【朝倉彫塑館】特別展「ワンダフル猫ライフ 朝倉文夫と猫、ときどき犬」取材レポート。猫好きの彫刻家が切り取った愛くるしい日常

台東区立朝倉彫塑館
展示風景、左から朝倉文夫《猫(金メタリコン)》1914年、《原題不明(背伸びする)》1919年頃

日本近代彫刻界をけん引した彫刻家であり、愛猫家としても知られる朝倉文夫。彼の猫をモチーフとした彫刻作品を一堂に集めた、朝倉文夫没後60年特別展「ワンダフル猫ライフ 朝倉文夫と猫、ときどき犬」が台東区立朝倉彫塑館にて開催中です。会期は2024年12月24日(火)まで。

※紹介している作品はすべて朝倉彫塑館所蔵です。

朝倉彫塑館
展示風景、手前は左から朝倉文夫《餌ばむ猫》1942年、《眠り》1946年

彫刻家 朝倉文夫(1883-1964)は、対象のあるがままの姿を写しとる「自然主義的写実」の表現を徹底して探求する姿勢から、《墓守》や《大隈重信像》といった肖像彫刻の傑作を生みだし、1948年には彫刻家として初めて文化勲章を受章。制作のかたわら、首席で卒業した東京美術学校(現東京藝術大学美術学部)で教鞭をとったほか、アトリエ兼住居であった朝倉彫塑館で「朝倉彫塑塾」を主宰するなど、後進の育成も熱心につとめました。

そんな朝倉は、無類の愛猫家としても知られ、一時は19匹もの猫を邸宅で飼っていたといいます。ときに飼い猫たちをモデルにしながら、猫の彫刻もほぼ生涯にわたって制作。1964年には自身の彫刻家人生60年と東京オリンピックの開催を記念し、猫のさまざまな姿を捉えた「猫百態展」を企画します。

しかし、オリンピックを目前にした4月に、病により享年81歳で死去し、「猫百態展」の開催は叶わずじまいに。その夢は関係者たちに引き継がれ、終の住処であった朝倉彫塑館で1994年と2017年に特別展として実現しました。

今回の特別展「ワンダフル猫ライフ 朝倉文夫と猫、ときどき犬」もまた、「猫百態展」と同様に、猫作品に焦点を当てたものですが、過去の展覧会と異なるのはその展示方法です。

「猫の作品をただ並べるだけではなく、ここ(朝倉彫塑館)で朝倉が猫たちとどう過ごしたのか、猫たちの生活はどのようなものだったかを意識しながら展示しました」と話すのは、朝倉彫塑館の主任研究員・戸張泰子さん。

左から朝倉文夫《墓守》1910年、《原題不明(眠る)》制作年不詳/ 大きな窓から陽光が降り注ぐなか座布団で眠る猫を、朝倉に代わって代表作《墓守》が微笑みながら見下ろしている心温まる構図。
朝倉文夫《追羽子》1919年/ はねつきのはねを目で追う猫の前方を確認すると、実際にはねが宙を舞っているなど細かな演出も。

あまり知られていませんが、朝倉は猫だけではなく犬も飼っていました。愛犬をモデルにした作品は確認できませんが、少数ながら犬の作品も制作しており、それらも加えてより賑やかに、かつての暮らしをイメージしやすい展示を心がけたとのこと。

朝倉文夫《スター》1920年

出展作品は、猫のブロンズ像を中心に、猫のスケッチや猫に関する直筆の俳句などを加えた53点。朝倉にとって重要な制作の手段であった写真もあわせて紹介されています。

メインの展示空間であるアトリエに入ってまず来場者を出迎えるのは、出品記録に残るものとしては最も初期の猫作品、《吊された猫》(1909)です。

朝倉文夫《吊された猫》1909年

第3回文展に出品された、当時としては斬新な構図の作品で、猫の首をつまみ上げる力の入った腕と、猫のぶらりと弛緩した体の対比が見どころです。もの言いたげな猫の表情には思わず笑みが浮かびました。よく見れば猫の後足がわずかに緊張している様子で、東京美術学校を卒業して間もない若き朝倉がすでに持ち得た、対象を捉える鋭い観察眼、そして卓越した表現力を感じることができます。

戸張さんによれば、本作のような他愛のない日常を写しとった小品を文展に出品したという事実を、朝倉と親交のあった彫刻家であり、忌憚のない美術評論家でもあった高村光太郎が評価したエピソードがあるそう。

「それまでの文展というと、人体の美を追求したものや、抽象的なテーマを表現した具象人体などが、もっと等身の大きな作品として多く出品されていました。そのような状況にあって、猫をただの猫として扱ったことを高村は評価しました。朝倉はこうした日常の場面を切り取った小品でも作品として成立するのだと、高村の言葉から自信を得たように思います。だからこそ朝倉は、猫の作品を生涯作り続けたのかもしれません」(戸張さん)

