今ふたたびめぐり合う、源氏物語の世界。【東京都美術館】上野アーティストプロジェクト2022 「美をつむぐ源氏物語―めぐり逢ひける えには深しな―」(~1/6)内覧会レポート

東京都美術館
上野アーティストプロジェクト2022「美をつむぐ源氏物語―めぐり逢ひける えには深しな―」会場風景より

1000年の歳月を超えて読み継がれる平安文学の最高傑作『源氏物語』。

多彩なジャンルの表現者が参加する「上野アーティストプロジェクト」の第六弾として「美をつむぐ源氏物語―めぐり逢ひける えには深しな―」が開催されました。

今回は、開催に先立って行われた報道内覧会の模様をレポートします。

 

守屋多々志 《夕霧「落葉」》1991年 個人蔵

「上野アーティストプロジェクト」は「公募展のふるさと」とも称される東京都美術館の歴史の継承と未来への発展を図るために、2017年より発足されたシリーズです。その第六弾となる本企画は「源氏物語」がテーマ。

源氏物語といえば、平安時代に紫式部によって執筆され、約1000年の間変わらずに読み継がれてきた文学大作です。主人公の光源氏を中心に紡がれる人間模様はもちろん、四季折々の美しい情景が描写され、時代や文化を超えて人びとを魅了してきました。

東京都美術館では、11月19日より絵画・書・染色・ガラス工芸という多彩なジャンルの作家が源氏物語を表現した「美をつむぐ源氏物語―めぐり逢ひける えには深しな―」を開催。源氏物語に刺激を受けた現代作家たちの作品を通じて、物語が紡いできた美意識や魅力を探ろうという試みです。

七人の作家たちが表現する「源氏物語」の世界

鷹野理芳《生々流転Ⅱ~響~54帖・贈答歌「桐壺の巻から夢浮橋の巻」まで》2022年 作家蔵
石踊達哉氏が「花鳥風月」をテーマに手がけた作品群
カラーボールペンによって制作された渡邊裕公氏の人物画。独特の透明感と柔らかさが印象的
ガラス工芸作家である玉田恭子氏の作品。ガラス内部には源氏物語の和歌などが封じ込められ、幻想的な空間を作り出している

「美をつむぐ源氏物語―めぐり逢ひける えには深しな―」の会場はギャラリーA・C。
展示作品のジャンルはガラス工芸、染色、書、絵画と幅広いが、「和歌をよむ」「王朝のみやび」「歴史へのまなざし」といったセクションによって区分けされ、あらためてこれが源氏物語という壮大な「縦糸」によって紡がれた作品であることに気付かされます。
しかし、個々の作家が完全に源氏物語に寄り添っているかといえば、必ずしもそうではありません。むしろ源氏物語というモチーフを題材に、自由に想像の羽根を広げているような印象さえ覚えました。

本展の出品作家は、青木寿恵、石踊達哉、高木厚人、鷹野理芳、玉田恭子、守屋多々志、渡邊裕公(50音順)。
タイトルの「めぐり逢ひける えには深しな」という言葉に示されているように、本展のテーマのひとつは「縁(えに)」です。それは鑑賞者と作品の出会いでもあり、また作家と空間、そして作家同士の出会いでもあるのでしょう。

出展作家紹介

鷹野理芳
Riho Takano

鷹野理芳 《光源氏誕生「桐壺の巻」より》(部分) 2022年  作家蔵

6歳で飯島春敬主宰の春敬書道院に入門。その後、飯島敬芳に師事し、かな書道を学びます。
源氏物語に時を超えても変わらない人の心を見出し、物語の和歌を書き続けているほか、色彩豊かな料紙とともに物語に登場する姫君のイメージを組み合わせるなど、装飾的な作品にも取り組んでいます。

 

高木厚人
Atsuhito Takagi

高木厚人 《光源氏と藤壺中宮との贈答歌》 (部分) 2022年 作家蔵

千葉県生まれ。京都大学在学中から杉岡華邨に師事し、源氏物語に描かれた美意識こそがかな書道の基本であることを学びます。
現代語訳本や大和和紀の漫画「あさきゆめみし」を通して源氏物語に魅せられ、光源氏とさまざまな女性の間で交わされる贈答歌を手がけています。

 

玉田恭子
Kyoko Tamada

玉田恭子《ふみのくら 八雲  ” Yugiri ” 》 2021年 作家蔵

武蔵野美術大学工芸工業デザイン科卒業。Pilchuk Glass School(米国)他、各地のガラスの教育機関や工房を訪ねて研修、ガラスアートを学びます。
宙吹きによって制作された色ガラスや墨流し模様などを電気炉で板状にし、それを何層にも重ねて形作る独自の技法を使用。ガラス内部に源氏物語の和歌などを封じ込めた幻想的な作風で、平安時代の美的理念をあらわす「もののあわれ」を具現化しています。

 

青木寿恵
Sue Aoki

青木寿恵《源氏物語》 1976年頃 寿恵更紗ミュージアム蔵

1926年(大正15)大阪府枚方市生まれ。ローケツ染めを生業とする傍ら、1965年より手描き更紗の研究をはじめ、東京銀座和光ホールをはじめ全国で個展開催。
自然の生命力から得た感動に基づき自由な感性で作品を制作しており、更紗に代表されるエキゾチックな文様だけでなく、源氏物語を題材にした独創的な王朝の世界も描いています。

 

石踊達哉
Tatsuya Ishiodori

石踊達哉《「橋姫」の帖より 有明月》1997年 講談社蔵

日本画家。金箔やプラチナ箔をベースにした緻密で装飾的な絵肌を特徴としており、日本画の技法を自在に操りながらも、それを超越した美を追求しています。
1996~97年には瀬戸内寂聴が現代語訳した「源氏物語」(講談社)全54帖の装幀画を手がけ、日本画の装飾性を活かした色彩と大胆な画面構成が大きな評判を呼びました。

 

守屋多々志
Tadashi Moriya

左より守屋多々志《空蝉「軒端の萩」》 1991年、《紅葉賀「青海波」》 1991年、ともに個人蔵

日本画家。岐阜県大垣市生まれ。昭和5年同郷の前田青邨に師事し、日本美術院で歴史画や風俗画を数多く制作。
高松塚古墳壁画などの模写にも多く従事したほか、挿絵や舞台美術の仕事を通じて源氏物語に関心を抱き、その思いから1991年に約3年余りの歳月をかけて源氏物語の扇面画を完成させました。

 

渡邊裕公
Hiroaki Watanabe

渡邊裕公《平成回想~繁栄と受難~》 2019年 作家蔵

愛媛県出身。大きさが異なるボールペンを使い分け、ハッチング(線の重ね描き)した後に徐々に点描で密度を深め、色鮮やかな世界を表現。

筆からカラーボールペンという現代の書記具に置き換えつつ、当時の文化や人の営み、原画を描いた絵師の視覚を制作を通して追体験するとともに、歴史の一場面を現代に再現しようと試みています。

同時開催の「源氏物語と江戸文化」にも注目!

コレクション展「源氏物語と江戸文化」会場入口

また、「美をつむぐ源氏物語」と同時開催されるのが、ギャラリーBを会場とした「源氏物語と江戸文化」です。こちらは一室のみの展示で、入場料は無料。江戸文化の中で勃興した源氏物語の人気やその展開について、貴重な資料とともに紹介しています。

柳亭種彦/著、歌川国貞(初代)/画《偐紫田舎源氏》文政12年~天保13年(1829~1842) 通期展示 東京都江戸東京博物館蔵
歌川豊国(三代)・歌川広重(初代)/画、伊勢屋兼吉/版 《風流源氏雪の眺》 嘉永6年(1853)12月  前期展示 東京都江戸東京博物館蔵
《長板中形型紙 源氏車》 大正~昭和時代 20世紀  通期展示 東京都江戸東京博物館蔵

源氏物語は、もともと公家や武家を中心とした限定的な階層の間で読まれていた文学でした。しかし17世紀後半、大量印刷技術の普及により大衆に親しまれるようになり、同時に源氏物語を翻案した「偐紫田舎源氏(にせむらさきいなかげんじ)」が人気を博し源氏物語の内容を絵画化した「源氏絵」によってその情景や人物たちは庶民の間に浸透していきました。
会場に展示された数々の源氏絵では「海老茶筅髷(えびちゃせんまげ)」というユニークな髪形をした光源氏(「偐紫田舎源氏」においては足利光氏の姿や、抒情に満ちた四季の風景を見ることができます。

また、源氏物語の影響は文学や絵画にとどまらず、源氏物語を意匠化したデザインは幅広い層で受け入れられていきます。例えば着物においても、源氏物語の一場面やモチーフを意匠化した「源氏文様」はとりわけ江戸時代の人々に好まれ、身近なファッションとしても楽しまれるようになりました。本展では重要無形文化財保持者の清水幸太郎氏と先代の吉五郎氏旧蔵の着物の染型に使用する型紙から源氏物語から生まれた文様の数々を紹介しています。

なお、「源氏物語と江戸文化」は前期と後期で一部展示品が異なります。

※「源氏物語と江戸文化」前期展示 2022/11/19-12/18      後期展示 2022/12/20-2023/1/6

 

報道機関向け内覧会の展示解説を担当した東京都美術館学芸員の杉山哲司氏は本展のテーマである「縁(えに)」について、
「源氏物語が単なる文学作品にとどまらないということを感じていただける展覧会。慌ただしい世の中だが、こういう時こそ一旦立ち止まって過去を振り返り、未来に生かしていく。そういう時間をこの会場で提供できればと思う」
と語り、鑑賞者が源氏物語との「えに(縁)」により、日々の生活に新たな視点を見出すことに期待を込めました。

「美をつむぐ源氏物語―めぐり逢ひける えには深しな―」会場風景

両展の会期は2023年1月6日までと比較的短め。ぜひ、作家たちのイマジネーションによって新たな生命を吹き込まれた源氏物語の世界を体験してみてください。

開催概要

会期 2022年11月19日(土)~2023年1月6日(金)
会場 東京都美術館
ギャラリーA・C(上野アーティストプロジェクト2022「美をつむぐ源氏物語―めぐり逢ひける えには深しな―」)
ギャラリーB(「源氏物語と江戸文化」)
開室時間 9:30-17:30、金曜日(1月6日を除く)は20:00まで(入室は閉室の30分前まで)
休室日 2022年11月21日(月)、12月5日(月)、19日(月)、29日(木)~2023年1月3日(火)
観覧料 一般 500円 / 65歳以上 300円
※「源氏物語と江戸文化」は無料
※学生以下は無料
※身体障害者手帳・愛の手帳・療育手帳・精神障害者保健福祉手帳・被爆者健康手帳をお持ちの方とその付添いの方(1名まで)は無料
※学生の方、65歳以上の方、各種お手帳をお持ちの方は、証明できるものをご提示ください
※特別展「展覧会 岡本太郎」(会期:2022年10月18日(火)~12月28日(水))のチケット提示にて、入場無料
※事前予約なしでご覧いただけます。ただし、混雑時に入場制限を行う場合がございますのでご了承ください
主催 東京都(「源氏物語と江戸文化」のみ)、公益財団法人東京都歴史文化財団 東京都美術館
問い合わせ先 東京都美術館 交流係 TEL:03-3823-6921(代表)
展覧会HP https://www.tobikan.jp/exhibition/2022_uenoartistproject.html
(上野アーティストプロジェクト2022
「美をつむぐ源氏物語―めぐり逢ひける えには深しな―」)
https://www.tobikan.jp/exhibition/2022_collection.html
(コレクション展「源氏物語と江戸文化」)

 

