3会場で開催、過去最大の展開面積!巨匠作品から現代アートまで約1,000点が大集結 FINE ART COLLECTION2023

7月12日(水)~17日(月・祝) 10時~18時30分 ※最終日は17時閉場 
松坂屋上野店 6階催事場・7階アートゾーン・1階北口イベントスペース

7/12(水)~17(月・祝)、アートの提案を強化している松坂屋上野店では、近・現代の巨匠から新進気鋭の作家まで、絵画・工芸の多彩な作品を一堂に集めた「FINE ART COLLECTION」を開催いたします。6階催事場では、エコール・ド・パリとヨーロッパ近代巨匠や現代アート、作家特集など、幅広いジャンルのアート作品を展示販売。7階アートゾーンでは、各スペースにて絵画や工芸の趣向を凝らした作品が集まります。さらに、今年は1階の北口イベントスペースまで展開を拡大し、東京藝術大学若手作家特集を実施。3会場で開催、過去最大規模の「FINE ART COLLECTION」となります。

 

◆主な出品予定作品/6階 催事場​

・エコール・ド・パリとヨーロッパ近代巨匠
エコール・ド・パリとは20世紀前半のパリに集った芸術家たちのこと。その個性豊かで自由な表現はその後の芸術家たちに大きな影響を与えた。

アンリ・マティス「足を組むダンサー」
リトグラフ 46×28cm 2,640,000円(税込)

 

・現代アート
ストリートアートを中心とした現代アートたちの作家たちを展覧。幅広い表現で現代を描き出す作家たちの作品が集結します。

Nick Walker「Rainbow Daze」
シルクスクリーン 72.1×60.3cm 605,000円(税込)

 

NOT BANKSY「IDENTITY CRISIS CHIMPS IS NOT A BANKSY BUNNY NOR A BOUNCY BANKSY “original”」
multi-colour screen printpainting on plywood 80×60.5cm 880,000円(税込)

 

・作家特集

霜鳥忍「朗羅」20号 1,540,000円(税込)

霜鳥 忍特集

 

水島篤「共鳴‐ティラノサウルス‐」6号 198,000円(税込)

恐竜画と動物画特集

 

泉東臣「蒼刻」20号 M 1,100,000円(税込)

泉 東臣特集

 

伊熊義和「至福の時間」20号 770,000円(税込)

伊熊 義和&写実作家特集

 

 島津豪亮「郊外の白い建物」10号 660,000円(税込)

島津 豪亮特集

 

西嶋豊彦「Electric flower 蓮」
金属(ステンレス)パネル オリジナル手漉き半導体和紙 岩絵具着彩 5号 440,000円(税込)

西嶋 豊彦特集

 

梅田綾香「波濤を穿つ」30号 S 704,000円(税込)

梅田 綾香特集

 

・近現代日本画・洋画

田渕俊夫「月明かり」6号 6,600,000円(税込)

 

中川一政「薔薇」12号 9,240,000円(税込)

 

・工芸特集

宮之原謙「彩盛松竹梅文香爐」
共箱 高さ10.8×径13.2cm 2,200,000円(税込)

◆1階 北口イベントスペース
◆7階 アートゾーン
(美術画廊・アートギャラリー・アートスペース)

 

・北口イベントスペース
多彩な才能を輩出する東京藝術大学出身の若手日本画家たちの特集。瑞々しい感性で描かれた作品を1階にて大きく展開します。
1階北口イベントスペース
期間:7月12日(水)~18日(火) 10時~20時

名和智明「牡蠣」10号 660,000円(税込)

藝大若手作家特集

 

石原孟「犀山水」10号 440,000円(税込)

藝大若手作家特集

 

・美術画廊
漆黒の夜空に浮かぶ月と稲妻、太古から続く大自然の摂理を現代的に表現する岩谷晃太の展覧会。

岩谷晃太「月と稲妻」4号 S 385,000円(税込)

岩谷 晃太展

 

・アートスペース
卓越した技術力で漆黒の画面に命を吹き込む銅版画家。ふくろうや猫など、情感豊かに表現している。

生田宏司「凛」
メゾチント 68.0×45.5cm 242,000円(税込)

生田 宏司 銅版画展

 

・アートギャラリー
19世紀末から20世紀初頭にかけアール・ヌーヴォーを代表するガラス芸術家として活躍したガレとドームの展覧会。

ガレ「クレマチス文花器」
高さ37×横24cm 2,200,000円(税込)

ガレ&ドーム  アール・ヌーヴォーガラスの美展

7階アートゾーン 期間:7月12日(水)~18日(火) 10時~18時30分 ※最終日は16時閉場

【特設ページ】https://www.matsuzakaya.co.jp/ueno/topics/000230712_fine_art_collection_2023.html

 

【株式会社大丸松坂屋百貨店】プレスリリースより

記事提供:ココシル上野


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藝大アートプラザ 企画展「What’s ART?『アートって何だろう?』を藝大アートプラザ大賞受賞作家と考える」開催

2023年7月29日(土)- 9月24日(日)上野・藝大アートプラザにて開催(入場無料)

小学館と東京藝術大学の協働事業である、東京藝術大学美術学部構内(台東区・上野)のギャラリー「藝大アートプラザ(https://artplaza.geidai.ac.jp/ )」にて、2023年7月29日(土)より企画展「What’s ART?『アートって何だろう?』を藝大アートプラザ大賞受賞作家と考える」を開催。本展では過去の藝大アートプラザ大賞受賞者による「アートって何だろう?」をテーマにした作品を展示販売します(入場無料)。

 

藝大アートプラザとは

トップアーティストを数多く輩出する、東京藝術大学(以下、藝大)の教職員、学生、卒業生の作品を展示販売するギャラリー「藝大アートプラザ」。藝大上野キャンパス構内において、一般の方々が、年間を通して自由に入場・見学することができる、貴重な場所のひとつです。小学館と藝大の協働事業として、2018年から運営をスタートしました。

現在は、1,2カ月ごとに異なるテーマの展示を開催。企画展には毎回10〜50名のアーティストが参加し、油画、日本画、彫刻、工芸、デザイン等、藝大ならではの多様な技法とアプローチで表現された作品が、一堂に会します。

▼2023年6月開催の企画展 「藝大神話ーGEISHIN」展示風景
https://artplaza.geidai.ac.jp/column/19362/

企画展「藝大神話ーGEISHIN」展示風景

店舗内には、器やアクセサリーなど生活に寄り添うアートを中心とした常設作品コーナー「LIFE WITH ART」、企画展と連動した書棚も設置。店舗の営業時間中は、屋外のキッチンカー「NoM cafe」のカフェドリンクで、一息つくこともできます。

藝大アートプラザは、入場無料。写真撮影やSNSでのシェアも原則大歓迎です。アートファンのみならず、どなたさまでも、気軽にアートに触れられる場所を目指しています。

 

2023年7月29日(土)開催 企画展「What’s ART?」
7月29日(土)より、企画展「What’s ART?『アートって何だろう?』を藝大アートプラザ大賞受賞作家と考える」を開催いたします。

■ 企画展コンセプト
「美しい身体は死ぬが芸術作品は死なない」(レオナルド・ダ・ヴィンチ)「芸術家が自分の意図を実現するとき作品が完成する」(レンブラント)「感情から始まらなかった芸術作品は芸術ではない」(ポール・セザンヌ)「植物が園芸について話すことができないのと同じように芸術家は自分の芸術について話すことはできない」(ジャン・コクトー)「芸術は現代的になり得ない。芸術とは永遠である」(エゴン・シーレ)

一年に一度藝大アートプラザ大賞受賞作家を招待して開催する企画展、今回のテーマは「アートってなんだろう?」です。レオナルド・ダ・ヴィンチもレンブラントもアートの歴史を彩る巨匠たちが全員違うことを言うようにその答えは作家の数だけ存在します。もしかすると、アートを作る人たちも鑑賞する人たちも永遠にその答えを探しているのかもしれません。ちなみに日比野藝大学長はこんなことを言っています。

「鑑賞する人が、物から発信された情報を受け取って『ああ、なんだかきれいだな』とか『懐かしい気分になるな』など、何らかの感情が湧きあがった時、その物と鑑賞者との関係性を『アート』と呼びます」(高校生新聞オンライン 2020.02.27より)

今回アートプラザがアーティストに尋ねたのは、今この時点で皆さんが考える「アートってなんだろう?」その問いに対する答え=作品です。答えそのものでなくても、皆さんの中にある「ヒント」「アートへの問い」「アートとそうでないものの違い」「アートの可能性」「そもそもアートをつくっていない」。そんなことを藝大アートプラザ受賞作家の方々と考え、さらには作品を観てくださる鑑賞者の方々と一緒に考えたいのです。

▼開催告知ページ
https://artplaza.geidai.ac.jp/column/19915/

■ 企画展概要
企画展名:「What’s ART?『アートって何だろう?』を藝大アートプラザ大賞受賞作家と考える」
会場:藝大アートプラザ(東京都台東区上野公園12-8 東京藝術大学美術学部構内)
会期:
前期 2023年7月29日(土)- 8月20日(日)
後期 2023年8月26日(土)- 9月24日(日)
入場料:無料
営業時間:10:00-18:00
定休日:月・火曜

※祝日・振替休日の場合は翌営業日が休業、展示入れ替え期間は休業
※営業日時が変更になる場合がございます。最新情報は公式Webサイト・SNSをご確認ください

 

藝大アートプラザ基本情報

■ アクセス
最寄駅:JR上野駅(公園口)、鶯谷駅 下車徒歩約10分
東京メトロ千代田線・根津駅 下車徒歩約10分
東京メトロ日比谷線・上野駅 下車徒歩約15分
京成電鉄 京成上野駅 下車徒歩約15分
都営バス上26系統(亀戸〜上野公園)谷中バス停 下車徒歩約3分
※駐車場はございませんので、お車でのご来場はご遠慮ください

