【東京国立博物館】全方位型の展示空間で、空也上人が蘇る。特別展「空也上人と六波羅蜜寺」(~5/8)報道内覧会レポート

東京国立博物館
《空也上人立像》 康勝作 鎌倉時代・13世紀 京都・六波羅蜜寺蔵

平安時代中期、民衆に阿弥陀信仰をいち早く広めた空也上人。

空也上人が創建した六波羅蜜寺に伝えられる上人像や、彼のもとで造られた四天王立像など、鎌倉彫刻の名宝が集う特別展「空他上人と六波羅蜜寺」が東京国立博物館で幕を開けた。

会場入口

東京国立博物館にて、空也上人と六波羅蜜寺の名宝に焦点を当てた特別展「空也上人と六波羅蜜寺」が開催されている。
ご存じの通り、空也上人とは南無阿弥陀仏を唱えれば極楽浄土が叶うとする阿弥陀信仰を民衆に広げた僧侶である。

この空也上人が生きた時代は平安時代中期。この時代は律令制度自体のゆるみ、それに起因する承平・天慶の乱など社会が大きな混乱に見舞われた時期でもあった。

そして、天暦五年(951)に京都の都に蔓延したパンデミックによって多くの民衆が病に侵されたわけだが、空也上人は井戸を掘り、火葬をすすめ、自らの命を省みることなく人々に救いの道を示したのである。

そして時は流れ、本年は空他上人没後150年を迎える。奇しくも、世界はコロナ禍という未曽有のパンデミックの最中にある。

ここに不思議な時代の符合と、本展の開催されるタイミングについて機縁を感じるのは筆者だけではないだろう。

本展では実に半世紀ぶりに空也上人立像が東京で公開され、さらに空也上人立のもとで制作された四天王立像や定朝(じょうちょう)作の地蔵菩薩像、さらに運慶作の地蔵菩薩坐像など、平安から鎌倉の彫刻の名品が一堂に集う。

会場風景
展示風景より。手前が《閻魔王坐像》(鎌倉時代・13世紀)
《地蔵菩薩立像》(平安時代・11世紀)

展示会場は東京国立博物館本館の特別5室。一室のみの展示空間なので敷地面積はさほどでもないが、鎌倉期の傑作彫刻が集う空間はまさに圧巻の一言。さらに空也上人をはじめ、展示作品によっては像を全方位360°から鑑賞することができるため、見どころは多い。

特に日頃拝観する機会の少ない光背(こうはい)部分(神仏から発せられる光明を視覚的に表現したもの)をじっくり鑑賞することができるので、ぜひあなただけの「推し角度」を見つけてみてほしい。

会場に足を踏み入れると正面に鎮座している地蔵菩薩立像は華やかな彩色が優美な平安彫刻の傑作で、均整の取れた身体のバランス、なだらかな曲面による立体構成の妙が光る。着衣は可憐な菊花紋で彩られており、大仏師定朝の技の冴えを感じさせる。

重要文化財・薬師如来坐像を中央に据え、四天王立像が揃い踏み
度重なる苦難を乗り越え、伝えられる六波羅蜜寺の至宝
《伝平清盛坐像》(鎌倉時代・13世紀)

六波羅蜜寺は当時平安京の外側に位置しており、京都の葬送の地鳥辺野(とりべの)の入口にあたる。そのことから「あの世」と「この世」の境界と見なされてきた特別な地であるが、六波羅蜜寺は建立以来幾多の災害や戦火に見舞われてきた。

本展で展示されているのはそれらの災禍を乗り越えて現代まで伝えられてきた奇跡の品々である。その美術的価値はもちろん、作品を通じて当時の信仰心の厚みにも思いを馳せてみるといいかもしれない。

伝平清盛坐像は慶派仏師の手によるものと考えられており、明証はないが平清盛の像として伝えられている。謎の多い像だ。
清盛は髪を剃った僧侶の姿で両手に巻物を持ち、それに視線を注ぐようにして足を組んで座している。一説には清盛の怨霊を防ぐために作られたとされているが、書物を眺めながらもどこか瞑想的な表情が印象的だ。かつて世を謳歌した清盛は、この時何を考えていたのだろう。

《空也上人立像》 康勝作 鎌倉時代・13世紀 京都・六波羅蜜寺蔵

13世紀はじめに作られた六波羅蜜寺所蔵・空也上人立像は、日本の肖像彫刻の中で屈指の知名度を誇る。
口から仏さまがあらわれるという独特の造形が目を引くため、空也上人の業績や本像の正式名称を知らない若い世代にもよく知られている作品だ。

作者は鎌倉時代を代表する仏師運慶の四男、康勝(こうしょう)と考えられている。本像は空也上人の没後250年ほどの時を経て造像されたものだというが、まるで本人を目の当たりにして造られたかのような写実性が特徴的だ。鉦鼓を打ち鳴らして念仏を唱え、鹿杖を突きながら歩みを進める痩身の僧侶の姿。形なき音声を造形化した創造性には、脱帽というほかない。

本展では全方位360°から鑑賞可能。街を闊歩して鍛えられた脛やふくらはぎ、助けを求める声に耳を澄ますかのような表情・・・ぜひ空也上人の在りし日の姿を想起しながら、作品を鑑賞してみてほしい。

特別展「空也上人と六波羅蜜寺」開催概要

会期 2022年3月1日(火)~5月8日(日)
会場 東京国立博物館 本館特別5室
開館時間 9:30~17:00
休館日 月曜日、3/22(火)  ※ただし3/21, 3/28, 5/2は開館
主催 東京国立博物館、六波羅蜜寺、朝日新聞社、テレビ朝日、BS朝日
展覧会公式サイト https://kuya-rokuhara.exhibit.jp/

※記事の内容は掲載時点のものです。最新の情報と異なる場合がありますのでご注意ください。

 

記事提供:ココシル上野


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「フェルメールと17世紀オランダ絵画展」会場レポート。修復された《窓辺で手紙を読む女》の印象はどう変わる?(東京都美術館で~2022年4月3日まで)

東京都美術館
ヨハネス・フェルメール《窓辺で手紙を読む女》(修復後)1657-1659年頃

17世紀オランダを代表する画家、ヨハネス・フェルメールが手掛けた《窓辺で手紙を読む女》。その大規模な修復作業により取り戻された“本来の姿”を、所蔵館以外で世界初公開する展覧会「ドレスデン国立古典絵画館所蔵 フェルメールと17世紀オランダ絵画展」が、東京都美術館にて開催中です。
会期は2022年2月10日(木)から4月3日(日)まで。

開催に先立って行われた報道内覧会に参加してきましたので、展示内容をレポートします。

※特別な記載のない作品はすべてドレスデン国立古典絵画館所蔵です。

会場風景
会場風景

《窓辺で手紙を読む女》に現れたキューピッドの画中画

2017年から2021年にかけて大規模な修復プロジェクトが行われた、ドレスデン国立古典絵画館が所蔵する《窓辺で手紙を読む女》ヨハネス・フェルメール(1632-75)が歴史画から風俗画に転向して間もない初期の傑作です。窓から差し込む光の表現や、室内で手紙を読む女性像など、今日の私たちが知るフェルメールらしいスタイルが確立されたターニングポイントといえる作品でもあります。

こちらは修復前の姿。 ザビーネ・ベントフェルト《複製画:窓辺で手紙を読む女(フェルメールの原画に基づく)》2001年 個人蔵

修正された本作の最も大きな変化は、背後の壁面に隠されていたキューピッドの画中画が復元されたこと。
もともと画中画の存在自体は、1979年に行われたX線調査によって明らかになっていましたが、それは作家自身が塗りつぶしたものと考えられてきました。しかし、修復プロジェクトの過程でフェルメールの死後、第三者が上塗りしたものだったと判明したそうです。

専門家チームは本作を、フェルメールのアトリエから出された1658年頃に近い状態に戻すことを決めました。そして修復後、まずドレスデン国立古典絵画館でお披露目されたのち、世界に先駆けて本展で公開されることになったのです。

画中画に描かれた愛の神であるキューピッドは、嘘や欺瞞を象徴する仮面を踏みつけながらどことなく誇らしげな表情を浮かべています。

ヨハネス・フェルメール《窓辺で手紙を読む女》(修復後)1657-1659年頃
ヨハネス・フェルメール《窓辺で手紙を読む女》(修復後)(部分)1657-1659年頃

展示解説によれば、このキューピッドの原型は当時流行していた寓意図像集にあるそう。内包する意味は「誠実な愛は嘘や偽善に打ち勝つ」ということで、女性の読んでいる手紙が恋文であることは明らかであり、寓意に関連づけたメッセージも受け取ることができるとか。

本作の隣には修復前の複製画が展示されているので、違いを見比べて楽しめます。

修復前の女性はどこか感情の読み取れないミステリアスな印象で、憂いや落胆といった少し陰鬱な気配も受け取れましたが……。ラブレターを前提に修復後の本作を鑑賞してみると、頬の赤らみが目につきますし、そっと落とされた眼差しには手紙の相手への深い思いがにじんでいるような気がして、かなり見え方が変わりました。

ヨハネス・フェルメール《窓辺で手紙を読む女》(修復後)(部分)1657-1659年頃

また、経年劣化により変色したニスや汚れが取り除かれ、画面全体が明るくなっている点にも注目です。壁の白が顕著ですが、窓枠のフェルメールブルーや画面手前に広がるタペストリーの赤も鮮やかになっています。女性の金髪などに見られる、フェルメールの得意とするポワンティエ技法(光の反射する場所やハイライトを白い点で描写する技法)による光の表現も、より美しく輝くかのようでした。

カーテン、タペストリー、窓枠、椅子、画中画に囲まれた女性の立ち姿のバランスは計算されつくしていて、画面がごちゃつくことなく奥行きが強調された印象です。キューピッドがカーテンを開けて、こっそり女性の姿をのぞかせてくれるように配置されているのも面白いですね。

 

ところで、画面の4分の1ほどを占める画中画が出現したことで、画面が狭くなったように感じるのは仕方のないことかなと考えていたところ……実は修復前と修復後で、本当に画面が狭くなっていることに気づきました。画面の上下左右、四辺とも少しずつ端が見えなくなっているのです。

上辺を見ると、修正前はカーテンレールの上に空間が続いていますが、修正後はまるごとなくなっています。
【上】ザビーネ・ベントフェルト《複製画:窓辺で手紙を読む女(フェルメールの原画に基づく)》(部分)2001年 個人蔵 /
【下】ヨハネス・フェルメール《窓辺で手紙を読む女》(修復後)(部分)1657-1659年頃

なぜ? と公式図録をチェックしてみると、どうやら四辺も第三者による上塗りと発覚したため取り除いてしまったようです。もともと、その部分は未完成というか、塗りつぶしてしまったワイングラスの消し残しやただの濃淡のムラがあるばかりだったそう。

ドレスデン国立古典絵画館の上席学芸員であるウタ・ナイトハルト氏は、四辺は本来額縁で隠されていたのではないか。錯視効果を高める目的で、カーテンレールの上部など現在は欠けているように見える要素が額縁に直接描かれていたのではないか、と推測していました。

真相はわかりませんが、いずれにせよ、長年愛されてきた《窓辺で手紙を読む女》が劇的な変身を遂げたことに変わりありません。修正前の絵のすっきりとした雰囲気が好きという方は今回の修復に複雑な思いがあるかもしれませんが、実物を見れば、喪失感だけでなく蘇った傑作の新たな魅力もきっと見つけられるはず。

なぜキューピッドは消されてしまったのか?

修復プロジェクトに関する映像

本展では大きくスペースを使って、修復プロジェクトの全容を解説パネルや修復中の様子を収めた映像などで詳しく紹介しています。顕微鏡を覗きながら解剖刀で少しずつニスや汚れを取り除いていく作業のあまりの細かさには気が遠くなりそうで……。4年も費やした修復作業が、どれだけ細心の注意を払って行われていたのかが伝わる展示となっています。

修復プロジェクトに関する映像

そもそも、《窓辺で手紙を読む女》がなぜ、誰によってこれほどの改変を加えられたのかは興味が引かれるところですよね。しかし、それは大規模な調査を経た現在も謎のままだということです。

キューピッドの画中画が良好な状態であることから、保存上の理由ではなく、一時的な趣味や流行の変化といった美的配慮による手入れの可能性があるそう。なんと軽率なことかと、現在の我々の感覚からすると恐れおののくばかりですが、当時のフェルメールは今ほど有名ではなかったそうで……。

実は、本作が1742年にドレスデン国立古典絵画館の基礎となったザクセン選帝侯のコレクションに加わった際には、フェルメールではなくレンブラント・ファン・レインの作品だと見なされていたとか。ヨーロッパで絶大な人気を誇っていたレンブラントの作風に寄せるために画中画が消されたのでは? という見方もあるようです。

アントン・ハインリヒ・リーデル《窓辺で手紙を読む女性(フェルメールの原画に基づく)》1783年 ドレスデン版画素描館蔵

同スペースでは、1783年、1850年頃、1893年、1907年頃と、制作された年代の異なる《窓辺で手紙を読む女》の4点の複製版画についての紹介も。その展示解説によれば、《窓辺で手紙を読む女》の作者であると誤認された人物はレンブラントだけでなく、時代によりレンブラントの弟子のホーファールト・フリンクだったり、ピーテル・デ・ホーホだったりと紆余曲折。フェルメールの作品だと認められたのは1862年だというから驚きです。あちこち改変されて、作者がコロコロ変わってと、なにかと不遇の作品だったことがわかりました。

17世紀オランダの黄金時代を彩った珠玉の絵画たち

ヤン・ステーン《ハガルの追放》1655-57年頃
ワルラン・ヴァイヤン《自画像》1645年頃
ハブリエル・メツー《鳥売りの男》1662年
ヘンドリク・アーフェルカンプ《そりとスケートで遊ぶ人々》1620年頃
ヤーコプ・ファン・ライスダール《城山の前の滝》1665-70年頃