その他のレポートを見る

徳川家の夢と栄華、その名残りを求めて。寛永寺根本中堂と徳川歴代将軍霊廟特別公開!取材レポート

東叡山寛永寺
徳川慶喜が謹慎した「葵の間」

徳川家康、秀忠、家光公の三代にわたる将軍の帰依を受けた天海大僧正(てんかいだいそうじょう)によって創建された寛永寺(かんえいじ)。
寛永寺の根本中堂、徳川慶喜が謹慎した「葵の間」、そして徳川歴代将軍の御霊廟が2022年10月15日に特別公開された。
今回は特別に撮影許可をいただき、その模様をレポートする。

 

寛永寺 根本中堂外観

上野公園の北側に隣接し、徳川家の墓所を含む霊園を守る寛永寺。
寛永2(1625)年に幕府と万民の平安・安泰を祈る祈願寺として、慈眼大師天海(じげんだいしてんかい)大僧正によって創建された。
後には第四代将軍・徳川家綱公の霊廟が造営され、将軍の菩提寺も兼ねるようになった名刹である。

今回、特別公開される根本中堂(こんぽんちゅうどう)はもともと現在の上野公園大噴水辺りに建立されたが、上野戦争で焼失。
明治になり、川越の喜多院本地堂を移築されたのが現在の根本中堂だという。

美術館や博物館、音楽ホールなどが連なるエリアから少し離れて寛永寺まで歩くと雰囲気も変わり、凛とした佇まいの寺社が私たちを出迎えてくれる。

「万物は平等」を体現した根本中堂の仏さま

特別に公開された根本中堂内部と参加者たち
当時の地図を示して解説を行う寛永寺執事、石川亮岳さん

根本中堂に案内されると、すでに多くの参加者が集っていた。
この日、解説をしてくださったのは寛永寺の執事である石川亮岳さん。

寛永寺の正式名は「東叡山 寛永寺」。「東叡」は「東の比叡山」という意味で、「寛永」は創建時の元号だ。京都の仁和寺や建仁寺、鎌倉の建長寺など、勅許を得た「元号寺」は数少なく、このことからも寛永寺が江戸屈指の名刹であったことがうかがい知れる。

幕命によって建立された寛永寺だが、開基である天海大僧正には「幕府のためにお経を読むだけの場所にしたくなかった」という思いがあったと石川さんは語る。

そこで天海は清水寺の舞台を模した清水観音堂や、不忍池とそこに浮かぶ小島を琵琶湖と弁才天堂で知られる竹生島(ちくぶしま)に見立て、不忍池弁天堂も造営。さらに境内に奈良・吉野山の桜を筆頭に四季折々の花を移植するなど、庶民の行楽の地としてエンターテインメント性を追求したという。
こうして寛永寺は庶民に「開かれた寺」へと徐々にその姿を変えていったのである。

根本中堂の木造十二神将。薬師如来の十二の大願に応じてそれぞれが、十二の時、月、方角を護るとされる

根本中堂で特に目を瞠るのは、非常に精巧で厳かな雰囲気をたたえた木造の諸仏である。

石川さんのお話によれば、本堂の仏像は比叡山延暦寺に倣い、仏像の目線が参拝者の目線と同じ高さになるように置かれている点が特徴だという。これは「一切衆生悉有仏性(全ての生きとし生くるものは、仏性即ち、仏になる可能性を有している)」という大乗仏教の思想をそのまま体現したものだということで、非常に興味深い。

天海大僧正には「仏の前では人に分け隔てはない」という強い思いがあったのだろう。

慶喜公が謹慎した「葵の間」特別公開!

葵の間内部。当時は寛永寺の子院・大慈院の建物内だった
室内では貴重な慶喜公ゆかりの品々を展示

根本中堂内の渡り廊下を歩き、続いて案内されたのは、今回特別に一般公開された「葵の間」。鳥羽・伏見の戦いで敗れた第十五代将軍・慶喜が謹慎生活を送った部屋だ。

慶喜公は洋画・日本画・書などさまざまな分野に秀でた「才人」だったが、江戸城の無血開城までの2カ月間を過ごした葵の間に再現されたそれらの作品は、生き証人として彼の生前の面影を伝えている。

室内に残された慶喜愛用の品々はもちろん、瀟洒なデザインの双葉葵(ふたばあおい)が描かれた壁紙が目を引くが、これは当初なかったもので、慶喜公を描いた浮世絵に合わせてのちに描き加えられたというのも面白い。

葵の間に飾られた「東叡山全図」。当時の広大な境内に驚かされる

かつて境内は上野公園の土地を中心に30万5000坪に及び、幕府から与えられた寺領は小藩の大名に匹敵する1万5000石を誇ったという寛永寺だが、上野戦争で大きな損害を出した寛永寺は、明治になってその寺域の大部分を喪失。やがてそれは上野公園となる。

また、太平洋戦争でも大きな損害を受けたため、江戸期以来の建物は寛永寺内でも多くはないが、「葵の間」は修理と保存が行われて規模を一回り小さくしながら現在に至っている。

長く続いた江戸時代の凋落をその目にしながら、蟄居していた慶喜の心境はどんなものだったのだろうか。それをうかがい知ることはできないが、室内に明るく差し込む陽の光と、どこか澄んだ空気が印象的だった。

歴代将軍の霊が眠る地

都会とは思えない神秘的な雰囲気に包まれた徳川歴代将軍御霊廟内
常憲院殿(五代綱吉)勅額門

最後に案内されたのは、徳川歴代将軍を祀る「御霊廟(ごれいびょう)」だ。
御霊廟とはご本尊・位牌・木像を安置する本殿とそれを拝む拝殿を相の間でつなぐ「相の間造り」という霊廟建築と、将軍が埋葬されている宝塔(墓所)や水盤舎(すいばんしゃ)の総称のこと。

霊廟の構造は天海大僧正の指導により天台宗の根本聖典である法華経の思想に基づいて造営されたが、大部分の建造物は第二次大戦の空襲で焼失。幸いにも被害を免れた勅額門(ちょくがくもん)・水盤舎は重要文化財に指定され、往時の建築様式を今に伝えている。

五代将軍綱吉の墓所に立つ唐銅の宝塔。青銅製であることが幸いし、損失を免れた
八代将軍吉宗の眠る御宝塔

天海大僧正に深く帰依した三代将軍・家光は寛永寺で葬儀を行った後、日光東照宮の傍らに霊廟を築くように遺言した。四代家綱が寛永寺に葬られると、以後は寛永寺の敷地内に五代綱吉、八代吉宗、十代家治、十一代家斉、十三代家定の霊廟が、次々と造営された。
元々は徳川将軍家の祈願寺だった寛永寺だが、後に増上寺と並ぶ徳川家菩提寺となったというわけだ。

五代将軍綱吉の唐銅製の宝塔、そして左右両扉に刻まれた鳳凰と麒麟の優雅な彫刻が目を引くが、八代将軍吉宗の宝塔は至って質素な印象で、綱吉とは対照的だ。
幕府の財政を立て直すために「倹約令」を出した吉宗らしく、1720年(享保5年)に御霊屋建立禁止令を発布。以降大規模な霊廟は建築されず、寛永寺か増上寺のいずれかの霊廟に合祀するという方針が定められたという。
「暴れん坊将軍ではなく、節約将軍」とは石川さんの弁。

この他、十三代家定の隣には妻である天璋院(てんしょういん)篤姫の霊廟も。徳川家の未来を見つめ続けた一人の女性は、今もここから新しい時代を見守っているのだろうか。

度重なる戦禍、明治新政府による境内全域の没収など、寛永寺のたどった道程は決して平坦ではなかった。
しかし、焼失した徳川家霊廟の森を宗家から譲り受けて霊園にし、一般の檀家を受け入れるなど、時代の変化に合わせながらも開かれた寺であり続けることで、寛永寺はその命脈を保ってきた。
時代は変われど、「万物は平等」「仏の前に分け隔てはない」という天海大僧正の思想は人々の努力により、現代に生き続けているのだろう。

今回ご紹介した御霊廟や葵の間は通常非公開だが、特別公開のスケジュールは寛永寺の公式サイトで案内される(現在は休止中)。
ぜひ、上野を散策しながら往時の人々の想いに触れてみてほしい。

 

東叡山 寛永寺

住所:東京都台東区上野桜木1丁目14-11
拝観時間 : 午前9時〜午後5時
徳川歴代将軍御霊廟・葵の間:通常非公開。特別参拝の案内は、公式ホームページなどで確認
アクセス:JR「上野」駅(公園口)から徒歩15分、「鶯谷」駅から徒歩7分


その他のレポートを見る

【取材レポ】上野公園に点在する寛永寺ゆかりの諸堂を散策!「寛永寺僧侶と歩く上野公園めぐり」

「上野の山」と呼ばれる台地のうえに、1873年(明治6年)に開園した日本最古の公園であり、美術館や博物館、音楽ホールなど多彩な文化施設が集中している上野恩賜公園(以下、上野公園)

日本有数の花見の名所としても知られ、国内外から多くの観光客が訪れる人気スポットですが、実は上野公園ができる以前、江戸時代にはその一帯が「寛永寺」というお寺の境内だったことをご存じでしょうか?

2022年10月14日、清水観音堂や五重塔など、現在でも寛永寺ゆかりの諸堂が点在している上野公園を、寛永寺のお坊さんが直々にガイドしてくださるツアーイベント「寛永寺僧侶と歩く上野公園めぐり」が開催されましたので、当日の様子をレポートします。

幸運な20名が寛永寺の根本中堂に集合!

寛永寺 根本中堂

毎年秋に上野の山で数々の芸術・文化イベントを展開する「上野の山文化ゾーンフェスティバル」の一環として開催されてきた「寛永寺僧侶と歩く上野公園めぐり」。参加費は無料で、毎年、当選倍率が10倍を超えることもある人気イベントです。

当日はあいにくの曇天でしたが、最高気温20度ほどの過ごしやすい気候でなかなかの散策日和となりました。

寛永寺 根本中堂

集合場所は、上野公園の北側に隣接している寛永寺の本堂である根本中堂。ガイドしてくださったのは、寛永寺の教化部(仏様の教えを人々に伝える広報部のような部署とのこと)の執事である石川亮岳さんです。

石川亮岳さん

創建時の元号「寛永」からその名がつけられた寛永寺。1625年(寛永2年)、徳川家康・秀忠・家光の3代が帰依した天台宗の僧であり、城下町である江戸の街の建設にも深く関わったとされる天海大僧正によって、江戸城の鬼門(北東)にあたる上野の山に建立されました。

もともとは徳川幕府の安泰と万民の平安を祈る祈祷寺でしたが、4代将軍家綱の頃から将軍家の菩提寺も兼ねるようになり、現在も6人の将軍が眠る霊廟があります。

この上野の寛永寺は山号を「東叡山」といい、つまり「東の比叡山」を意味しています。当時の寛永寺の伽藍やその配置などは、朝廷の安穏を祈る役目をもった天台宗の総本山・比叡山延暦寺やその周辺の神社仏閣に見立てているそうですよ。
(清水観音堂は京都の清水寺、不忍池辯天堂は琵琶湖とそこに浮かぶ竹生島宝厳寺の弁才天堂に見立てている、など)

寛永寺の全景

江戸期には今の上野公園の約2倍の寺域を誇り、大名の寄進により建立された36坊もの子院を数えた寛永寺ですが、明治新政府軍と彰義隊が戦った幕末の上野戦争(戊辰戦争)で建物が次々に焼失。さらに、彰義隊をかくまったと見なされ、境内をすべて没収されるという憂き目に遭います。

のちに、戦争の被害を受けずに済んだ約1割の土地だけが返却されたことで、寛永寺の境内は現在のように飛び地になってしまったのだとか。没収された土地は、明治初期に公園として整備されました。

う~ん、かなり壮絶な経歴をお持ちのお寺だったのですね……。普段から上野公園の文化施設を楽しませてもらっている身としては強く言えませんが、さすがに10分の1はひどすぎます!