■ 公式SNSアカウント
Instagram:https://www.instagram.com/geidai_art_plaza
Twitter:https://twitter.com/artplaza_geidai
Podcast(Spotify):https://open.spotify.com/show/2FlkumYv9ScWy69UlBtqWy

■ 2023年の展示
2023年1月「藝大の壁 Inside | Outside」
https://artplaza.geidai.ac.jp/column/18153/

2023年1-3月「第17回 藝大アートプラザ大賞展」
https://artplaza.geidai.ac.jp/column/18325/

2023年3-5月「GEIDAI ART JUNGLE returns 藝大密林化計画」
https://artplaza.geidai.ac.jp/column/18759/

2023年6-7月「藝大神話ーGEISHIN」
https://artplaza.geidai.ac.jp/column/19362/

よくあるご質問はこちら
https://artplaza.geidai.ac.jp/qa/

 

【株式会社小学館】プレスリリースより

 

記事提供:ココシル上野


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【会場レポ】マヤの「赤の女王」初来日! 特別展「古代メキシコ」が東京国立博物館で開幕。マヤ、アステカ、テオティワカンの至宝が一堂に

東京国立博物館
「赤の女王」の展示

 

古代メキシコを代表する三つの文明の至宝を一堂に紹介する特別展「古代メキシコ ―マヤ、アステカ、テオティワカン」が2023年6月16日(金)~9月3日(日)の期間、東京国立博物館(東京・上野)で開催中です。

会場入口
会場風景
会場風景、《装飾ドクロ》アステカ文明、1469~1481年、テンプロ・マヨール博物館

本展は、メソアメリカ(16世紀のスペイン侵攻までメキシコ~中米の一部地域に栄えた、文化要素を共有した古代文明圏)を代表する三つの文明「マヤ」「アステカ」「テオティワカン」に焦点を当てています。

メキシコ国内の主要博物館から厳選した碑文やレリーフといった貴重な出土品や考古遺物、約140件を近年の発掘調査の成果を交えて紹介。多様な自然環境から生み出された独自の世界観や造形美など、古代メキシコ文明の奥深さと魅力に迫ります。

会場展示より。各文明と都市遺跡の位置関係。

展示は「古代メキシコへのいざない」「テオティワカン  神々の都」「マヤ  都市国家の興亡」「アステカ  テノチティトランの大神殿」の4章構成。

第1章「古代メキシコへのいざない」

第1章「古代メキシコへのいざない」は、「トウモロコシ」「天体と暦」「球技」「人身供犠」といった3文明の共通テーマに沿った横断的な作品展示や、各文明の遺跡の映像を通じて、古代メキシコ全体の世界観を伝える導入部です。

特異な宇宙観を構成するメソアメリカにおいて天体と暦は大切な文化要素。本作の両端に表される金星は、惑星のなかで最も重要視されたといいます。/《夜空の石版》アステカ文明、1325~1521年、メキシコ国立人類学博物館
球技は単なる娯楽ではなく、人身供犠を伴う宗教的儀礼、外交使節を迎えての儀式など多くの意味合いがありました。/《球技をする人の土偶》マヤ文明、600~950年、メキシコ国立人類学博物館
写真右/王や権威の象徴、神秘的な力をもつものとしてメソアメリカの諸文明で崇拝されたジャガー。神への生贄として捧げられることも。/《ジャガーの土器》マヤ文明、600~950年、メキシコ国立人類学博物館

ここでは、前1500年頃にメキシコ湾岸地方に興ったメソアメリカのルーツであり、儀礼と結びついた王権や多くの神々の概念など、その後のメソアメリカ諸文明にさまざまな要素が受け継がれたオルメカ文明の存在を示す作品《オルメカ様式の石偶》も展示されています。

オルメカの宗教的概念を表す、人とジャガーの特徴を併せもつ幼児の像。/《オルメカ様式の石偶》オルメカ文明、前1000~前400年、メキシコ国立人類学博物館

第2章「テオティワカン 神々の都」

第2章「テオティワカン 神々の都」では、メキシコ中央高原にある海抜2300メートルほどの盆地の中央で、前100~後550年頃まで栄えたテオティワカン文明を取り上げています。

テオティワカンは当時の人々が信じていた宇宙的世界観にのっとり、「死者の大通り」を中心軸にピラミッドや儀礼場、宮殿タイプの建造物、厳格化された住宅群を組み込んだ、国家により統率された計画都市・大宗教都市でした。近年の研究で、最大10万人ほどが暮らしていたことが明らかになりつつありますが、使われていた言語や文字などは判明しておらず、まだまだ謎の多い文明です。

ここでは、テオティワカンを代表する「太陽のピラミッド」「月のピラミッド」「羽毛の蛇ピラミッド」という三つのピラミッドやその周辺から出土した作品を紹介。

壁面の「太陽のピラミッド」と「月のピラミッド」のグラフィックは、配置を実際のテオティワカンのものと合わせ、「死者の大通り」の雰囲気を伝えています。

展示室中央に露出展示されている《死のディスク石彫》は、1964年の発掘調査で、テオティワカンにあるピラミッドのうち最大の「太陽のピラミッド」正面の広場から出土したもの。
直径1mを越える石彫で、後光のように放射状に広がるモチーフと、頭蓋骨の口から突き出した舌が印象的です。メソアメリカでは日没を死、日の出を再生と捉えていて、本作は地平線に沈んだ(死んだ)夜の太陽を表していると解釈されています。

《死のディスク石彫》テオティワカン文明、300~550年、メキシコ国立人類博物館
「月のピラミッド」の展示。本作は生贄の埋葬墓から出土したもの。目力がすごい……。/《モザイク立像》テオティワカン文明、200~250年、テオティワカン考古学ゾーン

とくに存在感があったのは《羽毛の蛇神石彫》と《シパクトリの頭飾り石彫》の展示。
一辺約400mの大儀式場「城塞」の中心神殿である「羽毛の蛇ピラミッド」の四方の壁面を覆っていた大石彫の一部です。金星と権力の象徴である「羽毛の蛇神」と、時(暦)の始まりを象徴する創造神「シバクトリ」の頭飾りを表すとされています。

会場では、これらの石彫がピラミッドから突き出ている様子がわかるように造作が工夫されていました。

左から《シパクトリの頭飾り石彫》《羽毛の蛇神石彫》テオティワカン文明、200~250年、テオティワカン考古学ゾーン

羽毛の蛇神の波打つ胴体部に、シパクトリの頭飾りを配するモチーフが繰り返し彫られていることから、「羽毛の蛇ピラミッド」全体が聖なる王権や戴冠式を表す、メソアメリカで最初のモニュメントだと考えられているとか。

「羽毛の蛇ピラミッド」の地下にある深さ15m、長さ103mのトンネルの出土品のなかでは、巻貝の先端を切り取って吹き口とした楽器《トランペット》が目を引きました。本作にはテオティワカンではみられない、マヤ系の宗教センターの図像に類似した美術様式と内容の図像が描かれています。

音を出す巻貝といえば、日本では戦の合図に吹く法螺貝がイメージされますが、本作はどんな音が出るのでしょう。/左右とも《トランペット》テオティワカン文明、150~250年、テオティワカン考古学ゾーン
《鳥形土器》テオティワカン文明、250~550年、メキシコ国立人類学博物館

テオティワカン住居跡の埋葬体に副葬されていたのは、発掘者により「奇抜なアヒル」と命名された、貝などの華美な装飾をもつ動物形土器。多くの貝製品とともに発見されたことから、メキシコ湾との交易を担った貝商人にかかわる副葬品ではないかと考えられています。

《トランペット》や《鳥形土器》といった展示物は、テオティワカンが交易や市場の経済活動が盛んな多民族都市だったことを伝えています。

《嵐の神の壁画》テオティワカン文明、350~550年、メキシコ国立人類学博物館

その他、テオティワカンでの暮らしを想像させる壁画や土器も興味深いです。
テオティワカンの主神の一つである嵐の神、もしくは雨の神トラロクを表したとされる《嵐の神の壁画》のような多彩色の壁画は、多くのアパートメント式住居群や儀礼施設に描かれていました。

また、住居跡から多く発掘される香炉は、さまざまな装飾片を目的に応じて組み替えて作っていたとか。展示された《香炉》は矢や盾などのモチーフから、死んだ戦士の鎮魂の儀式用と考えられています。

《香炉》テオティワカン文明、350~550年、メキシコ国立人類学博物館

第3章「マヤ  都市国家の興亡」

第3章「マヤ  都市国家の興亡」では、前1200年頃~後16世紀までユカタン半島を中心に栄えたマヤ文明の文化や王朝について紹介。本展で最も多くの作品で構成されているセクションです。

マヤで明確な文化や統治形態が認識できる王朝が成立したのは後1世紀頃とされています。ただ、政治的に統一されたことはなく、無数の都市間の交易や外交使節の往来などの友好的な交流、時には戦争による覇権争いを通じて大きなネットワーク社会を形成しました。出土品はそうしたマヤ地域での多様な動向を伝えています。

宮殿に訪れた外交使節が貢物を捧げる様子が描かれた、カカオの飲料用に使われたと思しき土器。マヤの権力者にとって、王朝間での訪問と貢物の交換は重要な行事でした。/《円筒型土器》マヤ文明、600~850年、出土地不明、メキシコ国立人類学博物館
マヤ中部地域の大都市・カラクルムの王と、南西の辺境にあるトニナの王が球技をする様子が描かれた本作は、両国の外交関係を象徴するもの。《トニナ石彫171》マヤ文明、727年頃、メキシコ国立人類学博物館
マヤでは多くの敵を殺すことより高位の人間を捕虜に取ることが重視されました。トニナでは捕虜を描いた石彫が多く発見され、好戦的な傾向をうかがわせます。/《トニナ石彫153マヤ文明、708~721年、トニナ遺跡博物館

