【取材レポ】「憧憬の地 ブルターニュ」展が国立西洋美術館で開催。モネやゴーガンはフランスの内なる”異郷”で何を得たのか

国立西洋美術館

19世紀後半から20世紀にかけ、各国の画家たちが訪れ制作に取り組んだフランス北西部のブルターニュ地方。古来より特異な歴史文化を紡いできたこの地を題材にした作品を集めた展覧会「憧憬の地 ブルターニュ ─モネ、ゴーガン、黒田清輝らが見た異郷」が東京・上野の国立西洋美術館で開催中です。
会期は2023年3月18日(土)~ 6月11日(日)まで。

報道内覧会に参加してきましたので、会場の様子をレポートします。

※記事の内容は取材日(2023/3/17)時点のものです。最新の情報は公式サイト等でご確認ください。

会場入口
展示風景
展示風景
展示風景、ポール・ゴーガン《ブルターニュの農婦たち》1894年、油彩/カンヴァス、オルセー美術館(パリ)
展示風景、リュシアン・シモン《曲馬場》1917年頃、油彩/カンヴァス、大原美術館
久米桂一郎《晩秋》1892年、油彩/カンヴァス、久米美術館

世界中の芸術家が憧れたフランスの内なる異郷「ブルターニュ」とは?

変化に富んだ雄大な自然、古代の巨石遺構や中近世のキリスト教モニュメント、ケルト系言語である「ブルトン語」を話す人々の素朴で信心深い生活様式。フランス北西部、大西洋に突き出た半島を核とするブルターニュ地方は、16世紀までブルターニュ王国として独立していました。

フランスに併合されたあとも独自の景観や文化を保った、フランスの内なる「異郷」。19世紀にロマン主義の時代を迎えると、新たな画題を求める多くの芸術家たちがブルターニュを目指しました。

本展「憧憬の地 ブルターニュ ─モネ、ゴーガン、黒田清輝らが見た異郷」では、画家たちを惹きつけた19世紀後半から20世紀初めに着目し、ブルターニュをモチーフにした絵画や素描、版画、ポスターなど約160点を展示。それぞれの画家たちがこの異郷に何を求め、見出したのかを探っています。展示作品は国内の 30カ所を超える所蔵先と海外2館から集められたもの。

第1章「見出されたブルターニュ:異郷への旅」

展示は全4章構成です。

第1章「見出されたブルターニュ:異郷への旅」では、19世紀初頭にロマン主義の画家たちがブルターニュを”発見”して以降、画家たちがブルターニュについてどのようなイメージを広めていったのか、イギリスの風景画家ウィリアム・ターナーの水彩画をはじめとした「ピクチャレスク・ツアー(絵になる風景を地方に探す旅)」の流行を背景に生まれた作品から紹介しています。

ウィリアム・ターナー《ナント》1829年、水彩、ブルターニュ大公城・ナント歴史博物館
アルフォンス・ミュシャ 左:《岸壁のエリカの花》 右:《砂丘のあざみ》、1902年、カラー・リトグラフ、OGATAコレクション
右はジョルジュ・ムニエ 鉄道ポスター:《ポン=タヴェン、満潮時の川》 1914年、カラー・リトグラフ、大阪中之島美術館(サントリーポスターコレクション)

コワフ(頭飾り)をかぶり民族衣装を着た女性像に代表される、ブルターニュのエキゾチックなイメージの理想化・定型化が大衆向けのポスターなどで横溢した一方で、ウジェーヌ・ブーダンやクロード・モネといった旅する印象派世代の画家たちの作品からは、ブルターニュのありのままの自然に真摯な態度で向き合っていたことがわかります。

ウジェーヌ・ブーダン《ダウラスの海岸と船》1870-73年 油彩/カンヴァス、ポーラ美術館

注目はモネの《ポール=ドモワの洞窟》(1886)と《嵐のベリール》(1886)。

1886年秋、ブルターニュ半島南岸の沖に浮かぶ、野趣あふれる風景で知られるベリール島で2か月半を過ごしたモネは、異なる時間や天候下での海岸の眺めを40枚近いキャンバスで捉えていて、これはそのうちの2作です。

クロード・モネ《ポール=ドモワの洞窟》1886年、油彩/カンヴァス、茨城県近代美術館
クロード・モネ《嵐のベリール》1886年、油彩/カンヴァス、オルセー美術館(パリ)

描かれているのは、穏やかな海と嵐の海という対称的な風景。《ポール=ドモワの洞窟》はタッチが穏やかで比較的リズミカルになっていますが、《嵐のベリール》はまるで嵐の中、自らの身体感覚が乗り移ったかのように、荒々しく筆が載せられているなど、モネの体験が絵に刻み付けられているかのよう。

モネは1890年代から、刻々と変化する光や大気の一瞬をキャンバスで捉えようと連作を発表し始めましたが、ベリール島での千変万化する天候の断崖を相手にした経験が、絵画連作の思索を深めるきっかけになったのではないか、と考えられているとのこと。

第2章「風土にはぐくまれる感性:ゴーガン、ポン=タヴェン派と土地の精神」

第2章「風土にはぐくまれる感性:ゴーガン、ポン=タヴェン派と土地の精神」では、ポール・ゴーガンをはじめとする、ブルターニュ地方南西部の小村ポン=タヴェンに逗留した画家たちの作品を展示。

第2章展示風景、ゴーガンの作品がズラリと並んでいます。

ゴーガンは、パリでの生活苦から逃れるように1886 年から1894 年までブルターニュ滞在を繰り返し、土地の風土や風習、人々の厚いキリスト教信仰や純朴な精神との交感のうちに、自身が芸術に求める「野性的なもの、原始的なもの」の思索を深めていったそう。

ポール・ゴーガン《ボア・ダムールの水車小屋の水浴》1886年、油彩/カンヴァス、ひろしま美術館

ゴーガンの展示作品は12 点(絵画10 点、版画2 点)あり、本展の見どころの一つになっています。年代順に並べられていて、カミーユ・ピサロ風の印象派様式を留める《ボア・ダムールの水車小屋の水浴》(1886)から、単純化したフォルムと色彩を用いて現実世界と内面的なイメージとを画面上で統合させる綜合主義様式が成熟した様子がうかがえる《海辺に立つブルターニュの少女たち》(1889)など、作風の変遷をたどっていけました。

ポール・ゴーガン《海辺に立つブルターニュの少女たち》1889年、油彩/カンヴァス、国立西洋美術館(松方コレクション)

《海辺に立つブルターニュの少女たち》は、手を握り合い、画家を見極めるかのように視線を投げる2人の少女を描いた作品。ゴーガン自身がこの地に見出そうとしていた「野性的なもの、原始的なもの」が、非常にたくましく大きな足や、質素な身なりなど、労働と貧しさに忍従する農民の子どもたちの姿に仮託する形で象徴的に表されています。

第3章「土地に根を下ろす:ブルターニュを見つめ続けた画家たち」

第3章「土地に根を下ろす:ブルターニュを見つめ続けた画家たち」では、19世紀末から20世紀初頭にかけて観光地化・保養地化が進んだブルターニュで、ついに別荘を構えるまでに至り、第二の故郷とした画家に注目。

アンリ・リヴィエール 連作「時の仙境」より:《満月》 1901年、カラー・リトグラフ、新潟県立近代美術館・万代島美術館  ※展示は5/7(日)まで
アンリ・リヴィエール 連作「ブルターニュの風景」より:《ロネイ湾(ロギヴィ)》 1891年、多色木版、国立西洋美術館

浮世絵版画にインスピレーションを得て、世紀末のジャポニズムをけん引したアンリ・リヴィエールは、独学で多色刷り木版画の制作に取り組みました。ブルターニュの牧歌的な情景に、リヴィエールが親しんだもう一つの“異郷”である日本のイメージを投影したのでしょうか。彼はブルターニュを和訳し、まるで日本であるかのように描いているのが面白い点。

1890年から1894年にかけて手掛けた木版40枚からなる集大成的な連作「ブルターニュの風景」は、繊細な色の諧調が目を惹きつけるばかりでなく、北斎を想起させる構図が日本人の筆者にとってはどこか親しみを覚えるものでした。

モーリス・ドニ《若い母》1919年、油彩/カンヴァス、国立西洋美術館(松方コレクション)
モーリス・ドニ《花飾りの船》1921年、油彩/カンヴァス、愛知県美術館
モーリス・ドニ《水浴》1920年、油彩/カンヴァス、国立西洋美術館(松方コレクション)

ナビ派を結成したモーリス・ドニは宗教芸術の振興に力を入れていた画家であり、敬虔なキリスト教徒であったことから、厚い信仰に根差すブルターニュの精神風土に共鳴していたといいます。展示でも《若い母》(1919)をはじめ、ブルターニュで過ごす家族の表象をキリスト教の図像伝統に則り描いている作品が目をひきました。

また、ブルターニュの海岸に古代ギリシャの海を投影した《水浴》(1920)など、現実と虚構が重なる地上の楽園のイメージからは、1895年以降、旅重なるイタリア旅行を経て傾倒した古典主義の影響を感じられます。

シャルル・コッテ《悲嘆、海の犠牲者》1908-09年、油彩/カンヴァス、国立西洋美術館(松方コレクション)

ドニの明るく幸福感にあふれた風景から一転、次の展示では、レアリスムの系譜のなかでブルターニュの自然や風俗を描いた一派「バンド・ノワール(黒の一団)」による、黒を多用する重々しい色調の作品が続きます。

なかでもシャルル・コッテによる横幅約3.5mの大作《悲嘆、海の犠牲者》(1908-09)は圧巻でした。海の悲劇や自然の厳しさに忍従する人々を主題とする作品を多く手掛けたコッテの代表作。海難事故の絶えないブルターニュのサン島の波止場で、溺死した漁師を島民が弔う姿を伝統的なキリスト哀悼図に重ねて描いています。

シャルル・コッテ 左:《聖ヨハネの祭火》1900年頃、油彩/カンヴァス、大原美術館

コッテの作品ではほかにも、死者に祈りをささげる情景を描いた《聖ヨハネの祭火》(c.1900)が印象的でした。バロック絵画を彷彿とさせる明暗表現が美しく、焚火に照らされて浮かび上がる人々の表情が厳かでありつつ、少しゾッとするような雰囲気があります。

第4章「日本発、パリ経由、ブルターニュ行:日本出身画家たちのまなざし」

最後のセクションである第4章「日本発、パリ経由、ブルターニュ行:日本出身画家たちのまなざし」では、19世紀末から20世紀のはじめ(明治後期から大正期にかけて)、芸術先進都市パリに留学し、ブルターニュという“異邦の中の異郷”にも足を運び画題とした日本人画家たちに焦点を当てています。

久米桂一郎 《林檎拾い》1892年、油彩/カンヴァス、久米美術館
黒田清輝《ブレハの少女》1891年、油彩/カンヴァス、石橋財団アーティゾン美術館

日本近代洋画界の重鎮・黒田清輝はブルターニュを訪れた最初期の日本人画家で、東京美術学校教授となる以前、1891年に久米桂一郎とともにブレア島に渡っています。黒田の《ブレハの少女》(1891)は、ブルターニュの少女像としては珍しく髪を下した姿で描かれています。レンブラント風の室内の明暗対比や鮮やかな色彩対比が目をひく、黒田らしい穏やかな画風とは一線を画す荒々しさが魅力的な一作でした。

金山平三《林檎の下(ブルターニュ)》1915年、油彩/カンヴァス、兵庫県立美術館
森田恒友《イル・ブレア》1915年、油彩/カンヴァス、埼玉県立近代美術館
山本鼎《ブルトンヌ》1920年、多色木版、東京国立近代美術館  ※展示は5/7(日)まで

創作版画の普及に貢献した山本鼎もブルターニュに足を運んだ一人。日本人画家がブルターニュに取材したイメージとしてよく知られている《ブルトンヌ》(1920)は、滞在時のスケッチをもとに、帰国後完成させた木版画です。スケッチにあった背景を単純した地平線を強調した画面構成や,落ち着いた青と黒でまとめられた色調が、アイコニックに描かれたブルターニュの女性の静謐な雰囲気を醸し出しています。

岡鹿之助《信号台》1926年、油彩/カンヴァス、目黒区美術館

会場にはガイドブックやトランクなどの関連資料も展示されていて、それら資料や作品をとおしてブルターニュを旅するような気分になったことも楽しいポイントでした。

西洋東洋問わずさまざまな画家たちがブルターニュというひとつの大きな主題で制作に取り組んでいますが、異郷に何を見たのか、どのようなアプローチを行ったのかはまったく異なっていました。ブルターニュの風景の美しさを見つめ楽園を幻視した画家、貧しさや海難事故など厳しい現実を作品に昇華した画家。それぞれの個性にあらためて光を当てる意欲的な展覧会でした。

開催は2023年6月11日(日)まで。

「憧憬の地 ブルターニュ ―モネ、ゴーガン、黒田清輝らが見た異郷」概要

会期 2023年3月18日(土)― 6月11日(日)
会場 国立西洋美術館
開館時間 9:30~17:30(毎週金・土曜日は20:00まで)
※5月1日(月)、2日(火)、3日(水・祝)、4日(木・祝)は20:00まで開館
※入館は閉館の30分前まで
休館日 月曜日
※5月1日(月)を除く
観覧料 一般 2,100円、大学生 1,500円、高校生 1,100円

※中学生以下、心身に障害のある方及び付添者1名は無料。チケット購入・日時指定予約は不要です。
※大学生、高校生、中学生以下、各種お手帳をお持ちの方は、入館の際に学生証または年齢の確認できるもの、障害者手帳をご提示ください。

その他、詳細は公式ページでご確認ください。

主催 国立西洋美術館、TBS、読売新聞社
後援 在日フランス大使館/アンスティチュ・フランセ日本、TBSラジオ
問い合わせ 050-5541-8600(ハローダイヤル)
公式サイト https://bretagne2023.jp/

 

記事提供:ココシル上野


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【東京藝術大学大学美術館】「買上展 -藝大コレクション展2023-」会場レポート。明治~令和まで、藝大の歴史に刻まれた優秀作品が一堂に

東京藝術大学大学美術館

東京藝術大学が卒業・修了制作の中から買い上げた優秀作品を厳選して紹介する「買上展 -藝大コレクション展2023-」が、東京藝術大学大学美術館で2023年3月31日から開催中です。(会期は5月7日まで)

※紹介する作品はすべて東京藝術大学所蔵です。

展示風景
展示風景
展示風景、荒川由美《ひろがる》2016(平成28)年//乾漆

東京藝術大学(以下、藝大)は、前身である東京美術学校が1889年(明治22年)に開校してから現在まで、多岐にわたる美術作品や資料の収集を行ってきました。その膨大なコレクションを広く公開する機会として、大学美術館では毎年テーマを設けて「藝大コレクション展」を開催しています。

2023年の「藝大コレクション展」は、戦後1953年(昭和28年)より始まった、藝大が卒業・修了制作の中から各科ごとに特に優秀な作品を選定し、大学が買い上げる“買上制度”に光を当てています。

東京美術学校時代にも卒業制作を買い上げて収蔵し、教育資料とする伝統は存在していたそうで、現在、藝大が所蔵する「学生制作品」は1万件を超えるとか。

本展「買上展」は、その中から約100件という過去類を見ない件数を蔵出しし、藝大の歴史とともに日本の近現代美術史が生まれてきた場を振り返るもの。明治の大スターの日本画から、令和の気鋭アーティストによるミクストメディアのインスタレーションまでがつながる異色の展覧会です。

第1部 展示風景

展示は2部構成。

第1部「巨匠たちの学生制作」では、明治から昭和前期までの東京美術学校卒業制作に注目。卒業後に美術界の各分野で主導的な役割を果たした作家たちを選りすぐり、彼らのデビュー作とでもいうべき卒業制作品や、慣習的に卒業制作と同時に取り組まれていた「自画像」を展示しています。

横山大観《村童観猿翁》1893(明治26)年//絹本着色
下村観山《熊野御前花見》1894(明治27)年//絹本着色

会場に入ると、さっそく東京美術学校第1期生である横山大観の《村童観猿翁》(1893)や下村観山の《熊野御前花見》(1894)、第3期生である近代陶芸の開拓者・板谷波山の《元禄美人像》(1984)など、そうそうたる顔ぶれがお出迎え。

板谷波山《元禄美人像》1894(明治27)年//木

板谷波山は陶芸家として大成しましたが、本格的に陶芸に取り組むようになったのは20代半ばごろ。在学中は近代彫刻における写実主義を掲げた高村光雲から彫刻の技を学び、《元禄美人像》ではその技量がいかんなく発揮されています。小袖の花唐草文が浮彫で表現されていて、これは後の波山の陶芸作品にも通じるところがあるなど、すでに大家の片鱗がうかがえます。ある意味で陶芸家・波山の原点の一つといえるでしょう。

