「漫画×謎解き×街歩き」オリジナル体験型エンターテイメント『メトロタイムゲート』5月31日(金)よりスタート!

“あなた”自身が主人公になって、東京メトロオリジナルキャラクターとともに東京の街を冒険しよう!

東京地下鉄株式会社(以下「東京メトロ」)は、地域コンテンツを軸にした体験型サービス「街ハック!」を展開する株式会社休日ハック(以下「休日ハック」)と共同で、2024年5月31日(金)から同年8月31日(土)の間、「漫画×謎解き×街歩き」でオリジナル漫画の主人公になれる、オリジナル体験型エンターテイメント『メトロタイムゲート』を期間限定で開催します。

本企画は、当社のオープンイノベーションプログラム「Tokyo Metro ACCELERATOR 2022」において、最終審査を通過した休日ハックと開発したエンターテイメント企画です。漫画のストーリーに沿って、描き下ろしの東京メトロオリジナルキャラクターとともに東京メトロ沿線の街歩きを楽しむ「漫画×謎解き×街歩き」の体験型エンターテイメントとして、期間限定で開催いたします。

専用Webサイト上で体験キット(漫画+『メトロタイムゲート』専用の東京メトロ24時間券)のチケットをご購入、東京メトロの定期券うりばでチケットと体験キットを引換え(受取り)いただいたのちに、漫画を読んでサイトにニックネームを登録すると、漫画上の主人公として“あなた”が登場します。また、漫画で得られる情報をもとに、リアルな街のなかで出題される謎を解いていくと、ストーリーと街での体験とが連動した、“あなた”が主人公の物語が展開していきます。

『メトロタイムゲート』では、丸ノ内線をオマージュした下地 真瑠(しもち まる)など、漫画家の渡邉 健一氏による描き下ろしのオリジナルキャラクターも登場します。“あなた”自身が漫画の主人公になり、キャラクターとともに東京の街を実際にめぐりながら数々の謎や問題を解決していく、新たな体験型エンターテイメントを、ぜひお楽しみください。

東京メトロでは、街歩きを通して、東京メトロ沿線の魅力に触れ、街を好きになっていただくことで、東京の都市内観光に繋げていく「City Tourism」の取組みを推進していきます。詳細は別紙をご覧ください。

 

・オリジナル体験型エンターテイメント『メトロタイムゲート』について

1    『メトロタイムゲート』とは
『メトロタイムゲート』とは、東京メトロと休日ハックとで開発した、オリジナル漫画の主人公になれる「漫画×謎解き×街歩き」がテーマの新たな体験型エンターテイメントです。専用オンラインサイト上で体験キット(漫画+『メトロタイムゲート』専用の東京メトロ24時間券)のチケットを購入、定期券うりばでチケットと体験キットを引換え(受取り)いただいたのちに、漫画を読んでサイトにニックネームを登録すると、漫画上の主人公として“あなた”が登場します。また、漫画で得られる情報をもとに、リアルな街のなかで出題される謎を解いていくと、ストーリーと街での体験とが連動した、“あなた”だけの漫画が完成します。

漫画とオリジナルキャラクターは、繊細かつ迫力のあるイラストを描く漫画家の渡邉 健一氏による描き下ろしです。キャラクターたちから“あなた”の名前を呼ばれたり、“あなた”が訪れた場所でキャラクターたちと記念写真を撮ることができたり、まさにプレイヤーである“あなた”自身が漫画の主人公になる体験を味わうことができます。

 

・ストーリーのあらすじ

あるとき、一人の少年が突如不思議な穴――謎に満ちた【ゲート】を発見した。ゲートの先にあったのは、こちらの世界と瓜二つの世界・・・いわゆるパラレルワールドが存在していた。ここは我々と同じような知的生命体が文化を築く『NEXT』と呼ばれる世界だった。
そして今。“あなた”に呼びかける声が。「お願い…助けて」
それはNEXTを守護する精鋭部隊『ネクストキーパー』に属するマルからの助けを求める声だった。これはネクストキーパーと“あなた”が世界の存続をかけて戦う物語である。

 

<主要キャラクター>
下地 真瑠(しもち まる) ニックネーム「マル」
快活で明るいキャラクター
過去にNEXTで起こった大事件によって
父親を失ったことにより、ネクストキーパーになることを誓う。
ネクストキーパーの総司令である下地銀三郎の孫。

都 副(みやこ ふく) ニックネーム「フク」
ネクストキーパーの若きエース。
普段はおちゃらけているが、頭が切れる。
ネクストキーパーの参謀を担当しており、
総司令官である銀三郎もフクには一目を置いている。

2    参加方法
①  専用Webサイトで体験キット(『メトロタイムゲート』専用「東京メトロ24時間券」付き)のチケットを購入
②  東京メトロの一部定期券うりばでチケットと体験キットを引換え
③  体験キットに同封されている漫画を読み、サイトでプレイヤーの名前を登録
※無料の会員登録が必要です。
④  得られた情報をもとに、さまざまな駅を探索、出題される謎を解く
⑤  すべての暗号を解読してゲームクリア

3    開催期間
 2024年5月31日(金)から2024年8月31日(土)まで
 ※引換日当日分の販売は当日20時00分までです

4    発売期間
2024年5月24日(金)14時00分から2024年8月31日(土)20時00分まで
 ※引換日当日分の販売は当日20時00分までです

5    体験キットの購入方法
メトロタイムゲート専用Webサイト販売(事前予約制)
①  専用Webサイト(https://tokyometro.machihack.com/)へアクセスし、引換日、引換箇所及び数量を選択のうえ、指定のお支払い方法で決済します。決済が完了すると、引き換えが可能なQRコードが発行されます。
②  指定の引換日、引換箇所で、送付されたQRコードを提示し、体験キットを入手します。
※決済完了後のキャンセルは手数料が発生します。
※1回の購入数上限は10セットまでです。
※1日あたりの発売数には制限がございます。予めご了承ください。
※QRコードは株式会社デンソーウェーブの登録商標です。

<体験キットの受取(引換)箇所及び受取(引換)時間>
東京メトロの一部定期券うりば(6箇所)
(対象定期券うりば)上野駅・銀座駅・新宿駅・飯田橋駅・豊洲駅・王子駅
(営業時間)7時40分~20時00分
※新宿駅定期券うりばには、期間限定で「特設ブース」を設置します。

6    発売金額
2,800円(税込) (『メトロタイムゲート』専用の東京メトロ24時間券が含まれます)
※専用24時間券は、2024年8月31日(土)までのうち、使用開始(改札通過時)から24時間に限り有効です。
※有効区間は、東京メトロ全線です。
※専用24時間券のみ、または24時間券を除いたキットのみの発売はいたしません。
※小児用の発売はございません。

7    払戻し
(1) 未使用の体験キット(『メトロタイムゲート』専用東京メトロ24時間券含む)をお持ちの場合
※有効期限内及び未使用の体験キットに限ります。
ア 払戻箇所 東京メトロ 各旅客案内所
(上野駅、銀座駅、表参道駅、東京駅、新宿駅、池袋駅)
イ 払戻時間
a 東京駅 8時00分~20時00分
b 上野駅・銀座駅・新宿駅 9時00分~17時00分
c 表参道駅・池袋駅 9時00分~16時00分
(2)QRコードをお持ちの場合
購入サイトのマイページからお手続きください。

※(1)(2)のいずれの場合も手数料220円がかかります。

8    お問い合わせ先
東京メトロお問い合わせページ https://www.tokyometro.jp/support/index.html

9    注意事項
・イベント参加中、ホームや駅構内を歩く際には、周囲の安全に十分お気を付けください。
・一般のお客様のご迷惑になるような場所での謎解きはご遠慮ください。
・駅社員や乗務員、定期券うりば社員は、謎のヒントや答えを持っておりません。
・携帯電話はマナーを守ってご使用ください。
・開催期間中は気温が非常に高くなることが予想されます。こまめな水分補給を心掛けていただき、熱中症にならぬようにご注意ください。
・マンガの閲覧や解答入力にスマートフォンやタブレット等、インターネットに接続できる端末が必要です。充電切れにはご注意ください。
・本プログラムは、実施期間中すべて同じ内容で実施いたします。これからプログラムをお楽しみいただくお客様のために、謎の問題、解答、配布物をブログやSNSなど、インターネットで公開することや、譲渡・転売することは固くお断りいたします。

 10  主催
東京地下鉄株式会社
株式会社休日ハック

 

【東京メトロ】プレスリリースより

記事提供:ココシル上野


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上野を歩いておトクに楽しもう! 上野ミュージアムウィークが開催決定!

5月10日(金)~5月26日(日)は、上野エリアの人気スポット&グルメを巡るスタンプラリーで文化を楽しむウォーキング!

上野エリアでは、5月18日の “国際博物館の日” にちなみ、上野恩賜公園周辺にある博物館や美術館、動物園など 12 施設と、上野のれん会の加盟店が協力し、「上野ミュージアムウィーク」が行われます。今年は初の試みとなるデジタルスタンプラリーも行われます。5月18日の “国際博物館の日” は複数の館が “無料観覧日” となります。毎年恒例の “まちのお楽しみ” クーポンと合わせてフルにお楽しみください。

 

今年一番の注目は初の試みとなるデジタルスタンプラリー!上野公園内の文化施設から上野商店街の各スポットまで実に13箇所のスタンプポイントが上野エリアに出現します!

公園内の文化施設だけでなく 松坂屋上野店 本館 7Fアートギャラリー  や ABAB上野店6階「上野下スタジオ」  、上野駅アートスペースのCREATIVE HUB UENO “es”とまちの中でもアートを感じられるスポットもポイントになります。中でも BUZZCHIKA  (シノバズブルワリー ひつじあいすの地下)は若手アーティストの展示や演劇などまちなかで盛んに行われるアートのホットスポットです。スタンプラリーとともにアートのまち上野の風情をぜひお楽しみください。スタンプラリーの特典は、スタンプ1か所で上野のお店で使えるクーポン(スタンプ1つごとにもらえて最大13個も!)が、3か所でクリエーターコラボデジタルアート作品、7か所で参加文化施設各館の賞品が得られます。

もうひとつの目玉は、5月18日 “国際博物館の日” に行われる “無料観覧” です。当日は東京国立博物館、国立科学博物館、国立西洋美術館の3館が無料で観覧できます。さらに今年は東京藝術大学美術館が美術館オリジナルグッズを先着50名にプレゼントが行われます。

※台東区立 旧東京音楽学校奏楽堂の無料観覧日は5月15日(水)です。お間違えのないようお気をつけください。

 

毎年恒例のクーポンサービスは上野のれん会の11店舗で使用可能です。期間中、上野ミュージアムウィーク2024参加の12箇所の文化施設の入場チケットの半券をご呈示ください。サービスソフトドリンクや生ビール、デザート、お買い上げの10%オフなど大盤振る舞いの無料サービスを実施します。友人や家族などを誘って、上野の“杜”と“まち”をまるごとご堪能ください。

 

 ■開催概要■ 

「国際博物館の日」記念事業2024 上野ミュージアムウィーク
開催期間:2023年5月10日(金)~5月26日(日)

会場(参加施設・団体):東京国立博物館/国立科学博物館/国立西洋美術館/東京藝術大学大学美術館/東京都美術館/東京都恩賜上野動物園/上野の森美術館/台東区立旧東京音楽学校奏楽堂/旧岩崎庭園/国立近現代建築資料館/国立国会図書館国際子ども図書館/東叡山寛永寺/上野のれん会参加店舗(順不同)
※会期中に休館日あり

主催:上野ミュージアムウィーク実行組織連盟
共同主催:上野のれん会
協賛:(一財)全国科学博物館振興財団
協力:東京都東部公園緑地事務所、台東区、(公財)台東区芸術文化財団
公式サイト:http://www.ueno-mw.com/

 

■【ueno杜まちふらり】上野ミュージアムウィーク2024~国際博物館の日~■

5月10日(金)~5月26日(日)の間、デジタルスタンプラリーが開催されます。下記の参加施設内にスタンプポイントが出現します。

【参加施設】
・国立科学博物館
・国立西洋美術館
・東京国立博物館
・上野の森美術館
・旧東京音楽学校奏楽堂
・旧岩崎邸庭園
・東京藝術大学大学美術館
・国際子ども図書館
・寛永寺
・松坂屋上野店 本館 7Fアートギャラリー
・ABAB上野店6階「上野下スタジオ」
・BUZZCHIKA
・CREATIVE HUB UENO “es”

【利用方法】
お手持ちのスマートフォンにでジタルスタンプラリーfurariをダウンロード。スタンプラリー加盟の参加施設の指定の場所に行き、スタンプをゲットする。 スタンプ1か所で上野のお店で使えるクーポン(スタンプ1つごとにもらえて最大13個も!)が、3か所でクリエーターコラボデジタルアート作品、7か所で参加文化施設各館の賞品が得られます。  賞品の発送は、ミュージアムウィーク終了後1から2か月後に当選者に届きます。

スタンプ1個・・・・・上野のお店で使えるクーポン(スタンプ1つごとにもらえて最大13個も!)
スタンプ3個・・・・・クリエーターコラボデジタルアート作品
スタンプ7個・・・・・参加各館の賞品

【上野のお店で使えるクーポン】
クーポン実施店はクーポンサービスをご参照ください

【クリエーターコラボデジタルアート作品】
上野界隈を中心に活動する若手アーティスト支援団体・藝を育むまち同好会の若手アーティスト4名が制作したデジタルアート作品を配布します。

 

TOMIMOとあきな
「記憶との遭遇」をテーマに作品制作している。人間の視線だけではなく機械の視線をも組み込むことで現実と現実味のギャップを探求している。主な展示に、『マモノ』(銀座ニコンサロン, 2018)、『HUMAN<3』(京都国際映画祭, 2019)、トミモトラベル名義『私のバスはどこですか?』(種子島宇宙芸術祭, 2019)ほか。著書に『mamono』(PlaceM出版, 2020)。東京藝術大学院先端芸術表現修了。
Web : https://ak-7.net

磁佑(じゆう)
多摩美術大学工芸科金属専攻卒業。金属や鹿角、木材等を素材に工芸技法を用いてオリジナルのSF作品を制作しています。近頃は3Dプリンターを用いた派生作品も制作しています。

