台東区立隅田公園
2018年4月21日(土)、汗ばむ陽気となったこの日、台東区立隅田公園では「第36回 浅草流鏑馬」が開催されました。馬を馳せながら矢で的を射抜く勇壮な射手。その華麗な技術で賑わう会場を取材しましたので、その様子をご紹介いたします。
草鹿
流鏑馬に先駆け、会場では「草鹿(くさじし)」が執り行われました。草鹿は歩射、つまり馬上ではなく地上から弓を射て的を狙います。その起源は、かつて源頼朝が狩りを催した際、家人がしばしば鹿などの獲物を射損じたため、射術の稽古として始まったものと言われています。
草鹿の的は鹿の形をしており、射手は鹿に描かれた白い斑点を矢で狙い、当たり・外れを競います。しかしながら、的中するだけでは当たりとはなりません。審判である奉行が、矢を放つ所作や矢の飛び方、的中した矢が落ちた場所などを総合的に判断して当たりとなるのです。そのため足の運び方などの所作に誤りがあれば、的中しても外れとなります。古書には「遊射なり」と記され、競技的な意味で行われていた草鹿ですが、その所作は厳格に定められています。今回開催された草鹿では、定められた所作に則りつつ、来場者にも親しみが持てるように要所で解説が行われました。
時折強い風が吹く中、射手が見事に的中させると、会場から歓声があがりました。的中すると、射手と奉行との間で、言葉のやり取りが行われます。これは、奉行が射手に対して「今の矢はいい矢だったと思うか」と問いかけたり、射手が奉行の判定に物言いをするもので、「~で候う」といった古式の言葉遣いで行われます。中には、スカイツリーのように素晴らしい矢だったはずだ、と物言いをする射手もおり、会場は笑いに包まれました。
流鏑馬
草鹿が終了すると、隣の会場では流鏑馬が執り行われました。流鏑馬では、馳せる馬の上から3箇所の的を射抜きます。会場を見て驚くのは、馬場の幅の狭さ。幅約2メートル、長さ約300メートルの砂地を馬が疾駆します。
馬が行列となり馬場を歩いた後、いよいよ流鏑馬が始まります。馬場本(出発点)と馬場末(終着点)に立つ奉行が、大きな扇を振って馬場の安全を合図すると、馬が駆けだし、射手は壱の的、弐の的、参の的と射抜いていきます。的は54センチ四方の板。その後ろには紙が仕込まれており、射抜かれた時にぱっと紙吹雪が舞います。的が射抜かれると、観客から大きな歓声が上がりました。
中には猛スピードで駆ける馬もおり、速すぎるせいで射手が射損じてしまう場面も見られました。若い馬は速度を出しすぎてしまうことがあるようです。しかし遅い馬の上が必ずしも射やすいわけではなく、遅く走る馬は上下に揺れるため、射手は体幹を鍛えておく必要があると場内で解説されていました。
浅草流鏑馬は、小笠原宗家の指導のもと、小笠原流で行われます。小笠原流は源頼朝に仕えた小笠原長清にはじまる流儀。小笠原家は徳川時代末まで代々将軍家の師範役を務め、今日に礼法や弓術、弓馬術を伝えています。小笠原家が伝えた礼法や作法は、射手の体幹を鍛え、弓術を上達させるといいます。
伝統を継承し、世界へ発信
江戸時代の浅草神社では、神事として行われていた流鏑馬ですが、今回で36回目を迎えた浅草流鏑馬は観光行事として開催されており、伝統行事を復活させて継承しようという想いが込められています。会場でお話を伺った31世宗家の小笠原清忠さんは、「古い伝統を守りながら次の代に伝えていけるので、こうした機会は非常に嬉しい」と話していらっしゃいました。
また、会場には多くの外国の方が来場しており、場内では英語での解説も行われました。さらに今年は日本とフランスの友好160周年にあたることから、在日フランス大使館の方が総奉行を務めるなど、伝統的でありながら国際的な面も見られました。
江戸から明治に変わって150年。台東区では本年を「江戸ルネサンス元年」と位置づけ、江戸の魅力の継承と未来への発展に向けた事業を展開する予定です。皆様も是非、歴史や伝統文化に触れてみてはいかがでしょうか。
開催概要
日程 | 平成30年4月21日(土) 草鹿(くさじし) 11時45分~ 流鏑馬(やぶさめ) 13時~ |
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場所 | 草鹿は、台東区立隅田公園山谷堀広場にて 流鏑馬は、言問橋付近 台東区立隅田公園特設会場にて |
前売観覧券 | 前売観覧券:1席3千円 ※草鹿の観覧は無料 |
その他のレポートを見る:https://www.culture.city.taito.lg.jp/ja/reports