【取材レポート】国立西洋美術館で初の現代アート展「ここは未来のアーティストたちが眠る部屋となりえてきたか?」が開幕
国立西洋美術館

東京・上野の国立西洋美術館で史上初となる現代アートの展覧会「ここは未来のアーティストたちが眠る部屋となりえてきたか? ──国立西洋美術館65年目の自問|現代美術家たちへの問いかけ」が開幕しました。会期は2024年5月12日まで。
■参加作家
飯山由貴、梅津庸一、遠藤麻衣、小沢剛、小田原のどか、坂本夏子、杉戸洋、鷹野隆大、竹村京、田中功起、辰野登恵子、エレナ・トゥタッチコワ、内藤礼、中林忠良、長島有里枝、パープルーム(梅津庸一+安藤裕美+續橋仁子+星川あさこ+わきもとさき)、布施琳太郎、松浦寿夫、ミヤギフトシ、ユアサエボシ、弓指寛治




主として20世紀前半までの「西洋美術」だけを収蔵・展示している国立西洋美術館で現代美術を大々的に展示するという、これまでにない試み。事前に開催された記者発表会では、その目的は所蔵作品と現代作品を並べて展示することでコレクション理解の地平を広げることでも、現代美術への関心が高い層に興味をもってもらうことでもないと語られています。
同館の母体となった「松方コレクション」が、日本の画家たちに本物の西洋美術を見せ、創作活動に資することを望んだ松方幸次郎の意志によって築かれたように、その過去を振り返ると、同館が未来のアーティストたちを生み育てる触発の場として期待されていたことがわかります。
しかし、実際に同館がそういった空間たり得てきたのかどうか、これまで本格的に問われてきませんでした。
本展はその事実に向き合い、同館やそのコレクションが現代の表現とどのように関係を結び、いまの時代の作品の登場や意味生成にどのような役割を果たしうるかという問いを、ジャンルをまたいだ21組のアーティストに投げかけ、作品を通じた応答を見ていこうというもの。あわせて同館が所蔵するクロード・モネ、ポール・セザンヌ、モーリス・ドニといった西洋美術の名品約70点も紹介している、見どころの多い展覧会となっています。
本企画の出品者のうち、少なくないアーティストが評論などの分野でも活躍する人物であるのはそのためで、会場内に存在するテキストも一般的な現代美術展と比較してボリュームがあり、なかにはほとんどテキスト自体が作品となっているものまでありました。

問いに対するアーティストたちのアプローチや問題意識はさまざまです。
たとえば第1章「ここはいかなる記憶の磁場となってきたか?」では、中林忠良、内藤礼、松浦寿夫が自身の作品と、松浦寿夫が触発されたセザンヌ、ドニ、あるいは中林忠良自身の表現の歴史的血脈をたどった先にいるオディロン・ルドンやロドルフ・ブレダンといった同館所蔵の先人たちの作品を併置。美術館をさまざまな時代や地域に生きた/生きるアーティストらの記憶群が同居し、それぞれの力学を交錯させあう磁場のようなものと定義したうえで、同館のコレクションがいかなる磁場を形成しているかを作品群をとおして検証しています。

第2章「日本に『西洋美術館』があることをどう考えるか?」では、小田原のどかが新作インスタレーション《近代を彫刻/超克する── 国立西洋美術館編》の中で、同館のシンボルにもなっているオーギュスト・ロダンの彫刻《考える人》を真っ赤な絨毯に台座から外した状態で横倒しさせており、非常に目を引きます。

裏側まですっかり見えるようになっていて、おそらく後にも先にもこの状態の《考える人》を見る機会はないだろうと、座り込んでじっくりと鑑賞する来場者も少なくありませんでした。《考える人》が転倒すると、クッションの絶妙に心地良さような様子とあいまって寝入っているように見えて、どこかユーモラスです。

小田原は、日本が近代化する過程ではらまざるを得なかった同館の歴史的な「歪み」と、それを抱えたうえで西洋の美術館群と異なり地震が多発する地盤の上に建っているという点に強い関心を抱いたとのこと。
今回の新作インスタレーションは、1923年の関東大震災で倒れた《考える人》や、1922年の部落解放運動のなかで水平社宣言を起草し、のちに獄中で国家主義者へ転向を遂げた西光万吉の日本画《毀釈》、地震のたびに倒壊し作り直される五重塔を模したオブジェ、同館が独自に開発した免震台などを構成要素としています。地震と思想転向という小田原の考える日本の思想的課題を、インスタレーションで「転倒」に「転向」を重ね合わせながら展開することで複雑な問題提起の様相を呈していました。
第4章「ここは多種の生/性の場となりうるか?」において、無味無臭のニュートラルな場所たろうとする美術館の展示室の中に、人間の「生」の空間を作り直したのは鷹野隆大です。

個人では手が届かないような名品がもし現代の平均的な居室に並んでいたら、どう見えるだろうか。そう考えた鷹野は、同館の所蔵するギュスターヴ・クールベやフィンセント・ファン・ゴッホ、ルカス・クラーナハ(父)の絵画、エミール=アントワーヌ・ブールデルの彫刻と自身の写真作品とを、なんとIKEAの家具で構成された空間に展示したのです。
IKEAの製品は権威を示す装飾性を排除し、シンプルで豊かな生活を送れるようにするモダニズム・デザインの極地であると鷹野は見なしています。そうした手頃なおしゃれで満たされた私たちの日常空間にはけして登場しえない、権威ある美術館のなかにあるはずのクールベやブールデルが置かれる状況は、誰しもすぐに違和感を覚えるのではないでしょうか。「男は強い」というある種の型を過剰に表現した筋骨隆々のヘラクレス彫刻も、同館の前庭にあれば堂々たる威容にほれぼれするところですが、このスマートな部屋にはいかにもミスマッチで、現代的な感覚に対立するものとして映ります。

心理的距離が近づいたことで作品の見え方が変わっていきますが、同時に、展示空間に左右されない、作品そのもの”だけ”を鑑賞する/価値をはかることの難しさも実感しました。
美術館は作品を不死の状態に保ち、永続的に未来へと残してゆくことを望む機関でありながら、物質としての作品は時とともに緩慢ながら変化せざるを得ません。第5章「ここは作品たちが生きる場か?」では、竹村京が2016年にルーヴル美術館で大きく破損した状態で発見されたのち、同館所蔵となった旧松方コレションのクロード・モネ《睡蓮、柳の反映》に着目。
最低限の保存処置のみ施されていた縦199.3×横424.4cmという巨大な油彩画の欠損部分を、半透明の布に絹糸で想像的に補完し、二重構造にして見せる作品《修復されたC.M.の1916年の睡蓮》を発表しました。

竹村は、過度な修復により、ある時期に作られた作品がさまざまな時代の人々が考えた「物言い」によって上書きされてしまうことに否定的です。本作では、失われた過去の記憶を「西洋絵画を日本語に変換するよう」に、可逆的に解くことのできる絹糸で繊細に翻訳しなおす作業により、作品に輝きを与えつつ欠損をありのままに肯定しながら未来に残すという保存方法が実践されています。

最終章の第7章「未知なる布置をもとめて」では、杉戸洋、梅津庸一、坂本夏子、2014年に亡くなった辰野登恵子の作品を、クロード・モネ、ポール・シニャック、ジャクソン・ポロックなど、かつての高度に実験的であった絵画と同じ空間でシンプルに対峙させることで、日本の「現代美術」と呼ばれるものについて思考し、その実験性の射程をはかろうと試みています。



本展企画者である国立西洋美術館 主任研究員の新藤淳氏は、本展の準備過程で「率直に申し上げて、国立西洋美術館というのはいまの気鋭のアーティストたちを触発する場とはなりえてこなかったのではないかという想いが強く残りました」と話します。本展の参加アーティストの中には、国立西洋美術館という場やそのコレクションから着想を得た者もいるが、それは機会を用意したからであると。
そのため、最終章では国立西洋美術館のコレクションがいまを生きるアーティストをどのように触発してきたか/しうるかを問うのはやめ、「過去の作品に今日のペインターたちの絵がいかに拮抗しうるかを問いたいと考えました。そこで作家間の時代を超えた相互の問題意識の類似や差異が浮かび上がればと思っています」と構成意図を説明しました。
新藤氏が「自分のキュレーションの手つきというもの自体にご批判も多くあるだろう」とも語る本展は、さまざまな声が挙がることが織り込み済みというより、むしろ積極的に批判を求めている印象を受けます。国立西洋美術館やそのコレクションの在り方に、参加アーティストたちがどのようなメッセージを発したのか。これが日本の現代美術界にどのように影響していくのか。ぜひ足を運んでいただき、鋭い眼差しでその全貌を確認していただきたいです。
「ここは未来のアーティストたちが眠る部屋となりえてきたか?──国立西洋美術館65年目の自問|現代美術家たちへの問いかけ」概要
会期 | 2024年3月12日(火)~5月12日(日) |
会場 | 国立西洋美術館 企画展示室 |
開館時間 | 9:30~17:30(金・土曜日、4月28日[日]、4月29日[月・祝]、5月5日[日・祝]及び5月6日[月・休] は9:30~20:00) ※入館は閉館の30分前まで |
休館日 | 月曜日、5月7日(火) ※ただし、4月29日(月・祝)、4月30日(火)、5月6日(月・休)は開館 |
観覧料 | 一般2,000円、大学生1,300円、高校生1,000円
※中学生以下は無料 |
主催 | 国立西洋美術館 |
問い合わせ | 050-5541-8600(ハローダイヤル) |
展覧会公式ページ | https://www.nmwa.go.jp/jp/exhibitions/2023revisiting.html |
※記事の内容は取材時点のものです。最新情報は展覧会公式ページ等でご確認ください。
記事提供:ココシル上野
【上野の森美術館】令和5年度 台東区障害者作品展「森の中の展覧会」会場レポート。応募数254点、芸術に携わる喜びの輪が広がる
上野の森美術館

2024年3月6日~3月10日の期間、上野の森美術館では令和5年度 台東区障害者作品展「森の中の展覧会」が開催されました。
※作品に使用されている素材の表記については作家(送付者)の申請に準拠しています。