MAHANA
fair enough Creative director
コンセプトや表現に合わせ、平面から立体物など様々な手法で製作作品コンセプトは、パーソナル的なものから社会風刺まで、その時々の思想を投影
Instagram:https://www.instagram.com/mahana_fe_d/?hl=ja

fair enough
2021年にスタートしたデザイナーズブランドfair enough。“十分な公平さと対話”をコンセプトに、表現の探求を行うブランド
ニューヨークファッションウィーク2024AWに出展
Instagram:https://www.instagram.com/fairenough_official_/?hl=ja

 

コボリサヤカ
ぬいぐるみアーティスト。smallmoat(合)代表。1991年9月18日生まれ。
新潟県産まれ神奈川育ち。「だけじゃない」をコンセプトにした手のひらサイズのオリジナルキャラクターを製作。型紙製作から、染色、小物製作まですべて一から創っています。
Instagram:https://www.instagram.com/coborisayaka/?hl=ja

CHIKA TOYS
チカ

広島県福山市出身。メカと可愛いを融合させ、レトロフューチャーな世界観を創造しております。朽ちた世界で人間を模して生活し続ける錆びたロボたちのストーリーです。作家として10年を迎えました。色々なイベントに出展し、藝育会でも作品を出展させていただいております。
Instagram:https://www.instagram.com/chikatoys/?hl=ja


【参加各館の賞品一覧】
〇国立科学博物館
共通招待券を20組40枚

〇国立西洋美術館
「内藤コレクション 写本 — いとも優雅なる中世の小宇宙」観覧券  20組40枚

〇東京国立博物館
総合文化展招待券+オリジナルチケットフォルダ セット 20組40枚
特別ガイドツアー招待(博物館が指定する日の実施)10組20名様

〇上野の森美術館
昨年開催した「恐竜図鑑展」のオリジナルグッズ 16名分
(マグカップ、ボールペン、ステッカーのセット)

〇旧東京音楽学校奏楽堂
招待券2枚+チケットフォルダ1枚を10セット
(計 招待券20枚、チケットフォルダ10枚)

〇旧岩崎邸庭園
オリジナルエコバッグ 20名様(お一人1個)

〇東京藝術大学大学美術館
大学美術館オリジナルポストカード 20名様

〇寛永寺
非売品の特製ご朱印帳 20名様(お一人1冊)

■クーポンサービス■

5月6日(土)~5月28日(日) の期間、下記店舗にて各館の半券をご提示いただくと無料サービスが受けられます。サービスの内容などの詳細は、上野ミュージアムウィーク公式サイトをご覧ください。 

【参加店舗】 ​
よし寿司 上野店、あんみつ みはし、伊豆榮(鰻割烹)、Hatoya(婦人服)、天寿ゞ (天ぷら)、会席中華料理 上野 池之端 古月、洋食 黒船亭、亀屋 一睡亭(御蒲焼・旬菜料理)、焼肉 太昌園、厳選洋食さくらい、しゃぶしゃぶ 鉢の木

【利用方法】
上野公園の文化施設の半券を提示
※お1人様1枚提示
※クーポンサービス併用不可

 

■プレゼント■

【上野の森美術館】
5月3日(金・祝)美術館オリジナルグッズプレゼント
●時間:10:00〜
●内容:受付カウンターにて展覧会入場者先着50名

【国立西洋美術館】
5月18日(土)美術館オリジナルポストカードプレゼント
●時間:9:30〜
●場所:常設展改札
●対象:常設展入場者先着200名

【東京藝術大学大学美術館】
5月18日(土)美術館オリジナルグッズプレゼント
●時間:10:00〜
●場所:エントランスホール
●対象:展覧会入場者先着50名

 

【BUZZCHIKA 展示情報】

展示タイトル:FIND IT!!!

上野の杜から街にPOP OUTされた小さな生命体がバズチカという空間に集合する
日常生活ではお目にかかることのない多種多様な生命体と遭遇体験をお楽しみください

開催日:2024年5月10日(金)-12日(日)、5/17(金)-19(日)、5/24(金)-26(日)
時間:13:00-17:00
場所:〒110-0005 東京都台東区上野2丁目10−7 かきくけこビル B1F
出展アーティスト:コボリサヤカ 磁佑 チカトイズ MAHANA fair enough

 

 ■国際博物館の日とは ■

「国際博物館の日」は1977年に国際博物館会議(ICOM)が設けた博物館の記念日です。多くの方に博物館に親しんでいただくこと、博物館の役割をより広く知っていただくことなどを目的に、5月18日とその前後に世界中の博物館で記念行事が行われます。国際的にも稀なほど、博物館・美術館などの文化施設が多数集まる上野では、毎年「国際博物館の日」の前後を「上野ミュージアムウィーク」として文化施設と上野のれん会が様々な記念イベントを行っています。

■上野のれん会■

花の雲、上野は大江戸このかたの盛り場代表。明治このかた芸術文化の発信地。 上野のれん会は、その上野の有名店約100店の連合体です。1959年(昭和34年)の創立以来この地の文化的伝統の再発見をめざして、タウン誌「うえの」を、毎月発行してきました。通巻776号(2024年5月現在)になります。


■フライヤー■

◎お問い合わせ
上野ミュージアムウィーク実行委員会事務局
TEL 03-3833-8016 FAX 03-3839-2765(上野のれん会内 平日10:00~17:00)

 

【上野のれん会】プレスリリースより

記事提供:ココシル上野


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【東京都美術館】「デ・キリコ展」取材レポート。多くのシュルレアリストに衝撃を与えた形而上絵画など、その芸術の全容に迫る

東京都美術館
《形而上的なミューズたち》1918年、カステッロ・ディ・リヴォリ現代美術館(フランチェスコ・フェデリコ・チェッルーティ美術財団より長期貸与) © Castello di Rivoli Museo d’Arte Contemporanea, Rivoli-Turin, long-term loan from Fondazione Cerruti  © Giorgio de Chirico, by SIAE 2024

20世紀を代表する巨匠ジョルジョ・デ・キリコ(1888-1978)の、日本では10年ぶりとなる大規模回顧展「デ・キリコ展」が東京・上野の東京都美術館で開催中です。会期は2024年8月29日まで。

展示風景 © Giorgio de Chirico, by SIAE 2024
展示風景 © Giorgio de Chirico, by SIAE 2024
展示風景 © Giorgio de Chirico, by SIAE 2024

サルバドール・ダリやルネ・マグリットといったシュルレアリストをはじめ、数多くの芸術家に多大な影響を与えた「形而上絵画」で名声を獲得したジョルジョ・デ・キリコ。前衛画家としてのイメージが強いですが、一方でルネサンスやバロックといった古典主義的な表現手法にも傾倒し、時代によって画風を大きく変化させていった人物でもありました。

回顧展というと、作家の初期から晩年までの作品を時系列に並べて紹介するのが一般的です。しかし本展では、世界各地から集まった油彩を中心とする100点以上の作品を「自画像・肖像画」「形而上絵画」「伝統的な絵画への回帰」など、デ・キリコが扱ったテーマやモチーフごとにまとめ、それらをどのように描き続け、変化を加えていったのかをわかりやすく紹介しています。

第1章では導入部として、自画像と肖像画に注目。デ・キリコがその画業の初期から取り組み、生涯で何百枚も手掛けたという自画像に見られる多様な様式の変遷には、彼が追い求めたそれぞれの時代の研究成果が表れています。

《弟の肖像》 1910年、ベルリン国立美術館 © Photo Scala, Firenze / bpk, Bildagentur fuer Kunst, Kultur und Geschichte, Berlin © Giorgio de Chirico, by SIAE 2024

デ・キリコは1888年にギリシアでイタリア人両親のもとに誕生し、父の死後、母、弟とともにドイツのミュンヘンへ移住。そこで美術学校に入学するも中退し、1909年にイタリアのミラノへ居を移します。当時のデ・キリコはフリードリヒ・ニーチェの哲学や、《死の島》で有名な抽象主義の画家アルノルト・ベックリンの絵画などから大きな影響を受けており、本展にはこの時期、つまりパリで形而上絵画を確立する以前の初期段階に描かれた貴重な肖像画《弟の肖像》(1910)を見ることができました。

《自画像》 1922年頃、トレド美術館 © Giorgio de Chirico, by SIAE 2024

《自画像》(c1922)は、前衛運動による表現形式の破壊への反動で、古典絵画の秩序を再発見した「秩序への回帰」という動向が西洋美術を席巻した時代に、デ・キリコが応答として手掛けたもの。ピエロ・デッラ・フランチェスカやラファエロ・サンツィオといった、ルネサンス絵画の堅固なヴィジョンに基づいています。

《闘牛士の衣装をまとった自画像》1941年、カーサ・ロドルフォ・シヴィエーロ美術館 © Giorgio de Chirico, by SIAE 2024
《17世紀の衣装をまとった公園での自画像》1959年、ジョルジョ・エ・イーザ・デ・キリコ財団 © Fondazione Giorgio e Isa de Chirico, Roma © Giorgio de Chirico, by SIAE 2024

また、自画像のなかには17世紀風の衣装や闘牛士に扮装をしているものもありました。そういった演出的な試み、演劇的嗜好はデ・キリコ作品の特徴のひとつであり、彼がそのキャリアで断続的にかかわっていたオペラや演劇などの舞台美術と密接に関係しています。なお、展示後半ではデ・キリコが手掛けた舞台衣装やデザインスケッチも紹介されているので、相互に与えた影響を想像しながら鑑賞するのも面白そうです。

第2章ではデ・キリコの代名詞ともいえる形而上絵画を、「イタリア広場」「形而上的室内」「マヌカン」という3つのテーマにわけて構成。ふだんは世界中に散らばっている1910年代黄金期の代表作が多数集結した、本展のハイライトです。

デ・キリコは1910年のある日、フィレンツェのサンタ・クローチェ広場で、見慣れたはずの景色が初めて見るものであるかのような感覚に襲われたといいます。その「啓示」をきっかけに、広場や室内という具象を描きながらも、歪んだ遠近法や本来ならあり得ないモチーフの配置によって、夢のイメージにも似た、私たちに見えている世界の奥にある非日常的なもの、神秘や謎をほのめかすような絵画の制作を開始。

《沈黙の像(アリアドネ)》1913年、ノルトライン=ヴェストファーレン州立美術館 © Giorgio de Chirico, by SIAE 2024

1911年にパリに移り住むと、彼の幻想的な絵画はたちまち批評家たちを虜にし、パリにおける最前線の潮流の一角をなします。敬愛するニーチェの哲学に影響を受けたその作品群を、後にデ・キリコは自ら「形而上絵画」と名付けました。「イタリア広場」のコーナーに出展されている《沈黙の像(アリアドネ)》(1913)は、まさに形而上絵画の傑作といわれる作品です。

《バラ色の塔のあるイタリア広場》1934年頃、トレント・エ・ロヴェレート近現代美術館(L.F.コレクションより長期貸与)© Archivio Fotografico e Mediateca Mart © Giorgio de Chirico, by SIAE 2024

人の姿がない広場で、ただ画面の外から伸びる長い影が不穏な雰囲気を漂わせる《バラ色の塔のあるイタリア広場》(c1934)は、1913年制作の《赤い塔のあるイタリア広場》を複製したもの。デ・キリコは過去に描いた形而上絵画の再制作も積極的に行っており、こうした行為はときに「贋作」として非難されることもありましたが、本人は「これらの複製は、より美しい素材とより洗練された技法をもって描かれているということ以外、欠点はないでしょう」(再制作を依頼した師アンドレ・ブルトンの妻への手紙より)とポジティブに捉えていたようです。

第一次世界大戦の勃発に伴い、兵士としてパリからフェッラーラに移り住んだデ・キリコの絵画は、それまでの広場を見渡す開けた視界から、室内の閉じた空間へと転換。描かれるモチーフも、フェッラーラの家の室内や店先のショーウインドウからインスピレーションを得て、ビスケットや海図、定規といったデ・キリコの身の回りにあっただろう事物が脈絡なく登場するようになります。

《福音書的な静物Ⅰ》1916年、大阪中之島美術館 © Giorgio de Chirico, by SIAE 2024

それらは「形而上的室内」と呼ばれており、1910年代の作品を見ると、描かれているモチーフが不自然なほど目の前に迫っているような、外部の存在を排除した近視眼的な画面構成になっています。それが1960年代に入ると、窓を設置し、空間に広がりを生み出す構図へ変化。窓からはイタリア広場の建物も見えており、これはデ・キリコが1968年ごろから着手した、過去の作品のモチーフを統合する「新形而上絵画」の作品群に見られる特徴です。

《「ダヴィデ」の手がある形而上的室内》1968年、ジョルジョ・エ・イーザ・デ・キリコ財団 © Fondazione Giorgio e Isa de Chirico, Roma © Giorgio de Chirico, by SIAE 2024

「マヌカン」のコーナーでは、古典的な西洋絵画において特権的な地位を与えられていたモチーフである人物像を無個性のマヌカン(マネキン)に置き換え、他のモチーフと同列の、一種のモノとして扱ってみせた一連の作品群を展示。マヌカンの登場が第一次世界大戦の勃発と時を同じくすることから、マヌカンは戦争を引き起こしてしまう人間の理性の無さ、あるいは暴力に対する人間の無力さを表しているともいわれています。

《予言者》1914-15年、ニューヨーク近代美術館(James Thrall Soby Bequest)© Digital image, The Museum of Modern Art, New York / Scala, Firenze © Giorgio de Chirico, by SIAE 2024
《形而上的なミューズたち》1918年、カステッロ・ディ・リヴォリ現代美術館(フランチェスコ・フェデリコ・チェッルーティ美術財団より長期貸与) © Castello di Rivoli Museo d’Arte Contemporanea, Rivoli-Turin, long-term loan from Fondazione Cerruti  © Giorgio de Chirico, by SIAE 2024

ミューズや予言者、哲学者、花嫁などさまざまな役割を演じているマヌカンですが、初期の代表作《予言者》(1914-15)や《形而上的なミューズたち》(1918)では無機質に描写されていながら、時代が進むにつれて古典主義の影響を受ける形で肉感が与えられ、人間化していくという面白い変容を遂げているのは注目すべき点でしょう。

《南の歌》1930年頃、ウフィツィ美術館群ピッティ宮近代美術館 © Gabinetto Fotografico delle Gallerie degli Uffizi © Giorgio de Chirico, by SIAE 2024