菱田春草《寡婦と孤児》1895(明治28)年//絹本着色

筆者が注目したのは、数々の傑作を生みだしながらも36歳という若さで生涯を閉じた天才画家・菱田春草の《寡婦と孤児》(1895)。夫を戦で亡くした女性の表情は悲壮感に満ち、この先に待ち受ける運命を予感させます。

東京美術学校開設当時は、新しい日本画を模索するうえでの課題として、歴史上の出来事やそれを描いた物語を主題にした歴史画が位置付けられていたそう。本作も軍記物『太平記』をもとに描かれたとされていますが、勇壮な戦絵巻ではなくあえて戦に巻き込まれた者の悲劇を題材に選んだことは、日清戦争の最中にあった当時の制作背景が無関係ではないでしょう。

実は、本作はある教授に「化け物絵」だと酷評されたものの、校長であった岡倉天心の采配で主席となり、買上されたという曰く付きの作品。その作品をいま描くことに、どんな意味があるのか、どんな意味をもたせるのかを重視した、東京美術学校の教育方針や理念が垣間見えるエピソードです。

高村光太郎《獅子吼》1902(明治35)年//ブロンズ
左、赤松麟作《夜汽車》1901(明治34)年、キャンバス/油彩 右、小林万吾《農夫晩帰》1898(明治31)年//キャンバス、油彩
金観鎬《夕ぐれ》1916(大正5)年//キャンバス、油彩
上、萬鉄五郎《自画像》1912(明治45)年//キャンバス、油彩 下、李叔同《自画像》1911(明治44)年//キャンバス、油彩

1896年開設の西洋画科で教授を務めた黒田清輝の指導で生まれた「卒業時に自画像を学校に収める」という慣習は、今日の藝大まで断続的に続く伝統となっています。意外にも卒業制作が買上にならなかった萬鉄五郎、青木繁、藤田嗣治といった、卒業後に才能を開花した巨匠たちの学習成果についても自画像で確認することができました。

過去を発掘できる、この世界的にみてもほとんど類例のない伝統が、いまや日本の近現代美術史を通覧するうえで非常に役立つ一大コレクションを形成しているのだなと考えると、あらためて黒田清輝の功績の大きさを感じざるを得ません。

第2部 展示風景

さて、今年で創設70年を迎える藝大の買上制度ですが、現在では多くの科で首席卒業と位置付られているといいます。

第2部「各科が選ぶ買上作品」では、買上制度のある全12科(日本画、油画、彫刻、工芸、デザイン、建築、先端芸術表現、美術教育、文化財保存学、グローバルアートプラクティス、作曲、メディア映像)からそれぞれ数件ずつ、全52件の買上作品について選定意図などを添えて紹介。各科が特に優秀と認めてきた作品の傾向を浮かび上がらせています。

「油画専攻」展示風景
「日本画専攻」展示風景
「彫刻科」展示風景、山口信子《習作》1952(昭和27)年//石膏

各科ごとの展示を見ていると、「日本画専攻」はその時代の空気感や特徴をとくに表す作品をピックアップしていますが、「彫刻科」は買上作品に選ばれた女性作家を時代が古い順に5名選ぶという思い切った選定方法を取っていました。作品の選定や解説は各科の教授が独自の観点で行っているため、個性がでていて面白いです。

「デザイン科」展示風景、岩瀬夏緒里《婆ちゃの金魚》2011-2012(平成23-24)年//アニメーション
「建築科」展示風景、市川創太《なめらかな複眼(=super eye)表記方法による空間概念創出の試み》1995(平成7)年//木製パネル、トレーシングペーパー、ケント紙、インキングコピー、プロッタ出力、BJ出力、模型、テキスト
「美術教育研究室」展示風景、大小田万侑子《藍型染万の葉紋様灯籠絵巻》2018(平成30)年//藍、麻、綿、型染
「グローバルアートプラクティス専攻」展示風景、左がシクステ・パルク・カキンダ《Intimate Moments/Monologue》(一部)2019(令和元)年//映像、ドローイング、インスタレーション

2016年に新設された、藝大で最も新しい専攻である「グローバルアートプラクティス専攻」(GAP)の展示はとくに興味深かったです。文化の既存の枠を超えた領域横断的な現代アートの実践を探究しているGAPには、異なる言語、文化、ジェンダーを背景とする学生が世界中から集まり、中には藝大でありながらアートの分野以外からの入学者もいるとか。

GAPの買上作品からは、近年の藝大における研究領域や表現方法の多様化を感じることができました。たとえば、シクステ・パルク・カキンダによる《Intimate Moments/Monologue》(2019)ドローイングと映像によるインスタレーション作品が挙げられます。

作家のルーツであるコンゴ民主共和国の鉱山で採掘されたウランが米国に渡り、広島・長崎に投下された原子爆弾に使用されたという歴史的事実に向き合い、広島の被爆者へ丁寧なリサーチを実施。鉱山資源の採掘を巡る社会・経済的理由と、その使用による人類・自然への影響についての考察を促す内容の作品として仕上げています。

作家はコメントで、自身を日本とコンゴをつなぐ架け橋のように意識していたものの、広島で行ったドローイングパフォーマンスは日本人たちに気づかれず、「私は見えない橋だった」と失望をのぞかせました。日本人の人種的閉鎖性への気づきがあるという点でも、この作品がGAPの教育の成果として存在し、また買い上げられた意味は大きそうです。

「文化財保存学専攻」展示風景、山崎隆之《教王護国寺蔵重要文化財木造千手観音推定復元像》1967(昭和42)年//檜、漆箔、木彫
「作曲科」展示風景
「メディア映像専攻」展示風景、越田乃梨子《壁・部屋・箱─破れのなかのできごと》2008(平成20)年//映像

第2部の出展作品のうち、筆者がもっとも印象に残ったのは「工芸科」の丸山智巳《千一夜》(1992)でした。

「工芸科」展示風景、丸山智巳《千一夜》1992(平成4)年//銅、鍛金

彫金・鍛金・鋳金・漆芸・陶芸・染織・素材造形(木材・ガラス)の7分野からなる「工芸科」では、素材を通して高度な伝統技術の習得し、さらなる発展をなし得る能力を身に付けることが目指されています。

《千一夜》は山や森を吹き抜ける風を風神と捉え、人体をモチーフとして表現した優れた鍛金技法による作品。まるで水の中を泳いでいるようにも見える、張りのある伸びやかな身体の躍動感や、物語性を秘めた存在感に惹かれました。調べてみると、作家の丸山智巳は現在、藝大の工芸科で鍛金の教授を務めているそうで、近年でも本作と類似点の多い、ボクサーやレスラーをイメージしたたくましくも美しい人物像を制作しています。

解説によれば本作は「鍛金技法と溶接の融合により鍛金作品として表現の可能性を広げた」点が評価の大きな理由になったようです。アーティストとしても教育者としても鍛金作品の表現の可能性を広げ続けている氏の制作姿勢が、学生時代から一貫していたことが伝わる1作でした。

また、「先端芸術表現科」の岡ともみ《岡山市柳町1-8-19》(2017)の体験型インスタレーションも心に残るものでした。

「先端芸術表現科」展示風景、岡ともみ《岡山市柳町1-8-19》2017(平成29)年//ミクストメディア インスタレーション

1999年に新設された「先端芸術表現科」では、特定のメディアの枠組みを超えて多様な手法を用いて造形表現を追求。変化する情報や環境に対応する活動を目指すとともに、社会における芸術の可能性を探っています。

そんな「先端芸術表現科」で首席卒業が認められた岡ともみは、映像と空間設計により、個人の思い出や廃れている風習などをテーマにインスタレーション作品を制作している気鋭作家。《岡山市柳町1-8-19》は、岡山に実在する今は亡き祖母の家やそれにまつわる記憶をテーマにした部屋型インスタレーションです。

実在の家具や小物といったオブジェクトを散りばめた暗い部屋で、映像のプロジェクション、映り込み、照明、数枚のアクリル板を組み合わせることで、虚像と実像の間にレイヤーを重ね、作家の祖母に対する記憶のイメージを立ち上げています。そこには過去と現在、どちらともつかない時間軸の空間が存在していました。映像は約7分ですが、まるで1本の映画を見たような満足感。不気味に明滅する照明や妖しく浮かぶ祖母の写真など、やや演出に和風ホラーの趣きがあり、じっと見ているとまるで意識が異界に取り込まれていくような没入体験ができました。

本展に足を運んだ際はぜひ一度ご覧いただきたい作品です。


会場にはさまざまな時代・さまざまな表現方法のすばらしい作品が並んでいますが、いずれも制作された当時は、作者のほとんどが20代であったという事実は、よく考えるとなかなかすごいことのように感じられます。
のちに巨匠と呼ばれた人もいる一方で、卒業して創作から離れた人もいるかもしれません。それでもすべての作品が、この時点では何者でもなかった学生たちが美大の最高峰である藝大で学んだすべてを注ぎ込んだ集大成、情熱の塊であることは明らかです。

次に表に出てくるのが何年後になるかわからない作品も多いはず。ぜひこの貴重な機会に、藝大による教育の歩みを本展で振り返りながら、年月を経てもなお輝きを失わない作品のパワーを感じてみてはいかがでしょう。

 

「買上展 -藝大コレクション展2023-」開催概要

会期 2023年3月31日(金)~ 5月7日(日)
会場 東京藝術大学大学美術館 本館
開館時間 午前10時 ~午後5時(入館は午後4時30分まで)
休館日 月曜日(ただし、5月1日(月)は開館)
観覧料 一般 1200円、大学生 500円
※チケットは美術館チケット売り場および美術展ナビアプリにて販売中
※高校生以下及び18歳未満は無料
※障がい者手帳をお持ちの方(介護者1名を含む)は無料
主催 東京藝術大学、読売新聞社
問い合わせ 050-5541-8600(ハローダイヤル)
公式サイト https://museum.geidai.ac.jp/

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【上野の森美術館】台東区障害者作品展「森の中の展覧会」会場レポート。水彩画や切り絵など個性豊かな214作品がそろう

上野の森美術館

 

2023年3月8日~3月12日の期間、上野の森美術館では台東区障害者作品展「森の中の展覧会」が開催されました。

 

「森の中の展覧会」
会場風景
会場風景
会場風景
会場風景、吾妻 瑠華《黒猫ラム》(アクリル絵の具)
会場風景、濵田 理恵《蓮 池のつぼみ》(鉛筆、水彩絵の具)

台東区では、あらゆる人が文化・芸術を楽しめる機会をつくるとともに、文化・芸術活動への参画を支援し、障害への理解促進を図る「障害者アーツ」の取り組みを進めています。

「障害者アーツ」の一環で台東区と上野の森美術館が主催する「森の中の展覧会」は、今回で2回目の開催となりました。

同展開催のきっかけの一つは、台東区が障害者施設にヒアリングを行った際、「普段の施設での活動とは異なることをやりたい」「難しいことに挑戦する機会にしたい」という意見が寄せられたことだったとか。

また、障害のある方のなかには、心理的なハードルがあるために自らの作品をなかなか世に出せない方や、そもそもこれまで創作活動に触れてこなかった方も多くいます。そういった方々が美術館に作品を展示する機会を通して、主体的に芸術に携わる楽しさ、誰かに自分の作品を認めてもらう喜びを知ってもらおうと企画したとのこと。

出展者は台東区に在住、在勤、在学している障害のある方や、区内の障害者施設・団体等を利用している方などで、最終的に214点もの作品が集まりました。障害者施設に美術講師を派遣して開催した美術ワークショップで制作された作品や、区内小中学校の特別支援学級の授業で制作された作品も多く展示されました。

松葉小学校の生徒による、自分の好きな生き物を表現した版画作品。ビーズを貼り付けるなど、額にもこだわりが光っていました。

題材は自由。会場には水彩画や色鉛筆、版画といった絵画を中心に、自由な色使いと発想で生み出された個性的な作品が並んでいました。

みつはし じゅん《折り切り文字「東京」》(折紙・ダンボール)/ 折紙を折る過程も作品に昇華したユニークな作品。白と赤のコントラストが黒の背景に映えて、会場で特に目を引きました。
結ふるキッズ《ムーンウルフ》(折紙・ビニール・ラメ・アルミホイル)/多様な素材で立体感を出しています。月に千代紙が使用されていて、どことなく和の雰囲気も漂っているなど見どころが多い力作。
潤滑《軽作業》(墨)/「仲間と軽作業を楽しくやりたいからこの作品を作った」との作者コメント通り、飾らない字体が爽やかな気持ちにさせてくれます。「潤滑」というペンネームも洒落ていて作品とマッチしている気がします。

作品に添えられたキャプションには、タイトルと作者名(ペンネームも可)、そして短い作者コメントのみ。年齢も、これまでの創作経験も、もちろん障害の程度や種類もわかりません。障害者アートと聞くと「体が不自由なのに上手だ」「目が見えないのにすごい」というふうに、属性に引っ張られたモノの見方をしてしまう方もいるかと思いますが、同展ではアートそのものの魅力と向き合えるような構成になっていました。

 

また、同展は作品をただ展示する場ではありません。出展作品は美術の専門家の目に触れ、特に優秀な作品は台東区長賞、上野の森美術館賞、優秀賞、佳作のいずれかに選ばれ表彰されます。本年度は武蔵野美術大学油絵学科教授・造形学部長の樺山祐和さん、画家の西村冨彌さん、遊馬賢一さん、書道家の蕗野雅宣さんが審査委員となり、10点の作品が選出されました。

【台東区長賞】哘 博考《今日のご飯は何かな?》(色鉛筆)
【上野の森美術館賞】大橋 直樹《象(ゾウ)》(アクリル絵の具)

いくつか講評をお聞きすることができました。

台東区長賞を受賞した哘 博考(さそう ひろたか)さんの《今日のご飯は何かな?》は、「鳥を見た時の感覚の強さが絵に出ている。頭部だけの描写だが、鳥をこう見たこう感じたという思いがストレートに伝わる。緻密に書いていて充実感のある強い絵である」「構図が堂々としている。画面の広さ以上の構図が感動につながっている」とのコメント。

上野の森美術館賞を受賞した大橋 直樹さんの《象》は、「象らしくないようにも見えるが、一見して象とわかる。形や色が明快でストレートな感じがすごく良い」「象の黒色と背景の黄色との明暗が見事」「牙などを上から何回も手をかけているのが分かる。思い切りが良くいさぎよい絵が心を打つ」といったご意見があったようです。

こうしたプロが注目するポイントを知ることで、自分や他人の創作物への見方が変わり、より面白みや新しいアイデアが出てくる気がします。

作品を作ったのなら、誰でも人に見てもらいたい、そして認めてもらいたいという欲求が出てくるもの。同展への出展や受賞をきっかけに創作の楽しさを知った方の中から、もしかすると未来の大物アーティストが誕生するかもしれませんね!

