【書道博物館】「没後700年 趙孟頫とその時代」会場レポート これから書道を始めたい方は必見!美麗な書が続々

台東区立書道博物館

モンゴル民族が支配する元王朝に仕えながらも、漢民族の伝統文化の継承に生涯をかけ、中国書画史に多大な功績を残した書の大家・趙孟頫ちょうもうふ(1254-1322)。その没後700年を記念して、台東区立書道博物館では特別展「没後700年 趙孟頫とその時代―復古と伝承―」が開催されています。

書道博物館の主任研究員である中村信宏さんに本展をご案内いただきましたので、会場の様子や展示内容についてレポートします。

会期:2022年1月4日(火)~2月27日(日)
期間中、一部の作品の展示替え、場面替え等が行われます。
前期:1月4日(火)~30日(日)、後期:2月1日(火)~27日(日)

東京国立博物館との連携企画です
※掲載している写真は特別な許可を得て撮影したものです。
※展示室の照明の関係で写真が全体的に暗めです。ご了承ください。

主任研究員の中村信宏さん
展示風景
展示風景

「書聖」王羲之の書法の伝承者・趙孟頫

趙孟頫ちょうもうふは、南宋時代の末期に宋の太祖(王朝の創始者)の11代目の子孫として生まれた、書画の分野で活躍した文人です。26歳で母国が滅ぼされる憂き目に遭いますが、33歳でモンゴル族が統治する元王朝に招聘され、要職を歴任しました。

漢民族王朝である宋の皇族出身でありながら、異民族王朝の元に仕えるとはなんと無節操なことか、と当時でも後世でも多くの非難を集めたそうです。しかし、趙孟頫は出世欲やお金のために元に仕えたのではありません。後述する王羲之おうぎしの書法をはじめとした漢民族の伝統文化を守り、継承することを自らの使命として、たとえ汚名を被るとしても権力をもつことを選んだのだと考えられています。

本展では、そんな使命感をもった趙孟頫がどのように書を学び、書き、それが後世に伝わっていったのかを、紙幣や印章などの時代背景がわかる関連資料を含めた約50点の作品で紹介しています。

「偽造したら死刑」と書かれた、元時代に流通していた紙幣。中統元宝交粧鈔ちゅうとうげんほうこうしょう 元時代・中統元年(1260) 前期のみ展示

趙孟頫の作品を詳しく見ていく前に、まず彼が傾倒し、よく学んだ書家として真っ先に名前が挙がる東晋時代の貴族、王羲之おうぎし(303-361)について簡単に紹介します。

書聖、つまり書の神様と呼ばれる王羲之は、実用一色だった書の世界に感情表現を持ち込んだことで書を芸術の域へと高めた、中国の書道史で最も有名な人物。その書は平明で普遍的な美しさをもち、今日に至るまで書法の最高の規範とされています。

趙孟頫が元王朝で働き始めたころ、大都では王羲之の存在感が薄れ、書の改革派だった中唐時代の顔真卿がんしんけい(709-785)が崇拝されていたといいます。趙孟頫は漢民族の文化、なかでも自らのルーツである中国南方の文化の灯を絶やすまいと、同じルーツをもつ王羲之の書法を身につけ、それを規範とする復古主義を掲げました。王羲之由来の古典の筆法や形に原点回帰した作風は、宋時代以来の書の流れを大きく転換させたそうです。

王羲之は肉筆が現存しておらず、臨書や拓本などから筆跡をたどることしかできません。つまり、実質的に王羲之書法の継承者である趙孟頫は、王羲之にアプローチするうえでは欠かすことのできない重要な存在であり、逆もまた然りということ。

当然、趙孟頫を扱う本展では多数の王羲之の書が紹介されています。


定武蘭亭序ていぶらんていじょ韓珠船本かんじゅせんぼん― 王羲之筆 原跡:東晋時代・4世紀 前期のみ展示

上の写真は王羲之の書の中でも最高傑作と名高い「蘭亭序らんていじょ」の数ある複製のうち、定武ていぶ本と呼ばれるもの。中村さんは本作について「無駄な肉をそぎ落とし、静かな趣の中に確かな強さが存在します。上品な書きぶりでいかにも当時の貴族が書きそうな文字です」と話します。

他の「蘭亭序」は派手な筆遣いが見られますが、一番静かで王羲之の神髄に迫っているのが定武本だと評価されていて、趙孟頫も特に定武本を尊重していたそう。

絳帖こうじょう 潘師旦ばんしたん編 北宋時代・11世紀頃

こちらは「絳帖こうじょう」という法帖(お手本帖)に収録された王羲之の書ですが、700年前には実際に趙孟頫が持っていたものなのだとか。その証拠に趙孟頫の号である「松雪」の印が押してありますので、実物をご覧の際は探してみると楽しいかも。