マヤで林立した都市のひとつに、400~800年頃に西部地域で栄えたパレンケという中規模都市がありますが、第3章ではパレンケの展示に力が入っています。とくに本邦初公開となる「赤の女王(レイナ・ロハ)」の墓の出土品は、王朝美術の傑作と名高い本展の目玉のひとつ。

「赤の女王」の展示

芸術の都パレンケは洗練された建築や彫刻、碑文の多さで知られており、その黄金時代はキニチ・ハナーブ・パカル王の治世(615~683)でした。
パカル王は外交と戦争によりパレンケの影響力を強めるかたわら王宮の拡大に力を注ぎ、マヤ地域でもっとも壮麗な建築物の一つにしたといいます。その遺体はパカル王自ら設計したとされる「碑文の神殿」という霊廟に収められました。

「赤の女王(レイナ・ロハ)」と呼ばれる遺体は、1994年に碑文の神殿の隣にある13号神殿で発見されたもの。その通称は真っ赤な辰砂(水銀朱)に覆われて埋葬されていたことが由来です。調査の結果、この人物はパカル王の妃であるイシュ・ツァクブ・アハウの可能性が高いとみられています。

「赤の女王」の展示。《赤の女王のマスク》マヤ文明、7世紀後半、アルベルト・ルス・ルイリエ パレンケ遺跡博物館

会場では13号神殿の石室をイメージした空間で、「赤の女王」の12件の副葬品をマネキンに装着して埋葬の様子を再現。《赤の女王のマスク》は孔雀石の小片で作られ、瞳には黒曜石、白目には白色のヒスイ輝石岩が使われているそう。

写真には写っていませんが、首飾りや冠といった美しい副葬品にまじって、何の変哲もない小さな《針》がマネキンの横にひっそりと展示されていたのが目に留まりました。奇妙に思えますが、糸紡ぎと織りはどの社会階層の女性も行う活動の一つであり、この針も「赤の女王」が日常的に使い、来世でも必要なものであったと考えられているとか。
身分にふさわしく飾り立てるばかりではなく、「生活に困らないようにしたい」という本人、もしくは周囲の人々の等身大の願いに共感を覚えます。

再現展示の隣では、「赤の女王」の発掘調査の映像資料も流れていました。

《96文字の石版》マヤ文明、783年、アルベルト・ルス・ルイリエ パレンケ遺跡博物館

また、パレンケ遺跡の王宮で見つかった《96文字の石版》の展示では、絵画的で美しい造形のマヤ文字をじっくりと鑑賞できました。

マヤ文字は表語文字と音節文字から構成される謎に満ちた言語ですが、現在700程度の文字と、数万と織りともいわれる多様な組み合わせが解明されつつあるとのこと。人々の行いは、神や先祖の事績を再現するものと考えられていたことから、文字は主に王と国の歴史や宮廷の儀礼を記すために用いられました。
本作でも、パレンケの王たちの即位について正確な日付とともに刻まれています。

《96文字の石版》(部分)マヤ文明、783年、アルベルト・ルス・ルイリエ パレンケ遺跡博物館

日本のように、マヤでも書跡は情報を伝えるためだけのものではなく芸術品として愛好されましたが、本作はその中でも最高峰に位置するものです。

パレンケをはじめとする多くの都市が衰退したあと、900年頃にユカタン半島北部でマヤ地域最大の都市となったチェチェン・イツァの出土品も見ごたえがあります。
なかでも《チャクモール像》は、解説を読んで本展イチの恐ろしさを感じた作品。像の腹の上には皿のようなものがあり、ここに供物や、時には人身供儀の生贄から取り出した心臓が置かれた可能性があるとか……。

《チャクモール像》マヤ文明、900~1100年、ユカタン地方人類学博物館 カントン宮殿

本展では「生贄」とか「人身供犠」とか、おどろおどろしいキーワードが頻出しています。こういった特有の慣習は3,000年以上にわたりメソアメリカで継続されたもので、現代の感覚からするとその残虐さに眉をひそめたくなるかもしれません。

しかし、それは単なる非人道的な儀礼行為ではなく、あらゆる生命体は神々の働きと犠牲により生まれ動いているため、人間も神々を敬い、人間にとって最も大切な生命を捧げて自然のサイクルと再生の原理を保たねばならない、という先住民たちの倫理観によるものでした。そこには、普遍的な神や自然への祈りが込められています。

こちらもチェチェン・イツァの出土品。トルコ石で作られたモザイク模様が美しい鏡の飾りで、戦士が腰の後ろに着けていました。《モザイク円盤》マヤ文明、900~1000年、メキシコ国立人類学博物館
チェチェン・イツァの「金星の基盤」と呼ばれる建物を飾っていた彫刻。584年の金星の周期5回分が、365日の太陽暦の8年にあたることを示していると考えられています。/《金星周期と太陽暦を表わす石彫》マヤ文明、800~1000年、ユカタン地方人類学博物館 カントン宮殿蔵

第4章「アステカ  テノチティトランの大神殿」

第4章「アステカ  テノチティトランの大神殿」は、1325年にメキシコ中央高原のテスココ湖に浮かぶ島に、メシーカ人らナワトル語を母語とする人々が建国したアステカ王国の大都市、テノチティトラン(現在のメキシコシティ)の出土品を扱っています。人口は最盛期で20万を超え、スペイン侵攻によって1521年に陥落するまで繁栄しました。

ちなみに、メキシコ中央高原ではテオティワカン⇒トルテカ⇒アステカという順番で文明が興亡しています。ナワトル語で「神々の都市」を意味する「テオティワカン」という名称は、遺跡を発見したアステカ王国のメシーカ人が名付けたものでした。

軍事力と貢納制を背景に国力を強めたアステカでは、建築と絵画、なかでも彫刻において驚異的な発展がもたらされました。アステカが富を集結させたテノチティトランでは、国内外の作家たちが技巧や嗜好、伝統を分かち合い、歴史的に類をみないほどクリエイティブな環境を形成したといいます。

テノチティトランで生まれた独創的な造形美の一端を伝えるのは、勇ましい《鷲の戦士像》

今にも飛び立たんとしているかのよう。背面を含めて360度鑑賞できます。/《鷲の戦士像》アステカ文明、1469~1486年、テンプロ・マヨール博物館

テノチティトランの中枢には、太陽と戦争の神・ウィツィロポチトリ、雨と大地の神・トラロクを祀った一対の荘厳なピラミッド型の大神殿、テンプロ・マヨールが建てられていました。本作はその大神殿の北側にある「鷲の家」で発見されたもの。等身大で迫力があります。

戦闘や宗教に重要な役割を担った王直属の「鷲の軍団」の戦士とみなす専門家が多いようですが、戦場で勇ましい死を遂げて姿を変えた戦士の魂であるとか、ウィツィロポチトリの姿を表しているとか、今でもさまざまな説があるようです。

《トラロク神の壺》アステカ文明、1440~1469年、テンプロ・マヨール博物館

展示された彫刻作品の多くには、アステカで信仰された神々が表されていました。

《トラロク神の壺》は、ギョロリとした目の造形と鮮やかなブルーが印象的。
農耕社会であるメソアメリカでは、何世紀にもわたって降雨をコントロールしたいという強迫観念があったといいます。そのため、祈祷、供物、そして子供の生贄がことごとく雨の神であり、植物の萌芽に必要なあらゆるものを提供する「与える者」であるトラロクに捧げられました。

本作は水を貯える壺にトラロク神の装飾があることから、雨や豊穣の願いが込められたものと考えられています。

地下の冥界ミクトランを支配する神ミクトランテクトリを描いた骨壺。生贄の心臓を抜き出す神でありながら、生を与える役割も併せもちます。/《ミクトランテクトリ神の骨壺》アステカ文明、1469~1481年、テンプロ・マヨール博物館
骨壺に描かれた「煙を吐く鏡」を意味する名をもつ創造神テスカトリポカは不可視であり、槍か2本の矢で射抜かれたときにだけその姿を現すというかっこいい性質があります。《テスカトリポカ神の骨壺》アステカ文明、1469~1481年、テンプロ・マヨール博物館

展示の一つにグリーンの蛇紋岩でできた《マスク》があるのですが、第2章のテオティワカンの展示で紹介した《モザイク立像》と雰囲気がそっくり。じつは、まさにテオティワカン遺跡から掘り起こしたマスクをメシーカ人が磨き直し、目や耳飾りなど手を加えたもの、ということでした。

《マスク》テオティワカン文明、200~550年、テンプロ・マヨール博物館

メシーカ人をはじめとする後古典期後期(1250-1521)頃の人々は、過去の文明を掘り起こし、それらを魔術的な力をもつ聖なる物質とみなして自分たちの神殿に奉納していたとか。こういったつながりを感じられるのも本展の面白さです。

展示の最後では、テンプロ・マヨールの最新発掘成果を示すものとして、メソアメリカでは珍しい金で作られたペンダントや耳飾り、笏形飾りが一挙に公開されていました。

金製品の展示
金製品の展示。左から《テスカトリポカ神とウィツィロポチトリ神の笏形飾り》《トラルテクトリ神の笏形飾り》アステカ文明、1486~1502年、テンプロ・マヨール博物館

個性的な展覧会オリジナルグッズも多数展開されています。※商品は数量限定のため、完売となる場合があります。

会場では古代都市遺跡の魅力を伝える映像資料や臨場感あふれる再現展示など、展示空間の演出にこだわっていて、歩いているだけでも古代メキシコの空気を感じられました。展示物間に広く距離がとられていて鑑賞しやすいのもうれしいポイントです。