物販のがま口やサコッシュ

最後に、ミュージアムグッズといえばたいてい展覧会会場の外で展開されているものですが、同展では会場内に物販があったことに驚きました。販売されていたのは台東区内の福祉作業所が製作した菓子や布製品、革製品など。

台東区の担当者にお話を聞くと、せっかく良い商品を作っても販路が限られているために知る人ぞ知る商品になっているのが現状であるため、この機会に場を提供し、認知度アップを目指しているとのことでした。


入場無料ということもあり、取材を行った会期初日は大変な賑わいで、校外学習で訪れた学生の団体客もチラホラと見かけました。多くの展覧会では私語が憚られるようなピリッとした空気が漂っているものですが、同展では作品について来場者が思い思いに意見を交わし、写真を撮る方も多くいるなど、とてもほのぼのとした雰囲気。中にはおそらく出展者だと思しき方もいて、自作品について生き生きと解説している姿が非常に印象的でした。

前回の展示作品は141点でしたが、今回は214点に増えるなど、規模が徐々に大きくなっている「森の中の展覧会」。良い意味で統一感のない展示作品を見ていけば、それぞれの心に残る作品が見つかるはずです。第3回は2024年に開催予定ですので、今後もぜひご注目ください。

 

「森の中の展覧会」概要

会期 2023年3月8日 (水) 〜 3月12日 (日)
会場 上野の森美術館
入場料 無料
WEBサイト https://www.city.taito.lg.jp/bunka_kanko/culturekankyo/events/shougaiarts/morinonaka.html

※記事の内容は取材日(2023/3/8)時点のものです。

 


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禅宗文化の精髄を体感する。
【東京国立博物館】特別展「東福寺」(~5/7)内覧会レポート

東京国立博物館

京都を代表する禅寺の一つである東福寺。

新緑や紅葉の名所として知られ、戦火に見舞われながらも古文書や書跡、典籍、肖像画など数多の宝物を守り継いできた名刹である。

東福寺の至宝をまとめて紹介する初の機会となる本展では、絵仏師・明兆による「五百羅漢図」など禅宗文化の優品が集う。

本記事では開催前日に行われた報道内覧会の様子をレポートする。

 

東福寺 三門

新緑や紅葉の名所としても知られる、京都を代表する禅寺の一つ「東福寺」。東福寺の名は奈良の東大寺と興福寺になぞらえて、その一字ずつを取ったことに由来します。

開山となったのは中国で禅を学んだ円爾(えんに)。東福寺は幾度も焼失の危機に遭いながらも、中世の面影を色濃く留める建造物の数々を現代に伝え、その巨大な伽藍は「東福寺の伽藍面(がらんづら)」の通称で知られています。

特別展「東福寺」は草創以来の東福寺の歴史を辿りつつ、大陸との交流を通した禅宗文化の全容を紹介。その意義と魅力を幅広く伝える展覧会です。

禅の神髄が宿る、東福寺の寺宝の数々。

展示会場入口
円爾の師である無準の姿を描いた国宝《無準師範像》(自賛 中国 南宋時代・嘉熙2年(1238) 京都・東福寺蔵 展示期間:3月7日(火)~4月2日(日))
2章展示風景。手前は《蔵山順空坐像》(鎌倉時代 十四世紀 京都・永明院蔵 通期展示)
4章展示風景より。中国仏教界との交流によりもたらされた書画の数々
《虎 一大字》(虎関師錬筆 鎌倉~南北朝時代・14世紀 京都・霊源院蔵 通期展示)

本展の展示会場は第1会場・第2会場に分かれており、

  • 第1章 東福寺の創建と円爾
  • 第2章 聖一派の形成と展開
  • 第3章 伝説の絵仏師・明兆
  • 第4章 禅宗文化と海外交流
  • 第5章 巨大伽藍と仏教彫刻

の全5章構成となっています。

東福寺は南北朝時代には京都五山の第四に列し、本山東福寺とその塔頭(たっちゅう)には中国伝来の文物をはじめ、建造物や彫刻・絵画・書跡など禅宗文化を物語る多くの特色ある文化財が伝えられています。国指定を受けている文化財の数は、本山東福寺・塔頭合わせて国宝7件、重要文化財98件、合計105件。
特に1章・2章では「南宋肖像画の極致」と称される《無準師範像》(国宝)など、円爾とその後継者・聖一派(しょういちは)ゆかりの禅宗美術の優品が並びます。

個人的に印象に残ったのは円爾の孫弟子で、東福寺第15代住職・虎関師錬(1278~1346)の書と伝えられる《虎 大一字》。「虎」の文字をあらわした書か、はたまた座した虎の絵か。まるでこれを見ている人間に「お前は何だと思う?」と問いかけているかのようです。

伝説の絵仏師・明兆の画力

明兆による五百羅漢図の展示風景
本展の注目作《五百羅漢図》(吉山明兆筆 南北朝時代・至徳3年(1386) 京都・東福寺蔵)。こちらは第1号(展示期間:3月7日(火)~3月27日(月))。隣にはユニークな漫画が添えられている
《円爾像》(吉山明兆筆 室町時代・15世紀 京都・東福寺蔵 展示期間:3月7日(火)~4月2日(日))
重要文化財《達磨・蝦蟇鉄拐図》(吉山明兆筆 室町時代・15世紀 京都・東福寺蔵 展示期間:3月7日(火)~4月9日(日))

本展の白眉となるのが、「画聖」とも崇あがめられた絵仏師・明兆による記念碑的大作《五百羅漢図》。現存全幅が修理後初公開となる本作は、水墨と極彩色が見事に調和した若き明兆の代表作で、1幅に10人の羅漢を表わし50幅本として描かれ、東福寺に45幅、東京・根津美術館に2幅が現存しています。本展はその全貌がはじめて明かされる貴重な機会となります(幅によって展示期間が異なります)。
隣には内容をユニークに解説した漫画が添えられており、トーハクならではの遊び心が発揮されているのもポイント。

また、明兆の円熟期の傑作として知られる《達磨・蝦蟇鉄拐図》も展示。シンメトリックな構成美と緻密な陰影描写、江戸絵画を先取りしたような明るく伸びやかな筆さばき・・・。中国絵画の名品を模写したものとされますが、明兆の類まれな画力と独創性を堪能することができる名品です。

巨大伽藍の圧倒的パワーに包まれる

5章へと続く通路には東福寺を代表する観光スポット・通天橋を実物大で再現
巨大伽藍にふさわしい特大の仏像が並ぶ第5章
四天王立像(通期展示)がそろい踏み。右手前の《多聞天立像》は鎌倉前期作で運慶風が強い
《仏手》(鎌倉~南北朝時代・14世紀 京都・東福寺蔵 通期展示)

「東福寺の伽藍面」を実物で体感できるのが第5章。巨大伽藍に相応しい特大サイズの仏像彫刻が立ち並び、そのスケールと荘厳さに圧倒されます。

修復後初公開となる四天王立像の《多聞天立像》や重要文化財の《迦葉(かしょう)・阿難(あなん)立像》をはじめ、手だけで2メートルという巨大さを誇る《仏手》にも注目。消失したという旧本尊の巨大さをしのべる貴重な遺例です。

 

本展の開催期間は5月7日(日)まで。禅宗文化の生彩、そして巨大伽藍の圧倒的パワーをぜひ会場で体感してみてください。

 

開催概要

会期 2023年3月7日(火)~5月7日(日)※会期中展示替えあり
会場 東京国立博物館 平成館(上野公園)
開館時間 9時30分~17時00分(入館は閉館の30分前まで)
休館日 月曜日
※ただし、3月27日(月)と5月1日(月)は開館
観覧料 一般  2,100円
大学生 1,300円
高校生  900円※本展は事前予約不要です。混雑時は⼊場をお待ちいただく可能性があります。
※混雑時は入場をお待ちいただく可能性があります。
※中学生以下、障がい者とその介護者1名は無料。入館の際に学生証、障がい者手帳等をご提示ください。
※本展観覧券で、ご観覧当日に限り総合文化展もご覧いただけます。
(注)詳細は展覧会公式サイトチケット情報のページでご確認ください
展覧会公式サイト https://tofukuji2023.jp/

※記事の内容は取材時のものです。最新の情報と異なる場合がありますので、詳細は展覧会公式サイト等でご確認ください。また、本記事で取り上げた作品がすでに展示終了している可能性もあります。


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2023年4月からリニューアル工事に入る下町風俗資料館、その魅力をあらためて振り返る。
最後の特別展「明治・大正・昭和の子供たち」も紹介

下町風俗資料館

東京・上野の不忍池のほとりに立つ台東区立下町風俗資料館

古き良き東京の下町文化を後世に伝えるべく昭和55年(1980)に開館して以来、多くの来館者を楽しませてきましたが、令和5年4月1月から、施設の大規模リニューアル工事のため令和6年度末(時期未定)までの休館が決定していることをご存じでしょうか。

リニューアル後は現在の展示の一部が見られなくなってしまうということで、期待と同時に寂しさを覚えます。

そこで今回は、約42年にわたり愛された下町風俗資料館の姿をあらためて紹介しようと、館内を取材させていただきました。

最後の特別展「明治・大正・昭和の子供たち ~資料でつづる下町の子供の世界~」についても記事の後半で触れていますので、残り約1か月の営業期間、ぜひ足を運んでみてください。

台東区立下町風俗資料館
館内の様子
特別展「明治・大正・昭和の子供たち ~資料でつづる下町の子供の世界~」展示風景

区民の声から生まれた下町風俗資料館

大正12年(1923)の関東大震災や昭和20年(1945)の第二次世界大戦での焼失、昭和39年(1964)の東京オリンピック開催を契機にした再開発などにより、江戸の風情を残していた古き良き下町の街並みや文化は急速に姿を消し、庶民の暮らしは様変わりしていきました。

昭和40年頃になると、そんな状況を憂いた下町文化を愛する人々から声が上がり始め、下町の記憶を次の世代へ伝えるための資料館設立の構想が生まれます。そして昭和55年10月1日、ついに下町風俗資料館が開館しました。

1階展示室では、関東大震災前(約100年前)の大正時代の下町風景として、商家や長屋、井戸端などをほぼ実物大で再現。2階展示室では、台東区を中心とした下町地域の歴史に関する資料や玩具などを紹介しています。

展示の魅力は、鑑賞するだけでなく実際に再現された座敷に上がれたり、展示物に触れられたり(※)と体験型のコンテンツになっている点。同館研究員の本田さんによれば、いわゆるハンズ・オン展示と呼ばれるこの手法は今でこそさまざまなミュージアムで使われていますが、実は下町風俗資料館がパイオニアなのだといいます。

(※コロナ禍のため、一部を除いた展示物は接触禁止となっています)

民間からの要望に応じて開館したという経緯から、収蔵品の多くが台東区内外から集まった寄贈品であることも大きな特徴といえるでしょう。実際に家庭にあった家具や日用品によって、よりリアルな下町の雰囲気を味わえるというわけです。

これまで300万人以上が訪れ、最近ではレトロな雰囲気を求める若者や、観光で訪れた外国人からも密かな人気を集めるスポットになっているそうですよ。

100年前の大正時代にタイムスリップ

自働電話ボックス

1階でまず目に入るのは、六角形の真っ赤な自働電話(のちに公衆電話と改名)ボックス
日本初の自働電話が東京の上野駅と新橋駅に登場したのは明治33年(1900)のこと。同館では、明治43年(1910)から用いられたボックス型の自働電話を復元展示しています。

自働電話ボックスの鮮やかな赤は、下町の街並みのなかで美しく映えていたに違いありません。

自働電話。木製のつくりがかわいいです。

中の電話機本体は実際に使われていた物。送受話器が分割されていて、ダイヤル式ではなく、まず交換手を呼び出して相手の電話につなげてもらうタイプです。

今やダイヤル式どころかプッシュ式の公衆電話すら目にする機会が減っていますが、そのさらに前の時代の骨董品ということで歴史を感じました。喋り口の位置がとても低く、背が高い人は腰をかがめて話さなくてはならないのが大変そう。当時の日本人の平均身長がこれくらいだったのかな、なんてことも想像させる展示です。

商家の店構え

こちらは大通りに面した大店(おおだな)の商家・花緒(※)の製造卸問屋の店先、という設定の再現展示。江戸時代から伝わる伝統的な「出桁造り(だしげたづくり)」や「揚戸(あげど)」といった商家建築が見られます。

(※下町風俗資料館の展示解説の表記にのっとり、鼻緒ではなく花緒としています)

入って左が花緒づくりの作業場、右が帳場兼商談スペース。

作業場の奥には色とりどりの花緒が下がっています。当時は履物といえば下駄や草履が一般的で、花緒は生活の必需品でした。季節や着物に合わせて、そのときどきの材質や形・柄の流行によって挿げ替えてオシャレを楽しんでいたのだとか。

上部には「用心籠」が吊るされており、これは今でいう非常持ち出し袋のような存在だったようです。

用心籠

「昔の江戸界隈は水害が多かったため、濡れてしまうのを避けようと、用心籠を設置して大切なものを全部投げ入れたり、いざというときは紐を外して外に持ち出したりしたようです」(本田さん)

一通りの展示品については解説シートが配布されていますが、用心籠のように、現代を生きる私たちにとって見慣れないモノも多いはず。解説を読む前に、「あれは何に使う道具だろう」と予想しながら館内を回ってみるのも面白いかもしれません。

帳場兼商談スペース

こちらは帳場兼商談スペース。商家には必ず帳場(出納の書付けや勘定をする場所)があったそうで、帳場格子を結界として、その中には主人や番頭などの選ばれた人しか入ることが許されなかったとか。もちろん再現展示では自由に入ってOK 。そろばんや当時の金庫である「銭箱」、印鑑を入れる「印箱」などが置かれていました。

気軽に番頭気分を味わえます。

「こうした再現展示について、開館にあたり当時の館長や職員が泊まり込んで、どこにどんなモノがあれば便利か、実際に体験して配置を決めていったという資料が残っています。また、当時の人たちは右利き(左利きの人は矯正されることが当たり前の時代でした)ですから、右手でモノがつかめるような配置になっているなど、細かいこだわりがあります」(本田さん)

本田さんのお話からは、資料館の役割として、展示の見栄えよりも、あくまで当時のリアルの暮らしを伝えることに心を砕いていたことが伝わってきます。

商家の前には、浅草で発明され、自動車の普及以前に送迎手段の代表格だった人力車や、配達を行う商いには欠かせなかった箱車(はこぐるま)も置かれ、活気ある下町の雰囲気を演出していました。

人力車。提灯飾りには「赤岩」という屋号が見えます。

下町人情の温かさを育んだ長屋の暮らし

商家の向かい側には、狭い路地に囲まれた、時代劇などでもおなじみの集合住宅である長屋の再現展示があります。

長屋の路地の風景を再現。

取材したのは「初午(はつうま)」(2月最初の午の日)の時期でした。毎年初午には全国の稲荷社で五穀豊穣を祈る「初午祭」が催されています。同館にも小さな稲荷社が存在するため、江戸時代から初午祭に合わせて街で掲げられていた「地口行灯(じぐちあんどん)」が長屋に飾られていました。

地口行灯は今でも職人が作っています。

地口は、江戸時代に流行ったことわざや格言などをもじった駄洒落の言葉遊びのこと。地口に戯画をつけて行灯に仕立てたものが地口行灯で、初午祭に集まった人々を楽しませていたようです。

このように、同館は正月飾りや七夕飾りといった、季節の移ろいに合わせたこまやかな演出で来館者を迎えてきました。飾りは特別な日の楽しみでもあり、ゲンを担ぎ、神仏に祈りを捧げる手段の場合もあります。当時の人々の精神性や下町の四季の情景を体感できる粋な工夫といえるでしょう。

ちなみに、コロナ禍で展示物が接触禁止になる前は、密かにタンスの中の衣替えなど、気づいた人だけが楽しめる小ネタも仕込んでいたそう。

年老いた母と子が営む駄菓子屋。奥には居間が見えます。

関東大震災前まで数多く見られた平屋造りの長屋には、駄菓子屋銅壺屋(どうこや)が再現されています。

ベーゴマやおはじきなどのおもちゃなども取り扱っていた駄菓子屋は、子供たちの社交場でした。住居の一画で営業しているという設定で、台所や座敷も作り込まれています。

駄菓子売り場の向かい側にある台所。

なお、当時の下町のインフラですが、電気は通っているものの電化製品は普及しておらず、また水道やガスも一般的でなかったそう。そういった事情は、住人共有の井戸からくんだ水をためる水瓶が台所にあったことからも伝わってきます。

水瓶の下には木製の流しが見えますが、このように床の近くに流しを作り、しゃがんで炊事をする作業場を「座り流し」と呼びます。今では考えられない配置ですが、これも震災前の大正時代頃には一般的なものだったというから驚きました。

長屋の天井付近には、煙出しや明かり取りのための引き窓があります。
銅壺屋。左が居住スペース、右が作業場。

銅壺屋は湯沸かし器(銅壺)をはじめ、鍋ややかんなどの銅製品を作ったり、修理したりするお店のこと。下町にはさまざまな職人が暮らしていましたが、銅壺屋の職人はモノを修理しながら大切に使っていた時代の暮らしには欠かせない存在でした。

作業場の壁には神棚の一種で、火の神様を祀った「荒神棚(こうじんだな)」が作られています。

「銅壺屋は火を使う職業ですが、当時は電話一本で消防車を呼べるわけではないので、今よりずっと火事への恐れは強かったんだと思います。火事が起こらないようにお守りくださいと。信心深い方が非常に多かった時代だということがお伝えできればと考えています」(本田さん)

荒神棚

神棚は先ほどの駄菓子屋にもありました。昔はどの家庭、どの商家にも神棚が祀ってあったそうで、神仏への祈りは生活に密着した切実なものだったのでしょう。

信心深さを表す展示としては、長屋の奥に建てられた稲荷社も挙げられます。

長屋の奥に祀られた、小さな稲荷社。

稲荷は、江戸時代には土地や屋敷の守り神として盛んに祀られていて、長屋にはそれぞれ必ず建てられたとのこと。そのため、下町地域には現在も多くの稲荷社が名残として存在しています。