左から高村光太郎《手》1918年、朝倉文夫《腕》1909年頃

一方で高村は、本作における腕の表現の硬さを指摘したといいます。同年制作されたと思しき《腕》(1909年頃)は、いずれの展覧会にも出品の記録が残っていない点からも、朝倉が高村の批評を真摯に受け止め、練習として制作したものと考えられているとか。

会場では《腕》のほか、その10年後に高村光太郎によって制作された《手》(1918)も併置。留学資金を集める高村に対して朝倉が「手一本でも足一本でも」とかつての批評にも通じる言葉で、素性を明かさずに自由な制作を依頼したものです。それだけでも高村にはピンとくるものがあったのか、結局は朝倉からの依頼だとバレたそう。二人の彫刻家としての交流の様子がうかがえる展示となっています。

朝倉文夫《よく獲たり》1946年

《吊された猫》から約40年後に制作された後期の作品《よく獲たり》(1946)に視線を移すと、その技巧の洗練ぶりに驚きます。ネズミをくわえた一瞬の、首周りの筋肉のこわばり、どう猛な顔つき、抵抗するネズミの動きに備えている前足のバランス感。この後に飛び降りる様子まで容易に想像できるリアルさは、まるで実際にその瞬間の猫を型で取ったかのようです。

猫の気まぐれな動きや気質、そのすべてを好んでいたという朝倉は、猫独特のしなやかな動きを生み出す骨格にも強い関心を払っていたそう。骨格標本で勉強していたのはもちろん、「(朝倉の)お嬢さんがおっしゃるには、朝倉はいつも猫を膝の上にのせて撫でていましたが、それはかわいがるためだけではなく骨格や筋肉の付き方を探り、確かめるためだったのではないかということです」と戸張さん。厳格な写実主義を追求した朝倉らしさがあふれるエピソードです。

《骨格標本(猫)》/朝倉が参考にしていたさまざまな骨格標本も展示。あまりに猫に詳しいので「猫博士」と呼ばれたことも。

同じ眠る姿でも、前足に頭をうずめているか否か、耳やしっぽの形が異なる様子なども忠実に表現。そのほか、伸びをしたり、子猫に乳を与えたり、子猫どうしで寄り添ったりと、猫たちのポーズのバリエーションはじつに豊かです。

朝倉文夫《親子猫》1936年

一見、ただ座っているだけに見える《産後の猫》(1911)は、南洋での視察を終えて家に帰った朝倉を、二日前に子供を生んだばかりの飼い猫が出迎えたときの様子を作品にしたもの。くたびれたようなうつむき加減です。

朝倉文夫《産後の猫》1911年

朝倉は、出産の疲労を訴えるとともに、仔猫の生まれた悦びを報告するように膝に甘えてくる愛猫の姿に、制作意欲をかき立てられたそう。他の猫作品と比べて細部の表現のデフォルメが多い理由について、戸張さんは「猫の姿というより、猫の感情、疲れや悦びそのものを捉えようとしていたのかも」との見解を示しました。

朝倉文夫《愛猫病めり》1958年

一方で、痩せて皮膚がたるみ、毛艶もなくなった愛猫がお尻を上げて痛みに耐えている姿を捉えた晩年の《愛猫病めり》(1958)は、他の作品に見られるある種のやわらかさがそぎ落とされ、目をそらしたくなるような病や死にも正面から向き合う芸術家としての覚悟と悲哀を感じさせるものでした。

朝倉にとって猫作品は、依頼を受けて制約の中でつくる肖像彫刻などとは異なり、肩の力を抜いて自由に、自身の創作意欲にまかせてつくるものであったようです。題材として扱いやすいとはいいがたい姿をあえて造形化しているのも、愛おしい記憶ごと写真や日記のように残したいという、愛猫家としての率直な想いによるものなのでしょうか。そうした姿勢は、朝倉の猫作品がもつ魅力の源にもなっています。

朝倉文夫《たま(好日)》1930年/ 朝倉になった気分で猫作品に触ることができる展示も。
朝倉文夫《たま(好日)》1930年/《たま(好日)》に関しては石膏原型との比較も楽しめます。

そのほか会場では、朝倉のブロンズ作品にまつわる、ガス型鋳造と呼ばれる制作工程を紹介した17分ほどの動画も上映中。まず粘土で作品をつくり、石膏で型取りして原型をつくり、さらにそれを元にブロンズに……と一言で表すのは簡単ですが、実際の作業はまさに職人技。気が遠くなるほど細かなプロセスを経て展示作品が出来上がっていることがわかるため、鋳造の工程をイメージしにくい方は必見です。

本展開催のきっかけについて、戸張さんは「だんだん朝倉のことを知らない人も増えてきたことから、朝倉と朝倉の作品に親しみをもってもらおうと企画しました」と話します。

朝倉の優れた造形力や観察眼、そして猫に対する深い愛情をたっぷりと感じられる本展は、まさに朝倉の魅力を知る入門編にぴったり。猫好きにはたまらない、生き生きと微笑ましいポーズをとる猫たちの姿をぜひ一度、鑑賞してみてはいかがでしょうか。