17世紀のオランダといえば、ヨーロッパのなかでもいち早く市民社会を実現させた国であり、絵画のパトロンの多くは教会や王侯貴族ではなく市民でした。大仰な歴史画ではなく私邸で日常的に親しめる小ぶりな風俗画(室内画)が好まれ、それまで宗教画や歴史画のわき役だった風景や静物を主役にした風景画、静物画もジャンルの一つとして確立。社会的地位の向上を反映する肖像画も目覚ましい発展を遂げました。

ごく細部にまで及ぶ写実的な描写と、ときに象徴的な絵画的レトリックを用いながら、オランダの生活や文化をリアルに、もしくは現実を凌駕するリアリティで描き出す。まさに絵画の黄金時代と呼ぶにふさわしい豊かな絵画表現が花開いた時期です。

本展では、そんな17世紀オランダ絵画の黄金時代を彩る、フェルメールと同時代に活躍したレンブラント、ハブリエル・メツー、ヤーコプ・ファン・ライスダールなど、ドレスデン国立古典絵画館所蔵の絵画約70点を展示しています。

レンブラント・ファン・レイン《若きサスキアの肖像》1633年

レンブラントをはじめとする肖像画の多くは、巧みな光と影の描写が目を引きます。

レンブラントが自身の妻を描いたとされる《若きサスキアの肖像》は、古代風の衣装や顔の上半分に差す影などから、一般的な肖像画というよりは架空の頭部習作である「トローニー」だと考えられているとか。レンブラントらしいスポットライトを当てたようなダイナミックな明暗描写で、怪しげな微笑みがより一層ミステリアスに映ります。真夜中にこの絵を見てしまったら怖くて眠れなくなりそうです……。

ミヒール・ファン・ミーレフェルト《女の肖像》制作年不詳

《女の肖像》を描いたミヒール・ファン・ミーレフェルトは、オランダのデルフトで最も人気と影響力のあったとされる肖像画家。彼に肖像画を書いてもらうことは大変な名誉であると、貴族や裕福な市民から多くの依頼を受けていたとか。

《女の肖像》に描かれているのは裕福な貴族の女性で、凛とした立ち姿と眼差しが印象的です。白い襞襟のつややかさや透明感の表現にも唸りますが、注目してほしいのは肌の色つやと質感! 上品でありながら生き生きと輝くようで、当時の人気も納得できる魅力にあふれています。

ヘラルト・ダウ《歯医者》1672年
ヘラルト・テル・ボルフ《手を洗う女》1655-56年頃
ピーテル・ファン・スリンゲラント《若い女に窓から鶏を差し出す老婆》1673年

風俗画、特に室内画においては、日常生活の正確な観察にもとづいた精緻な作品が並びます。その多くは同時に、ピーテル・ファン・スリンゲラントの《若い女に窓から鶏を差し出す老婆》のように、教訓や寓意を示す描写により深い芸術性を作品に持たせています。一見すると少し風変わりな売買の場面を描いているようでも、実は手渡しする鳥や片側だけの靴の描写が、売春の仲介・性交の誘いといったニュアンスを忍ばせている……というふうに。

自分の感性のまま味わうのもいいですが、それらの示す意味を汲み取りながら知的に鑑賞するのも面白そうですね。

エフベルト・ファン・デル・プール《夜の村の大火》1650年以降

18.5×23.5cmと非常に小さく目立ちませんが、エフベルト・ファン・デル・プールの《夜の村の大火》はあまり見かけない「火事」を扱った風俗画です。ファン・デル・プールは画家仲間と娘を火災で亡くした経験から、人生を通して火事・火災の作品制作に情熱を注いだ人物。夜半、燃えさかる家の前で家族や家財を守ろうとする人々を、唯一の光源である炎が照らしています。炎への畏怖の念や無常観がにじむ、引き込まれる作品です。

メルヒオール・ドンデクーテル《羽を休める雌鳥》制作年不詳
ワルラン・ヴァイヤン《手紙、ペンナイフ、羽根ペンを留めた赤いリボンの状差し》1658年
ヤン・デ・ヘーム《花瓶と果物》1670-72年頃

静物画では、当時高価だった2種のチューリップを織り交ぜたヤン・デ・ヘームの《花瓶と果物》がとびぬけて存在感を示していました。

本作は、豊かな装飾性と美的洗練を備えた静物を求める17世紀後半のコレクターたちの要望に応えたもの。明暗や色彩の力強いコントラストもすばらしいですが、花や葉の上のしずく、花瓶に映り込んだ窓、果物の光沢……。画家自身の精密すぎる観察眼と、観察したものを完璧に再現できてしまう超絶技巧には感服するほかありません。

ミッフィーとコラボレーションしたオリジナルグッズ
ミッフィーとコラボレーションしたオリジナルグッズ

なお、本展はオランダ生まれのミッフィーとコラボしています。展覧会オリジナルグッズとして、2種のぬいぐるみやシーリングワックスセットなど「手紙」をテーマにしたさまざまな商品が展開されていました。ファンの方はお見逃しなく!

「ドレスデン国立古典絵画館所蔵 フェルメールと17世紀オランダ絵画展」開催概要

会期 2022年2月10日(木)〜4月3日(日)
会場 東京都美術館 企画展示室
開室時間 9:30~17:30 (入室は閉室の30分前まで)
※金曜日は9:30~20:00
休室日 月曜日(※3月21日は開室)、3月22日(火)
入場料 一般 2100円 / 大学生・専門学校生 1300円 / 65歳以上 1500円
※本展は日時指定予約制です。詳しくは展覧会公式サイトチケットページでご確認ください。
https://www.dresden-vermeer.jp/ticket/
主催 公益財団法人東京都歴史文化財団 東京都美術館、 産経新聞社、 フジテレビジョン
お問い合わせ 050-5541-8600(ハローダイヤル)
展覧会公式サイト https://www.dresden-vermeer.jp

 

記事提供:ココシル上野


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特別展「ポンペイ」会場レポート。2000年前に滅んだ古代都市の実像に迫る(東京国立博物館で~2022年4月3日まで)

東京国立博物館
会場風景

かつてイタリア南部に存在し、約2000年前、火山の噴火により住民ごと姿を消したローマ帝国の都市・ポンペイ。その繁栄や人々の暮らしを約150点の出土品などで紹介する特別展「ポンペイ」が、東京・上野の東京国立博物館 平成館で開催中です。会期は2022年1月14日(金)~4月3日(日)。

開催に先立って行われた報道内覧会に参加しましたので、会場の様子や展示作品をレポートします。

※キャプションに特別な記載のない作品はすべてナポリ国立考古学博物館の所蔵品です。

日本初公開を含む約150点の名品を紹介!

会場風景
会場風景、《猛犬注意》(1世紀)

約1万人が暮らし、ワインやオリーブ油の生産に適した風光明媚な土地だったローマ帝国の地方都市・ポンペイ。紀元後79年、街の北西にあるヴェスヴィオ山で大規模な噴火が起こり、一昼夜にしてすべてが埋没してしまった悲劇の街です。

東西1600m、南北800mほどの広さをもつその遺跡は、18世紀に本格的な発掘が開始されるまでのおよそ1700年もの間、都市の賑わいを当時のまま眠らせたタイムカプセルのような存在。古代ローマ都市の姿を知ることができる貴重な資料の宝庫として、現在も精力的な発掘調査が続けられています。

特別展「ポンペイ」は、ポンペイから出土した多くの優品を所蔵するナポリ国立考古学博物館の全面協力のもと、同館が誇るモザイク画、壁画、彫像、日用品など、日本初公開を含む約150点を展示するもの。2000年前に繁栄した都市と、そこに生きた人々の息吹を感じられる貴重な展覧会となっています。

次からは、本展の序章〜5章にわたる展示内容を紹介していきます。

序章:ヴェスヴィオ山噴火とポンペイ埋没

序章、エントランス

序章ではヴェスヴィオ山噴火前後の様子を紹介しています。本展には高精細映像の巨大ディスプレイがいくつか展開されていますが、特に序章の噴火CG映像は大迫力。どのようにポンペイの街が飲み込まれたのかがリアルに描写され、多くの活火山を有する日本に住む人間としては心を揺さぶられるものがありました。

《女性犠牲者の石膏像》(79年/1875年)

すぐ横には《女性犠牲者の石膏像》の展示も。固まった火山灰には時折、有機物が分解されたことによる空洞が生まれ、そこに石膏を水で溶いたものを注ぐと人間の遺体などの石膏像が出来上がるとか。遺体が入っているわけではないのに生々しい存在感があります。

《バックス(ディオニュソス)とヴェスヴィオ山》(62~79年)

また、噴火前のヴェスヴィオ山を描いた唯一の作例とされるフレスコ画《バックス(ディオニュソス)とヴェスヴィオ山》では、大きく変形する前の山の姿を確認できます。とても希少な資料なのですが、どうしても山より全身をブドウに包んだローマ神話のワインの神・バックスのシュールさに目が引き寄せられてしまいます。

第1章:ポンペイの街―公共建築と宗教

第1章ではポンペイのフォルム(中央広場)、劇場、円形闘技場、浴場、運動場といった公共施設にまつわる作品や、宗教と信仰に関連した作品を紹介してします。

《辻音楽師》(前1世紀)
ポリュクレイトス《槍を持つ人》(前1~後1世紀、オリジナルは前450~前440年)

本展のメインビジュアルに採用された、当時の演劇人気をうかがわせるモザイク画《辻音楽師》や、西洋美術の人体表現に大きな影響を及ぼしたポリュクレイトスの《槍を持つ人》の大理石模刻など見どころが満載!

《ビキニのウェヌス》(前1~後1世紀)

沐浴する直前のサンダルを脱ぐ美の女神・ウェヌスを表現した《ビキニのウェヌス》は装身具の金彩が美しいです。ウェヌスはポンペイの守護神で、街には神殿も建てられていたそうですが、こちらの大理石像は邸宅の広間で飾られていたとのこと。

《水道のバルブ》(1世紀)

また、目立ちませんが驚くような展示としては、ポンペイで広く使われていたという水道のバルブを推したいところ。調べてみると日本の歴史で本格的に水道が登場するのは16世紀ごろということですから、古代ローマ人がいかに水力学の分野で高い技術水準に達していたのかがわかります。

第2章 ポンペイの社会と人々の活躍

《ブドウ摘みを表わした小アンフォラ(通称「青の壺」)》(1世紀前半)
《書字板と尖筆を持つ女性(通称「サッフォー」)》(50~79年)

第2章では、ポンペイの街で暮らした裕福な市民たちの暮らしぶりを伝える生活調度品や装飾品といった出土品を展示。そこからはビジネスの才覚でのし上がった低い出自の女性や解放奴隷などの資産家の存在も浮かび上がり、貧富の差が激しかった古代ローマ社会の意外な流動性がうかがえます。

《賃貸広告文》(62~79年)

面白いのは、この何やら大きく文字が書かれた岩のようなもの。実はこれ、邸宅の外壁に書いた賃貸広告文なんですって。私たちもよく街で見かける「入居者募集!」の広告と同じものだと思うと、「本当にそこで生きていたんだ」という実感が一気にわいてきます。

広告文には次のように書かれているそう。「スプリウス・フェリクスの娘ユリアの屋敷では、品行方正な人々のための優雅な浴室、店舗、中2階、2階部屋を、来る8月13日から6年目の8月13日まで、5年間貸し出します。S.Q.D.L.E.N. C.(後略)」

不動産賃貸業をたくみに経営したこのユリア・フェリクスも、仕事の才覚で富裕層になった聡明な女性の好例とのこと。

第3章:人々の暮らし―食と仕事

第3章では、食生活を知るための台所用品や食器類、出土した食材などを展示。また、医療用具、画材、農具、工具など、ポンペイの住民が使っていた仕事道具を紹介し、 ポンペイに生きた人びとの日常生活にフォーカスしています。

《パン屋の店先》(50~79年)

ポンペイには30軒ほどのパン屋や、テイクアウト可能な料理屋があり手軽に食事をとることができたそう。フレスコ画《パン屋の店先》には円盤状のパイのような形をしたパンが描かれていますが、なんと絵に描かれたそのままのパンが遺跡から発掘され、本展に出品されています。

《炭化したパン》(79年)

炭化したパンがこれほどふっくらと形が保たれるのかと感動。これは「パニス・クアドラトゥス」と呼ばれる典型的なパンで、焼く前にナイフで放射線状の切れ目を入れて分けやすいようにしていたとか。

《仔ブタ形の錘》(1世紀)

調理器具や秤といった日用雑貨でも、少し目を凝らすと洗練された装飾が施されているものが多いのがわかります。なかには動物をモチーフとした作品もあり、錘(おもり)は仔ブタの形になっているのがユーモアが効いていてフフッと笑えました。

第4章:ポンペイ繁栄の歴史

「悲劇詩人の家」の一部再現展示

第4章は本展のハイライトです。ポンペイ繁栄の歴史を示す3軒の邸宅「竪琴奏者の家」「悲劇詩人の家」「ファウヌスの家」の一部を会場内に再現! モザイク画や壁画の傑作を鑑賞しながら、2000年前の邸宅の雰囲気を感じられる展示空間になっています。

《踊るファウヌス》(前2世紀)
《葉綱と悲劇の仮面》(前2世紀末)

なかでも傑出しているのは、紀元前2世紀ごろに建てられ、ローマ化以前のヘレニズム文化の豊かさを現代に残した「ファウヌスの家」の展示。一つの街区すべて(約3,000㎡)を一軒で占めていたというポンペイ最大の邸宅です。ここでは「ファウヌスの家」の由来である牧神ファウヌスの躍動的なブロンズ像《踊るファウヌス》や、オプス・ウェルミクラトゥムと呼ばれる細密技法で作られた美しくも恐ろしい床モザイク《葉綱と悲劇の仮面》などを鑑賞できます。

「ファウヌスの家」の一部再現展示
「ファウヌスの家」の一部再現展示、床には《アレクサンドロス大王のモザイク》複製も。

また、この「ファウヌスの家」の談話室で発見されたのが、かの有名なモザイク画の傑作《アレクサンドロス大王のモザイク》。アレクサンダー大王率いるマケドニア軍が、ダレイオス3世率いるペルシア軍に勝利した「イッソスの戦い」を描いたこの作品は、残念ながら現在も修復作業中ですが、本展では原寸大の8K高精細映像で楽しめます。ディスプレイ前の床にも同作の複製が敷かれ、当時の家人気分で踏んで歩くこともできました。

第5章:発掘のいま、むかし

《綱渡りのサテュロス》(前15~後50年)
《ヒョウを抱くバックス(ディオニュソス)(前27~後14年頃)ノーラ歴史考古学博物館蔵

かつての発掘調査は美術品を獲得するための「宝探し」的な意味合いが強かったものの、現在では発掘以上に遺跡や出土物の保護が重要視されているそう。エピローグとなる第5章では、初期に発掘された《綱渡りのサテュロス》や東京大学の学術調査隊の代表的な発掘品である《ヒョウを抱くバックス(ディオニュソス)》などを展示しながら、18世紀から現在に至るポンペイ遺跡発掘の歴史を振り返ります。

締めくくりの最新情報として、《アレクサンドロス大王のモザイク》の現在進行中の修復作業についてもドキュメンタリーの映像で紹介されていました。

ポンペイくんと記念撮影できるかも?