障害のある方のなかには、心理的なハードルがあり作品をなかなか世に出せない方や、そもそもこれまで創作活動に触れてこなかったという方が少なくありません。「森の中の展覧会」は、そうした方々に美術館に作品を展示する機会を通して、主体的に芸術に携わる楽しさ、誰かに自分の作品を認めてもらう喜びを知ってもらおうと、台東区と上野の森美術館が共催して企画した展覧会です。開催は今年で3回目、入場無料です。
出品者は台東区に在住・在学・在勤または区内の障害者施設・団体等を利用している障害のある方で、昨年の214点を上回る254点もの作品が集まりました。

会場に入って最初に来場者を出迎えたのは、金竜小学校の児童が制作した「真夜中のピエロ」というカラフルな作品群。マーブル模様のように色を付けた画用紙を思い思いの形に切り取ってピエロを象っています。こちらを笑わせようとしているような優しい風貌のピエロがいるかと思えば、刃物を持ったおどろおどろしいピエロの姿も。基本の型が同じでも、それぞれが表現するピエロのイメージが非常に個性的で、一つひとつが目を惹きつけるパワーに溢れ、この先の展示に対してもワクワクと期待を抱かせてくれました。



壁面での展示が可能な平面作品という規定はあるものの、題材や素材は自由なので、水彩・アクリル・色鉛筆等を用いた絵画、ちぎり絵、折り紙、粘土、書など、バリエーション豊かな表現を味わえるのも本展の魅力です。



また、本展では特に優秀だと判断された作品に対して賞が授与されます。今年は武蔵野美術大学学長の樺山祐和さんや画家の遊馬賢一さん、書道家の蕗野雅宣さんが審査をつとめました。
今年は優れた作品が多かったこともあり、昨年までの台東区長賞、上野の森美術館賞、優秀賞、佳作に加え、審査員特別賞を新設。また、惜しくも入賞を逃した作品についても入選作品として紹介されることになりました。

台東区長賞には森村真衣子さんの《盛(さかり)》が選ばれました。
作家コメント:「森」という漢字には”木々が集まる様”が表されていますが、この作品「盛」をとおして、普段は疎遠になってしまっていた人達の思いが集まり楽しい気持ちをもって新たな人生の歩みへ続く物になってもらえたら幸いです。
審査委員から「見ていて飽きない」「玉手箱を開けたような感じ」と評された本作は、タイトル通りまさに「盛」りだくさんに、さまざまな要素が混然一体となって、絶妙な感覚で細部まで詰め込まれた力作です。

いつの時代、どこの国とも判断できない、鳥や卵が象徴的に登場する不思議な世界が、エポキシ樹脂で層を作ることで立体感とともに広がっています。多様なマテリアルが用いられており、右上にある緑の木のような部分は、よく見ればパンの袋を閉じるプラスチックの留め具(バッグ・クロージャー)の形に切った厚紙で作られているなど、出展作品のなかでも頭一つ抜けた独創性を披露していました。




会場を巡っているうちに、前回の開催時に記憶に残る作品を制作されていた方のお名前が、今回も多く見受けられたことに気づきました。調べてみると、じつは台東区長賞の森村真衣子さんも、第1回で上野の森美術館賞を受賞されていたとのこと。
本展の担当者にお話を伺うと、「開催3回目にしてすでに“おなじみ”の作家さんがでてきています。ご自身の作風を貫きつつも技術を高めてきた方もいれば、ガラリと異なるアプローチの作品を送ってくださった方もいて、本展が創作のモチベーションになっているのかなと思うとうれしいですね」と笑顔をみせます。

台東区では「障害者アーツ事業」の一環で、区内の障害者施設に美術講師を派遣して美術ワークショップを開催しています。最近では本展の評判を知った施設側から「ぜひうちでもワークショップをやってほしい」と声が上がることも増えているそうで、着実に本展が周知されつつあるのを実感しているといいます。
「そうやってワークショップに参加してくださった施設の皆さんが、団体で本展に足を運び、喜びを共有していらっしゃる様子は、私たちにとっても大きなモチベーションになっています」と担当者。

なお、今年から受賞作品を絵柄に採用した卓上カレンダーを制作したとのこと。(今年のカレンダーは前回・前々回の受賞作品を掲載)
来年のカレンダーには今回の受賞作品が掲載されるそうで、このように作品を見てもらう機会を増やすことは、作家たちのさらなる意欲向上につながっていくことでしょう。技術を高めて新作を発表する常連作家のなかには、いずれ美術界で躍進を遂げる方もいるかもしれませんので、今後も注目していきたいです。
なお、2024年3月21日(木)~4月19日(金)まで台東区役所1階 アートギャラリーにて受賞作品の一部が展示されますので、ご興味のある方はぜひ足を運んでみてください。
令和5年度 台東区障害者作品展「森の中の展覧会」概要
会期 | 2024年3月6日 (水) 〜 3月10日 (日) |
会場 | 上野の森美術館 |
入場料 | 無料 |
WEB | https://www.city.taito.lg.jp/bunka_kanko/culturekankyo/events/shougaiarts/r5morinonakanotenran.html |
※記事の内容は取材日(2024/3/6)時点のものです。
【東京都美術館】「印象派 モネからアメリカへ ウスター美術館所蔵」取材レポート。海を越えて広がった印象派の多彩な表現を体感
東京都美術館
パリで開催された第1回印象派展から150周年を迎えた2024年。東京都美術館では、アメリカのウスター美術館のコレクションを中心に、西洋美術の伝統を覆した印象派が欧米へもたらした衝撃と影響をたどる展覧会「印象派 モネからアメリカへ ウスター美術館所蔵」が開催中です。会期は2024年4月7日まで。


1898年に開館したアメリカ・ボストン近郊に位置するウスター美術館は、古代エジプト、古代ギリシャ・ローマの古典美術から世界各地の現代アートまでおよそ4万点を所蔵しています。なかでも印象派は開館当時のコンテンポラリーアート(同時代美術)として積極的に収集しており、現在でもコレクションの重要な位置を占めています。
本展は、西洋美術の伝統を覆した印象派の革新性とその世界的な広がりに注目。ほとんどが初来日となる同館の印象派コレクションを中心に、モネやルノワールなどよく知られたフランスの印象派だけでなく、これまで日本で紹介される機会が少なかったチャイルド・ハッサムなどアメリカの印象派を代表する作家らも含めた、40人以上の油彩画約70点を紹介するものです。
展示は全5章構成。第1章「伝統への挑戦」では、祖国フランスの身近な風景や自然に美しさと新しい主題を見出したバルビゾン派やレアリスムの画家たちが、宗教画や歴史画を頂点とする伝統的な絵画のヒエラルキーを覆すという、19世紀前半に起きた印象派の先駆けとなる動きを紹介しています。



同時期のアメリカでも自国の雄大な自然に対する関心が高まり、アメリカ的な風景が人気を博しました。同章ではそうした大西洋両岸における風景画の台頭を比較することができます。

19世紀後半のアメリカを代表する画家ウィンスロー・ホーマーは、フランス印象派の登場以前から戸外制作を作品に不可欠な要素として取り入れていました。《冬の海岸》(1892)は画業後半、海や海と対峙する人々を描くことに注力していた時期の作品で、メイン州海岸の打ち寄せる荒波の描写に直感的で大胆な筆づかいが用いられ、ホーマーの印象派的な側面を示しています。

第2章「パリと印象派の画家たち」では、アカデミーの伝統から離れ、戸外へ赴いて目に映る世界を鮮やかな色彩と大胆な筆づかいで描きだしたクロード・モネ、カミーユ・ピサロ、ピエール=オーギュスト・ルノワールといった第1回印象派展のメンバーの作品を展示。加えて、その後の印象派展に参加した唯一のアメリカ人である女流画家メアリー・カサットや、“アメリカのモネ”とも評されるチャイルド・ハッサムのパリ留学時代の作品も見ることができます。



同章で紹介されるモネの《睡蓮》(1908)は本展の見どころのひとつ。池に溶け込んでいくように輪郭を失いつつある睡蓮や水面に映り込んだ木々、幻想的な色彩など、印象派の風景画ではありつつも、晩年の作品に顕著に表れる抽象表現の兆しがみられる作品です。

モネは後半生を過ごしたパリ郊外のシヴェルニーで、自らつくり上げた「水の庭」に浮かぶ睡蓮を250点以上描き続けました。本作は1909年にパリのデュラン=リュエル画廊で発表した〈睡蓮〉連作のうちの1点で、翌年ウスター美術館が直接画廊から購入したもの。今日さまざまな美術館の目玉として収蔵されている《睡蓮》ですが、世界で初めてモネの《睡蓮》を購入した美術館は、じつはウスター美術館だったのです。

会場では本作購入について同館と画商の間で交わされた書簡(複製)も紹介しており、初代館長による理事会の説得や支払期限の延長など、手紙と電報を駆使した生々しいやり取りも知ることができました。

第3章「国際的な広がり」では、パリで得た印象派のエッセンスを母国へ持ち帰り、芸術的実践に応用したアメリカのジョン・シンガー・サージェントやスウェーデンのアンデシュ・レオナード・ソーン、ベルギーのアルフレッド・ステヴァンス、日本の黒田清輝や久米桂一郎といった画家たちの作品を展示。



その多くはフランス印象派の様式を完全に模倣したものでなく、さまざまな地域の文化や社会と融合しながら独自に昇華され、印象派にかかわりのなかった画家やフランスを訪れたことのない画家にも波及しながら多様なかたちで展開されていったことを伝えています。
印象派が国際的に広がっていくなかで、とくにアメリカにおいてどのような受容を辿ったのかを紹介する第4章「アメリカの印象派」は本展のハイライト。
1880年代半ば、アメリカの画商や収集家の間でヨーロッパの印象派が流行し、需要に応えるため多くのアメリカ人画家がフランスに渡ります。批評家が若い画家たちに求めたのは「ヨーロッパの主題から離れた母国アメリカの美」を見出すことだったため、引き続きニューイングランドの田園風景や近代化する都市風景などアメリカらしさを感じる画題が好まれました。