薄壁一枚で仕切られた住居。長屋は、現代を生きる私たちからすると、マンションやアパートなどとは比較にならないほどプライバシーの観念が薄い生活空間です。住人同士は必然的に気安い付き合いになるでしょうし、他人へ迷惑をかけないようにする心配りも今以上に必要だったのではないでしょうか。
下町の人々の人情の厚さは、こういう暮らしから形成されたのかもしれません。

長屋の脇には井戸も再現。井戸端は長屋の主婦たちの社交場でした。下町の井戸は湧水ではなく、「木樋(もくひ)」という水道管から水を引いていたそうです。

1階展示室の商家と長屋は、昭和55年の開館に合わせて建てられているため、築40年以上が経過しています。開館当初は真新しかっただろう床も柱も、長年毎日のように人が出入りした結果、本当に人が住んでいたかのように傷がつき、味わい深い風合いになっていたのが印象的でした。

みんなの憧れ?銭湯の番台に座って記念撮影も

昭和30年代の人々の暮らし

2階には常設展示として、昭和30年代の人々の暮らしが再現されています。下町のアパートの台所兼居間とのこと。真空管を使用した東芝製の白黒テレビをはじめ、日本初の自動式電気釜など当時の高級家電がいくつも揃っているため、裕福なお宅のイメージでしょうか。

戦前から引き継がれたであろうちゃぶ台やタンスなどの調度品と、最新家電が同居する光景から察せられるのは、使えるモノは長く使い続けようとする慎ましさと、便利さや快適さを求めたい気持ち。こうした生活も昭和40年代以降に少しずつ失われ、大量消費の時代になっていきました。懐かしさの裏で、同館設立のきっかけになった、下町文化の保存を考えた人々の危機感も理解できるのではないでしょうか。

かつては下町の風景に欠かせない存在だった銭湯。

その隣には、台東区で昭和25年(1950)~昭和61年(1986)まで営業していた銭湯「金魚湯」で実際に使用されていた番台がほぼそのままの形で置かれていました。同館最大の寄贈品であり、実際に番台に座れるということで、同館で最も人気のあるフォトスポットなのだといいます。

「特に大正~昭和世代の男性は昔からの憧れがあるのか、本当に楽しそうに番台を体験されていて、よっぽど座りたかったんだなあと。今の銭湯は番台ではなく受付が主流なので、お子さんたちの多くは番台と聞いてもわからないようですが、展示を見て『番台ってこういうのなんだ』『いいね』と言ってくれて。親御さんやおじいさんおばあさんが説明してあげるといった光景もよく見かけますし……。この番台に限らず、展示は来館者の皆さんの会話が生まれるきっかけになっているようです」(本田さん)

解説文ではなく、学芸員でもなく、一般人が展示物についてスラスラと説明する。そんな光景と出会えるのも同館の魅力といえそうです。

特別展「明治・大正・昭和の子供たち」が開催中(~令和5年3月31日まで)

特別展「明治・大正・昭和の子供たち」展示風景

2階展示室では、ご紹介した昭和アパートの再現展示や銭湯の番台のほか、通常は台東区を中心とした下町地域ゆかりの品々や、年中行事に関連する資料の展示などを行っていますが、この日はリニューアル前の最後の特別展「明治・大正・昭和の子供たち ~資料でつづる下町の子供の世界~」が開催中でした。(観覧料は入館料に含まれます)

同展は、明治~昭和時代に生きた下町の子供たちの日常に焦点をあて、当時の遊びや子供が成長する過程で通過していった儀式などについて、同館所蔵の資料を中心に紹介するもの。

街頭紙芝居の自転車。舞台の下の引き出しにお菓子を用意し、紙芝居を見に来た子供たちに売って商売していたそうです。
コロナ禍で休止を余儀なくされていた、大人気の昔の玩具体験コーナーも規模を縮小して復活。

特に子供の遊びにまつわる資料が非常に充実していて、おおまかにベーゴマやメンコなどの「外の遊び」と、おはじきやごっこ遊びなど「家の遊び」に分けて展示されていました。

子供たちが東西に分かれて相撲をとっている様子を描いた明治時代の錦絵。
左上の巨大なおはじきのような玩具は、ガラスのけり石(昭和時代)。文字通り石けりに使われたそうですが、その耐久性が気になるところです。
戦争期のベーゴマは物資不足から焼き物になっているなど、玩具から時代背景もうかがえます。
昭和20~30年頃のメンコ。絵柄は当時の有名なスポーツ選手や映画スターなどがモデルに。

本田さんのイチオシは、明治から大正時代にかけて発売されていたミニチュア勝手道具。木、竹、ブリキ、陶器など、本物と全く同じ素材で作られているという本格仕様がポイントです。その精巧さに大人でもワクワクしてしまいました。

ミニチュア勝手道具。子供たちはこういった玩具で家事を学んでいきました。
大人のマネをしたい女の子心をくすぐっただろう、昭和30年代の玩具の時計やアクセサリー。いま見ても非常にかわいいです。
昭和初期頃の雑誌の付録。保存状態がいい展示物が多く、持主にとってどれだけ大切なモノだったのか、寄贈されるまでの背景に思いを馳せました。

七五三やお食い初めなど、子供の成長の儀式にまつわる資料の展示の中で、本田さんが特に注目してほしいと話すのは「背紋帖(せもんちょう)」です。

子供の成長に関する儀式の展示
背紋帖の展示

背紋帖は、0歳から2歳くらいまでの子供が着る一つ身の産着の背中に色糸で縫い付けた、「背守り」の見本帖のことです。

一般的な着物には背中の中央に縫い目があり、その縫い目を「目」と捉え、背中からくる災いから身を守る効果があると考えられてきました。しかし、一つ身の産着には背中に縫い目がないため、背守りと呼ばれた「目」を色糸で刺繍して厄除けにしたそうです。展示されているのは昭和時代の背紋帖で、背守りの図柄の一つひとつに意味が込められていたとか。

「このように、子供の成長に関わる儀式の展示から、さまざまな手を尽くして子供たちを守ろうとしてきた親心が伝わればうれしいです」(本田さん)

下町風俗資料館の歴史を振り返る資料がズラリ

なお、特別展の同時開催企画として、同館42年間の歴史を振り返るため、これまで開催された企画展や特別展のポスターやチラシ、今では手に入らないミュージアムグッズなども紹介されていました。

リニューアル後の下町風俗資料館はどうなる?

気になるリニューアル後の下町風俗資料館について、本田さんに伺ってみました。

「まだ詳細を詰めているところですが、現在の展示の補修や改修などではなく、新しい時代に向けてガラリと印象を変える予定ではあります。リニューアル後は3階の一部も展示室として開放する予定(現在は2階までの展示)なので、まったく違った景色をお見せできるかなと。ただ、これまで通り“下町文化を後世に残す”という使命をもった施設であることに変わりはありませんので、その点はご安心ください」(本田さん)


下町風俗資料館がある上野駅周辺には、学術的価値が高い近現代の美術品を鑑賞できる施設が多くあります。そのなかで、かつて下町に暮らしていた人々の気配を身近に感じられる展示を42年間にわたり実直に続けてきた同館の存在は、地域の住人だけでなく、現代に生きる人々にとって、より特別な地位を占めていくように感じます。

下町文化を後世に伝えるだけではなく、その文化をリアルで体験した世代と知らない世代をつなぐ架け橋となっている下町風俗資料館が、新生のための準備に入るのは令和5年4月1日から。同館に行ったことがある方もない方も、リニューアル工事前にぜひ一度、その姿を記憶に留めるべく足を運んでみてください。

下町風俗資料館 概要

所在地 台東区上野公園2-1
JR上野駅 不忍口から徒歩5分
開館時間 午前9時30分~午後4時30分 (入館は午後4時まで)
休館日 月曜日(祝休日と重なる場合は翌平日)、12月29日~1月3日、特別整理期間等
入館料 一般 300円(200円)、小・中・高校生 100円(50円)

※( )内は、20人以上の団体料金
※障害者手帳、療育手帳、精神障害者福祉手帳、特定疾患医療受給者証をお持ちの方とその介護者の方は無料。
※毎週土曜日は台東区在住・在学の小、中学生とその引率者の入館料無料。

電話番号 03-3823-7451
公式サイト https://www.taitocity.net/zaidan/shitamachi/

※記事の内容は取材日(2023/2/3)時点のものです。最新の情報は公式サイト等でご確認ください。


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【書道博物館】書聖・王羲之の最高傑作「蘭亭序」を見比べて味わう企画展が開催中(~2023年4月23日まで)

台東区立書道博物館

約1700年前の中国で活躍し、のちに「書聖」とまで崇められた伝説的な書家・王羲之おうぎし(303~361、異説あり)と、彼のもっとも有名な作品である蘭亭序らんていじょに焦点を当てた展覧会『王羲之と蘭亭序』が、台東区立書道博物館で開催中です。

会期:2023年1月31日(火)~4月23日(日)
 ※期間中、下記の日程で展示替えが行われます。
前期:1月31日(火)~3月12日(日)、後期:3月14日(火)~4月23日(日)
※出展作品リストはこちら

※同展は東京国立博物館との連携企画です。
※掲載している画像は特別な許可を得て撮影したものです。

 

書道博物館入口
展示風景
《神龍本蘭亭序―山本竟山旧蔵―》王羲之/原跡:東晋時代・永和9年(353)/台東区立書道博物館/前期展示

もっとも有名な書家なのに真跡が一つもない?書聖・王羲之とは

中国の歴史上、書がもっとも盛行したのは、風雅な貴族社会が形成された4世紀の東晋時代。日常のあらゆる場面で瀟洒を極めようとした貴族たちが、実用一色だった書にもこぞって芸術性や批評性をもたせるようになったころに登場したのが王羲之です。

王羲之は当時過渡期の書体だった草書・行書・楷書を洗練させ、自らの感情を書の表現に落とし込みながら芸術性を飛躍させました。彼が獲得した普遍的な美しさを備えた先進的な新様式の書法は、奈良時代に王羲之の書が伝わった日本においても書法規範の源泉となり、今日に至るまで能書の代名詞的存在となっています。

「蘭亭序」(353)は、そんな王羲之の代表作であり、歴史に燦然と輝く名作。永和9年(353)3月、風光明媚な会稽(浙江省紹興市)山麗の蘭亭という土地で、王羲之が名士41名を招いて催した雅宴で詠まれた、詩集の序文の草稿です。

《蘭亭図巻―万暦本―》王羲之 他/明時代・万暦20年(1592)/五島美術館(宇野雪村コレクション)/前期展示 の拡大写真。蘭亭の宴の様子を描いています。

宴の楽しさや生命の儚さについて心のままにつづった情緒豊かな名文が、秀麗な行書で記された「蘭亭序」は王羲之が酒に酔ったまま即興で仕上げた草稿。何度清書しようとも結局、草稿以上の出来にはならなかったという逸話が残る、本人も認めた最高傑作です。現在でも行書を学ぼうとしている人々の必修作品として扱われているとか。

そんな「蘭亭序」をはじめとする王羲之の書は生前から高く評価され、貴族たちの間で収集の対象になっていましたが、実は真跡が一つも現存していないそう。

戦乱や天災などで徐々に失われていったほか、王羲之の死後から300年経って、彼の書をこよなく愛した唐の太宗たいそう皇帝(598-649)が徹底的に手元に集め、崩御の際に「蘭亭序」も一緒に埋葬してしまったのが大きな理由です。しかし、太宗皇帝は優れた書家たちに「蘭亭序」などの作品の模本や拓本などの「写し」を作らせて臣下に下賜しており、王羲之の先進的な書法は後世に受け継が継がれることになりました。

企画展『王羲之と蘭亭序』は、東京国立博物館・書道博物館の連携企画20周年を記念して企画されたもので、「蘭亭序」をはじめとする王羲之の書や、王羲之書法の後世への影響などを示す書画を両館で展示しています。

「蘭亭序」が次々登場。王羲之の神髄に迫るのはどれ?

展示の大きな特徴は、前後期あわせて10種類以上の「蘭亭序」の見比べができること。

「蘭亭序」は複製にさらに複製が重ねられてきました。そのため文字の強弱や緩急などがどれも微妙に異なる、複製に関わった人の技量や、王羲之へ抱いたイメージが反映されたさまざまな来歴の「蘭亭序」が伝わっているのでした。

前期展示で鑑賞できたのは《定武本蘭亭序―韓珠船本かんじゅせんぼん―》《神龍本蘭亭序―山本竟山やまもときょうざん旧蔵―》《潁井えいしょう本蘭亭序―王文治おうぶんち旧蔵―》《宣和内府せんなないふ旧蔵蘭亭序》など。ちなみに作品名の「〇〇本」などの語句は、拓本の元となる石が見つかった土地や作品ならではの特徴など、他の「蘭亭序」との区別のためにつけてあるものです。

《定武本蘭亭序―韓珠船本―》王羲之/原跡:東晋時代・永和9年(353)/台東区立書道博物館/前期展示
《定武本蘭亭序―韓珠船本―》王羲之/原跡:東晋時代・永和9年(353)/台東区立書道博物館/前期展示

《定武本蘭亭序―韓珠船本―》は、沈み込むような字粒で全体的にクールな趣き。太宗皇帝の命令で臣下たちが「蘭亭序」を臨書した際、もっとも優れていたのが「初唐の三大家」に数えられる欧陽詢おうようじゅん(557-641)という人物のもので、それを石に刻ませたのが「定武本」の元となったと伝わっています。同作は、数多い「定武本」系統の中でも特に古い宋時代の拓本とのこと。

次に目に留まったのは《神龍本蘭亭序―山本竟山旧蔵―》。「神龍本」とは、冒頭と末尾に唐時代の元号である「神龍」の半印が押してあることにちなんだものです。「神龍本」は他と比べて生き生きした華やかな字姿が楽しめるのが特徴で、その見やすさと学びやすさから、よく教科書などに取り上げられています。

《神龍本蘭亭序―山本竟山旧蔵―》王羲之/原跡:東晋時代・永和9年(353)/台東区立書道博物館/前期展示

しかし、同館の主任研究員である中村さんによれば、「神龍本」の字姿には唐時代の洗練された美意識が少なからず反映されているそうで、「王羲之(東晋時代)の書であればもう少し素朴さがあるはず」とのこと。たしかに同作を他と比べて見ると、ハネやハライが少し大げさに感じられました。

同じ系統でもかなり字姿が異なっていて見ごたえがあります。複製した人が無意識に自分の色を出してしまったのか、その時代の人にウケるように意図的に変えたのか、さまざまな背景がありそう。これも、「蘭亭序」の真跡が残っていない、答え合わせができないからこそ生まれた個性なのでしょう。

同展には「蘭亭序」以外にも王羲之の書(複製ですが)がいくつか出展されているので、書に詳しくない方でも「どの蘭亭序が王羲之の面影を残しているんだろう」と検討をつけながら楽しめます。

また、当たり前ですが「蘭亭序」は単体で鑑賞しても学びがあります。たとえば「蘭亭序」には「之」という漢字が頻出しているのですが、それぞれ独特な形と用筆で書かれていることに驚きました。

筆者はあまり書について詳しくないので、書が上手な人というのは、自分の中に文字の最良の字形というものが完成していて、いつでもその字形をブレなく出力している、となんとなく想像していました。しかし、「蘭亭序」で「之」は文脈に応じて異なる形で書き分けられています。展示室にあった「蘭亭序」の日本語訳文を読みながら鑑賞すると、情景のみならず作者の感情も伝えるような豊かな表現力が本作の魅力であることに気づきます。書道芸術の基本をつくった王羲之の偉大さの一端が理解できるような気がしました。

《十七帖―欠十七行本―》王羲之/原跡:東晋時代・4世紀/台東区立書道博物館/前期展示

「蘭亭序」のほか、王羲之が草書で書いた書簡や手紙29帖を集めた「十七帖」も前後期で複数展示されています。

「一見では地味な作品です。書かれている内容は体調不良を伝えるものなのですが、体調不良と言いつつ美しい字である点はさすが王羲之という感じですね。一文字一文字を切り取って鑑賞してもいいですが、字と字の間合いや大きさも見どころです。ドラマに主役と脇役がいるように、書にも映える文字そうでない文字があって、左右にハライをもつなど、華やかに見せられる字が強調されています。そうして完成した書全体の調和にもぜひ注目してください」(中村さん)