なお、本展は太っ腹なことに個人利用に限り写真撮影OK! それに関連して、展覧会の公式Instagram(@pompeii2022)ではモデルのAMONさん扮する「#ポンペイくん」と一緒に、会場内の“映える”おすすめ撮影スポットをご紹介する企画を進めるとのこと。ポンペイくんは会期中、会場に出現することもあるそうですよ。

ミュージアムショップの様子
ミュージアムショップの様子

ミュージアムショップでは本展オリジナルグッズが多数展開されていますが、なんと前述の《炭化したパン》のクッションなども登場。ひび割れ表現になんともいえない風情があります。また、ポムポムプリンとのかわいいコラボグッズも! 古代ローマ風にお色直ししたプリンちゃんのここでしか買えない限定商品、ファンの方はぜひお見逃しなく。

キャッチコピーである「そこにいた。」という言葉の意味を肌で感じ取れるすばらしい展覧会でした。
特別展「ポンペイ」の開催は2022年1月14日(金)から4月3日(日)まで。ぜひ皆さんも、2000年の時を超えてなお生き生きとした存在感を放つ作品群を通じて、ロマンあふれる古代の空気に浸ってみてはいかがでしょう。

特別展「ポンペイ」開催概要

会期 2022年1月14日(金)~4月3日(日)
会場 東京国立博物館 平成館
開館時間 午前9時30分~午後5時 ※3月4日以降の金・土・日・祝日は午後6時まで
休館日 月曜日、3月22日(火)※ただし、3月21日(月・祝)、3月28日(月)は開館
観覧料 一般 2,100円、大学生 1,300円、高校生 900円
※本展は事前予約(日時指定券)推奨です。詳細は展覧会公式サイトをご確認ください。
主催 東京国立博物館、ナポリ国立考古学博物館、朝日新聞社、NHK、NHKプロモーション
お問い合わせ 050-5541-8600(ハローダイヤル)
展覧会公式サイト https://pompeii2022.jp/

※記事の内容は2022/1/20時点のものです。最新の情報と異なる場合がありますのでご注意ください。

 

記事提供:ココシル上野


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【書道博物館】「没後700年 趙孟頫とその時代」会場レポート これから書道を始めたい方は必見!美麗な書が続々

台東区立書道博物館

モンゴル民族が支配する元王朝に仕えながらも、漢民族の伝統文化の継承に生涯をかけ、中国書画史に多大な功績を残した書の大家・趙孟頫ちょうもうふ(1254-1322)。その没後700年を記念して、台東区立書道博物館では特別展「没後700年 趙孟頫とその時代―復古と伝承―」が開催されています。

書道博物館の主任研究員である中村信宏さんに本展をご案内いただきましたので、会場の様子や展示内容についてレポートします。

会期:2022年1月4日(火)~2月27日(日)
期間中、一部の作品の展示替え、場面替え等が行われます。
前期:1月4日(火)~30日(日)、後期:2月1日(火)~27日(日)

東京国立博物館との連携企画です
※掲載している写真は特別な許可を得て撮影したものです。
※展示室の照明の関係で写真が全体的に暗めです。ご了承ください。

主任研究員の中村信宏さん
展示風景
展示風景

「書聖」王羲之の書法の伝承者・趙孟頫

趙孟頫ちょうもうふは、南宋時代の末期に宋の太祖(王朝の創始者)の11代目の子孫として生まれた、書画の分野で活躍した文人です。26歳で母国が滅ぼされる憂き目に遭いますが、33歳でモンゴル族が統治する元王朝に招聘され、要職を歴任しました。

漢民族王朝である宋の皇族出身でありながら、異民族王朝の元に仕えるとはなんと無節操なことか、と当時でも後世でも多くの非難を集めたそうです。しかし、趙孟頫は出世欲やお金のために元に仕えたのではありません。後述する王羲之おうぎしの書法をはじめとした漢民族の伝統文化を守り、継承することを自らの使命として、たとえ汚名を被るとしても権力をもつことを選んだのだと考えられています。

本展では、そんな使命感をもった趙孟頫がどのように書を学び、書き、それが後世に伝わっていったのかを、紙幣や印章などの時代背景がわかる関連資料を含めた約50点の作品で紹介しています。

「偽造したら死刑」と書かれた、元時代に流通していた紙幣。中統元宝交粧鈔ちゅうとうげんほうこうしょう 元時代・中統元年(1260) 前期のみ展示

趙孟頫の作品を詳しく見ていく前に、まず彼が傾倒し、よく学んだ書家として真っ先に名前が挙がる東晋時代の貴族、王羲之おうぎし(303-361)について簡単に紹介します。

書聖、つまり書の神様と呼ばれる王羲之は、実用一色だった書の世界に感情表現を持ち込んだことで書を芸術の域へと高めた、中国の書道史で最も有名な人物。その書は平明で普遍的な美しさをもち、今日に至るまで書法の最高の規範とされています。

趙孟頫が元王朝で働き始めたころ、大都では王羲之の存在感が薄れ、書の改革派だった中唐時代の顔真卿がんしんけい(709-785)が崇拝されていたといいます。趙孟頫は漢民族の文化、なかでも自らのルーツである中国南方の文化の灯を絶やすまいと、同じルーツをもつ王羲之の書法を身につけ、それを規範とする復古主義を掲げました。王羲之由来の古典の筆法や形に原点回帰した作風は、宋時代以来の書の流れを大きく転換させたそうです。

王羲之は肉筆が現存しておらず、臨書や拓本などから筆跡をたどることしかできません。つまり、実質的に王羲之書法の継承者である趙孟頫は、王羲之にアプローチするうえでは欠かすことのできない重要な存在であり、逆もまた然りということ。

当然、趙孟頫を扱う本展では多数の王羲之の書が紹介されています。


定武蘭亭序ていぶらんていじょ韓珠船本かんじゅせんぼん― 王羲之筆 原跡:東晋時代・4世紀 前期のみ展示

上の写真は王羲之の書の中でも最高傑作と名高い「蘭亭序らんていじょ」の数ある複製のうち、定武ていぶ本と呼ばれるもの。中村さんは本作について「無駄な肉をそぎ落とし、静かな趣の中に確かな強さが存在します。上品な書きぶりでいかにも当時の貴族が書きそうな文字です」と話します。

他の「蘭亭序」は派手な筆遣いが見られますが、一番静かで王羲之の神髄に迫っているのが定武本だと評価されていて、趙孟頫も特に定武本を尊重していたそう。

絳帖こうじょう 潘師旦ばんしたん編 北宋時代・11世紀頃

こちらは「絳帖こうじょう」という法帖(お手本帖)に収録された王羲之の書ですが、700年前には実際に趙孟頫が持っていたものなのだとか。その証拠に趙孟頫の号である「松雪」の印が押してありますので、実物をご覧の際は探してみると楽しいかも。

2枚展示されているうちの1枚には、たくさんの所有印が押されています。 絳帖 潘師旦編 北宋時代・11世紀頃

ちょっと主題からは反れますが、本作に限らず貴重な作品であっても所有印を遠慮なく押してしまうのって、現代の日本人の感覚からするととても大胆なことですね。来歴や感想などを書き記す「ばつ文」もいろいろな書の空きスペースに残されていて、不思議な気持ちになりました。

掲載NGでしたが、同じく趙孟頫が所持していた、道教の経典を王羲之が小楷(細字の楷書)で書いた「黄庭経こうていきょう」の法帖も必見です。王羲之が書聖として扱われている理由が一目で理解できる調和のとれた上品な字姿は、肉筆でなくとも十分見入ってしまうものでした。

どこを見ても美しい字しかない!趙孟頫の世界を堪能

さて、ここからは本題の趙孟頫の作品を紹介していきます。

「どこからどう見てもきれいな字しかないので、初めて書を学びたい、何から学ぼうかなと考えている方は必見です」と中村さんが力説する本展ですが、まさにその言葉通りの内容となっていました。

蘭亭十三跋らんていじゅうさんばつ 趙孟頫筆 原跡:元時代・至大3年(1310)

先ほど紹介した定武本の「蘭亭序」と王羲之について、趙孟頫がつらつらと思いを認めた「蘭亭十三跋らんていじゅうさんばつ」は本展の目玉のひとつ。本作の魅力を中村さんは「展示されている前半4ページが『蘭亭序』を趙孟頫が臨書したもの、後半4ページが趙孟頫の跋文なのですが、どこが境目かわからず、すべて蘭亭序に見えてしまう。いかに趙孟頫が王羲之の書法を目指し、それに肉薄したかがよくわかります」と話します。

前半は王羲之の字の臨書。 蘭亭十三跋らんていじゅうさんばつ 趙孟頫筆 原跡:元時代・至大3年(1310)
後半は趙孟頫の字。 蘭亭十三跋らんていじゅうさんばつ 趙孟頫筆 原跡:元時代・至大3年(1310)

まさに、言われるまで筆者は臨書と跋文が書かれていることに気づきませんでした。画数が多い字は特に字形も雰囲気も似ている気がします。

跋文には「数ある『蘭亭序』のなかでも定武本が最上である。字の形は時代によって変わるが、筆づかいは千年前も変わることがない。古法を一変させた王羲之の書からは雄秀の気(卓越した趣き)が自然と出ている。まさに師法とすべきなのだ」ということが書いてあるそう。王羲之への深い尊敬の念が伝わってきますね。

なお、部分的に焼失してしまっていますが、本作の肉筆は東京国立博物館の展示で見ることができます。

過秦論かしんろん (玉煙堂帖ぎょくえんどうじょう 所収)  趙孟頫筆 原跡:元時代・至元28年(1291) 前期のみ展示

過秦論かしんろん」や「楷書漢汲黯伝冊かいしょかんきゅうあんでんさつ」といった、小楷で端正にキリッと書かれた作品からは、趙孟頫の尋常ならざる鍛錬の片鱗がうかがえました。人はこれだけ整った字を、これだけ整然と書けてしまうものなのかと圧倒されるばかり。

趙孟頫の小楷を見ていると、彼のなかには文字の確固たる正解の形があって、それを寸分の狂いもなく正確に出力できるのだなと考えてしまいます。その域に至るまでどれだけの研鑽を積んだのでしょう。中村さんによれば、趙孟頫は1日に1万字(!)も書いていたということで、さもありなん。

ちなみに趙孟頫の楷書は清時代に流行し、科挙(高難易度の官僚登用試験)においては、趙孟頫に寄せた楷書で答案をつくると点数がプラスになったこともあるとか。そう扱われるのも納得の美しさでした。

掲載NGでしたが、特に肉筆の「楷書漢汲黯伝冊」は、拓本では表現しきれない細~~~いカミソリのような書きぶりが確認できて、呼吸も許されないような緻密な筆運びにこちらが息を忘れてしまいます。

真草千字文 しんそうせんじもん(渤海蔵真帖ぼっかいぞうしんじょう所収)  趙孟頫筆 原跡:元時代・13~14世紀 前期のみ展示

こちらは「千字文せんじもん」といって、子供に漢字を教えるときなどに手本として使われた、250の4字句からなる千字の長詩です。楷書と草書を並べて書くもので、趙孟頫も「千字文」で学び、大家の義務として自らも「千字文」を残しました。草書に精通していない筆者でも、この草書の一画一画から漂う気品には感じ入るものがあります。

ところで、書の大家ということで、鑑賞前はなんとなく「これぞ趙孟頫!」とはっきり言える文字の特徴があるのかなと想像していました。しかし鑑賞してみると、王羲之に追従しているだけあり均整の取れた美しさはすばらしいですが、それ以外にはあまり特徴がないような……?