現地で学んだ印象派の様式をいち早く制作に取り入れ、サマースクールや芸術家コロニーを通じてアメリカ各地に広げた立役者が、第2章でも登場したチャイルド・ハッサムです。
ボストン生まれのハッサムは、1883年のヨーロッパ旅行中に初めて訪れたパリで印象派の作品に触れ、1886年から1889年にかけてはパリに留学。帰国後はニューヨークに定住して成功を収め、アメリカにおける印象派の代表的画家となりました。同章では主題の異なる作品3点が制作年順に展示され、第2章の《花摘み、フランス式庭園にて》(1888)とあわせて画風や関心の変遷を追うことができます。

落ち着いた色調とやわらかな筆づかいでボストンの雨の大通りを描いた《コロンバス大通り、雨の日》(1885)では、遠景のかすむ街の大気やつややかな舗道の光の表現に印象派の影響が感じられます。

パリ留学後に制作された、モネの断崖の風景画を思わせる《シルフズ・ロック、アップルドア島》(1907)はガラリとタッチが変わり、細長い筆触の向きを変えながら岩肌や波を巧みに描き分けています。同じ場所でも景色は絶えず変わりつづけるという考えのもと、モネの連作のようなアプローチで、アップルドア島の風景をさまざまな視点や状況でいきいきと描いたなかの1点です。

《朝食室、冬の朝、ニューヨーク》(1911)では、高層ビルの建設や自動車の普及など近代的な大都市へ変貌するニューヨークの喧噪を避けるようにカーテンで遠ざけ、洗練された中上流階級の都市生活に焦点を当てています。ハッサムは1909年から本作のような、部屋にひとりでいる女性を描いた〈窓〉シリーズを手掛けていました。カーテン越しに描かれた摩天楼はニューヨークの近代建築の象徴として称えられたマンハッタンのフラットアイアン・ビルディングと考えられており、巧みにアメリカらしさが表現されています。

エドマンド・チャールズ・ターベルは「ターベライト(ターベル信奉者)」という言葉が生まれるほど多くのフォロワーが現れたボストン美術界の重要人物であり、美術教師として学生たちにパリで学んだ印象派をもとにした地域特有の表現様式を広めました。
《ヴェネツィアン・ブラインド》(1898)は光と豊かな色彩に印象派らしさを感じますが、伝統的な造形と細部の描写に力を入れているのはボストン派の画家らしい特徴です。レンブラントに代表されるバロック絵画の明暗法のような、ブラインドから差し込む光で情景を照らすことで生まれるドラマチックな光と影のコントラストが印象的でした。

最後のセクションとなる第5章「まだ見ぬ景色を求めて」では、光学や色彩理論にもとづく点描技法を採用したポール・シニャックや、フォーヴィスムへの傾倒を経てキュビスムの創始者となったジョルジュ・ブラックといった、印象派の衝撃のあとに新しい絵画の探究を続けた画家たちの作品を展示。


ジョージ・イネスとドワイト・ウィリアム・トライオンは、19世紀末頃にアメリカで流行した絵画様式「トーナリズム(色調主義)」の代表的な画家です。印象派が大胆な色彩と視覚に固執したのに対し、トーナリズムは灰色や青といった落ち着いた色調を使用して静謐さや情感的な雰囲気、目には見えないものを描写することを重視しました。

スウェーデンの神秘主義者エマニュエル・スウェーデンボルグの信奉者であったイネスの晩年の作品は、形而上学的な傾向が強まりました。《森の池》(1892)に見られるような霧がかった大気の表現は、現実と神の世界、目に見えるものと見えないものを同時に表す精神的風景を描いているといいます。
一方のトライオンは《秋の入り口》(1908-09)で、マサチューセッツ州サウス・ダートマスの田園風景を、絵具の柔らかな扱い方や繊細な光の輝きによって神秘に満ちた絶景の理想郷へと変貌させています。

南北戦争の影響を引きずっていたアメリカ国民にとって、こういったトーナリズムの目に見えない情緒深い情景が精神的な安らぎとなりました。

パリで生まれ、美の常識を変え、画家たちを厳格なルールから解き放った印象派をグローバルな視点で紹介する「印象派 モネからアメリカへ ウスター美術館所蔵」の開催は2024年4月7日(日)まで。これまで日本であまり紹介されてこなかった、アメリカを中心とするフランス以外の印象派の魅力を楽しめる貴重な機会です。日本初公開の作品が多数ですので、ぜひこの機会をお見逃しのないよう足を運んでみてください。

「印象派 モネからアメリカへ ウスター美術館所蔵」概要
会期 | 2024年1月27日(土)~ 4月7日(日) |
会場 | 東京都美術館 |
開室時間 | 9:30-17:30、金曜日は20:00まで(入室は閉室の30分前まで) |
休室日 | 月曜日、2月13日(火) ※ただし2月12日(月・休)、3月11日(月)、3月25日(月)は開室 |
観覧料(税込) | 一般 2,200円、大学生・専門学校生 1,300円、65歳以上 1,500円
※土曜・日曜・祝日及び4月2日(火)以降は日時指定予約制(当日空きがあれば入場可) |
主催 | 公益財団法人東京都歴史文化財団 東京都美術館、日本テレビ放送網、 日テレイベンツ、BS 日テレ、読売新聞社 |
お問い合わせ | 050-5541-8600(ハローダイヤル) |
展覧会公式サイト | https://worcester2024.jp |
※記事の内容は取材時点のものです。最新情報は公式サイト等でご確認ください。
本阿弥光悦が見出した、深遠なる美意識。
【東京国立博物館】特別展「本阿弥光悦の大宇宙」(~3/10)内覧会レポート
東京国立博物館

戦乱の時代に生き、芸に秀で、革新的な作品を生み出した本阿弥光悦。
東京国立博物館 平成館で開催される特別展「本阿弥光悦の大宇宙」はその題目通り、作品の数々を通じて彼の信仰や内面世界に光を照射する。
本記事では開催前日に行われた報道内覧会の様子をレポートする。
本阿弥光悦とは?
江戸時代初期に活躍した「本阿弥光悦」(ほんあみこうえつ)は、日本刀鑑定の名門家系に生まれ、後世の日本文化に大きな影響を与えた芸術家です。
家職である刀剣の分野で優れた目利きの技量を発揮し、徳川将軍家や大名たちに一目置かれていたのみならず、能書(書の名人)としても知られ、さらに陶芸や漆芸、出版などさまざまな造形に関わり、優れた作品を後世に残しました。
「一生涯へつらい候事至てきらひの人」で「異風者」(『本阿弥行状記』)
と評された光悦が、その篤い信仰と煌めく精神によって作り上げた優品の多くが国宝や重要文化財に指定されるなど、今なお高い評価を受けています。
異風者、本阿弥光悦の美意識に迫る





本展覧会は、
第1章 本阿弥家の家職と法華信仰―光悦芸術の源泉
第2章 謡本と光悦蒔絵―炸裂する言葉とかたち
第3章 光悦の筆線と字姿―二次元空間の妙技
第4章 光悦茶碗―土の刀剣
という章立てにより、優品の数々を通じて本阿弥光悦の美意識に迫ります。
光悦自身の手による書や作陶のみならず、同じ信仰のもとに参集した工匠たちがかかわった蒔絵や同時代の社会状況に応答して生み出された作品を展示。さらに本阿弥家の信仰とともに当時の法華町衆の社会にも注目しており、総合的に光悦の有り様を見通すことができる展示構成となっています。
特に、最終章となる第4章「光悦茶碗—土の刀剣」には本阿弥光悦作の《黒楽茶碗 銘 時雨》(重要文化財)など、息を呑むほどの優美な名椀が多数展示され、まさに本展の白眉といった趣を湛えています。
こちらでは、それぞれの章に展示された作品の中からジャンルごとにピックアップした作品をご覧いただきます。
漆

文学世界と書が織りなすイメージの連環
本展の会場入口に鎮座し、その輝きと造形で来場者を驚かせる国宝《舟橋蒔絵硯箱》。
本阿弥光悦(1558-1637)の代表作として有名な硯箱で、蓋を高く山形に盛り上げているのが特徴的。全体は角を丸くした方形で、蓋を身より大きく造った被蓋(かぶせぶた)に造っています。
箱の全面に金粉を密にまいて波の地文に小舟を並べ、その間を細かい波紋で埋めており、さらに銀製の歌文字を高く嵌め込んでいます。
刀

本阿弥家の審美眼によって選び抜かれた名刀
光悦の指料(さしりょう)として伝えられている唯一の刀剣が、約40年ぶりに公開されています。
作者の兼氏は、美濃国(現岐阜県)志津で鎌倉時代末期から南北朝時代前半に活躍した刀工。指裏には光悦の筆と伝わる「花形見」の金象嵌があり、付属する刀装には金蒔絵による忍ぶ草が鞘全体を包み込むように細やかにあらわされ、非常に華やかです。
花形見の金象嵌と忍ぶ草の金蒔絵、その言葉や意匠の意味を読み解くと、光悦の秘めた想いが見えてくるのでしょうか。
書

光悦充実期の代表作
飛び渡る鶴の群れを金銀泥で描いた料紙に、平安時代までの三十六歌仙の和歌を散らし書きした一巻。鶴の上昇と下降、群れの密度に合わせて、字形と字配りを巧みに変化させており、その躍動感に驚かされます。
俵屋宗達筆とされる下絵と協調し、あるいは競い合うように展開するその書は、光悦が最も充実した作風を示した時期の代表作と評されています。
本展覧会では全巻が一挙に公開されるため、大変貴重な機会となります。
陶

いまなお圧倒的な存在感を放つ名碗
楽茶碗は手づくねで成形し、箆で削り込んでつくりあげていきますが、光悦が手がけたとされる茶碗には、それぞれ各所に光悦自身の手の動きを感じさせるような作為が認められます。
しかし本作品ではそれが抑えられ、全体に静謐な印象を与えているのが特徴。名古屋の数寄者・森川如春庵が16歳の若さで手にしたことでも知られています。
開催概要
会期 | 2024年1月16日(火)~3月10日(日) ※会期中一部作品の展示替えあり |
会場 | 東京国立博物館 平成館(上野公園) |
開館時間 | 9時30分~17時 ※最終入館は閉館の30分前まで |
休館日 | 月曜日、2月13日(火) ※ただし2月12日(月・祝)は開館 |
観覧料 | 一般 2,100円 大学生 1,300円 高校生 900円 ※混雑時は入場をお待ちいただく可能性があります。 |
展覧会公式サイト | https://koetsu2024.jp/ |
※記事の内容は取材時のものです。最新の情報と異なる場合がありますので、詳細は展覧会公式サイト等でご確認ください。また、本記事で取り上げた作品がすでに展示終了している可能性もあります。
【国立科学博物館】特別展「和食 ~日本の自然、人々の知恵~」取材レポート。食へのあくなき探求心が育んだ和食、知ればもっとおいしくなる?
国立科学博物館

