国立西洋美術館
印象派を代表する画家・クロード・モネの晩年の作品と、その表現の変化に焦点を当てた展覧会「モネ 睡蓮のとき」が、東京・上野の国立西洋美術館で開幕しました。会期は2025年2月11日まで。
同一のモティーフを異なる季節や天候のなかで観察し、刻々と変化する印象や光の動きを複数のカンヴァスで描きとめる「連作」の手法を確立したことでも知られるクロード・モネ(1840-1926)。1890年、50歳になったモネは、フランスの小村ジヴェルニーの土地と家を買い取り、数年をかけて睡蓮の池のある「水の庭」を造成します。この睡蓮の池に周囲の樹木や空、光が一体となって映し出される水面が、晩年のモネにとっての最たる創造の源になりました。
本展は、最初期の貴重な〈睡蓮〉の作例から、モネの心を最期まで占めていた「大装飾画」の制作過程で生み出された大画面の〈睡蓮〉など、〈睡蓮〉連作を中心にモネの集大成となる晩年の芸術表現を紹介するもの。
会場には、世界最大級のモネ・コレクションを誇るパリのマルモッタン・モネ美術館より、日本初公開7点を含む48点の絵画が来日。国立西洋美術館の松方コレクションをはじめ、日本国内に所蔵される名画も加えた計66点を展示しています。
会場の入口にある大きく引き伸ばされた写真は、帽子を被ったモネの頭部が睡蓮の池に写っている様子を残したもの。本展の報道内覧会に立ち会ったマルモッタン・モネ美術館コレクション部長・文化財主任学芸員であるシルヴィ・カルリエさんは、「モネの視点を通して、モネとともにゆるやかに水の風景や水辺に生息する植物たちの中を進んでいく、この展覧会の全体の意図を視覚的に見せるものです」 と語っています。
本展は4つの章とエピローグによって構成されています。第1章「セーヌ河から睡蓮の池へ」では、〈睡蓮〉に着手する以前、1890年代後半のモネの主要な創造源であったロンドンやセーヌ河の風景を描いた作品を紹介。モネがいかにして水というモティーフ、そして水面に映し出される光や反射像が織りなす効果に探求心を傾けていったのかを見せています。
また、モネが初めて〈睡蓮〉を描いたのは1897年とされていますが、第1章にはその最初期の〈睡蓮〉と推定される貴重な作例も展示しています。
後年の連作とは対照的に、樹木や空が反射する水面ではなく睡蓮の花自体をクローズアップ。細やかな筆致で写実的な要素を残しながら物体のフォルムが描かれており、抽象化が進むその後の表現との比較も楽しめます。
19世紀末のフランスでは装飾芸術がかつてない隆盛を見せ、モネもまた1870年代の印象派時代に本格的な装飾画を手掛けました。やがて、1890年代を通じて連作の展示効果を追求する中で、睡蓮という一つの主題のみからなる装飾画で展示空間を埋め尽くす「大装飾画(Grande Décoration)」を構想。白内障を患いながらも1914年から精力的に取り組みはじめ、最終的にパリにあるオランジュリー美術館の展示室をぐるりと覆う8点の巨大な装飾パネルの形で結実することになります。
最終的に水と睡蓮、柳の木といったモティーフに収束したものの、当初は大の園芸愛好家であったモネらしく、池の周囲に植えられた多種多様な花々も取り入れられる計画でした。第2章「水と花々の装飾」では、構想の中で重要な一角をなしていた、池にかかる太鼓橋に這う藤や岸辺に咲くアガパンサスなどを扱った作品を展示しています。
アイリスもモネがとりわけ好んでいた花であり、1914年以降に手掛けられた花々の習作のうち、アイリスを描いた作品は睡蓮に次いで最も多く、点数は20を数えます。《黄色いアイリス》は一見、虫や魚の目線でアイリスを見上げているような構図に感じられますが、実際は真横からとらえたアイリスと、空が映し出された池の水面を見下ろす二つの異なる視点が組み合わされたもの。モネはこうした、鑑賞者の認識を揺さぶる絵画空間をめぐる探求に余念がありませんでした。
第3章「大装飾画への道」は、大装飾画の制作過程で生み出された〈睡蓮〉の数々のうち、とくに完成形と関連が深い大型作品ばかりを9点展示。オランジュリー美術館の展示室にイメージを寄せた楕円形の展示空間で〈睡蓮〉に囲まれ、どこまでも広がる瞑想的な色彩の世界と一体化できる本展のハイライトです。なお、このエリアでは特別に写真撮影も可能です。