そんなお話を聞いたあと、根本中堂から上野公園のほうへ参加者の皆さんと歩いていきます。

天海大僧正は上野の山を桜の名所にした立役者

てっきり、寛永寺ゆかりの場所に着いたらその解説、という形で進行していくのかと思っていましたが、石川さんは移動中にも寛永寺や上野公園にまつわるさまざまな興味深いエピソードを披露してくださいました。

移動中の様子

たとえば、なぜ上野が「文化の森」と呼ばれるくらい文化施設や教育機関が多いのか。

明治新政府は、建物が焼失し、一から街づくりをするのに大変都合のいい場所だった没収地に、当初は大学東校(東大医学部の前身)を建設する予定だったそうです。しかし、視察に訪れたオランダの軍医・ボードワン博士が上野の自然が失われることを恐れて「公園にすべきだ」と提言しました。

その結果、1873年に日本初の公園が完成。明治新政府が主導した文明開化をアピールする場として活用され、博物館や美術館など文化的な施設が次々に誕生し、数々の博覧会の舞台にもなったのだとか。

ボードワン博士は「公園生みの親」として称えられ、上野公園内で銅像になっています。

また、上野公園の名物である桜のお話も出てきました。
上野の山に桜はいつ来たのか。それは約400年前、寛永寺が建てられた時期と一緒なのだと語る石川さん。

祈祷寺として開かれた寛永寺ですが、天海大僧正は徳川家にかかわりのある人々だけでなく、庶民が広くお参りできる寺を目指していたそうで、観光地としての魅力づくりにも着手していました。その最たるものが桜で、天海大僧正は吉野の山からたくさんのヤマザクラを持ってきて、寛永寺の境内に植樹。それが今日の上野公園の桜並木につながっているといわれています。

昔はお花見といえば梅を見ることを指しましたが、豊臣秀吉が京都の醍醐寺で開催した「醍醐の花見」などをきっかけに、徐々にお花見で桜を見る文化が広がっていったそう。次第に上野の山は、江戸随一の桜の名所として多くの観光客が訪れる場所になりました。

当時は今とは違い、夜桜見物ができないように制限されていたとか。「夜桜を楽しめるのは坊さんだけ」と皮肉を言われた、などという逸話も残っているのだと笑顔を浮かべる石川さん。

2時間というそこそこ長丁場の散策ですが、次々に新しい豆知識を披露してくださる石川さんのユーモアを交えた語り口に、時間を忘れて聞き入ってしまいました。

江戸時代の根本中堂は東京国立博物館ぐらい大きかった!?

噴水広場

上野公園でまず足を運んだのは憩いの空間、噴水広場です。寛永寺にゆかりのありそうな建物は見当たりませんが……?

実は、もともと根本中堂はこの噴水広場のあたりに建っていたそうです。先ほどまでいた根本中堂は、明治維新後に移築再建されたものなのだとか。

奥のほうに東京国立博物館の大きな本館が見えますが、なんとかつての根本中堂は、あの本館くらいの大きさがあったそう。放火された際は三日三晩燃え続けたとの証言があるほどで、「おそらく日本最大の木造建築だったのでは」と石川さんは話します。

次に足を向けたのは、コーヒーショップのすぐ裏手に設置されていたレリーフです。

右に見えるのがレリーフ。目の前をこれまで何十回と通っていたのに気づきませんでした……。

このレリーフの元となっているのは歌川広重の《東都名所上野東叡山全図》で、かつての寛永寺の境内の様子が描かれています。左に見える大きい建物が根本中堂。在りし日の境内の広大さを感じられますね。

今は失われてしまいましたが、弁慶が持ち上げたとの逸話が残る延暦寺の担い堂を再現した建物なども見受けられます。

なお、よく見ると根本中堂の両脇には「ブロッコリーのような形をした竹」(by石川さん)が描かれています。これは最澄の弟子の慈覚大師円仁という人物が、仏教の勉強のため留学していた中国の五台山からもらってきた竹を延暦寺に埋め、その竹を株分けしてもらったものを当時の寛永寺に植えたものとのこと。

今でも根本中堂の手前に植えてあるので、参拝の際は探してみるのも面白そうですね。

動物園の中にひっそりとたたずむ藤堂家の墓所

なぜか上野動物園へ……?

続けて向かったのは、なんと上野動物園。パンダを見るために並んでいるお客さんたちの視線を浴びながら中ほどに進んでいきます。

目的地は通常、人が立ち入りできない塀に囲まれた、初代藤堂高虎をはじめとする藤堂家が眠る墓所でした。こんなところにお墓が……!?
(中の撮影はNGでした)

何の変哲もないベンチの向こう側に墓所があります。

「一般の方をご案内するのは年に一度、この時だけ!」とレア度を強調した石川さん。参加者の皆さんは、このイベントに申し込むだけあり、上野の歴史に多かれ少なかれ詳しい方が多かったようですが、さすがにこの場所に関しては「知らなかった~こんなところあるの!」とテンションが上がった様子です。

3メートル近くありそうな14の石塔が立ち並ぶ、ある意味異様な光景が広がっていましたが、木々のさざめきと鳥たちの声だけが響く、とても心静まる空間でもありました。

築城の名手として知られる大名・藤堂高虎は、家康の側近の中でも特に重用されていた人物です。藤堂家の下屋敷があった土地を、家康を祀る上野の東照宮(当時は寛永寺の伽藍の一つの東照社でした)の造営のために献上。屋敷跡には自らも東照宮の別当寺として寒松院を建立しました。

かつて寒松院があった場所が、現在は上野動物園に代わってしまいましたが、墓所だけはそのままになっているというわけでした。

石川さんは好きな高虎のエピソードとして、家康が亡くなる直前の場面を挙げました。
家康は天台宗を信仰していましだが、信頼する高虎が天台宗ではないことを心配した家康は「死んだ後も会いたいが、宗派が違うと難しいのか」と枕元でこぼしたとか。それを聞いた高虎はいたく感激して、その場にいた天海大僧正にお願いして天台宗に宗派替えをしたそうです。

藤堂高虎という武将には主君を変え続けた変節漢のイメージがありましたが、徳川家に対しては献身的という言葉がぴったりの忠義者だったんですね。

キャプション:上野動物園の中には、お釈迦様の遺骨を安置するための五重塔も。寛永寺が直接管理できないため、東京都に譲って守ってもらっているとのことでした。

受験生たちに大人気!上野大仏の残念なエピソード

上野動物園を出発し、さくら通りに向かって歩いていくと、上野精養軒の近くの丘に上野大仏パゴダが見えてきます。

上野大仏

「お顔だけが祀られたこれは何?」と、前知識がないと誰もが疑問に思うでしょうが、こちらはれっきとした大仏様です。

上野大仏は、1631年(寛永8年)に越後村上藩主だった堀直寄が戦乱に倒れた人々のために漆喰で釈迦如来坐像を建立したのが始まり。1655~1660年頃に高さ8メートルの銅仏に改められ、罹災と復興を繰り返しましたが、ついに関東大震災でお顔が落ちてしまったそう。直そうとしたものの第二次世界大戦に軍の供出令で胴体は徴用されてしまったという、踏んだり蹴ったりな来歴をお持ちです。

戦後、寛永寺が保管していたお顔だけでも、ということで大仏殿の跡地にお祀りして今日に至るのだとか。

現在では、「もう体がないから落ちないよね」ということで、落ちない合格大仏として多くの受験生が合格祈願に訪れる場所になりました。大仏様のお顔を撫でられるという全国的に見ても珍しいスポットです。

上野大仏にはパゴダ(仏塔)が併設されていて、中には東照宮の薬師堂のご本尊だった薬師如来像が祀られています。
「時の鐘」

上野大仏のある丘から降りる際、遠目に「時の鐘」(時鐘堂)が見えました。松尾芭蕉の「花の雲 鐘は上野か 浅草か」という句で有名ですよね。
江戸時代の時報として活躍したこの鐘は、石川さんによれば今でも1日3回、朝夕6時と正午に鐘が鳴らされているそうですよ。

※現在の「時の鐘」は1787年(天明7年)に改鋳されたもの。

「月の松」は江戸時代の風流を感じられるフォトスポット

大仏様に一礼したのち、一行はさらにさくら通りを歩いて清水観音堂の舞台の上へ。

清水観音堂の舞台

舞台から不忍池方向を見ると、歌川広重が「名所江戸百景」で描いたことで知られる、松の枝を円になるように成長させた「月の松」があります。明治時代に台風で折れてしまったものを、2012年に150年ぶりに復活させたものです。

「月の松」

意外にも、石川さんによれば「月の松」は寛永寺の創建当時はなかったものらしいです。具体的な制作年は判明していないようですが、「平和な時代が続き、1800年頃になって人々の生活に余裕や遊び心が出てきて、その一つがこの『月の松』に現れているのでは」とのことでした。

円の中に不忍池や弁天堂を臨む風流な景観。ここが一番の映えスポットだと話す石川さんに勧められて、参加者みんなで写真タイムに入りました。せっかくの機会に曇り空で残念でしたが、また今後、晴れている日にリベンジしてみます!

清水観音堂

このあと、朱と黒と金のコントラストが美しい清水観音堂の中で10分ほど小休憩を挟みました。

ちなみに、京都の清水寺を模した舞台造りのお堂である清水観音堂は、1631年(寛永8年)に天海大僧正により摺鉢山(現在も上野公園内にある丘陵部)に建立され、1694年(元禄7年)に今の場所に移築されました。寛永寺のお堂の中でも数少ない、戦争の被害をほとんど受けなかったお堂とのこと。
移築の際、新築するのではなく木材をバラして作業したため、建立から300年以上たった今も使用されている木材は当時のままなのだとか。

御本尊は、清水寺より遷座された千手観音像。左右には、こちらも清水寺にならって脇侍である勝軍地蔵(地蔵菩薩)と毘沙門天の仏像が配置されていますが、実は千手観音像の両脇を固めるのは大弁功徳天と婆藪仙(ばすうせん)であるのがセオリーで、鎧兜を身につけた勝軍地蔵がいるのはかなり珍しいそうです。

勝軍地蔵の実物が見られる場所自体が貴重とのことなので、「ぜひ歴史マニアのお友達に教えてあげてください」と石川さん。

寛永寺で起きた悲劇・戦争の悲惨さを伝える彰義隊の墓

散策の最後に訪れたのは彰義隊の墓でした。

彰義隊の墓

1868年(慶応4年)、江戸城の無血開城により、寛永寺で謹慎していた15代将軍慶喜は出身地である水戸に向けて出発しますが、慶喜を警護する目的で側近や浪人たち有志が結成した彰義隊は上野を動かないまま。やがて新政府軍に目をつけられます。

その結果、彰義隊の拠点だった寛永寺を巻き込んで、上野戦争が勃発。犠牲になった彰義隊の人々は、戦いに負けただけではなく国賊であると不名誉な扱いをされ、お葬式をすることもできず遺体が野ざらしにされたそうです。

彰義隊の墓

その後、身分を隠したお坊さんが266人分の遺体を火葬にかけ、荒川区の円通寺に埋葬しましたが、公式に慰霊をすることは長い間できないまま。ようやく1881年(明治14年)頃に慰霊碑が激戦地に立てられました。それがこの彰義隊の墓です。

ちなみに、彰義隊の墓の手前側には、新政府軍の中心人物だった西郷隆盛の銅像が置かれていますが、お墓にお尻を向けて立っています。「意図したもの?」とちょっと考えてしまいますね。

西郷隆盛像。左手奥に彰義隊の墓があります。

「そういう時代だったからしょうがないとはいえ、現代人としてあんまりだと思う」とこの悲劇をまとめた石川さん。戊辰戦争中、江戸で唯一の戦場になった上野、寛永寺のお坊さんの言葉としてとても重く突き刺さります。

今日私たちが上野公園の文化施設で享受している教養や芸術は、戦争の理不尽さのうえに成り立っていることに思いを馳せる必要があるようです。本イベントに同行してみて、上野公園の見方が少し変わった気がしました。

石川さん、ありがとうございました!

