【上野の森美術館】「モネ 連作の情景」取材レポート。展示作品はすべてモネ、〈積みわら〉〈睡蓮〉など代表作が一堂に

上野の森美術館
会場風景、左から《睡蓮》1897-98年頃、ロサンゼルス・カウンティ美術館蔵/《芍薬》1887年、ジュネーヴ美術歴史博物館蔵

印象派の巨匠クロード・モネの生涯を、〈積みわら〉や〈睡蓮〉の連作をはじめとする代表作60点以上で辿る展覧会「モネ 連作の情景」が上野の森美術館で開催中です。
会期は2024年1月28日まで。

開催に先立って行われた報道内覧会に参加してきましたので、会場の様子を詳しくレポートします。

会場エントランスにある、モネが自宅に造った「睡蓮の池」をイメージしたインスタレーション。歩くと波紋が広がり、水の上を歩いている気分に。
会場風景、左から《海辺の船》1881年、東京富士美術館蔵/《3艘の漁船》1886年、ブダペスト国立美術館蔵
会場風景、左から《クルーズ渓谷、日没》1889年、ウンターリンデン美術館蔵/《クルーズ渓谷、曇り》1889年、フォン・デア・ハイト美術館蔵
会場風景、手前は《チャリング・クロス橋、テムズ川》1903年、リヨン美術館蔵

展示作品すべてがモネ。国内外40館以上の協力で実現した貴重な展覧会

印象派を代表する巨匠クロード・モネ(1840-1926)。

自然の光と色彩に対する並外れた感覚をもっていたモネは、同じ場所やモティーフを異なる季節や天候、時刻のなかで観察し、刻々と変化する印象や光の動きの瞬間性を複数のカンヴァスに連続して描きとめるという、それまでにない革新的な「連作」の表現手法を確立した画家として知られています。

本展は、1874年の印象派の誕生(第1回印象派展の開催)から150年の節目を迎えることを記念して開催されるもので、〈積みわら〉や〈睡蓮〉といったモネの多彩なモティーフの連作絵画に焦点を当てつつ、日本初公開となる人物画の大作《昼食》など印象派として名が知られる以前の作品も紹介。国内外40館以上から集められた代表作60点以上を通じて、時間と光とのたゆまぬ対話を続けたモネの生涯を辿ることができます。

印象派への転機となった初期の大作《昼食》が日本初公開

展示は時系列の全5章構成となっています。

モネは1840年のパリに生まれ、少年時代をノルマンディー地方の港町で過ごしました。15歳頃からカリカチュア(似顔絵)の名手としてすでに地元で頭角を現し、17歳の頃、風景画家ウジェーヌ・ブーダンからの助言によって戸外で風景画を描き始めます。

第1章展示風景、手前は《ルーヴル河岸》1867年頃、デン・ハーグ美術館蔵

パリでの画家修業を経て、1865年には当時のフランスの芸術家にとっては唯一の登竜門であり、最高の市場でもあった伝統的な公募展「サロン(官展)」で2点の風景画が初挑戦ながら入選。順調なデビューを果たしたものの、1867年からサロンの審査基準が厳しく保守的になって以降は評価を得られず。1870年、周到に準備した高さ230cmを超える渾身作《昼食》(1868-69)も落選の憂き目に遭います。

第1章「印象派以前のモネ」では、その《昼食》が日本初公開されるほか、普仏戦争から逃れ、1871年から滞在したオランダの水辺の景色を描いた風景画や肖像画などが並びます。

第1章展示風景、左から《グルテ・ファン・ド・シュタート嬢の肖像》1871年、クレラー゠ミュラー美術館蔵/《昼食》1868-69年、シュテーデル美術館蔵

《昼食》で描かれているのは、経済的な理由で別居が続いていた、後に結婚するカミーユと息子のジャンと一緒に暮らし始めた頃の何気ない食卓の光景。希少な「モネの黒」を味わえる初期の代表作ですが、一説には、大胆に粗い筆致で明るい色を配する表現の新しさや、物語性の希薄な日常の光景をあたかも偉大な絵画のような大画面に描いたことなどが、新古典主義を重視する審査員の不興を買ったと考えられているとか。