ちなみに、現在のところ会場内の展示物は個人利用に限りすべて撮影OKとなっています。(今後中止・変更の可能性もありますので、詳しくは館内表示や公式サイトの案内をご覧ください)

いまでもその土地に生きている人々に受け継がれる、古代メキシコの文化伝統の奥深さと魅力に迫る特別展「古代メキシコ」。開催は2023年9月3日(日)まで。

特別展「古代メキシコ ―マヤ、アステカ、テオティワカン」概要

会期 2023年6月16日(金)~9月3日(日)
会場 東京国立博物館 平成館
開館時間 午前9時30分~午後5時

※土曜日は午後7時まで
※6月30日(金)~7月2日(日)、7月7日(金)~9日(日)は午後8時まで
※総合文化展は午後5時閉館
※入館は閉館の30分前まで

休館日 月曜日、7月18日(火)
※ただし、7月17日(月・祝)、8月14日(月)は開館
観覧料(税込) 一般 2200円、大学生 1400円、高校生 1000円、中学生以下は無料

※詳細は公式サイトのチケットページご覧ください。

主催 東京国立博物館、NHK、NHKプロモーション、朝日新聞社
お問い合わせ 050-5541-8600(ハローダイヤル/午前9時~午後8時、年中無休)
展覧会公式サイト https://mexico2023.exhibit.jp/

※記事の内容は取材日(2023/6/15)時点のものです。最新情報は公式サイト等でご確認ください。

 

記事提供:ココシル上野


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【会場レポ】化石ではなくアートでたどる恐竜の姿。特別展「恐竜図鑑-失われた世界の想像/創造」が上野の森美術館で開催

上野の森美術館
左/ズデニェク・ブリアン《イグアノドン・ベルニサルテンシス》1950年、モラヴィア博物館、ブルノ
右/ズデニェク・ブリアン《タルボサウルス・バタール》1970年、モラヴィア博物館、ブルノ

化石や骨格標本ではなく、絵画を中心とした恐竜アートばかりを集めた異色の恐竜展、特別展「恐竜図鑑-失われた世界の想像/創造」が2023年5月31日(水)~7月22日(土)の期間、上野の森美術館で開催中です。

20世紀の恐竜絵画を代表する2大巨匠、チャールズ・R・ナイトとズデニェク・ブリアンの作品も多数出展されていることで注目される本展。会場の様子をレポートします。

会場エントランス

恐竜展というと化石や骨格標本を中心とした展示が思い浮かびますが、本展では普段それらの資料の脇に置かれている、化石などの学術的根拠に基づいて恐竜などの古生物を描いた生態復元図=「パレオアート(古生物美術)」にスポットを当てています。

約2億5000万年前~6600万年前の中生代の地球を支配していた恐竜は、19世紀前半の化石発掘を機に、生態復元図を通して一般に認知されるようになります。以降、多くの学者が芸術家と手を取り合って、太古のロマンあふれる古代生物の姿を再現しようと挑戦してきました。

展示風景
展示風景

会場では、黎明期に描かれた奇妙な復元図から、近年の研究に基づく現代作家の力作にいたるまで、世界各国から集められた約150点のパレオアートなどを展示。

恐竜の”発見”から今日までおよそ200年のあいだ、新発見のたびに学術的根拠が変わるなかで恐竜(古生物)たちの表現がどのように変化していったのかをたどります。

第1章「恐竜誕生―黎明期の奇妙な怪物たち」

展示は全4章構成です。第1章「恐竜誕生―黎明期の奇妙な怪物たち」では、19世紀の恐竜“発見”から間もない時期、限られた知見のもとで制作された作品群を紹介。現代に生きる我々が頭に思い浮かべる恐竜とはかけ離れた個性的な姿が楽しめます。

左/ジョージ・シャーフ(ヘンリー・デ・ラ・ビーチによる)《ドゥリア・アンティクィオル(太古のドーセット)》1830年、ロンドン自然史博物館

冒頭には、地質学者ヘンリー・デ・ラ・ビーチの原画によるリトグラフ《ドゥリア・アンティクィオル(太古のドーセット)》(1830)という、古生物の生態を復元した史上初の絵画のひとつといわれる貴重な作品を展示。

同作はイングランド南部のドーセット州で、魚竜イクチオサウルスや首長竜プレシオサウルスといった海棲爬虫類などを恐竜に先立って発見し、19世紀古生物学の発展に寄与したことで知られる女性化石採集者メアリー・アニングの功績をたたえるために制作されたものです。

本展ではリトグラフに加え、それを拡大して描いた大きな油彩画も出品。/ロバート・ファレン《ジュラ紀の海の生き物—ドゥリア・アンティクィオル(太古のドーセット)》1850年頃、ケンブリッジ大学セジウィック地球科学博物館

先史時代のドーセットの海岸を舞台に、アニングが発見した古生物が盛りだくさんで描かれています。注目は画面右でやけに大きく描かれたイクチオサウルスがプレシオサウルスの細い首に食らいついている様子。

本展の企画者である岡本弘毅さん(神戸芸術工科大学教授、元兵庫県立美術館学芸員)は「現代の研究から言って、魚竜が首長竜を襲うことは考えにくい。当時は魚竜のほうが圧倒的に強い、捕食者のイメージがあったことが伝わってくる」と話します。

1876年の作品でも、まだまだイクチオサウルスがプレシオサウルスに対して強気の姿勢。イクチオサウルスのたたまれた肢が妙にかわいい。/ベンジャミン・ウォーターハウス・ホーキンズ《ジュラ紀初期の海棲爬虫類》1876年、プリンストン大学地球科学部、ギヨー・ホール
こちらのイクチオサウルスは何を思ったのか、クジラのように頭から潮を吹いています。/エドゥアール・リウ―《イクチオサウルスとプレシオサウルス(リアス期)》(ルイ・フィギエ『大洪水以前の地球』(第2版・1863年)挿絵)1863年、個人蔵

また、本展ではメガロサウルスとともに最初に“発見”された恐竜であるイグアノドンのイメージ変遷の紹介に力を入れています。

“恐竜を発見した男”として有名なイギリスの医師でアマチュアの地質学者、ギデオン・マンテルにより、現生爬虫類のイグアナに似た歯をもつことから1825年に「イグアノドン(イグアナの歯)」と命名されたこの生物は、当初イグアナを巨大化したような姿で想像されていたようす。

ジョージ・シャーフ《復元された爬虫類 サセックス州ティルゲートの森で発見された化石をもとに》1833年、アレクサンダー・ターンブル図書館、ウェリントン

イグアノドンを描いた初期の作例、ジョージ・シャーフの《復元された爬虫類》(1833)では、巨大な体を地に這わせ、ヘビのように長い尻尾をうねらせるイグアノドンがひときわ大きく描かれています。

オーストリアの植物学者フランツ・ウンガ―の指導で描かれたイグアノドンも同様に、地を這う生物のイメージ。/ヨーゼフ・クヴァセク、フランツ・ウンガ―『様々な形成期における原始の世界』《ウィールデン層群期(白亜紀前期)》1851年、エリック・ビュフトー・コレクション

しかし、1853年頃制作の彫刻作品《水晶宮のイグアノドン》を見てみると、イメージがマイナーチェンジ。イグアノドンの4本の足が、ほ乳類のゾウやサイのように胴体からまっすぐ地面に降りていました。

ベンジャミン・ウォーターハウス・ホーキンズ《水晶宮のイグアノドン(マケット)》1853年頃、ロンドン自然史博物館

これは、当時もっとも大きな影響力をもっていたイギリスの古生物学者で、「ダイノサウリア(恐竜)」という言葉を作った人物であるリチャード・オーウェンの指導のもとで作られたもの。岡本さんによれば、この身体的特徴は現在の恐竜の定義の一つでもあるとか。

さらに、1878年~80年にベルギーの炭坑で、ほぼ完璧に近い形でイグアノドンの化石が発見されると、マンテルによる発見以来約50年にわたり広がっていたイグアノドンの復元のイメージが大幅に修正されることに。上半身を立ち上げていたこと、これまで鼻の頭のツノだと予想されていた骨は、じつは前肢の親指のスパイクだったことなどが判明したのです。

イグアノドンの全身骨格が復元されている様子。/レオン・ベッケル《1882年、ナッサウ宮殿の聖ゲオルギウス礼拝堂で行われたベルニサール最初のイグアノドンの復元》1884年、ベルギー王立自然史博物館、ブリュッセル

その後100年間近くにわたり、イグアノドンといえば前肢にスパイク状の鋭い親指をもち、二足歩行する生物というイメージでパレオアートに描かれることになりました。続く第2章、そして第4章でも、そのように修正されながら“進化”していったイグアノドンの姿を描いた作品が確認できます。

イグアノドンのイメージの変遷を追った復元像も展示。

そのほか第1章では、外見も挙動もやけに人間くさい不気味な恐竜たちが、襲われている仲間を尻目にすごすご退散する姿だったり、怪獣映画のように住宅地を闊歩する姿だったり、リアルな復元画というより物語画のように恐竜を描いた作品もあって興味深いです。当時の人々の恐竜に対するフワッとした認識や、イマジネーションの豊かさが垣間見られる内容でした。

《高層住宅に前足をかければ、6階のバルコニーで食事ができたかもしれない》(カミーユ・フラマリオン『人類誕生以前の世界』(1886年)挿絵)1886年、エリック・ビュフトー・コレクション