「寛永寺僧侶と歩く上野公園めぐり」の取材レポートでした。

2時間のイベントとは思えないボリュームで、石川さんからはここでご紹介した何倍もの面白いお話を聞くことができました!

参加された皆さんは疲れた表情もなく、どなたからも大満足のオーラが出ていました。同行者のいる方は口々に感想を言い合っていたのが印象的です。

来年以降も「上野の山文化ゾーンフェスティバル」の一環として開催予定ですので、ご興味のある方はぜひ申し込んでみてください。

 

※山内各施設の開閉門及び開閉堂時間が異なりますので、訪問の際は寛永寺のHPをご確認ください。


その他のレポートを見る

史上最大のTARO展がやってくる!【東京都美術館】「展覧会 岡本太郎」(~12/28)内覧会レポート

東京都美術館

戦後日本において最も高い人気と知名度を誇る芸術家・岡本太郎。

今秋、東京都美術館は「展覧会 岡本太郎」と題し、過去最大規模の回顧展を開催する。

開催前日に行われた報道内覧会の模様をレポートし、その内容の一部を紹介する。

《明日の神話》(1968)より

ぼくはパリで、人間全体として生きることを学んだ。
画家とか彫刻家とか一つの職業に限定されないで、
もっと広く人間、全存在として生きる。

『壁を破る言葉』イースト・プレス、 2005年

 

ある時、「何か本職なのか?」と問われた岡本太郎はこう答えたという。
「人間—全存在として猛烈に生きる人間だ」と。

絵画、立体、パブリック・アートから生活用品まで、圧倒的なインパクトのある作品を次々に生み出した岡本太郎。
戦後最も知名度の高い日本人芸術家のひとりでありながら、彼は「芸術」そのものに回収されることを強烈に拒否した存在だと言えるだろう。そこに彼の謎があり、面白さがある。

前衛芸術運動を牽引した壮年期の作品、民俗学的な視点で生まれたユニークな芸術、大衆に向けたパブリック・アート、そして「太陽の塔」。本展覧会は過去最大規模のスケールで「人間・岡本太郎」の全貌を紹介する待望の回顧展だ。

今に生きる”TARO”の作品を体感せよ!

展覧会場入口。妖しく灯る《光る彫刻》(1967)(川崎市岡本太郎美術館)の存在感にいきなり目を奪われる
画面左から《青空》(1954)(川崎市岡本太郎美術館)、《にらめっこ》(1978)(川崎市岡本太郎美術館)
展示会場地下一階は特に順路もなく、心の赴くまま岡本太郎の作品と向き合える
立体作品も豊富に展示。画面手前は頬杖をついて笑う子どもをモチーフとした《若い夢》(1974)(川崎市岡本太郎美術館)

岡本作品のほぼすべてを所蔵する川崎市岡本太郎美術館と岡本太郎記念館が主催者として参画し、大阪、名古屋、東京を巡回する本展覧会。
大阪・名古屋においてははじめての回顧展実現となるが、東京展を担当した東京都美術館学芸員・藪前知子氏は
「太郎さんは『現在』に自分の作品をどうぶつけるか、どう対峙するかを考えていた人。基本的に『回顧展』はそぐわない」
とし、特に展覧会場入口の空間は「生で岡本太郎とぶつかることのできる場所」として工夫を凝らしたという。

具体的には初期から晩年までの代表作を、時系列や、どの時代にどういう文脈で制作された作品なのかということを考慮せずに配置し、さらに順路も設けないことで、鑑賞者が自由に岡本太郎の作品に「出会う」ことができる場になっている。

岡本太郎、その全存在を賭けた歩み

1章展示風景より
2章展示風景より。《燃える人》(1955)(東京国立近代美術館蔵)

展示会場の一階から二階までは、全6章で岡本太郎の画業を時系列順に追い、その作品を通じて体感できる構成となっている。

1930年、18歳の岡本太郎は東京美術学校(現・東京藝術大学)に入学後、半年で両親に同行してパリへ。渡欧時代の作品は東京に持ち帰ったのちすべて焼失したが、この1章「岡本太郎誕生」では後年再制作された作品などを展示。画家・岡本太郎が誕生した最初期の作品の全貌を知ることができる。

続く2章「創造の孤独」では帰国後、仁科会を主な活動の場としながらも前衛芸術の共同体を結成し、先鋭的な作品を精力的に生み出していた時期の作品を紹介。彼の代名詞となる「対極主義」というスローガンが生まれたのもこの時代だ。
日本の社会的な事象に反応した作品も多く描かれ、《燃える人》(1955年・東京国立近代美術館蔵)という作品では原爆に対するメッセージ、そして後日の代表作《明日の神話》につながるモチーフも描かれている。

3章展示風景より
ユニークな中にビビッドな生命感あふれるデザインが並ぶ4章。中央の《坐ることを拒否する椅子》は実際に体験することができる

1951年、東京国立博物館で考古学の遺物として陳列されていた異様な形の縄文土器に偶然出くわして、彼はこう叫んだという。
「なんだ、これは!」
岡本太郎がこれを機に縄文土器の造形に日本人の根源的な生命のあらわれを見出し、「わび・さび・渋み」に象徴されるような日本文化の「伝統」に異議を唱え、新たな日本像を見出したというのは有名な話だ。

3章「人間の根源」では60年代に入り、縄文土器に影響を受けたうねるような曲線が装飾的に画面を覆い、カリグラフィーと抽象絵画の可能性を探った頃の作品が展示されている。まるで梵字のようでもあり、強烈な呪術性を感じさせる作品群はまさに岡本の面目躍如といった感が強い。

続く4章「大衆の中の芸術」は趣をがらりと変え、岡本のパブリック・アートの世界へ。岡本はほとんど作品を売らなかったことで知られるが、彼にとって芸術とは映画やテレビなどのマスメディアと同様に大衆に広く共有されるものだという信念があった。展示された作品の中に特撮映画の宇宙人のデザインなど、およそ「芸術家」にそぐわない多様な仕事が含まれているのが面白い。

また、4章フロアには有名な《坐ることを拒否する椅子》の展示もあり、もちろん鑑賞者は自由に座ることができる。試しに座ってみると・・・意外に拒否されているような心地はしなかったが、長時間座ることもできないだろうという印象。「いつまでも座っていないで、闘え」というメッセージなのだろうか。

5章展示風景より。《太陽の塔》と《明日の神話》はほぼ同時期に進められた岡本渾身のプロジェクトであった
圧倒的な引力を放つ《明日の神話》の手前に据えられているのは《生命の樹 前景模型》(2017)(岡本太郎記念館)

5章「ふたつの太陽」で私たちを待つのはあの《太陽の塔》、そして代表作のひとつである《明日の神話》である。
合理的な近代建築の屋根を突き破ってそびえたつ高さ約70メートルの《太陽の塔》は、日本万国博覧会でも圧倒的な存在感を放ち、今日まで続く私たちの中の「岡本太郎」のイメージを築き上げた。会場では1/50サイズの立体模型や貴重な構想スケッチが展示されている。

この《太陽の塔》と同時に進められていたもうひとつの巨大プロジェクトが《明日の神話》で、万博の準備のかたわら何度もメキシコに足を運んで完成させた作品である。作品の中心には放射能の炎に焼かれる人間が描かれ、画面全体の複合的なイメージの中には悲惨さだけではなく、力強く新たな運命を切り開いていくエネルギーも感じさせる。本展ではドローイングと1/3サイズで描かれた精巧な下絵が紹介されている。

6章展示風景より。左から《動物》(1954、その後加筆)(岡本太郎記念館)、《雷人》(1995・未完)(岡本太郎記念館)

「美術品」や「芸術」の、あのよそよそしさ。
そのなま皮をひっぱがして、自由なイマジネーションをふき上げるべきだ。

 

「芸術家」ではなく、原初の、なまなましい生命を燃焼させることに人生を捧げた岡本太郎。
晩年は絵画作品の発表を行うことはほとんどなかったが、死後アトリエに残された膨大なカンヴァスが、彼が死ぬまで絵画の探求を続けていたことを示していた。
最後を飾る6章の展示作品が示しているのは、老いさらばえ、死してゆく命の残滓ではない。最後に展示された《雷人》から、晩年においてもなおも煌めく生命の奔放さが感じられるのは自分だけではないだろう。

本展の会期は12月28日までと、比較的短い。
ぜひ、これを機に岡本太郎が人生を賭けた作品に向かい合い、時には挑んでみてほしい。

©岡本太郎記念現代芸術振興財団

開催概要

会期 2022年10月18日(火)~12月28日(水)
会場 東京都美術館
開室時間 9:30-17:30、金曜日は20:00まで(入室は閉室の30分前まで)
休室日 月曜日、9月20日(火)
※ただし8月22日(月)、8月29日(月)、9月12日(月)、 9月19日(月・祝)、9月26日(月)は開室
観覧料 一般 2,000円   大学専門学生 1,300円  65歳以上 1,400円
※本展は展示室内の混雑を避けるため、日時指定予約制となっております。→展覧会HP
主催 公益財団法人東京都歴史文化財団 東京都美術館、公益財団法人岡本太郎記念現代芸術振興財団、川崎市岡本太郎美術館、NHK、NHKプロモーション
問い合わせ先 050-5541-8600(ハローダイヤル)
展覧会HP https://taro2022.jp/

 

その他のレポートを見る

20世紀美術の神髄が、今ここに。【国立西洋美術館】「ピカソとその時代 ベルリン国立ベルクグリューン美術館展」内覧会レポート(~2023/1/22)

国立西洋美術館

ピカソをはじめとした比類のないコレクションを誇るベルリン国立ベルクグリューン美術館。

ベルクグリューン美術館の改修を機に実現した本展では、日本初公開76点を含む97点ものコレクションが来日を果した。

今回は、開催に先立って行われた報道内覧会の様子をお伝えする。

展示会場入口

ピカソ、クレー、マティス、ジャコメッティ・・・20世紀4人の巨匠を中心とする個性的なコレクションを誇るベルリン国立ベルクグリューン美術館。その基盤を築いたのは近代美術の収集家ハインツ・ベルクグリューンで、一流の目利きであったベルクグリューンの選び抜いた作品群は、その質の高さゆえに珠玉のコレクションとして世界的に知られている。

本展覧会は、同館のコレクションから精選された97点の作品に、日本の国立美術館の所蔵・寄託作品11点を加えた計108点で構成。日本初公開の76点を含め、ベルクグリューン美術館の主要作品を館外で一堂に展示する機会としてはこれが初となる。

日本初公開作品は76点!