2013年にユネスコ無形文化遺産に登録されて以来、世界的にますます注目が集まっている「和食」。
多くの日本人が知っているようで意外と知らないその魅力を、日本列島の自然が育んだ多様な食材、人々の知恵や工夫が生みだした発酵などの技術、調理法、歴史的変遷といった多角的視点から紹介する特別展「和食 ~日本の自然、人々の知恵~」が、国立科学博物館(東京・上野)で開催中です。会期は2024年2月25日(日)まで。
本展を取材しましたので、会場の様子をレポートします。
※本展は2020年に開催予定でしたが、新型コロナウイルスの影響で中止となり、改めて開催するものです。


山の幸、海の幸。多様な食材が育んだ和食文化
展示は全6章構成です。
第1章は「そもそも和食とは何か?」を映像で問いかけるイントロダクション。続いて、会場の約半分のスペースを使った第2章「列島が育む食材」の展示が広がります。
食の基本である水から始まり、キノコ、山菜、野菜、海藻、魚介類……。南北3,000km以上におよび、世界でも有数の生物多様性を持つ日本列島がもたらす豊かな食材を、発酵技術、出汁などの話題を交えつつ、250点以上の実物標本や模型を活用しながら科学的に解説しています。
たとえば水の展示エリアでは、軟水、硬水といった水の硬度の解説にスペースを割いています。
水の硬度は、生活用水のもとである雨水(それ自体の硬度はほぼゼロ)が「どのような地質に」「どのくらい滞留したか」で変化し、カルシウムやマグネシウムといったミネラルが水1リットル中何mg含まれるかで決まります。

WHOの基準では、60ml/L未満が軟水、120ml/L以上が硬水、その間が中硬水。急峻な地形で降水量が多く、水の滞留時間が短い日本の水は基本的に軟水です。軟水はクセがなく水の中に成分が溶けて出やすいため、素材の味を活かし、出汁を使う和食に適しているとか。
一方、ヨーロッパ大陸は地形が平坦で流れが遅いため硬水が多く、硬水は成分が溶け出しにくく煮崩れにしくいことから、シチューなどの肉を使った煮込み料理が家庭料理として広く根付くことになりました。
「日本は軟水の国だから、硬水の国へ旅行すると水に飲みにくさを感じたり、お腹を壊したりする人もいる」なんて話はよく耳にしますが、出汁の取りやすさ、煮崩れしやすさとった特徴も水質によって異なることはご存じない方もいるのでは。日本の食文化の発達には、軟水が大きく貢献したことがわかりました。

なお、ひと口に「日本は軟水の国」とはいうものの地域差は激しく、一部には硬水が流れる場所も存在します。展示では、日本各地で販売されているさまざまな硬度の天然水のペットボトルを陳列し、その水を採取できる地形・地質を解説、比較していました。
また、低地、高地、亜熱帯、冷温帯など日本の変化に富んだ地形や気候は、植生、なかでもキノコの多様性につながっています。全世界で知られているキノコ約2万種のうち、日本には名前が付いているものだけで約1割強の2,500~3,000種ほどが分布されているとか。

そんなキノコの展示エリアでは、欧米において高級食材とされるトリュフやポルチーニといった野生キノコの仲間が、いずれも日本にも分布していることに着目していました。これらは発生する量も多く、昔の日本人が存在を知らなかったとは考えづらいものの、和食の材料としては用いられてきませんでした。反対に、日本人が好むナメコやエノキタケといったぬめりの強いキノコは、欧米では嫌われる傾向にあるそうです。
同じように発生するキノコが一方では珍重され、一方では見向きもされないという極端な違いは興味深いものです。このように展示では、世界まで広げた視点から「和食」の姿を浮かび上がらせようとする試みが多く見られました。




和食でよく利用されるたんぱく源といえば魚介類。日本で食べられている魚介類の種類は世界屈指とされ、流氷で覆われるオホーツク海からマングローブ林やサンゴ礁が広がる琉球列島まで、多様な水の環境に囲まれた日本列島では魚類だけでも約4,700種類が分布しているとか。
種によって異なる回遊ルートや生息場所を紹介するため、魚介類の展示エリアではインタラクティブな映像展示を用意。日本列島近海で四季折々に姿を現すさまざまな魚介の影に手をかざすと、その魚介の情報が表示されるという仕掛けで、知識を楽しく学ぶことができました。



貴重な展示品としては、出汁に代表されるおいしさ=「うま味」を発見・命名したことで知られる東京帝国大学の池田菊苗博士が、実際に昆布から抽出したうま味成分であるグルタミン酸(「第一号抽出具留多味酸」)が挙げられます。

今日では「UMAMI」として世界的に受け入れられているうま味。うま味は、古くから知られていた甘味、酸味、塩味、苦味のいずれとも異なる5番目の味として1908年に池田博士によって発見されました。ただ、グルタミン酸、イノシン酸、グアニル酸などのうま味成分を昆布やかつお節などの食材から抽出した「出汁」自体の歴史はずっと古く、室町時代の文献にはすでに登場しているそう。出汁のうま味は、動物性油脂に頼らず、素材の味を生かし、汁物や野菜中心で淡白になりがちな和食に欠かせない存在だったのです。
また、アミノ酸であるグルタミン酸と、核酸系うま味成分であるイノシン酸やグアニル酸を同時に味わうと、単独よりもうま味を飛躍的に強く感じる「うま味の相乗効果」と呼ばれる現象があります。この現象が発見されたのは1960年、メカニズムが解明されたのは2008年とつい最近のことですが、日本料理における昆布(グルタミン酸)とかつお節(イノシン酸)を掛け合わせた合わせ出汁が一般に広がったのは江戸時代のことなのだとか。
出汁の展示は、うま味の存在を知らずとも経験からそれを料理に生かしていた先人たちの、食に対する飽くなき探求心の一端を感じさせてくれました。
卑弥呼や信長は何を食べた?江戸時代のレシピの再現展示も
会場の後半は見どころが多く、とくに縄文時代から現代まで発展してきた和食の歴史をひも解く第3章「和食の成り立ち」で見ることができる、卑弥呼や織田信長、ペリー提督、明治天皇といった歴史上の有名人たちの食卓を再現した展示は本展のハイライトの一つでしょう。


肉食を穢れとして忌避し、米と魚を中心とした和食の原型が奈良時代に整えられて以降、精進料理、本膳料理、懐石料理などさまざまに形を発展させてきた和食ですが、それらは限られた場所や立場の人々にしか供されないものでした。和食文化が著しい発展を遂げ、知識や技術が庶民にまで浸透したのは江戸時代に入ってからのこと。その背景には、料理屋の発展、発酵調味料の工場生産、そして識字層の拡大による料理書の普及が大きな要因として挙げられるといいます。

展示では、豆腐料理ばかり100種類集めた遊び心のあるベストセラー本『豆腐百珍』(1782年)や、そのヒットをうけ出版された『大根一式料理秘密箱』、鳥と卵を中心とした『万宝料理秘密箱』といった「百珍もの」と呼ばれる材料別の料理書など、和食文化の広がりに貢献した元祖レシピ本の現物や、その中で紹介されたレシピで作った料理の食品サンプルを見ることができました。展示の横には現代版のアレンジレシピのQRコードが設置されていたので、自宅でチャレンジしてみるのも面白そうです。


続く第4章「和食の真善美」では、鮮やかな料理人の技、調理道具の洗練された造形、先人たちの美意識といった和食を構成するものに焦点を当てた映像インスタレーションが目を楽しませてくれます。

文明開化以降、洋食や中華料理が入ってきたことで、日本人はそれらに対して自らの築いた食文化を「和食」と呼び、その概念を意識するようになりました。和洋折衷したような調理法や、カレーライス、ナポリタンスパゲッティ、トンカツ、ラーメンなど日本風の洋食・中華も誕生するなど、歴史的に外来のものをうまく取り入れて新しい料理を発展させてきたことも、和食の大きな特徴といえるでしょう。
第5章「 わたしの和食」では、ここまでの展示で和食がどういう過程で生まれてきたかを理解したうえで、時代とともに定義の変化していく和食とは何かを改めて考えさせる内容になっていました。
第6章「和食のこれから」のみ第2会場にあり、和食はこれからどのように変化していくのか、郷土料理や伝統野菜の重要性も指摘しつつ、社会の変化を受けて変わり続ける和食の未来を展望。食糧問題解決の試みや発展するテクノロジーを紹介するエリアでは、貴重な人工ふ化されたニホンウナギのレプトセファルス幼生を見ることができました。

今では季節を問わず、どこにいても世界中の食材を取り寄せられるようになり、またあらゆる国のレシピもインターネットを通じて手軽に手に入る時代です。いつでもどこでも同じ料理、同じ味を体験できる……食に関する均質的なサービスが拡大することで、和食という文化の多様性・独自性は薄れていくのかもしれません。しかし、土地に根差した食材、味覚というものが抜きがたく存在するうえ、洋食をご飯とみそ汁という和食のスタイル、文脈の中に適合するように作り変えていった知恵と執着を思えば、これからの発展へも期待がもてるのではと感じました。
本展で日本列島の多様な自然環境と人々の営みに対する理解を深めれば、日々の和食をさらにおいしく感じられるようになるかもしれません。
会期は2024年2月25日(日)まで。ぜひ足を運んでみてください。
特別展「和食 ~日本の自然、人々の知恵~」概要
会期 | 2023年10月28日(土)~2024年2月25日(日) ※会期等は変更になる場合がございます。 |
会場 | 国立科学博物館(東京・上野公園) |
開館時間 | 9時~17時(入場は16時30分まで) |
休館日 | 月曜日、年末年始(12月28日~1月1日)、1月9日(火)、2月13日(火) ※ただし、12月25日(月)、1月8日(月・祝)、2月12日(月・休)、2月19日(月)は開館。 |
入場料(税込) | 一般・大学生2,000円、小・中・高校生600円 ※未就学児は無料。 ※障害者手帳をお持ちの方とその介護者1名は無料。 その他、詳細は公式サイトのチケットページ(https://washoku2023.exhibit.jp/ticket.html)をご確認ください。 |
お問い合わせ | 050-5541-8600(ハローダイヤル) |
展覧会公式サイト | https://washoku2023.exhibit.jp/ |
主催 | 国立科学博物館、朝日新聞社 |
※記事の内容は取材日(2023/10/27)時点のものです。最新の情報は展覧会公式サイト等でご確認ください。
【上野の森美術館】「モネ 連作の情景」取材レポート。展示作品はすべてモネ、〈積みわら〉〈睡蓮〉など代表作が一堂に
上野の森美術館