王羲之フォントで作品制作?王羲之人気は日本へも…

同展では王羲之が登場する以前・同時代・以後の時代の書の姿も展示。以後の作品では、王羲之の影響がどれほど大きいものであったのかを見ていけます。

《薦季直表(真賞斎帖―火後本―)》鍾繇/原跡:後漢~魏時代・2~3世紀/台東区立書道博物館/全期間展示

王羲之が尊敬していたという、後漢末期から三国志の魏にかけて活躍した楷書の名手・鍾繇しょうよう(151-230)の薦季直表せんきちょくひょう真賞斎帖しんしょうさいじょう―火後本―)》は、「長い年月をかけて隷書から楷書へと発達を始める第一歩の書」だと話す中村さん。隷書の名残があり、やや背が低く横に広い原始的な字姿が見られます。

《黄庭経》王羲之/原跡:東晋時代・永和12年(356)/台東区立書道博物館/全期間展示

同展には王羲之の黄庭経こうていきょうや《孝女曹娥碑こうじょそうがひ(原跡:東晋時代・升平2年(358)/全期間展示)といった楷書の作品も展示されています。鍾繇の書と見比べると歴然と洗練されていて、背は伸び、人間が筆で文字を書くという動作に寄り添った自然な字姿や用筆をしているように感じました。こちらもぜひ実際に見比べてみてほしいです。

《道行般若経巻第六・第七》西晋時代・永嘉2年(308)/台東区立書道博物館/前期展示
《道行般若経巻第六・第七》西晋時代・永嘉2年(308)/台東区立書道博物館/前期展示

王羲之とほぼ同時代の作品としては《道行般若経巻第六・第七》があり、なんとこちらは肉筆! 唐時代以前の肉筆は大変貴重なのだとか。王羲之が生きた時代の、本当の書の姿を確認できます。

《晋祠銘》唐太宗/唐時代・貞観20年(646)/台東区立書道博物館/前期展示

王羲之神話の立役者である唐の太宗皇帝の行書晋祠銘しんしめいもありました。いかにも皇帝といった、どっしりと堂々たる書きぶりが心地いいです。

「行書や草書は、スピード感を出すために線をつなげて書けば、それっぽくなると素人は思いがちですが、太宗皇帝の書はわざと切っています。そうすることで字の中に空気を取り込み、余裕を出しているんですね。余裕を出しすぎると、だらんとした字になりますが、たとえば『月』という字だったら1画目と2画目の向かい合う線をグッと引き締めています。そのバランス感覚を味わっていただければと思います」(中村さん)

《集王聖教序》王羲之/唐時代・咸亨3年(672)/台東区立書道博物館/前期展示

唐時代以降の王羲之人気を示すものとしては、集王聖教序しゅうおうしょうぎょうじょ《興福寺断碑》(王羲之/唐時代・開元9年(721))が面白いです。あたかも王羲之が書いたかのように、王羲之の書から一文字一文字集めて文章に仕立てた石碑から作った拓本とのこと。《集王聖教序》は線の太さがまちまちでいかにもコラージュした雰囲気ですが、《興福寺断碑》はかなり巧みに全体の調和をとっていました。

《淳化閣帖―夾雪本―》王著編/北宋時代・淳化3年(992)/台東区立書道博物館/前期展示

宋時代に作られて流行した歴代中国の書道全集である淳化閣帖じゅんかかくじょう夾雪きょうせつ本―》にも、当然のように王羲之の書が入っていました。話を聞くと、全10巻あるうち、王羲之が6~8巻、息子の王献之が9~10巻で紹介されているそうで、中国の書の歴史の半分は王親子が担っていたことがわかります。ここまで来ると影響力のあまりの大きさに笑ってしまいました。

展示の最後は、王羲之が日本でどのように受け止められたのかを紹介していました。平安時代では遣唐使らが持ち帰った王羲之の写しで学んだ空海や小野道風たちが台頭し、彼らの活躍の後に国風文化や和様と呼ばれる日本風の書が成立。江戸時代には唐様書の流行から王羲之尊重の風潮が強まったり、幕末には王羲之書法の法帖(拓本を書の形に仕立てたもの)も多く日本に届くようになったり……。中国だけでなく、日本の書の歴史でも常に圧倒的な存在感を示していたようです。

《蘭亭序額》中林梧竹/明治25年(1892)/台東区立書道博物館/全期間展示

日本の作品のなかでは、明治時代の大家・中林梧竹(1827~1913)の《蘭亭序額》が目を引きました。「蘭亭序」の文章を自分なりの書きぶりで仕上げた作品で、字線の変化の豊かさはそうそうお目にかかれるものではありません。


これまでは書聖・王羲之の書を見て「確かにきれいだけど、なんだか普通だなぁ」と注目すべき点がわからずにいました。しかし同展を巡ってみて、その「普通だな」と感じること自体、1700年経っても変わらず人々が王羲之のフォロワーであり続けている証明なのかもしれないな、とその偉大さを感じるようになりました。

書道博物館創設者・中村不折が描いた「蘭亭序」の新聞挿絵。《書聖王羲之 蘭亭記ヲ書ス(十二支帖)》大正元年(1912)/台東区立書道博物館/全期間展示

なお、同展には「世説新書」という、中国でもっとも美しい楷書が書かれた唐時代に作られた、王羲之が生きた時代の噂話を集めた書物に関連した作品3点が期間限定で登場します。いずれも肉筆で書かれた国宝です。

1月31日~3月12日には《世説新書巻第六残巻―規箴―》(唐時代・7世紀)
2月28日~3月26日には《世説新書巻第六残巻―規箴・ 捷悟―》(唐時代・7世紀)
3月28日~4月23日には《世説新書巻第六残巻―豪爽―》(唐時代・7世紀)
貴重な機会となりますのでお見逃しなく。

連携展示をしている東京国立博物館は徒歩圏内ですので、ぜひ両館合わせて足を運んでみてください。

 

■企画展『王羲之と蘭亭序』概要

会期 2023年1月31日(火)~4月23日(日)
※期間中、下記の日程で展示替えが行われます。
前期:1月31日(火)~3月12日(日)、後期:3月14日(火)~4月23日(日)
会場 台東区立書道博物館
開館時間 午前9時30分~午後4時30分(入館は午後4時まで)
休館日 月曜日(祝休日と重なる場合は翌平日)、特別整理期間等
入館料 一般500円 小、中、高校生250円

※障害者手帳、療育手帳、精神障害者福祉手帳、特定疾患医療受給者証をお持ちの方とその介護者の方は無料です。
※毎週土曜日は、台東区内在住・在学の小・中学生とその引率者の方は無料です。
その他、詳しくは公式サイトをご確認ください。

台東区立書道博物館公式サイト https://www.taitocity.net/zaidan/shodou/
出展作品リスト https://www.taitocity.net/zaidan/shodou/wp-content/uploads/sites/7/2023/02/kikakuten_20230131.pdf

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【会場レポ】「エゴン・シーレ展」が開幕。人間の内面を鮮烈に描いた夭折の天才、約30年ぶりの回顧展

東京都美術館

 

世紀末ウィーンを代表する最も重要な画家の一人、エゴン・シーレ(1890-1918)の大規模展「レオポルド美術館 エゴン・シーレ展 ウィーンが生んだ若き天才」が2023年1月26日、東京・上野の東京都美術館で開幕しました。

展示風景、会場入口
展示風景
エゴン・シーレ《悲しみの女》1912年、油彩、レオポルド美術館蔵
エゴン・シーレ《吹き荒れる風の中の秋の木(冬の木)》1912年、油彩、レオポルド美術館蔵
エゴン・シーレ《闘士》1913年、水彩、個人蔵
展示風景
展示風景

東京では約30年ぶりとなる、夭折の天才エゴン・シーレの回顧展

19世紀末から20世紀初頭、歴史上まれにみる芸術の爛熟期を迎えたウィーンにおいて華々しく活躍し、10年余りの短い画業にもかかわらず美術史にその名が燦然と輝く画家、エゴン・シーレ

幼少期から絵のセンスの片鱗をみせていたシーレは1906年、難関のウィーン美術アカデミーに学年最年少である16歳で特別入学。翌年に、同じく世紀末ウィーン美術を代表する画家であるグスタフ・クリムト(1862-1918)に見出され、大きな影響を受けます。

1909年にはアカデミーの保守的な体制に反発して自主退学し、友人らと「新芸術家集団」を結成。革新的な作品を世に送り続け、1918年には第49回ウィーン分離派展で成功を収めますが、同年、28歳でスペイン風邪に侵され病死しました。

当時の常識にとらわれないスキャンダラスな創作活動が批判を浴び逮捕、猥雑だと判断された作品が焼却処分されるなど、その生涯には失望や苦悩がつきまとったものの、圧倒的な表現力で人間の精神性、生と死、性を生々しく描き出したシーレの作品は、今も人々を惹きつけて止みません。

展示風景、自身のアトリエでポーズをとる20歳のエゴン・シーレ

「レオポルド美術館 エゴン・シーレ展 ウィーンが生んだ若き天才」は、シーレ作品の世界有数のコレクションをもち、「エゴン・シーレの殿堂」として知られるウィーンのレオポルド美術館の所蔵作品を中心に、シーレの油彩画、ドローイングなど合わせて50点を通して、シーレの生涯と作品を振り返る回顧展。

クリムト、モーザー、ココシュカなど、同時代の画家たちの作品65点もあわせて紹介されています。

コレクションは年代順、全14章のテーマごとに展示されていました。

人間の内面の探求を続けたシーレの代表作《ほおずきの実のある自画像》が来日!

出展作品をいくつかご紹介します。

本展の目玉は、シーレが22歳のときに制作した《ほおずきの実のある自画像》(1912)。シーレの自画像で最もよく知られた代名詞的作品です。

エゴン・シーレ《ほおずきの実のある自画像》1912年、油彩、レオポルド美術館蔵

ほおずきの蔓と人物の斜めの姿勢が織りなす構図が生み出す、引き絞るような緊張感。背景の白、服、髪、目の黒、ほおずきの赤の対比が凛とした美しさを構成する一方で、青ざめた顔には赤や緑といった色彩も大胆に配され、それが奇妙にいきいきと映ります。

鑑賞者へ向ける眼差しは挑発か拒絶か。つぐんだ口元は気取っているようにも、言葉を飲み込んでいるようにも感じられ、明確なナルシシズムと不安定な感情のゆらぎをナイーブな感受性で見事に表現しています。

1910年頃、シーレは師であるクリムトの影響から脱却し、不安定なフォルムや表情豊かな線描、鮮烈な色彩などを特徴とする表現主義的な無二の画風を確立していました。本作はその画風が円熟期を迎えた頃の名品です。

よく見ると、本作の画面の切り取り方とポーズは、現代の“自撮り” 文化でよく目にするものだと気づきます。

レオポルト美術館の館長によると、レオポルト美術館へシーレ作品を鑑賞しに来る若者が増えているとのこと。自撮りで自己表現を行う彼らにとって、人間のアイデンティティやセクシュアリティ、精神性といった「自我」に関する思索を、肉体と精神をさらけ出しながら視覚的に実践していったシーレによる自画像から受けるインスピレーションは鮮烈なものなのかもしれません。そういった意味で、シーレは極めて現代性をもつ画家と言えそうです。

なお、《ほおずきの実のある自画像》と、本展には出展されていませんが、シーレの当時の恋人でありミューズであった女性をモデルにした《ヴァリーの肖像》(1912)が対となるよう制作されているため、ご存じない方はぜひ調べてみてください。

エゴン・シーレ《自分を見つめる人II(死と男)》、1911年、油彩、レオポルド美術館蔵

きょうだいの死産や早世が度重なり、14歳のときに敬愛する父が亡くなるなど、シーレにとって死は幼い頃から身近なものだった影響もあるのか、シーレは「全ては生きながらに死んでいる」という死生観をもっていました。「死」はシーレの画業において重要なテーマであり、不穏な死の気配が取り入れられた作品も多いです。

《自分を見つめる人II(死と男)》(1911)は、そんなシーレがまさに「死」を正面から表現した作品。シーレの自画像はしばしば2人の人物として描かれている場合があり、本作も瞑想にふけるように目を閉じた画家本人を、死神や幽霊のような風貌の存在が囲い込むように立っています。近づく死の運命に焦っているようにも、運命をすでに受け入れているかのようにも感じますが、下から伸びる第三者の手が不気味な印象を強めています。

展示解説によると、本作は分裂のイメージを用いた自己内省を試みているとのこと。《ほおずきの実のある自画像》からもわかるように、シーレの自画像はほとんど背景が描かれていません。クリムト的な装飾的画風の逆をいく、ひたすら内へ内へ、徹底した自己探求や自己内省にシーレの関心が向かっていることをうかがわせます。

エゴン・シーレ《母と子》1912年、油彩、レオポルド美術館蔵
エゴン・シーレ《母と二人の子ども Ⅱ》1915年、油彩、レオポルド美術館蔵

また、シーレは「母と子」というモチーフも繰り返し用いています。一般的には愛や平和をイメージする母子像ですが、シーレの《母と子》(1912)、《母と二人の子ども Ⅱ》(1915)はいずれも愛や平和というより、こちらも死や恐怖、悲しみ、失意といった不穏さを強調。表情づけの巧みさだけでなく、激しい筆致と陰鬱な色彩に、一歩引いてしまうようなヒリつく凄みを感じました。伝統的な母子像のイメージを打ち破るシーレらしい展開といえるでしょう。

エゴン・シーレ《赤い靴下留めをして横たわる女》1913年、鉛筆、グワッシュ、レオポルド美術館蔵

そのほか、見逃せないのがシーレの類まれなデッサン力と線の表現力を堪能できる裸婦像のドローイングです。

エゴン・シーレ《しゃがむ裸の少女》1914年、黒チョーク、グワッシュ、レオポルド美術館蔵

「あらゆる肉体から発せられる光」を描こうとし、また美的に昇華しない過激な「性」を描写していたシーレにとって、裸婦像も極めて重要なモチーフでした。伝統的な裸婦像といえば、立つか横たわるかのポーズで描かれますが、シーレ作品の裸婦の多くは膝を抱えたり、うずくまったり、極端にねじったりと、バラエティに富んでいるのが特徴。

彼女たちの肉体はときに苦悶が伝わってくるほど追い詰められた態勢になりますが、それがいかにも美しく、生々しく映るのが不思議です。シーレの描く線の確信性は、自らの肉体を限界まで屈曲させるなど、シーレ自身が行った容赦ない身体性の探求が支えていることは疑いようもありません。

床や背景を排除し、人物の周りの余白を残すことで空間性を否定している画面構成も面白いところです。

エゴン・シーレ《リボンをつけた横たわる少女》1918年、黒チョーク、レオポルド美術館蔵

特に目を引きつけられたのは後年のドローイング。黒チョークによる表現力豊かな輪郭線とわずかなグラデーションによってモデルを探求していますが、その迷いのない線とシルエットの実に美しいこと。《リボンをつけた横たわる少女》(1918)のように複雑な姿勢も最低限と言えるレベルの筆致でスケッチしているのもかかわらず、これだけで一つの芸術作品といえるような完成度の高さです。

シーレが学年最年少でアカデミーに特別入学できたという、その才能の説得力がありますので、ぜひチェックしてみてください。

エゴン・シーレ《装飾的な背景の前に置かれた様式化された花》1908年、油彩、金と銀の顔料、レオポルド美術館蔵

正方形のカンヴァスや背景に金や銀を用いる手法といった、クリムトの影響が如実に表れている《装飾的な背景の前に置かれた様式化された花》(1908)や、それより以前のアカデミー時代など、シーレが独自の画風を確立する前の初期の作品もいくつか紹介されていました。画家が羽化する道程と、画風を確立した後も強迫観念的な探求心で絶え間なく様式を変化させていった様子をじっくり追っていけます。

クリムトやモーザ―など、世紀末ウィーンの美術を彩った画家たち

グスタフ・クリムト《赤い背景の前のケープと帽子をかぶった婦人》1897/98年、油彩、クリムト財団蔵

先述のように、本展はシーレ作品をメインに据えつつ、シーレの師であるクリムトはもちろん、クリムトとともにウィーン分離派を創設し、風景画やグラフィックアートを得意としたコロマン・モーザー(1868-1918)、オーストリア表現主義の最初の画家に位置付けられ、近年再評価が進んでいるリヒャルト・ゲルストル(1883-1908)、シーレと同じくウィーンの表現主義を代表する巨匠オスカー・ココシュカ(1886-1980)といった、シーレと関連性のあるウィーンの画家たちの作品が集結。ウィーン美術の黄金時代の流れのなか、いかにしてシーレが傑出したのか、その背景が見えてくるでしょう。