第2章「古典的恐竜像の確立と大衆化」

19世紀末から20世紀半ばのパレオアート黄金時代の作品を紹介する第2章「古典的恐竜像の確立と大衆化」では、この分野を語るうえで欠かせない2大巨匠、チャールズ・R・ナイトとズデニェク・ブリアンに大きくスペースを割いています。

第2章展示風景、チャールズ・R・ナイトの作品群

恐竜の発掘や調査の舞台は欧州から次第に北アメリカ大陸に移り、1870年代から90年代にかけては、二人の古生物学者が恐竜化石の発見を巡って「化石戦争(Bone Wars)」と呼ばれる壮絶な争奪戦を繰り広げました。結果、ステゴサウルスやトリケラトプスなど、おびただしい種類の恐竜が見つかり、中生代に生息した動物の多様性が明らかになります。

未知のベールを脱いだ新しい恐竜たちの姿をリアルにビジュアル化し、一般に普及させた最大の功労者が、アメリカの古生物画家であるチャールズ・R・ナイト(1874-1953)です。

チャールズ・R・ナイト《アガタウマス・スフェノケルス(モノクロニウス)》1897年、アメリカ自然史博物館、ニューヨーク
ナイトの初期の代表作/チャールズ・R・ナイト《ドリプトサウルス(飛び跳ねるラエラプス)》1897年、アメリカ自然史博物館、ニューヨーク

野生動物画家でもあったナイトは、現生の動物の絵を1000点近くも残しており、そうした活動で培われた観察眼や生物学的知見がパレオアートの制作にも役立ったとみられます。

ナイトの描く写実的な風景と、そのなかに配置されたいきいきとした恐竜や絶滅した生物たちの姿は、当時としては解剖学的にも自然環境の描写の面でも優れており、すぐに一般大衆からも専門家からも注目を集めるようになったとか。彼の作品は映画『ロスト・ワールド』(1925)や『キング・コング』(1933)などの映像文化にまで影響を与えました。

ナイト作品の展示では、彼の最大の傑作と言われるフィールド自然史博物館の壁画のための下絵スケッチのうちの1枚《白亜紀―モンタナ》(1928)が見逃せません。

チャールズ・R・ナイト《白亜紀―モンタナ》1928年、プリンストン大学

《白亜紀―モンタナ》は「ティラノサウルスvsトリケラトプス」という恐竜界のスターのライバル関係をイメージとして固定した記念碑的作品であり、恐竜画そのものを象徴する作品として広く知られるようになったそう。緊迫感のある構図は、後続の多くのアーティストたちが模倣や翻案に取り組んでおり、映画や漫画などエンターテインメントの世界でもたびたび登場していますので、一度は見たことのある方も多いはず。オリジナルはこれだったのかと感慨深く感じられました。

 

一方、ナイトより少し後の世代で人気を博したのがチェコスロバキア(現チェコ共和国)の画家ズデニェク・ブリアン(1905-1981)です。

ズデニェク・ブリアン《シルル紀の海の生き物》1951年、ドヴール・クラーロヴェー動物園
ズデニェク・ブリアン《ダンクルオステウスとクラドセラケ》1967年、ドヴール・クラーロヴェー動物園

ナイト作品は現実性を欠いた前時代のパレオアートから一線を画していましたが、ブリアンはさらに画家として優れた技量をもっていました。ヨーロッパ美術のリアリズムの伝統を踏まえた彼の作品は、実際に実物を見て描いたと言われれば信じてしまいそうなほど高い説得力があったのです。

想像で描いたとは思えない皮膚の皺などの細かな描写がブリアン作品の魅力のひとつ。/ズデニェク・ブリアン《アパトサウルス・エクセルスス》1950年、ドヴール・クラーロヴェー動物園
ズデニェク・ブリアン《プレシオサウルス・ブラキプテリギウス》1964年、ドヴール・クラーロヴェー動物園

ブリアンの描く古生物たちを見ていると、彼らには当然ながら体温があり、血の通った生き物であることが伝わってきます。

ブリアン作品は名著『前世紀の生物』(1956)をはじめとする書籍によって世界中で人気を博し、ここ日本でも1960年代~70年代に子供向けの図鑑や児童書に大量に転載・模写され、一時代の恐竜イメージの確立に決定的な役割を果たしたといいます。そのため、「この絵、どこかで見たことがあるな」と既視感を覚える作品が、この時期に恐竜図鑑に夢中になった世代の方にはとくに多く見つかるかもしれません。

左/ズデニェク・ブリアン《イグアノドン・ベルニサルテンシス》1950年、モラヴィア博物館、ブルノ
右/ズデニェク・ブリアン《タルボサウルス・バタール》1970年、モラヴィア博物館、ブルノ
ズデニェク・ブリアン《プテロダクティルス・エレガンス》1967年、ドヴール・クラーロヴェー動物園

従来、化石からは恐竜の色がわからなかったため、画家たちはそれぞれ推測で色を塗っていたのですが、それでも筆者の中ではステゴサウルスといえば胴体が緑っぽいグレーで、背板が赤っぽくて……というコントラストが強く印象づいています。《アントロデムス・バレンスとステゴサウルス・ステノプス》(1950)のステゴサウルスは、おそらくそのイメージの源泉の一つ。ブリアンの影響力の大きさを実感できました。

ズデニェク・ブリアン《アントロデムス・バレンスとステゴサウルス・ステノプス》1950年、ドヴール・クラーロヴェー動物園

本展には18点もの貴重なブリアン作品が集結。最大の見どころになっています。

また、同章では「木登りする恐竜」として人気を博したものの、そもそも研究のもととなった復元自体が間違っていたことが後になって発覚した悲しきヒプシロフォドンの在りし日の雄姿も拝めます。

凛々しい横顔が今となっては哀愁を誘います。/ニーヴ・パーカー《ヒプシロフォドン》1950年代、ロンドン自然史博物館

第3章「日本の恐竜受容史」

欧米で成立した恐竜のイメージは、19世紀末には日本にも入ってきていました。続く第3章「日本の恐竜受容史」はこれまでと方向性を変え、明治から昭和にかけての日本文化史のなかに根づいた恐竜を紹介。科学雑誌や子供向けの漫画、コナン・ドイルの『失われた世界』(1912)などの古典SFの翻訳といった書物はもちろん、恐竜を模したソフビ人形や石膏フィギュアなどの玩具類も展示されています。

恐竜をテーマにした数々の漫画を手掛けた所十三の代表作『DINO²(ディノ・ディノ)』の貴重な原画。/所十三『DINO²』漫画原稿、2002年、作家蔵
左/荒木一成/海洋堂《プラスチック・モデルキット(ケラトサウルス)》1978年、田村博コレクション
右/マルシン《ソフビ人形(スティラコサウルス)》田村博コレクション

さらに、恐竜のリアルな再現をすることが目的ではない一般的な美術、いわゆるファインアートの領域における恐竜のシンボリズムについても解説。(一部に平成~令和の作品も含む)

福沢一郎《爬虫類滅びる》(左)、《爬虫類はびこる》(右)、1974年、富岡市立美術博物館・福沢一郎記念美術館

日本にシュールレアリスムを持ち込み、社会風刺や文明批判を含む作品を数多く生み出した福沢一郎の《爬虫類はびこる》《爬虫類滅びる》(1974)は、恐竜の肢を大胆にメインに据えた構図が面白いです。青空から落日の強烈な色彩の対比、隆盛を誇った巨大な存在が儚くなり、それらにとって代わる存在として小さなほ乳類が群がる様子は、日本の派閥政治を風刺しているそう。

篠原愛《ゆりかごから墓場まで》2010-2011年、鶴の来る町ミュージアム

どれだけ美しい少女も老いや死からは逃れられないという西洋絵画の伝統的な「死と乙女」の図像を彷彿とさせる篠原愛《ゆりかごから墓場まで》(2010-2011)や、不要品のプラスチック玩具で作った恐竜像から、プラスチックの原料である石油がもとは恐竜などの生物の化石であることを想起させ、同時に大量生産・大量消費の問題を考えさせる藤浩志《Jurassic Plastic》(2023)など、展示されたファインアートはいずれも大作で見ごたえがありました。

第4章「科学的知見によるイメージの再構築」

第4章「科学的知見によるイメージの再構築」では再び話題が恐竜のイメージの変遷に戻ります。1960年代から70年代にかけての恐竜研究では「恐竜ルネサンス」とよばれる変革が起き、従来考えられていた鈍重な変温動物ではなく“活発に動きまわる恒温動物”だったという見解が示されるなど、恐竜像が大幅に刷新。新しい恐竜の姿を表現した作品が次々に生まれていきました。

ウィリアム・スタウト《沼地での殺害―クリトサウルスを襲うフォボスクス》1980年、福井県立恐竜博物館

展示では、ファンタジーアートの領域でもカルト的な人気を誇るイラストレーター、ウィリアム・スタウトや、映画『ジュラシック・パーク』の立体モデルを手掛けたマイケル・ターシック、美術解剖学をベースに恐竜を正確かつ迫力あるタッチで描く現代日本における古生物復元画の第一人者、小田隆など、1960年以降に登場した実力派パレオアーティストたちのバラエティ豊かな作品が競演しています。

左/マイケル・ターシック《ダスプレトサウルス・トロスス》1993年、インディアナポリス子供博物館(ランツェンドルフ・コレクション)
右/マイケル・ターシック《スティラコサウルス》1994年、インディアナポリス子供博物館(ランツェンドルフ・コレクション)
小田隆《追跡1》2000-2001年、群馬県立自然史博物館

現代のアーティストたちは、恐竜たちを機敏に動きまわらせています。水しぶきを上げながら猛スピードでティラノサウルスが走るジョン・ビンドン《嵐の最前線》(1996)や、敵なのか味方なのか、恐竜たちが一斉に動きだす瞬間を切り取ったようなグレゴリー・ポール《シチパチとサウロルニトイデス》(1989)などは、第2章で見た恐竜たちと比べて躍動感が段違い。