この落選を機に、モネは目指す芸術性の異なるサロンと距離を置き、本格的な印象主義へと向かうことになります。

第1章展示風景、左から《ザーン川の岸辺の家々》1871年、シュテーデル美術館蔵/《ザーンダムの港》1871年、ハッソ・プラットナー・コレクション蔵

モネは1871年末からパリ郊外のセーヌ川沿いの町、風光明媚なアルジャントゥイユに転居し、同地を訪れたマネやルノワールらとともに制作に励みました。新たな発表の場を求めて、1874年にはパリで同志たちと「第1回印象派展」を開催します。注目は集めたものの、売り上げは芳しくなく経済的に困窮。さらに、1879年には最良のモデルであり理解者でもあった妻カミーユを病で失います。

第2章「印象派の画家、モネ」では、1870〜80年代、そんな苦しい環境にあったモネがセーヌ川流域を拠点に各地を訪れて制作した、印象派らしい多様な風景画を展示。モネが愛したのは、刻々と近代化する都会の街景よりも自然の情景、とくに水辺の景色でした。

第2章展示風景、手前は《モネのアトリエ舟》1874年、クレラー゠ミュラー美術館蔵

この頃のモネは風景画家シャルル゠フランソワ・ドービニーを真似て、《モネのアトリエ舟》(1874)で描かれている、ボートの上に小屋を設えたユニークなアトリエ舟を造っています。戸外制作につきものの悪天候にも耐えられるこの乗り物で自在に移動し、水上ならではの視点からの景色を数多く作品に残しました。

第2章展示風景、手前は《ヴェトゥイユの教会》1880年、サウサンプトン市立美術館蔵

とりわけモネを惹きつけたのは、ヴェトゥイユという小さな村の教会を含む一帯をセーヌ川から臨んだ風景で、モネはこの主題を繰り返し描いています。なかでもサウサンプトン市立美術館所蔵の《ヴェトゥイユの教会》(1880)はこの時期の傑作と名高く、絶えず揺れる水面の映り込み、その一瞬を見えるがまま描き出そうと、カンヴァスに絵の具を大胆な筆致で素早く載せている点が見どころです。

同章でほかに目を引いたのは、ヴェトゥイユの荒涼とした冬景色を、同時期のほかの作品と比べるとやや抽象的に、乱暴とも思えるような筆致で描いた《ヴェトゥイユ下流のセーヌ川》(1879)です。

第2章展示風景、手前は《ヴェトゥイユ下流のセーヌ川》1879年、ジュネーヴ美術歴史博物館蔵

同じくヴェトゥイユの自然を主題にした作品に、同居していたオシュデ家の夫人アリスと思しき女性や子供とともに描いた《ヴェトゥイユの春》(1880)がありますが、そちらは春の草木の生き生きとした様子を、短く太めのタッチや細く短い線、波のように連なるリズミカルな線で、柔らかなピンクを交えて表情豊かに描いています。

2作品を比べてみると、明らかに後者が絵として安定している印象を受けました。暖かな春の訪れと親しい者たちの存在が、妻カミーユを失ったモネの深い悲しみを少しずつ慰めたのだろうか、などと想像がふくらみます。

「連作」着想へ向けて。同じ主題で緩やかに結びつく作品群

19世紀後半における鉄道網の発達によってヨーロッパ各地を精力的に旅したモネは、人で賑わう行楽地ではなく人影のない海岸など自然風景を好み、ひとつの場所で数か月かけて集中的に、または年単位で再訪しながら制作を行いました。

第3章「テーマへの集中」では、モネを魅了したノルマンディー地方プールヴィルの海岸やエトルタの奇岩など、ひとつの風景の多様な表情を収めた作品を紹介しています。

第3章展示風景、左から《プールヴィルの断崖》1882年、トゥウェンテ国立美術館蔵/《プールヴィルの断崖》1882年、東京富士美術館蔵

なかでも興味深いのはプールヴィルの海岸を扱った4点。1882年作の2点の《プールヴィルの断崖》と、その15年後、1897年作の《プールヴィルの崖、朝》《波立つプールヴィルの海》は、いずれも海岸一帯に見える断崖、砂浜、海、空を似たような構図で描いています。