きれいなだけ? といまいち趙孟頫の大家「らしさ」が分からずにいる筆者に、中村さんは次のように教えてくれました。

「確かに趙孟頫の書の一番の特徴は美しさ。誰が見ても美しいので初心者でも入りやすいですが、大したことない、誰にでも書けそうと軽く見られがちです。しかし、実際に書いてみて初めて計算された美しさだというのが分かるんです。ちょっとでも点画がずれると一気に崩壊が始まる、それも特徴といってもいいかもしれません」

蘇軾次韻潜師詩そしょくじいんせんしし(三希堂帖所収)  趙孟頫筆 原跡:元時代・大徳10年(1306) 前期のみ展示

その話を聞いてからあらためて鑑賞したのが、こちらの「蘇軾次韻潜師詩そしょくじいんせんしし」。趙孟頫が師と仰ぐ中峰明本ちゅうほうみんぽんを訪れた際に書いた作品です。楷書、行書、草書と書体を混ぜ合わせ、即興でササっと書かれたものということですが、抜群に全体のバランスが取れていることに驚きます。

文字によって線の太い細い、形の大きい小さいなど、一部を見ていると凸凹した印象を受けるのに不思議なもの。これも「計算された美しさ」の一端ということでしょうか。

「全体がまとまっていることが大切なのです。一見バラバラに見える文字でも、すべて違和感なくまとめる。卓越した技術が必要ですが、それができるのが大家というものです」と中村さん。

なるほど……! すごさがやっと少しだけ理解できました。ぜひ皆さんもその点に注目して展示を回ってみてください。

このほか、江戸時代に水戸藩に伝わった名品や、画家としても優れていた趙孟頫の「伯楽図」を狩野派の狩野中信が模写した作品など、日本における趙孟頫の人気が伝わる展示もありました。

超貴重な趙孟頫の弟の書も!

楷書謝賜御書詩表巻かいしょしゃしごしょしひょうかん  蔡襄さいじょう筆 北宋時代・皇祐5年(1053)

時代性を表すものとして面白い展示作品も。北宋時代の官僚である蔡襄さいじょうが皇帝に奉った「楷書謝賜御書詩表巻かいしょしゃしごしょしひょうかん」です。間の取り方や端正な字姿も見どころなのですが、注目は宋の四大家の一人、米芾べいふつが書き加えた跋文。米芾は長年この書を拓本でしか見たことがなく、40年経ってついに肉筆が見れたということで、その記念として跋文を記しているのです。

皇帝に仕えた書の大家さえ40年。当時、有名人の肉筆の書と出会うチャンスがどれだけ貴重だったのかが分かりますね。楷書で「四十年」とそのまま書いてあって見つけやすいので、万感の思いが詰まった書をぜひ鑑賞してみてください。

趙孟籲ちょうもうゆの跋文が見られる。 楷書謝賜御書詩表巻 蔡襄筆 北宋時代・皇祐5年(1053)

なお、本作には複数人が跋文を書いていて、その中には趙孟頫の親友・鮮于枢せんうすうや弟・趙孟籲ちょうもうゆの文字も。趙孟籲の文字は大変珍しいそうなのでお見逃しなく。


書には明るくなく、書いてある内容も読み取れない人間が楽しめるか不安だった本取材ですが、「何時間でも鑑賞していられるな」とすっかり魅力にハマってしまいました。

今回の取材は前期展示が鑑賞できるタイミングで行っていて、2月1日(火)から始まる後期展示では作品の顔ぶれがかなり変わるようです。後期は出展数が数点増えているのでさらに楽しめそう。 詳しい出展作品はこちらのページの一覧でご確認ください。

ちなみに、筆者は連携企画を行っている東京国立博物館の展示にも足を運んでみました。趙孟頫という個人に焦点を当てた書道博物館の展示と比較して、東京国立博物館はより時代全体の雰囲気を俯瞰できる書や画が楽しめる内容になっています。あわせてご鑑賞ください。

本展に足を運べば、少し前にTwitterで話題になったユニークな注意書きも見られます。

■特別展「没後700年 趙孟頫とその時代―復古と伝承―」開催概要

会期 2022年1月4日(火)〜2月27日(日)
会場 台東区立書道博物館
開館時間 午前9時30分~午後4時30分(入館は午後4時まで)
休館日 月曜日(祝休日と重なる場合は翌平日)、特別整理期間等
観覧料 一般 500円(300円) 小、中、高校生 250円(150円)
※詳細は公式サイトをご確認ください。
展覧会公式ページ https://www.taitocity.net/zaidan/shodou/oshirase/news/2113/

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特別展「体感!日本の伝統芸能」会場レポート 日本が守り伝えてきた芸術を一堂に(東京国立博物館 表慶館で3月13日まで開催)

東京国立博物館

2022年1月7日(金)~3月13日(日)の期間、東京・上野の東京国立博物館 表慶館では、ユネスコ無形文化遺産 特別展「体感!日本の伝統芸能-歌舞伎・文楽・能楽・雅楽・組踊の世界-」が開催中です。

ユネスコ無形文化遺産に登録された5つの伝統芸能がもつ固有の美と「わざ」を味わう本展。新型コロナウイルス感染拡大防止のために中止となった2020年の内容を、一部リニューアルした内容になっています。

開催に先立って行われた報道内覧会に参加してきましたので、会場の様子をレポートします。

※会期中、一部作品の展示替えがありますのでご注意ください。
前期:1月7日(金)~2月13日(日)
後期:2月15日(火)~3月13日(日)

文楽の展示風景
能楽の展示風景
組踊の展示風景
雅楽の展示風景

華やかな「金門五山桐」の再現舞台が来館者をお出迎え

本展では、平安時代に大まかな形態が成立した最古の雅楽をはじめ、室町時代に大成した能楽、江戸時代初期にさかのぼる文楽(人形浄瑠璃)、歌舞伎、組踊といった、さまざまな歴史を経て現代に生き続ける日本の伝統芸能を通覧して楽しめる内容になっています。

具体的には、それぞれの芸能の舞台の一部を原寸大に近い大きさで再現。あわせて、実際に舞台で使用された衣裳や楽器、小道具、そして貴重な映像資料などを紹介しています。

石川五右衛門の扮装が鎮座する「金門五山桐」南禅寺山門の場の再現舞台

再現舞台のなかには、役者の視点から舞台空間を体感できるよう来館者が上れる仕様になっているものもあり、特に雰囲気を楽しめるのは会場に入ってすぐの歌舞伎「金門五山桐」の舞台。極彩色の寺院建築の上部には幾筋もの桜の吊り枝が下がり、豪華・豪快な石川五右衛門の立体展示が中央で存在感を示します。

賑やかに彩られた1室

舞台が置かれた1室全体が、桟敷で賑やかに見物している人々のグラフィックや提灯で江戸時代の芝居小屋のように彩られている点にも注目です。壁に展示されているのは歌舞伎役者を描いた錦絵。さらには、九代目市川團十郎と五代目尾上菊五郎が出演する日本最古の映画『紅葉狩』の上映も。

華やかな色彩感で祝祭気分を盛り上げる歌舞伎の精神を表現した空間で、来館者を一気に非日常の世界へ誘います。

「暫」の鎌倉権五郎景政の衣裳など見ごたえたっぷり!迫力の展示作品

衣裳「暫」鎌倉権五郎景政 松竹衣裳(株)蔵

本展で目を引いた展示作品をいくつか紹介していきます。

まずはこちら、歌舞伎十八番の一つ、「暫」の鎌倉権五郎景政の超人的な力強さを表現した衣裳。三升の紋を白く抜いた、大紋の袖の威容に驚きます! 横から見ると袖というより凧のよう。

スーパーマン・鎌倉権五郎景政の衣裳は規格外に派手、と記憶していましたが、実物を見ると本当に笑ってしまうくらい大げさ。何十キロあるのでしょうか……。こんなものを着て暴れまわれるのですから、それは強いに決まっていると問答無用で納得してしまう存在感です。

小道具「暫」鎌倉権五郎景政の太刀 藤浪小道具(株)蔵

横には景政の2Mを超える大太刀が置かれています。景政がこの大太刀を一振りするだけで、何人もの首を豪快に切り落とすシーンは「暫」でも最も印象的なシーンの一つですが、それも可能かもと思わせる迫力がありました。

鼉太鼓 国立劇場蔵

雅楽のエリアに展示されている鼉太鼓(だだいこ)にも圧倒されます。こちらのカラフルなオブジェはどんな大道具かしら? と説明文を読んだら、楽器ということで大変驚きました。正式な舞楽に用いられる巨大な締め太鼓で、本来は左方・右方一対ですが、国立劇場所蔵の鼉太鼓は一基の裏表に左右の装飾が施されています。

頂点には日輪と月輪、太鼓を囲むのは大きな火焔と五色の雲形、左右には昇竜と鳳凰の彫刻、太鼓の革には金箔で二つ巴と三つ巴。吉祥を示すさまざまな文様や色彩が用いられていて、5Mはありそうな巨躯とあいまって、なんだか見ているだけで拝みたくなるようなパワーを感じました。一体どんな音が鳴るのか気になります!

衣裳や小道具の繊細な美しさに魅了される

(左)衣裳「藤娘」藤の精 松竹衣裳(株)蔵 前期展示 / (右)衣裳「京鹿子娘道成寺」白拍子花子 松竹衣裳(株)蔵 前期展示

本展の醍醐味はやはり、劇場の客席からでは分からない衣裳や小道具のデザインを細部まで間近で鑑賞できること。

「銘苅子」の天女の衣裳・天冠・小道具(柄杓) 国立劇場おきなわ蔵

目が覚めるように鮮やかだったのは、羽衣伝説を題材にした組踊「銘苅子(めかるしー)」の天女の立体展示。

関東在住の筆者は、沖縄の芸能である組踊にはあまり触れる機会がなかったため、天女が着ている紅型(びんがた)衣裳「黄色地鳳凰立波文様」に描かれた荒れ狂う波の独特な形が新鮮に映ります。多色摺りの華麗な色彩感が特徴の紅型は、沖縄特有の模様染めとのこと。

虹のような輝きを表現しているかのような飛衣(羽衣)を羽織った姿は、きっと動けば展示の何倍も優美に見えるのでしょう。本展を通覧するなかで、本土の芸能と比べたときの組踊の色彩感覚、特に赤色の取り入れ方の違いが興味深く感じられました。

(左)能装束 黒地紋尽模様縫箔 国立能楽堂蔵 / (右)能面(般若) 国立能楽堂蔵

能楽のエリアでは役ごとに面(おもて)、装束、小道具を組み合わせた出で立ちを紹介していますが、特に鬼女の出で立ちには引き込まれるものがあります。

嫉妬と恨みから鬼となって女性の面である「般若」は目から下が怒り、目から上が深い悲しみという二面性を表現していることでおなじみ。幽玄と現世の境に立つ存在としての神秘性だけでなく、図らずも鬼になってしまったやるせなさや、情に翻弄された切なさなど、絡み合うたくさんの感情が伝わる造形をあらためて堪能しました。

そんな鬼女の役専用の装束というのが「黒地紋尽模様縫箔」。刺繍や金・銀箔でさまざまな文様を散りばめ、上品ですが遊び心のあるデザインです。桜や梅、菊などをモチーフにしたそれぞれの文様はかわいらしい色合いなので、なぜこれが鬼女専用に? と疑問も浮かびますが……。

家紋などもそうですが、こういった小さな文様一つをとっても、四季や花鳥風月といった自然と関わり、自然を生活に取り入れて共生してきた日本人ならではの美意識を感じずにはいられません。

文楽人形「義経千本桜」静御前 小道具 鼓 国立文楽劇場蔵
「文七」「玉藻前・双面」などの首(かしら)

文楽のエリアでは、「義経千本桜」静御前をはじめ、人間サイズと比較しても劣らない華美な浄瑠璃人形の装束が見ごたえありますが、人形の首(かしら)の展示も面白いです。

それぞれの首には「性根」という根本の性格を表した造形がなされているそうで、たとえば内面に苦悩をにじませ、悲劇の主人公などに使われる「文七」や、素朴で愚かなほど実直な役に使われる「又平」などが紹介されていました。

説明文を読まなくても「こういう役で使われるんだろうな」とだいたいの人物像がわかるから感心します。なんでもないことのように思えて、実はそれってすごいことではないでしょうか。現代にいたるまでに洗練に洗練を重ね、過不足なく仕上がった造形美をぜひじっくり鑑賞してほしいです。

ユネスコ無形文化遺産 特別展「体感!日本の伝統芸能-歌舞伎・文楽・能楽・雅楽・組踊の世界-」概要

会期 2022年1月7日(金)~3月13日(日)
※会期中、一部作品の展示替えあり
会場 東京国立博物館 表慶館
開館時間  9:30~17:00
休館日 月曜日
観覧料 一般 1,500円、大学生 1,000円、高校生 600円
※事前予約(日時指定券)推奨
※中学生以下、障がい者とその介護者一名は無料
その他、詳細は公式サイトよりご確認ください。
https://tsumugu.yomiuri.co.jp/dentou2022/tickets.html
主催 文化庁、日本芸術文化振興会、東京国立博物館、読売新聞社
お問い合わせ 050-5541-8600 (ハローダイヤル)
展覧会公式サイト https://tsumugu.yomiuri.co.jp/dentou2022/

 

記事提供:ココシル上野


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「東京文化会館 リラックス・パフォーマンス~世代、障害を越えて楽しめるコンサート~」取材レポート

東京文化会館
(C)青柳聡 提供:東京文化会館

2021年11月3日、東京・上野の東京文化会館で「東京文化会館 リラックス・パフォーマンス~世代、障害を越えて楽しめるコンサート~」が開催されました。

一般的なクラシック音楽のコンサートとは違い、発達障害や身体的な特性などにより、静かに鑑賞することが難しい人でも安心して楽しめるような環境が整った本公演を取材しましたので、会場の様子や取り組みについてレポートします。

客席で声も音も出していい!?「リラックス・パフォーマンス」とは

提供:東京文化会館

通常のクラシック音楽のコンサートでは、雑音を立てないことが最も重要なマナーのひとつ。

演奏中に私語は慎む、携帯の電源を切るのは当然として、くしゃみや咳、プログラムをめくる音、ビニール袋を触る音などにも注意する。扉の開閉による雑音を防ぐために、劇場スタッフは曲の間や楽章の間以外での入場を規制する……。演奏や鑑賞の妨げとなる行為に関して、会場にいる一人ひとりの意識が求められるのが常です。