2枚展示されているうちの1枚には、たくさんの所有印が押されています。 絳帖 潘師旦編 北宋時代・11世紀頃

ちょっと主題からは反れますが、本作に限らず貴重な作品であっても所有印を遠慮なく押してしまうのって、現代の日本人の感覚からするととても大胆なことですね。来歴や感想などを書き記す「ばつ文」もいろいろな書の空きスペースに残されていて、不思議な気持ちになりました。

掲載NGでしたが、同じく趙孟頫が所持していた、道教の経典を王羲之が小楷(細字の楷書)で書いた「黄庭経こうていきょう」の法帖も必見です。王羲之が書聖として扱われている理由が一目で理解できる調和のとれた上品な字姿は、肉筆でなくとも十分見入ってしまうものでした。

どこを見ても美しい字しかない!趙孟頫の世界を堪能

さて、ここからは本題の趙孟頫の作品を紹介していきます。

「どこからどう見てもきれいな字しかないので、初めて書を学びたい、何から学ぼうかなと考えている方は必見です」と中村さんが力説する本展ですが、まさにその言葉通りの内容となっていました。

蘭亭十三跋らんていじゅうさんばつ 趙孟頫筆 原跡:元時代・至大3年(1310)

先ほど紹介した定武本の「蘭亭序」と王羲之について、趙孟頫がつらつらと思いを認めた「蘭亭十三跋らんていじゅうさんばつ」は本展の目玉のひとつ。本作の魅力を中村さんは「展示されている前半4ページが『蘭亭序』を趙孟頫が臨書したもの、後半4ページが趙孟頫の跋文なのですが、どこが境目かわからず、すべて蘭亭序に見えてしまう。いかに趙孟頫が王羲之の書法を目指し、それに肉薄したかがよくわかります」と話します。

前半は王羲之の字の臨書。 蘭亭十三跋らんていじゅうさんばつ 趙孟頫筆 原跡:元時代・至大3年(1310)
後半は趙孟頫の字。 蘭亭十三跋らんていじゅうさんばつ 趙孟頫筆 原跡:元時代・至大3年(1310)

まさに、言われるまで筆者は臨書と跋文が書かれていることに気づきませんでした。画数が多い字は特に字形も雰囲気も似ている気がします。

跋文には「数ある『蘭亭序』のなかでも定武本が最上である。字の形は時代によって変わるが、筆づかいは千年前も変わることがない。古法を一変させた王羲之の書からは雄秀の気(卓越した趣き)が自然と出ている。まさに師法とすべきなのだ」ということが書いてあるそう。王羲之への深い尊敬の念が伝わってきますね。

なお、部分的に焼失してしまっていますが、本作の肉筆は東京国立博物館の展示で見ることができます。

過秦論かしんろん (玉煙堂帖ぎょくえんどうじょう 所収)  趙孟頫筆 原跡:元時代・至元28年(1291) 前期のみ展示

過秦論かしんろん」や「楷書漢汲黯伝冊かいしょかんきゅうあんでんさつ」といった、小楷で端正にキリッと書かれた作品からは、趙孟頫の尋常ならざる鍛錬の片鱗がうかがえました。人はこれだけ整った字を、これだけ整然と書けてしまうものなのかと圧倒されるばかり。

趙孟頫の小楷を見ていると、彼のなかには文字の確固たる正解の形があって、それを寸分の狂いもなく正確に出力できるのだなと考えてしまいます。その域に至るまでどれだけの研鑽を積んだのでしょう。中村さんによれば、趙孟頫は1日に1万字(!)も書いていたということで、さもありなん。

ちなみに趙孟頫の楷書は清時代に流行し、科挙(高難易度の官僚登用試験)においては、趙孟頫に寄せた楷書で答案をつくると点数がプラスになったこともあるとか。そう扱われるのも納得の美しさでした。

掲載NGでしたが、特に肉筆の「楷書漢汲黯伝冊」は、拓本では表現しきれない細~~~いカミソリのような書きぶりが確認できて、呼吸も許されないような緻密な筆運びにこちらが息を忘れてしまいます。

真草千字文 しんそうせんじもん(渤海蔵真帖ぼっかいぞうしんじょう所収)  趙孟頫筆 原跡:元時代・13~14世紀 前期のみ展示

こちらは「千字文せんじもん」といって、子供に漢字を教えるときなどに手本として使われた、250の4字句からなる千字の長詩です。楷書と草書を並べて書くもので、趙孟頫も「千字文」で学び、大家の義務として自らも「千字文」を残しました。草書に精通していない筆者でも、この草書の一画一画から漂う気品には感じ入るものがあります。

ところで、書の大家ということで、鑑賞前はなんとなく「これぞ趙孟頫!」とはっきり言える文字の特徴があるのかなと想像していました。しかし鑑賞してみると、王羲之に追従しているだけあり均整の取れた美しさはすばらしいですが、それ以外にはあまり特徴がないような……?