9点のうち2点は、1914年以降の制作において重要なモティーフとなった雲の反映が存在感を示しています。一方は、ほのかにオレンジに染まる白い雲が中心となり、青空と明瞭なコントラストをなす様子が特徴的。奔放な筆致で描かれた睡蓮の葉や枝垂れ柳が画面の上下左右に伸び、生き生きとした印象を受けます。
こうしてモネが雲の反映を重視するようになったのは、ポプラや柳の木々といった大地に結びつく要素と合わせ、池の水面の上で天と地が一体となる感覚を強めようとしたため、という見方もあるようです。
なお、巨大な装飾パネルの制作は、モネが新たに建設した広大なアトリエにおいて戸外で描いた習作をもとに取り組まれました。自然の印象の記憶を内面化し、カンヴァスの上に再構成するプロセスを経て、モネの芸術は網膜に映る現実から離れ、より内的なイメージへと変容していきます。
第4章「交響する色彩」では、死の間際まで続いた大装飾画の制作と並行して手掛けられた小型の連作群を紹介。睡蓮の池にかかる日本風の太鼓橋や、「水の庭」に隣接する「花の庭」のバラのアーチがある小道などがモティーフとなっています。
進行する白内障により視力が低下したためか、作品からは次第に遠近感が失われ、平面的な広がりを見せるようになります。色覚も変調をきたし、あるときには黄と緑が彼の世界を支配し、あるときにはそれ以外の色がすべて青みを帯び、とくに赤が濁って見えていたそう。1923年から3度にわたる手術を経て視力はある程度回復しましたが、そのさなかに描かれた〈日本の橋〉連作は、モティーフの判別がつかないほど色調がもつれ、輪郭は溶け、筆触も濃密に絡まり合っています。
第1章で見た繊細な表現を振り返ると、歴然とした差に驚くはず。筆を叩きつけるように執拗に色を塗り重ねている様子は、モティーフの実在を刻み込むようでもあり、視力の低下、色彩の欠乏という画家として致命的になりかねない障害に対する恐怖心の表れのようにも感じられます。
しかし、実のところモネは、こうした一見すると迷走期の産物と見なせそうな最晩年の連作を、最期まで手元に残していました。気に入らないものは容赦なく破棄する完璧主義者であったことを考えると、むしろモネの経験から培われた色彩感覚に基づく、豊かな実験精神の成果と判断することもできるでしょう。
エピローグ「さかさまの世界」では本展の締めくくりとして、大装飾画の習作として制作された、枝垂れ柳を描いた作品2点を展示。最愛の家族の死や第一次世界大戦といった多くの困難に直面したモネの晩年にあって、これらの枝垂れ柳は、涙を流すかのような姿から悲しみや服喪を象徴するモティーフとしても解釈されます。
モネは大装飾画の構想において、始まりも終わりもない無限の水の広がりに鑑賞者が包まれ、安らかに瞑想することができる空間を目指していました。この《睡蓮》もまた、画面の左半分を占める枝垂れ柳の実像と虚像の境界が極めて曖昧になっていることで、静けさに満ちた永遠の世界というものを感じさせます。
新しい空間のとらえ方によって、西洋絵画の伝統的な遠近法にもとづく世界観を覆した晩年のモネ。衰えることのない制作衝動によって印象派を超えた、その画業の豊かな展開を体感できる展覧会「モネ 睡蓮のとき」をぜひお見逃しなく。
「モネ 睡蓮のとき」開催概要
会期 | 2024年10月5日[土]-2025年2月11日[火・祝] |
会場 | 国立西洋美術館(東京・上野公園) |
開館時間 | 9:30 〜 17:30(金・土曜日は21:00まで) ※入館は閉館の30分前まで |
休館日 | 月曜日、11月5日[火]、 12月28日[土]-2025年1月1日[水・祝]、1月14日[火] (ただし、11月4日[月・休]、2025年1月13日[月・祝]、 2月10日[月]、2月11日[火・祝]は開館) |
観覧料(税込) | 一般 2,300円、大学生 1,400円、高校生 1,000円
*中学生以下、心身に障害のある方及び付添者 1 名は無料。 そのほか、詳細は展覧会公式サイトでご確認ください。 |
主催 | 国立西洋美術館、マルモッタン・モネ美術館、日本テレビ放送網、読売新聞社、BS日テレ |
問い合わせ | 050-5541-8600(ハローダイヤル) |
展覧会公式サイト | https://www.ntv.co.jp/monet2024/ |
※記事の内容は取材時点のものです。最新情報は展覧会公式サイト等でご確認ください。