誰もが演奏に集中できるようにとの配慮ですが、一方で外部からの刺激で声が出たり動揺したりしてしまう発達障害のある人や、病気でじっと座っていられない人、呼吸器が必須の人など、一部の人はどうしても鑑賞のハードルが高くなってしまいます。

今回開かれた「東京文化会館 リラックス・パフォーマンス~世代、障害を越えて楽しめるコンサート~」は、そのような劇場での芸術鑑賞に不安がある人が安心して楽しめるような環境を整え、ルールやマナーを緩和する「リラックス・パフォーマンス」という欧米で定着し始めた新しい公演形態を採用したもの。2020年度から始まり、本公演で2回目の開催です。

その名のとおり堅苦しくない空気のなかで行われるコンサートで、

ちょっとした声や音が出ても、体が動いてもOK。
客席の照明を完全に暗くしない。
公演中に休憩が必要になったら、自由にホール外に出ることができる

こうすることにより、「クラシック音楽のコンサートはマナーが多くて息苦しい」と感じている健常者も、「子どもが静かに鑑賞できるか不安」という親御さんも、4歳以上であればあらゆる人が気兼ねなく楽しめる環境になっています。

点字プログラムに体感音響システム…音楽をより味わってもらうためのさまざまな工夫

コンサートホール隣のロビーは、休憩が必要になった人の癒しスペースとしても活躍。
受付やロビーには手話通訳者の姿も。 ?青柳聡 提供:東京文化会館

当日に東京文化会館へ足を運ぶと、受付でもらえるプログラムが一般的なクラシック音楽のコンサートのものとは少し趣きが異なり、イラストがたくさんあってとてもカラフルなことに気づきます。

プログラムの一部 提供:東京文化会館

「通常のプログラムはほぼ文字だけですが、自閉症や発達障害の方は文字から入ってくる情報が少ないため、ビジュアルがとても重要になるのだと学びました。そこで『リラックス・パフォーマンス』のプログラムの曲目解説はやさしい日本語で書くとともに、曲のイメージに合ったイラストをつけ、ビジュアルで曲の順番がわかるような紙面づくりを心がけました」

そう教えてくださったのは、本公演の制作を担当された東京文化会館・事業企画課事業係の杉山さん

ユニバーサルデザインのガイドラインに沿って、色覚異常のある人もわかりやすいような文字の大きさや配色になるよう、特別支援学校ワークショップの先生たちからのフィードバックをもとに試行錯誤で完成させたプログラムなのだとか。

(C)青柳聡 提供:東京文化会館

そのほかに点字プログラムや、読み上げ機能に対応したプログラムデータも用意。これらの情報は障害のある人のご家族や介助者のために、公演の約3週間前にはホームページに掲載したそうで、行き届いた配慮が感じられました。

客席には聴覚障害のある人のために、振動で音楽を感じられる体感音響システム「ボディソニック」という機材つきの座席が設けられました。また、スマートフォンのアプリを使用し、各々の聴覚特性に合わせて音量や音質を調節できるシステム「モバイルコネクト」など、各企業の協力により本公演のためにさまざまなサポートが試験導入されました。

「ボディソニック」体験の様子 (C)青柳聡 提供:東京文化会館

実はこの日、公演制作担当者や文化施設・団体職員、自治体職員向けの鑑賞サポート機材体験会が実施され、筆者も体験させていただけることに。
特に「ボディソニック」は体感のタイムラグがほとんどないことに感動! 「モバイルコネクト」は補聴器や人工内耳ユーザーの聞こえ方を想像しながらの疑似体験でしたが、アプリで音の大小だけでなく低音や高音の聴きやすさを自在に調節できるのがとても便利そうでした。

客席については、全体の7割程度が埋まるように調整したとのこと。その意図について杉山さんは次のように明かします。

「コロナ対策の入場制限も解除されましたし、売り上げのことを考慮して、埋めようと思えば客席を100%埋めてしまうこともできました。しかし、他人が近くにいると緊張してしまう方もいらっしゃいますから、お客様同士の間は座席を空けようと決めました。
座席の工夫といえば、ご自身の指定席以外に『退避席』という出入り口に近い席もご利用いただける形にしています。ホールの出入りが自由な公演ではありますが、出入りすることへの心理的抵抗がさらに少なくなくなれば、という期待を込めました」

「障害のある方のなかには、外出するのにも大変なご苦労をされている方も多くいらっしゃいます。それでも『リラックス・パフォーマンス』なら自分でもコンサートを楽しめるかも、と期待してわざわざお越しいただくのですから、お客様に最大限リラックスして、上質な音楽を味わってもらいたいのです」と、公演への思いを語る杉山さん。すべての準備はその一心からのものであるとのことでした。

おおらかな一体感に包まれた公演の様子

14時の開演を前に、客席のあちこちで子どもたちが走ったり、緊張からか興奮からか大声で笑いだす人がいたり。とてもラフな雰囲気で、すでに「これまで経験してきたクラシック音楽のコンサートとはまったく空気が違う」ということを肌で実感しました。

小林海都さん  (C)青柳聡 提供:東京文化会館

演奏は、これからの日本音楽界を担う実力派若手アーティストたち5名によって行われました。

ピアノは、東京文化会館で毎年開催されている東京音楽コンクールで第11回ピアノ部門第2位を受賞された小林海都さん。弦楽四重奏は、第9回弦楽部門第1位の岸本萌乃加さんらが結成したグループ「HONOカルテット」の皆さんです。

(第1ヴァイオリン:岸本萌乃加さん、第2ヴァイオリン:林周雅さん、ヴィオラ:長田健志さん、チェロ:蟹江慶行さん)

 
左から岸本萌乃加さん、林周雅さん、小林海都さん、長田健志さん、蟹江慶行さん  
(C)青柳聡 提供:東京文化会館

演奏の間には、音楽の喜びや楽しさを伝え、人と人を音楽で結びつける活動を行っている東京文化会館ワークショップ・リーダー、桜井しおりさんがナビゲーターとして舞台に登場。各曲の解説をしたり、簡単なアクティビティを挟んだりと、小さい子どもも最後まで飽きずに公演を鑑賞できるように進行を盛り上げます。

左が桜井しおりさん、右が手話通訳者の山崎薫さん
(C)青柳聡 提供:東京文化会館

当日演奏された曲は次のとおり。
ピアノ五重奏をはじめとしたクラシック音楽の魅力を伝えるため、各楽器の音色や、この楽器でこんな演奏ができる、というのがわかるように意識し、初心者でも上級者でも満足できるように各ジャンルから満遍なく選曲されたそうです。

1.  ムソルグスキー(加藤昌則編曲)/ 組曲『展覧会の絵』より「プロムナード」
2. エルガー(阿部海太郎編曲)/ 愛の挨拶12
3. 吉松隆 / アトム・ハーツ・クラブ・カルテット70より 第1・4楽章
4. ストラヴィンスキー(アゴスティ編曲)/ バレエ音楽『火の鳥』より「魔王カスチェイの凶悪な踊り」
5. ヨハン・シュトラウス2世 / 皇帝円舞曲 437(抜粋)
6. ポルディーニ / 踊る人形
7. ドビュッシー /『べルガマスク組曲』より第3曲「月の光」
8. アンダーソン / プリンク・プランク・プルンク
9. ドヴォルザーク / ピアノ五重奏曲第2番 イ長調81より 第3・4楽章


1曲目の「プロムナード」、2曲目の「愛の挨拶」と、出だしから有名どころの穏やかな曲が続くなか、観客の皆さんはなんとなく集中しきれない雰囲気でした。慣れない公演形態に、どういう姿勢で向き合うべきか戸惑っている人が多かったのかもしれません。(筆者もそうでした)

しかし、弦楽四重奏による3曲目の「アトム・ハーツ・クラブ・カルテット」に入った途端それまでの空気が一変。疾走感のあるクールなサウンド。激しく踊り、ときに風を切る弦の動き。演奏者の皆さんもエンジンがかかってきたようで、ホール中の意識がスッとステージに集中するのを感じました。

特に第4楽章のジャカジャカとしたブギウギ風のリズムは観客の心をとらえたようで、それまでキョロキョロと客席を眺めまわすばかりだった女の子も、手をくるくるとさせてノリにノっていた姿が印象的です。

ダンスするかのようにエモーショナルに体を動かして演奏する林さんの姿にワクワクとさせられた、「踊る人形」の演奏。 
(C)青柳聡 提供:東京文化会館

ピアノ独奏による7曲目の「月の光」は本公演で一番しっとりとした静かな曲。客席のざわめきが目立つタイミングではありましたが、聴く者に情景を豊かにイメージさせる小林さんの卓越した演奏技術のおかげで、集中を切らすことなく音の世界に浸れました。

(C)青柳聡 提供:東京文化会館

筆者は「リラックス・パフォーマンス」の趣旨を頭では理解していたつもりでしたが、実際に演奏が始まってからしばらくは、大声や手をたたく音がホールに響くたびにソワソワ、ハラハラと落ち着かない心境でした。

一般的なクラシック音楽のコンサートの鑑賞経験があるせいか、一観客ながら「これは大丈夫なのか?」「観客同士でトラブルになったらどうしよう」と心配だったのです。

しかし、皆さんどんなこともおおらかに受け止めていてひと安心。「そういうものなんだ」と割り切れたらざわめきにも慣れ、演奏を楽しめる態勢に。終わるころには観客の充足感がホールを包み込むようで、「こういうコンサートもいいなあ」としみじみ実感した60分間でした。

すべてのコンサートがこのような公演形態をとるべき、というわけではなく、選択肢のひとつとしてあっていい、ということ。

100%音楽に集中したいときには向きませんが、自然体で音楽と向き合いたい、人とのかかわりの中にある音楽を感じたい気分のときに「リラックス・パフォーマンス」を選びたいという人は、きっと少なくないはずです。

来場していたクラシック音楽が大好きだという5歳くらいの男の子とそのお母さんに感想をうかがうと、男の子は「『月の光』が一番よかった」「また来たい!」と満足げ。お母さんも「いつもコンサートでは静かにしなさい!と注意していますが、今日の公演はそのあたりが緩やかで子どももリラックスして聴けたみたいです」と笑顔を見せます。

また、杉山さんによれば、障害のある子どもをもつ親御さんからたくさんの喜びの声が届いたそう。

「障害のある息子とクラシックのコンサートへ行くなんて不可能だと諦めていたので、今日は本当に感動した。1曲目から涙が止まらなかった」

「いつもロビーのモニターから演奏を聴いていたわが子が、今日初めてホールの中で鑑賞できたのがうれしかった」

「リラックス・パフォーマンス」公演が、いかに障害のある人とそのご家族にとって得難い経験になりえたのかが伝わってきます。

東京文化会館の挑戦はまだ始まったばかり

「リラックス・パフォーマンス」公演は今後も毎年開催していく予定とのことで、次回の開催が待ち遠しい限り。
最後に、杉山さんは公演の意義についてこう話します。

「特別支援学校にお話を聞きにいって知ったことですが、私たちのような文化施設やアーティストが学校に出向く機会というのはあるものの、学校を卒業した途端にアートや文化的なモノから離れてしまうという方が多くいらっしゃるそうです。

音楽的なものに触れたいと思ったときに、周りに迷惑をかけないためにはカラオケに行くくらいしか選択肢がない、それは寂しい、という切実なお声をいただきました。

考えてみれば、今まで私たちは未就学児が入れるコンサートや、ゼロ歳から入れるワークショップなどさまざまな層へ向けた企画を実施してきましたが、大人で障害のある方にフィーチャーした企画はなかったなと。

そういった方や、その介助者・ご家族の方たちが、周りの目を気にせず安心して来られる場をつくりたい。目だけで、耳だけで楽しむだけではなく、肌から音が聞こえるくらいの距離感で音楽の醍醐味を味わってほしいと考えたのが本公演の開催の経緯です。これは公共文化施設である当会館の使命であると感じています。

まだ『リラックス・パフォーマンス』の取り組みは始まったばかり。コンテンツだけではなく情報を届ける仕組みやお迎えする体制も含めて、少しずつパワーアップしている最中です。

今は皆さんに来ていただいて、私たちがいろいろと教えていただく段階。皆さんの声がどんどん反映されていく公演ですので、ご興味があればぜひ鑑賞をご検討いただければうれしいですね」

「東京文化会館 リラックス・パフォーマンス~世代、障害を越えて楽しめるコンサート~」開催概要

日時2021年11月3日(水・祝)14:00~15:00
会場東京文化会館 小ホール
チケット料金一律1,100円 ※対象年齢4歳以上
主催東京都、公益財団法人東京都歴史文化財団 東京文化会館・アーツカウンシル東京
特別協力ゼンハイザージャパン株式会社、パイオニア株式会社、株式会社フルノシステムズ
お問い合わせ東京文化会館 事業係 03-3828-2111(代表)
公式ホームページhttps://www.t-bunka.jp/

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【東京都美術館】「ゴッホ展 障害のある方のための特別鑑賞会」取材レポート

東京都美術館

フィンセント・ファン・ゴッホ《夜のプロヴァンスの田舎道》1890年5月12-15日頃 クレラー=ミュラー美術館蔵

東京・上野公園にある東京都美術館では、2021年9月18日(土)から『ゴッホ展──響きあう魂 ヘレーネとフィンセント』が開催中です。

国内外の名品を紹介する同館の特別展(直近では『没後70年 吉田博展』や『イサム・ノグチ 発見の道』など)は毎回大変な人気を集めていますが、今回の『ゴッホ展』も例にもれず多くの来場者で賑わっています。

特別展を車いすの方や視覚障害、聴覚障害などさまざまな障害をお持ちの方に安心して鑑賞してもらいたい――そんな思いのもと、特別展の期間中には毎回「障害のある方のための特別鑑賞会」が行われており、『ゴッホ展』でも休室日の10月11日(月)に開催されました。

