東京国立博物館
※本記事は2022年10月22日に作成されたものです。紹介した展示作品の中にはすでに展示期間を終了しているものもありますのでご注意ください。(2022年12月1日)
2022年10月18日〜12月11日の期間、東京国立博物館(以下、東博)では特別展「国宝 東京国立博物館のすべて」が開催されています。
創立150周年というメモリアルイヤーを記念した本展では、東博が所蔵する国宝89件すべてに加え、重要文化財も多数出品! 美術ファンでなくても見逃せない内容になっています。
開催に先立って行われた報道内覧会に参加してきましたので、その豪華すぎる会場の様子を詳細レポートします。
*本展は事前予約制(日時指定)です。
*会期中展示替えがあります。
*特別な記載のない作品はすべて東京国立博物館所蔵です。
この先50年は実現困難!?驚異の展覧会の幕開け
特別展「国宝 東京国立博物館のすべて」は、150年という日本で最も長い歴史をもつ博物館・東博の全貌を紹介するべく、約12万件という膨大な所蔵品の頂点ともいえる国宝89件すべてを含む名品と、明治時代から続く150年の歩みを物語る関連資料を展示する展覧会です。
東博の国宝コレクションは日本最大で、89件というのは現在国宝に指定されている美術工芸品の約1割に当たります。その数だけ見ても、本展がどれだけスペシャル仕様なのかがお分かりいただけるはず。
もちろんこのような展覧会は前代未聞、史上初!
今年5月に行われた報道発表会では、東博の研究員の方々ですら、国宝89件すべてを勢ぞろいさせた光景は今まで見たことがないと語っていました。
数年前からの細かな展示計画の調整が非常に大変だったそうで、「次の開催は200周年のとき、50年後かもしれません」とのお話でした。一生に一度のチャンスの可能性もあるので、気になっている方は意地でもスケジュールを調整してほしいところ。
長谷川等伯、雪舟、本阿弥光悦…美の神髄は今、東博で出会える
本展は「第1部 東京国立博物館の国宝」、「第2部 東京国立博物館の150年の歩み」の2部構成となっています。
「第1部 東京国立博物館の国宝」は、見渡す限り国宝のみがシンプルに展示されているエリア。国宝89件の内訳は、絵画21件、書跡14件、東洋絵画4件、東洋書跡10件、法隆寺献納宝物11件、考古6件、漆工4件、刀剣19件です。
*展示替えを含めての「すべて公開」ですので、一度訪れるだけでは国宝全件を鑑賞できない点はご注意ください。(どのタイミングでも、1回の観覧で鑑賞できる国宝は60件前後になるようです)
また、展覧会公式サイトでは全件の展示スケジュールが公開されています。
会場に入ると、まずは挨拶代わりに安土桃山時代に活躍した絵師・長谷川等伯の代表作《松林図屛風》が登場。
「東博といえばこれ」と感じる国宝のひとつですが、その高潔な佇まいに、見るたび息を飲みます。松林を取り巻く清涼な大気の湿度すら感じられる画面、墨一色でここまで描けてしまうものなのかと。松は幻のように幽玄な雰囲気をまとっているのに、近づいて見れば筆致が驚くほど激しいことに圧倒されます。
日本水墨画の最高峰と言われていますが、「実は下絵だったのでは疑惑」があるのが面白いポイント。
平安時代を代表する仏画《孔雀明王像》はシンメトリーな構図が美しく、赤、金、緑、藍など彩色も華麗で目を引きました。
肌は淡く赤がにじみ、輪郭線も桃色でふっくらと柔らかい印象を受けます。明王は怒った顔がデフォルトですが、孔雀明王は例外で、こちらの孔雀明王も菩薩のように柔和で慈愛溢れる表情を浮かべています。向かい合うとどんどん心が穏やかに……。
さらによく目を凝らすと、衣服やアクセサリー、孔雀の羽などに見られる金箔や金泥を用いた截金文様のすばらしいこと! 経年で褪せているので気づきにくいですが、特に下半身の衣服の職人芸は必見。当時はどれだけ煌びやかに輝いていたのでしょうか。
人々の災いを取り除くとされる孔雀明王ですが、手に持つ吉祥果が子孫繁栄の象徴とも見なされる柘榴であることから、高位の貴族が安産祈願のために描かせたものでは、と考えられているとか。
鎌倉時代に描かれた合戦絵巻の傑作《平治物語絵巻 六波羅行幸巻》も要注目。
平治の乱を題材に、幽閉された二条天皇が女房姿で脱出を図り、平清盛の六波羅邸に逃れる前後の様子が描かれています。武士たちの甲冑や刀剣のリアルな描写を楽しめる作品ですが、全長が約9m50cmもあるため、スペースの関係で普段の展覧会ではなかなかすべてを広げることは少ないそう。
しかし、そこはさすが国宝展! 全場面を漏れなく鑑賞できるように展示してくださっていました。ただし、公開は10月30日まで。2週間限定展示なので注意です。