デ・キリコは、形而上的絵画からいったん古典絵画に回帰したのち、1925年に戻ったパリでシュルレアリスムの画家たちと交流をもつことによって、ふたたび形而上的絵画に目を向け、「剣闘士」や「谷間の家具」といった新しい主題も扱うようになりました。第3章では、そんな1920年代後半の展開に注目しています。

《戦闘(剣闘士)》1928-29年、ノヴェチェント美術館 © Giorgio de Chirico, by SIAE 2024
右は《谷間の家具》1927年、トレント・エ・ロヴェレート近現代美術館(L.F.コレクションより長期貸与)© Archivio Fotografico e Mediateca Mart © Giorgio de Chirico, by SIAE 2024

続く第4章は【伝統的な絵画への回帰―「秩序への回帰」から「ネオ・バロック」へ】と題し、本稿でもたびたび触れている、古典絵画への傾倒から得た成果を示す作品をあらためて紹介。1920年ごろからはティツィアーノやラファエロといったルネサンス期の作品を、次いで1940年代にはルーベンスやベラスケスといったバロック期の作品を研究し、シュルレアリストたちに批判されながらも、その表現や主題、技法を自らの制作に取り入れていきました。

《鎧とスイカ》1924年、ウニクレディト・アート・コレクション © Giorgio de Chirico, by SIAE 2024

本章には2点の水浴画があります。1点は《横たわって水浴する女(アルクメネの休息)》(1932)で、当時、ルネサンス期の古典主義研究の第一人者として知られていた印象派の画家ピエール=オーギュスト・ルノワールが晩年に描いた水浴画を原型にしています。

《横たわって水浴する女(アルクメネの休息)》1932年、ローマ国立近現代美術館 © Giorgio de Chirico, by SIAE 2024
《風景の中で水浴する女たちと赤い布》1945年、ジョルジョ・エ・イーザ・デ・キリコ財団 © Fondazione Giorgio e Isa de Chirico, Roma © Giorgio de Chirico, by SIAE 2024

もう1点はその10年以上後に描かれた《風景の中で水浴する女たちと赤い布》(1945)で、バロック絵画やそれを解釈したウジェーヌ・ドラクロワ、ギュスターヴ・クールベの作品に着想を得ています。同じ主題でありながら、比較すると後者のほうが全体的に艶っぽく、暗く濃密な色彩が引き立っているなど、その筆致や様式が大きく変化したことがわかります。

最終章となる「新形而上絵画」のセクションでは、デ・キリコが1978年に亡くなるまでの10年余り、再び形而上絵画に取り組み始めてからの展開を追います。

《オデュッセウスの帰還》1968年、ジョルジョ・エ・イーザ・デ・キリコ財団 © Fondazione Giorgio e Isa de Chirico, Roma © Giorgio de Chirico, by SIAE 2024

最晩年にあって、デ・キリコは過去に手掛けてきた広場、室内、マヌカン、古典絵画にみられる神話の物語、さらには挿絵の仕事で描いた太陽と月といった要素を画面上で自由に組み合わせ、ただの焼き直しに留まらない新しい境地を切り開きました。それらの様式は「新形而上絵画」と呼ばれ、1910年代の形而上絵画にあった憂鬱で重苦しい雰囲気はなくなり、いずれも毒気を抜かれたように軽やかで明るく、どこか遊び心を感じるものばかりです。

《放蕩息子》1973年、ジョルジョ・エ・イーザ・デ・キリコ財団 © Fondazione Giorgio e Isa de Chirico, Roma © Giorgio de Chirico, by SIAE 2024
《闘技場の剣闘士》1975年、ジョルジョ・エ・イーザ・デ・キリコ財団 © Fondazione Giorgio e Isa de Chirico, Roma © Giorgio de Chirico, by SIAE 2024

周囲からの批判に左右されず、前衛と古典を相反するものではなく共存可能なものとし、自作の引用やオマージュを繰り返してきたデ・キリコの、まさに画業の集大成と呼ぶにふさわしい独創的な様相を呈していました。

「デ・キリコ展」概要

会場 東京都美術館
会期 2024年4月27日(土)~8月29日(木)
開室時間 9:30~17:30 金曜日は20:00まで(入室は閉室の30分前まで)
休室日 月曜日、7月9日(火)~16日(火)
※ただし、7月8日(月)、8月12日(月・休)は開室
観覧料(税込) 一般 2,200円、大学生・専門学校生 1,300円、65歳以上 1,500円

※土曜・日曜・祝日及び8月20日(火)以降は日時指定予約制。
※高校生以下無料。
※身体障害者手帳・愛の手帳・療育手帳・精神障害者保健福祉手帳・被爆者健康手帳をお持ちの方とその付添いの方(1名まで)は無料。
※そのほか、詳細は公式チケットページでご確認ください。

主催 公益財団法人東京都歴史文化財団 東京都美術館、朝日新聞社
お問い合わせ 050-5541-8600(ハローダイヤル)
展覧会公式サイト https://dechirico.exhibit.jp/

※記事の内容は取材時点のものです。最新情報は公式サイト等でご確認ください。


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【東京国立博物館】「法然と極楽浄土」取材レポート。国宝「早来迎」や破格の羅漢図など、浄土宗諸寺院の名宝が多数集結

東京国立博物館
「法然と極楽浄土」会場風景

浄土宗開宗から850年という節目に、全国の寺院から宗祖・法然(ほうねん)ゆかりの至宝が多数集結する特別展「法然と極楽浄土」が、東京・上野の東京国立博物館で始まりました。会期は2024年6月9日まで。

※会期中、一部作品の展示替えがあります。詳細は展覧会公式サイト等でご確認ください。

「法然と極楽浄土」入り口

もともとインドや中国で発展した、阿弥陀如来が西方に建立した一切の苦しみのない世界・極楽浄土への往生を願う信仰は、日本では「浄土教」や「浄土信仰」などと呼ばれ、天台宗の比叡山延暦寺を中心に取り入れられていました。

平安時代末期、戦乱や天災、疫病が相次ぐ末法の世に生まれた法然(1133-1212)は、比叡山で浄土教について学び、1175年(承安5年)に独自の教義として「南無阿弥陀仏」と称えることで誰もが等しく阿弥陀如来に救われ、極楽浄土に往生できると説いた「浄土宗」を開きます。

「南無阿弥陀仏」は「阿弥陀如来に帰依します」を意味します。このわずか六字のフレーズ(念仏)をひたすら声に出して称えれば、厳しい修行や善行の有無に関係なく極楽往生できるというシンプルな「専修念仏」の教えは、その容易さから貴族から学のない庶民まで困難に苦しむ幅広い階層の人々の支持を得て、鎌倉仏教の一大宗派に成長。現代まで連綿と受け継がれてきました。

本展は、2024年に浄土宗が開宗850年を迎えることを記念して、法然による立教開宗に始まり、江戸時代に徳川将軍家の帰依によって大きく発展を遂げるまでの浄土宗の美術と歴史を、全国の浄土宗諸寺院等が所蔵する国宝、重要文化財を含む貴重な名宝によって通覧する大規模な展覧会です。

展示は4章構成になっています。第1章「法然とその時代」では、法然がどういった人物であったのか、その姿かたちや事績、思想を紹介。

国宝《法然上人絵伝》(巻第十四 部分)鎌倉時代・14世紀 京都・知恩院蔵 展示期間:4/16~5/12 ※会期中場面替えあり

ここでは、法然の思想を体系化した浄土宗の根本宗典であり、冒頭部分には法然自筆の書も見られる重要文化財《選択本願念仏集(盧山寺本)》や、全48巻にも及ぶ長大な絵巻に法然の出生から往生までの生涯はもちろん、浄土宗に帰依した公家・武家や弟子たちの事績までをも収めた、数ある法然伝の集大成といえる国宝《法然上人絵伝》などが登場します。

重要文化財《法然上人坐像》鎌倉時代・14世紀 奈良・當麻寺奥院蔵 展示期間:4/16~5/12

奈良・當麻寺奥院の本尊であり、中世に制作された法然の彫像としては貴重な作例の《法然上人坐像》で見られる容姿は、比較的若い時分のものであるとか。肉付きがよく、表情はわずかに微笑んでいるようで柔和な印象を受けました。この肩ひじを張らない親しみやすさは浄土宗の大衆性に通じるものがあり、本展に入ってすぐの場所に展示されていることはじつに象徴的です。

重要文化財《七箇条制誡》(部分)鎌倉時代・1204年(元久元年) 京都・二尊院蔵 展示期間:4/16~5/12

教団の勢力が強まるにつれて、なかには教えを曲解して風紀を乱す者が現れ、延暦寺宗徒が専修念仏の停止を求める訴えを起こすこともありました。その際に法然が自戒を促す目的で弟子たちに署名させた、七つの禁止事項を記した《七箇条制誡(しちかじょうせいかい)》をよく見ると、浄土真宗の宗祖・親鸞(しんらん)の若かりし頃のサインも含まれています。

「僧綽空」が親鸞の署名/ 重要文化財《七箇条制誡》(部分)鎌倉時代・1204年(元久元年) 京都・二尊院蔵 展示期間:4/16~5/12
第2章展示、《菩薩面》左3面が鎌倉時代・13世紀、右1面が室町時代・16世紀 奈良・當麻寺蔵 通期展示

多くの人々の願いが込められた阿弥陀如来の造形の数々によって、庶民にまで広がった信仰の高まりを伝える第2章「阿弥陀仏の世界」の見どころは、先に紹介した《法然上人絵伝》と同じく浄土宗総本山である京都・知恩院蔵の国宝《阿弥陀二十五菩薩来迎図》です。

国宝《阿弥陀二十五菩薩来迎図(早来迎)》鎌倉時代・14世紀 京都・知恩院蔵 展示期間:4/16~5/12

本作は「早来迎(はやらいごう)」の異名で知られ、鎌倉時代の仏教絵画の傑作として教科書などで取り上げられているので、ご存じの方も多いはず。臨終を迎えた念仏者を極楽浄土へ連れるべく、菩薩衆を従えた阿弥陀如来が雲に乗って降りてくる様子を描いた絵画を来迎図と呼び、「早来迎」の名は、対角線構図で滝から一直線に水が落ちていくように疾走感を強調した見事な飛雲の表現から来ています。このような造形には、迅速な来迎を願った人々の願いが反映されているのでしょう。

国宝《阿弥陀二十五菩薩来迎図(早来迎)》(部分)鎌倉時代・14世紀 京都・知恩院蔵 展示期間:4/16~5/12

2019年から3年にわたり、肌裏紙(はだうらがみ:本紙の裏に直接貼る補強紙)を交換するなど大規模な解体修理が施されたおかげで画面が明るくなり、水面の青色や彫りの深い山肌など、本図の特徴ともいえる三次元的情景表現を生んだ山水景観がより鮮明になりました。

浄土信仰の聖地である奈良・當麻寺の秘蔵本尊である国宝《綴織當麻曼陀羅(つづれおりたいままんだら)》も必見です。本来は第3章に構成されている作品ですが、スペースの関係か第2章のエリアに並んでいました。

国宝《綴織當麻曼陀羅》中国・唐または奈良時代・8世紀 奈良・當麻寺蔵展示期間:4/16~5/6

本作は、浄土教における三大聖典のひとつ『観無量寿経』の内容を絵解きした縦横4メートルにおよぶ圧巻の極楽浄土図。極彩色で染めた絹糸や金糸を使い、一寸(3.3センチ)幅に60本の経糸という精密な織りが、微細な線描や色調のグラデーションなど描画に迫る表現をしていただろうことが想像されます。唐時代の中国、もしくは奈良時代・8世紀の日本で制作されたと考えられていますが、これほど高度な技術でつくられた8世紀の遺例は他にないとのこと。奈良県外で公開されるのは今回が初となります。

《当麻曼陀羅図》鎌倉時代・14世紀 東京国立博物館蔵 展示期間:4/16~5/12

残念ながらかつての色彩はほとんど失われてますが、本作は鎌倉時代に法然の弟子証空によって絶大な信仰を集め、多くの写しがつくられました。同章でも、墨線のはっきりした写しの《当麻曼陀羅図》が展示されています。《綴織當麻曼陀羅》には、中将姫という貴族の娘が阿弥陀如来の力を借りて、蓮糸を使って一晩で織り上げたという伝承が残っていますが、《当麻曼陀羅図》と合わせて見れば、当時の人々の崇敬を高めた神秘性の一端を体感できるかもしれません。

第3章展示、中央は重要文化財《聖光上人坐像》鎌倉時代・13世紀 福岡・善導寺(久留米市)蔵 展示期間:4/16~5/12

第3章「法然の弟子たちと法脈」では、法然の没後に、彼の教えを広めようと鎮西(九州)や鎌倉、京都など全国で精力的に活動した弟子たちの活躍をたどります。

《末代念仏授手印(生極楽本)》鎌倉時代・1228年(安貞2年)福岡・善導寺(久留米市)蔵 展示期間:4/16~5/12

専修念仏の理念的構築や、その中での諸行の位置づけ、教団の正当性の確保など、弟子たちの間でもさまざまなアプローチの相違があったようです。展示されている《末代念仏授手印(生極楽本)》は鎮西派の祖である聖光(しょうこう)の直筆とされる一本で、門弟間で異議異流が生じている状況を嘆き、法然の真意を後世まで伝えるために著したもの。専修念仏というこれ以上なくシンプルな教えであっても、その一つの教えを守り受け継ぐことがいかに難しいか考えさせられます。

第4章展示、康如・又兵衛等作《八天像》帝釈天像、持国天像、金剛力士像、密迹力士像 江戸時代・1621年(元和7年) 京都・知恩院蔵 通期展示

浄土宗中興の祖・聖冏(しょうげい)が常陸国で関東浄土宗の礎を築き、その弟子の聖聡(しょうそう)が江戸に増上寺を創建。松平家以来、浄土宗を深く信仰していた徳川家康が増上寺を江戸の菩提所、知恩院を京都の菩提所と定めたことによって、教団の地位は確固たるものになりました。第4章「江戸時代の浄土宗」では、将軍家と諸大名の外護を得て、飛躍的に興隆した江戸時代の浄土宗の様子を、浄土宗寺院にもたらされたスケールの大きな宝物でたどります。