ジョン・ビンドン《嵐の最前線》1996年、インディアナポリス子供博物館(ランツェンドルフ・コレクション)
グレゴリー・ポール《シチパチとサウロルニトイデス》1989年、福井県立恐竜博物館

作品の視点にも個性が強く出ている印象です。吸い込まれるような美しく叙情的なパステル画で、太古の世界の光や空気を精緻に表現しているダグラス・ヘンダーソンの作品は、まるで上質な写真集を見ているかのよう。

クリトサウルスが水中を歩く肢だけを描くなど、視点の新しさが目を引きます。/ダグラス・ヘンダーソン《クリトサウルスとガー》1990年、福井県立恐竜博物館
ヘンダーソン作品はどれも静謐な雰囲気が漂っています。/ダグラス・ヘンダーソン《ティラノサウルス》1992年、インディアナポリス子供博物館(ランツェンドルフ・コレクション)

多くの画家が恐竜そのものに焦点を当てているのに対し、ヘンダーソンは当時の生育環境とともに恐竜を描き出す傾向が強く、《ティラノサウルス》(1992)や《隕石衝突》(1989)では恐竜がほとんどシルエットの状態。ピントを当てずに風景に溶け込むように描いています。

夕焼けを撮ろうとしたら偶然に鳥が写り込んだとか、森を歩いていたら木々の奥にリスがいるのを見つけたとか、そんなありふれた記憶が重なる巧みな構図にすっかり引き込まれました。

左/徳川広和《篠山層群ティラノサウルス上科》2015年、丹波市立丹波竜化石工房
右/徳川広和《タンバティタニス・アミキティアエ》2013年、丹波市立丹波竜化石工房

学術的知見が増えるなかで、恐竜の姿がクリアになっていく様子がアートで楽しめる特別展「恐竜図鑑-失われた世界の想像/創造」の開催は2023年7月22日(土)まで。太古の世界へのロマンがかき立てられる内容であるのはもちろん、こうして時代をまたいだパレオアートが一堂に会する機会は滅多にありませんので、ぜひチェックしてください、

特別展「恐竜図鑑-失われた世界の想像/創造」概要

会期 2023年5月31日(水)~7月22日(土)
※会期中無休
会場 上野の森美術館
開館時間 10:00 ~ 17:00(土日祝は 9:30 ~ 17:00)
※入場は閉館の 30 分前まで
観覧料(税込) 一般 2,300円、大学・専門学校生 1,600円、高・中・小学生 1,000円

※未就学児は無料(高校生以上の付き添いが必要)
※障がい者手帳をお持ちの方と介助者1名は無料
※団体割引あり。
※予約制ではありませんが、混雑時は人数制限を行う場合があります。
その他、チケットの詳細については公式ページでご確認ください。

主催 産経新聞社、フジテレビジョン、上野の森美術館
お問い合わせ ハローダイヤル 050-5541-8600(全日 /9:00 ~ 20:00)
公式サイト https://kyoryu-zukan.jp/

※※記事の内容は取材日(2023/5/30)時点のものです。最新情報は公式サイト等でご確認ください。

記事提供:ココシル上野


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若き芸術家たちの胎動とその軌跡。
【東京藝術大学大学美術館】「台東区コレクション展―文化・芸術の杜 上野を巣立った芸術家たち―」内覧会レポート

東京藝術大学大学美術館
《花ノモトニテ》ウエバ ヒロコ 平成11年度

昭和56年度に創設された「台東区長賞」を原点として、長年にわたって交流・連携を深めてきた台東区と東京藝術大学。台東区長賞を通じて世に飛翔した芸術家も多く、同賞は若手芸術家の育成に大きな貢献を果たしてきたといえるだろう。

本展では台東区長賞受賞作品のうち、学生たちが制作した渾身の作品40点が展示される。

 

展示会場風景

「台東区コレクション展―文化・芸術の杜 上野を巣立った芸術家たち―」で出展されているのは、東京藝術大学の優秀な学生を顕彰し、その卒業制作を台東区が収集した「台東区長賞」を受賞した作品群。すなわち、いずれも学生時代の作品です。

昭和56年度から始まった台東区長賞制度は、美術学部絵画科の日本画および油絵・版画から各1名に授与され、その作品が台東区が寄贈されるというもの(平成30年度から音楽分野も加わっている)。この受賞者にはその後第一線で活躍することになるアーティストが数多く含まれており、まさに若手芸術家にとっての登竜門としての役割も担っていたことがわかります。

昭和・平成・令和の表現の「変遷」をたどる

前半部では前回展(平成28年度)以降の作品を展示。入って左手の壁面では油絵・版画の受賞作を展示している
手前は《かき》(土屋 玲 令和4年度)。牡蠣の貝殻を様々な素材で表現し、その複雑な表情を再現した実験的な作品
入って右手の壁面(前半部)には日本画の受賞作を展示
《乱立》(三品 太智 令和元年度)は、乱立するテレビアンテナをイメージした作品。田舎出身だという三品氏は、ここに故郷の樹林を想起したのだろうか

本展のテーマとなるのは「変遷」と「多様性」。
この展覧会では昭和・平成・令和と3つの時代にわたって40年以上続く台東区長賞の作品の中から40点を展示。その後第一線で活躍した芸術家や、今後の飛躍が期待される近年の受賞者まで、彼らが学生時代の集大成とした制作した渾身の作品が一堂に会します。
一点一点の作品が魅力的なのはもちろん、時代時代におけるトレンドの変化、そして「日本画」「油絵」といった枠組みにとらわれない発想の多様性にも注目です。

後半部は第1回受賞作《迷宮》(手塚 雄二 昭和56年度)を筆頭に、42年間の集大成的な構成となっている
台東区長賞の歴代作品から厳選して展示。どの作品からもすでに卓越した技量を感じられる
手前は《叢》(佐々木 正 昭和57年度)、奥は《惑い》(四宮 義俊 平成14年度)。年代の大きく離れた受賞作を見比べられるのは趣深い
《 二人(崇浩と久美)》(土井原 崇浩 昭和61年度)。作者も「自分の出発点」と語る、夢をテーマにしたユニークな作品

本展は2部構成となっており、前半では前回展(平成28年)以降に台東区に収集された日本画、油絵・版画の受賞作を紹介。そもそも本来であれば6回目となる「台東区コレクション展」は東京2020大会に合わせて開催される予定でしたが、新型コロナウイルス感染症により延期され、7年ぶりの開催となりました。
前半部では、この7年間で生み出された若き芸術家たちの渾身の作品が一挙に展観されています。

一方後半部では台東区長賞の歴代作品の中から厳選して作品を展示。第1回受賞者の手塚雄二氏(東京藝術大学名誉教授)の作品を筆頭に、この42年間で同賞を受賞した珠玉の作品が並びます。

会場から感じられるのは、まさにこれから羽ばたこうとする若い芸術家たちの「胎動」のエネルギー。小説においては「処女作にはその作家のすべてがある」とよく言われますが、彼らのその後の作品に通底するテーマや作風をこれらの作品の中に見出すことができるのかもしれません。
すでに彼らの活躍を知っているファンにとっても、はじめて彼らの作品に触れる人たちにとっても、鮮烈な発見と感動を与えてくれる展覧会だといえるでしょう。

展示作品紹介

ここでは、展示作品の一部をご紹介します。

《迷宮》手塚 雄二 昭和56年度

現実の「会議」もこんなもの?動物たちが話し合う不可思議な空間

皆好き勝手な意見を言い合う会議。議長である女性の後ろにはどこまでも迷宮が広がっています。身の廻りの人々を動物にたとえ、混沌とした不可思議な世界を表現した作品です。(制作者より)

<手塚雄二>
1953年神奈川県生まれ。日本美術院同人・業務執行理事、東京藝術大学名誉教授、福井県立美術館( Fukui Fine Arts Museum ) 特別館長。現代日本画壇を牽引する日本画家として、現在も精力的に活動を続けている。

 

《野辺に枕で踊りまくれ》菊地雅文 平成4年度

自身の演出した舞台を「風景画」として再構成した作品

平成4年、南麻布三ノ橋。約2ケ月間毎週土日公開 週間読切演劇『名探偵は本当にいるのか』(総監督 小林晴夫) 搬出で持ち出した壁面を組み、第4話、自身演出部を再構成。全話見た人でもこの絵を見ていない人は多い。(制作者より)

<菊地雅文>
1968年神戸市出身。東京藝術大学美術学部絵画科油画卒業。絵画制作、演劇制作、音楽制作に携わり、国内外で個展、グループ展を多数行っている。「野辺に枕で踊りまくれ」は1992年共同演出・制作の舞台演劇 「濡れた羽根は空をつかめない」を風景画で体験することを目的として制作された。

 

《樹樹邂逅》井手 康人 平成元年度

光と闇が交錯する屋久島の神秘

大学院に入った頃、屋久島に一人で旅行に行きました。海岸線にガジュマル、森の中は原生林、山頂では豪雪になる島です。山小屋に泊まりながら写生をし、森の中を歩き回った印象を制作しました。縦横無尽に苔の生えた枝が伸び、闇と光が交錯した世界は神秘的で荘厳な空間です。(制作者より)

<井出康人>
1962年福岡県に生まれる。東京藝術大学大学院修了。現在、日本美術院特待。倉敷芸術科学大学芸術学部教授。女性や花が醸し出す柔和で幻想的な作風が特徴的とされる。

