【書道博物館】書聖・王羲之の最高傑作「蘭亭序」を見比べて味わう企画展が開催中(~2023年4月23日まで)

台東区立書道博物館

約1700年前の中国で活躍し、のちに「書聖」とまで崇められた伝説的な書家・王羲之おうぎし(303~361、異説あり)と、彼のもっとも有名な作品である蘭亭序らんていじょに焦点を当てた展覧会『王羲之と蘭亭序』が、台東区立書道博物館で開催中です。

会期:2023年1月31日(火)~4月23日(日)
 ※期間中、下記の日程で展示替えが行われます。
前期:1月31日(火)~3月12日(日)、後期:3月14日(火)~4月23日(日)
※出展作品リストはこちら

※同展は東京国立博物館との連携企画です。
※掲載している画像は特別な許可を得て撮影したものです。

 

書道博物館入口
展示風景
《神龍本蘭亭序―山本竟山旧蔵―》王羲之/原跡:東晋時代・永和9年(353)/台東区立書道博物館/前期展示

もっとも有名な書家なのに真跡が一つもない?書聖・王羲之とは

中国の歴史上、書がもっとも盛行したのは、風雅な貴族社会が形成された4世紀の東晋時代。日常のあらゆる場面で瀟洒を極めようとした貴族たちが、実用一色だった書にもこぞって芸術性や批評性をもたせるようになったころに登場したのが王羲之です。

王羲之は当時過渡期の書体だった草書・行書・楷書を洗練させ、自らの感情を書の表現に落とし込みながら芸術性を飛躍させました。彼が獲得した普遍的な美しさを備えた先進的な新様式の書法は、奈良時代に王羲之の書が伝わった日本においても書法規範の源泉となり、今日に至るまで能書の代名詞的存在となっています。

「蘭亭序」(353)は、そんな王羲之の代表作であり、歴史に燦然と輝く名作。永和9年(353)3月、風光明媚な会稽(浙江省紹興市)山麗の蘭亭という土地で、王羲之が名士41名を招いて催した雅宴で詠まれた、詩集の序文の草稿です。

《蘭亭図巻―万暦本―》王羲之 他/明時代・万暦20年(1592)/五島美術館(宇野雪村コレクション)/前期展示 の拡大写真。蘭亭の宴の様子を描いています。

宴の楽しさや生命の儚さについて心のままにつづった情緒豊かな名文が、秀麗な行書で記された「蘭亭序」は王羲之が酒に酔ったまま即興で仕上げた草稿。何度清書しようとも結局、草稿以上の出来にはならなかったという逸話が残る、本人も認めた最高傑作です。現在でも行書を学ぼうとしている人々の必修作品として扱われているとか。

そんな「蘭亭序」をはじめとする王羲之の書は生前から高く評価され、貴族たちの間で収集の対象になっていましたが、実は真跡が一つも現存していないそう。

戦乱や天災などで徐々に失われていったほか、王羲之の死後から300年経って、彼の書をこよなく愛した唐の太宗たいそう皇帝(598-649)が徹底的に手元に集め、崩御の際に「蘭亭序」も一緒に埋葬してしまったのが大きな理由です。しかし、太宗皇帝は優れた書家たちに「蘭亭序」などの作品の模本や拓本などの「写し」を作らせて臣下に下賜しており、王羲之の先進的な書法は後世に受け継が継がれることになりました。

企画展『王羲之と蘭亭序』は、東京国立博物館・書道博物館の連携企画20周年を記念して企画されたもので、「蘭亭序」をはじめとする王羲之の書や、王羲之書法の後世への影響などを示す書画を両館で展示しています。

「蘭亭序」が次々登場。王羲之の神髄に迫るのはどれ?

展示の大きな特徴は、前後期あわせて10種類以上の「蘭亭序」の見比べができること。

「蘭亭序」は複製にさらに複製が重ねられてきました。そのため文字の強弱や緩急などがどれも微妙に異なる、複製に関わった人の技量や、王羲之へ抱いたイメージが反映されたさまざまな来歴の「蘭亭序」が伝わっているのでした。

前期展示で鑑賞できたのは《定武本蘭亭序―韓珠船本かんじゅせんぼん―》《神龍本蘭亭序―山本竟山やまもときょうざん旧蔵―》《潁井えいしょう本蘭亭序―王文治おうぶんち旧蔵―》《宣和内府せんなないふ旧蔵蘭亭序》など。ちなみに作品名の「〇〇本」などの語句は、拓本の元となる石が見つかった土地や作品ならではの特徴など、他の「蘭亭序」との区別のためにつけてあるものです。

《定武本蘭亭序―韓珠船本―》王羲之/原跡:東晋時代・永和9年(353)/台東区立書道博物館/前期展示
《定武本蘭亭序―韓珠船本―》王羲之/原跡:東晋時代・永和9年(353)/台東区立書道博物館/前期展示

