史上最大のTARO展がやってくる!【東京都美術館】「展覧会 岡本太郎」(~12/28)内覧会レポート

東京都美術館

戦後日本において最も高い人気と知名度を誇る芸術家・岡本太郎。

今秋、東京都美術館は「展覧会 岡本太郎」と題し、過去最大規模の回顧展を開催する。

開催前日に行われた報道内覧会の模様をレポートし、その内容の一部を紹介する。

《明日の神話》(1968)より

ぼくはパリで、人間全体として生きることを学んだ。
画家とか彫刻家とか一つの職業に限定されないで、
もっと広く人間、全存在として生きる。

『壁を破る言葉』イースト・プレス、 2005年

 

ある時、「何か本職なのか?」と問われた岡本太郎はこう答えたという。
「人間—全存在として猛烈に生きる人間だ」と。

絵画、立体、パブリック・アートから生活用品まで、圧倒的なインパクトのある作品を次々に生み出した岡本太郎。
戦後最も知名度の高い日本人芸術家のひとりでありながら、彼は「芸術」そのものに回収されることを強烈に拒否した存在だと言えるだろう。そこに彼の謎があり、面白さがある。

前衛芸術運動を牽引した壮年期の作品、民俗学的な視点で生まれたユニークな芸術、大衆に向けたパブリック・アート、そして「太陽の塔」。本展覧会は過去最大規模のスケールで「人間・岡本太郎」の全貌を紹介する待望の回顧展だ。

今に生きる”TARO”の作品を体感せよ!

展覧会場入口。妖しく灯る《光る彫刻》(1967)(川崎市岡本太郎美術館)の存在感にいきなり目を奪われる
画面左から《青空》(1954)(川崎市岡本太郎美術館)、《にらめっこ》(1978)(川崎市岡本太郎美術館)
展示会場地下一階は特に順路もなく、心の赴くまま岡本太郎の作品と向き合える
立体作品も豊富に展示。画面手前は頬杖をついて笑う子どもをモチーフとした《若い夢》(1974)(川崎市岡本太郎美術館)

岡本作品のほぼすべてを所蔵する川崎市岡本太郎美術館と岡本太郎記念館が主催者として参画し、大阪、名古屋、東京を巡回する本展覧会。
大阪・名古屋においてははじめての回顧展実現となるが、東京展を担当した東京都美術館学芸員・藪前知子氏は
「太郎さんは『現在』に自分の作品をどうぶつけるか、どう対峙するかを考えていた人。基本的に『回顧展』はそぐわない」
とし、特に展覧会場入口の空間は「生で岡本太郎とぶつかることのできる場所」として工夫を凝らしたという。

具体的には初期から晩年までの代表作を、時系列や、どの時代にどういう文脈で制作された作品なのかということを考慮せずに配置し、さらに順路も設けないことで、鑑賞者が自由に岡本太郎の作品に「出会う」ことができる場になっている。

岡本太郎、その全存在を賭けた歩み

1章展示風景より
2章展示風景より。《燃える人》(1955)(東京国立近代美術館蔵)

展示会場の一階から二階までは、全6章で岡本太郎の画業を時系列順に追い、その作品を通じて体感できる構成となっている。

1930年、18歳の岡本太郎は東京美術学校(現・東京藝術大学)に入学後、半年で両親に同行してパリへ。渡欧時代の作品は東京に持ち帰ったのちすべて焼失したが、この1章「岡本太郎誕生」では後年再制作された作品などを展示。画家・岡本太郎が誕生した最初期の作品の全貌を知ることができる。

続く2章「創造の孤独」では帰国後、仁科会を主な活動の場としながらも前衛芸術の共同体を結成し、先鋭的な作品を精力的に生み出していた時期の作品を紹介。彼の代名詞となる「対極主義」というスローガンが生まれたのもこの時代だ。
日本の社会的な事象に反応した作品も多く描かれ、《燃える人》(1955年・東京国立近代美術館蔵)という作品では原爆に対するメッセージ、そして後日の代表作《明日の神話》につながるモチーフも描かれている。

3章展示風景より
ユニークな中にビビッドな生命感あふれるデザインが並ぶ4章。中央の《坐ることを拒否する椅子》は実際に体験することができる

1951年、東京国立博物館で考古学の遺物として陳列されていた異様な形の縄文土器に偶然出くわして、彼はこう叫んだという。
「なんだ、これは!」
岡本太郎がこれを機に縄文土器の造形に日本人の根源的な生命のあらわれを見出し、「わび・さび・渋み」に象徴されるような日本文化の「伝統」に異議を唱え、新たな日本像を見出したというのは有名な話だ。