1章展示風景より、左はポール・セザンヌ《セザンヌ夫人の肖像》(1885-86頃)
2章展示風景より。左からパブロ・ピカソ《ジャウメ・サバルテスの肖像》(1904)と《座るアルルカン》(1905)

本展の主軸となるのは、ピカソの「青の時代」から晩年までの各時代を代表する作品群だ。ベルクグリューン美術館が誇るピカソの名作の数々により彼の画業の足跡をたどることができ、さらに、バウハウスを中心とするクレーの絵画34点、マティスの晩年の境地を示す切り絵、ジャコメッティの円熟期の人間像などが加わり、創造性にあふれた20世紀の美術のエッセンスを堪能できる。

序章に続く1章「セザンヌ──近代芸術家たちの師」では、セザンヌの《セザンヌ夫人の肖像》などの肖像画や、ベルクグリューンがオークションで取得して以来愛蔵した《庭師ヴァリエの肖像》などを紹介。

2章「ピカソとブラック──新しい造形言語の創造」では、ピカソの「青の時代」の後期に描かれた《ジャウメ・サバルテスの肖像》をはじめ、1910年代後半〜20年代前半の静物画などを展観。さらにジョルジュ・ブラックの絵画3点をともに紹介することで、2人の緊密な共同作業によってすすめられたキュビスムの展開をたどっている。

3章展示風景より
4章展示風景より

本展出品作のうち、日本初公開35点を含む約半数がピカソの作品。この充実したボリュームによって、ピカソの画業の各時代を代表する名品をじっくり堪能できるのが本展最大の特徴だ。

3章「両大戦間のピカソ―古典主義とその破壊」、4章「両大戦間のピカソ―女性のイメージ」では本展のハイライト作品とも言える《大きな横たわる裸婦》などさまざまなピカソ作品を贅沢に展示。

特にピカソ作品の女性の扱いについては抗議運動が巻き起こるなど紛糾することもあるが、果たしてピカソは彼女たちを男性的な目線で一方的に描いているのだろうか?
これは個人的な感想だが、直に作品と対峙してみると、そこには温かさや優しさといった眼差しも確かに感じ取れる。ぜひ、4章に展示された女性像に込められたピカソの感情の機微をじっくり味わってほしいと思う。

5章展示風景より。左からパウル・クレー《夜明けの詩》(1938)、パウル・クレー《子どもの遊び》(1939)
6章展示風景より

終盤の5章「クレーの宇宙」6章「マティス──安息と活力」ではベルクグリューンのコレクションの中でピカソに次ぐ重要性を与えられるクレーとマティスの作品をそれぞれに展観。

最終章では、第二次世界大戦後の時代に20世紀の二大巨匠としての評価を確立したピカソとマティス、そしてこの時代に円熟期を迎えたジャコメッティの作品によって構成される。ベルクグリューンが直接交流を持ったというこの三人の偉大な芸術家の作品がひとつの空間で響き合うさまは、まさに圧巻だ。

「ヨーロッパの近代芸術は大きく日本からの影響を受けています。それがなければ、ヨーロッパの近代アートが発展することはなかったでしょう。今回の展覧会は日本とヨーロッパの交流をさらに前進させるものでもあり、日本で最初に展示することは非常に大きな意味があると思います」

同館のコレクションを日本で紹介することを強く希望していたというヨアヒム・イェーガー博士(ベルリン国立新ナショナルギャラリー副館長)はそのように語り、本展の開催意義を強調した。

今私たちはウクライナ戦争に象徴されるような騒乱の時代を生きているが、大きな戦争を経験しながら創作を続けた芸術家たちの作品は、私たちに大きな示唆と、この時代を生き抜く生命力を与えてくれるのかもしれない。

開催概要

会期 2022年10月8日(土)~2023年1月22日(日)
会場 国立西洋美術館
開館時間 9:30〜17:30
毎週金・土曜日:9:30〜20:00
※入館は閉館の30分前まで
休館日 月曜日、10月11日(火)、12月30日(金)
-2023年1月1日(日)、1月10日(火)
(ただし、10月10日(月・祝)、2023年1月2日(月・休)、1月9日(月・祝)は開館)
観覧料 一般2,100円、大学生1,500円、高校生1,100円
混雑緩和のため、本展覧会は日時指定を導入しています。
チケットの詳細・購入方法は、 展覧会公式サイトのチケット情報をご確認ください。
※中学生以下は無料。
※心身に障害のある方および付添者1名は無料(入館の際に障害者手帳をご提示ください)。
展覧会公式サイト https://picasso-and-his-time.jp

記事提供:ココシル上野


その他のレポートを見る

スラム街に愛を。人類に花束を。【上野の森美術館】「長坂真護展 Still A “BLACK” STAR Supported by なんぼや」(~11/6)内覧会レポート

上野の森美術館

 

ガーナのスラム街・アグボグブロシーから生まれた、廃棄物を使ったアート作品の数々。
今、持続可能な資本主義を目指すアーティスト長坂真護の活動に世界中の注目が集まりつつある。
現在、上野の森美術館において、長坂自身初となる美術館での個展が開催中だ。

《​真実の湖Ⅱ》

ゲーム機、パソコンのキーボード・・・キャンバスに敷き詰められているのは私たちも見慣れた電子機器やその部品の数々。
長坂真護は先進国が廃棄した壊れた電子機器で独創的な作品を生み出すアーティストだ。
その作品のみならず、「サステナブル・キャピタリズム」の語に象徴される哲学や利益をスラム街に投資する手法が世界中の注目を浴び、2020年にはハリウッドで彼の活動を追ったドキュメンタリー映画『Still A Black Star』も制作された。

「長坂真護展 Still A “BLACK” STAR  Supported by なんぼや」は自身初となる美術館での個展開催であり、美術家・長坂真護がアートでサステナブルを目指す足跡とともに、世界平和への願いを込めた約200点の作品が展示されている。

ガーナのスラム街で出会った、世界の真実

展覧会場風景。ガーナのスラム街を再現した建物や、資本主義の歪みを表現した絵画などが並ぶ
展示風景より、左《Ben is plastics》右《Ben is seventeen years old》。 廃棄物処理の際に生じたガスの影響により、ガーナでは30代で世を去る人も多いという
内覧会では長坂自身による作品解説が行われた

「先進国の僕らだけが、幸福であっていいはずがない」

長坂氏は、集まった報道陣を前に真摯な眼差しで訴えた。そして、100億円集めてガーナのスラム街にリサイクル工場を建設するという自身のビジョンについて力強く語る。

路上の絵描きであった長坂氏は2017年6月に「世界の電子機器の墓場」と呼ばれるガーナのスラム街・アグボグブロシーを訪問。そこで先進国が捨てた電子機器を焼いてわずか1日500円の日当で生きる若者たちと出会い、衝撃を受けたという。

以来、長坂氏は「我々の豊かな生活は、このスラム街の人々の犠牲のもとに成り立っている」という現実を伝えるべく、アートの力を使って日々活動を続けている。

世界が美しくなければ、私たちも美しく人生を歩めない

アグボグブロシーの犠牲の上に成り立つわれわれの世界の不安定さを、三脚のテーブルで表現した《世界平和のワクチン》。支えている手を離せば、たちまち崩れ落ちるだろう
長坂氏が育成するスラム街の子供たちの作品《スーパースターズ》。会場で購入することもでき、売上は直接彼らの収入へとつながる
解説を行う長坂氏。画面右手の作品は世界が歪に一体化することへの危惧を表現した《質量保存の法則》。左手には各国の廃棄機器で作られた国旗が並ぶ

燃えかすの煙、青年、牛などが一体化した化け物のような造形の《質量保存の法則》に見られるように、長坂氏は現地の自然環境を無視した消費社会に痛烈な批判を浴びせている。
しかし、同時に長坂氏の言葉を借りれば私たちは生まれながらにして「資本主義のドラッガー(中毒者)」であり、資本主義をまったく無視した社会形態をただちに実現することはできない。

そこで彼が提案するのが、「文化」「経済」「社会貢献」の3つの歯車が持続的に回る形態、「サステナブル・キャピタリズム(持続可能な資本主義)」である。
たとえば彼のガーナ作品を所有すればするほど、現地のゴミが減り、経済に貢献し、文化性も高まる。そして同時に、世界中にこの問題のメッセージが広がる。資本主義の形態をうまく活用しながら、持続可能な好循環を生み出そうという試みだ。

NFTプロジェクト「MAGO Mint」について語る長坂氏
捨てられるはずの家電がユニークなデジタル作品となり、アーカイブスに残り続ける

そうしたサステナブル・キャピタリズムの活動の一環が、自身初のNFTプロジェクト「MAGO Mint」である。

その第一弾となるプロジェクト「Waste St. in NYC」では、日々ニューヨークの路上に捨てられる家電をキャンバスに見立て、限定300枚の写真作品からなる1点として同じ作品が存在しないユニーク・コレクションを制作した。
数日後になくなってしまうものが作家のエネルギーを得てデジタル上でアーカイブスとして生き続ける。まさにNFTならではの試みといえるだろう。

この「Waste St. in NYC」の一日の取引量は村上隆氏に次ぐほどの規模に達し、売上はスラム街のリサイクル工場設立のために投資されるという。

相対性理論に示された愛のカタチ

長坂氏の美術家人生で重要なモチーフとなっている「月」。世界平和の願いを込めた瞑想的な作風が印象的
宇宙空間に浮かぶ藁が生命の儚さと尊厳を浮かび上がらせる《藁の革命》。2億円で落札された。手前の人形はリサイクルプラスチックで作られた「ミリーちゃん」。
《相対性理論》は世界初の「お金を稼ぐアート」。キャンバス右手にコイン投入口がある。

本展覧会で展示されている作品は約200点に及ぶが、個人的に印象に残った作品のひとつが、会場終盤に展示された《相対性理論》だ。
これは先進・後進軸と貧富の軸で理想的な社会と愛のあり方を図式的に表現したもので、アインシュタインの
「熱いストーブの上に1分間手を置いてみると、1時間にも感じられるでしょう。かわいい女の子と1時間座っていると、1分ぐらいに感じるでしょう」
という有名な相対性理論の説明からインスピレーションを得た作品。

つまり、愛があれば時間の感覚は消失する。逆に言えば、私たちが「先進国」「後進国」と語る時、そこに愛はないのである。
キャンバスの中央に示されているのは、まさに時間が消失した状態。永遠平和であり、愛に満ちている。
それを実現するためには、私たち鑑賞者の参加が必要だ。キャンバス横にはコイン投入口が設けられ、投入されたコインはパイプを伝って「後進国」へと辿り着く。
まさに長坂氏のサステナブル・キャピタリズムの手法を具現化した作品だといえるだろう。

 

《Let’s Go Diversity》

他にも会場では、アンパンマンに影響を受けて作られた「ミリーちゃん」のアニメ化映像、オリーブ栽培のために訪れた瀬戸内海の投棄ゴミで作られたアート作品、そしてコロナ禍以前に描かれたにも関わらず2020年以降の感染症拡大による「ニューノーマル」を暗示していたかのような未来予想図《Let’s Go Diversity》などさまざまな作品を展示。

スラムに工場建設、そして世界平和へとー。
アートで世界を変えようとする長坂真護の試みは今、この瞬間も続いている。
ぜひ会場に足を運んで、あなたも「MAGOプロジェクト」に参加してみてはいかがだろうか。

 

NFT-「Non-Fungible Token(ノン・ファンジブル・トークン)」=非代替性トークン。非代替性とは、替えのきかないこと。トークンは、ブロックチェーン技術を用いた暗号資産。これまで、著作権などが乱用されコピーが容易だったインターネットなどで流通しているアートや音楽などの作品に、独自の固有データの識別サインをつけることで、所有が明確になるという画期的なシステム。

※本記事の内容は内覧会時点(2022年9月9日)のものです。最新の情報とは異なる可能性がありますので、詳細は展覧会HP等をご確認ください。

開催概要

会期 9月10日 (土) 〜 11月6日 (日)
会場 上野の森美術館
開館時間 10:00~17:00
※最終入館は閉館30分前まで
※会期中は休館日なし
観覧料 一般1,400円、高・大・専門学校生1,000円 、中・小学生600円

※未就学児は入場無料。
※小学生以下は、保護者同伴でのご入場をお願いします。
※学生券でご入場の場合は、学生証の提示をお願いいたします。(小学生は除く)
※障がい者手帳(身体障害者手帳、療育手帳、精神障害者保健福祉手帳、愛の手帳、被爆者健康手帳)をお持ちの方は、ご本人と付き添いの方1名様まで入館無料となります。ご来館の際、会場入口スタッフへお声がけください。

主催 フジテレビジョン、上野の森美術館
問い合わせ先 050-5541-8600 (ハローダイヤル 全日9:00~20:00)
展覧会HP https://www.mago-exhibit.jp