《定武本蘭亭序―韓珠船本―》は、沈み込むような字粒で全体的にクールな趣き。太宗皇帝の命令で臣下たちが「蘭亭序」を臨書した際、もっとも優れていたのが「初唐の三大家」に数えられる欧陽詢おうようじゅん(557-641)という人物のもので、それを石に刻ませたのが「定武本」の元となったと伝わっています。同作は、数多い「定武本」系統の中でも特に古い宋時代の拓本とのこと。

次に目に留まったのは《神龍本蘭亭序―山本竟山旧蔵―》。「神龍本」とは、冒頭と末尾に唐時代の元号である「神龍」の半印が押してあることにちなんだものです。「神龍本」は他と比べて生き生きした華やかな字姿が楽しめるのが特徴で、その見やすさと学びやすさから、よく教科書などに取り上げられています。

《神龍本蘭亭序―山本竟山旧蔵―》王羲之/原跡:東晋時代・永和9年(353)/台東区立書道博物館/前期展示

しかし、同館の主任研究員である中村さんによれば、「神龍本」の字姿には唐時代の洗練された美意識が少なからず反映されているそうで、「王羲之(東晋時代)の書であればもう少し素朴さがあるはず」とのこと。たしかに同作を他と比べて見ると、ハネやハライが少し大げさに感じられました。

同じ系統でもかなり字姿が異なっていて見ごたえがあります。複製した人が無意識に自分の色を出してしまったのか、その時代の人にウケるように意図的に変えたのか、さまざまな背景がありそう。これも、「蘭亭序」の真跡が残っていない、答え合わせができないからこそ生まれた個性なのでしょう。

同展には「蘭亭序」以外にも王羲之の書(複製ですが)がいくつか出展されているので、書に詳しくない方でも「どの蘭亭序が王羲之の面影を残しているんだろう」と検討をつけながら楽しめます。

また、当たり前ですが「蘭亭序」は単体で鑑賞しても学びがあります。たとえば「蘭亭序」には「之」という漢字が頻出しているのですが、それぞれ独特な形と用筆で書かれていることに驚きました。

筆者はあまり書について詳しくないので、書が上手な人というのは、自分の中に文字の最良の字形というものが完成していて、いつでもその字形をブレなく出力している、となんとなく想像していました。しかし、「蘭亭序」で「之」は文脈に応じて異なる形で書き分けられています。展示室にあった「蘭亭序」の日本語訳文を読みながら鑑賞すると、情景のみならず作者の感情も伝えるような豊かな表現力が本作の魅力であることに気づきます。書道芸術の基本をつくった王羲之の偉大さの一端が理解できるような気がしました。

《十七帖―欠十七行本―》王羲之/原跡:東晋時代・4世紀/台東区立書道博物館/前期展示

「蘭亭序」のほか、王羲之が草書で書いた書簡や手紙29帖を集めた「十七帖」も前後期で複数展示されています。

「一見では地味な作品です。書かれている内容は体調不良を伝えるものなのですが、体調不良と言いつつ美しい字である点はさすが王羲之という感じですね。一文字一文字を切り取って鑑賞してもいいですが、字と字の間合いや大きさも見どころです。ドラマに主役と脇役がいるように、書にも映える文字そうでない文字があって、左右にハライをもつなど、華やかに見せられる字が強調されています。そうして完成した書全体の調和にもぜひ注目してください」(中村さん)

王羲之フォントで作品制作?王羲之人気は日本へも…

同展では王羲之が登場する以前・同時代・以後の時代の書の姿も展示。以後の作品では、王羲之の影響がどれほど大きいものであったのかを見ていけます。

《薦季直表(真賞斎帖―火後本―)》鍾繇/原跡:後漢~魏時代・2~3世紀/台東区立書道博物館/全期間展示

王羲之が尊敬していたという、後漢末期から三国志の魏にかけて活躍した楷書の名手・鍾繇しょうよう(151-230)の薦季直表せんきちょくひょう真賞斎帖しんしょうさいじょう―火後本―)》は、「長い年月をかけて隷書から楷書へと発達を始める第一歩の書」だと話す中村さん。隷書の名残があり、やや背が低く横に広い原始的な字姿が見られます。

《黄庭経》王羲之/原跡:東晋時代・永和12年(356)/台東区立書道博物館/全期間展示

同展には王羲之の黄庭経こうていきょうや《孝女曹娥碑こうじょそうがひ(原跡:東晋時代・升平2年(358)/全期間展示)といった楷書の作品も展示されています。鍾繇の書と見比べると歴然と洗練されていて、背は伸び、人間が筆で文字を書くという動作に寄り添った自然な字姿や用筆をしているように感じました。こちらもぜひ実際に見比べてみてほしいです。

《道行般若経巻第六・第七》西晋時代・永嘉2年(308)/台東区立書道博物館/前期展示
《道行般若経巻第六・第七》西晋時代・永嘉2年(308)/台東区立書道博物館/前期展示

王羲之とほぼ同時代の作品としては《道行般若経巻第六・第七》があり、なんとこちらは肉筆! 唐時代以前の肉筆は大変貴重なのだとか。王羲之が生きた時代の、本当の書の姿を確認できます。

