東京都美術館

20世紀アメリカの具象絵画を代表する国民的画家アンドリュー・ワイエス(1917-2009)を、「境界」というテーマから読み解く大規模な回顧展「東京都美術館開館100周年記念 アンドリュー・ワイエス展」が、東京都美術館で開催中です。会期は2026年7月5日(日)まで。
※本稿で紹介している作品はすべてアンドリュー・ワイエス作です。

20世紀を通じて活躍したアンドリュー・ワイエスは、抽象表現主義やネオ・ダダ、ポップアートといった、同時代を席巻した前衛芸術から距離を置き、故郷ペンシルヴェニア州と夏を過ごしたメイン州を拠点に、生涯にわたり身近な人々や風景を精緻に描き続けました。

画風は写実的ですが、目に映る情景の単なる再現ではありません。そこに広がるのは、内省的なイメージを反映させた自叙伝的とも呼べる独自の絵画世界でありながら、誰もが抱く感情や記憶と響き合う普遍的な要素を内包しています。加えて、限られた土地と人間関係に繰り返し向き合ったことから、明確な物語が描写されずとも、画面には堆積された時間、そこに生きた人々の気配や記憶が確かに漂っている――。そうした静謐なドラマ性も、ワイエス作品独特の魅力となっています。
本展は、日本では17年ぶり、ワイエスの没後では初となる大規模な回顧展。初期から晩年までの時系列で作品を紹介する一般的な回顧展とは異なり、ワイエス作品に頻出する「窓」や「ドア」といった、より私的な世界との繋がりとして機能した「境界」の表現に焦点を当てた構成です。出展作品約100点のうち、10点以上が日本初公開となっています。
第1章「ワイエスという画家」は、寂寥感に満ちた野原を、スケッチブックを抱えて険しい表情で歩く20代の画家自身を描いた《自画像》(1945)から始まります。

ワイエスは1917年、芸術家一家の末子として生まれました。幼少期から虚弱で学校に通えず、ひとりで自宅近隣を散策してはスケッチを重ね、創造性を育む日々を送ります。10代後半から著名な挿絵画家の父、N.C.ワイエスのスタジオで本格的な指導を受け、才能を開花させていきます。偉大な父の影響のもとで苦悩しながら自らの表現を模索し続けた経験が、内省的な作風の礎となりました。
20歳になると、ニューヨークで開催した水彩画の初個展で全作品完売という成功を収めるなど、画家生活は順風満帆かに見えました。しかし、《自画像》が描かれた1945年、28歳の時に、乗り越えるべき壁であり精神的な支柱でもあった父と甥が踏切事故によって急逝。以後「すべてのものは移り変わる」という視座を得たワイエスは、根底に「世の無常」という死生観が潜む独自の絵画世界を深めていきます。
同章は《自画像》を含め、ワイエスが熱心に取り組んだ細密な「テンペラ画」を中心に構成されています。

卵黄と水で顔料を溶かし、薄い層を幾重にも塗り重ねていくテンペラは、油彩の普及以降、次第に主流から外れていった古典的な技法です。ワイエスは義兄であり父の弟子でもあった、ピーター・ハードから手ほどきを受けました。油彩のテラテラとした光沢を嫌ったワイエスにとって、ザラザラと乾いた質感を生み出すテンペラは、極めて緻密な描写を可能にする点とあわせて、理想的な表現媒体となります。自然のものだけを使って生まれるそのシックな色合いを、ワイエスは自分の住む土地の色としてこよなく愛しました。
水彩においても、水分を抑えたわずかな絵具で画面を擦るように塗り重ねる「ドライブラッシュ」の技法を用いて、まるで織物を織るように、草木や壁面の荒れた質感、風にさらされた空気までも生々しく表現しました。メランコリックな詩情をたたえた画面は、こうした技法によって支えられているといえるでしょう。

《マザー・アーチーの教会》(1945)は、アフリカ系住民の心の拠り所であった教会を描いたテンペラ画です。建物は滅びの途上にありますが、開いた窓からは白い鳩が舞い込んでいます。本展のテーマ「境界」にもかかっている構図は、ただ失われていくだけではない、かすかな希望の気配を差し込んでいるようにも捉えられます。

ワイエスの育った田舎村チャッズ・フォードには、アフリカ系コミュニティやドイツにルーツをもつ移民が暮らしていました。差別や偏見が根強かった時代にあっても、ワイエスはそうした人々と親しく交わり、モデルとして多く描いています。
第2章「光と影」は、ワイエスの特徴のひとつである、光と影の巧みな対比表現に焦点を当てています。