 

記事提供:ココシル上野


その他のレポートを見る

「日本美術」は、ここから始まった。【東京藝術大学大学美術館】特別展「日本美術をひも解く―皇室、美の玉手箱」(~9/25)内覧会レポート

東京藝術大学大学美術館
手前は高村光雲《矮鶏置物》明治22(1889)年 宮内庁三の丸尚蔵館蔵 前期展示①

芸術の教育・研究機関として重要な役割を担う東京藝術大学(旧・東京美術学校)。
その所蔵品と宮内庁三の丸尚蔵館の珠玉のコレクションを共に展観する特別展
「日本美術をひも解く―皇室、美の玉手箱」が開幕した。

展示会場入口。手前はその再現度に制作者のこだわりが窺える《法隆寺金堂模型》(明治43(1910)年 東京藝術大学蔵)通期展示

2022年8月6日(土) – 9月25日(日)まで、東京藝術大学大学美術館にて特別展「日本美術をひも解く―皇室、美の玉手箱」が開催中だ。

本展が開催される東京藝術大学は、前身である東京美術学校で岡倉天心が1890年に初めて体系的に日本美術史の講義を行った場所であり、日本における芸術の教育・研究機関として重要な役割を担ってきた。

本展では、宮内庁三の丸尚蔵館の収蔵する皇室にゆかりのある名品、優品に、東京藝術大学の所蔵品を加えた82件の作品を展観。奈良時代から昭和にかけての日本美術を、書や和歌、人物・物語、花鳥・動物、風景などのモチーフやテーマ別にわかりやすく紹介する。

※記事の内容は2022/8/5時点のものです。最新の情報は展覧会HP等でご確認ください。

各時代の名品を概観!まさに「体験する教科書」

展示会場風景
手前は高取稚成/前田氏実《伊勢物語図屏風》(右隻)(大正5(1916)年)前期展示②
手前は十二代酒井田柿右衛門《白磁麒麟置物》(昭和3(1928)年)通期展示
画面奥(右)は《唐獅子図屏風》(右隻:狩野永徳 桃山時代 16世紀/左隻:狩野常信 江戸時代 17世紀)前期展示①

東京美術学校の創立に尽力した岡倉天心は、未来の美術を作るための足固めとしての日本美術史を確立し、学問として発展させた。その功績は非常に大きいといえるだろう。
しかし日本に限ったことではないが、美術を鑑賞するうえでは作者や時代背景、専門用語や概念などの知識が難しいために敬遠されてしまうことも少なくない。

特別展「日本美術をひも解く―皇室、美の玉手箱」において示されているのは、できるだけそういった堅苦しい「日本美術」のイメージを解きほぐし、個々の作品に触れ、親しんでもらおうという意図である。会場には誰もが知る国宝が並び、「教科書で見た!」などといった会話も弾むだろう。

会場では「文字からはじまる日本の美」「人と物語の共演」「生き物わくわく」「風景に心を寄せる」といったテーマ別に作品が展示され、「日本美術の玉手箱」を子供から大人までそれぞれの視点で楽しめるような工夫が凝らされている。

展示風景より。高階隆兼《春日権現験記絵 巻四、五》(鎌倉時代 延慶2(1309)年頃 国宝)巻四:前期展示② 巻五:後期展示②
展示風景より。伝 狩野永徳《源氏物語図屏風》(桃山時代 16~17世紀)前期展示②

日本人の感性によって生み出された仮名文字が美術と結びついていく様を紹介する1章「文字からはじまる日本の美」から展示は始まる。続く2章「人と物語の共演」では、書き記されたさまざまな物語が四季の風景や人々の有り様と結びつき、美へと昇華していく過程を見ることができる。

ここでは、《春日権現験記絵》や《蒙古襲来絵詞》など、昨年三の丸尚蔵館の収蔵品としてはじめて国宝に指定された貴重な絵巻物を展示。さらに狩野永徳作と伝えられる《源氏物語図屏風》などからは、平安時代の文学がその後の日本人にも長く愛されていたことが伝わってくる。

酒井抱一《花鳥十二ヶ月図》(江戸時代 文政6(1823)年 前期展示①)より五幅
画面手前は《唐獅子図屏風》(右隻:狩野永徳 桃山時代 16世紀/左隻:狩野常信 江戸時代 17世紀)前期展示①

生命あるのものへの日本人の多彩なまなざしと表現に着目した3章「生き物わくわく」では、注目の展示作品が目白押しだ。
全12幅が一挙に展示される酒井抱一の《花鳥十二ヶ月図》や、伊藤若冲作の国宝《動植綵絵》(後期展示①)、谷文晁の《虎図》(後期展示①)など、いずれも日本美術の至宝と呼ぶべき作品が並ぶ。

そして何といっても注目は右隻(桃山時代、16世紀)を狩野永徳が、左隻(江戸時代、17世紀)を狩野常信が描いた国宝《唐獅子図屏風》だろう。狩野永徳の代表作とされる右隻の獅子の迫力を、ぜひ会場で目の当たりにしてほしい。

左から高橋由一《栗子山隧道》(明治14(1881)年、五姓田義松《ナイアガラ景図》(明治22(1889)年ともに通期展示

4章「風景に心を寄せる」では自然における伝統的な画題である「浜松図」にはじまり、洋画黎明期の風景画まで自然・風景をモチーフにした作品を展観。日本古来の風景表現のエッセンスがかたちを変えながら近代画に受け継がれていった様子をたどることができる。

五姓田義松の《ナイアガラ景図》は雄大なナイアガラの滝を描いた明治時代の絵画。画面手前の遊覧船と滝を対比させることで、その壮大なスケールが鑑賞者に伝わるようになっている。


3章展示風景より。画面手前はコロコロとした身体と愛らしい表情が印象的な《羽箒と子犬》(明治~大正時代 20世紀 前期展示①)

宮内省と東京美術学校の努力によって後世に伝えられる名品の数々。
誰もが知る「あの作品」も、実際に目にすれば新鮮な感動があるだろう。

ぜひ、実物を見に会場まで足を運んでいただきたい。

※所蔵先を記載していない作品は、すべて宮内庁三の丸尚蔵館蔵

開催概要

会期 2022年8月6日(土) – 9月25日(日)
※会期中、作品の展示替えおよび巻替えがあります
前期展示:① 8月6日(土) – 8月28日(日)/ ② 8月6日(土) – 9月4日(日)
後期展示:① 8月30日(火) – 9月25日(日)/ ② 9月6日(火) – 9月25日(日)
会場 東京藝術大学大学美術館 本館 展示室1、2、3、4
開館時間 午前10時 – 午後5時(入館は閉館の30分前まで)
※9月の金・土曜日は午後7時30分まで開館
休館日 月曜日(ただし、9月19日は開館)
観覧料 一般 2,000円、高・大学生 1,200円
※中学生以下、障がい者手帳をお持ちの方とその介助者1名は無料
※本展は事前予約制ではありませんが、今後の状況により入場制限等を実施する可能性がございます。
主催 東京藝術大学、宮内庁、読売新聞社
問い合わせ先 050-5541-8600 (ハローダイヤル)
展覧会HP https://tsumugu.yomiuri.co.jp/tamatebako2022/

 

記事提供:ココシル上野


その他のレポートを見る

権力は芸術を求め、芸術はチカラとなる。【東京都美術館】「ボストン美術館展  芸術×力」(~10/2)内覧会レポート

東京都美術館
増山雪斎《孔雀図》江戸時代、享和元年(1801年) ボストン美術館蔵

ボストン美術館設立150周年にあたる2020年に企画されながらも、新型コロナウイルスの感染拡大により延期を余儀なくされた本展。
その「ボストン美術館展 芸術×力(げいじゅつとちから)」が満を持して7月23日に開幕した。

 

展示会場入口。権力を象徴する巨大な肖像画が来場者を出迎える

2022年7月23日(土)~2022年10月2日(日)まで、東京都美術館にて「ボストン美術館展  芸術×力」が開催中だ。
エジプト、ヨーロッパ、インド、日本・・・本展で出品される、さまざまな地域から収集された約60点の美術品を貫く縦糸となるのは、「権威」「力」である。

現代において芸術は「反権威」「反権力」であるというイメージを持つ人は多い。しかし歴史を紐解いてみれば、両者の関わりは密接だ。
古今東西の権力者はその力を維持するために芸術の力を利用し、宮廷を彩り、その正統性を示してきた。
その結果、権力者たちが時の一流の画家や職人に作らせた優れた芸術品は、今もなお私たちを魅了する輝きを放ち続けている。

本展はこのような「芸術と力」の関係性に注目し、ボストン美術館の百科事典的なコレクションの中から厳選した作品を展示。芸術作品が古来から担ってきた社会的な役割に焦点を当てる。

権力者たちが愛した、荘厳な美のコレクション

《ホルス神のレリーフ》エジプト(エル・リシュト、センウセレト1世埋葬殿出土)、中王国、第12王朝、センウセレト1世治世時(紀元前1971-1926)ボストン美術館蔵
光格天皇(1771-1840)の仮御所から新内裏への遷幸の様子を描いた《寛政内裏遷幸図屏風》(吉村周圭、江戸時代・寛政2-7年)ボストン美術館蔵
《ジャハーンギールの大使カーン・アラムとシャー・アッバース(「シャー・ジャハーンの後期アルバム」より》(おそらくビシャンダース、インド北部、ムガル帝国時代、1620年頃)ボストン美術館蔵
展示風景より。画面手前は《ギター(キタラ・バッテンテ)》(ヤコポ・モスカ・カヴェッリ、イタリア・1725年)ボストン美術館蔵。金属弦を張った珍しいもので、象牙や鼈甲など当時最も珍重された天然素材で装飾されている
アンソニー・ヴァン・ダイク《メアリー王女、チャールズ1世の娘》(1637年頃)ボストン美術館蔵

長い歴史の中で、芸術作品は鑑賞用のみならず多様な役割を担ってきた。
例えばヴァン・ダイクによって描かれたメアリー王女の肖像画はドレスの布地の質感や手の優雅さ、無垢な瞳のきらめきを表現した見事なものだが、こうした貴族の肖像画には王族同時の婚姻を祝う、もしくは進めるという重要な「役割」があった。

担当学芸員である大橋菜都子氏は

「芸術を通して各時代における権力者の力を浮き彫りにし、その力を示すために各作品がいかに使われてきたのかを追う展覧会。時代や国によって異なる権力の表され方に注目して見ていただきたい」

と本展の開催意義を語る。

《平治物語絵巻 三条殿夜討巻》(部分)(鎌倉時代、13世紀後半)
信頼・義朝軍によって連れ去られる後白河院。その姿は御簾の奥に隠れ、描かれない

本展は全五章構成。章ごとにさまざまな角度から力と芸術の関係性について焦点を当てているが、時代や地域性による違いについて注目してみるのも面白い。

例えば展覧会場入口に展示されている《戴冠式の正装をしたナポレオン1世の肖像》において、ナポレオンは金の月桂冠やワシが先端に施された笏により、シンプルに威厳に満ちた姿で描写されている。

しかし、《平治物語絵巻 三条殿夜討巻》においては天皇という存在は御簾の奥に隠れ、日本美術の伝統に則ってあからさまに表されていない。草薙の剣や八咫の鏡といったレガリアが決して人目に触れることがないように、日本において「権威」というのは隠される存在なのである。

エル・グレコ《祈る聖ドミニクス》(1605年頃)ボストン美術館蔵

古くから、権威・権力に「お墨付き」を与えるのは「神」「天」などといった超自然的・宗教的概念であった。「聖なる世界」と題された章では「神の代理人」となった権力者たちが生み出した宗教に関わる芸術作品を展示している。