きれいなだけ? といまいち趙孟頫の大家「らしさ」が分からずにいる筆者に、中村さんは次のように教えてくれました。

「確かに趙孟頫の書の一番の特徴は美しさ。誰が見ても美しいので初心者でも入りやすいですが、大したことない、誰にでも書けそうと軽く見られがちです。しかし、実際に書いてみて初めて計算された美しさだというのが分かるんです。ちょっとでも点画がずれると一気に崩壊が始まる、それも特徴といってもいいかもしれません」

蘇軾次韻潜師詩そしょくじいんせんしし(三希堂帖所収)  趙孟頫筆 原跡:元時代・大徳10年(1306) 前期のみ展示

その話を聞いてからあらためて鑑賞したのが、こちらの「蘇軾次韻潜師詩そしょくじいんせんしし」。趙孟頫が師と仰ぐ中峰明本ちゅうほうみんぽんを訪れた際に書いた作品です。楷書、行書、草書と書体を混ぜ合わせ、即興でササっと書かれたものということですが、抜群に全体のバランスが取れていることに驚きます。

文字によって線の太い細い、形の大きい小さいなど、一部を見ていると凸凹した印象を受けるのに不思議なもの。これも「計算された美しさ」の一端ということでしょうか。

「全体がまとまっていることが大切なのです。一見バラバラに見える文字でも、すべて違和感なくまとめる。卓越した技術が必要ですが、それができるのが大家というものです」と中村さん。

なるほど……! すごさがやっと少しだけ理解できました。ぜひ皆さんもその点に注目して展示を回ってみてください。

このほか、江戸時代に水戸藩に伝わった名品や、画家としても優れていた趙孟頫の「伯楽図」を狩野派の狩野中信が模写した作品など、日本における趙孟頫の人気が伝わる展示もありました。

超貴重な趙孟頫の弟の書も!

楷書謝賜御書詩表巻かいしょしゃしごしょしひょうかん  蔡襄さいじょう筆 北宋時代・皇祐5年(1053)

時代性を表すものとして面白い展示作品も。北宋時代の官僚である蔡襄さいじょうが皇帝に奉った「楷書謝賜御書詩表巻かいしょしゃしごしょしひょうかん」です。間の取り方や端正な字姿も見どころなのですが、注目は宋の四大家の一人、米芾べいふつが書き加えた跋文。米芾は長年この書を拓本でしか見たことがなく、40年経ってついに肉筆が見れたということで、その記念として跋文を記しているのです。

皇帝に仕えた書の大家さえ40年。当時、有名人の肉筆の書と出会うチャンスがどれだけ貴重だったのかが分かりますね。楷書で「四十年」とそのまま書いてあって見つけやすいので、万感の思いが詰まった書をぜひ鑑賞してみてください。

趙孟籲ちょうもうゆの跋文が見られる。 楷書謝賜御書詩表巻 蔡襄筆 北宋時代・皇祐5年(1053)

なお、本作には複数人が跋文を書いていて、その中には趙孟頫の親友・鮮于枢せんうすうや弟・趙孟籲ちょうもうゆの文字も。趙孟籲の文字は大変珍しいそうなのでお見逃しなく。


書には明るくなく、書いてある内容も読み取れない人間が楽しめるか不安だった本取材ですが、「何時間でも鑑賞していられるな」とすっかり魅力にハマってしまいました。

今回の取材は前期展示が鑑賞できるタイミングで行っていて、2月1日(火)から始まる後期展示では作品の顔ぶれがかなり変わるようです。後期は出展数が数点増えているのでさらに楽しめそう。 詳しい出展作品はこちらのページの一覧でご確認ください。

ちなみに、筆者は連携企画を行っている東京国立博物館の展示にも足を運んでみました。趙孟頫という個人に焦点を当てた書道博物館の展示と比較して、東京国立博物館はより時代全体の雰囲気を俯瞰できる書や画が楽しめる内容になっています。あわせてご鑑賞ください。

本展に足を運べば、少し前にTwitterで話題になったユニークな注意書きも見られます。

■特別展「没後700年 趙孟頫とその時代―復古と伝承―」開催概要

会期 2022年1月4日(火)〜2月27日(日)
会場 台東区立書道博物館
開館時間 午前9時30分~午後4時30分(入館は午後4時まで)
休館日 月曜日(祝休日と重なる場合は翌平日)、特別整理期間等
観覧料 一般 500円(300円) 小、中、高校生 250円(150円)
※詳細は公式サイトをご確認ください。
展覧会公式ページ https://www.taitocity.net/zaidan/shodou/oshirase/news/2113/

その他のレポートを見る