※『ゴッホ展──響きあう魂 ヘレーネとフィンセント』の会場の様子や展示作品については別記事で詳しく紹介しています。⇒https://www.culture.city.taito.lg.jp/ja/reports/22665

「障害のある方のための特別鑑賞会」を支えるアート・コミュニケータたち

「障害のある方のための特別鑑賞会(以下「特別鑑賞会」)」は1999年にスタートしたプログラム。2012年からは同館と東京藝術大学、市民とが連携する「とびらプロジェクト」で活動するアート・コミュニケータ(愛称「とびラー」)が準備段階から関わり、当日の鑑賞の手伝いや声がけなどを行っています。

 

「とびらプロジェクト」とは・・・
美術館を拠点にアートを介してコミュニティを育むソーシャル・デザイン・プロジェクト。2012年度の東京都美術館のリニューアルを機に東京藝術大学と連携して始動したものです。一般から集まった市民と、学芸員や大学の教員、第一線で活躍中の専門家らが美術館を拠点に、そこにある文化資源を活かしながら、人と作品、人と人、人と場所をつなぐ活動を展開しています。

一般公募の市民はアート・コミュニケータ「とびラー」(東京都美術館の「都美<とび>」と「新しい扉<とびら>を開く」という意味を込めた愛称)として、アートを介して誰もがフラットに対話できる場や、多様な価値観をもつ人々を結びつけるコミュニティのデザインに取り組んでいます。

 

3年の任期で活動する「とびラー」は毎年40名ほどが公募され、現在は会社員、フリーランサー、専業主婦、退職後の方、大学生など、年齢もバックグラウンドも異なる約140名が活躍されているそう。

活動はボランタリーですが、美術館から役割を与えられるサポーターではありません。任期中にアート・コミュニケータとしての学びを深めながら、美術館の現場で主体的に企画を立ち上げ実現させている能動的なプレイヤーです。これまでも、夜間に東京都美術館の建築の魅力を味わう「トビカン・ヤカン・カイカン・ツアー」や、東京藝術大学の卒業制作展を作家と対話しながら巡る「卒展ツアー」など、「とびラー」ならではの視点で美術館を活用したさまざまなプログラムが実施されました。

「特別鑑賞会」も、「とびラー」考案のアイデアを取り入れながらよりよい形に進化していっているそう。今回は「とびラー」と、任期を終えた後もそれぞれのコミュニティで自立したアート・コミュニケータとして活動している元「とびラー」をあわせた約100人が参加者を迎えました。

(※以下、当日の様子については、「とびラー」と元「とびラー」の方々が一体として「特別鑑賞会」に関わっていらっしゃることから、「アート・コミュニケータ」と総称します)

障害のある方、一人ひとりが気兼ねなく作品と向き合える時間

ファン・ゴッホ作品の鮮やかな消しゴムハンコはアート・コミュニケータの手作り

「特別鑑賞会」には、障害者手帳等をお持ちの障害のある方約400名とその介助者320名余りが参加されました。

アート・コミュニケータの方々は、実施日の何日も前から「特別鑑賞会」へ向けて準備していたそう。たとえば、「特別鑑賞会」への事前申込方法はWEBフォーム、メール、ハガキの3種類があるのですが、ハガキで申し込まれた方に郵送で送付する参加証封筒には展覧会のテーマをモチーフとした手作りの消しゴムハンコを押しているのだとか。

これも「もらってうれしい参加証にしたい」との思いからアート・コミュニケータが考案した取り組み。実物を見せていただきましたが、ここでしか使われないのがもったいないほどのクオリティでした。

「特別観賞会」の参加者のなかには、駐車スペースを利用される方も多くいました。

ホワイエで過去の特別鑑賞会の様子や、会場で案内しているアート・コミュニケータの役割をモニターで紹介するなど、初めての参加者にも安心して入場してもらえるよう配慮されていました。

受付には聴覚に障害がある方のために手話通訳者も待機。

エントランスから受付にかけて、「こんにちは」「楽しんでください」といった参加者への挨拶が聞こえてきます。

「行っていいのかな? 迷惑をかけるんじゃないかな? と不安な気持ちを普段からお持ちの方も多いんです」と話してくださったのは学芸員の熊谷さん。

「美術館は自分が行っても大丈夫な場所なんだと思ってもらうため、参加者の皆さんをおもてなしする気持ちが伝わるようなウェルカムな空気感を作り出すことを大切にしています」

受付には貸し出し用の車いすが準備されていました。「車いすが必要な人は最初から乗ってきているのでは?」と疑問でしたが、足が悪い方のなかには、展示を見るときだけ車いすを使いたいという方も少なくないのだとか。実際に大量にあった車いすが瞬く間に貸し出されていった光景を見て、その発想がなかった筆者は驚かされました。

そのような方々は、やはり熊谷さんが話してくださったように、周囲に配慮して普段の展覧会へは行きづらいと感じてしまうのかもしれません。もちろん、通常の開館日でも車いすは貸し出されているそうですが、このように展示室入口前にずらりと用意されていると、みなさん気兼ねなく利用しやすいようです。

ここで、「特別鑑賞会」のリピート率が非常に高い理由の一端が垣間見られた気がしました。

特別展の展示室だけでなく、エントランスやエスカレーター、エレベーターなど、参加者が通るほぼすべての場所でアート・コミュニケータの方々がおもてなし。それぞれのポジションで連絡を取り合い、密に連携している姿を拝見しました。

見慣れない光景として、荷物用の大きなエレベーターが稼働していたことも挙げられます。

車いすの方が同じタイミングで何人も通常の来館者用エレベーターを利用しようとすると、どうしても発生してしまう待ち時間。ストレスなく「特別鑑賞会」を楽しんでほしいという思いのもと、現場のアート・コミュニケータ同士で「車いすの方が複数台いらした場合は、大型のエレベーターをご案内しよう」などと改善案を話し合っていたのが印象的です。

事前予約制による鑑賞会ということで、展示室には非常にゆったりとした時間が流れます。参加者の誰もが作品をじっくり鑑賞することができているようでした。

フィンセント・ファン・ゴッホ《夜のプロヴァンスの田舎道》1890年5月12-15日頃 クレラー=ミュラー美術館蔵

本展の目玉である《夜のプロヴァンスの田舎道》の前もこのとおり。通常の開館時には、人気のある作品の前が混雑することも多く、車いすの方はどうしてもその後ろからの鑑賞になってしまいがちですが……この日は近づいてみたり離れてみたり、作品と一対一の対話の時間を楽しまれている様子が見て取れました。

展示室には聴覚に障害のある方のために、磁気式の筆談ボードを携帯したアート・コミュニケータの姿も。これは今回の「特別鑑賞会」から始めた取り組みで、聴覚に障害のある方が、展示室で何かお困りのときに声をかけやすい環境を整えるための試み、とのことです。筆談ボードを使ってお話しするなかで、必要な場合は受付から手話通訳者を呼んでもらうことも可能だそう。

 

取材時には拝見できませんでしたが、新型コロナウイルス感染症の流行以前は、参加者とアート・コミュニケータとが感想や意見を交わしながら作品を鑑賞し、各々が楽しい時間を共有していたそうです。

アート・コミュニケータの発案で、弱視の方や車いすの方など、展示されている状態では作品が見えづらい方が作品画像を手元で見られるiPadを活用したプログラムを実施したり、学芸員が展覧会のみどころ解説を行う「ワンポイント・トーク」で聴覚に障害のある方にも内容が伝わるよう文字表示支援を作成したりといった活動も行っていたとか。

過去の「特別鑑賞会」で、iPadに取り込んだ作品画像を手元で拡大している様子。(「プーシキン美術館展──旅するフランス風景画」2018年)

そういったさまざまな取り組みについて伺った際に熊谷さんが強調したのは、「アート・コミュニケータは、美術館を拠点にアートを介したコミュニティを作っています。『障害のある方に何かをしてさしあげる』といった、支援する側・される側の関係性のなかで、この『特別鑑賞会』の場にいるのではありません」ということ。

「障害のある人もない人も一緒に過ごすこの空間をどんな場にしたいのか、どんな場で『ありたい』のか。それを考え、そのために必要なコミュニケーションをする・行動をする。だからアート・コミュニケータには、するべきことをまとめたマニュアルは存在しないんです」と、誤解されがちなアート・コミュニケータのあり方を語りました。

 

コロナ禍の現在は、残念ながら接触や密を避けるために多くの取り組みが実施不可能な状態に。「せっかく同じ空間にいるのに、参加者の皆さんとお話ができないのは寂しいです」と嘆くアート・コミュニケータの表情に切ない気持ちになりましたが、会話をしないコミュニケーションのあり方や、さらにはリアルの空間以外での対話を補完する方法を模索しているとのこと。

そんな事情もありつつの「特別鑑賞会」。1時間、2時間と心行くまでゴッホの世界を堪能した参加者は、皆さん大変満足気な表情で感想を交わしながら美術館を後にされました。

「次の鑑賞会はまだかな、といつも楽しみにしているんです」

笑顔で感想を語る参加者

「特別鑑賞会」に参加された方々にもお話を伺いました。驚いたのは、お話しした全員が「特別鑑賞会」に何度も参加したことがある方だったこと。

ある車いすの女性は、「この鑑賞会は人数が限られているので助かっています。普段だと人が2重、3重、4重くらい重なっているけれど、ここでは一番前で見られるのがうれしいですね」と笑顔を見せました。

足を悪くしたことがきっかけで、足しげく通った美術館から遠ざかっていたという別の参加者は、この「特別鑑賞会」については「次の開催はまだかな、といつも楽しみにしているんです」と目を輝かせて期待を語ります。

視覚に障害をもつある女性は、原田マハさんの小説を読んでどうしてもゴッホ作品が見たいと熱望していたタイミングでの参加となり、喜びもひとしおの様子。介助者に説明してもらいながら作品を鑑賞したそうです。

「音声ガイドがよくできていたなと。ヘレーネさん(※本展で取り上げているゴッホ作品のコレクター)がこういう人だったんだな、というのが理解できました」と満足げ。作風の変化を追いながら、「こうやってゴッホは〈ひまわり〉にたどり着いたんだ」と感慨深い気持ちになったとか。

「普通の展覧会だと、介助の人に一緒に歩いてもらっていてもぶつかったり蹴とばされたり。逆に自分が人の前に割り込んでも気づかないから申し訳ない気持ちにもなってしまうけど、このくらい空いていると安心して見られるので感謝ですね」


本来であれば美術館は、障害のある人もない人も関係なく開かれた場所であるはず。しかし今は残念ながら、美術館へ行くことを躊躇してしまう人が少なくないのが現状です。

「障害のある方のための特別鑑賞会」には、まだまだ工夫できる部分があるのかもしれません。しかし、こういった鑑賞会が存在すること自体、障害のある方々が美術館へ行こうとするハードルを確実に下げる意義深い試みだと実感した取材となりました。

コロナ禍において減ってしまったコミュニケーションの機会をどのように創出していくのか、アート・コミュニケータの方々の動きに今後も注目していきます。

 

なお、東京都美術館で2022年1月22日(土)~4月3日(日)に開催される特別展『ドレスデン国立古典絵画館所蔵 フェルメールと17世紀オランダ絵画展』においても、「障害のある方のための特別観賞会」が開かれます。

身体障害者手帳をはじめとする各種手帳をお持ちの方400名とその介助者(1名まで)が応募可能。申し込み多数の場合は抽選となります。
申込期間は2022年1月5日(水)~2022年1月24日(月)まで。

ご興味のある方は、ぜひ詳細をご確認ください。⇒https://www.tobikan.jp/learn/accessprogram.html

『ゴッホ展——響きあう魂 ヘレーネとフィンセント』開催概要

会期 2021年9月18日(土)~12月12日(日)
会場 東京都美術館 企画展示室
開室時間 9:30~17:30 金曜日は9:30~20:00 (入室は閉室の30分前まで)
休室日 月曜日
※ただし11月8日(月)、11月22日(月)、11月29日(月)は開室
入場料 一般 2,000円、大学生・専門学校生 1,300円、65歳以上 1,200円
日時指定予約制です。
※高校生以下無料。(日時指定予約が必要)
その他、詳細はこちら⇒https://gogh-2021.jp/ticket.html
主催 公益財団法人東京都歴史文化財団 東京都美術館、東京新聞、TBS
お問い合わせ 050-5541-8600 (ハローダイヤル)
展覧会公式サイト https://gogh-2021.jp

 


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【国立科学博物館】「大英博物館ミイラ展 古代エジプト6つの物語」会場レポート

国立科学博物館

(C)The Trustees of the British Museum

文化遺産の殿堂として知られ、古代エジプト文明の研究で世界をけん引してきた大英博物館。同館が厳選した6体のミイラを中心として、最新の研究成果をもとに古代エジプト人の素顔に迫る特別展「大英博物館ミイラ展 古代エジプト6つの物語」が東京・上野の国立科学博物館で開催中です。
*会期は2021年10月14日(木)~2022年1月12日(水)まで。

開幕当日に行われた報道内覧会を取材しましたので、会場の様子をレポートします。

※掲載されている写真は特別な許可を得て撮影したものであり、一般の方の撮影は禁止されています。
※写真は設備の関係でガラスへの映り込みが多くなっています。見えづらい部分があるかと思いますがご了承ください。

会場風景

会場風景

6体のミイラから読み解く古代エジプト人の姿

現世で死んでも存在は終わらず、来世で復活するという死生観をもった古代エジプト人は、再生のために必要な肉体を保存するためにミイラ作りの技術を発展させていきました。特別展「大英博物館ミイラ展 古代エジプト6つの物語」では、紀元前800年ごろ~後100年ごろに古代エジプトで生活していた6人の人物のミイラが展示されています。