聖母子像や如来像はもちろん、修道士や聖人、精神世界と強いつながりを持った地上の人物たちの像も数多く生み出されたが、エル・グレコの《祈る聖ドミニクス》もそのひとつだ。ドミニコ会として知られる「説教者修道会」を創立した聖ドミニクスの、まさに私的な祈りの瞬間が力強い筆致で表されている。

オスカー・ハイマン社、マーカス社のために製作《マージョリー・メリウェザー・ポストのブローチ》(1929年)ボストン美術館蔵

また、権威・権力というものを直接的に、また象徴的に公に示すもののひとつが宮殿である。本展で展示されている多くの芸術作品は、こうした宮殿、宮廷における公式の儀式や社会的な慣習と深く結びついているといえるだろう。
特に衣装と装身具はそれを身につける個人の権力や地位を伝えるうえで決定的なものだ。

《マージョリー・メリウェザー・ポストのブローチ》は、アメリカ人のマージョリー・メリウェザー・ポストがイギリス王ジョージ5世、メアリー王妃との謁見の際にマンハッタンのマーカス社から購入したもの。プラチナとダイヤモンドの装飾がついており、中央に嵌め込まれた60カラットのエメラルドが燦然たる輝きを放っている。
結局このブローチは謁見に用いられることはなかったが、ポストのジュエリーコレクションの中でも宝物のように大切にされ続けたという。

日本にあれば国宝?!里帰りした名宝たち

《吉備大臣入唐絵巻》(部分)(平安時代後期-鎌倉時代初期、12世紀末)ボストン美術館蔵
長大な絵巻物のため、コの字型に展示空間が作られている
《吉備大臣入唐絵巻》(部分)(平安時代後期-鎌倉時代初期12世紀末)より、吉備真備と唐人の囲碁対局の場面

アメリカのボストン美術館は、”東洋美術の殿堂”と称され、100年以上にわたる日本美術の収集はアーネスト・フェノロサや岡倉天心に始まり、今や10万点を超える。その膨大なコレクションの中でも傑出した存在である《吉備大臣入唐絵巻》は先に紹介した《平治物語絵巻 三条殿夜討巻》とともに「日本にあれば国宝」とも言われる貴重な作品だ。
その二大絵巻が揃って展示され、まさに本展の白眉とも言うべき存在感を放っている。

《吉備大臣入唐絵巻》は遣唐使として海を渡った吉備真備が、鬼と化した阿倍仲麻呂の力を借りながら数々の難題を解決していく物語。長大なため、室内をコの字型に囲むように展示されている。代々寺社や豪族によって守り伝えられてきたが、幕末から明治への社会変動を受けて市場に流出。長く買い手がつかない状況が続いていたが、やがて昭和7(1932)年にボストン美術館によって購入されたという。

「幻の国宝」となった本作品。鑑賞するにあたって、この絵巻物がたどった数奇な運命に想いを馳せてみても面白いだろう。

増山雪斎《孔雀図》江戸時代、享和元年(1801年)ボストン美術館蔵

本展の最後を締めくくるのは、左幅と右幅に艶やかな孔雀の姿が描かれた《孔雀図》だ。
画家の増山雪斎は名を正賢(まさたか)といい、江戸時代中期に伊勢長島藩(現在の三重県桑名市長島町)を治めた大名。多くの画家・知識人らを庇護し、さらに自身でも多くの書画を制作した。
本展のために修復され、初めての里帰りを果たした《孔雀図》は、雪斎が数多く取り組んだ画題で、まさに代表作と言える質の高さを誇る。

ジョン・シンガー・サージェント《1902年8月のエドワード7世の戴冠式にて国家の剣を持つ 、第6代ロンドンデリー侯爵チャールズ・スチュワートと従者を務めるW・C・ボーモント》(1904年)ボストン美術館蔵

さまざまな場所、さまざまな時代で権力と芸術が織りなす均衡と勾配。
権力者たちは芸術の力によって己を誇示し、依って立つ物語に神話的な正統性を付与してきた。しかし、本展において示されているのは権力に従属するだけの芸術の姿ではない。

芸術はその内に世俗の「力」をも超える「チカラ」を秘め、人々の心のみならず、時に世界さえも動かす。集められた名宝の数々を眺めていると、胸の内にそんな思いが芽生えてくる。

一旦延期となり、いよいよ待望の開幕となる本展覧会。ぜひ、直接会場でご覧いただければと思う。

「ボストン美術館展  芸術×力」概要

会期 2022年7月23日(土)~10月2日(日)
会場 東京都美術館
開館時間 9:30~17:30 ※金曜日は20:00まで
(入室は閉室の30分前まで)
休館日 月曜日、9月20日(火)
※ただし8月22日(月)、8月29日(月)、9月12日(月)、 9月19日(月・祝)、9月26日(月)は開室
観覧料 一般 2,000円   大学専門学生 1,300円  65歳以上 1,400円
※本展は展示室内の混雑を避けるため、日時指定予約制となっております。→展覧会HP
主催 公益財団法人東京都歴史文化財団 東京都美術館、ボストン美術館、日本テレビ放送網、BS日テレ、読売新聞社
問い合わせ先 050-5541-8600(ハローダイヤル)
展覧会公式サイト https://www.ntv.co.jp/boston2022/

※記事の内容は取材日(2022/7/22)時点のものです。最新の情報は公式サイト等でご確認ください。

 

記事提供:ココシル上野


その他のレポートを見る

【会場レポ】「フィン・ユールとデンマークの椅子」展が東京都美術館で開幕。実際に椅子に座れる特設コーナーも!

東京都美術館
会場風景

「家具の彫刻家」として知られるデンマークのデザイナー、フィン・ユールの作品を中心に、同国の家具デザインの歴史と変遷を紹介する企画展「フィン・ユールとデンマークの椅子」が、東京都美術館で2022年7月23日からスタートしました。

先立って行われた報道内覧会に参加してきましたので、会場の様子をレポートします。

あらゆる日常を支える「椅子」に焦点を当てた展覧会

会場風景

デザイン大国として知られる北欧の国・デンマークでは、「居心地がいい、楽しい時間」を意味するHygge(ヒュッゲ)の価値観がライフスタイルに根付き、家具デザインの面でもシンプルな心地よさが追求されてきました。

とりわけ1940年代から60年代にかけて、デンマークでは歴史に残る優れた家具が多数登場する黄金期を迎えました。フィン・ユール(1912-1989)は、そんな黄金期を代表するデザイナーの一人です。

彼の生み出す家具は身体に心地よくなじむばかりでなく、優美な曲線を特徴としたモダンなデザインと芸術品のごときディテールの美しさが際立っていて、その造形美は「彫刻のよう」と評されています。

会場風景
会場風景

「フィン・ユールとデンマークの椅子」展は、デンマークの椅子をメインとした家具デザインの歴史と変遷をバラエティに富んだ作例とともに辿りながら、巨匠フィン・ユールのデザインの魅力に迫るもの。

展示の最後には、実際にデンマーク・デザインの椅子を体験できる特設コーナーも用意されています。

なお、展示品の多くは、北海道東川町が所蔵する世界的にも名高い「織田コレクション」からの出展です。本展の学術協力者の一人であり、椅子研究者の織田憲嗣氏(東海大学名誉教授)が研究資料として長年にわたり収集してきた20世紀の家具・日用品のコレクションで、東京でまとめて紹介するのは本展が初の機会となるとか。

第1章「デンマークの椅子──そのデザインがはぐくまれた背景」

本展は第1章から第3章までの3章構成となっています。

第1章 展示風景

第1章「デンマークの椅子」は、ヨーロッパを席巻した合理主義・機能主義を掲げたモダニズム運動に、デンマークの若い建築家やデザイナーが触れるきっかけとなった1930年のストックホルム博覧会の紹介からスタートします。

伝統的な家具作りを継承しながら一般市民にデザインを開放するというデンマーク独自のモダニズム運動を主導し、伝統家具を研究・再構築する「リデザイン」の思想や人間工学に基づく方法論を提唱した「デンマークモダン家具デザインの父」と呼ばれるコーア・クリント(1888-1954)。

彼が初代教授をつとめた、デンマークの家具デザインの発展に最も影響したとされるデンマーク王立芸術アカデミー家具科の創設

家具職人を効率よく育成し、技術の高さをアピールする展示会も頻繁に開催した家具職人組合の存在。

写真やポスター、出版物、映像などさまざまな資料とともに、世界中で愛されるデンマークの名作家具が生み出された背景を丁寧に振り返ります。

第1章 展示風景
第1章 展示風景

ここではコーア・クリントはもちろん、王立芸術アカデミー家具科の2代目教授となったオーレ・ヴァンシャー、一般庶民向けに余分な装飾を排した機能的な家具をデザインしたボーエ・モーエンセン、木材への深い造詣と抜群のクラフトマンシップで次々に名作家具を生んだハンス・J・ウェグナーなど、名デザイナーたちによるさまざまな椅子を一望できます。

ボーエ・モーエンセン《ハンティングチェア》1950年、織田コレクション(東川町)/幻の名作と言われたモーエンセンの代表作。

座・背・足というシンプルな基本構造からなる椅子ですが、なかにはテニスのラケットに張るガットを使用したヘルゲ・ヴェスタゴード・イェンゼンの《ラケット・チェア》や、アイスのコーンのような形をしたヴェルナー・パントンの《コーン・チェア》、折り紙で作られたようなグレーテ・ヤルクの《プライウッドチェア》など、やや奇抜なデザインのものもあって実にバラエティ豊か。

ただ、奇抜であっても華美な印象はなく、デンマーク・デザインに共通する落ち着いた雰囲気をまとっています。

ヘルゲ・ヴェスタゴード・イェンゼン《ラケット・チェア》1955年、織田コレクション(東川町)

同章では、デンマークの家具デザイン黄金期の、驚くほど多様な思考と発想を感じることができるでしょう。

第2章「フィン・ユールの世界」

当時の家具デザイナーたちの多くは、コーア・クリントの門下生か家具工房の出身でした。

一方のフィン・ユールは美術史家を志望しながらも、父の勧めから建築を学ぶために1930年に王立芸術アカデミーに入学。建築事務所で建物の設計やインテリアデザインに携わりながら独学で家具デザインを学び、1937年、25歳のときに家具職人組合の展示会に初出品したという、異端の経歴の持ち主です。

第2章 展示風景

第2章「フィン・ユールの世界」は、そんな建築家、インテリアデザイナー、家具デザイナーであるフィン・ユールによる初期の建築ドローイングからスタートします。

1930年代後半、優れた家具職人ニールス・ヴォッターと組んでユニークなフォルムを探求した頃に生み出した、《イージーチェア No.45》《チーフテンチェア》《ペリカンチェア》など数々の代表作。

1942年にコペンハーゲン北部に建てられ、生涯の仕事場となった自邸(フィン・ユール邸)の設計。

国外で評価されるようになった1950年以降の仕事として、ニューヨークにある国際連合本部で手かげたインテリアデザインや、スウェーデン・スカンジナヴィア航空のオフィスや旅客機の客室デザインまで、フィン・ユールの幅広い活動の全貌を紹介しています。

(右)モーエンス・ヴォルテレン《コペンハーゲンチェア》1936年、織田コレクション(東川町)/ニールス・ヴォッターの製作。本作をきっかけにフィン・ユールはヴォッターと出会ったとされています。
フィン・ユール《イージーチェアNo.45》1945年、織田コレクション(東川町)
フィン・ユール《チーフテンチェア》1949年、織田コレクション(東川町)

「彫刻のよう」と評されるフィン・ユールの作品は、彫刻家ハンス(ジャン)・アルプなどの抽象彫刻のフォルムや内在する美学に大きな影響を受けているそう。

特に初期の作品は彫刻的なアプローチが顕著で、肘に沿う滑らかなアームや、ほっそりとシャープな脚部の流れるような曲線は、アルプの人体をモチーフにした彫刻のような、抽象化された身体を思わせます。

ハンス(ジャン)・アルプ《地中海群像》1941/65年、東京国立近代美術館/フィン・ユールが着想を得た彫刻や版画などの美術作品も展示。

「椅子は単なる日用品ではなく、それ自体がフォルムであり、空間である」というフィン・ユールの言葉のとおり、有機的なフォルムをもつ彼の椅子は、座って心地よいだけでなく、建築や美術、日用品と濃密に響き合いながら空間の調和を生み出す点が大きな魅力となっています。

フィン・ユール邸の家具やインテリア、映像資料

その魅力が顕著に表れているのが、フィン・ユール邸の関連展示。誰からも干渉されることなく自身の構想を具現化できる場所として、建物の設計だけでなく家具や日用品も自らデザインしたというこだわりの邸宅です。

ウィルヘルム・ルンストロームの絵画などの芸術作品も美しく配置され、緑豊かな森の景色と調和する邸宅の空間を紹介する映像資料からは、フィン・ユールのデザインに対する美学の一端を感じられるでしょう。

第3章「デンマーク・デザインを体験する」

第3章 展示風景

フィン・ユールは椅子に対して「そこに座る人がいなければ、椅子はただの物にすぎない。人が座ってはじめて、心地よい日用品となる」と考えていたそう。

そんなフィン・ユールを特集している本展ならではのコーナーとして、第3章「デンマーク・デザインを体験する」では、日常の道具であり、使う人の暮らしを見据えてデザインされている椅子本来の役割に立ち返っています。なんと、30種類以上のデンマークの椅子に実際に座ることができるのです!