《晋祠銘》唐太宗/唐時代・貞観20年(646)/台東区立書道博物館/前期展示

王羲之神話の立役者である唐の太宗皇帝の行書晋祠銘しんしめいもありました。いかにも皇帝といった、どっしりと堂々たる書きぶりが心地いいです。

「行書や草書は、スピード感を出すために線をつなげて書けば、それっぽくなると素人は思いがちですが、太宗皇帝の書はわざと切っています。そうすることで字の中に空気を取り込み、余裕を出しているんですね。余裕を出しすぎると、だらんとした字になりますが、たとえば『月』という字だったら1画目と2画目の向かい合う線をグッと引き締めています。そのバランス感覚を味わっていただければと思います」(中村さん)

《集王聖教序》王羲之/唐時代・咸亨3年(672)/台東区立書道博物館/前期展示

唐時代以降の王羲之人気を示すものとしては、集王聖教序しゅうおうしょうぎょうじょ《興福寺断碑》(王羲之/唐時代・開元9年(721))が面白いです。あたかも王羲之が書いたかのように、王羲之の書から一文字一文字集めて文章に仕立てた石碑から作った拓本とのこと。《集王聖教序》は線の太さがまちまちでいかにもコラージュした雰囲気ですが、《興福寺断碑》はかなり巧みに全体の調和をとっていました。

《淳化閣帖―夾雪本―》王著編/北宋時代・淳化3年(992)/台東区立書道博物館/前期展示

宋時代に作られて流行した歴代中国の書道全集である淳化閣帖じゅんかかくじょう夾雪きょうせつ本―》にも、当然のように王羲之の書が入っていました。話を聞くと、全10巻あるうち、王羲之が6~8巻、息子の王献之が9~10巻で紹介されているそうで、中国の書の歴史の半分は王親子が担っていたことがわかります。ここまで来ると影響力のあまりの大きさに笑ってしまいました。

展示の最後は、王羲之が日本でどのように受け止められたのかを紹介していました。平安時代では遣唐使らが持ち帰った王羲之の写しで学んだ空海や小野道風たちが台頭し、彼らの活躍の後に国風文化や和様と呼ばれる日本風の書が成立。江戸時代には唐様書の流行から王羲之尊重の風潮が強まったり、幕末には王羲之書法の法帖(拓本を書の形に仕立てたもの)も多く日本に届くようになったり……。中国だけでなく、日本の書の歴史でも常に圧倒的な存在感を示していたようです。

《蘭亭序額》中林梧竹/明治25年(1892)/台東区立書道博物館/全期間展示

日本の作品のなかでは、明治時代の大家・中林梧竹(1827~1913)の《蘭亭序額》が目を引きました。「蘭亭序」の文章を自分なりの書きぶりで仕上げた作品で、字線の変化の豊かさはそうそうお目にかかれるものではありません。


これまでは書聖・王羲之の書を見て「確かにきれいだけど、なんだか普通だなぁ」と注目すべき点がわからずにいました。しかし同展を巡ってみて、その「普通だな」と感じること自体、1700年経っても変わらず人々が王羲之のフォロワーであり続けている証明なのかもしれないな、とその偉大さを感じるようになりました。

書道博物館創設者・中村不折が描いた「蘭亭序」の新聞挿絵。《書聖王羲之 蘭亭記ヲ書ス(十二支帖)》大正元年(1912)/台東区立書道博物館/全期間展示

なお、同展には「世説新書」という、中国でもっとも美しい楷書が書かれた唐時代に作られた、王羲之が生きた時代の噂話を集めた書物に関連した作品3点が期間限定で登場します。いずれも肉筆で書かれた国宝です。

1月31日~3月12日には《世説新書巻第六残巻―規箴―》(唐時代・7世紀)
2月28日~3月26日には《世説新書巻第六残巻―規箴・ 捷悟―》(唐時代・7世紀)
3月28日~4月23日には《世説新書巻第六残巻―豪爽―》(唐時代・7世紀)
貴重な機会となりますのでお見逃しなく。

連携展示をしている東京国立博物館は徒歩圏内ですので、ぜひ両館合わせて足を運んでみてください。

 

■企画展『王羲之と蘭亭序』概要

会期 2023年1月31日(火)~4月23日(日)
※期間中、下記の日程で展示替えが行われます。
前期:1月31日(火)~3月12日(日)、後期:3月14日(火)~4月23日(日)
会場 台東区立書道博物館
開館時間 午前9時30分~午後4時30分(入館は午後4時まで)
休館日 月曜日(祝休日と重なる場合は翌平日)、特別整理期間等
入館料 一般500円 小、中、高校生250円

※障害者手帳、療育手帳、精神障害者福祉手帳、特定疾患医療受給者証をお持ちの方とその介護者の方は無料です。
※毎週土曜日は、台東区内在住・在学の小・中学生とその引率者の方は無料です。
その他、詳しくは公式サイトをご確認ください。

台東区立書道博物館公式サイト https://www.taitocity.net/zaidan/shodou/
出展作品リスト https://www.taitocity.net/zaidan/shodou/wp-content/uploads/sites/7/2023/02/kikakuten_20230131.pdf

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