開催概要

会期 2023年6月17日(土) – 2023年7月9日(日)
会場 東京藝術大学大学美術館 本館 展示室3、4
開館時間 午前10時 ~ 午後5時(入館は午後4時30分まで)
休館日 月曜日
観覧料 無料
主催 台東区、東京藝術大学
問い合わせ 050-5541-8600 (ハローダイヤル)
展覧会HP https://museum.geidai.ac.jp/exhibit/2023/06/taito2023.html
https://www.city.taito.lg.jp/virtualmuseum/index.html

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【会場レポ】大回顧展「マティス展」が東京都美術館で開催。初期の傑作《豪奢、静寂、逸楽》が日本初公開、色彩の探求者の旅をたどる

東京都美術館

鮮烈な色彩によって美術史に大きな影響を与えたフォーヴィスム運動の中心的人物として知られる、20世紀を代表するフランスの巨匠アンリ・マティス(1869-1954)。その大規模な回顧展「マティス展」が東京都美術館で開催中です。会期は2023年8月20日まで。

初期の傑作《豪奢、静寂、逸楽》が日本初公開となることでも話題の同展を取材しましたので、会場の様子をレポートします。

展示風景
展示風景、《自画像》1900年、ポンピドゥー・センター/国立近代美術館
展示風景、《アルジェリアの女性》1909年、ポンピドゥー・センター/国立近代美術館
展示風景、右は《金魚鉢のある室内》1914年、ポンピドゥー・センター/国立近代美術館
展示風景、マティスが表紙をデザインした『芸術・文芸雑誌ヴェルヴ』
展示風景、ヴァンス・ロザリオ礼拝堂の特別映像 ©NHK

約150点の名品で通覧するマティスの探求の旅

「色彩の魔術師」の異名をもつアンリ・マティス。目に映る現実から自由に色彩を解放した彼の絵画表現は美術史に革新を起こし、モダン・アートの歴史に忘れがたい足跡を残しました。

現在開催中の「マティス展」は、日本では約20年ぶりとなる大規模な回顧展。世界最大規模のマティス・コレクションを誇るパリのポンピドゥー・センターから名品、約150点が集結しました。絵画を中心に彫刻、ドローイング、切り紙絵、晩年の最大の傑作である南仏ヴァンスのロザリオ礼拝堂に関する資料まで、各時代の代表的な作品によって、マティスの造形的な冒険を多角的に紹介。感覚に直接訴えかけるような鮮やかな色彩と光の探求に捧げた84年の生涯を通覧する内容になっています。

展示は全8章構成。
・第1章 フォーヴィスムに向かって 1895〜1909年
・第2章 ラディカルな探求の時代 1914〜1918年
・第3章 並行する探求―彫刻と絵画 1913〜1930年
・第4章 人物と室内 1918〜1929年
・第5章 広がりと実験 1930〜1937年
・第6章 ニースからヴァンスへ 1938〜1948年
・第7章 切り紙絵と最晩年の作品 1931〜1954年
・第8章 ヴァンス・ロザリオ礼拝堂 1948〜1951年

新印象派、フォーヴィスム、キュビスム…実験を繰り返したマティスの多彩な絵画表現

年代順に並んだ作品群を見ると、マティスが短い期間に次々と画風を変化させていたことに気づくはず。いくつか例を挙げてみます。

1869年、フランス北部の裕福な家庭に生まれたマティスは、20歳を過ぎてから画家の道を志し、1891年にパリに上京しました。画家としてのアイデンティティを確立しようとしていた最初期の作品としては、パリ国立美術学校で教鞭をとっていた象徴主義の画家ギュスターヴ・モローに師事していた時期に制作した《読書する女性》(1895)を鑑賞できます。

第1章展示、《読書する女性》1895年、ポンピドゥー・センター/国立近代美術館

カミーユ・コローの人物画の影響が感じられる、「これがマティス?」と驚いてしまうほど写実的で抑制された作風からは、いずれ20世紀美術を代表する巨匠となる片鱗はまだうかがえません。国家買上となり初めて商業的成功を収めた作品ですが、このような伝統的な画法はすぐに放棄されたようです。

第1章展示、《サン=ミシェル橋》1900年頃、ポンピドゥー・センター/国立近代美術館
第1章展示、《ホットチョコレートポットのある静物》1900-02年、ポンピドゥー・センター/国立近代美術館

次第に《サン=ミシェル橋》(c1900)、《ホットチョコレートポットのある静物》(1900-1902)のように、数年後のフォーヴィスムの到来を予感させる、燃え上がるような鮮やかな配色の作品を制作するようになります。

第1章展示、《豪奢、静寂、逸楽》1904年、ポンピドゥー・センター/国立近代美術館

そして1904年には、新印象派の中心人物ポール・シニャックの招きでひと夏をサントロペで過ごしたあと、彼から学んだ「筆触分割」技法を用いて初期の傑作《豪奢、静寂、逸楽》(1904)を完成させました。

日本初公開となる同作は、光に満ちた理想郷ともいうべき光景を、対象の固有色ではなく純色を使用した筆触分割で描いたもの。おおむね新印象派の作画の指針に忠実に従っているものの、よく見れば抽象化した人物は輪郭線で囲んで形態を保っているなど、指針にはない実験の痕跡が見てとれます。マティスが生涯にわたり課題とした“色彩と線描の衝突”という本質的問題は解決されないままでしたが、同作はマティスの画業において重要な一歩になりました。

翌年には早くもこの筆触分割を捨て、南仏コリウールで色彩と線描の衝突の問題に真正面から取り組みます。そこで、目に映る色彩ではなく、感覚を重視した自由で大胆な色彩表現と荒々しい筆致によるフォーヴィスムを創出したのでした。

第1章展示、《豪奢I》1907年、ポンピドゥー・センター/国立近代美術館

しかし、フォーヴィスムの立役者として美術界でスキャンダルを巻き起こしたマティスですが、《豪奢、静寂、逸楽》の3年後に制作された《豪奢Ⅰ》(1907)を見ると、色彩は調和的で、筆触もフラットなものになっています。「マティスはフォーヴィズムの画家」というイメージを強くもっている方もいるでしょうが、実のところマティスのフォーヴィスム的傾向は数年も続かず、同作は1907年の時点ですでに絵画空間の探求が次のステージに進んだことを示しています。

安定して制作を続けていたマティスの生活を大きく変えたのは、1914年に起きた第一次世界大戦。自身の2人の息子や友人たちが動員され孤立したマティスは、状況に抵抗するかのように創作にのめり込み、革新的な造形上の実験を進めていきました。

第2章展示、《コリウールのフランス窓》1914年、ポンピドゥー・センター/国立近代美術館

この時期の作品で目を引くのは、世界大戦勃発直後に制作された《コリウールのフランス窓》(1914)で、当時のマティスの心境を反映したかのような暗い色調の謎めいた一作です。生涯アトリエ(室内)で実験を繰り返したマティスにとって「窓」は重要なモチーフで、マティス作品において「窓」は内と外を切り離すものではなく、内外の空間が同じ一つのまとまりであることを明らかにするものだったようです。

西洋の伝統のなかでは視覚のメタファーとしても使われた窓。同作において、窓には当初バルコニーが描かれていましたが、最終的にすべて黒で塗りつぶされているという点が示唆的です。この窓は閉じているのか、開いているのか? そもそもタイトルで示されていなければ、これが窓だと認識できたでしょうか。未完のまま熟考の末に終止符が打たれたと考えられている同作は、「どれだけ要素を取り除いたらイメージが成立しなくなるのか」を極限まで突き詰めた構図で示した、マティスの創作の一つの臨界を印づけた作品です。

第2章展示、《白とバラ色の頭部》1914年、ポンピドゥー・センター/国立近代美術館

《コリウールのフランス窓》を制作する一方で、マティスは肖像画にも取り組んでいました。コリウール滞在中に、キュビスムの画家ジュアン・グリ(フアン・グリス)と対話を重ねたのちに、自身の娘マルグリットをモデルにした《白とバラ色の頭部》(1914)を制作。マティスの作品のなかでは最もキュビスムの影響が色濃い一点とされています。

平坦で単純化された画面構成、幾何学化された人体。極限まで細部を排除し、かつモデルの本質を損なわないためにはどうすればいいかという、《コリウールのフランス窓》と同じようなラディカルな実験の結果が示されています。

 

ここまで紹介した作品だけでも、実験と熟考を繰り返しながら新しい絵画表現を取り入れていったマティスの貪欲な探求の姿勢が伝わるかと思います。しかし、展示内容的にはまだ第2章の中ほどであり、マティスのキャリアの半分も過ぎていません。第8章まで鑑賞すると、その画風の多彩さに、これが一人の画家を取り上げた回顧展だということを忘れてしまうほどでした。ただ、画風がどのように変化しても、色彩や形に対する意識の高さ、目に見えるものよりも情動を重視する姿勢は一貫しているように感じます。

第4章展示、《赤いキュロットのオダリスク》1921年、ポンピドゥー・センター/国立近代美術館
第4章展示、〈緑色の食器戸棚と静物〉1928年、ポンピドゥー・センター/国立近代美術館

画風の幅広さという視点で特に面白かったのは、第5章「広がりと実験 1930-1937」で鑑賞できる《夢》(1935)と《座るバラ色の裸婦》(1935-36)です。

第5章展示、《夢》1935年、ポンピドゥー・センター/国立近代美術館
第5章展示、《座るバラ色の裸婦》1935-36年、ポンピドゥー・センター/国立近代美術館

南仏ニースに拠点を移したのち、1930年代に入るとマティスはアメリカやオセアニアを旅し、新しい光と空間に触れて作品がさらに開放的、かつ広がりをもつようになりました。1920年代に伝統的な絵画観に回帰していた表現手段が、再び単純化していった時期でもあります。その頃に制作された《夢》と《座るバラ色の裸婦》は、着手したのが同年であり、没するまでマティスのお気に入りのモデルだった秘書のリディア・デレクトルスカヤを描いた裸婦像であること、青系の背景という多くの共通点がありながら、作品から受ける印象は大きく異なります。