なお、会場である朝倉彫塑館も非常に魅力的な建物ですので、いくつか見どころをご紹介します。

朝倉は東京美術学校を卒業した1907年、24歳のときに谷中に自らが設計したアトリエと住居を構えます。一流の職人たちの手を借りながら、敷地の拡張や増改築を繰り返し、現在の朝倉彫塑館の建物が完成したのは1935年のこと。2001年に建物が国の有形文化財に登録され、2008年には敷地全体が「旧朝倉文夫氏庭園」として国の名勝に指定されました。アトリエ棟は鉄筋コンクリート造、住居棟は木造の数寄屋造という個性的な構成ですが、朝倉の優れた美的感覚で異なる素材を違和感なく調和させています。

アトリエ

普段から作品を展示しているアトリエは天井高が8.5mもあり、足を踏み入れるとまずその開放感に驚くはず。フロアの西側には3.78mにも及ぶ《小村寿太郎像》(1938)が置かれているのですが、まったく圧迫感がありません。

芸術家のアトリエというと窓は北側がセオリーですが、朝倉彫塑館のアトリエは北・東・南の三方に窓があり、非常に明るいのが特徴です。あらゆる角度から自然光を当てて、屋外に置かれることの多い彫刻の見え方を研究するのが目的で、制作時にはカーテンで光量を調節していたとのこと。また、北側上部の大きな窓に緩やかなアール(曲線)がついているのは、影を強くせず、全体に光を行きわたらせるため。壁の素材には温かみのある真綿が使用されているなど、彫刻家としてのこだわりが随所に溢れています。

書斎

アトリエに隣接する書斎もまた吹き抜けになっており、まるで映画のセットのようです。天井にまで届く、三面にわたるガラス扉の本棚に収められた書籍のうち、洋書の多くは美術評論家であり、東京美術学校時代の朝倉の恩師でもあった岩村透の蔵書でした。岩村の没後、古書店などに散逸しつつあった貴重なこれらの資料を、朝倉が自宅を抵当に入れて資金を調達し、買い戻したものだといいます。

半円型の出窓とソファが独特の雰囲気を醸し出す応接。
朝陽の間

客人をもてなしていた3階の大広間「朝陽の間」は、その名のとおり東側に備えられた窓から朝日が差し込む、朝倉彫塑館の中で最も格式の高い一室です。贅沢な和の設えで、上品に輝く赤みを帯びた壁は、高価な赤瑪瑙(めのう)を人力で砕いて塗りこめた瑪瑙壁。わずかに混じる黒曜石が無二の色合いを生み出しています。

天井板は、伊豆天城の地中より掘り出したという神代杉に杉皮の裏張りを施したもの。床の間には松の一枚板、欄間には桐の一枚板と、当時でも貴重だった素材が使用されています。あえて統一感をもたせないところに遊び心もあり、朝倉の美学が感じられる空間です。

五典の池

中庭「五典の池」は水と巨石、樹木で構成されています。四方を建物で囲んだ回廊式であり、どの部屋からでも美しい風景が楽しめる、彫刻家の視点が生かされた造りです。朝倉はここを自己反省の場とし、生き方に迷いが生じたとき、ものの本質を見極めにくくなったときに、清らかな水を眺めて心身を浄化し、さらなる制作にまい進していたそう。

屋上庭園

アトリエ棟の屋上には、オリーブの木がある庭園が広がっています(※天候により閉鎖)。屋上緑化の早い例であるとのこと。

ここではかつて、朝倉彫塑塾の必須科目として園芸実習が行われていました。園芸も塑造も土で命を育む作業であることから、園芸を通じて塾生たちを土に親しませ、対象を見る目を養わせる目的があったそう。現在は一部に菜園が再現され、四季折々の花が楽しめる憩いの場となっています。

庭園の西側に置かれた男性像《砲丸》(1924)は、広い空の下で谷中の街を眺めています。建物に入る前の門から見上げると作品の正面が確認できますので、訪れた際はぜひ屋上を見上げてみてください。

朝倉文夫没後60年特別展「ワンダフル猫ライフ 朝倉文夫と猫、ときどき犬」概要

会期 2024年9月14日(土)~12月24日(火)
会場 朝倉彫塑館(台東区谷中7-18-10)
開館時間 9:30~16:30(入館は 16:00まで)
休館日 月曜日・木曜日(祝休日は開館)
入館料 一般 500円/小・中・高校生 250円
主催 公益財団法人 台東区芸術文化財団、台東区立朝倉彫塑館
TEL 03-3821-4549
朝倉彫塑館HP https://www.taitogeibun.net/asakura/

※記事の内容は取材時のものです。最新の情報と異なる場合がありますので、詳細は公式HPでご確認ください。


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