アルビン・エッガー=リンツ《祈る少女 聖なる墓、断片Ⅱ》1900/01年、油彩、レオポルド美術館蔵
カール・モル《ハイリゲンシュタットの聖ミヒャエル教会》1902年、多色木版、レオポルド美術館蔵
リヒャルド・ゲルストル《田舎の二人》1908年、油彩、レオポルド美術館蔵
コロマン・モーザ―《キンセンカ》1909年、油彩、レオポルド美術館蔵
グスタフ・クリムト《シェーンブルン庭園風景》1916年、油彩、レオポルト美術館寄託(個人蔵)

シーレ作品がもつ現代性は、100年経った今も損なわれていません。

あらためて、本展は夭折の天才画家エゴン・シーレの作品が50点集結した大変貴重な機会です。ぜひ足を運んで、シーレの震えるように挑発的で繊細な感性に触れるとともに、世紀末ウィーンに満ちていた創造のエネルギーを体感してみてください。

「レオポルド美術館 エゴン・シーレ展 ウィーンが生んだ若き天才」概要

会期 2023年1月26日 (木) ~ 4月9日 (日) ※会期は変更になる場合があります。
会場 東京都美術館(東京・上野公園)
開室時間 9:30~17:30、金曜日は20:00まで (入室は閉室の30分前まで)
休室日 月曜日
観覧料 【日時指定予約制】
一般 2,200円、大学生・専門学校生 1,300円、65歳以上 1,500円、平日限定ペア割 3,600円

※詳細は公式サイトのチケットページでご確認ください
https://www.egonschiele2023.jp/ticket.html

主催 公益財団法人東京都歴史文化財団 東京都美術館、朝日新聞社、フジテレビジョン
後援 オーストリア大使館、オーストリア文化フォーラム東京
お問い合わせ ハローダイヤル 050-5541-8600 (全日/9:00~20:00)
展覧会公式サイト https://www.egonschiele2023.jp

※記事の内容は取材日(2023/1/25)時点のものです。最新の情報は展覧会公式サイト等でご確認ください。

 

記事提供:ココシル上野


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【取材レポ】日本初上陸の将軍俑も!「兵馬俑と古代中国展」が上野の森美術館で開幕

上野の森美術館
展示風景

日中国交正常化50周年を記念した展覧会「兵馬俑(へいばよう)と古代中国〜秦漢文明の遺産〜」が2022年11月22日より、上野の森美術館で開幕しました。(会期は2023年2月5日まで)

36体の兵馬俑を軸に、約200点の貴重な文物で古代中国文明の遺産を紹介する本展。開幕前日に行われた報道内覧会を取材してきましたので、展示の様子をレポートします。

展示入口
展示風景
展示風景
展示風景
展示風景 《彩色一角双耳獣》漢、陶、永寿県博物館

2000年の時を超えた、壮大な歴史との対峙

俑(よう)とは、古代中国において権力者の遺体とともに埋葬された、木や土で作られた人形(ひとがた)です。

1974年、始皇帝陵から約1.5km離れた場所で農民が井戸を掘っていたところ、一体一体顔も服装も異なる、ほぼ等身大の兵士や馬を模した俑が大量に出土。調査により、それらの兵馬俑は死後の始皇帝を守るために地下に配置されたものだとわかり、20世紀の考古学における最大の発見の一つと話題になりました。現在も発掘作業は続いていますが、その数は推計約8000体にも及ぶそうです。

紀元前221年、7国が争った春秋戦国時代を終わらせ、中国史上初めて統一王朝を打ち立てた始皇帝の秦王朝はわずか十数年で滅びましたが、兵馬俑はその絶大な国力を現代に伝えています。

本展はそんな秦王朝と、紀元前202年、秦が滅んだ後に劉邦が創始した、中国古代における黄金時代とされる漢王朝の中心地域である関中(現在の陝西省)の出土品を中心に、日本初公開の一級文物(最高級の貴重文物を指す中国独自の区分)など約200点を紹介するものです。

谷原章介さん

オープニングイベントには、展覧会のナビゲーターであり音声ガイドのナレーションも務めた俳優の谷原章介さんが駆けつけました。

会場にずらりと並んだ兵馬俑を見て「圧巻。モノとしての存在感の大きさに驚かされました」とコメント。「古くから作られているもののうち、残りやすいのは焼き物や金属製の品。織物や紙に書かれた書などのない展示を見て、それだけ古い時代の貴重なものが集まったんだなというのをすごく感じました」と、ひと足早く会場を巡った感想を述べます。

さらに、本展には春秋戦国時代を描いた人気漫画『キングダム』とコラボしたコーナーがあり、本人も作品の大ファンであることに触れ、「『キングダム』ファンの皆さんは作品の大好きな世界観を実感するためにも、ぜひこの展覧会にお越しいただけたら」と呼びかけました。

日本初公開となる貴重な将軍俑が来日!

会場では、紀元前770年の周王朝の遷都から220年の漢王朝の崩壊まで、およそ1000年に渡る時代の歴史資料を「第1章 統一前夜の秦~西戎から中華へ」「第2章 統一王朝の誕生~始皇帝の時代」「第3章 漢王朝の繁栄~劉邦から武帝まで」という3章構成で紹介しています。

立ち並ぶ兵馬俑

見どころは36体の兵馬俑ですが、特に「第2章 統一王朝の誕生~始皇帝の時代」にある始皇帝時代の兵馬俑の数々は、像高が平均で180cm前後ということで非常に迫力がありました。

日本では過去にも何度か兵馬俑をテーマにした展覧会が開催されてきましたが、本展の一番の特徴は、約8000体あるとされる始皇帝の兵馬俑のうち、11体しか出土していない貴重な「将軍俑」の、日本初公開の1体が来日していること。

一級文物《戦服将軍俑》統一秦、陶、秦始皇帝陵博物院

こちらがその《戦服将軍俑》です。「将軍」と名前がついていますが、正しくは軍吏や、戦車に乗り、歩兵や騎兵の小部隊を統率した高級武官の姿を模したものを指しています。像高は196cmと長身。

いくつもの兵馬俑が並ぶなかでも、頭に「鶡冠(かつかん)」という独特の形をした冠を被っているので、ひと目でそれとわかりました。鶡はキジ科の山鳥のことで、攻撃されると激しく反撃に出ることから、その尾羽を武人の冠に用いられるようになったとか。

兵馬俑はもともと鮮やかに彩色されていたことがわかっていて、右の頰や耳のあたりをよく見ると、白地に肌色を重ね塗りした跡があり、在りし日の名残を感じられます。右手が不自然に丸められていますが、これは剣を持つ様子を表しているそうですよ。

一級文物《立射武士俑》、統一秦、陶、秦始皇帝陵博物院
一級文物《跪射武士俑》、統一秦、陶、秦始皇帝陵博物院

立射する者、弩(いしゆみ)を持って待機する者など、顔や服装だけでなくポーズも多様なのが面白いところ。

一級文物《跪座俑》、統一秦、陶、秦始皇帝陵博物院

静かな佇まいが目を引く、像高64cmと等身大というにはやや小さい《跪座俑(きざよう)》は、馬や動物を飼育する役人を忠実に模したもの。兵士と馬の陶俑という組み合わせで埋葬されることもありますが、本作のような跪座俑は本物の馬や動物を埋葬する馬厩坑(ばきゅうこう)や珍禽異獣坑(ちんきんいじゅうこう)という場所に配置されていたようです。

周王朝のために馬を繁殖させて秦という土地を与えられたという経緯から、秦にとって馬は勢力の発展に欠かせない存在でした。死後の世界にも世話役を、という、秦の人々の馬や動物への心情の深さが感じられます。

同フロアには戦車馬の陶俑の姿もありました。

一級文物《戦車馬》、統一秦、陶、秦始皇帝陵博物院

兵馬俑は、当時すでに廃止された人間の殉葬(墓主の死に合わせて殺され、埋葬されること)の代わりに生まれたもので、始皇帝の兵馬俑は生前、彼に仕えた実在の軍隊・人物をモデルに作られたといいます。

武器を携えたポーズをとる兵馬俑もいますが、見渡してみると、戦いに赴く厳めしい表情は発見できず、逆に穏やかで生き生きした表情が多いことに気づきます。始皇帝は生前から自身の陵墓を造営し始めていたと知り、これらの表情は、死後の世界の安息を願った始皇帝本人の指示だったのかもしれないと想像がふくらみました。

兵馬俑の興味深いところは、これほどリアルで等身大サイズのものは、始皇帝時代にしか見られないという点。

会場では、秦王朝における兵馬俑の最古の作例の一つである《騎馬俑》や、前漢の頃に作られた《彩色歩兵俑》なども鑑賞できますが、いずれも像高は1mもなく、前漢のものはデザインが簡略化・画一化されています。つまり、ほぼ等身大で、しかも一体一体モデルがいるという始皇帝時代の兵馬俑はかなり特殊なのです。

一級文物《騎馬俑》戦国秦、陶、咸陽市文物考古研究所
《彩色歩兵俑》前漢、陶、咸陽博物院

始皇帝の兵馬俑が作られた理由について、本展の監修者である学習院大学名誉教授・鶴間和幸さんは、

■(先述したように)本物の馬や動物を丁寧に埋葬する際、世話役として跪座俑をわざわざ配置する、後に等身大の陶馬と陶俑を組み合わせるなど、馬や動物を尊んだ秦人の精神の賜物なのではないか。

■戦国時代の秦の墓からギリシャ神話の葡萄酒の神・ディオニソスを描いた装飾板が発見されたことなどから、古代ギリシャの彫刻と芸術の影響を受けていたのではないか。

といった推測をしているそうです。

かつて孔子は、人間をかたどった姿である俑を批判しましたが、焚書坑儒で知られる始皇帝ですから、それを知っていてあえて孔子の教えに反するものを作ったのかもしれません。

寝殿や祭祀施設などが備わっていた始皇帝陵の周辺では、展示にはありませんが、兵士だけではなく、文官や音楽家、曲芸師の俑も発見されているとか。
いずれにせよ、徹底した写実性をもたせたこれらの兵馬俑は、当時の秦の姿をそのまま再現するかのようで、当時の秦という国の絶大な国力だけでなく、始皇帝の並々ならぬ死後の世界への期待、支配者としての矜持が感じられました。

『キングダム』の世界の理解が深まる展示品も

春秋戦国時代を舞台に、秦の中華統一に至る道のりを描く人気漫画『キングダム』と本展がコラボしていることは先述しましたが、コラボの様子がこちら。

一級文物《2号銅車馬》の複製品が置かれた『キングダム』コラボコーナー

《2号銅車馬》(複製品)が置かれた部屋をぐるりと囲むパネル展示により、同作に登場する歴史上の人物・場所や武具・装飾品と、本展の出品物を照らし合わせ、古代中国への理解を深められるようになっています。

パネル展示

この《2号戦車馬》は始皇帝陵から発掘されたもので、実物の2分の1サイズ。始皇帝の生前の巡行の威容を残しています。精巧な部品を組み合わせていることから、古代中国の青銅技術の最高峰と称えられているとか。

左のパネルに銅車馬が描かれています。

実はこの銅車馬、『キングダム』第1話で昌文君が載っていた馬車と(2頭立て、4頭立てという違いはありますが)よく似ています。このような細かな描写から作品の世界にリアリティが生まれるのだなと、あらためて魅力に気づかされます。

一級文物《青銅戟》秦、青銅、秦始皇帝陵博物院

また、作中指折りの人気キャラクターであり、嬴政(のちの始皇帝)に立ちはだかる秦国の丞相・呂不韋にゆかりがある《青銅戟(せいどうげき)》も発見。「戟」とは、戈(か)という武器に矛を付けた武器のことです。本品は兵馬俑坑で発見されたもので、「三年相邦呂不韋造」との文字が刻まれていて、呂不韋がこの武器の製造責任者であったことがわかります。

このように、本展のあちこちに『キングダム』の世界とリンクする出品物が登場しますので、ファンの方はぜひ会場の隅々までチェックしてみてください。

古代中国の人々の息遣いを感じる

《玉人》戦国秦、玉、宝鶏市陳倉区博物館
一級文物《鎏金青銅馬》漢、金、茂陵博物館

そのほか、青銅器や玉なども選り抜きの名品が揃っています。なかでも、日本初公開となる前漢の武帝が作らせたという秘宝《鎏金青銅馬(りゅうきんせいどうば)》は存在感がありました。金メッキの馬の像で、そのモデルは「一日千里を走る」と謳われた西の大宛の名馬”汗血馬”とされ、武帝がまだ見ぬ汗血馬への憧れを託して作らせたと考えられています。

《里耶秦簡》統一秦、木、里耶秦簡博物館
《鳳鳥青銅盉》春秋秦、青銅、宝鶏市陳倉区博物館
一級文物《鳳鳥銜環青銅薫形器》戦国秦、青銅、宝鶏市鳳翔区博物館

《里耶秦簡》という古代の行政文書や金印など最高級の貴重文物もあれば、貨幣や壺、甕、香炉、盤(ばん/手洗いの道具)、盉(か/酒や水をそそぐ器)、鼎(てい/肉や魚を煮るための道具)など、古代中国に生きた人々の生活が浮かび上がる品々も幅広く紹介され、古代中国の入門編としてもピッタリの内容となっていました。

ちらほらと素朴な動物モチーフの文物もあり、癒されました。《彩色陶羊尊》漢、陶、楡林市公共文化服務中心

古代中国のロマンが感じられる展覧会「兵馬俑と古代中国〜秦漢文明の遺産〜」の開催は2023年2月5日までとなっています。

 

「兵馬俑と古代中国〜秦漢文明の遺産〜」概要

会期 2022年11月22日(火)~2023年2月5日(日)
開館時間 9:30〜18:00入館は閉館30分前まで
休館日 2022年12月31日(土)〜2023年1月1日(日)
会場 上野の森美術館
主催 東京新聞、フジテレビジョン、上野の森美術館、陝西省文物局、陝西歴史博物館(陝西省文物交流中心)、秦始皇帝陵博物院
お問い合わせ 050-5541-8600(ハローダイヤル/9:00~20:00)
展覧会公式サイト https://heibayou2022-23.jp

※記事の内容は取材日(2022/11/21)時点のものです。最新の情報は展覧会公式サイト等でご確認ください。

 


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【会場レポ】総展示“毒”数 250超え! 特別展「毒」が国立科学博物館で開幕(~2023年2月19日まで)

国立科学博物館

東京・上野の国立科学博物館では2022年11月1日(火)~2023年2月19日(日)の期間、特別展「毒」が開催されています。

地球上に存在するさまざまな「毒」を、動物学、植物学、地学、人類学、理工学のスペシャリストたちが徹底的に掘り下げて紹介する本展。

開幕に先駆けて行われた報道内覧会に参加してきましたので、展示内容や会場の様子など、感想を交えつつレポートします。

会場入口
会場風景
会場風景
会場風景
会場風景

毒・毒・毒…あらゆる毒を横断的に解説する特別展

動物、植物、菌類、鉱物、さらには人工毒など、自然界や人間社会に存在するさまざまな「毒」は、大まかにまとめると「ヒトを含む生物に害を与える物質」として理解されています。

特別展「毒」は、そんな毒をもった生物や毒性ある物質を集め、毒の多様性を紹介するにとどまらず、毒とともに進化してきた生物の歴史や、古代より毒を、時には武器、時には薬として使用してきた人間と毒との関係など、「毒とはいったい何か?」を多角的に解説するもの。

毒をテーマにした特別展は、国立科学博物館では初の試みとなります。

登場する毒の総数はなんと250超え!
動物学、植物学、地学、人類学、理工学と、各研究部門のスペシャリスト9名による国立科学博物館ならではの網羅的な解説や、貴重な標本資料などが楽しめる内容になっています。

会場入口で手に入る毒クイズ。忘れずにゲットしましょう。

会場内では、クイズ王・伊沢拓司さん率いるQuizKnockが出題する「毒クイズ」を解きながら毒の知識を深められるほか、アニメ「秘密結社鷹の爪」シリーズでおなじみの「鷹の爪団」が世界征服に使えそうな毒を探索するついでに、会場内のあちこちに登場して毒の世界に対して面白いコメントを残してくれています。

「鷹の爪団」のコメントにより、さらに楽しく会場を回れます。

また、今回が初の博物館音声ガイドとなる声優の中村悠一さんによる音声ガイド毒がテーマの大人気小説『薬屋のひとりごと』のイラストを手掛ける、しのとうこ先生による描き下ろしイラストが楽しめるなど、さまざまなクリエイターが本展を盛り上げています。

報道内覧会前に行われたオープニングトークでは、本展の監修統括をつとめた国立科学博物館 植物研究部長の細矢剛さんと、本展のオフィシャルサポーターに就任した伊沢拓司さんからメッセージをいただきました。

前列、一番右が細矢さん、右から二番目が伊沢さん。周りは本展の監修者のみなさま。

細矢さんは、「この展覧会は、毒の多様性・多面性を理解してもらいたいと考えて企画されました。毒というのは物質ではありますが、自然の働き・営みというものを理解するために生み出されたアイデア・概念と考えることもできると思います。毒と向き合う姿勢は科学そのものです」と本展の企画意図を語ります。

科博の各研究部門を横断する企画ということで見せたいネタが多すぎ、情報の厳選や展示にストーリー性をもたせることに苦労したとのこと。

ベニテングタケのぬいぐるみを抱える伊沢さん

伊沢さんは、毒に対して「子どもの頃から恐怖を感じつつも、同時に魅力的で惹かれてしまう存在」というイメージをもっていたそう。本展を鑑賞してみて、「展示が重厚です! 子どもから大人まで楽しめるギミックが用意されている。見ごたえがあるので2時間は(鑑賞の)時間をとっていただきたい。僕は展示を一周するのに3、4時間はかかるかな」と内容の充実ぶりをアピールします。

「毒というと怖い印象があるので、もしかすると親御さんが子供に見せたくないと思ってしまうかもしれませんが、大事なのは正しく知って正しく恐れること。なんとなく恐れるのではなく、正しく知って、日常の中にある毒から我々は逃れられないからこそ、うまく付き合っていくこと(の大切さを)を、知識を得ながら感じていただければ嬉しい」と締めくくりました。

ハブやスズメバチの大迫力の拡大模型が来場者をお出迎え!