書跡では、聖武天皇が書いたと伝わる、墨をたっぷり含んだ堂々たる大字が魅力であり、かつては手鑑の冒頭を飾る名筆として珍重されたという《賢愚経残巻(大聖武)》(奈良時代、8世紀、展示期間 : 10/18~11/13)や、三蹟の一人であり、紫式部が『源氏物語』の中で「今めかしうをかしげに目もかがやくまでみゆ(=今風で美しい書はまばゆいほどに見える)」と絶賛した能書家・小野道風による《円珍贈法印大和尚位並智証大師諡号勅書》などが鑑賞できます。
原装幀のまま『古今和歌集』を完存する現存最古の遺品である《古今和歌集(元永本)》は、文字だけでなく菱唐草文や孔雀唐草文などが雲母摺りされた、平安貴族たちの美意識を感じる豪華な料紙も見どころ。
ほとんど仮名で構成された書であり、料紙に合わせた軽快な筆づかいからは、口に出して読んだときの和歌のリズムも伝わってくるようでした。
便宜上、数の多い絵画と書跡の作品のいくつかをご紹介してみましたが、正直いって見どころしかありません!
《江田船山古墳出土品》など、一部作品については「こんな国宝もあったんだ」と知る機会になりましたが、基本的に古いものでは紀元前から19世紀の江戸時代まで、教科書でおなじみの作品が息つく間もなく登場します。作品のキャプションに「現存最古の~」や「最高峰の~」といったただならぬ形容詞が当たり前のように並んでいるのが恐ろしいところ。
国宝群のオーラに脳を焼かれますので、鑑賞の際にはぜひ体調をしっかり整えて、滞在時間を十分に確保して休み休み臨まれるのをおすすめします。
ちなみに、写真のようにかなり広めに展示スペースが取られていて、椅子も多く設置されていたので、自分のペースで回ることができそうです。
会期が進むと、狩野永徳筆《檜図屛風》(展示期間:11/1〜11/27)、岩佐又兵衛筆《洛中洛外図屛風(舟木本)》(展示期間:11/15~12/11)、尾形光琳作《八橋蒔絵螺鈿硯箱》(展示期間 : 11/15~12/11)などが登場予定。
三日月宗近の“三日月”も堪能できる!「国宝刀剣の間」
開幕前からSNSなどで話題になっていましたが、第1部の後半には19件の国宝刀剣のみを集めた「国宝刀剣の間」が出現。
刃文や地金をより美しく鑑賞してほしいと、展示ケースや照明には非常にこだわったというお話。たしかに、空間全体が暗いため、作品のライティングが非常に映えます。
厳かな雰囲気の中でぼうっと浮かび上がる刀剣。きらめく切っ先の艶やかな美しさには、思わず感嘆の吐息がこぼれました。
人気ゲーム『刀剣乱舞-ONLINE-』でキャラクターのモチーフになった三日月宗近、大包平、大般若長光、小龍景光、厚藤四郎、亀甲貞宗の姿も発見!
ファンにはたまらない空間ではないでしょうか。
注目を集めていたのは「国宝刀剣の間」の中央に展示されていた、優美な太刀姿の三日月宗近。京都・三条で平安時代後期に活躍した、日本刀成立初期の名工と名高い宗近の代表作であり、数ある日本刀の中でも名刀中の名刀とされる「天下五剣」の一つに数えられています。
刃文に「打ちのけ」と呼ばれる、小さなキズのようなものが連なっているのが見えました。これが三日月のようだ、美しい、珍しいということで「三日月」の号がついたとか。
筆者はこれが三日月宗近との初対面。名前の由来は知っていたものの、誰が見ても三日月とわかる大きな模様がひとつ刻まれているのだと勝手に思い込んでいたので、実際は小さく点々と打ちのけが入っていたことに驚きました。
正直、「三日月に見え……見えるか……?」という第一印象でしたが、当時の人々がこれを見て三日月を連想した、その風流で豊かな感性が胸に響きます。
事前の報道発表会で、「三日月宗近と同じく日本刀成立初期の名刀として有名な童子切安綱は、実は刃の寸法がまったく同じ。どちらも刃の長さが80cm、反りが2.7cm」というお話を聞いていたので、「そんな偶然があるんだ!」と実際に見比べてみることに。
外見の印象はかなり異なっていて、三日月宗近は切っ先に向けて細くなっていく、優美という言葉がぴったりの細身の刀。一方で童子切安綱は、全体的にどっしりと、どことなく野性味のある力強い太刀姿です。また、三日月宗近は持ち手の茎(なかご)の部分と刃の境でグッと角度がついているというか、強く沿っていますが、童子切安綱は茎と刃でなめらかにカーブを描いているように見えました。
この違いは、京の都を拠点とした宗近に対し、伯耆の国(現在の鳥取県)を拠点とした安綱という作者の居住地の地域文化が、刀の姿に反映されているのではないか、ということでした。同じ国宝、同じ時代、同じ寸法の刀剣の、まったく異なる美しさを堪能する。この贅沢な楽しみ方ができるのも本展ならではでしょう。
出展作品の中でも刀剣は特に、光を刀身に滑らせることで初めて見えるものがあるというか、写真では伝わらない美しさの比率が大きいと感じます。こだわりが詰まった最高の展示空間でその魅力を堪能できますので、刀剣ファン以外の方にも心からおすすめ!