印象派の巨匠クロード・モネの生涯を、〈積みわら〉や〈睡蓮〉の連作をはじめとする代表作60点以上で辿る展覧会「モネ 連作の情景」が上野の森美術館で開催中です。
会期は2024年1月28日まで。
開催に先立って行われた報道内覧会に参加してきましたので、会場の様子を詳しくレポートします。




展示作品すべてがモネ。国内外40館以上の協力で実現した貴重な展覧会
印象派を代表する巨匠クロード・モネ(1840-1926)。
自然の光と色彩に対する並外れた感覚をもっていたモネは、同じ場所やモティーフを異なる季節や天候、時刻のなかで観察し、刻々と変化する印象や光の動きの瞬間性を複数のカンヴァスに連続して描きとめるという、それまでにない革新的な「連作」の表現手法を確立した画家として知られています。
本展は、1874年の印象派の誕生(第1回印象派展の開催)から150年の節目を迎えることを記念して開催されるもので、〈積みわら〉や〈睡蓮〉といったモネの多彩なモティーフの連作絵画に焦点を当てつつ、日本初公開となる人物画の大作《昼食》など印象派として名が知られる以前の作品も紹介。国内外40館以上から集められた代表作60点以上を通じて、時間と光とのたゆまぬ対話を続けたモネの生涯を辿ることができます。
印象派への転機となった初期の大作《昼食》が日本初公開
展示は時系列の全5章構成となっています。
モネは1840年のパリに生まれ、少年時代をノルマンディー地方の港町で過ごしました。15歳頃からカリカチュア(似顔絵)の名手としてすでに地元で頭角を現し、17歳の頃、風景画家ウジェーヌ・ブーダンからの助言によって戸外で風景画を描き始めます。

パリでの画家修業を経て、1865年には当時のフランスの芸術家にとっては唯一の登竜門であり、最高の市場でもあった伝統的な公募展「サロン(官展)」で2点の風景画が初挑戦ながら入選。順調なデビューを果たしたものの、1867年からサロンの審査基準が厳しく保守的になって以降は評価を得られず。1870年、周到に準備した高さ230cmを超える渾身作《昼食》(1868-69)も落選の憂き目に遭います。
第1章「印象派以前のモネ」では、その《昼食》が日本初公開されるほか、普仏戦争から逃れ、1871年から滞在したオランダの水辺の景色を描いた風景画や肖像画などが並びます。

《昼食》で描かれているのは、経済的な理由で別居が続いていた、後に結婚するカミーユと息子のジャンと一緒に暮らし始めた頃の何気ない食卓の光景。希少な「モネの黒」を味わえる初期の代表作ですが、一説には、大胆に粗い筆致で明るい色を配する表現の新しさや、物語性の希薄な日常の光景をあたかも偉大な絵画のような大画面に描いたことなどが、新古典主義を重視する審査員の不興を買ったと考えられているとか。
この落選を機に、モネは目指す芸術性の異なるサロンと距離を置き、本格的な印象主義へと向かうことになります。

モネは1871年末からパリ郊外のセーヌ川沿いの町、風光明媚なアルジャントゥイユに転居し、同地を訪れたマネやルノワールらとともに制作に励みました。新たな発表の場を求めて、1874年にはパリで同志たちと「第1回印象派展」を開催します。注目は集めたものの、売り上げは芳しくなく経済的に困窮。さらに、1879年には最良のモデルであり理解者でもあった妻カミーユを病で失います。
第2章「印象派の画家、モネ」では、1870〜80年代、そんな苦しい環境にあったモネがセーヌ川流域を拠点に各地を訪れて制作した、印象派らしい多様な風景画を展示。モネが愛したのは、刻々と近代化する都会の街景よりも自然の情景、とくに水辺の景色でした。

この頃のモネは風景画家シャルル゠フランソワ・ドービニーを真似て、《モネのアトリエ舟》(1874)で描かれている、ボートの上に小屋を設えたユニークなアトリエ舟を造っています。戸外制作につきものの悪天候にも耐えられるこの乗り物で自在に移動し、水上ならではの視点からの景色を数多く作品に残しました。

とりわけモネを惹きつけたのは、ヴェトゥイユという小さな村の教会を含む一帯をセーヌ川から臨んだ風景で、モネはこの主題を繰り返し描いています。なかでもサウサンプトン市立美術館所蔵の《ヴェトゥイユの教会》(1880)はこの時期の傑作と名高く、絶えず揺れる水面の映り込み、その一瞬を見えるがまま描き出そうと、カンヴァスに絵の具を大胆な筆致で素早く載せている点が見どころです。
同章でほかに目を引いたのは、ヴェトゥイユの荒涼とした冬景色を、同時期のほかの作品と比べるとやや抽象的に、乱暴とも思えるような筆致で描いた《ヴェトゥイユ下流のセーヌ川》(1879)です。

同じくヴェトゥイユの自然を主題にした作品に、同居していたオシュデ家の夫人アリスと思しき女性や子供とともに描いた《ヴェトゥイユの春》(1880)がありますが、そちらは春の草木の生き生きとした様子を、短く太めのタッチや細く短い線、波のように連なるリズミカルな線で、柔らかなピンクを交えて表情豊かに描いています。
2作品を比べてみると、明らかに後者が絵として安定している印象を受けました。暖かな春の訪れと親しい者たちの存在が、妻カミーユを失ったモネの深い悲しみを少しずつ慰めたのだろうか、などと想像がふくらみます。
「連作」着想へ向けて。同じ主題で緩やかに結びつく作品群
19世紀後半における鉄道網の発達によってヨーロッパ各地を精力的に旅したモネは、人で賑わう行楽地ではなく人影のない海岸など自然風景を好み、ひとつの場所で数か月かけて集中的に、または年単位で再訪しながら制作を行いました。
第3章「テーマへの集中」では、モネを魅了したノルマンディー地方プールヴィルの海岸やエトルタの奇岩など、ひとつの風景の多様な表情を収めた作品を紹介しています。

なかでも興味深いのはプールヴィルの海岸を扱った4点。1882年作の2点の《プールヴィルの断崖》と、その15年後、1897年作の《プールヴィルの崖、朝》《波立つプールヴィルの海》は、いずれも海岸一帯に見える断崖、砂浜、海、空を似たような構図で描いています。
しかし、1882年の作品では目立つ断崖や岩礁にはっきりモティーフとしての力点を感じるのに比べて、1897年の作品はモティーフの主張が弱まり、むしろ変化する天候や海の状態、全体の雰囲気に意識を向けているように感じます。

この4点は、モネのスタイルの変遷、同じ場所で10年以上の歳月をまたいで描かれた作品だからこそわかる目線を如実に伝えていました。

その他にも《ラ・マンヌポルト(エトルタ)》(1883)と《エトルタのラ・マンヌポルト》(1886)などは、緩やかなつながりを感じさせる、ある種の秩序をもった作品群、同じテーマに基づくバリエーションのようなものと表現できます。こうした過程を経てモネは、ひとつの主題について何点もの絵画を「連作」として描くことを着想しました。


第4章「連作の画家、モネ」からは、いよいよ本展のメインである「連作」の代表作が並びます。
1883年、42歳のモネは終の棲家として、セーヌ川流域のジヴェルニーに移り住みます。この地で秋になると目にする風物詩であった積みわらをモティーフにするにあたり、モネは当初ありのままに描きましたが、1890年前後には複数のカンヴァスを並べて、天候や時間による光の効果で刻々と変化する様子を同時進行で描写。1891年にパリのデュラン゠リュエル画廊で個展を開催し、それらを「連作」として展示すると劇的な大成功を収め、フランスを代表する画家として国内外で名声を築きました。
この〈積みわら〉が、モネが体系的な「連作」の手法を本格的に実践した最初のシリーズだと考えられています。

本展に出品された《積みわら、雪の効果》(1891)は、1891年にデュラン゠リュエル画廊で展示された15点のうちの1点。積みわらを画面手前に大きく配置し、ほとんど影になった積みわらと輝かんばかりの雪のドラマティックなコントラストが美しい作品です。
以降、「連作」はいくつものモティーフで手掛けられ、1899年からはロンドンで〈ウォータールー橋〉や〈チャリング・クロス橋〉などを数年かけて描いています。
〈ウォータールー橋〉はロンドンの連作のなかで最多の41点を数え、会場にはそのうちの曇り、夕暮れ、日没を描いた3点が出品。
画面は湿り気のある大気が充満したようで、いずれもモティーフとなった橋の細部は省略され、柔らかなシルエットがテムズ川の霧の中でかすむように浮かびます。光のプリズムが生み出す色彩の微妙なハーモニーこそが見どころであり、摺り色を変える木版画のように、構図が同一であるからこそ色彩の表情の個性が際立っています。