ワイエス作品の多くは、光を強く感じさせる部分と、ほの暗さを帯びた部分とが共存しています。それは17世紀バロック絵画に見られるような劇的なスポットライト的演出ではなく、あくまで現実の光として違和感なく表されたものです。しかし、その対比はコントラストを強調する視覚的なテクニックにとどまらず、時に「窓」や「戸口」といった、両者を分け、また結ぶ働きをする境界を静かに浮かび上がらせています。

そうした光と影の演出には、ワイエス自身の経験や感情が込められており、静謐なドラマを形づくる重要な要素でもありました。たとえば、《鐘つきロープ》(1951)や《冷却小屋》(1953)といった作例では、暗がりの向こうに差し込む光に外の世界への期待や解放への予感がにじんでいます。

《洗濯物》(1961)では、ワイエスのスタジオの庭に干された洗濯物が風をはらみ、バスケットとともに明るい光に照らされています。対照的に、窓の内側は暗く沈んでいますが、よく見れば両者は断絶しているわけではなく、洗濯ロープでつながっています。そこには、有能なマネージャーとしての影の仕事と、家を支える主婦としての仕事を同時に担っていた妻ベッツィへの温かなまなざしが感じられます。


また、ワイエスは先述した父の事故死と、その5年後に自身を襲った肺疾患からの臨死体験によって、「生と死」という人生で逃れられない命題と向き合い続けました。《うたた寝》(1963)では、納屋の扉の奥に広がる深い暗闇を背景に、日向ぼっこをする白い猫が配されています。猫は死を連想させる「眠り」の状態にありますが、眠っている場所は光と影の境界です。「生と死」が対立するものではなく、連続し、つながり合うものであるというワイエスの哲学の表れと捉えることもできるでしょう。
本展でひときわスペースが広く取られているのは、3章「ニューイングランドの家――オルソン・ハウス」です。

毎年夏になると、アメリカの原風景が残るニューイングランド地方のメイン州クッシングで過ごしていたワイエス。本章冒頭に展示されている《オルソンの家》(1939)は、のちに妻となるベッツィに連れられ、同地に暮らすオルソン姉弟宅を初訪問した直後に描かれた水彩画です。丘の上に孤独にたたずみ、増改築によって変則的な形になった建物に一目で魅了されたワイエスは、以降30年にわたり、同家の2階をスタジオとして使い、夥しい数の作品を制作しました。



ワイエスにとって鉛筆素描は、「対象との間に起こる私の強い感情を表現する」ものであり、衝動をぶつけるように素早く描きつけることが常でした。一方でオルソン・ハウスに関しては、遠からず滅び去る未来を見据えたのでしょうか。まるで肖像画を仕上げるかのように、窓や羽目板の一枚一枚まで対象を丹念に捉え、その相貌を克明に記録するような素描を残しています。

ワイエスの心を捉えたのは建物だけではありません。進行性の病気によって脚が不自由になりながらも気高い独立心を持っていた姉クリスティーナと、彼女を支えるために好きな海での漁を辞め、農作業に従事した忍耐強い弟アルヴァロの人間性にも強く惹かれたのです。とりわけ、恵まれた家庭に育った自身にはない精神的な強さを備えたクリスティーナに深い敬意を抱き、名作《クリスティーナの世界》(ニューヨーク近代美術館蔵、本展未出品)をはじめとする数々の作品のミューズとしました。
台所仕事を終えたクリスティーナが、午後の日差しの差し込む裏口の踏み段に腰掛けている様子を捉えた《クリスティーナ・オルソン》(1947)も代表的な肖像画です。ワイエスが「傷ついたカモメを思い起こさせた」と語った彼女の姿もまた、内と外の境界に位置しています。

不自由な身体ゆえに容易には外へ出られないクリスティーナは、どちらかといえば暗い室内の世界に属する存在かもしれません。しかし彼女は、開かれた戸口から陽光に満ちた外の世界に視線を投げており、画面の外から吹き込む風は彼女の髪をなびかせ、画面に生命感を与えています。ここでは境界が、何かを分断するものではなく、内と外の交流を生み出す通路として表現されているのです。隣には、習作である「風で髪が揺れていない状態」の素描も展示されており、風の表現がいかにワイエスにとって重要な要素だったかを伝えています。

メイン州は最初期に入植された土地であり、19世紀初頭にさかのぼる古い家に住んでいたオルソン姉弟の父もまた、スウェーデンからの移民でした。ワイエスは姉弟の慎ましくもたくましい生活から、アメリカという国の基盤を作った人々の姿を思い浮かべていたのかもしれません。このように、星条旗やニューヨークの摩天楼といった分かりやすいシンボルではなく、歴史に連なる原風景や、そこに暮らす寡黙な人々の尊厳に深く寄り添ったことで、ワイエスは「アメリカを描く画家」として、国民から支持されるようになったのです。