重要文化財《大蔵経(宋版)》中国・北宋~南宋時代 12世紀刊 東京・増上寺蔵 通期展示 ※会期中画面替えあり

ここで鑑賞できる宋版、元版、高麗版の3部の《大蔵経》は、家康が大和国、周防国、近江国の寺院から領地と引き換えにそれぞれ召し上げ、増上寺に寄進した「三大蔵」と呼ばれるもの。

大蔵経とは5,000巻を超える漢訳された仏教経典を総集したもので、中国では北宋時代以降、印刷文化の発展に伴い大蔵経が木版印刷されていきました。刊本大蔵経は個別でも希少な文化財ですが、欠本がない状況で一寺院に三部も所蔵されている事例は世界に類をみないとか。現代の仏教研究の基礎をつくった、文化史上極めて重要な書物です。

伝徳川家康《日課念仏》江戸時代・17世紀 東京国立博物館蔵 通期展示

派手さはなくとも目を引かれたのは、家康の自筆と伝えられる《日課念仏》。晩年の家康が自らの滅罪を念じて毎日こつこつ「南無阿弥陀仏」と写経したものと考えられています。遠目には何かの模様かと勘違いしてしまうほど、縦6段、横41列にびっしりと名号が書き込まれている様子は、それだけの執着の表れのようで少しゾッとするものがありました。しかし、よく見ると間違い探しのように、2カ所だけ「南無阿弥陀仏」ではなく「南無阿弥家康」の文字が……。このように書かれた理由は定かではありませんが、ただのお茶目だったのか、もっと別の深い思惑が込められていたのでしょうか。

狩野一信筆《五百羅漢図》江戸時代・19世紀 東京・増上寺蔵 通期展示 ※会期中画面替えあり

四条派や土佐派などの画風をほぼ独学で学んだ後に狩野派へ入門したとされる幕末の絵師・狩野一信(1816-63)が画業の集大成として、およそ10年の歳月をかけて挑んだ増上寺蔵の《五百羅漢図》は、本展のハイライトといってもいいでしょう。

羅漢とは釈迦の弟子の中でも悟りを得た聖者を指す尊称で、人々を救済する役目をもった存在として信仰されてきました。五百羅漢は釈迦入滅後に経典を編纂する集会(第一結集)に参加した500人の羅漢のことで、日本では江戸時代中期以降に各地で五百羅漢の木彫や石像が盛んにつくられるようになります。

狩野一信筆《五百羅漢図》(第23幅と第24幅)江戸時代・19世紀 東京・増上寺蔵 展示期間:第23幅と第24幅は4/16~5/12
狩野一信筆《五百羅漢図》(第64幅 部分)江戸時代・19世紀 東京・増上寺蔵 展示期間:第64幅は4/16~5/12

本作はその中でも大きさ、数、迫力ともに破格の羅漢図であり、文字通り500人の羅漢を5人ずつ、計100幅に描き分けた大作です。羅漢の修行や生活、六道や人に降りかかる厄災と羅漢による救済といった個性の強い情景を、日本画の枠にとらわれず西洋の陰影表現・遠近法も用いながら、極彩色でドラマチックに表現。四隅まで力を抜いている部分がまるでなく、情報量の多さとそこから伝わってくる情熱に圧倒されました。

会場では全100幅のうちの24幅(前・後期で12幅ずつ)が展示されます。

《仏涅槃群像》江戸時代・17世紀 香川・法然寺蔵 通期展示

会場で最後に出会うのは、香川・法然寺蔵の《仏涅槃群像》です。釈迦入滅の場面を群像で立体的に表した作品で、等身大を上回る釈迦の涅槃像と、それを取り囲んで嘆く羅漢、天龍八部衆、動物など計82軀で構成されています。高松藩初代藩主・松平頼重が京都の仏師を招いて造営したもので、このような大型の涅槃群像は他に例がありません。

《仏涅槃群像》江戸時代・17世紀 香川・法然寺蔵 通期展示

普段は法然寺の三仏堂(涅槃堂)に置かれていますが、本展ではそのうち26軀が登場。フォトスポットとして開放されていました。

なお、展覧会は東京展の後、京都国立博物館、九州国立博物館に巡回予定です。

 

「法然と極楽浄土」概要

会期 2024年4月16日(火)~6月9日(日)
会場 東京国立博物館 平成館
開館時間 9:30~17:00(入館は閉館の30分前まで)
休館日 月曜日、5月7日(火)
※ただし、4月29日(月・祝)、5月6日(月・休)は開館
観覧料 一般 2,100円、大学生 1,300円、高校生 900円

※本展は事前予約不要です。
※中学生以下、障がい者とその介護者一名は無料です。入館の際に学生証、障がい者手帳などをご提示ください。
そのほか、詳細は展覧会公式チケットページでご確認ください。

主催 東京国立博物館、NHK、NHKプロモーション、読売新聞社
問い合わせ 050-5541-8600(ハローダイヤル)
展覧会公式サイト https://tsumugu.yomiuri.co.jp/honen2024-25/

※記事の内容は取材時点のものです。最新情報は展覧会公式サイト等でご確認ください。


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【取材レポート】国立西洋美術館で初の現代アート展「ここは未来のアーティストたちが眠る部屋となりえてきたか?」が開幕

国立西洋美術館
展示風景

東京・上野の国立西洋美術館で史上初となる現代アートの展覧会「ここは未来のアーティストたちが眠る部屋となりえてきたか? ──国立西洋美術館65年目の自問|現代美術家たちへの問いかけ」が開幕しました。会期は2024年5月12日まで。

■参加作家
飯山由貴、梅津庸一、遠藤麻衣、小沢剛、小田原のどか、坂本夏子、杉戸洋、鷹野隆大、竹村京、田中功起、辰野登恵子、エレナ・トゥタッチコワ、内藤礼、中林忠良、長島有里枝、パープルーム(梅津庸一+安藤裕美+續橋仁子+星川あさこ+わきもとさき)、布施琳太郎、松浦寿夫、ミヤギフトシ、ユアサエボシ、弓指寛治

小沢剛の展示
布施琳太郎《骰子美術館計画》(2024)
パープルームの展示
遠藤麻衣《オメガとアルファのリチュアル─ 国立西洋美術館 ver.》(2024)

主として20世紀前半までの「西洋美術」だけを収蔵・展示している国立西洋美術館で現代美術を大々的に展示するという、これまでにない試み。事前に開催された記者発表会では、その目的は所蔵作品と現代作品を並べて展示することでコレクション理解の地平を広げることでも、現代美術への関心が高い層に興味をもってもらうことでもないと語られています。

同館の母体となった「松方コレクション」が、日本の画家たちに本物の西洋美術を見せ、創作活動に資することを望んだ松方幸次郎の意志によって築かれたように、その過去を振り返ると、同館が未来のアーティストたちを生み育てる触発の場として期待されていたことがわかります。

しかし、実際に同館がそういった空間たり得てきたのかどうか、これまで本格的に問われてきませんでした。

本展はその事実に向き合い、同館やそのコレクションが現代の表現とどのように関係を結び、いまの時代の作品の登場や意味生成にどのような役割を果たしうるかという問いを、ジャンルをまたいだ21組のアーティストに投げかけ、作品を通じた応答を見ていこうというもの。あわせて同館が所蔵するクロード・モネ、ポール・セザンヌ、モーリス・ドニといった西洋美術の名品約70点も紹介している、見どころの多い展覧会となっています。

本企画の出品者のうち、少なくないアーティストが評論などの分野でも活躍する人物であるのはそのためで、会場内に存在するテキストも一般的な現代美術展と比較してボリュームがあり、なかにはほとんどテキスト自体が作品となっているものまでありました。

中林忠良の展示

問いに対するアーティストたちのアプローチや問題意識はさまざまです。

たとえば第1章「ここはいかなる記憶の磁場となってきたか?」では、中林忠良、内藤礼、松浦寿夫が自身の作品と、松浦寿夫が触発されたセザンヌ、ドニ、あるいは中林忠良自身の表現の歴史的血脈をたどった先にいるオディロン・ルドンやロドルフ・ブレダンといった同館所蔵の先人たちの作品を併置。美術館をさまざまな時代や地域に生きた/生きるアーティストらの記憶群が同居し、それぞれの力学を交錯させあう磁場のようなものと定義したうえで、同館のコレクションがいかなる磁場を形成しているかを作品群をとおして検証しています。

松浦寿夫の展示/ 左からポール・セザンヌ《ポントワーズの橋と堰》(1881)、松浦寿夫《キプロス》(2022)、松浦寿夫《緑の領土》(2024)

第2章「日本に『西洋美術館』があることをどう考えるか?」では、小田原のどかが新作インスタレーション《近代を彫刻/超克する── 国立西洋美術館編》の中で、同館のシンボルにもなっているオーギュスト・ロダンの彫刻《考える人》を真っ赤な絨毯に台座から外した状態で横倒しさせており、非常に目を引きます。

小田原のどかの展示/ 左からオーギュスト・ロダン《考える人》(1881-82)、西光万吉《毀釈》(1960年代)、オーギュスト・ロダン《青銅時代》(1877[原型])

裏側まですっかり見えるようになっていて、おそらく後にも先にもこの状態の《考える人》を見る機会はないだろうと、座り込んでじっくりと鑑賞する来場者も少なくありませんでした。《考える人》が転倒すると、クッションの絶妙に心地良さような様子とあいまって寝入っているように見えて、どこかユーモラスです。

小田原のどかの展示/ オーギュスト・ロダン《考える人》(1881-82)

小田原は、日本が近代化する過程ではらまざるを得なかった同館の歴史的な「歪み」と、それを抱えたうえで西洋の美術館群と異なり地震が多発する地盤の上に建っているという点に強い関心を抱いたとのこと。

今回の新作インスタレーションは、1923年の関東大震災で倒れた《考える人》や、1922年の部落解放運動のなかで水平社宣言を起草し、のちに獄中で国家主義者へ転向を遂げた西光万吉の日本画《毀釈》、地震のたびに倒壊し作り直される五重塔を模したオブジェ、同館が独自に開発した免震台などを構成要素としています。地震と思想転向という小田原の考える日本の思想的課題を、インスタレーションで「転倒」に「転向」を重ね合わせながら展開することで複雑な問題提起の様相を呈していました。

 

第4章「ここは多種の生/性の場となりうるか?」において、無味無臭のニュートラルな場所たろうとする美術館の展示室の中に、人間の「生」の空間を作り直したのは鷹野隆大です。

鷹野隆大の展示

個人では手が届かないような名品がもし現代の平均的な居室に並んでいたら、どう見えるだろうか。そう考えた鷹野は、同館の所蔵するギュスターヴ・クールベやフィンセント・ファン・ゴッホ、ルカス・クラーナハ(父)の絵画、エミール=アントワーヌ・ブールデルの彫刻と自身の写真作品とを、なんとIKEAの家具で構成された空間に展示したのです。

IKEAの製品は権威を示す装飾性を排除し、シンプルで豊かな生活を送れるようにするモダニズム・デザインの極地であると鷹野は見なしています。そうした手頃なおしゃれで満たされた私たちの日常空間にはけして登場しえない、権威ある美術館のなかにあるはずのクールベやブールデルが置かれる状況は、誰しもすぐに違和感を覚えるのではないでしょうか。「男は強い」というある種の型を過剰に表現した筋骨隆々のヘラクレス彫刻も、同館の前庭にあれば堂々たる威容にほれぼれするところですが、このスマートな部屋にはいかにもミスマッチで、現代的な感覚に対立するものとして映ります。

鷹野隆大の展示

心理的距離が近づいたことで作品の見え方が変わっていきますが、同時に、展示空間に左右されない、作品そのもの”だけ”を鑑賞する/価値をはかることの難しさも実感しました。

 

美術館は作品を不死の状態に保ち、永続的に未来へと残してゆくことを望む機関でありながら、物質としての作品は時とともに緩慢ながら変化せざるを得ません。第5章「ここは作品たちが生きる場か?」では、竹村京が2016年にルーヴル美術館で大きく破損した状態で発見されたのち、同館所蔵となった旧松方コレションのクロード・モネ《睡蓮、柳の反映》に着目。

最低限の保存処置のみ施されていた縦199.3×横424.4cmという巨大な油彩画の欠損部分を、半透明の布に絹糸で想像的に補完し、二重構造にして見せる作品《修復されたC.M.の1916年の睡蓮》を発表しました。

竹村京《修復されたC.M.の1916年の睡蓮》(2023–2024)釡糸、絹オーガンジー 作家蔵

竹村は、過度な修復により、ある時期に作られた作品がさまざまな時代の人々が考えた「物言い」によって上書きされてしまうことに否定的です。本作では、失われた過去の記憶を「西洋絵画を日本語に変換するよう」に、可逆的に解くことのできる絹糸で繊細に翻訳しなおす作業により、作品に輝きを与えつつ欠損をありのままに肯定しながら未来に残すという保存方法が実践されています。

竹村京《修復されたC.M.の1916年の睡蓮》部分(2023–2024)釡糸、絹オーガンジー 作家蔵

最終章の第7章「未知なる布置をもとめて」では、杉戸洋、梅津庸一、坂本夏子、2014年に亡くなった辰野登恵子の作品を、クロード・モネ、ポール・シニャック、ジャクソン・ポロックなど、かつての高度に実験的であった絵画と同じ空間でシンプルに対峙させることで、日本の「現代美術」と呼ばれるものについて思考し、その実験性の射程をはかろうと試みています。

第7章の展示
第7章の展示/ 左から辰野登恵子《Work 85-P-5》(1985)、ジャクソン・ポロック《ナンバー8、1951 黒い流れ》(1951)
第7章の展示/ 左からポール・シニャック《サン=トロペの港》(1901-02)、坂本夏子《入口》(2023)

本展企画者である国立西洋美術館 主任研究員の新藤淳氏は、本展の準備過程で「率直に申し上げて、国立西洋美術館というのはいまの気鋭のアーティストたちを触発する場とはなりえてこなかったのではないかという想いが強く残りました」と話します。本展の参加アーティストの中には、国立西洋美術館という場やそのコレクションから着想を得た者もいるが、それは機会を用意したからであると。

そのため、最終章では国立西洋美術館のコレクションがいまを生きるアーティストをどのように触発してきたか/しうるかを問うのはやめ、「過去の作品に今日のペインターたちの絵がいかに拮抗しうるかを問いたいと考えました。そこで作家間の時代を超えた相互の問題意識の類似や差異が浮かび上がればと思っています」と構成意図を説明しました。