第3章 展示風景
第3章 展示風景
第3章 展示風景

フィン・ユールはもちろん、第1章で目にしたデンマークの家具デザイン黄金期を支えたデザイナーたちの椅子がズラリ。社長席のような革張りの重厚な椅子もあれば、戸外制作にぴったりな折り畳みスツールもあります。

椅子に直に触れて、座りやすさや触り心地を確かめたり、座っている人の姿を観察してみたり。デザイナーたちがそれぞれ椅子をめぐる課題にどう向き合い、どう解決したのか。豊かな発想を体で味わうことができます。

第3章 展示風景
第3章 展示風景

ここで紹介されている椅子と照明器具は、現在もデンマークの製造会社によって製作され続けているものばかりです。

「世界で最も幸福な国」として知られるデンマーク。
価値観やライフスタイルが絶えず変化する世界において、シンプルなデザインと機能性、そしてどのような空間にもなじむ普遍的な親しみやすさをもつデンマーク・デザインが世界中に根付いているという事実は、私たちが快適に生きるためのヒントになるのかもしれません。


あらゆる日常を支える椅子という身近な家具にあらためて光を当てる「フィン・ユールとデンマークの椅子」展の開催は、2022年10月9日まで。

ちなみに本展の開催に関しては、2012年の東京都美術館リニューアルのおり、中央棟の1階「佐藤慶太郎記念 アートラウンジ」にフィン・ユールをはじめとするデンマークの椅子やテーブルを設置し、休憩コーナーを新設したことがきっかけといいます。

佐藤慶太郎記念 アートラウンジ ©東京都美術館

来館者がゆったりとした時間を過ごせる居心地のよいスペースにするため設置したそうですが、東京都美術館の建築と北欧家具の親和性の高さもさることながら、空間の印象を一変させる家具の力にも驚かされたとか。

本展に足を運んだら、ぜひ「佐藤慶太郎記念 アートラウンジ」も覗いてみてください。

企画展「フィン・ユールとデンマークの椅子」概要

会期 2022年7月23日(土)~10月9日(日)
会場 東京都美術館 ギャラリーA・B・C
開館時間 9:30~17:30(入室は閉室の30分前まで)※金曜日は9:30~20:00(入室は閉室の30分前まで)
休館日 月曜日、9月20日(火)
※ただし、8月22日(月)、29日(月)、9月12日(月)、19日(月・祝)、26日(月)は開室
観覧料 一般 1,100円 / 大学生・専門学校生 700円 / 65歳以上 800円

※高校生以下は無料
※身体障害者手帳・愛の手帳・療育手帳・精神障害者保健福祉手帳・被爆者健康手帳をお持ちの方とその付添いの方(1名まで)は無料
※そのほか、詳細は展覧会公式サイトをご確認ください。

主催 公益財団法人東京都歴史文化財団 東京都美術館
展覧会公式サイト https://www.tobikan.jp/finnjuhl

※記事の内容は取材日(2022/7/22)時点のものです。最新の情報は公式サイト等でご確認ください。

 

記事提供:ココシル上野


その他のレポートを見る

西洋美術の巨匠たちが紡ぐ、自然と人の物語。
【国立西洋美術館】「自然と人のダイアローグ」内覧会レポート (~9/11)

国立西洋美術館
左からクロード・モネ《舟遊び》(1887)、ゲルハルト・リヒター《雲》(1970)

約1年半の休館を経て本年に4月に再開館を果たした国立西洋美術館。

リニューアルオープン記念となる本展覧会は、開館100周年を迎えるドイツ・フォルクヴァング美術館との共同企画となる。

両館が誇る100点以上の名品を通じ、自然と人の対話から生まれた芸術の展開を辿るという試みだ。

今回は、開催前日に行われた報道内覧会の様子をお伝えする。

会場入口。移ろいゆく自然を表現したという色彩のグラデーションが美しい

本展「 国立西洋美術館リニューアルオープン記念 自然と人のダイアローグ フリードリヒ、モネ、ゴッホ、リヒターまで 」はドイツ・フォルクヴァング美術館の協力を得て開催される。

フォルクヴァング美術館はドイツ・ハーゲンの銀行員の家に生まれたカール・エルンスト・オストハウス(1874-1921)が19世紀から収集した美術品を核としているが、一方国立西洋美術館もまた松方幸次郎(1866-1950)が欧州で集めた西洋美術を基にした美術館である。

つまり、両館はほぼ同時代を生きた個人のコレクションを基にしているという点で共通している。
オストハウスは炭鉱地帯で知られる地元のルール地方の人々にコレクションを開放し、また松方幸次郎も「共楽美術館」を構想して庶民に西洋文化を楽しむ機会を提供した。

ふたりの実業家が抱いた志は長い時を経て、本展覧会において邂逅した、とも言えるだろう。

自然と人とが、対話によって響き合う

展示会場風景
手前はギュスターヴ・ドレ《松の木々》(1850)
ピエール=オーギュスト・ルノワール《オリーブの園》(左)《風景の中の三人》(右)。展示スペースに配された文章(右上)が趣を添える
右はカール・グスタフ・カールス《高き山々(カスパー・ダーヴィト・フリードリヒにもとづく模写》(1824頃)
中央はジャン=バティスト・カミーユ・コロー《ナポリの浜の思い出》(1870-1872)

本展のテーマは「自然と人」である。
2つの美術館のコレクションという枠で切り出したさまざまな風景や自然のモチーフが、全4章という構成の中で互いに響き合う。ゴッホ、シニャック、クールベ・・・それらの作品の描き手は紛れもない西洋美術たちの「巨匠」たちである。

展示内容について、本展の担当研究員・陳岡めぐみ氏(国立西洋美術館 主任研究員)は、「本展は年代順ではなく、自然というものに繰り返しバリエーションを加えていくような構成とした」と語る。

例えば第1章「空を流れる時間」では絶えず移ろいゆく自然の諸相を示し、第2章「〈彼方〉への旅」では作家自身の五感と結びついた目に見えぬ心象風景を展観。続く第3章「光の建築」では秩序や法則など自然における永続的な要素を抽出し、最終章「天と地のあいだ、循環する時間」では自然の永続的なサイクルと人間の生命をリンクさせたような作品を見出すことができる。

「空」の表現から始まる自然への眼差しは、会場で歩みを進めることで私たち自身の精神の深層へと降り立ち、やがて光や宇宙の表現へと縦横無尽に変化していく。それはまるで、自然そのものをめぐる壮大な旅路のようだ。

100点を超える作品で
ヨーロッパにおける自然表現を紹介

フィンセント・ファン・ゴッホ《刈り入れ(刈り入れをする人のいるサン=ポール病院裏の麦畑)》(1889)

本展では、ドイツ・ロマン主義から印象派、ポスト印象派、20世紀絵画まで、100点を超える作品によりヨーロッパの自然表現を紹介している。
ゴッホをはじめ、マネ、モネ、セザンヌ、ゴーガン、シニャック、ノルデ、ホドラー、エルンストなど、西洋絵画の巨匠たちの競演による多彩な自然をめぐる表現を堪能できるほか、両館それぞれが所蔵する同じ画家の作品を見比べることができるのもポイントだ。

そうした作品群の中でも白眉と言えるのが、フィンセント・ファン・ゴッホが晩年に取り組んだ風景画《刈り入れ(刈り入れをする人のいるサン=ポール病院裏の麦畑)》だ。晩年、精神を病んで療養中だったゴッホが「自然という偉大な書物の語る死のイメージ」を描出したという代表的な風景画の一作で、今回が初来日となる。

展示風景より、左からギュスターヴ・クールベ《波》(1870)と《波》(1870頃)

第二章で展示されるギュスターヴ・クールベの《波》もまた、単なる客観的事象を越えた、峻厳な自然の実相を私たちに示してくれる。
フランスの山岳地帯に育ったクールベにとって、長いあいだ未知の世界であった海。彼は1860年代後半から、この雄大なモチーフに本格的に取り組むようになったという。黒い青緑色をした海と灰色がかった茜色の空という色彩対比、さらに絵筆とペインティングナイフによる質感の描き分け・・・簡潔な構図でありながら作家のすぐれた技量がうかがえる作品だ。

展示風景より、左からクロード・モネ《睡蓮、柳の反映》《睡蓮》(いずれも1916)

最終章において圧倒的な存在感を放つのが、クロード・モネ《睡蓮、柳の反映》《睡蓮》、さらにドイツの女性写真家エンネ・ビアマンが一輪の睡蓮を撮影した写真が同時展示された空間である。

近年フランスで発見され、修復作業を経て2019年に初公開されたモネの《睡蓮、柳の反映》(1916)と有名な《睡蓮》が同空間で響き合い、私たちの心に不思議な感慨を呼び起こす。ここに示された自然の数々は非常に近接した、ミクロの視点によるものであり、壮大な「空」の展示から始まったこの旅路が終盤に差し掛かったことを感じさせる。

陳岡氏が「作品が出発点となった」と語る本展は、あくまで個々の作品が主役であるには違いないが、壁面には同時代を生きた詩人や芸術家たちの言葉が散りばめられ、さらに展示空間の各所にも冒険的な仕掛けを施したという。
展覧会のオープニングに際して陳岡氏は

「作品それぞれが対話をし合うような構成を心がけました。作品、テキスト、空間。全体の響き合いの中で展覧会を味わっていただければと思います」

と、本展の見どころについて総括した。
ぜひ、会場に足を運んで自然と人の響き合いを肌で感じていただければと思う。

 

開催概要

会期 2022年6月4日(土)~9月11日(日)
会場 国立西洋美術館
開館時間 9:30〜17:30
毎週金・土曜日は9:30〜20:00
※入館は閉館の30分前まで
休館日 月曜日、7月19日(火) (ただし、7月18日(月・祝)、8月15日(月)は開館)
観覧料 一般2,000円、大学生1,200円、高校生800円
混雑緩和のため、本展覧会は日時指定を導入いたします。
チケットの詳細・購入方法は、 展覧会公式サイトのチケット情報をご確認ください。
※中学生以下は無料。
※心身に障害のある方および付添者1名は無料(入館の際に障害者手帳をご提示ください)。
展覧会公式サイト https://nature2022.jp/

 

その他のレポートを見る