「ペンアメンネブネスウトタウイの内棺」と「ペンアメンネブネスウトタウイのミイラ」 (C) The Trustees of the British Museum
棺の鮮やかな装飾が目を引きます。胸部には彼を守るかのように翼を広げるヌウト神の姿も。

「若い男性のミイラ」  (C) The Trustees of the British Museum

「アメンイリイレト テーベの役人」「ネスペルエンネブウ テーベの神官」「ペンアメンネブネスウトタウイ 下エジプトの神官」「タケネメト テーベの既婚女性」「ハワラの子ども」「グレコ・ローマン時代の若い男性」という、地位も年齢も生きた時代も異なる6体のミイラたち。

1体につき約7000枚という大量のCTスキャン画像をもとに作成された、高精度の3次元構築映像で内部を復元。銘文などの文字情報からは伺い知れなかった健康状態、癌や動脈硬化症といった病歴、死亡年齢などの生の側面を、約250点の豊富な展示品とともに紹介しています。

「アメンイリイレトのミイラ」 (C) The Trustees of the British Museum
3次元構築映像では内部の詳細な情報とともに、明らかになった生前の病状なども解説。

CTスキャンの恩恵を感じるものとして特に興味深いのは、第3中間期、第22王朝の前800年ごろにテーベ(現在のルクソール)で最も重要な宗教施設だったカルナク神殿の神官・ネスペルエンネブウのミイラでしょう。

死者を保護し、永遠の生命を得る手助けのためにミイラにはさまざまな護符や呪術的な装身具が置かれます。CTスキャンにより、ネスペルエンネブウのミイラは未開封のままで、それらの詳細な配置や材質までが明らかになったとか。

「ネスペルエンネブウのミイラ」 (C) The Trustees of the British Museum

3Dプリンターにより複製された護符や装身具 (C) The Trustees of the British Museum

映像でミイラに置かれた護符や装身具の位置が紹介されますが、皮膚の上や包帯の間だけでなく体内にも配していたことに驚かされました。護符や装身具は形や文字だけでなく位置にも重要な意味があるとのことで、こういった内部情報が遺物を損なうことなく知られるのも技術向上の賜物ですね。

内部のアイテムの数々は3Dプリントされて展示されていますので、ぜひ映像と見比べながら鑑賞してみてください。

「ジェドバステトイウエフアンクのカノポス壺」 (C) The Trustees of the British Museum

本展にはミイラ作りを含む、葬祭にまつわる古代エジプト人の信仰を示す遺物が多数展示されていますが、ひとつの信仰の形が顕著にわかる例では「カノポス壺」が挙げられます。

ミイラづくりに際して腐りやすい内臓は取り除かれますが、肝臓、肺、胃、腸は再生に特に重要だと考えられ、ホルス神の4人の息子を象ったカノポス壺という入れ物で大切に護っていました。

「復活を前提にするなら脳もどこかに保管しているのかな」と想像していると、脳は当時その機能が理解されていなかったため、どうやらミイラ作りの過程で捨てられてしまったそうで……。

古代エジプト人たちが知性と記憶をつかさどる部分と信じたのは心臓。再生に欠かせないものとして通常はミイラ職人によって体の中に残されたとか。

「子どものミイラ」 (C) The Trustees of the British Museum

時代ごとのミイラにまつわるデザインの変化にも注目です。

ローマ支配時代、後40~後55年ごろの子どものミイラには、頭部を覆うように描かれた写実的な肖像画が登場。ギリシャやローマの芸術様式の影響を感じさせます。また、ローマ支配時代までは子どもをミイラ化すること自体あまり例がなかったそうで、埋葬習慣の伝統にも影響が及んだことが伺えました。

弓形ハープ (C) The Trustees of the British Museum

再生の力をもつ冥界の神・オシリスの像や、来世の安寧を願い死者とともに埋葬された文書「死者の書」など、ミイラといえば……なおなじみの遺物も鑑賞できます。さらに本展では、楽器や女性の化粧道具、子どもの玩具や装身具、パンの化石といった、ほかの展覧会ではあまりお目にかかれない、古代エジプト人たちの文化や日々の暮らしに寄ったアイテムにフィーチャーしている点も見どころ。

子ども用の首飾りや装身具 (C) The Trustees of the British Museum

「ネズミの形をした玩具」「車輪がついた馬の玩具」 (C) The Trustees of the British Museum

彼らはどのように生き、そしてミイラになったのか。死生観や呪術的遺物などから神秘性を感じる一方で、どこかで親しみも覚えるような。古代エジプト人たちの生の姿が伺えるユニークな展覧会といえるでしょう。

会場で出会えるカワイイものたち

メジェド神やアヌビス神、バステト神といったエジプトの神々やヒエログリフなど、今日の日本人を惹きつけてやまない個性的で愛らしいデザインに溢れているのも古代エジプト世界の魅力ですよね。

本展でももちろん出会えますので、いくつか写真でご紹介します。

「胸飾り(ペクトラル)」 (C) The Trustees of the British Museum

ミイラ作りの神・アヌビスがお墓の上で伏せている姿のフォルムが愛らしい装身具。会場特設ショップでグッズ化もされていました!

「魚形護符」  (C) The Trustees of the British Museum

金と長石の青が美しい、再生を象徴する魚をモチーフにした護符。大きく形作られた背びれや尾ひれがおしゃれな一品。

「タケネメトの内棺」 (C) The Trustees of the British Museum

「タケネメトの内棺」の足元に描かれていた生き物(牛?)。頭の丸は角? それともボールのようなもの? とぼけた表情がなんともいえません。

日本オリジナル展示:サッカラ遺跡の発掘調査

サッカラ遺跡、ローマ支配時代のカタコンベ (C) North Saqqara Project

本展は国際巡回展ですが、会場後半では日本オリジナルの特別展示も見られます。それは、エジプトのサッカラ遺跡で現在も行われている最先端の発掘調査の様子。

サッカラ遺跡、ローマ支配時代のカタコンベの入口 (C) North Saqqara Project

本展の監修者である金沢大学教授・河合望さんを隊長とする日本エジプト合同・北サッカラ調査隊が2019年に発見した、ローマ支配時代のカタコンベ(地下集団墓地)の内部の様子を、実寸大の部分模型や映像などで紹介するものです。撮影はできませんでしたが、朽ちた雰囲気や埋もれた骨など、実際に現場にいるかのように錯覚するほど細部までこだわって再現されているのに感動しました。

本展で登場したような6体ミイラがどのように発掘され、今日の私たちが鑑賞できるようになったのか。この展示により、これまではあまり展覧会で紹介されることのなかった全体像が理解できるようになるはず。

人気声優の島﨑信長さんがナビゲーターをつとめる音声ガイド

なお、河合望さんの感じた興奮や発掘のロマンを聞いてより臨場感を高めたい方は音声ガイドの利用をおすすめします。

ミイラの匂いを嗅いでみよう

「猫のミイラ」 国立科学博物館蔵

第2会場では「古代エジプト文明と日本人」というテーマで、日本人がどのように古代エジプト文明の存在を知り、研究を続けてきたのかを紹介しています。ここでは阿波・徳島藩の18代当主であった蜂須賀正がエジプトで入手した「猫のミイラ」が初公開。

「猫のミイラ」に関連して、花王株式会社感覚科学研究所によって再現された、ミイラ作成当時の匂いを嗅げるコーナーも! ミイラの匂いを嗅ぐチャンスは一般人にはそうそうないはずなので、貴重な機会といえるでしょう。

「かいけつゾロリ」と特別コラボ!

また、幅広い世代に愛されている読み物シリーズ「かいけつゾロリ」とコラボレーションしていることでファンから注目を集める本展。

古代エジプトの世界に迷い込んで現代に帰れなくなったゾロリたちを救い出す、というストーリーのクイズが公式サイトに掲載されています。小さなお子さんと鑑賞される場合はぜひ、会場内のパネルにあるヒントを参考にチャレンジしてみてください。また、特設ショップにはたくさんの「かいけつゾロリ」オリジナルグッズが用意されていましたので、ファンの皆さんはお見逃しなく。

大英博物館のあるイギリスで有名なカカオブランド「ホテルショコラ」とコラボした本展オリジナルパッケージのスイーツも。デザインがたまらなくキュートです。

 

特別展「大英博物館ミイラ展 古代エジプト6つの物語」概要

会期 2021年10月14日(木)〜2022年1月12日(水)
※会期等は変更になる場合があります。
会場 国立科学博物館
開館時間 9:00~17:00 (入場は閉館時刻の30分前まで)
休館日 月曜日、12月28日(火)~1月1日(土・祝)
※ただし12月27日(月)、1月3日(月)、1月10日(月・祝)は開館
入場料 一般・大学生2,100円 小・中・高校生600円 (いずれも税込)
※日時指定予約が必須。
※未就学児は無料。障害者手帳をお持ちの方とその介護者1名は無料。
主催 国立科学博物館、大英博物館、朝日新聞社
お問い合わせ 050–5541–8600 (ハローダイヤル)
展覧会公式サイト https://daiei-miira.exhibit.jp/

 

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【東京都美術館】「ゴッホ展——響きあう魂 ヘレーネとフィンセント」会場レポート 信念のゴッホコレクター、珠玉のコレクションを辿る

東京都美術館

フィンセント・ファン・ゴッホ《夜のプロヴァンスの田舎道》1890年5月12-15日頃 クレラー=ミュラー美術館蔵

2021年9月18日(土)、東京・上野の東京都美術館で『ゴッホ展——響きあう魂 ヘレーネとフィンセント』が開幕しました。会期は12月12日(日)まで。

ファン・ゴッホ作品最大の個人収集家であるヘレーネ・クレラー=ミュラー(1869〜1939)のコレクションにスポットを当てた展覧会。《夜のプロヴァンスの田舎道》や《黄色い家(通り)》などの人気作が顔をそろえる会場の様子をレポートします。

展示風景

展示風景

ファン・ゴッホ人気の立役者 ヘレーネ・クレラー=ミュラー

世界中にファンをもち、ここ日本においても最も愛されている画家の一人であるフィンセント・ファン・ゴッホ(1853-1890)。

27歳で画家を志し、37歳で生涯を終えるまでの10年間でおよそ2,000点もの作品を残したとされていますが、「生涯で数枚しか作品が売れなかった」という通説で知られるように生前は名声を得ることが叶いませんでした。

しかし、今や彼は近代美術の巨匠として位置づけられ、作品には数億、数十億の値がつけられるように。その背景には彼の作品の価値を認め、作品を保存し、後世に残そうと尽力した人々の情熱がありました。

フローリス・フェルステル《ヘレーネ・クレラー=ミュラーの肖像》1910年 クレラー=ミュラー美術館蔵

なかでも重要な役割を果たした立役者の一人が、この度の『ゴッホ展——響きあう魂 ヘレーネとフィンセント』でスポットを当てたヘレーネ・クレラー=ミュラーです。

夫アントンとともに、19~20世紀にかけてのフランスやオランダの芸術家の作品を中心に、11,000点を超える膨大なコレクションを築いたオランダ有数の資産家・ヘレーネ。彼女はファン・ゴッホの作品に深い人間性や精神性を感じ取り、ファン・ゴッホがまだ広く評価されていない20世紀初頭から90点を超える油彩画と約180点の素描・版画を収集しました。

本展は、ヘレーネが初代館長を務めたオランダのクレラー=ミュラー美術館(1938年開館)の貴重な美術コレクションから、ファン・ゴッホの初期から晩年までの画業をたどる選りすぐりの作品48点を紹介するものです。

フィンセント・ファン・ゴッホ《レモンの籠と瓶》1888年5月 クレラー=ミュラー美術館蔵
一部作品には、作品とヘレーネの関連エピソードが紹介されています。

フィンセント・ファン・ゴッホ《森のはずれ》1883年8-9月 クレラー=ミュラー美術館蔵
ヘレーネが初めて購入した記念すべきファン・ゴッホ作品。

フィンセント・ファン・ゴッホ《悲しむ老人(「永遠の門にて」)》1890年5月 クレラー=ミュラー美術館蔵
過去に制作した自作版画を元に描いた作品。ヘレーネはこの絵を、人間の苦しみを慰めの域にまで昇華した作品だと高く評価しました。

へレーネはファン・ゴッホを心の拠りどころにしていましたが、なぜそこまで惹かれたのか、ヘレーネ自身は明確な言葉を残していないとのこと。本展の担当学芸員である大橋さんは、「断言はできないが、ゴッホの芸術に非常に高い精神性を感じていたこと。また、牧師の息子として生まれたゴッホが聖職者への道を挫折してしまったことと、ヘレーネもキリスト教の文化になじめず苦しみを感じていたこと。そういった共通した背景が大きな理由ではないか」と話します。

さらに、本展にはファン・ゴッホ作品以外にも、ヘレーネが特に熱心に収集したミレー、ルノワール、スーラ、モンドリアンなど、19世紀半ばから1920年代にかけての近代西洋絵画20点があわせて出展されています。

ピエール=オーギュスト・ルノワール《カフェにて》1877年頃 クレラー=ミュラー美術館蔵

ジョルジュ・スーラ《ポール=アン=ベッサンの日曜日》1888年 クレラー=ミュラー美術館蔵

オディロン・ルドン《キュクロプス》1914年頃 クレラー=ミュラー美術館蔵

写実主義から印象派、新印象派、象徴主義、そして抽象主義まで。目で見たありのままを描くレアリズムから人間の精神・感情に焦点を当てる方向へ、180度流行が変化した近代絵画の流れをたどるだけでなく、ファン・ゴッホ作品がまさにその転換の橋渡し的立ち位置にあることがわかる展示になっています。

これらヘレーネのコレクションからは、自らが得た感動を人々と分かち合うため、収集活動の早い段階から美術館の設立を生涯の使命にした彼女が、西洋美術の概略を見渡せるよう体系的にコレクションを築いたことが理解できるでしょう。

