトでご確認ください。

主催 公益財団法人東京都歴史文化財団 東京都美術館、日本テレビ放送網、 日テレイベンツ、BS 日テレ、読売新聞社
お問い合わせ 050-5541-8600(ハローダイヤル)
展覧会公式サイト https://worcester2024.jp

※記事の内容は取材時点のものです。最新情報は公式サイト等でご確認ください。


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本阿弥光悦が見出した、深遠なる美意識。
【東京国立博物館】特別展「本阿弥光悦の大宇宙」(~3/10)内覧会レポート

東京国立博物館
国宝《舟橋蒔絵硯箱》本阿弥光悦作 江戸時代 17世紀 東京国立博物館蔵

戦乱の時代に生き、芸に秀で、革新的な作品を生み出した本阿弥光悦。

東京国立博物館 平成館で開催される特別展「本阿弥光悦の大宇宙」はその題目通り、作品の数々を通じて彼の信仰や内面世界に光を照射する。

本記事では開催前日に行われた報道内覧会の様子をレポートする。

本阿弥光悦とは?

江戸時代初期に活躍した「本阿弥光悦」(ほんあみこうえつ)は、日本刀鑑定の名門家系に生まれ、後世の日本文化に大きな影響を与えた芸術家です。
家職である刀剣の分野で優れた目利きの技量を発揮し、徳川将軍家や大名たちに一目置かれていたのみならず、能書(書の名人)としても知られ、さらに陶芸や漆芸、出版などさまざまな造形に関わり、優れた作品を後世に残しました。

「一生涯へつらい候事至てきらひの人」で「異風者」(『本阿弥行状記』)
と評された光悦が、その篤い信仰と煌めく精神によって作り上げた優品の多くが国宝や重要文化財に指定されるなど、今なお高い評価を受けています。

異風者、本阿弥光悦の美意識に迫る

展示会場風景
国宝《刀   無銘  正宗(名物  観世正宗)》相州正宗 鎌倉時代 14世紀 東京国立博物館蔵
能書として知られた光悦が手がけた迫力のある扁額が並ぶ
重要文化財《花唐草文螺鈿経箱》本阿弥光悦作 江戸時代 17世紀 京都・本法寺蔵
8K映像「本阿弥光悦の大宇宙」では4つの作品を通じ、光悦の美の世界に迫る ©NHK

本展覧会は、

第1章 本阿弥家の家職と法華信仰―光悦芸術の源泉
第2章 謡本と光悦蒔絵―炸裂する言葉とかたち
第3章 光悦の筆線と字姿―二次元空間の妙技
第4章 光悦茶碗―土の刀剣

という章立てにより、優品の数々を通じて本阿弥光悦の美意識に迫ります。

光悦自身の手による書や作陶のみならず、同じ信仰のもとに参集した工匠たちがかかわった蒔絵や同時代の社会状況に応答して生み出された作品を展示。さらに本阿弥家の信仰とともに当時の法華町衆の社会にも注目しており、総合的に光悦の有り様を見通すことができる展示構成となっています。

特に、最終章となる第4章「光悦茶碗—土の刀剣」には本阿弥光悦作の《黒楽茶碗   銘  時雨》(重要文化財)など、息を呑むほどの優美な名椀が多数展示され、まさに本展の白眉といった趣を湛えています。

こちらでは、それぞれの章に展示された作品の中からジャンルごとにピックアップした作品をご覧いただきます。

国宝《舟橋蒔絵硯箱》本阿弥光悦作 江戸時代 17世紀 東京国立博物館蔵

文学世界と書が織りなすイメージの連環

本展の会場入口に鎮座し、その輝きと造形で来場者を驚かせる国宝《舟橋蒔絵硯箱》
本阿弥光悦(1558-1637)の代表作として有名な硯箱で、蓋を高く山形に盛り上げているのが特徴的。全体は角を丸くした方形で、蓋を身より大きく造った被蓋(かぶせぶた)に造っています。

箱の全面に金粉を密にまいて波の地文に小舟を並べ、その間を細かい波紋で埋めており、さらに銀製の歌文字を高く嵌め込んでいます。

重要美術品《短刀   銘   兼氏   金象嵌   花形見》志津兼氏 鎌倉~南北朝時代 14世紀     《(刀装)刻鞘変塗り忍ぶ草蒔絵合口腰刀》江戸時代 17世紀

本阿弥家の審美眼によって選び抜かれた名刀

光悦の指料(さしりょう)として伝えられている唯一の刀剣が、約40年ぶりに公開されています。

作者の兼氏は、美濃国(現岐阜県)志津で鎌倉時代末期から南北朝時代前半に活躍した刀工。指裏には光悦の筆と伝わる「花形見」の金象嵌があり、付属する刀装には金蒔絵による忍ぶ草が鞘全体を包み込むように細やかにあらわされ、非常に華やかです。

花形見の金象嵌と忍ぶ草の金蒔絵、その言葉や意匠の意味を読み解くと、光悦の秘めた想いが見えてくるのでしょうか。

重要文化財《鶴下絵三十六歌仙和歌巻》(部分)本阿弥光悦筆/俵屋宗達下絵 江戸時代 17世紀 京都国立博物館蔵

光悦充実期の代表作

飛び渡る鶴の群れを金銀泥で描いた料紙に、平安時代までの三十六歌仙の和歌を散らし書きした一巻。鶴の上昇と下降、群れの密度に合わせて、字形と字配りを巧みに変化させており、その躍動感に驚かされます。
俵屋宗達筆とされる下絵と協調し、あるいは競い合うように展開するその書は、光悦が最も充実した作風を示した時期の代表作と評されています。

本展覧会では全巻が一挙に公開されるため、大変貴重な機会となります。

重要文化財《黒楽茶碗   銘   時雨》 本阿弥光悦作 江戸時代 17世紀 愛知・名古屋市博物館蔵

いまなお圧倒的な存在感を放つ名碗

楽茶碗は手づくねで成形し、箆で削り込んでつくりあげていきますが、光悦が手がけたとされる茶碗には、それぞれ各所に光悦自身の手の動きを感じさせるような作為が認められます。
しかし本作品ではそれが抑えられ、全体に静謐な印象を与えているのが特徴。名古屋の数寄者・森川如春庵が16歳の若さで手にしたことでも知られています。

開催概要

会期 2024年1月16日(火)~3月10日(日)
※会期中一部作品の展示替えあり
会場 東京国立博物館 平成館(上野公園)
開館時間 930分~17
※最終入館は閉館の30分前まで
休館日 月曜日、2月13日(火)
※ただし2月12日(月・祝)は開館
観覧料 一般  2,100円
大学生 1,300円
高校生  900円

※混雑時は入場をお待ちいただく可能性があります。
※中学生以下無料。入館の際には学生証をご提示ください。
※障がい者とその介護者1名は無料。入館の際に障がい者手帳等をご提示ください。
※本展観覧券で、ご観覧当日に限り総合文化展もご覧いただけます。
詳細は展覧会公式サイトチケット情報のページでご確認ください。

展覧会公式サイト https://koetsu2024.jp/

※記事の内容は取材時のものです。最新の情報と異なる場合がありますので、詳細は展覧会公式サイト等でご確認ください。また、本記事で取り上げた作品がすでに展示終了している可能性もあります。


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