新藤氏が「自分のキュレーションの手つきというもの自体にご批判も多くあるだろう」とも語る本展は、さまざまな声が挙がることが織り込み済みというより、むしろ積極的に批判を求めている印象を受けます。国立西洋美術館やそのコレクションの在り方に、参加アーティストたちがどのようなメッセージを発したのか。これが日本の現代美術界にどのように影響していくのか。ぜひ足を運んでいただき、鋭い眼差しでその全貌を確認していただきたいです。

「ここは未来のアーティストたちが眠る部屋となりえてきたか?──国立西洋美術館65年目の自問|現代美術家たちへの問いかけ」概要

会期 2024年3月12日(火)~5月12日(日)
会場 国立西洋美術館 企画展示室
開館時間 9:30~17:30(金・土曜日、4月28日[日]、4月29日[月・祝]、5月5日[日・祝]及び5月6日[月・休] は9:30~20:00)
※入館は閉館の30分前まで
休館日 月曜日、5月7日(火)
※ただし、4月29日(月・祝)、4月30日(火)、5月6日(月・休)は開館
観覧料 一般2,000円、大学生1,300円、高校生1,000円

※中学生以下は無料
※心身に障害のある方及び付添者1名は無料
その他、詳細は公式HPにてご確認ください。

主催 国立西洋美術館
問い合わせ 050-5541-8600(ハローダイヤル)
展覧会公式ページ https://www.nmwa.go.jp/jp/exhibitions/2023revisiting.html

※記事の内容は取材時点のものです。最新情報は展覧会公式ページ等でご確認ください。

記事提供:ココシル上野


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【上野の森美術館】令和5年度 台東区障害者作品展「森の中の展覧会」会場レポート。応募数254点、芸術に携わる喜びの輪が広がる

上野の森美術館
「森の中の展覧会」会場風景

2024年3月6日~3月10日の期間、上野の森美術館では令和5年度 台東区障害者作品展「森の中の展覧会」が開催されました。

※作品に使用されている素材の表記については作家(送付者)の申請に準拠しています。

「森の中の展覧会」会場風景

障害のある方のなかには、心理的なハードルがあり作品をなかなか世に出せない方や、そもそもこれまで創作活動に触れてこなかったという方が少なくありません。「森の中の展覧会」は、そうした方々に美術館に作品を展示する機会を通して、主体的に芸術に携わる楽しさ、誰かに自分の作品を認めてもらう喜びを知ってもらおうと、台東区と上野の森美術館が共催して企画した展覧会です。開催は今年で3回目、入場無料です。

出品者は台東区に在住・在学・在勤または区内の障害者施設・団体等を利用している障害のある方で、昨年の214点を上回る254点もの作品が集まりました。

台東区立金竜小学校《真夜中のピエロ》画用紙

会場に入って最初に来場者を出迎えたのは、金竜小学校の児童が制作した「真夜中のピエロ」というカラフルな作品群。マーブル模様のように色を付けた画用紙を思い思いの形に切り取ってピエロを象っています。こちらを笑わせようとしているような優しい風貌のピエロがいるかと思えば、刃物を持ったおどろおどろしいピエロの姿も。基本の型が同じでも、それぞれが表現するピエロのイメージが非常に個性的で、一つひとつが目を惹きつけるパワーに溢れ、この先の展示に対してもワクワクと期待を抱かせてくれました。

会場風景
台東区立浅草中学校 F・M《愛犬「ハル」》マスキングテープ
M《エトピリカ》クレパス

壁面での展示が可能な平面作品という規定はあるものの、題材や素材は自由なので、水彩・アクリル・色鉛筆等を用いた絵画、ちぎり絵、折り紙、粘土、書など、バリエーション豊かな表現を味わえるのも本展の魅力です。

会場風景
山上 ガセイ《美容室》アクリル、油性ペン
伊藤:: 大∴作∴《生命の存在》アクリル絵の具、石粉粘土、板パネル(ミクストメディア)

また、本展では特に優秀だと判断された作品に対して賞が授与されます。今年は武蔵野美術大学学長の樺山祐和さんや画家の遊馬賢一さん、書道家の蕗野雅宣さんが審査をつとめました。

今年は優れた作品が多かったこともあり、昨年までの台東区長賞、上野の森美術館賞、優秀賞、佳作に加え、審査員特別賞を新設。また、惜しくも入賞を逃した作品についても入選作品として紹介されることになりました。

台東区長賞、森村真衣子《盛》アクリル絵の具・色鉛筆・エポキシ樹脂 等

台東区長賞には森村真衣子さんの《盛(さかり)》が選ばれました。

作家コメント:「森」という漢字には”木々が集まる様”が表されていますが、この作品「盛」をとおして、普段は疎遠になってしまっていた人達の思いが集まり楽しい気持ちをもって新たな人生の歩みへ続く物になってもらえたら幸いです。

審査委員から「見ていて飽きない」「玉手箱を開けたような感じ」と評された本作は、タイトル通りまさに「盛」りだくさんに、さまざまな要素が混然一体となって、絶妙な感覚で細部まで詰め込まれた力作です。

台東区長賞、森村真衣子《盛》アクリル絵の具、色鉛筆、エポキシ樹脂 等

いつの時代、どこの国とも判断できない、鳥や卵が象徴的に登場する不思議な世界が、エポキシ樹脂で層を作ることで立体感とともに広がっています。多様なマテリアルが用いられており、右上にある緑の木のような部分は、よく見ればパンの袋を閉じるプラスチックの留め具(バッグ・クロージャー)の形に切った厚紙で作られているなど、出展作品のなかでも頭一つ抜けた独創性を披露していました。

上野の森美術館賞、嶋田勝弘《未来》水彩ペン、マジックペン
優秀賞、放課後デイサービス獏のたまご《春が来た》絵の具、クレヨン、毛糸
佳作、ともだち《雲雀》墨汁
審査員特別賞、Candy 純子《3人の十字架》ぺんてるクレヨン

会場を巡っているうちに、前回の開催時に記憶に残る作品を制作されていた方のお名前が、今回も多く見受けられたことに気づきました。調べてみると、じつは台東区長賞の森村真衣子さんも、第1回で上野の森美術館賞を受賞されていたとのこと。

本展の担当者にお話を伺うと、「開催3回目にしてすでに“おなじみ”の作家さんがでてきています。ご自身の作風を貫きつつも技術を高めてきた方もいれば、ガラリと異なるアプローチの作品を送ってくださった方もいて、本展が創作のモチベーションになっているのかなと思うとうれしいですね」と笑顔をみせます。

佳作、哘 博考《ワン☆ショット》アクリル絵の具、画用紙/ 昨年は色鉛筆の作品で台東区長賞を受賞した哘 博考さんは、今年は切り絵で佳作に選ばれるという多才ぶり。

台東区では「障害者アーツ事業」の一環で、区内の障害者施設に美術講師を派遣して美術ワークショップを開催しています。最近では本展の評判を知った施設側から「ぜひうちでもワークショップをやってほしい」と声が上がることも増えているそうで、着実に本展が周知されつつあるのを実感しているといいます。

「そうやってワークショップに参加してくださった施設の皆さんが、団体で本展に足を運び、喜びを共有していらっしゃる様子は、私たちにとっても大きなモチベーションになっています」と担当者。

卓上カレンダー

なお、今年から受賞作品を絵柄に採用した卓上カレンダーを制作したとのこと。(今年のカレンダーは前回・前々回の受賞作品を掲載)

来年のカレンダーには今回の受賞作品が掲載されるそうで、このように作品を見てもらう機会を増やすことは、作家たちのさらなる意欲向上につながっていくことでしょう。技術を高めて新作を発表する常連作家のなかには、いずれ美術界で躍進を遂げる方もいるかもしれませんので、今後も注目していきたいです。

なお、2024年3月21日(木)~4月19日(金)まで台東区役所1階 アートギャラリーにて受賞作品の一部が展示されますので、ご興味のある方はぜひ足を運んでみてください。

令和5年度 台東区障害者作品展「森の中の展覧会」概要

会期 2024年3月6日 (水) 〜 3月10日 (日)
会場 上野の森美術館
入場料 無料
WEB https://www.city.taito.lg.jp/bunka_kanko/culturekankyo/events/shougaiarts/r5morinonakanotenran.html

※記事の内容は取材日(2024/3/6)時点のものです。

 


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【東京都美術館】「印象派 モネからアメリカへ ウスター美術館所蔵」取材レポート。海を越えて広がった印象派の多彩な表現を体感

東京都美術館

 

パリで開催された第1回印象派展から150周年を迎えた2024年。東京都美術館では、アメリカのウスター美術館のコレクションを中心に、西洋美術の伝統を覆した印象派が欧米へもたらした衝撃と影響をたどる展覧会「印象派 モネからアメリカへ ウスター美術館所蔵」が開催中です。会期は2024年4月7日まで。

エントランス/「印象派 モネからアメリカへ ウスター美術館所蔵」展示風景、東京都美術館、2024年
「印象派 モネからアメリカへ ウスター美術館所蔵」展示風景、東京都美術館、2024年

1898年に開館したアメリカ・ボストン近郊に位置するウスター美術館は、古代エジプト、古代ギリシャ・ローマの古典美術から世界各地の現代アートまでおよそ4万点を所蔵しています。なかでも印象派は開館当時のコンテンポラリーアート(同時代美術)として積極的に収集しており、現在でもコレクションの重要な位置を占めています。

本展は、西洋美術の伝統を覆した印象派の革新性とその世界的な広がりに注目。ほとんどが初来日となる同館の印象派コレクションを中心に、モネやルノワールなどよく知られたフランスの印象派だけでなく、これまで日本で紹介される機会が少なかったチャイルド・ハッサムなどアメリカの印象派を代表する作家らも含めた、40人以上の油彩画約70点を紹介するものです。

展示は全5章構成。第1章「伝統への挑戦」では、祖国フランスの身近な風景や自然に美しさと新しい主題を見出したバルビゾン派やレアリスムの画家たちが、宗教画や歴史画を頂点とする伝統的な絵画のヒエラルキーを覆すという、19世紀前半に起きた印象派の先駆けとなる動きを紹介しています。

トマス・コール《アルノ川の眺望、フィレンツェ近郊》1837年、ウスター美術館蔵
ジャン=バティスト=カミーユ・コロー《幸福の谷》1873年、ウスター美術館蔵
左から、ギュスターヴ・クールベ《女と猫》1864年、ウスター美術館蔵/ジュリアン・デュプレ《干し草作り》1886年、ウスター美術館蔵

同時期のアメリカでも自国の雄大な自然に対する関心が高まり、アメリカ的な風景が人気を博しました。同章ではそうした大西洋両岸における風景画の台頭を比較することができます。

ウィンスロー・ホーマー《冬の海岸》1892年、ウスター美術館蔵

19世紀後半のアメリカを代表する画家ウィンスロー・ホーマーは、フランス印象派の登場以前から戸外制作を作品に不可欠な要素として取り入れていました。《冬の海岸》(1892)は画業後半、海や海と対峙する人々を描くことに注力していた時期の作品で、メイン州海岸の打ち寄せる荒波の描写に直感的で大胆な筆づかいが用いられ、ホーマーの印象派的な側面を示しています。

カミーユ・ピサロ《ディエップの船渠デュケーヌとベリニー、曇り》1902年、ウスター美術館蔵

第2章「パリと印象派の画家たち」では、アカデミーの伝統から離れ、戸外へ赴いて目に映る世界を鮮やかな色彩と大胆な筆づかいで描きだしたクロード・モネ、カミーユ・ピサロ、ピエール=オーギュスト・ルノワールといった第1回印象派展のメンバーの作品を展示。加えて、その後の印象派展に参加した唯一のアメリカ人である女流画家メアリー・カサットや、“アメリカのモネ”とも評されるチャイルド・ハッサムのパリ留学時代の作品も見ることができます。

ピエール=オーギュスト・ルノワール、《闘牛士姿のアンブロワーズ・ヴォラール》1917年、日本テレビ放送網株式会社蔵
メアリー・カサット《裸の赤ん坊を抱くレーヌ・ルフェーヴル(母と子)》1902-03年、ウスター美術館蔵
チャイルド・ハッサム《花摘み、フランス式庭園にて》1888年、ウスター美術館蔵

同章で紹介されるモネの《睡蓮》(1908)は本展の見どころのひとつ。池に溶け込んでいくように輪郭を失いつつある睡蓮や水面に映り込んだ木々、幻想的な色彩など、印象派の風景画ではありつつも、晩年の作品に顕著に表れる抽象表現の兆しがみられる作品です。

クロード・モネ《睡蓮》1908年、ウスター美術館蔵

モネは後半生を過ごしたパリ郊外のシヴェルニーで、自らつくり上げた「水の庭」に浮かぶ睡蓮を250点以上描き続けました。本作は1909年にパリのデュラン=リュエル画廊で発表した〈睡蓮〉連作のうちの1点で、翌年ウスター美術館が直接画廊から購入したもの。今日さまざまな美術館の目玉として収蔵されている《睡蓮》ですが、世界で初めてモネの《睡蓮》を購入した美術館は、じつはウスター美術館だったのです。

書簡の展示/「印象派 モネからアメリカへ ウスター美術館所蔵」展示風景、東京都美術館、2024年

会場では本作購入について同館と画商の間で交わされた書簡(複製)も紹介しており、初代館長による理事会の説得や支払期限の延長など、手紙と電報を駆使した生々しいやり取りも知ることができました。

アンデシュ・レオナード・ソーン《オパール》1891年、ウスター美術館蔵

第3章「国際的な広がり」では、パリで得た印象派のエッセンスを母国へ持ち帰り、芸術的実践に応用したアメリカのジョン・シンガー・サージェントやスウェーデンのアンデシュ・レオナード・ソーン、ベルギーのアルフレッド・ステヴァンス、日本の黒田清輝や久米桂一郎といった画家たちの作品を展示。

左はジョン・シンガー・サージェント《キャサリン・チェイス・プラット》1890年、ウスター美術館蔵
左から、久米桂一郎《林檎拾い》1892年、久米美術館蔵/久米桂一郎《秋景》1895年、久米美術館蔵
斎藤豊作《風景》1912年頃、郡山市立美術館蔵

その多くはフランス印象派の様式を完全に模倣したものでなく、さまざまな地域の文化や社会と融合しながら独自に昇華され、印象派にかかわりのなかった画家やフランスを訪れたことのない画家にも波及しながら多様なかたちで展開されていったことを伝えています。