アルヴァロは1967年12月に、後を追うようにクリスティーナも1968年1月に亡くなります。翌年の夏、ワイエスは無人となった家を訪れ、《オルソン家の終焉》(1969)を手がけました。描かれているのは、クリスティーナの台所仕事を想起させる煙突や、かつてアルヴァロが漁をしていた入り江、そして自由に空を飛ぶ一羽の小さなツバメの姿です。併置された習作と見比べると、本作では「窓枠」という画面の手前側と向こう側を隔てる境界が取り払われており、すでにこの世を去った姉弟との交流を、なお続けようとするワイエスの深い思慕の念がうかがえます。
ワイエスは、オルソン姉弟やペンシルヴェニア州の隣人であった元軍人のカール・カーナー、カーナーの介護を行っていたヘルガ・テストーフなど、同じ対象を長年にわたり描き続けたことで知られています。第4章「まなざしのひろがり」では、身近な風景の中から「カチッとスイッチが入る瞬間」を探し続けた画家の姿勢とともに、人物にとどまらないモチーフの広がりに着目しています。

同章では《乗船の一行》(1982)、《ハイ・スツール》(1985)、《島のポーチ》(1999)など、椅子をモチーフとした作品が特に目を引きます。《モデルの椅子》(1982)に描かれているのは、アン・コールという女性が休憩していた白い椅子と衣服。そのほうがアンという人物をよく表せると考えられたため、モデル不在の画面が選ばれました。ここでの椅子は、存在と不在を交差させる役割を果たしているといえるでしょう。ワイエスは本作のように、あえて人物を画面から退けることで、かえってその人の気配や内面を浮かび上がらせる表現をしばしば用いました。


《灯台》(1983)は、メイン州サザン・アイランドの灯台での情景を描いた一作。開かれたドアの手前にベッツィの愛犬ノームが行儀よく座っており、奥の階段を上れば外の世界が広がっていることが予感されます。灯台の光は、航海を続ける船乗りたちの生を繋ぎとめるもの。ノームは、主に変わってその命綱を守る灯台守の役割を果たそうとしているかのようです。

終章「境界あるいは窓」では、窓を中心とした境界のモチーフに立ち返り、ワイエスの絵画に通底する思想をあらためて掘り下げています。
《ゼラニウム》(1960)は、オルソン・ハウスの窓越しに室内にいるクリスティーナを捉えています。ただし、クリスティーナの人影は指摘されなければ気づかないほど存在感が薄く、彼女が好んだという赤いゼラニウム一輪が存在を暗示しています。奥の窓からは陽光が差し込み、《クリスティーナ・オルソン》と同様、彼女の世界が閉ざされてはおらず、明るい外の世界とつながっていることを伝えています。

一見すると抽象画のような《薄氷》(1969)は、ワイエスの自宅付近の水路に沈んだ枯葉を、薄く張った氷越しに見下ろした構図の作品です。前年にクリスティーナを亡くし、深い喪失感を抱えていた時期の作例であり、ワイエス自身、沈んだ無数の枯葉が自身の経験やこれまで出会った人々を表していると語っています。そうした文脈を踏まえるなら、この薄い氷の向こう側を「死の世界」として捉えることもできるでしょう。

しかし、画面をよく見ると、水の流れを示す小さな気泡が描かれており、そこが完全に静止した死の領域ではないことに気づきます。さらに、氷の上に一枚だけせり出した葉が氷面に影を落としている様子は、生と死が対立ではなく連続しているのだという、ワイエスの死生観を雄弁に物語っています。

常に喪失の気配を漂わせながらも、窓から差し込む光や、境界を越えてゆく鳥の姿に、かすかな希望がにじむワイエスの絵画。彼の「うつろいの美学」は、日本人の美意識にも深く響きます。没後初の大規模回顧展となる本展は、その静謐なドラマ性をあらためて見つめ直す機会となるでしょう。
「東京都美術館開館100周年記念 アンドリュー・ワイエス展」概要
| 会場 | 東京都美術館 |
| 会期 | 2026年4月28日(火)~7月5日(日) |
| 開室時間 | 9:30~17:30 ※金曜日は20:00まで ※入室は閉室の30分前まで |
| 休室日 | 月曜日、6月29日(月)は開室 |
| 観覧料 | 一般 2,300円、大学・専門学校生 1,300円、65歳以上1,600円、18歳以下・高校生以下は無料 ※詳細は公式ページでご確認ください。 |
| 主催 | 東京都美術館(公益財団法人東京都歴史文化財団)、東京新聞、フジテレビジョン |
| お問い合わせ | (ハローダイヤル)050-5541-8600 |
| 展覧会公式サイト | https://wyeth2026.jp/ |
※記事の内容は取材時点のものです。最新情報は展覧会公式サイト等でご確認ください。








































