本展は第1章~第4章、終章の全5章構成となっています。

「生活の中の毒」パネル

毒とはどんなものか、その概念をつかむための動画やパネルが用意された「第1章 毒の世界へようこそ」では、室内や身近な野外で私たちが出会いそうな毒を紹介する「生活の中の毒」のパネルが人気を集めていました。

パネルを見て、「かびたパン」「一酸化炭素」などはフムフムといった感じですが、「ブドウ」や「ピーナッツ」など普段なにげなく食べている食材も例として挙がっていてギョッとします。(これがどんな毒になるのかは展示の最後で明かされています)

毒に対して、サスペンスで事件に用いられる毒薬や毒ヘビ、毒グモなど、なんとなく非日常のイメージをもっていましたが、「言いすぎかもしれませんが、私たちは毒に囲まれて生活しています」と解説にあるとおり、全くそんなことはないというのが早速分からされる導入部です。

「第2章 毒の博物館」展示風景

続いて本展のメインともいえる、私たちの周りのさまざまな毒や毒をもった生物を紹介する「第2章 毒の博物館」エリアに突入します。

ここでは、獲物の捕獲や無力化に用いられる「攻めるための毒」と、外敵から身を守るために用いられる「守るための毒」の解説のために制作された圧巻の拡大模型が登場!

実物比の約30倍のハブ、約40倍のオオスズメバチ、約70倍のセイヨウイラクサ、約100倍のイラガの幼虫の4体がありました。

ハブとオオスズメバチの拡大模型

キバや針をむき出しに襲い掛かろうとしているハブとオオスズメバチの模型のディティールには目を奪われます。躍動感がすごい……!

「日本の三大有毒植物」であるドクウツギ、トリカブト、ドクセリの展示
ズグロモリモズの展示

「日本の三大有毒植物」や、その毒性を遥かにしのぐ世界の有毒植物、毒をもつ世にも珍しい鳥類「ズグロモリモズ」、食用キノコと間違われやすい毒キノコ、かつて不老不死の薬だと信じられた猛毒の水銀など、バラエティに富んだ毒が次々に登場して知識欲が大いに刺激されます。

トビズムカデやツシマハリアリなど、毒虫の展示
ガンガゼやスベスベマンジュウガニなど、海岸で見られる有毒生物の展示

面白かったのは、「毒のカクテル」と表現される多様な化学物質がブレンドされた毒をもつハチにまつわる展示の一画にあった、「シュミット指数」についてのコラム。

シュミット指数のコラム

シュミット指数とは、アメリカのジャスティン・シュミット博士(1947-)が「どのハチに刺されるのが一番痛いのか」という疑問に対し、実際にハチに刺されてみる(!)ことで痛みを相対的に数値化したもの。(この研究で博士はイグノーベル賞を受賞したそうです)

「カッと熱くなるような鋭い痛み。まろやかなハヴァティチーズだと思って食べたら、極辛のハラペーニョ入りチーズだったような」など、シュミット指数に添えられた比喩表現が妙に巧みなのが笑いを誘います。

人間は毒によって進化した生物? 人間の歴史は毒とともにあった

「第3章 毒の進化」展示風景

たっぷりの毒知識を入手できる大満足間違いなしの第2章を抜けても、まだまだ展示は続きます。

ここまで生物や鉱物の世界を探検しているような空間演出でしたが、「第3章 毒の進化」からは一転、清潔感のあるラボのような雰囲気に。

ここでは毒のある生物への擬態や、有毒生物からの毒の盗用、毒に耐える性質の獲得、毒を利用した種子の散布戦略など、毒がきっかけとなった進化の例を紹介しています。

酸素の展示

たとえば、多くの生物に必要不可欠な酸素にも実は毒性があります。私たちヒトも、毒に適応して進化した生物だったのです。

また、自身が有毒動物であることを周囲に伝え、無用な争いを避ける効果がある「警告色」をもつように進化したのは、キオビヤドクガエルやアカハライモリ。

キオビヤドクガエルの展示
アカハライモリの展示

キオビヤドクガエルの「黄色×黒」の警告色は、オオスズメバチなど他の生物にもよく見られますが、アカハライモリは「赤×黒」。この違いには何か理由があるのかと思っていましたが、要は「明るい色と暗い色のコントラスト」が重要なのだとか。

「ユーカリVSコアラ」の展示

毒に耐える性質の獲得の例としては、「ユーカリVSコアラ」の展示がありました。

ユーカリは葉が硬く、繊維質が多く栄養素も少なく、さらには毒性をもつ化学物質が多く含まれるなど、草食動物から身を守る防御戦略が徹底しています。そのユーカリ林で繁殖したに成功したコアラは、ユーカリの葉の毒に耐えるさまざまな特徴を発達させた対ユーカリのスペシャリスト。かわいい顔でも体の中は強靭なんですね……!

「第4章 毒と人間」展示風景

「第4章 毒と人間」は、狩猟や戦に利用したり、「毒」を研究することにより薬を生み出したりと、私たち人間にとって毒とはどんな存在だったのかを振り返りながら、科学の進歩による毒の解明、その利用など、「毒」の研究についても紹介するエリアです。

南アフリカのボーダー洞窟で発見された約2万4000年前の「切れ目のある木の棒」のレプリカが、人が毒を使用した最古の証拠として展示されていて、人間と毒との長い歴史を感じます。

「おしろい文化」の展示

鉛や水銀など毒性がある成分が含まれる白粉が使われていた江戸時代の「おしろい文化」や、1890年に日本で発明された、植物が捕食者から身を守るために合成している毒を使った蚊取り線香など、日本文化と毒との関係も興味深いものでした。

「毒生物料理」の展示

毒の除去、無毒化によって本来なら食べられない生物を食材として生かしている「毒生物料理」の技の紹介も。

フグやウナギは知っていましたが、少し前に日本で大ムーブを巻き起こしたタピオカの原料であるキャッサバも無毒化が必要な作物だったとは……。人間の食に対する飽くなき探求心が、毒性を乗り越える原動力になっていたことが分かります。

「終章 毒とはうまくつきあおう」展示風景

ここまでの展示で、私たちのまわりは毒だらけだということがはっきりと理解できます。今でも新しい毒が生まれたり、発見されたり……ヒトは生きていく限り、毒と付き合っていかざるを得ないことが身に染みたところで、展示はラストの「終章 毒とはうまくつきあおう」へ。

会場全体を振り返り、毒というのはどういう存在か、毒から逃れられない私たちが毒とどう向き合っていくべきかをあらためて考えるための象徴的な毒の展示が、本展を締めくくります。

第2会場 展示風景

展覧会特設ショップへ向かう途中にある第2会場では、本展を監修した9名の研究員と「鷹の爪団」にとっての「毒」とは何かを聞いたインタビューを読む(見る)ことができました。

特に「毒にあたらないように注意していることはありますか?」という質問への回答は、研究者ならではの体験を交えたアドバイスになっているのでぜひ一読を。

展覧会特設ショップの様子

展覧会特設ショップではTシャツや図鑑風下敷き、ポップなデザインのポーチなど本展オリジナルグッズが多数販売中。ベニテングタケやツキヨタケの大きなぬいぐるみもかわいいですが、なかでも『特別展「毒」焼印入まんじゅう』はドッキリアイテムとしておすすめ。中身の餡もむらさき芋使用で毒々しさマシマシです。

特別展「毒」焼印入まんじゅう(6個入/税込972円)

毒の神秘と驚きに触れながら、ヒトと毒との関係の「これまで」と「これから」を考える特別展「毒」。一部、ムカデや毒虫など人を選ぶ展示もあるので苦手な方は注意が必要ですが、ぜひ皆さんも、奥深い毒の世界に足を踏み入れてみてください。

特別展「毒」概要

会期 2022年11月1日(火)~2023年2月19日(日)
※会期等は変更になる場合があります。
会場 国立科学博物館(東京・上野公園)
開館時間 9時~17時(入場は16時30分まで)
休館日 月曜日、12月28日(水)~1月1日(日・祝)、1月10日(火)
※ただし1月2日(月・休)、 9日(月・祝)、2月13日(月)は開館。
入場料(税込) 【一般・大学生】2,000円 【小・中・高校生】600円

※入場にはオンラインによる日時指定予約が必要です。
※未就学児や、障害者手帳をお持ちの方とその介護者1名は無料です。日時指定予約は必要となりますのでご注意ください。

お問い合わせ 050-5541-8600(ハローダイヤル)
展覧会公式サイト https://www.dokuten.jp/
主催 国立科学博物館/読売新聞社/フジテレビジョン
監修 ・細矢 剛(国立科学博物館 植物研究部長)
・中江 雅典(国立科学博物館 動物研究部 脊椎動物研究グループ 研究主幹)
・吉川 夏彦(国立科学博物館 動物研究部 脊椎動物研究グループ 研究員)
・井手 竜也(国立科学博物館 動物研究部 陸生無脊椎動物研究グループ 研究員)
・田中 伸幸(国立科学博物館 植物研究部 陸上植物研究グループ長)
・保坂 健太郎(国立科学博物館 植物研究部 菌類・藻類研究グループ 研究主幹)
・堤 之恭(国立科学博物館 地学研究部 鉱物科学研究グループ 研究主幹)
・坂上 和弘(国立科学博物館 人類研究部 人類史研究グループ長)
・林 峻(国立科学博物館 理工学研究部 理化学グループ 研究員)

※記事の内容は取材日(2022/10/31)時点のものです。最新の情報は展覧会公式サイト等でご確認ください。

 

記事提供:ココシル上野


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【会場レポ】特別展「国宝 東京国立博物館のすべて」がついに開幕!国宝89件が全公開、三日月宗近など19の刀剣が揃う「国宝刀剣の間」も

東京国立博物館

※本記事は2022年10月22日に作成されたものです。紹介した展示作品の中にはすでに展示期間を終了しているものもありますのでご注意ください。(2022年12月1日)

 

2022年10月18日〜12月11日の期間、東京国立博物館(以下、東博)では特別展「国宝 東京国立博物館のすべて」が開催されています。

創立150周年というメモリアルイヤーを記念した本展では、東博が所蔵する国宝89件すべてに加え、重要文化財も多数出品! 美術ファンでなくても見逃せない内容になっています。

開催に先立って行われた報道内覧会に参加してきましたので、その豪華すぎる会場の様子を詳細レポートします。

 

*本展は事前予約制(日時指定)です。
*会期中展示替えがあります。
*特別な記載のない作品はすべて東京国立博物館所蔵です。

展示風景「国宝刀剣の間」
展示風景
展示風景、狩野長信筆《花下遊楽図屛風》江戸時代 17世紀 展示期間 : 10/18~11/13
展示風景、写真手前は《扁平鈕式銅鐸》伝香川県出土、弥生時代、前2~前1世紀、展示期間 : 10/18~12/11

この先50年は実現困難!?驚異の展覧会の幕開け

特別展「国宝 東京国立博物館のすべて」は、150年という日本で最も長い歴史をもつ博物館・東博の全貌を紹介するべく、約12万件という膨大な所蔵品の頂点ともいえる国宝89件すべてを含む名品と、明治時代から続く150年の歩みを物語る関連資料を展示する展覧会です。

東博の国宝コレクションは日本最大で、89件というのは現在国宝に指定されている美術工芸品の約1割に当たります。その数だけ見ても、本展がどれだけスペシャル仕様なのかがお分かりいただけるはず。

もちろんこのような展覧会は前代未聞、史上初!
今年5月に行われた報道発表会では、東博の研究員の方々ですら、国宝89件すべてを勢ぞろいさせた光景は今まで見たことがないと語っていました。

数年前からの細かな展示計画の調整が非常に大変だったそうで、「次の開催は200周年のとき、50年後かもしれません」とのお話でした。一生に一度のチャンスの可能性もあるので、気になっている方は意地でもスケジュールを調整してほしいところ。

長谷川等伯、雪舟、本阿弥光悦…美の神髄は今、東博で出会える

本展は「第1部 東京国立博物館の国宝」「第2部 東京国立博物館の150年の歩み」の2部構成となっています。

「第1部 東京国立博物館の国宝」は、見渡す限り国宝のみがシンプルに展示されているエリア。国宝89件の内訳は、絵画21件、書跡14件、東洋絵画4件、東洋書跡10件、法隆寺献納宝物11件、考古6件、漆工4件、刀剣19件です。

 

*展示替えを含めての「すべて公開」ですので、一度訪れるだけでは国宝全件を鑑賞できない点はご注意ください。(どのタイミングでも、1回の観覧で鑑賞できる国宝は60件前後になるようです)
また、展覧会公式サイトでは全件の展示スケジュールが公開されています。

長谷川等伯筆《松林図屛風》安土桃山時代、16世紀 展示期間 : 10/18~30

会場に入ると、まずは挨拶代わりに安土桃山時代に活躍した絵師・長谷川等伯の代表作《松林図屛風》が登場。

「東博といえばこれ」と感じる国宝のひとつですが、その高潔な佇まいに、見るたび息を飲みます。松林を取り巻く清涼な大気の湿度すら感じられる画面、墨一色でここまで描けてしまうものなのかと。松は幻のように幽玄な雰囲気をまとっているのに、近づいて見れば筆致が驚くほど激しいことに圧倒されます。

日本水墨画の最高峰と言われていますが、「実は下絵だったのでは疑惑」があるのが面白いポイント。

展示風景、渡辺崋山筆《鷹見泉石像》江戸時代 天保8年(1837)展示期間 : 10/18~11/13
雪舟等楊筆《秋冬山水図》室町時代、15〜16世紀、展示期間 : 10/18~11/13
《孔雀明王像》平安時代、12世紀、展示期間 : 10/18~11/13

平安時代を代表する仏画《孔雀明王像》はシンメトリーな構図が美しく、赤、金、緑、藍など彩色も華麗で目を引きました。

肌は淡く赤がにじみ、輪郭線も桃色でふっくらと柔らかい印象を受けます。明王は怒った顔がデフォルトですが、孔雀明王は例外で、こちらの孔雀明王も菩薩のように柔和で慈愛溢れる表情を浮かべています。向かい合うとどんどん心が穏やかに……。

さらによく目を凝らすと、衣服やアクセサリー、孔雀の羽などに見られる金箔や金泥を用いた截金文様のすばらしいこと! 経年で褪せているので気づきにくいですが、特に下半身の衣服の職人芸は必見。当時はどれだけ煌びやかに輝いていたのでしょうか。

人々の災いを取り除くとされる孔雀明王ですが、手に持つ吉祥果が子孫繁栄の象徴とも見なされる柘榴であることから、高位の貴族が安産祈願のために描かせたものでは、と考えられているとか。

《平治物語絵巻 六波羅行幸巻》鎌倉時代、13世紀、松平直亮氏寄贈、展示期間 : 10/18~30
《平治物語絵巻 六波羅行幸巻》(部分)

鎌倉時代に描かれた合戦絵巻の傑作《平治物語絵巻 六波羅行幸巻》も要注目。

平治の乱を題材に、幽閉された二条天皇が女房姿で脱出を図り、平清盛の六波羅邸に逃れる前後の様子が描かれています。武士たちの甲冑や刀剣のリアルな描写を楽しめる作品ですが、全長が約9m50cmもあるため、スペースの関係で普段の展覧会ではなかなかすべてを広げることは少ないそう。

しかし、そこはさすが国宝展! 全場面を漏れなく鑑賞できるように展示してくださっていました。ただし、公開は10月30日まで。2週間限定展示なので注意です。

小野道風筆《円珍贈法印大和尚位並智証大師諡号勅書》(部分)、平安時代、延長5年(927)展示期間 : 10/18~11/13
《古今和歌集(元永本)》上帖、平安時代、12世紀、展示期間 : 10/18~12/11、会期中、頁替えあり

書跡では、聖武天皇が書いたと伝わる、墨をたっぷり含んだ堂々たる大字が魅力であり、かつては手鑑の冒頭を飾る名筆として珍重されたという《賢愚経残巻(大聖武)》(奈良時代、8世紀、展示期間 : 10/18~11/13)や、三蹟の一人であり、紫式部が『源氏物語』の中で「今めかしうをかしげに目もかがやくまでみゆ(=今風で美しい書はまばゆいほどに見える)」と絶賛した能書家・小野道風による《円珍贈法印大和尚位並智証大師諡号勅書》などが鑑賞できます。

原装幀のまま『古今和歌集』を完存する現存最古の遺品である《古今和歌集(元永本)》は、文字だけでなく菱唐草文や孔雀唐草文などが雲母摺りされた、平安貴族たちの美意識を感じる豪華な料紙も見どころ。

ほとんど仮名で構成された書であり、料紙に合わせた軽快な筆づかいからは、口に出して読んだときの和歌のリズムも伝わってくるようでした。

李迪筆《紅白芙蓉図》、中国・南宋時代、慶元3年(1197)、展示期間 : 10/18~11/13
《竜首水瓶》飛鳥時代、7世紀、展示期間 : 10/18~12/11
本阿弥光悦作《舟橋蒔絵硯箱》江戸時代、17世紀、展示期間 : 10/18~11/13
《埴輪 挂甲の武人》古墳時代、6世紀、展示期間 : 10/18~12/11
《江田船山古墳出土品》3点。写真左は《金銅製沓》朝鮮・三国時代、5~6世紀、展示期間 : 10/18~12/11

便宜上、数の多い絵画と書跡の作品のいくつかをご紹介してみましたが、正直いって見どころしかありません!