印象派が国際的に広がっていくなかで、とくにアメリカにおいてどのような受容を辿ったのかを紹介する第4章「アメリカの印象派」は本展のハイライト。

1880年代半ば、アメリカの画商や収集家の間でヨーロッパの印象派が流行し、需要に応えるため多くのアメリカ人画家がフランスに渡ります。批評家が若い画家たちに求めたのは「ヨーロッパの主題から離れた母国アメリカの美」を見出すことだったため、引き続きニューイングランドの田園風景や近代化する都市風景などアメリカらしさを感じる画題が好まれました。

ジョン・ヘンリー・トワックマン《滝》1890年頃、ウスター美術館蔵
ジョゼフ・H・グリーンウッド《リンゴ園》1903年、ウスター美術館蔵

現地で学んだ印象派の様式をいち早く制作に取り入れ、サマースクールや芸術家コロニーを通じてアメリカ各地に広げた立役者が、第2章でも登場したチャイルド・ハッサムです。

ボストン生まれのハッサムは、1883年のヨーロッパ旅行中に初めて訪れたパリで印象派の作品に触れ、1886年から1889年にかけてはパリに留学。帰国後はニューヨークに定住して成功を収め、アメリカにおける印象派の代表的画家となりました。同章では主題の異なる作品3点が制作年順に展示され、第2章の《花摘み、フランス式庭園にて》(1888)とあわせて画風や関心の変遷を追うことができます。

チャイルド・ハッサム《コロンバス大通り、雨の日》1885年、ウスター美術館蔵

落ち着いた色調とやわらかな筆づかいでボストンの雨の大通りを描いた《コロンバス大通り、雨の日》(1885)では、遠景のかすむ街の大気やつややかな舗道の光の表現に印象派の影響が感じられます。

チャイルド・ハッサム《シルフズ・ロック、アップルドア島》1907年、ウスター美術館蔵

パリ留学後に制作された、モネの断崖の風景画を思わせる《シルフズ・ロック、アップルドア島》(1907)はガラリとタッチが変わり、細長い筆触の向きを変えながら岩肌や波を巧みに描き分けています。同じ場所でも景色は絶えず変わりつづけるという考えのもと、モネの連作のようなアプローチで、アップルドア島の風景をさまざまな視点や状況でいきいきと描いたなかの1点です。

チャイルド・ハッサム《朝食室、冬の朝、ニューヨーク》1911年、ウスター美術館蔵

《朝食室、冬の朝、ニューヨーク》(1911)では、高層ビルの建設や自動車の普及など近代的な大都市へ変貌するニューヨークの喧噪を避けるようにカーテンで遠ざけ、洗練された中上流階級の都市生活に焦点を当てています。ハッサムは1909年から本作のような、部屋にひとりでいる女性を描いた〈窓〉シリーズを手掛けていました。カーテン越しに描かれた摩天楼はニューヨークの近代建築の象徴として称えられたマンハッタンのフラットアイアン・ビルディングと考えられており、巧みにアメリカらしさが表現されています。

左はエドマンド・チャールズ・ターベル《ヴェネツィアン・ブラインド》1898年、ウスター美術館蔵

エドマンド・チャールズ・ターベルは「ターベライト(ターベル信奉者)」という言葉が生まれるほど多くのフォロワーが現れたボストン美術界の重要人物であり、美術教師として学生たちにパリで学んだ印象派をもとにした地域特有の表現様式を広めました。

《ヴェネツィアン・ブラインド》(1898)は光と豊かな色彩に印象派らしさを感じますが、伝統的な造形と細部の描写に力を入れているのはボストン派の画家らしい特徴です。レンブラントに代表されるバロック絵画の明暗法のような、ブラインドから差し込む光で情景を照らすことで生まれるドラマチックな光と影のコントラストが印象的でした。

ポール・シニャック《ゴルフ・ジュアン》1896年、ウスター美術館蔵

最後のセクションとなる第5章「まだ見ぬ景色を求めて」では、光学や色彩理論にもとづく点描技法を採用したポール・シニャックや、フォーヴィスムへの傾倒を経てキュビスムの創始者となったジョルジュ・ブラックといった、印象派の衝撃のあとに新しい絵画の探究を続けた画家たちの作品を展示。

ジョルジュ・ブラック《オリーヴの木々》1907年、ウスター美術館蔵
左から、マックス・スレーフォークト《自画像、ゴートラムシュタインの庭にて》1910年、ウスター美術館蔵/ロヴィス・コリント《鏡の前》1912年、ウスター美術館蔵

ジョージ・イネスドワイト・ウィリアム・トライオンは、19世紀末頃にアメリカで流行した絵画様式「トーナリズム(色調主義)」の代表的な画家です。印象派が大胆な色彩と視覚に固執したのに対し、トーナリズムは灰色や青といった落ち着いた色調を使用して静謐さや情感的な雰囲気、目には見えないものを描写することを重視しました。

ジョージ・イネス《森の池》1892年、ウスター美術館蔵

スウェーデンの神秘主義者エマニュエル・スウェーデンボルグの信奉者であったイネスの晩年の作品は、形而上学的な傾向が強まりました。《森の池》(1892)に見られるような霧がかった大気の表現は、現実と神の世界、目に見えるものと見えないものを同時に表す精神的風景を描いているといいます。

一方のトライオンは《秋の入り口》(1908-09)で、マサチューセッツ州サウス・ダートマスの田園風景を、絵具の柔らかな扱い方や繊細な光の輝きによって神秘に満ちた絶景の理想郷へと変貌させています。

ドワイト・ウィリアム・トライオン《秋の入り口》1908-09年、ウスター美術館蔵

南北戦争の影響を引きずっていたアメリカ国民にとって、こういったトーナリズムの目に見えない情緒深い情景が精神的な安らぎとなりました。

デウィット・パーシャル《ハーミット・クリーク・キャニオン》1910-16年、ウスター美術館蔵

パリで生まれ、美の常識を変え、画家たちを厳格なルールから解き放った印象派をグローバルな視点で紹介する「印象派 モネからアメリカへ ウスター美術館所蔵」の開催は2024年4月7日(日)まで。これまで日本であまり紹介されてこなかった、アメリカを中心とするフランス以外の印象派の魅力を楽しめる貴重な機会です。日本初公開の作品が多数ですので、ぜひこの機会をお見逃しのないよう足を運んでみてください。

フォトスポットも多数用意されていました。

「印象派 モネからアメリカへ ウスター美術館所蔵」概要

会期 2024年1月27日(土)~ 4月7日(日)
会場 東京都美術館
開室時間 9:30-17:30、金曜日は20:00まで(入室は閉室の30分前まで)
休室日 月曜日、2月13日(火)
※ただし2月12日(月・休)、3月11日(月)、3月25日(月)は開室
観覧料(税込) 一般 2,200円、大学生・専門学校生 1,300円、65歳以上 1,500円

※土曜・日曜・祝日及び4月2日(火)以降は日時指定予約制(当日空きがあれば入場可)
※高校生以下無料。
その他、詳細は展覧会公式サイトでご確認ください。

主催 公益財団法人東京都歴史文化財団 東京都美術館、日本テレビ放送網、 日テレイベンツ、BS 日テレ、読売新聞社
お問い合わせ 050-5541-8600(ハローダイヤル)
展覧会公式サイト https://worcester2024.jp

※記事の内容は取材時点のものです。最新情報は公式サイト等でご確認ください。


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本阿弥光悦が見出した、深遠なる美意識。
【東京国立博物館】特別展「本阿弥光悦の大宇宙」(~3/10)内覧会レポート

東京国立博物館
国宝《舟橋蒔絵硯箱》本阿弥光悦作 江戸時代 17世紀 東京国立博物館蔵

戦乱の時代に生き、芸に秀で、革新的な作品を生み出した本阿弥光悦。

東京国立博物館 平成館で開催される特別展「本阿弥光悦の大宇宙」はその題目通り、作品の数々を通じて彼の信仰や内面世界に光を照射する。

本記事では開催前日に行われた報道内覧会の様子をレポートする。

本阿弥光悦とは?

江戸時代初期に活躍した「本阿弥光悦」(ほんあみこうえつ)は、日本刀鑑定の名門家系に生まれ、後世の日本文化に大きな影響を与えた芸術家です。
家職である刀剣の分野で優れた目利きの技量を発揮し、徳川将軍家や大名たちに一目置かれていたのみならず、能書(書の名人)としても知られ、さらに陶芸や漆芸、出版などさまざまな造形に関わり、優れた作品を後世に残しました。

「一生涯へつらい候事至てきらひの人」で「異風者」(『本阿弥行状記』)
と評された光悦が、その篤い信仰と煌めく精神によって作り上げた優品の多くが国宝や重要文化財に指定されるなど、今なお高い評価を受けています。

異風者、本阿弥光悦の美意識に迫る

展示会場風景
国宝《刀   無銘  正宗(名物  観世正宗)》相州正宗 鎌倉時代 14世紀 東京国立博物館蔵
能書として知られた光悦が手がけた迫力のある扁額が並ぶ
重要文化財《花唐草文螺鈿経箱》本阿弥光悦作 江戸時代 17世紀 京都・本法寺蔵
8K映像「本阿弥光悦の大宇宙」では4つの作品を通じ、光悦の美の世界に迫る ©NHK

本展覧会は、

第1章 本阿弥家の家職と法華信仰―光悦芸術の源泉
第2章 謡本と光悦蒔絵―炸裂する言葉とかたち
第3章 光悦の筆線と字姿―二次元空間の妙技
第4章 光悦茶碗―土の刀剣

という章立てにより、優品の数々を通じて本阿弥光悦の美意識に迫ります。

光悦自身の手による書や作陶のみならず、同じ信仰のもとに参集した工匠たちがかかわった蒔絵や同時代の社会状況に応答して生み出された作品を展示。さらに本阿弥家の信仰とともに当時の法華町衆の社会にも注目しており、総合的に光悦の有り様を見通すことができる展示構成となっています。

特に、最終章となる第4章「光悦茶碗—土の刀剣」には本阿弥光悦作の《黒楽茶碗   銘  時雨》(重要文化財)など、息を呑むほどの優美な名椀が多数展示され、まさに本展の白眉といった趣を湛えています。

こちらでは、それぞれの章に展示された作品の中からジャンルごとにピックアップした作品をご覧いただきます。

国宝《舟橋蒔絵硯箱》本阿弥光悦作 江戸時代 17世紀 東京国立博物館蔵

文学世界と書が織りなすイメージの連環

本展の会場入口に鎮座し、その輝きと造形で来場者を驚かせる国宝《舟橋蒔絵硯箱》
本阿弥光悦(1558-1637)の代表作として有名な硯箱で、蓋を高く山形に盛り上げているのが特徴的。全体は角を丸くした方形で、蓋を身より大きく造った被蓋(かぶせぶた)に造っています。

箱の全面に金粉を密にまいて波の地文に小舟を並べ、その間を細かい波紋で埋めており、さらに銀製の歌文字を高く嵌め込んでいます。

重要美術品《短刀   銘   兼氏   金象嵌   花形見》志津兼氏 鎌倉~南北朝時代 14世紀     《(刀装)刻鞘変塗り忍ぶ草蒔絵合口腰刀》江戸時代 17世紀

本阿弥家の審美眼によって選び抜かれた名刀

光悦の指料(さしりょう)として伝えられている唯一の刀剣が、約40年ぶりに公開されています。

作者の兼氏は、美濃国(現岐阜県)志津で鎌倉時代末期から南北朝時代前半に活躍した刀工。指裏には光悦の筆と伝わる「花形見」の金象嵌があり、付属する刀装には金蒔絵による忍ぶ草が鞘全体を包み込むように細やかにあらわされ、非常に華やかです。

花形見の金象嵌と忍ぶ草の金蒔絵、その言葉や意匠の意味を読み解くと、光悦の秘めた想いが見えてくるのでしょうか。

重要文化財《鶴下絵三十六歌仙和歌巻》(部分)本阿弥光悦筆/俵屋宗達下絵 江戸時代 17世紀 京都国立博物館蔵

光悦充実期の代表作

飛び渡る鶴の群れを金銀泥で描いた料紙に、平安時代までの三十六歌仙の和歌を散らし書きした一巻。鶴の上昇と下降、群れの密度に合わせて、字形と字配りを巧みに変化させており、その躍動感に驚かされます。
俵屋宗達筆とされる下絵と協調し、あるいは競い合うように展開するその書は、光悦が最も充実した作風を示した時期の代表作と評されています。

本展覧会では全巻が一挙に公開されるため、大変貴重な機会となります。

重要文化財《黒楽茶碗   銘   時雨》 本阿弥光悦作 江戸時代 17世紀 愛知・名古屋市博物館蔵

いまなお圧倒的な存在感を放つ名碗

楽茶碗は手づくねで成形し、箆で削り込んでつくりあげていきますが、光悦が手がけたとされる茶碗には、それぞれ各所に光悦自身の手の動きを感じさせるような作為が認められます。
しかし本作品ではそれが抑えられ、全体に静謐な印象を与えているのが特徴。名古屋の数寄者・森川如春庵が16歳の若さで手にしたことでも知られています。

開催概要

会期 2024年1月16日(火)~3月10日(日)
※会期中一部作品の展示替えあり
会場 東京国立博物館 平成館(上野公園)
開館時間 930分~17
※最終入館は閉館の30分前まで
休館日 月曜日、2月13日(火)
※ただし2月12日(月・祝)は開館
観覧料 一般  2,100円
大学生 1,300円
高校生  900円

※混雑時は入場をお待ちいただく可能性があります。
※中学生以下無料。入館の際には学生証をご提示ください。
※障がい者とその介護者1名は無料。入館の際に障がい者手帳等をご提示ください。
※本展観覧券で、ご観覧当日に限り総合文化展もご覧いただけます。
詳細は展覧会公式サイトチケット情報のページでご確認ください。

展覧会公式サイト https://koetsu2024.jp/

※記事の内容は取材時のものです。最新の情報と異なる場合がありますので、詳細は展覧会公式サイト等でご確認ください。また、本記事で取り上げた作品がすでに展示終了している可能性もあります。


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【国立科学博物館】特別展「和食 ~日本の自然、人々の知恵~」取材レポート。食へのあくなき探求心が育んだ和食、知ればもっとおいしくなる?