16年ぶりの来日!糸杉シリーズの傑作《夜のプロヴァンスの田舎道》

フィンセント・ファン・ゴッホ《夜のプロヴァンスの田舎道》1890年5月12-15日頃  クレラー=ミュラー美術館蔵

本展の見どころの一つは、実に16年ぶりの来日となる《夜のプロヴァンスの田舎道》。

ファン・ゴッホの代表作に連作〈ヒマワリ〉がありますが、南仏プロヴァンス地方の太陽が燦々と降り注ぐ風景のなかに立つ、糸杉の暗い緑の色調と美しさに魅了されたファン・ゴッホにとって、糸杉は「〈ヒマワリ〉のような作品にしたい」と熱中させるほど重要なモチーフでした。

緑の深い色調の表現に苦心しながら何十枚と描いた糸杉のなかでも、おそらく南仏滞在の最後に制作されたという《夜のプロヴァンスの田舎道》は傑作との呼び声が高いもの。

波紋のように大胆にうねる星月夜をバックに佇む糸杉は、まるで燃え上がる黒い炎のよう。ゴッホ自身は書簡で糸杉の形の美しさをエジプトのオベリスクのようだと例えていますが、自然への畏敬の念がにじみでるような、まさにオベリスクさながらの荘厳な存在感に圧倒されます。

劇的に変化する画風。私たちの知る「ファン・ゴッホ」に至るまで。

フィンセント・ファン・ゴッホ《白い帽子を被った女の顔》1884年11月-85年5月 クレラー=ミュラー美術館蔵

ファン・ゴッホ作品の特徴として「鮮やかな色彩」「うねり」「極端な厚塗り」などを挙げる人は多いと思いますが、これらの特徴はいずれも母国オランダからフランスに拠点を移して以降、画業の後期に生まれたもの。本展では、画風の変化の著しいファン・ゴッホの画業を時代順に沿って紹介しています。

ファン・ゴッホは1880年に画家として歩み始めてから5年間をオランダで過ごしました。初期は、灰色や茶色などのくすんだ色彩を用いて農民や漁民の生活や田舎の風景などを好んで描いた「ハーグ派」と呼ばれる画家たちや、農民画家として知られるジャン=フランソワ・ミレーの影響を受けながら素描の習熟を急ぎ、やがて油絵を制作します。

画業を通じて自然、なかでも無限や永遠の象徴であると考えた種まきから収穫の循環や、四季の移ろいに強い関心をもち続けました。展示からは、自然やその自然と密接に関わりながら農村で働く労働者の姿、彼らの貧しさのにじむ表情、悲しみや嘆きといった主題を細やかに拾い上げていたことがわかります。

フィンセント・ファン・ゴッホ《防水帽を被った漁師の顔》1883年1-2月 クレラー=ミュラー美術館蔵
モデル自身の苦難に満ちた生き様を反映したような顔を特に好んだとか。

フィンセント・ファン・ゴッホ《刈る人》1885年7-8月 クレラー=ミュラー美術館蔵
働く農民のなかでも、麦の収穫をする姿を繰り返し習作で扱っています。

フィンセント・ファン・ゴッホ《織機と織工》1884年6-7月 クレラー=ミュラー美術館蔵
農民だけでなく織工にも強い関心をもっていたそう。いわく「夢見るような、物思いに沈んだ感じの」織工の雰囲気が見事に表現されています。

1886年、フランスのパリに向かったファン・ゴッホは、そこで出会った印象派や新印象派、日本の浮世絵版画に衝撃を受け、画風が大きく変化しました。

これ以降の作品は色彩が豊かで、画面も明るくなっていきます。絵の具を混ぜずに小さなタッチを並べることで色の濁りを防ぐ筆触分割による点描技法も取り入れ始めた点にぜひ注目してください。

フィンセント・ファン・ゴッホ《青い花瓶の花》1887年6月頃 クレラー=ミュラー美術館蔵
オランダ時代には考えられない鮮やかな色彩。花瓶と花は印象派風、背景は新印象派の点描技法の影響が見られます。

フィンセント・ファン・ゴッホ《レストランの内部》1887年夏 クレラー=ミュラー美術館蔵
厳密ではないものの、こちらもスーラを彷彿とさせる新印象派の点描技法が試みられている作品。

1888年から移り住んだ南仏のアルルでは、明るい空の青と、燃えるように鮮やかな太陽の色としての黄色に魅せられ、青と黄色の補色の組み合わせで色彩効果の実験を熱心に繰り返しました。この辺りから、絵筆のタッチで対象の形を模倣するような彫刻的で肉厚の筆触により、多くの人が知る「ファン・ゴッホらしい」表現主義的な画風が出来上がっていく過程が見て取れます。

フィンセント・ファン・ゴッホ《夕暮れの刈り込まれた柳》1888年3月 クレラー=ミュラー美術館蔵
柳の青がアルルの太陽の光を際立させています。

フィンセント・ファン・ゴッホ《種まく人》1888年6月17-28日頃 クレラー=ミュラー美術館蔵
敬慕していたミレーの《種まく人》のオマージュ作品。強烈な補色の対比に挑戦しています。これでもかと厚く筆触が重ねられ、凹凸がより作品に迫力を出しています。

フィンセント・ファン・ゴッホ《サン=レミの療養院の庭》1889年 クレラー=ミュラー美術館蔵

1889年には病のためサン=レミの療養院へ入院しながらも、療養院の庭や周辺の田園風景、また糸杉やオリーブ畑などの典型的なプロヴァンスのモチーフに取り組み、「うねり」の表現を編み出し、《夜のプロヴァンスの田舎道》や有名な《星月夜》といった傑作を制作。そして1890年に終焉の地、北仏のオーヴェール=シュル=オワーズへ移り住んだ後も、村や周辺の美しい景色にインスピレーションを刺激されながら1日1点という驚異的なスピードで制作を続け、筆遣いについても新たな様式の可能性を模索していたようです。

新しい場所、新しい出会いから常に学びを繰り返し、誰に作品が理解されずとも人生をかけて筆を握り続けたファン・ゴッホ。ヘレーネのコレクションからは「私は絵の中で、音楽のように何か心慰めるものを表現したい」という彼の信念、その情熱をつぶさに目の当たりにすることができました。

フィンセント・ファン・ゴッホ《黄色い家(通り)》1888年9月 ファン・ゴッホ美術館(フィンセント・ファン・ゴッホ財団)蔵
《夜のプロヴァンスの田舎道》と同じく16年ぶりの来日。

なお、本展にはクレラー=ミュラー美術館所蔵の作品以外に、オランダにあるもう一つの偉大な美術館を紹介するものとして、ファン・ゴッホ美術館のコレクションから《黄色い家(通り)》など4点のファン・ゴッホ作品が出展されています。

これらの作品はファン・ゴッホを経済的にも精神的にも支えた弟テオの死後、その妻ヨーが、作品の散逸を防ぐために設立したフィンセント・ファン・ゴッホ財団が永久貸与しているもの。彼女もまた、ファン・ゴッホの芸術を世に広めるべく人生を捧げた一人でした。


展覧会『ゴッホ展——響きあう魂 ヘレーネとフィンセント』の開催は2021年12月12日(日)まで。

本展でぜひ、今日の我々が過去の芸術作品をさまざまに評価し、意見を交わし合えるのは、多くの人々が保存や継承に尽力したからこそだという事実に思いを寄せながら、ヘレーネの類まれなコレクションの魅力に浸ってみてください。

『ゴッホ展——響きあう魂 ヘレーネとフィンセント』開催概要

会期 2021年9月18日(土)~12月12日(日)
会場 東京都美術館 企画展示室
開室時間 9:30~17:30 (入室は閉室の30分前まで)
休室日 月曜日
※ただし11月8日(月)、11月22日(月)、11月29日(月)は開室
入場料 一般 2,000円、大学生・専門学校生 1,300円、65歳以上 1,200円
日時指定予約制です。
※高校生以下無料。(日時指定予約が必要)
その他、詳細はこちら⇒https://gogh-2021.jp/ticket.html
主催 公益財団法人東京都歴史文化財団 東京都美術館、東京新聞、TBS
お問い合わせ 050-5541-8600 (ハローダイヤル)
展覧会公式サイト https://gogh-2021.jp

 


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乃木坂の少女たちが、日本美術と共鳴する。【東京国立博物館 表慶館】「春夏秋冬/フォーシーズンズ 乃木坂46」(~11/28)内覧会レポート

東京国立博物館


今秋、東京国立博物館で実験的な展覧会が開催される。
「フォーシーズンズ」と題されたその展覧会では、四季折々の花々に託された日本人の伝統的な感性と、乃木坂46という現代のポップアイコンが融合を果たす。この刺激的なテーマに挑む7名の映像作家は乃木坂46を通じ、いかにして日本美術の本質を浮かび上がらせたのか。先行して開催された内覧会の様子をレポートし、その取り組みを紹介する。

乃木坂46が挑む「古典×現代」

展覧会入口。歴史ある表慶館の壁面に美麗な映像が投影されている

インスタレーションとともに伝統的な屏風絵や絵画が展示され、「古典×現代」という本展のテーマを表現する

尾形光琳らによる屏風絵など、日本絵画の精髄ともいえる名作が並ぶ。なお、本展覧会では複製を展示(東京国立博物館蔵)。

2021年9月4日(土)~2021年11月28日(日)まで、東京国立博物館 表慶館にて「春夏秋冬/フォーシーズンズ 乃木坂46」が開催中だ。

本展のテーマの中核をなすのは日本美術の「古典×現代」である。

「日本美術」というと、特に若い人などはどこか縁遠く感じてしまう人は多いのではないだろうか。しかし、そこに描かれた自然や季節、四季折々の花々は今も変わらずに存在しているもの。自然を愛し、自分にとって身近な方法で描写しようとするのは昔も今も変わらない。

国立博物館は、幅広い世代から絶大な支持を集める乃木坂46がそうした日本古来の美意識と若い人たちをつなぐ架け橋になるのではないかと考えた。なぜなら、乃木坂46こそ穏やかな日常や身のまわりの自然を「歌」を起点にしてビジュアルとして世に広げ、そこに希望を託す存在だからだ。

それぞれの作品にはモチーフとなる作品がある。こちらは『見返り美人図』を題材にしたインスタレーション

酒井抱一『夏秋草図屏風』の右隻と左隻に対応し、左右でパフォーマンスを行う山下美月と久保史緒里

スリットカーテン越しに投影される映像。ここで表現されているのは日本絵画の遠近表現である

本展では、季節の花が描かれた7点の日本美術(複製)を展示。その日本美術の「本質」ともいえる作品を7人の映像作家が独自に解釈し、大型インスタレーションとして展開している。

例えば齋藤飛鳥がパフォーマーを務める冒頭の『日本絵画の遠近表現』は狩野長信の『花下遊楽図屏風』をモチーフにした作品だが、ここで取り上げられ、再解釈されているのは同絵画に見られる遠近法である。

野外で行われる春の宴を幕越しに眺めているような体験を生じさせる『花下遊楽図屏風』の仕掛けを、スリットカーテン越しにレイヤー状に映像を投影するという手法で再現。映像作家の大久保拓朗氏による「古典の再解釈」といった位置づけの作品となっている。このように、展示作品において示されているのは日本美術を読み解くために必要なちょっとしたルール・コードなのである。

乃木坂46が表現する、「日常」という名の花

齋藤飛鳥による舞踏のパフォーマンス。溌溂としたムーブメントが作品の枠を超えた力を生み出す

怪異のような美しさを放つ乃木坂メンバーの遠藤さくら。作家とパフォーマーの相性によって無限の可能性が示される

『秘められた風景』の賀喜遥香。作家の意図を超えた感情の真実性を感じさせる

『時間のジオラマ化』という作品では秋元康氏の詞の世界も堪能できる

しかし、乃木坂の少女たちはこうした作り手側の意図を反映させるための存在にとどまらない。実際に作品を鑑賞してみると、彼女たちの存在は作家たちの思惑を超えた真実性を宿していると思える瞬間もある。それはまさに、インスタレーションという形式だからこそ実感できることなのかもしれない。

個人的に印象深かったのは『妖しい美』(池田一真作)における遠藤さくらである。私は乃木坂46に詳しいわけではないので、こんな妖艶な雰囲気を醸し出せるアイドルがいたのかと正直驚かされた。これは上村松園が六条御息所の生霊を描いた『焔』をモチーフにした作品だが、彼女の舞踏によって刻々と生じる衣装や髪の毛の動きは、まさに妖異そのものだ。

他にも、『秘められた風景』において賀喜遥香の醸し出す抒情性も素晴らしく、乃木坂メンバーひとりひとりの普段とは違った魅力を存分に楽しめるのも本展の魅力のひとつだろう。

 

本展の会期は2021年11月28日(日)まで。
乃木坂46というフィルターを通じて、伝統的な日本美術が今を生きる私たちとつながる瞬間。それはとても刺激的だ。
ぜひ、実際に会場で体験されることをおすすめしたい。

開催概要

会期 2021年9月4日(土)~2021年11月28日(日)
会場 東京国立博物館 表慶館
開館時間 9:30~17:00
金・土曜日は、9:30~20:00
(入館は閉館の60分前まで)
休館日 月曜日(ただし9月20日(月・祝)は開館)、9月21日(火)
観覧料 一般・大学生 1,800円
高校生 1,000円
中学生以下、障がい者とその介護者1名は無料。
※混雑緩和のため、本展は事前予約制(日時指定券)です。入場にあたって、すべてのお客様は日時指定券の予約が必要です。詳細は展覧会公式サイトでご確認ください。
主催 東京国立博物館、文化財活用センター、ソニー・ミュージックエンタテインメント、文化庁、日本芸術文化振興会
展覧会公式サイト https://nogizaka-fourseasons.jp

 

記事提供:ココシル上野


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