《江田船山古墳出土品》など、一部作品については「こんな国宝もあったんだ」と知る機会になりましたが、基本的に古いものでは紀元前から19世紀の江戸時代まで、教科書でおなじみの作品が息つく間もなく登場します。作品のキャプションに「現存最古の~」や「最高峰の~」といったただならぬ形容詞が当たり前のように並んでいるのが恐ろしいところ。

国宝群のオーラに脳を焼かれますので、鑑賞の際にはぜひ体調をしっかり整えて、滞在時間を十分に確保して休み休み臨まれるのをおすすめします。

会場風景

ちなみに、写真のようにかなり広めに展示スペースが取られていて、椅子も多く設置されていたので、自分のペースで回ることができそうです。

会期が進むと、狩野永徳筆《檜図屛風》(展示期間:11/1〜11/27)、岩佐又兵衛筆《洛中洛外図屛風(舟木本)》(展示期間:11/15~12/11)、尾形光琳作《八橋蒔絵螺鈿硯箱》(展示期間 : 11/15~12/11)などが登場予定。

三日月宗近の“三日月”も堪能できる!「国宝刀剣の間」

「国宝刀剣の間」
《梨地螺鈿金装飾剣》平安時代、12世紀、展示期間 : 通期

開幕前からSNSなどで話題になっていましたが、第1部の後半には19件の国宝刀剣のみを集めた「国宝刀剣の間」が出現。

相州正宗《刀 金象嵌銘 城和泉守所持 正宗磨上 本阿(花押)》鎌倉時代、14世紀、展示期間 : 通期

刃文や地金をより美しく鑑賞してほしいと、展示ケースや照明には非常にこだわったというお話。たしかに、空間全体が暗いため、作品のライティングが非常に映えます。

厳かな雰囲気の中でぼうっと浮かび上がる刀剣。きらめく切っ先の艶やかな美しさには、思わず感嘆の吐息がこぼれました。

長船長光《太刀 銘 長光(大般若長光)》鎌倉時代、13世紀、展示期間 : 通期
古備前包平《太刀 銘 備前国包平作(名物 大包平)》平安時代、12世紀、展示期間 : 通期

人気ゲーム『刀剣乱舞-ONLINE-』でキャラクターのモチーフになった三日月宗近、大包平、大般若長光、小龍景光、厚藤四郎、亀甲貞宗の姿も発見!
ファンにはたまらない空間ではないでしょうか。

三条宗近《太刀 銘 三条(名物 三日月宗近)》平安時代、10~12世紀、展示期間 : 通期

注目を集めていたのは「国宝刀剣の間」の中央に展示されていた、優美な太刀姿の三日月宗近。京都・三条で平安時代後期に活躍した、日本刀成立初期の名工と名高い宗近の代表作であり、数ある日本刀の中でも名刀中の名刀とされる「天下五剣」の一つに数えられています。

三条宗近《太刀 銘 三条(名物 三日月宗近)》(部分)

刃文に「打ちのけ」と呼ばれる、小さなキズのようなものが連なっているのが見えました。これが三日月のようだ、美しい、珍しいということで「三日月」の号がついたとか。

筆者はこれが三日月宗近との初対面。名前の由来は知っていたものの、誰が見ても三日月とわかる大きな模様がひとつ刻まれているのだと勝手に思い込んでいたので、実際は小さく点々と打ちのけが入っていたことに驚きました。

正直、「三日月に見え……見えるか……?」という第一印象でしたが、当時の人々がこれを見て三日月を連想した、その風流で豊かな感性が胸に響きます。

耆安綱《太刀 銘 安綱(名物 童子切安綱)》平安時代、10~12世紀、展示期間 : 通期

事前の報道発表会で、「三日月宗近と同じく日本刀成立初期の名刀として有名な童子切安綱は、実は刃の寸法がまったく同じ。どちらも刃の長さが80cm、反りが2.7cm」というお話を聞いていたので、「そんな偶然があるんだ!」と実際に見比べてみることに。

外見の印象はかなり異なっていて、三日月宗近は切っ先に向けて細くなっていく、優美という言葉がぴったりの細身の刀。一方で童子切安綱は、全体的にどっしりと、どことなく野性味のある力強い太刀姿です。また、三日月宗近は持ち手の茎(なかご)の部分と刃の境でグッと角度がついているというか、強く沿っていますが、童子切安綱は茎と刃でなめらかにカーブを描いているように見えました。

この違いは、京の都を拠点とした宗近に対し、伯耆の国(現在の鳥取県)を拠点とした安綱という作者の居住地の地域文化が、刀の姿に反映されているのではないか、ということでした。同じ国宝、同じ時代、同じ寸法の刀剣の、まったく異なる美しさを堪能する。この贅沢な楽しみ方ができるのも本展ならではでしょう。

出展作品の中でも刀剣は特に、光を刀身に滑らせることで初めて見えるものがあるというか、写真では伝わらない美しさの比率が大きいと感じます。こだわりが詰まった最高の展示空間でその魅力を堪能できますので、刀剣ファン以外の方にも心からおすすめ!

なお、刀剣に関しては19件すべてが通期で公開されています。

キリンの剥製も約100年ぶりに里帰り!東博150年の歩みを振り返る

「第2部 東京国立博物館の150年」

東博は明治5年(1872)に旧湯島聖堂の大成殿で開催された「湯島聖堂博覧会」をきっかけに誕生した「文部省博物館」がルーツ。日本の近代化を図るとともに、日本文化の国内外への発信、文化財の保護を目的に、当初は博物館のほか、植物園、動物園、図書館の機能を併せもつ総合博物館を目指していたそうです。

明治15年(1882年)、上野に拠点を移して活動を本格化。明治19年(1886)に博物館は宮内省所管となり、明治22年(1889)に「帝国博物館」、明治33年(1900)に「東京帝室博物館」と改称されます。この頃は国家の文化的象徴、さらには皇室の宝物を守る美の殿堂と位置付けられ、だんだんと歴史・美術の博物館としての性格を強めていきました。

昭和13年(1938)に現在の本館が開館し、終戦後に所管は宮内省から再び文部省へ。昭和27年(1952)に名称が現在の「東京国立博物館」となり、東洋館、資料館、法隆寺宝物館などを新しい施設を充実させながら今日に至ります。

国宝展、続く「第2部 東京国立博物館の150年」では、そんな東博の150年の歴史を物語る収蔵品や関連資料を3期に分けて展示。明治からの歩みを追体験できます。

名古屋城金鯱の実物大レプリカ

「第1章 博物館の誕生(1872-1885)」では、初期の東博コレクションを中心に、東博誕生のきっかけとなった湯島聖堂博覧会で展示された作品なども紹介。博覧会の雰囲気を再現するため、当時最も人気を集めたという名古屋城の金鯱の実物大レプリカが置かれています。

一部の展示ケースも、100年以上前に実際に使用されていたものを修理して活用したとのことなので、ぜひ注目してみてください。レトロな雰囲気がたまりません。

湯島聖堂博覧会で評判になった品々を描いた《古今珎物集覧》/一曜斎国輝筆《古今珎物集覧》明治5年(1872)、展示期間:通期

明治期の日本の工芸技術の高さを世界に知らしめた《褐釉蟹貼付台付鉢》《鷲置物》には、令和に生きる筆者も目を見張りました。

重要文化財、初代宮川香山作《褐釉蟹貼付台付鉢》明治14年(1881)、展示期間:通期
重要文化財、鈴木長吉作《鷲置物》明治25年(1892)、展示期間:通期

輸出陶磁器の先駆者だった初代宮川香山による《褐釉蟹貼付台付鉢》は、明治14年(1881)に上野公園で開催され、約4ヶ月で80万人以上を動員したという第二回内国勧業博覧会の出品作。今にも動き出さんばかりのリアリティがある蟹が器の縁に爪をひっかけているというダイナミックな構図の作品です。

一方の《鷲置物》は、明治時代を代表する蠟型鋳造の達人・鈴木長吉の代表作。明治26年(1893)に米国で開催されたシカゴ万国博覧会に出品された後に東博に収蔵されました。遠目には剥製と見紛うばかりに生き生きとしていて、今にも獲物を狙って飛びだしそうな躍動感がお見事。

《砲弾(四斤山砲)》東京都台東区上野公園採取、明治時代、19世紀 展示期間:通期

また、東博誕生の関連資料として《砲弾(四斤山砲)》の展示も。

明治元年(1868)に起こった上野戦争の際、寛永寺に立てこもった彰義隊ら旧幕府軍に対して明治新政府軍が撃ち込んだとされる砲弾の実物です。現在は東博の北側に隣接する寛永寺ですが、実は江戸時代には上野公園の土地は寛永寺の境内でした。

彰義隊をかくまったと見なされた寛永寺は、一度すべての境内地を没収されます。その後紆余曲折あり、土地の大部分が上野公園へと姿を変え、近代化をアピールするため博物館を立てたり、博覧会を開催したりするようになりました。上野戦争で焼け野原になり、街づくりをするのにちょうどいい土地だったからこそ、今日の上野公園、引いては東博があるのだと思うと……。悲しい出来事ではありますが、上野戦争も東博誕生のきっかけのひとつと言えるのかもしれません。

《鳳輦》江戸時代、19世紀、展示期間:通期

「第2章 皇室と博物館(1886-1946)」では、宮内省所管時代の東博にフィーチャー。皇室とのゆかりを示す作品も紹介しています。

皇室関係では、巨大な《鳳輦》(ほうれん)と呼ばれる乗り物がひときわ高貴なオーラを出していました。鳳輦は天皇が行幸の際に使用されるもので、こちらの鳳輦は実際に孝明天皇や明治天皇がお乗りになったとか。

黒田精輝筆《瓶花》大正元年(1912年)、展示期間:通期

明治23年(1890)に、優れた美術家の保護奨励制度として皇室により創設された「帝室技能員制度」というものがあり、帝室技能員たちの優品は宮内省所管時代の東博に多く収蔵されたといいます。

《瓶花》は、洋画家とした初めて帝室技能員に任命された明治洋画壇の重鎮・黒田清輝の作品です。画面右下には「黒田清輝謹写」と署名があり、これは黒田の作品には珍しいことなのだとか。帝室への献品という特別な来歴をうかがわせるものです。

《キリン剥製標本》明治14年(1908)、国立科学博物館蔵、展示期間:通期

また、総合博物館を目指していたころの東博の名残を感じるキリンの剥製標本も登場!

動植物や鉱物の標本などの天産(自然史)資料は関東大震災後、東京博物館(現在の国立科学博物館)に譲渡されましたが、こちらの剥製は本展のために、約100年ぶりに里帰りする形になりました。

彼は明治40年(1907)にドイツから生きたまま日本へやってきた初めてのキリン2頭のうちの1頭で、名前は「ファンジ」。当時東博の一部だった上野動物園で飼育され、多くの人々から人気を集めたそうです。

重要文化財、尾形光琳筆《風神雷神図屛風》江戸時代、18世紀、展示期間:10/18~11/13

「第3章 新たな博物館へ(1947-2022)」では、終戦後、国民のための開かれた博物館としての東博が、時代の変化や社会の変化に応じて今日まで取り組んできた活動とこれからの展望を、代表的な戦後コレクションとともに紹介しています。

重要文化財である尾形光琳の《風神雷神図屏風》や「土偶といえばこれ」な方も多いだろう《遮光器土偶》など、国宝エリアに負けず劣らず、こちらにも有名作品が多数展示されていました。

重要文化財、《遮光器土偶》縄文時代、前1000~前400年、展示期間:通期
重要文化財、《伝源頼朝坐像》鎌倉時代、13~14世紀、展示期間:通期
重要文化財、《縫箔 紅白段草花短冊八橋模様》安土桃山時代、16世紀、展示期間:通期

令和の最新コレクションとして、今年2月に東京国立博物館の所蔵品となった《金剛力士立像》の姿も。

《金剛力士立像》平安時代、12世紀、展示期間:通期

この2体はかつて滋賀県・蓮台寺の仁王門に安置されていましたが、昭和9年(1934)の室戸台風で大破してしまったのだとか。長らく壊れたままでしたが、約2年間かけて修理されかつての姿を取り戻し、本展で初お披露目となりました。

数少ない平安時代末期の金剛力士立像で、大きさは2m80cmほどあり、東博の所蔵する仏像の中でも最大のもの。たくましい肉体や怒りの表情を360度からじっくり観賞できます。

また、本作は文化財の収集・保管と保存・修復といった東博の基本的な活動を紹介するものでもあり、会場では修理の様子が映像で紹介されていました。

菱川師宣筆《見返り美人図》江戸時代、17世紀、展示期間:10/18~11/13(11/15~12/11には複製画を展示)

出口では菱川師宣の《見返り美人図》が来場者を見送ってくれます。それとも、名残惜しさに思わず会場を振り返る来場者の気持ちを表しているのでしょうか。

ちなみに、《金剛力士立像》と後述の《見返り美人図》のみ写真撮影OKとなっていました。


 

「ツタンカーメン展」(1965年)、「モナ・リザ展」(1974年)など、東博では150年の歴史の中で人々に語り継がれる展覧会がいくつか開催されてきましたが、本展「国宝 東京国立博物館のすべて」も、きっとその中の一つとなることでしょう。

東京国立博物館創立150年記念 特別展「国宝 東京国立博物館のすべて」開催概要

※本展は事前予約制(日時指定)です。詳しくは展覧会公式サイトでご確認ください。
※会期中、一部作品の展示替えが行われます。

会期 2022年10月18日(火)~12月11日(日)
会場 東京国立博物館 平成館
開館時間 午前9時30分~午後5時
※金曜・土曜日は午後8時まで開館(総合文化展は午後5時閉館)
休館日 月曜日
観覧料(税込) 一般 2,000円、大学生 1,200円、高校生 900円

※本展は事前予約制(日時指定)です。
※中学生以下は無料。ただし事前予約が必要です。入館の際に学生証をご提示ください。
※障がい者とその介護者1名は無料。事前予約は不要です。入館の際に障がい者手帳等をご提示ください。入館は閉館の30分前までとなります。
※東京国立博物館正門チケット売り場での販売はございません。

主催 東京国立博物館、毎日新聞社、NHK、NHKプロモーション、独立行政法人日本芸術文化振興会、文化庁
お問い合わせ 050-5541-8600(ハローダイヤル)
展覧会公式サイト https://tohaku150th.jp/

※記事の内容は取材時点のものです。最新の情報は公式サイト等でご確認ください。

 

記事提供:ココシル上野


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