国立科学博物館
展示風景

2013年にユネスコ無形文化遺産に登録されて以来、世界的にますます注目が集まっている「和食」。

多くの日本人が知っているようで意外と知らないその魅力を、日本列島の自然が育んだ多様な食材、人々の知恵や工夫が生みだした発酵などの技術、調理法、歴史的変遷といった多角的視点から紹介する特別展「和食 ~日本の自然、人々の知恵~」が、国立科学博物館(東京・上野)で開催中です。会期は2024年2月25日(日)まで。

本展を取材しましたので、会場の様子をレポートします。

※本展は2020年に開催予定でしたが、新型コロナウイルスの影響で中止となり、改めて開催するものです。

会場エントランス
展示風景

山の幸、海の幸。多様な食材が育んだ和食文化

展示は全6章構成です。

第1章は「そもそも和食とは何か?」を映像で問いかけるイントロダクション。続いて、会場の約半分のスペースを使った第2章「列島が育む食材」の展示が広がります。

食の基本である水から始まり、キノコ、山菜、野菜、海藻、魚介類……。南北3,000km以上におよび、世界でも有数の生物多様性を持つ日本列島がもたらす豊かな食材を、発酵技術、出汁などの話題を交えつつ、250点以上の実物標本や模型を活用しながら科学的に解説しています。

たとえば水の展示エリアでは、軟水、硬水といった水の硬度の解説にスペースを割いています。

水の硬度は、生活用水のもとである雨水(それ自体の硬度はほぼゼロ)が「どのような地質に」「どのくらい滞留したか」で変化し、カルシウムやマグネシウムといったミネラルが水1リットル中何mg含まれるかで決まります。

水の硬度に関わる岩の展示。「和食展」の会場に入ってまず目にする資料が岩というところに科博らしさを感じます。

WHOの基準では、60ml/L未満が軟水、120ml/L以上が硬水、その間が中硬水。急峻な地形で降水量が多く、水の滞留時間が短い日本の水は基本的に軟水です。軟水はクセがなく水の中に成分が溶けて出やすいため、素材の味を活かし、出汁を使う和食に適しているとか。

一方、ヨーロッパ大陸は地形が平坦で流れが遅いため硬水が多く、硬水は成分が溶け出しにくく煮崩れにしくいことから、シチューなどの肉を使った煮込み料理が家庭料理として広く根付くことになりました。

「日本は軟水の国だから、硬水の国へ旅行すると水に飲みにくさを感じたり、お腹を壊したりする人もいる」なんて話はよく耳にしますが、出汁の取りやすさ、煮崩れしやすさとった特徴も水質によって異なることはご存じない方もいるのでは。日本の食文化の発達には、軟水が大きく貢献したことがわかりました。

各飲料メーカーが生産している天然水の比較展示。

なお、ひと口に「日本は軟水の国」とはいうものの地域差は激しく、一部には硬水が流れる場所も存在します。展示では、日本各地で販売されているさまざまな硬度の天然水のペットボトルを陳列し、その水を採取できる地形・地質を解説、比較していました。

また、低地、高地、亜熱帯、冷温帯など日本の変化に富んだ地形や気候は、植生、なかでもキノコの多様性につながっています。全世界で知られているキノコ約2万種のうち、日本には名前が付いているものだけで約1割強の2,500~3,000種ほどが分布されているとか。

ナメコやエノキタケといったポピュラーな食用キノコから毒キノコまで実物標本で紹介。

そんなキノコの展示エリアでは、欧米において高級食材とされるトリュフやポルチーニといった野生キノコの仲間が、いずれも日本にも分布していることに着目していました。これらは発生する量も多く、昔の日本人が存在を知らなかったとは考えづらいものの、和食の材料としては用いられてきませんでした。反対に、日本人が好むナメコやエノキタケといったぬめりの強いキノコは、欧米では嫌われる傾向にあるそうです。

同じように発生するキノコが一方では珍重され、一方では見向きもされないという極端な違いは興味深いものです。このように展示では、世界まで広げた視点から「和食」の姿を浮かび上がらせようとする試みが多く見られました。

野菜の渡来時期を紹介するムービー。ハクサイ、ナス、タマネギ、キュウリなど、日本の食文化でおなじみの野菜は、じつはほとんどが外国原産だったと知って驚きです。
和食によく使われる野菜といえばダイコン。日本は世界で最もダイコンの品種が多く、800種類が存在します。画像は代表的なダイコン25種類の模型。
煮たり炒ったり発酵させたり、加工品をさらに加工したり。米と大豆がいかに和食のバリエーションを広げているかを伝えるイラスト。
小さなイワシから大きなマンボウ、食用の身の部分までしっかり確認できるホタテガイまで、壁一面に展示された魚介類の標本は見ごたえたっぷり。

和食でよく利用されるたんぱく源といえば魚介類。日本で食べられている魚介類の種類は世界屈指とされ、流氷で覆われるオホーツク海からマングローブ林やサンゴ礁が広がる琉球列島まで、多様な水の環境に囲まれた日本列島では魚類だけでも約4,700種類が分布しているとか。

種によって異なる回遊ルートや生息場所を紹介するため、魚介類の展示エリアではインタラクティブな映像展示を用意。日本列島近海で四季折々に姿を現すさまざまな魚介の影に手をかざすと、その魚介の情報が表示されるという仕掛けで、知識を楽しく学ぶことができました。

日本近海の魚介の映像展示。デジタルアート的で、魚介だけでなく日本列島も四季折々で鮮やかに変化していきます。
ふだん食卓にのぼる形からは想像もつかない海藻本来の美しい姿が楽しめる押し葉標本の展示。
「発酵」の展示エリアでは、日常ではまずお目にかからない「しょうゆの色見本」が目を引きました。色は番号で定義され、醤油の種類と等級ごとに規定が存在するとか。

貴重な展示品としては、出汁に代表されるおいしさ=「うま味」を発見・命名したことで知られる東京帝国大学の池田菊苗博士が、実際に昆布から抽出したうま味成分であるグルタミン酸(「第一号抽出具留多味酸」)が挙げられます。

「第一号抽出具留多味酸」の展示

今日では「UMAMI」として世界的に受け入れられているうま味。うま味は、古くから知られていた甘味、酸味、塩味、苦味のいずれとも異なる5番目の味として1908年に池田博士によって発見されました。ただ、グルタミン酸、イノシン酸、グアニル酸などのうま味成分を昆布やかつお節などの食材から抽出した「出汁」自体の歴史はずっと古く、室町時代の文献にはすでに登場しているそう。出汁のうま味は、動物性油脂に頼らず、素材の味を生かし、汁物や野菜中心で淡白になりがちな和食に欠かせない存在だったのです。

また、アミノ酸であるグルタミン酸と、核酸系うま味成分であるイノシン酸やグアニル酸を同時に味わうと、単独よりもうま味を飛躍的に強く感じる「うま味の相乗効果」と呼ばれる現象があります。この現象が発見されたのは1960年、メカニズムが解明されたのは2008年とつい最近のことですが、日本料理における昆布(グルタミン酸)とかつお節(イノシン酸)を掛け合わせた合わせ出汁が一般に広がったのは江戸時代のことなのだとか。

出汁の展示は、うま味の存在を知らずとも経験からそれを料理に生かしていた先人たちの、食に対する飽くなき探求心の一端を感じさせてくれました。

卑弥呼や信長は何を食べた?江戸時代のレシピの再現展示も

会場の後半は見どころが多く、とくに縄文時代から現代まで発展してきた和食の歴史をひも解く第3章「和食の成り立ち」で見ることができる、卑弥呼や織田信長、ペリー提督、明治天皇といった歴史上の有名人たちの食卓を再現した展示は本展のハイライトの一つでしょう。

卑弥呼の食卓。各地の遺跡で発掘された骨や植物の種子などを分析し、再現したものです。弥生時代はまだ肉食が忌避されていなかったため、豚肉の煮物も食べられていた様子。
織田信長が安土城で徳川家康をもてなした際の豪華な本膳料理を、江戸時代の文献『続群書類従』に記された献立を元に再現したもの。

肉食を穢れとして忌避し、米と魚を中心とした和食の原型が奈良時代に整えられて以降、精進料理、本膳料理、懐石料理などさまざまに形を発展させてきた和食ですが、それらは限られた場所や立場の人々にしか供されないものでした。和食文化が著しい発展を遂げ、知識や技術が庶民にまで浸透したのは江戸時代に入ってからのこと。その背景には、料理屋の発展、発酵調味料の工場生産、そして識字層の拡大による料理書の普及が大きな要因として挙げられるといいます。

江戸時代の料理書と料理の再現展示。「源氏卵」「雪花菜飯(きらずめし)」など、耳慣れない料理はどんな味がするのか非常に興味をそそられます。

展示では、豆腐料理ばかり100種類集めた遊び心のあるベストセラー本『豆腐百珍』(1782年)や、そのヒットをうけ出版された『大根一式料理秘密箱』、鳥と卵を中心とした『万宝料理秘密箱』といった「百珍もの」と呼ばれる材料別の料理書など、和食文化の広がりに貢献した元祖レシピ本の現物や、その中で紹介されたレシピで作った料理の食品サンプルを見ることができました。展示の横には現代版のアレンジレシピのQRコードが設置されていたので、自宅でチャレンジしてみるのも面白そうです。

二八そば、寿司、天ぷらといった江戸で親しまれたファストフード屋台の雰囲気を伝える再現展示。フォトスポットとしても活躍します。
現代でも地域性が色濃く残る和食・お雑煮のマップと代表的なお雑煮の食品サンプル。

続く第4章「和食の真善美」では、鮮やかな料理人の技、調理道具の洗練された造形、先人たちの美意識といった和食を構成するものに焦点を当てた映像インスタレーションが目を楽しませてくれます。

第4章「和食の真善美」の映像インスタレーション。料理の出来栄えを左右する包丁を動かす所作の一つひとつが和食を形づくっています。

文明開化以降、洋食や中華料理が入ってきたことで、日本人はそれらに対して自らの築いた食文化を「和食」と呼び、その概念を意識するようになりました。和洋折衷したような調理法や、カレーライス、ナポリタンスパゲッティ、トンカツ、ラーメンなど日本風の洋食・中華も誕生するなど、歴史的に外来のものをうまく取り入れて新しい料理を発展させてきたことも、和食の大きな特徴といえるでしょう。

第5章「 わたしの和食」では、ここまでの展示で和食がどういう過程で生まれてきたかを理解したうえで、時代とともに定義の変化していく和食とは何かを改めて考えさせる内容になっていました。

第6章「和食のこれから」のみ第2会場にあり、和食はこれからどのように変化していくのか、郷土料理や伝統野菜の重要性も指摘しつつ、社会の変化を受けて変わり続ける和食の未来を展望。食糧問題解決の試みや発展するテクノロジーを紹介するエリアでは、貴重な人工ふ化されたニホンウナギのレプトセファルス幼生を見ることができました。

貴重なニホンウナギの人工ふ化レプトセファルス幼生の展示。完全養殖には成功しているものの商業化には至っておらず、飼育技術の改良が進められています。

今では季節を問わず、どこにいても世界中の食材を取り寄せられるようになり、またあらゆる国のレシピもインターネットを通じて手軽に手に入る時代です。いつでもどこでも同じ料理、同じ味を体験できる……食に関する均質的なサービスが拡大することで、和食という文化の多様性・独自性は薄れていくのかもしれません。しかし、土地に根差した食材、味覚というものが抜きがたく存在するうえ、洋食をご飯とみそ汁という和食のスタイル、文脈の中に適合するように作り変えていった知恵と執着を思えば、これからの発展へも期待がもてるのではと感じました。

本展で日本列島の多様な自然環境と人々の営みに対する理解を深めれば、日々の和食をさらにおいしく感じられるようになるかもしれません。

会期は2024年2月25日(日)まで。ぜひ足を運んでみてください。

特別展「和食 ~日本の自然、人々の知恵~」概要

会期 2023年10月28日(土)~2024年2月25日(日)
※会期等は変更になる場合がございます。
会場 国立科学博物館(東京・上野公園)
開館時間 9時~17時(入場は16時30分まで)
休館日 月曜日、年末年始(12月28日~1月1日)、1月9日(火)、2月13日(火)
※ただし、12月25日(月)、1月8日(月・祝)、2月12日(月・休)、2月19日(月)は開館。
入場料(税込) 一般・大学生2,000円、小・中・高校生600円
※未就学児は無料。
※障害者手帳をお持ちの方とその介護者1名は無料。
その他、詳細は公式サイトのチケットページ(https://washoku2023.exhibit.jp/ticket.html)をご確認ください。
お問い合わせ 050-5541-8600(ハローダイヤル)
展覧会公式サイト https://washoku2023.exhibit.jp/
主催 国立科学博物館、朝日新聞社

※記事の内容は取材日(2023/10/27)時点のものです。最新の情報は展覧会公式サイト等でご確認ください。


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【上野の森美術館】「モネ 連作の情景」取材レポート。展示作品はすべてモネ、〈積みわら〉〈睡蓮〉など代表作が一堂に

上野の森美術館
会場風景、左から《睡蓮》1897-98年頃、ロサンゼルス・カウンティ美術館蔵/《芍薬》1887年、ジュネーヴ美術歴史博物館蔵

印象派の巨匠クロード・モネの生涯を、〈積みわら〉や〈睡蓮〉の連作をはじめとする代表作60点以上で辿る展覧会「モネ 連作の情景」が上野の森美術館で開催中です。
会期は2024年1月28日まで。

開催に先立って行われた報道内覧会に参加してきましたので、会場の様子を詳しくレポートします。

会場エントランスにある、モネが自宅に造った「睡蓮の池」をイメージしたインスタレーション。歩くと波紋が広がり、水の上を歩いている気分に。
会場風景、左から《海辺の船》1881年、東京富士美術館蔵/《3艘の漁船》1886年、ブダペスト国立美術館蔵
会場風景、左から《クルーズ渓谷、日没》1889年、ウンターリンデン美術館蔵/《クルーズ渓谷、曇り》1889年、フォン・デア・ハイト美術館蔵
会場風景、手前は《チャリング・クロス橋、テムズ川》1903年、リヨン美術館蔵