目を閉じて寝そべる女性の上半身を画面全体に配置した《夢》は心地よい開放感に満ち、心理的かつ造形的な充足を表現している一方で、徹底した幾何学形態を選択した《座るバラ色の裸婦》は、消去や単純化といった度重なる操作の痕跡を露わに留め、優美なポーズをとっていた女性を亡霊めいた図式的な像に変貌させています。背景の中に人物の形態を挿入する方法について、無数のバリエーションを伴いながら追求したこの時期の熟考の様子を端的に表している2作品なので、ぜひご注目ください。

色彩と線描の調和を模索したマティスの到達点、生涯最後に手掛けた油彩画《赤の大きな室内》にも注目

晩年の傑作を複数展示する第6章「ニースからヴァンスへ 1938〜1948年」は、とくに十分な時間をとって鑑賞してほしいエリアです。

世界をひっくり返すような大きな冒険となったマティスの数々の実験は、すべて彼の色彩に満ちたアトリエの中で行われたといいます。そのため、アトリエ自体もマティスにとっての生涯を通じた重要なモチーフになりました。1939年、第二次世界大戦が勃発したころ、齢70近くになったマティスは、アトリエに花瓶、布地、家具といった手ずから収集した品々を注意深く配列しながら、それらを何度も描くことで事物の「本質」を自分の体にしみ渡らせるという作業を行うようになります。

第6章展示、《マグノリアのある静物》1941年、ポンピドゥー・センター/国立近代美術館

マティスの代名詞ともいえる赤色が美しい、平面的で装飾性が強調された代表作《マグノリアのある静物》(1941)はこうした作業、何十点もの準備デッサンを制作したのちに満を持して完成させた作品。モチーフから本質のみを取り出すことで、星形のマグノリアの周囲を複数の事物が浮遊するように取り巻くといった表現に至っています。マティスが「あらんかぎりの力」を尽くしたと語った、画家お気に入りの一作です。

1943年、空爆の危機から逃れるためにマティスはニースから近郊のヴァンスに移り住みますが、ここで手がけられたのが最後の油彩画連作である「ヴァンス室内画」シリーズ。同展ではシリーズのうち、第1作となる《黄色と青の室内》(1946)と第13作目にして画家最後のキャンバス絵となった《赤の大きな室内》(1948)が展示されています。

第6章展示、《黄色と青の室内》1946年、ポンピドゥー・センター/国立近代美術館
第6章展示、《赤の大きな室内》1948年、ポンピドゥー・センター/国立近代美術館

とくに《赤の大きな室内》はマティスの色彩に関する仕事が凝縮された傑作と位置付けられていて、平面化された空間に、赤色、アトリエ、画中画といったマティス絵画の重要なテーマ群が巧みな構図で綜合されています。壁にかけられた2枚の絵画はどちらも既存のマティス作品からの引用です。左の筆書きによる白黒のデッサンはまるで窓のように空間に広がりをもたせるのみならず、右の色彩豊かな油彩画と対等に掲げられている様子が、色彩と線描の衝突という課題に挑み続けたマティスの営みをあらためて見る者に示しているように感じられました。

作品の魅力について、東京都美術館学芸員の藪前知子さんは「マティスにとって、世界は調和に満ちているもの。調和に満ちた世界から受ける感覚をどのように絵画の中に表現するかということで、異なる世界を束ねるようなさまざまな要素が、一枚の絵画の中に調和をもって存在している(作品を目指した)。それが実現されている」と語ります。

生き生きとした赤い背景の中で黒い輪郭線は軽やかに踊るよう。線と色彩が調和するだけでなく互いを開放し、幸福感がどこまでも続いていく。79歳という最晩年までマティスが歩みを止めなかったことを象徴するような作品です。

色彩と光にあふれたマティスの最高傑作「ヴァンス・ロザリオ礼拝堂」の美麗な特別映像も上映

ここまで展示のうち絵画作品をピックアップして紹介してきましたが、第3章では主要な彫刻作品、第7章では切り紙絵作品、第8章ではヴァンスのロザリオ礼拝堂に関する仕事を取り上げていました。

第3章展示風景

第3章「並行する探求―彫刻と絵画 1913〜1930年」の展示では、20年にわたって探求されたモチーフである〈背中〉連作が壁一面に並んで非常に迫力がありました。マティスは平面表現のイメージが強い画家ですが、彫刻を手がけた理由については「補足の秀作として、自分の考えを整理するため」と述べています。しかし、その重要度は低くなく、2次元と3次元の関係を模索する助けとなり、とりわけ粘土塑像は絵画ではまだ表現できない着想に形を与えるものとして好んだ手段でした。

第3章展示、《アンリエットI–Ⅲ》1925-29年、(Ⅰ:1925年/Ⅱ:1927年/Ⅲ:1929年)、ポンピドゥー・センター/国立近代美術館

肖像の表現を徐々に複雑化しながら、身体の構造を不正確に描写しても、人物のうちに秘められた本質的真実は隠されず、むしろ表に出てくることを証明しようとした〈アンリエット〉連作(1925-29)は、目に見えるものの再現に重きを置かなかったマティスらしさがつまっています。

第3章展示、《背中I–IV》1909–30年(Ⅰ:1909年/Ⅱ:1913年/Ⅲ:1916–1917年/IV:1930年)、ポンピドゥー・センター/国立近代美術館

4点の等身大の女性像である〈背中〉連作(1909-30)は、ⅠからⅣまで、一見女性の後姿を徐々に単純化した過程を表現したものに見えますが、実は初めからシリーズとして構成されたわけではなく、常に変化する単一の粘土彫刻として考えられたものでした。同シリーズの制作時期は、《ダンス》などのモニュメンタルな絵画の制作時期と重なっていることが指摘されています。これはマティスが、絵画と彫刻を連動させながら折々の造形的な課題を解決しようと試みたことを示しています。彫刻はマティスにとって、その造形活動全体にリズムを与えるものだったのです。

第7章「切り紙絵と最晩年の作品 1931〜1954年」の展示では、1940年代以降、病気によりベッドや車いすでの生活が中心になったマティスが集中して取り組むようになった、「ハサミで描く」切り紙絵作品を中心に紹介しています。

第7章展示、《ジャズ》1947年、ポンピドゥー・センター/国立近代美術館

1943年から46年にかけて、マティスは切り紙絵20点を制作し、これをもとに革新的な画文集『ジャズ』を出版しました。タイトルは切り紙絵の即興性を強調したもの。有名な切り紙絵作品《イカロス》も同書の収録作品です。グワッシュで鮮やかに彩色された切り紙絵は、会場の黒い壁の上で踊るように軽快な印象を与えます。

第7章展示、大型の切り紙絵パネルをリネンに転写して作られた大判壁掛け。左は《オセアニア、空》、右は《オセアニア、海》1946年、ポンピドゥー・センター/国立近代美術館

簡単に画面構成を試行錯誤することができ、輪郭線に悩むことなく色彩にフォーカスできるというメリットがある切り紙絵もまた、マティスの一連の絵画作品と不可分の表現でした。切り抜くという一つの動作のうちに、デッサン、ペインティング、彫刻を集約し、色彩と線描という二つの造形要素を統一する手立てにしたのです。

第8章展示風景

そしてクライマックスの第8章「ヴァンス・ロザリオ礼拝堂 1948-1951」では、最晩年にあたる1948年から1951年にかけて、マティスが自身の集大成として手掛けたヴァンスのロザリオ礼拝堂における仕事に関する豊富な資料を展示。

礼拝堂を一つの総合芸術作品として構想していたマティスは、デザイン、彫刻、切り紙絵などこれまで探求してきたあらゆる技法を駆使して、建物の設計、壁画、装飾、祭服、典礼用品のデザインに至るまですべて手掛けました。「最晩年」という言葉のイメージからは想像もつかないバイタリティーに驚かされます。

第8章展示、ヴァンス・ロザリオ礼拝堂の特別映像 ©NHK

この章では、同展のために撮り下ろされたヴァンス・ロザリオ礼拝堂の特別映像が上映されていました。ある晴れた日の、朝から夜まで表情を変える礼拝堂内の光の移ろいを美麗な4K映像で紹介するもので、ステンドグラスから零れる光の照らす様子の美しさには言葉を失います。この礼拝堂は「訪れる人々の心が軽くなる」ような空間でなくなはならないというマティスの信念を見事体現した、色彩と線、そして光が一堂に会する空間を、ぜひ鑑賞の最後に堪能してほしいです。

「マティス展」の開催は2023年 8月20日(日)まで。

「マティス展」開催概要

会期 2023年4月27日(木)~ 8月20日(日)
会場 東京都美術館 企画展示室
開室時間 9:30~17:30、 金曜日は20:00まで
※入室は閉室の30分前まで
休室日 月曜日、7月18日(火)
※ただし7月17日(月・祝)、 8月14日(月)は開室
観覧料 一般 2,200円、大学生・専門学校生 1,300円、65歳以上 1,500円

※本展は日時指定予約制です。
※観覧料、チケットの詳細は公式ページでご確認ください。

主催 公益財団法人東京都歴史文化財団 東京都美術館、 ポンピドゥー・センター、 朝日新聞社、NHK、 NHKプロモーション
お問い合わせ 050-5541-8600(ハローダイヤル)
展覧会公式サイト https://matisse2023.exhibit.jp/

※記事の内容は取材日(2023/4/26)時点のものです。最新情報は公式サイト等でご確認ください。

 

記事提供:ココシル上野


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