ひとつの主題をさまざまな色と光の視覚効果のなかで繰り返し鑑賞させることで、鑑賞者を作品に取り込み、画面上には存在し得ない、モネ自身が体験したであろう「時間」を追体験させる。こうした没入感を体験させることも、モネの「連作」の狙いだったのではないでしょうか。
単純な光と色彩の探求というだけでなく、「連作」は互いにどのように機能し合うのか、また鑑賞者にどのような効果を生むのか、「連作」でしかなしえない新たな芸術を創造しようとするモネの確固たる意志を感じました。
モネを「抽象絵画の祖」たらしめた〈睡蓮〉
ジヴェルニーの自宅は、モネの理想が詰め込まれた最大の着想源でした。モネは藤や芍薬など四季折々の花が咲き乱れる「花の庭」と、日本庭園から着想を得た”モネの最高傑作”とも呼ばれる「水の庭」を、絵の題材にする目的で何年もかけて整備。この「水の庭」の池で庭師の手を入れて育てていたのが、晩年最大の連作のモティーフになった睡蓮です。後妻のアリスや家族に支えられ、モネは視覚障害に悩みながらも86歳で亡くなるまで制作を続けました。
最後の第5章「『睡蓮』とジヴェルニーの庭」ではジヴェルニーの光景や、睡蓮をはじめとするモネが愛した庭のさまざまな情景を紹介しています。

モネが睡蓮の花を集中的に描き始めたのは池の造成を始めてから4年後の1897年夏のことで、《睡蓮》(1897-98頃)はその最初期に制作された8点のうちの1点。池の水面に接近して、睡蓮の花と葉をクローズアップした構図で捉え、くっきりとしたフォルムで描いています。花の大胆すぎる筆致が遠目には艶やかな立体感として立ち上がってくる点に目が引かれました。
この時点で、暗い水面に池の周囲の樹木や空の反映はなく、モネの視線は睡蓮だけを注視しているのがわかります。年を経るごとに視線は水面に集中。視力の衰えとともに奥行きはなくなり、筆致はより粗く、鏡のように周囲を映す水面で形と色と光は溶け合い、まるで抽象絵画のように変化していきました。

そうした晩年の作品群は、20世紀半ばの抽象美術家を刺激し、モネ芸術は新たな注目と再評価を受けることになりました。
「100%モネ」、それも素描や下描きのない、1点1点がモネの代表的な油彩画である貴重な展覧会。モネの印象派以前から晩年までのスタイルの変遷がわかる、モネ初心者にもおすすめしたい内容になっています。ぜひ足を運んでみてください。
「モネ 連作の情景」概要
会期 | 2023年10月20日(金)~2024年1月28日(日)まで |
会場 | 上野の森美術館(東京都台東区上野公園 1-2) ※JR上野駅公園口より徒歩3分 |
開館時間 | 9:00~17:00(金・土・祝日は~19:00) ※入館は閉館の30分前まで |
休館日 | 2023年12月31日(日)、2024年1月1日(月・祝) |
入館料(税込) | 日時指定予約推奨 [平日(月~金)] 一般 2,800円/大学・専門学校・高校生 1,600円/中学・小学生 1,000円 [土・日・祝日] 一般 3,000円/大学・専門学校・高校生 1,800円/中学・小学生 1,200円 ※未就学児は無料、日時指定予約は不要です。 |
主催 | 産経新聞社、フジテレビジョン、ソニー・ミュージックエンタテインメント、上野の森美術館 |
お問い合わせ | 050-5541-8600(ハローダイヤル) 全日9:00~20:00 |
公式サイト | www.monet2023.jp |
※※記事の内容は取材日(2023/10/19)時点のものです。最新情報は公式サイト等でご確認ください。
美麗かつ、壮大。伝統の「やまと絵」の世界を闊歩する。【東京国立博物館】特別展「やまと絵 -受け継がれる王朝の美-」(~12/3)内覧会レポート
東京国立博物館
平安時代前期に成立し、さまざまな変化を遂げながら描き継がれてきた「やまと絵」。
東京国立博物館で開催される特別展「やまと絵-受け継がれる王朝の美-」は、常に革新的であり続けてきたやまと絵の系譜をたどる展覧会だ。
本記事では開催前日に行われた報道内覧会の様子をレポートする。
やまと絵とは?




特別展「やまと絵-受け継がれる王朝の美-」は、平安時代以降、連綿と描き継がれてきた「やまと絵」に焦点を当てた展覧会。
しかし、興味深いのは「やまと絵」の概念は時代によって大きく変化してきたという点です。
平安時代から鎌倉時代頃にかけては、中国的な主題を描く「唐絵」に対し、日本の風景や人物を描く作品を「やまと絵」と呼んでいましたが、それ以降は、水墨画など中国の新しい様式による絵画を「漢画」と呼ぶのに対し、前代までの伝統的なスタイルに基づく作品を「やまと絵」と呼びました。
つまり、つねに「やまと絵」は異国由来の絵画に対する対概念として存在していたのです。
本展では、王朝美の精華を受け継ぎながらも常にそのあり方を変化させてきた「やまと絵」を、特に平安時代から室町時代の優品を精選して紹介しています。
日本美術の「実物教科書」が目白押し!




本展は全6章構成。
序章 伝統と革新—やまと絵の変遷—
第1章 やまと絵の成立—平安時代—
第2章 やまと絵の新様—鎌倉時代—
第3章 やまと絵の成熟—南北朝・室町時代—
第4章 宮廷絵所の系譜
終章 やまと絵と四季—受け継がれる王朝の美—
唐絵や漢画といった外来美術の理念や技法との交渉を繰り返しながら、独自の発展を遂げてきたやまと絵の変遷を、各時代の特色とともに作品を通じて体感できる構成になっています。
これぞ日本美術の王道!ともいえる教科書的な作品、美術全集などでおなじみの作品が一堂に会するさまは壮観そのもの。
総件数245件の7割超が国宝、重要文化財で、会場には絵画のみならず、書跡や工芸作品など、やまと絵の美意識を支えた同時代の作品も数多く出品されています。

その中でも「本展一押し」の作品とされるのが、室町時代やまと絵屈指の優品として名高い重要文化財《浜松図屏風》(東京国立博物館蔵)。
まぶしく輝く浜辺の風景に多くの花木や草花、鳥の姿を重ね、画面右から左に移ろう季節が表わされており、大変にぎやかな印象を受ける大作です。古代・中世やまと絵のさまざまな要素を集約した「究極のやまと絵」とのこと。
実際に間近で観ると画面全体が鈍く光を放っているようにも見えるのですが、これは下地に雲母(きら。層状のケイ酸塩鉱物)を掃く室町時代やまと絵特有の技法によるものだそうです。後世の安土桃山時代のような金を前面に押し出した華やかさとは違う、まるで月夜の薄明りのような輝き・・・。どこか、日本人の奥ゆかしい美意識の一端が感じられます。
日本絵巻史上の最高傑作、「四大絵巻」が集う

また、数ある絵巻物のなかでも最高傑作として名高いのが平安時代末期に制作された「四大絵巻」。
本展では現存最古にして最高峰の王朝物語絵巻である《源氏物語絵巻》をはじめとして、《信貴山縁起絵巻》《伴大納言絵巻》、そして有名な《鳥獣戯画》(いずれも国宝)が一同に会します。

こちらは四大絵巻のひとつ国宝《鳥獣戯画》(京都・高山寺蔵)。2015年に東京国立博物館で開催された「鳥獣戯画展」の大変な混雑ぶりが記憶に強く残っていますが、そのユーモラスさと愛らしさから多くの人に親しまれてきた作品です。
四季の移ろい、月ごとの行事、花鳥・山水やさまざまな物語・・・やまと絵にはあらゆるテーマが描かれてきましたが、やはりこの《鳥獣戯画》に描かれた躍動感あふれる動物たちは、その中でも一際異彩を放っています。

本展は4つの展示期間(①10/11(水)~22(日) ➁10/24(火)~11/5(日) ③11/7(火)~19(日) ④11/21(火)~12/3(日))にしたがって展示替えを行いますが、10/11~22にはなんと30年ぶりに四大絵巻が集結。
このほかの期間にも、三大装飾経(久能寺経、平家納経、慈光寺経)や、やまと絵肖像画の大作として知られる神護寺三像(伝頼朝像、伝平重盛像、伝藤原光能像)(いずれもすべて国宝)といった古代・中世の名品が続々登場するなど、注目作品が目白押しです。
本展を担当した東京国立博物館 学芸研究部調査研究課 絵画・彫刻室長の土屋貴裕さんは
「半分以下の作品数でも展覧会が成立するほど多くの作品が集まった展覧会で、2週間ごとの展示替えにより、より多くの作品と出会えると思う。ぜひ何度も会場に足を運んでほしい」
と、来場者に向けて話されていました。
千年を超す歳月の中、脈々と受け継がれ、変化を遂げてきた「やまと絵」の世界。
ぜひ、直接会場に足を運んでご覧ください。
※それぞれの作品の展示期間は公式サイトの「出品目録」からご覧ください。
開催概要
会期 | 2023年10月11日(水)~12月3日(日) ※会期中一部作品の展示替えおよび巻替えあり |
会場 | 東京国立博物館 平成館(上野公園) |
開館時間 | 9時30分~17時00分 ※金曜・土曜は20時まで開館(総合文化展は17時閉館、ただし11月3日(金・祝)より、金曜・土曜は19時閉館) ※最終入場は閉館の60分前まで |
休館日 | 月曜日 ※ただし本展のみ11月27日(月)は開館 |
観覧料(税込) | 一般 2,100円 大学生 1,300円 高校生 900円※土・日・祝日のみ事前予約制(日時指定) ※混雑時は入場をお待ちいただく可能性があります。 ※中学生以下無料。ただし土・日・祝日は事前予約が必要です。入館の際には学生証をご提示ください。 ※障がい者とその介護者1名は無料。土・日・祝日も事前予約は不要。入館の際に障がい者手帳等をご提示ください。 ※本展観覧券で、ご観覧当日に限り総合文化展もご覧いただけます。 (注)詳細は展覧会公式サイトチケット情報のページでご確認ください |
主催 | 東京国立博物館、NHK、NHKプロモーション、読売新聞社 |
お問い合わせ | 050-5541-8600(ハローダイヤル) |
展覧会公式サイト | https://yamatoe2023.jp/ |
※記事の内容は取材時のものです。最新の情報と異なる場合がありますので、詳細は展覧会公式サイト等でご確認ください。また、本記事で取り上げた作品がすでに展示終了している可能性もあります。
【会場レポート】「永遠の都ローマ展」が東京都美術館で開幕。古代ヴィーナス像の傑作が初来日
東京都美術館