展示作品すべてがモネ。国内外40館以上の協力で実現した貴重な展覧会

印象派を代表する巨匠クロード・モネ(1840-1926)。

自然の光と色彩に対する並外れた感覚をもっていたモネは、同じ場所やモティーフを異なる季節や天候、時刻のなかで観察し、刻々と変化する印象や光の動きの瞬間性を複数のカンヴァスに連続して描きとめるという、それまでにない革新的な「連作」の表現手法を確立した画家として知られています。

本展は、1874年の印象派の誕生(第1回印象派展の開催)から150年の節目を迎えることを記念して開催されるもので、〈積みわら〉や〈睡蓮〉といったモネの多彩なモティーフの連作絵画に焦点を当てつつ、日本初公開となる人物画の大作《昼食》など印象派として名が知られる以前の作品も紹介。国内外40館以上から集められた代表作60点以上を通じて、時間と光とのたゆまぬ対話を続けたモネの生涯を辿ることができます。

印象派への転機となった初期の大作《昼食》が日本初公開

展示は時系列の全5章構成となっています。

モネは1840年のパリに生まれ、少年時代をノルマンディー地方の港町で過ごしました。15歳頃からカリカチュア(似顔絵)の名手としてすでに地元で頭角を現し、17歳の頃、風景画家ウジェーヌ・ブーダンからの助言によって戸外で風景画を描き始めます。

第1章展示風景、手前は《ルーヴル河岸》1867年頃、デン・ハーグ美術館蔵

パリでの画家修業を経て、1865年には当時のフランスの芸術家にとっては唯一の登竜門であり、最高の市場でもあった伝統的な公募展「サロン(官展)」で2点の風景画が初挑戦ながら入選。順調なデビューを果たしたものの、1867年からサロンの審査基準が厳しく保守的になって以降は評価を得られず。1870年、周到に準備した高さ230cmを超える渾身作《昼食》(1868-69)も落選の憂き目に遭います。

第1章「印象派以前のモネ」では、その《昼食》が日本初公開されるほか、普仏戦争から逃れ、1871年から滞在したオランダの水辺の景色を描いた風景画や肖像画などが並びます。

第1章展示風景、左から《グルテ・ファン・ド・シュタート嬢の肖像》1871年、クレラー゠ミュラー美術館蔵/《昼食》1868-69年、シュテーデル美術館蔵

《昼食》で描かれているのは、経済的な理由で別居が続いていた、後に結婚するカミーユと息子のジャンと一緒に暮らし始めた頃の何気ない食卓の光景。希少な「モネの黒」を味わえる初期の代表作ですが、一説には、大胆に粗い筆致で明るい色を配する表現の新しさや、物語性の希薄な日常の光景をあたかも偉大な絵画のような大画面に描いたことなどが、新古典主義を重視する審査員の不興を買ったと考えられているとか。

この落選を機に、モネは目指す芸術性の異なるサロンと距離を置き、本格的な印象主義へと向かうことになります。

第1章展示風景、左から《ザーン川の岸辺の家々》1871年、シュテーデル美術館蔵/《ザーンダムの港》1871年、ハッソ・プラットナー・コレクション蔵

モネは1871年末からパリ郊外のセーヌ川沿いの町、風光明媚なアルジャントゥイユに転居し、同地を訪れたマネやルノワールらとともに制作に励みました。新たな発表の場を求めて、1874年にはパリで同志たちと「第1回印象派展」を開催します。注目は集めたものの、売り上げは芳しくなく経済的に困窮。さらに、1879年には最良のモデルであり理解者でもあった妻カミーユを病で失います。

第2章「印象派の画家、モネ」では、1870〜80年代、そんな苦しい環境にあったモネがセーヌ川流域を拠点に各地を訪れて制作した、印象派らしい多様な風景画を展示。モネが愛したのは、刻々と近代化する都会の街景よりも自然の情景、とくに水辺の景色でした。

第2章展示風景、手前は《モネのアトリエ舟》1874年、クレラー゠ミュラー美術館蔵

この頃のモネは風景画家シャルル゠フランソワ・ドービニーを真似て、《モネのアトリエ舟》(1874)で描かれている、ボートの上に小屋を設えたユニークなアトリエ舟を造っています。戸外制作につきものの悪天候にも耐えられるこの乗り物で自在に移動し、水上ならではの視点からの景色を数多く作品に残しました。

第2章展示風景、手前は《ヴェトゥイユの教会》1880年、サウサンプトン市立美術館蔵

とりわけモネを惹きつけたのは、ヴェトゥイユという小さな村の教会を含む一帯をセーヌ川から臨んだ風景で、モネはこの主題を繰り返し描いています。なかでもサウサンプトン市立美術館所蔵の《ヴェトゥイユの教会》(1880)はこの時期の傑作と名高く、絶えず揺れる水面の映り込み、その一瞬を見えるがまま描き出そうと、カンヴァスに絵の具を大胆な筆致で素早く載せている点が見どころです。

同章でほかに目を引いたのは、ヴェトゥイユの荒涼とした冬景色を、同時期のほかの作品と比べるとやや抽象的に、乱暴とも思えるような筆致で描いた《ヴェトゥイユ下流のセーヌ川》(1879)です。

第2章展示風景、手前は《ヴェトゥイユ下流のセーヌ川》1879年、ジュネーヴ美術歴史博物館蔵

同じくヴェトゥイユの自然を主題にした作品に、同居していたオシュデ家の夫人アリスと思しき女性や子供とともに描いた《ヴェトゥイユの春》(1880)がありますが、そちらは春の草木の生き生きとした様子を、短く太めのタッチや細く短い線、波のように連なるリズミカルな線で、柔らかなピンクを交えて表情豊かに描いています。

2作品を比べてみると、明らかに後者が絵として安定している印象を受けました。暖かな春の訪れと親しい者たちの存在が、妻カミーユを失ったモネの深い悲しみを少しずつ慰めたのだろうか、などと想像がふくらみます。

「連作」着想へ向けて。同じ主題で緩やかに結びつく作品群

19世紀後半における鉄道網の発達によってヨーロッパ各地を精力的に旅したモネは、人で賑わう行楽地ではなく人影のない海岸など自然風景を好み、ひとつの場所で数か月かけて集中的に、または年単位で再訪しながら制作を行いました。

第3章「テーマへの集中」では、モネを魅了したノルマンディー地方プールヴィルの海岸やエトルタの奇岩など、ひとつの風景の多様な表情を収めた作品を紹介しています。

第3章展示風景、左から《プールヴィルの断崖》1882年、トゥウェンテ国立美術館蔵/《プールヴィルの断崖》1882年、東京富士美術館蔵

なかでも興味深いのはプールヴィルの海岸を扱った4点。1882年作の2点の《プールヴィルの断崖》と、その15年後、1897年作の《プールヴィルの崖、朝》《波立つプールヴィルの海》は、いずれも海岸一帯に見える断崖、砂浜、海、空を似たような構図で描いています。

しかし、1882年の作品では目立つ断崖や岩礁にはっきりモティーフとしての力点を感じるのに比べて、1897年の作品はモティーフの主張が弱まり、むしろ変化する天候や海の状態、全体の雰囲気に意識を向けているように感じます。

第3章会場風景、左から《波立つプールヴィルの海》1897年、国立西洋美術館(松方コレクション)蔵/《プールヴィルの崖、朝》1897年、福田美術館蔵

この4点は、モネのスタイルの変遷、同じ場所で10年以上の歳月をまたいで描かれた作品だからこそわかる目線を如実に伝えていました。

第3章会場風景、左から《ラ・マンヌポルト(エトルタ)》1883年、メトロポリタン美術館蔵/《エトルタのラ・マンヌポルト》1886年、メトロポリタン美術館蔵

その他にも《ラ・マンヌポルト(エトルタ)》(1883)と《エトルタのラ・マンヌポルト》(1886)などは、緩やかなつながりを感じさせる、ある種の秩序をもった作品群、同じテーマに基づくバリエーションのようなものと表現できます。こうした過程を経てモネは、ひとつの主題について何点もの絵画を「連作」として描くことを着想しました。

第3章展示風景、手前は《ヴェンティミーリアの眺め》1884年、グラスゴー・ライフ・ミュージアム蔵(グラスゴー市議会委託)
第4章展示風景、左から《積みわら》1885年、大原美術館蔵/《ジヴェルニーの積みわら》1884年、ポーラ美術館蔵

第4章「連作の画家、モネ」からは、いよいよ本展のメインである「連作」の代表作が並びます。

1883年、42歳のモネは終の棲家として、セーヌ川流域のジヴェルニーに移り住みます。この地で秋になると目にする風物詩であった積みわらをモティーフにするにあたり、モネは当初ありのままに描きましたが、1890年前後には複数のカンヴァスを並べて、天候や時間による光の効果で刻々と変化する様子を同時進行で描写。1891年にパリのデュラン゠リュエル画廊で個展を開催し、それらを「連作」として展示すると劇的な大成功を収め、フランスを代表する画家として国内外で名声を築きました。

この〈積みわら〉が、モネが体系的な「連作」の手法を本格的に実践した最初のシリーズだと考えられています。

第4章展示風景、手前は《積みわら、雪の効果》1891年、スコットランド・ナショナル・ギャラリー蔵

本展に出品された《積みわら、雪の効果》(1891)は、1891年にデュラン゠リュエル画廊で展示された15点のうちの1点。積みわらを画面手前に大きく配置し、ほとんど影になった積みわらと輝かんばかりの雪のドラマティックなコントラストが美しい作品です。

以降、「連作」はいくつものモティーフで手掛けられ、1899年からはロンドンで〈ウォータールー橋〉〈チャリング・クロス橋〉などを数年かけて描いています。

〈ウォータールー橋〉はロンドンの連作のなかで最多の41点を数え、会場にはそのうちの曇り、夕暮れ、日没を描いた3点が出品。

画面は湿り気のある大気が充満したようで、いずれもモティーフとなった橋の細部は省略され、柔らかなシルエットがテムズ川の霧の中でかすむように浮かびます。光のプリズムが生み出す色彩の微妙なハーモニーこそが見どころであり、摺り色を変える木版画のように、構図が同一であるからこそ色彩の表情の個性が際立っています。

第4章展示風景、左から《ウォータールー橋、ロンドン、日没》1904年、ワシントン・ナショナル・ギャラリー蔵/《ウォータールー橋、ロンドン、夕暮れ》1904年、ワシントン・ナショナル・ギャラリー蔵/《ウォータールー橋、曇り》1900年、ヒュー・レイン・ギャラリー蔵

ひとつの主題をさまざまな色と光の視覚効果のなかで繰り返し鑑賞させることで、鑑賞者を作品に取り込み、画面上には存在し得ない、モネ自身が体験したであろう「時間」を追体験させる。こうした没入感を体験させることも、モネの「連作」の狙いだったのではないでしょうか。

単純な光と色彩の探求というだけでなく、「連作」は互いにどのように機能し合うのか、また鑑賞者にどのような効果を生むのか、「連作」でしかなしえない新たな芸術を創造しようとするモネの確固たる意志を感じました。

モネを「抽象絵画の祖」たらしめた〈睡蓮〉

ジヴェルニーの自宅は、モネの理想が詰め込まれた最大の着想源でした。モネは藤や芍薬など四季折々の花が咲き乱れる「花の庭」と、日本庭園から着想を得た”モネの最高傑作”とも呼ばれる「水の庭」を、絵の題材にする目的で何年もかけて整備。この「水の庭」の池で庭師の手を入れて育てていたのが、晩年最大の連作のモティーフになった睡蓮です。後妻のアリスや家族に支えられ、モネは視覚障害に悩みながらも86歳で亡くなるまで制作を続けました。

最後の第5章「『睡蓮』とジヴェルニーの庭」ではジヴェルニーの光景や、睡蓮をはじめとするモネが愛した庭のさまざまな情景を紹介しています。

第5章展示風景、左から《睡蓮》1897-98年頃、ロサンゼルス・カウンティ美術館蔵/《芍薬》1887年、ジュネーヴ美術歴史博物館蔵

モネが睡蓮の花を集中的に描き始めたのは池の造成を始めてから4年後の1897年夏のことで、《睡蓮》(1897-98頃)はその最初期に制作された8点のうちの1点。池の水面に接近して、睡蓮の花と葉をクローズアップした構図で捉え、くっきりとしたフォルムで描いています。花の大胆すぎる筆致が遠目には艶やかな立体感として立ち上がってくる点に目が引かれました。

この時点で、暗い水面に池の周囲の樹木や空の反映はなく、モネの視線は睡蓮だけを注視しているのがわかります。年を経るごとに視線は水面に集中。視力の衰えとともに奥行きはなくなり、筆致はより粗く、鏡のように周囲を映す水面で形と色と光は溶け合い、まるで抽象絵画のように変化していきました。

第5章展示風景、左から《睡蓮の池の片隅》1918年、ジュネーヴ美術歴史博物館蔵/《睡蓮の池》1918年頃、ハッソ・プラットナー・コレクション蔵

そうした晩年の作品群は、20世紀半ばの抽象美術家を刺激し、モネ芸術は新たな注目と再評価を受けることになりました。

「100%モネ」、それも素描や下描きのない、1点1点がモネの代表的な油彩画である貴重な展覧会。モネの印象派以前から晩年までのスタイルの変遷がわかる、モネ初心者にもおすすめしたい内容になっています。ぜひ足を運んでみてください。

「モネ 連作の情景」概要

会期 2023年10月20日(金)~2024年1月28日(日)まで
会場 上野の森美術館(東京都台東区上野公園 1-2)
※JR上野駅公園口より徒歩3分
開館時間 9:00~17:00(金・土・祝日は~19:00)
※入館は閉館の30分前まで
休館日 2023年12月31日(日)、2024年1月1日(月・祝)
入館料(税込) 日時指定予約推奨
[平日(月~金)] 一般 2,800円/大学・専門学校・高校生 1,600円/中学・小学生 1,000円
[土・日・祝日] 一般 3,000円/大学・専門学校・高校生 1,800円/中学・小学生 1,200円

※未就学児は無料、日時指定予約は不要です。
※その他、詳細は展覧会公式サイトチケットページよりご確認ください。

主催 産経新聞社、フジテレビジョン、ソニー・ミュージックエンタテインメント、上野の森美術館
お問い合わせ 050-5541-8600(ハローダイヤル) 全日9:00~20:00
公式サイト www.monet2023.jp

※※記事の内容は取材日(2023/10/19)時点のものです。最新情報は公式サイト等でご確認ください。


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