なお、刀剣に関しては19件すべてが通期で公開されています。
キリンの剥製も約100年ぶりに里帰り!東博150年の歩みを振り返る
東博は明治5年(1872)に旧湯島聖堂の大成殿で開催された「湯島聖堂博覧会」をきっかけに誕生した「文部省博物館」がルーツ。日本の近代化を図るとともに、日本文化の国内外への発信、文化財の保護を目的に、当初は博物館のほか、植物園、動物園、図書館の機能を併せもつ総合博物館を目指していたそうです。
明治15年(1882年)、上野に拠点を移して活動を本格化。明治19年(1886)に博物館は宮内省所管となり、明治22年(1889)に「帝国博物館」、明治33年(1900)に「東京帝室博物館」と改称されます。この頃は国家の文化的象徴、さらには皇室の宝物を守る美の殿堂と位置付けられ、だんだんと歴史・美術の博物館としての性格を強めていきました。
昭和13年(1938)に現在の本館が開館し、終戦後に所管は宮内省から再び文部省へ。昭和27年(1952)に名称が現在の「東京国立博物館」となり、東洋館、資料館、法隆寺宝物館などを新しい施設を充実させながら今日に至ります。
国宝展、続く「第2部 東京国立博物館の150年」では、そんな東博の150年の歴史を物語る収蔵品や関連資料を3期に分けて展示。明治からの歩みを追体験できます。
「第1章 博物館の誕生(1872-1885)」では、初期の東博コレクションを中心に、東博誕生のきっかけとなった湯島聖堂博覧会で展示された作品なども紹介。博覧会の雰囲気を再現するため、当時最も人気を集めたという名古屋城の金鯱の実物大レプリカが置かれています。
一部の展示ケースも、100年以上前に実際に使用されていたものを修理して活用したとのことなので、ぜひ注目してみてください。レトロな雰囲気がたまりません。
明治期の日本の工芸技術の高さを世界に知らしめた《褐釉蟹貼付台付鉢》と《鷲置物》には、令和に生きる筆者も目を見張りました。
輸出陶磁器の先駆者だった初代宮川香山による《褐釉蟹貼付台付鉢》は、明治14年(1881)に上野公園で開催され、約4ヶ月で80万人以上を動員したという第二回内国勧業博覧会の出品作。今にも動き出さんばかりのリアリティがある蟹が器の縁に爪をひっかけているというダイナミックな構図の作品です。
一方の《鷲置物》は、明治時代を代表する蠟型鋳造の達人・鈴木長吉の代表作。明治26年(1893)に米国で開催されたシカゴ万国博覧会に出品された後に東博に収蔵されました。遠目には剥製と見紛うばかりに生き生きとしていて、今にも獲物を狙って飛びだしそうな躍動感がお見事。
また、東博誕生の関連資料として《砲弾(四斤山砲)》の展示も。
明治元年(1868)に起こった上野戦争の際、寛永寺に立てこもった彰義隊ら旧幕府軍に対して明治新政府軍が撃ち込んだとされる砲弾の実物です。現在は東博の北側に隣接する寛永寺ですが、実は江戸時代には上野公園の土地は寛永寺の境内でした。
彰義隊をかくまったと見なされた寛永寺は、一度すべての境内地を没収されます。その後紆余曲折あり、土地の大部分が上野公園へと姿を変え、近代化をアピールするため博物館を立てたり、博覧会を開催したりするようになりました。上野戦争で焼け野原になり、街づくりをするのにちょうどいい土地だったからこそ、今日の上野公園、引いては東博があるのだと思うと……。悲しい出来事ではありますが、上野戦争も東博誕生のきっかけのひとつと言えるのかもしれません。
「第2章 皇室と博物館(1886-1946)」では、宮内省所管時代の東博にフィーチャー。皇室とのゆかりを示す作品も紹介しています。
皇室関係では、巨大な《鳳輦》(ほうれん)と呼ばれる乗り物がひときわ高貴なオーラを出していました。鳳輦は天皇が行幸の際に使用されるもので、こちらの鳳輦は実際に孝明天皇や明治天皇がお乗りになったとか。
明治23年(1890)に、優れた美術家の保護奨励制度として皇室により創設された「帝室技能員制度」というものがあり、帝室技能員たちの優品は宮内省所管時代の東博に多く収蔵されたといいます。
《瓶花》は、洋画家とした初めて帝室技能員に任命された明治洋画壇の重鎮・黒田清輝の作品です。画面右下には「黒田清輝謹写」と署名があり、これは黒田の作品には珍しいことなのだとか。帝室への献品という特別な来歴をうかがわせるものです。
また、総合博物館を目指していたころの東博の名残を感じるキリンの剥製標本も登場!