ローマの中心にあるカピトリーノ美術館の所蔵品を中心に、建国から近代までのローマの美の歴史を紹介する展覧会「永遠の都ローマ展」が東京都美術館で開幕しました。会期は2023年9月16日(土)~12月10日(日)まで。
会場を取材しましたので、展示の様子をレポートします。



ローマの栄光と美の歴史をたたえるカピトリーノ美術館
古代には最高神ユピテルら神々を祀る神殿がそびえるなど、長くローマ人たちの宗教的・政治的・文化的な中心地であり、現在はローマ市庁舎が置かれるカピトリーノの丘。そこの丘に建つカピトリーノ美術館は、世界的にもっとも歴史の古い美術館の一つに数えられます。
1471年ルネサンス期の教皇シクストゥス4世が、ローマ市民の自尊心を鼓舞するとともに自身が古代ローマの正統な継承者であることを示す目的で、4点の古代彫刻をローマ市民に寄贈・カピトリーノの丘に設置したことをきっかけに同館が設立。1734年からは一般に向けて公開がはじまり、ローマで発掘された古代遺物やヴァティカンに由来する彫刻、またローマの名家が所有する美術品など、充実したコレクションを築いていきました。
本展はカピトリーノ美術館の所蔵品を中心に、建国神話からはじまり、古代ローマ時代の栄光、芸術の最盛期を迎えたルネサンスからバロック、芸術家たちの憧れの地となった17世紀以降まで、「永遠の都」と称されるローマの壮大な歴史と芸術を約70点の彫刻、絵画、版画などを通じて紹介するものです。
年代順に続く全5章のセクションのほか、岩倉使節団が同館を訪ねてちょうど150年目の節目となることにちなみ、同館と日本の交流を紹介する特集展示も設けられています。
前753年に建国したとされる古代ローマの伝承や神話を紐解く第1章「ローマ建国神話の創造」では、出発点としてローマのシンボルともいえる有名な作品《カピトリーノの牝狼(複製)》が置かれていました。

本作のオリジナルは、カピトリーノ美術館の始まりである4点の古代彫刻のうちの一つ。紀元前5世紀に作られたものとされています。(出展されているのはローマ市庁舎が所蔵する後世の複製作品)
ローマ建国神話を題材にした詩人ウェルギリウスの叙事詩 『アエネイス』 のエピソードのうち、軍神マルスと巫女レア・シルウィアの間に生まれた初代ローマ王ロムルスとその弟レムスを育てた牝狼の物語に基づいています。
本来は牝狼のみだったものが、ルネサンス期に乳を飲む双子の彫像が付け加えられたとのこと。牝狼の見開いた目や毛並みなどが様式的ながら繊細に表現されています。
双子に乳を与える牝狼の像はローマ市内に祀られ、建国神話の体現として帝国の歴史とともに歩み続けることで、公共記念碑や貨幣といった公的美術、詩的な装身具、祭礼美術に至るまでさまざまな媒体の図像表現に影響を与えていきました。《カピトリーノの牝狼》は後世で加えられた双子像を除き、そのアイコンともいえる現存作品なのです。

シンボルとしての絶大な影響力を示すように、第1章ではほかにも《ドラクマ銀貨》や《ボルセナの鏡》(前4世紀)など、牝狼の姿が描かれた作品がいくつもありました。

前27年以降の帝政期には、帝国の繁栄とともに肖像が発展。威厳ある表情や写実性のある歴代ローマ皇帝の肖像は、プロパガンダの手段として機能したほか、一般市民の私的肖像にも影響を及ぼし、さまざまな流行の装いやポーズ、髪型などを普及させたといいます。
第2章「古代ローマ帝国の栄光」では、古代ローマ帝国の礎を築いたユリウス・カエサルやアウグストゥスの頭部彫刻をはじめ、それぞれの「時代の顔」を通じて栄光の時代をたどりながら、当時の文化的、社会的、政治的な変化を伝えています。

ここではカピトリーノ美術館が所蔵する2体の《コンスタンティヌス帝の巨像》の断片を、精巧な原寸大複製で展示していて迫力がありました。《コンスタンティヌス帝の巨像》もまた、教皇シクストゥス4世がローマ市民に寄贈した古代彫刻の一つです。

コンスタンティヌス(在位306-337)はローマ帝国でもっとも重要な皇帝のうちの一人。分裂していた帝国を再統一し、キリスト教を国教と認め自らも信徒となった初のローマ皇帝として知られています。
頭部だけで高さ約1.8メートル。そのスケール感はかつての栄華を思わせます。こけた頬、厳格な目の下の涙袋、口元のしわから、晩年の皇帝の姿を捉えたものと考えられているとか。りりしい表情のなかでも、遠くを見通すようにやや上方を向いた瞳が印象的。当時の人々が皇帝に抱いた高い理想を反映したかのように超然とした雰囲気です。

頭部のほか、左足、左手、さらに近年になってルーヴル美術館で発見された左手の人差し指も、本展のために新たに複製されたものが一緒に紹介されていました。

門外不出の至宝《カピトリーノのヴィーナス》を見逃すな!
また、第2章に展示された《カピトリーノのヴィーナス》は本展の一番の注目作品です。

古代ギリシャの偉大な彫刻家プラクシテレスが前4世紀に制作したアフロディテ(ヴィーナスと同一視されるギリシャ神話の愛の女神)の像に基づいた2世紀の作品です。
ヴィーナス像の典型的な恥じらいのポーズをとり、優美な体の曲線とふっくらとした肌の質感の表現が非常に美しく魅力的。よく見ると、頭の天辺で蝶結びのように髪をまとめて、うなじのあたりでもシニョンを作り、さらに二股に髪を下すというちょっと面白い髪形をしています。

ミロのヴィーナス(ルーヴル美術館)、メディチのヴィーナス(ウフィッツィ美術館)に並ぶ古代ヴィーナス像の傑作として知られている同作。じつは、カピトリーノ美術館以外に持ち出されるのは1752年の収蔵以来、一時的にナポレオン率いるフランス軍に接収された件を含めて今回で3度目とのことで、まさに門外不出の至宝といえるでしょう。
この先、また日本で見られる機会があるのかわからない必見の作品です。
展示では、ふだん同作が置かれているカピトリーノ美術館の「ヴィーナスの間」と呼ばれる八角形の展示室をイメージした特別空間を用意。同じく床も、同館が位置するルネサンスの巨匠ミケランジェロによって設計されたカンピドリオ広場の模様で演出されていました。

なお、1537年から構想がスタートしたミケランジェロの都市計画、都市ローマの壮麗さを体現する広場と建物群によるアイコニックな美術館複合体の展開については、続く第3章「美術館の誕生からミケランジェロによる広場構想」で絵画や版画などを通して詳しく紹介しています。



第4章「絵画館コレクション」では、芸術庇護と学問の振興に力を注いだ教皇ベネディクトゥス14世が、1748年から1750年にかけて収集したイタリア名家旧蔵の絵画コレクションをもとに設立した絵画館のコレクション13点を展示。


イタリアバロックの巨匠ピエトロ・ダ・コルトーナから作者不明のものまで、いずれも16世紀から18世紀に活躍した画家たちの名品ばかり。当時のイタリアで主流だった画題や表現、また芸術のパトロンたちの関心を捉えた絵画とどんなものだったのかを伝えています。
17世紀以降、古代遺跡や教会建築の宝庫である都市ローマは、グランドツアーなどを介してイタリア内外の芸術家たちの芸術的霊感源となりました。
第5章「芸術の都ローマへの憧れ―空想と現実のあわい―」では、そんなローマでとくに芸術家やヨーロッパ君主たちを魅了したといわれる、トラヤヌス帝がダキア戦争で勝利したことを記念した約30メートルの古代記念碑「トラヤヌス帝記念柱」に関する版画や模型を展示。また、それら古代ローマ美術を発想源として制作された作品について取り上げています。




マイセンの素焼き陶器《アモルとプシュケ》は30cmほどの小さな作品ですが、絡ませ合う肉体、とくに互いの頭を優しく抱える、円環を思わせる腕の配置は永遠の愛を象徴しているかのようで、その甘美な曲線にしばし見入りました。
同作はカピトリーノ美術館所蔵の有名な2世紀の大理石彫刻《アモルとプシュケ》に基づく複製。18世紀には古代美術愛好家の増加に伴い、有名な古代彫刻の縮小版を製作する新産業やそれを売買する市場が成長し、同作のような複製が数多く出回ったといいます。

最後のフロアには特集展示「カピトリーノ美術館と日本」のコーナーがあります。
ちょうど150年前にあたる1873年、明治政府が欧米に派遣した岩倉使節団がカピトリーノ美術館を訪問。欧米の美術館・博物館を視察した彼らの経験は、明治政府の博物館政策や美術教育にも影響を与えました。
展示では、使節団の人々が現地で入手したと思われる絵はがきなどをもとに制作された視察報告書『米欧回覧実記』の挿絵や、19世紀初頭の日本の人々がヨーロッパに抱いていたエキゾチックなイメージが伝わる想像図《阿蘭陀フランスカノ伽藍之図》などを紹介しています。

また、1876年に日本最初の美術教育機関として工学寮美術校(のちの工部美術学校)が誕生した際、西洋美術教育のために招聘されたイタリア人教師らは教材として、有名な彫刻をモデルとする石膏像を持ち込みましたが、その中にはカピトリーノ美術館の石膏像も含まれていました。
その歴史を示すものとして、2世紀に制作されたカピトリーノ美術館所蔵の《ディオニュソスの頭部》と、同作を原作として複製・日本に持ち込まれた石膏像をさらに学生が課題で模写したと思われる《欧州婦人アリアンヌ半身》を並べて展示。時を越えたカピトリーノと日本のつながりを象徴しています。