3章「人間の根源」では60年代に入り、縄文土器に影響を受けたうねるような曲線が装飾的に画面を覆い、カリグラフィーと抽象絵画の可能性を探った頃の作品が展示されている。まるで梵字のようでもあり、強烈な呪術性を感じさせる作品群はまさに岡本の面目躍如といった感が強い。

続く4章「大衆の中の芸術」は趣をがらりと変え、岡本のパブリック・アートの世界へ。岡本はほとんど作品を売らなかったことで知られるが、彼にとって芸術とは映画やテレビなどのマスメディアと同様に大衆に広く共有されるものだという信念があった。展示された作品の中に特撮映画の宇宙人のデザインなど、およそ「芸術家」にそぐわない多様な仕事が含まれているのが面白い。

また、4章フロアには有名な《坐ることを拒否する椅子》の展示もあり、もちろん鑑賞者は自由に座ることができる。試しに座ってみると・・・意外に拒否されているような心地はしなかったが、長時間座ることもできないだろうという印象。「いつまでも座っていないで、闘え」というメッセージなのだろうか。

5章展示風景より。《太陽の塔》と《明日の神話》はほぼ同時期に進められた岡本渾身のプロジェクトであった
圧倒的な引力を放つ《明日の神話》の手前に据えられているのは《生命の樹 前景模型》(2017)(岡本太郎記念館)

5章「ふたつの太陽」で私たちを待つのはあの《太陽の塔》、そして代表作のひとつである《明日の神話》である。
合理的な近代建築の屋根を突き破ってそびえたつ高さ約70メートルの《太陽の塔》は、日本万国博覧会でも圧倒的な存在感を放ち、今日まで続く私たちの中の「岡本太郎」のイメージを築き上げた。会場では1/50サイズの立体模型や貴重な構想スケッチが展示されている。

この《太陽の塔》と同時に進められていたもうひとつの巨大プロジェクトが《明日の神話》で、万博の準備のかたわら何度もメキシコに足を運んで完成させた作品である。作品の中心には放射能の炎に焼かれる人間が描かれ、画面全体の複合的なイメージの中には悲惨さだけではなく、力強く新たな運命を切り開いていくエネルギーも感じさせる。本展ではドローイングと1/3サイズで描かれた精巧な下絵が紹介されている。

6章展示風景より。左から《動物》(1954、その後加筆)(岡本太郎記念館)、《雷人》(1995・未完)(岡本太郎記念館)

「美術品」や「芸術」の、あのよそよそしさ。
そのなま皮をひっぱがして、自由なイマジネーションをふき上げるべきだ。

 

「芸術家」ではなく、原初の、なまなましい生命を燃焼させることに人生を捧げた岡本太郎。
晩年は絵画作品の発表を行うことはほとんどなかったが、死後アトリエに残された膨大なカンヴァスが、彼が死ぬまで絵画の探求を続けていたことを示していた。
最後を飾る6章の展示作品が示しているのは、老いさらばえ、死してゆく命の残滓ではない。最後に展示された《雷人》から、晩年においてもなおも煌めく生命の奔放さが感じられるのは自分だけではないだろう。

本展の会期は12月28日までと、比較的短い。
ぜひ、これを機に岡本太郎が人生を賭けた作品に向かい合い、時には挑んでみてほしい。

©岡本太郎記念現代芸術振興財団

開催概要

会期 2022年10月18日(火)~12月28日(水)
会場 東京都美術館
開室時間 9:30-17:30、金曜日は20:00まで(入室は閉室の30分前まで)
休室日 月曜日、9月20日(火)
※ただし8月22日(月)、8月29日(月)、9月12日(月)、 9月19日(月・祝)、9月26日(月)は開室
観覧料 一般 2,000円   大学専門学生 1,300円  65歳以上 1,400円
※本展は展示室内の混雑を避けるため、日時指定予約制となっております。→展覧会HP
主催 公益財団法人東京都歴史文化財団 東京都美術館、公益財団法人岡本太郎記念現代芸術振興財団、川崎市岡本太郎美術館、NHK、NHKプロモーション
問い合わせ先 050-5541-8600(ハローダイヤル)
展覧会HP https://taro2022.jp/

 

その他のレポートを見る