動植物や鉱物の標本などの天産(自然史)資料は関東大震災後、東京博物館(現在の国立科学博物館)に譲渡されましたが、こちらの剥製は本展のために、約100年ぶりに里帰りする形になりました。
彼は明治40年(1907)にドイツから生きたまま日本へやってきた初めてのキリン2頭のうちの1頭で、名前は「ファンジ」。当時東博の一部だった上野動物園で飼育され、多くの人々から人気を集めたそうです。
「第3章 新たな博物館へ(1947-2022)」では、終戦後、国民のための開かれた博物館としての東博が、時代の変化や社会の変化に応じて今日まで取り組んできた活動とこれからの展望を、代表的な戦後コレクションとともに紹介しています。
重要文化財である尾形光琳の《風神雷神図屏風》や「土偶といえばこれ」な方も多いだろう《遮光器土偶》など、国宝エリアに負けず劣らず、こちらにも有名作品が多数展示されていました。
令和の最新コレクションとして、今年2月に東京国立博物館の所蔵品となった《金剛力士立像》の姿も。
この2体はかつて滋賀県・蓮台寺の仁王門に安置されていましたが、昭和9年(1934)の室戸台風で大破してしまったのだとか。長らく壊れたままでしたが、約2年間かけて修理されかつての姿を取り戻し、本展で初お披露目となりました。
数少ない平安時代末期の金剛力士立像で、大きさは2m80cmほどあり、東博の所蔵する仏像の中でも最大のもの。たくましい肉体や怒りの表情を360度からじっくり観賞できます。
また、本作は文化財の収集・保管と保存・修復といった東博の基本的な活動を紹介するものでもあり、会場では修理の様子が映像で紹介されていました。
出口では菱川師宣の《見返り美人図》が来場者を見送ってくれます。それとも、名残惜しさに思わず会場を振り返る来場者の気持ちを表しているのでしょうか。
ちなみに、《金剛力士立像》と後述の《見返り美人図》のみ写真撮影OKとなっていました。
「ツタンカーメン展」(1965年)、「モナ・リザ展」(1974年)など、東博では150年の歴史の中で人々に語り継がれる展覧会がいくつか開催されてきましたが、本展「国宝 東京国立博物館のすべて」も、きっとその中の一つとなることでしょう。
東京国立博物館創立150年記念 特別展「国宝 東京国立博物館のすべて」開催概要
※本展は事前予約制(日時指定)です。詳しくは展覧会公式サイトでご確認ください。
※会期中、一部作品の展示替えが行われます。
会期 | 2022年10月18日(火)~12月11日(日) |
会場 | 東京国立博物館 平成館 |
開館時間 | 午前9時30分~午後5時 ※金曜・土曜日は午後8時まで開館(総合文化展は午後5時閉館) |
休館日 | 月曜日 |
観覧料(税込) | 一般 2,000円、大学生 1,200円、高校生 900円
※本展は事前予約制(日時指定)です。 |
主催 | 東京国立博物館、毎日新聞社、NHK、NHKプロモーション、独立行政法人日本芸術文化振興会、文化庁 |
お問い合わせ | 050-5541-8600(ハローダイヤル) |
展覧会公式サイト | https://tohaku150th.jp/ |
※記事の内容は取材時点のものです。最新の情報は公式サイト等でご確認ください。
記事提供:ココシル上野