世界中の芸術家たちを魅了した都市ローマの壮大な美の歴史に浸れる「永遠の都ローマ展」。ぜひ足を運んでみてください。
「永遠の都ローマ展」概要
会期 | 2023年9月16日(土)~12月10日(日) |
会場 | 東京都美術館 |
開室時間 | 9:30~17:30、金曜日は9:30~20:00(入室は閉室の30分前まで) |
休室日 | 月曜日、10月10日(火) ※ただし、10月9日(月・祝)は開室 |
観覧料 | 一般2,200円、大学生・専門学校生1,300円、65歳以上1,500円、高校生以下 無料
※土日・祝日のみ日時指定予約制となっています。(当日の空きがあれば入場可)平日は日時指定予約不要です。 |
主催 | 公益財団法人東京都歴史文化財団 東京都美術館、毎日新聞社、NHK、NHKプロモーション |
共催 | ローマ市、ローマ市文化政策局、ローマ市文化財監督局 |
監修 | クラウディオ・パリージ=プレシッチェ(ローマ市文化財監督官) 加藤磨珠枝(美術史家、立教大学文学部教授) |
お問い合わせ | 050-5541-8600(ハローダイヤル) |
展覧会公式サイト | https://roma2023-24.jp |
※記事の内容は取材時点のものです。最新情報は公式サイト等でご確認ください。
記事提供:ココシル上野
【取材レポート】新作102点、初公開!「横尾忠則 寒山百得」展が東京国立博物館で開催中。何物にも囚われない新境地をみる
東京国立博物館

東京・上野の東京国立博物館 表慶館では、2023年9月12日から「横尾忠則 寒山百得」展が開催中です。(会期は12月3日まで)
伝統的画題として知られる中国の風狂の僧を、現代美術家・横尾忠則さんが独自の解釈で再構築した「寒山拾得」シリーズのうち、新作102点を一挙初公開しています。
※作品画像について……特別な記載のないものはすべて横尾忠則作、作家蔵です。



脱俗の振る舞いで憧れの対象となった寒山拾得
寒山(かんざん)と拾得(じっとく)は、中国・唐時代に生きたとされる伝説的な二人の詩僧です。
高い教養を持つ文人にもかかわらず洞窟の中に住み、残飯で腹を満たし、常軌を逸した発言をするなど、奇行が目立つ自由でエキセントリックな存在として知られています。中国禅宗においてはその脱俗の姿や振る舞いが悟りの境地であるとしてもてはやされ、寒山は文殊菩薩、拾得は普賢菩薩の化身であると神聖視されるようになります。
中国や鎌倉時代以降の日本で、寒山拾得は伝統的な画題として多くの禅僧や文人たちによって描かれ、近代では森鴎外や夏目漱石の小説でも憧れをもって取り上げられてきました。
そんな寒山拾得をテーマした作品を、日本を代表する現代美術家・横尾忠則さん(1936-)が初めて発表したのが2019年のこと。江戸時代の奇想の画家・曾我蕭白の代表作《寒山拾得図》にインスパイアされたものでした。
以降、形を多様に変化させながら「寒山拾得」シリーズを集中的に制作。新型コロナウイルス感染症のパンデミックの時期には外界との接触を避けながら、まるで寒山拾得の脱俗の境地のように、俗世から離れたアトリエで創作活動に勤しんだといいます。

今回展示されている「寒山拾得」シリーズの102点は、すべて本展のために描かれた未発表の新作です。
制作期間は2021年9月からの約1年。横尾さん自身が本展の報道発表会で「アーティストをやめてアスリートになろう(と考えた)」と語ったとおり、87歳とは思えないパワフルで挑戦的な精神のもと、ときには一日3点を描き上げたこともあるなど驚異のスピードで制作されました。
時空を超えて、イメージからイメージへ


寒山拾得は詩僧ということで、寒山は漢詩を記した巻物、拾得は寺の庭を掃くほうきを持つ姿が伝統的な表現ですが、横尾さんは独自の解釈で巻物をトイレットペーパーに、ほうきは掃除機に持ち替えさせているなど現代的なアップデートを加えてユーモラス。さらに、トイレットペーパーからの連想なのか、二人はマルセル・デュシャンの《泉》を思わせる便器に座っていることも。
会場を巡っていくと、各作品のタイトルが制作の年月日のみで統一され、解説のキャプションなどが一切ないことに気がつきます。
東京国立博物館 学芸研究部調査研究課長の松嶋雅人さんは、こうした展示は横尾さんの意向を反映した形だと話します。
「横尾さんご自身は、作品1枚1枚に何かメッセージを込めるとか、何かを伝えようとか、そういう意図は全くないとおっしゃっていました。頭で考えて描くという形ではなく、筋肉、肉体から湧き上がったものをキャンバスに置いてきた。それを自由に想像・解釈しながらご覧いただきたいというお考えです」


特定のモチーフが一連のフェーズを形成しているケースも多く、たとえばそれは「赤い布」です。
《2022-03-24》は赤い敷布の上でくつろぐ寒山拾得と女性が描かれていますが、これは明らかに19世紀フランスの画家エデュアール・マネの名画《草上の昼食》のパロディーでしょう。似たような構図で《2022-05-01》がありますが、こちらは同館が所蔵する国宝である江戸時代の絵師・久隅守景の《納涼図屏風》にそっくり。

その数日後に制作された《2022-05-05》では、アラビアンナイトのように赤い魔法の絨毯に乗って楽しげに空を飛びまわっています。そして《2022-05-28》を見ると、今度はまるでハリー・ポッターの世界。それぞれで勝手に飛びたくなったのか、赤い絨毯からほうきへ乗り換えていました。

このように、横尾さんの寒山拾得像は次々にイメージからイメージが連想され、百面相のごとく変容していきます。




アルセーヌ・ルパンやドン・キホーテに扮したかと思えば、水墨山水画で描かれるような巨大な山のような体や、AIやロボットをイメージした無機質で幾何学的な形態にも変貌。女装したり、二人で一つに融合したり、もはやどこにいるのか判別できないほど風景に溶け込んだりと、やりたい放題している寒山拾得。
また、伝統的な画題である「四睡図」のように、寒山拾得だけでなく二人の師である豊干(ぶかん)禅師や虎と一緒にいたり、アインシュタインやエドガー・アラン・ポー、大谷翔平が顔を出したり。東京五輪、サッカーワールドカップといった世相を反映した作品もチラホラ……。
時間も場所も大きさも実在も架空もお構いなしに駆け巡る、自由自在な寒山拾得の物語がそこにはありました。


作家のもつ多面性が寒山拾得の姿を借りて飛びだしたかのような、これらの作品の多様性は、横尾さん本人が表現するところの「肉体脳」によるもの。
様式や拘りに囚われず、肉体の開放にまかせるまま筆を運ばせた結果として生まれたものです。昨日と今日とで変化する生理であるとか、その日に視界に入ったものであるとか、そのときどきの作家の肉体的発露はどこか日記的にも感じられました。
肉体的不自由さから獲得した「朦朧体」で、自由な新境地をひらく

柔らかく優しいタッチの描写が多いですが、横尾さんはこの描画スタイルを「朦朧体」と呼んでいます。
朦朧体は本来、明治時代に確立させた日本画の技法を指しますが、横尾さんにとっての朦朧体は、2015年に発症した難聴の症状の影響で視界や頭の中まで不明瞭になり、事物の境目や夢と現実の区別までも曖昧になったこと。腱鞘炎により明確な強い線を引きづらくなったこと。このような肉体の変化によって獲得したものです。
筆を重ねることで曖昧になった輪郭は、時に時空の壁を無力化し、時に作者の意図をこえて過去や技術という束縛から離れ、見る者の心を溶かすような開放的な印象を与えてくれます。

作品のほとんどはF100号かF150号サイズの大型キャンバスに描かれて迫力があるうえ、アクリルケースなどのカバーがないため、間近で筆致や色の重なりを鑑賞することが可能です。
画面が明るく、赤や黄色などの暖色系の原色が多く使用されていることもあり、どこか肩の力が抜けるような安らぎや元気をもらえるようでした。
現存作家の展覧会を開催するのは、同館の歴史上まれとのこと。同館にとっても特別な位置づけとなった本展で、80代にして新境地を切り開いた横尾忠則さんの自由な世界に触れてみてはいかがでしょうか。

なお、本展の関連企画として、東京国立博物館 本館特別1室では特集「東京国立博物館の寒山拾得図─伝説の風狂僧への憧れ─」を2023年9月12日(火)から11月5日(日)まで開催中。
※本展のチケットで鑑賞可能です。前期・後期で展示替えがありますので詳しくは公式サイトをご確認ください。

国宝の因陀羅筆《寒山拾得図(禅機図断簡)》をはじめ、同館の所蔵する古典的な「寒山拾得図」を一堂に集めて紹介しています。寒山拾得図の変遷を追いながら、最新の横尾作品と比べてみるのも面白いかもしれません。
1936年生まれ、兵庫県出身。1960年代に日本の前衛シーンやポップカルチャーを代表するグラフィック・デザイナー、イラストレーターとして脚光を浴びます。唐十郎や寺山修司といった舞台のポスターを数多く手がけ、1981年のいわゆる「画家宣言」以降は美術家として活躍。主題や様式にとらわれない自由なスタイルの絵画作品を第一線で生みだし続け、国際的に高い評価を得ています。
近年では、自らのキュレーションによる「横尾忠則 自我自損展」(横尾忠則現代美術館、2019年)、500点以上の作品を一堂に集めた大規模個展「GENKYO 横尾忠則 原郷から幻境へ、そして現況は?」(東京都現代美術館、2021年)などを開催。
「横尾忠則 寒山百得」展
会期 | 2023年9月12日(火)~12月3日(日) |
会場 | 東京国立博物館 表慶館 |
開館時間 | 午前9時30分~午後5時 ※入館は閉館の30分前まで |
休館日 | 月曜日、10月10日(火) ※ただし10月9日(月・祝)は開館 |
観覧料(税込) | 一般 1600円 / 大学生 1400円 / 高校生 1000円 / 中学生以下 無料 ※そのほか、詳細は展覧会公式サイトをご確認ください。 |
主催 | 東京国立博物館、読売新聞社、文化庁 |
お問い合わせ | 050-5541-8600(ハローダイヤル) |
展覧会公式サイト | https://tsumugu.yomiuri.co.jp/kanzanhyakutoku |
※記事の内容は取材日時点のものです。最新情報は公式サイト等でご確認ください。
記事提供:ココシル上野