しかし、1882年の作品では目立つ断崖や岩礁にはっきりモティーフとしての力点を感じるのに比べて、1897年の作品はモティーフの主張が弱まり、むしろ変化する天候や海の状態、全体の雰囲気に意識を向けているように感じます。

第3章会場風景、左から《波立つプールヴィルの海》1897年、国立西洋美術館(松方コレクション)蔵/《プールヴィルの崖、朝》1897年、福田美術館蔵

この4点は、モネのスタイルの変遷、同じ場所で10年以上の歳月をまたいで描かれた作品だからこそわかる目線を如実に伝えていました。

第3章会場風景、左から《ラ・マンヌポルト(エトルタ)》1883年、メトロポリタン美術館蔵/《エトルタのラ・マンヌポルト》1886年、メトロポリタン美術館蔵

その他にも《ラ・マンヌポルト(エトルタ)》(1883)と《エトルタのラ・マンヌポルト》(1886)などは、緩やかなつながりを感じさせる、ある種の秩序をもった作品群、同じテーマに基づくバリエーションのようなものと表現できます。こうした過程を経てモネは、ひとつの主題について何点もの絵画を「連作」として描くことを着想しました。

第3章展示風景、手前は《ヴェンティミーリアの眺め》1884年、グラスゴー・ライフ・ミュージアム蔵(グラスゴー市議会委託)
第4章展示風景、左から《積みわら》1885年、大原美術館蔵/《ジヴェルニーの積みわら》1884年、ポーラ美術館蔵

第4章「連作の画家、モネ」からは、いよいよ本展のメインである「連作」の代表作が並びます。

1883年、42歳のモネは終の棲家として、セーヌ川流域のジヴェルニーに移り住みます。この地で秋になると目にする風物詩であった積みわらをモティーフにするにあたり、モネは当初ありのままに描きましたが、1890年前後には複数のカンヴァスを並べて、天候や時間による光の効果で刻々と変化する様子を同時進行で描写。1891年にパリのデュラン゠リュエル画廊で個展を開催し、それらを「連作」として展示すると劇的な大成功を収め、フランスを代表する画家として国内外で名声を築きました。

この〈積みわら〉が、モネが体系的な「連作」の手法を本格的に実践した最初のシリーズだと考えられています。

第4章展示風景、手前は《積みわら、雪の効果》1891年、スコットランド・ナショナル・ギャラリー蔵

本展に出品された《積みわら、雪の効果》(1891)は、1891年にデュラン゠リュエル画廊で展示された15点のうちの1点。積みわらを画面手前に大きく配置し、ほとんど影になった積みわらと輝かんばかりの雪のドラマティックなコントラストが美しい作品です。

以降、「連作」はいくつものモティーフで手掛けられ、1899年からはロンドンで〈ウォータールー橋〉〈チャリング・クロス橋〉などを数年かけて描いています。

〈ウォータールー橋〉はロンドンの連作のなかで最多の41点を数え、会場にはそのうちの曇り、夕暮れ、日没を描いた3点が出品。

画面は湿り気のある大気が充満したようで、いずれもモティーフとなった橋の細部は省略され、柔らかなシルエットがテムズ川の霧の中でかすむように浮かびます。光のプリズムが生み出す色彩の微妙なハーモニーこそが見どころであり、摺り色を変える木版画のように、構図が同一であるからこそ色彩の表情の個性が際立っています。

第4章展示風景、左から《ウォータールー橋、ロンドン、日没》1904年、ワシントン・ナショナル・ギャラリー蔵/《ウォータールー橋、ロンドン、夕暮れ》1904年、ワシントン・ナショナル・ギャラリー蔵/《ウォータールー橋、曇り》1900年、ヒュー・レイン・ギャラリー蔵

ひとつの主題をさまざまな色と光の視覚効果のなかで繰り返し鑑賞させることで、鑑賞者を作品に取り込み、画面上には存在し得ない、モネ自身が体験したであろう「時間」を追体験させる。こうした没入感を体験させることも、モネの「連作」の狙いだったのではないでしょうか。

単純な光と色彩の探求というだけでなく、「連作」は互いにどのように機能し合うのか、また鑑賞者にどのような効果を生むのか、「連作」でしかなしえない新たな芸術を創造しようとするモネの確固たる意志を感じました。

モネを「抽象絵画の祖」たらしめた〈睡蓮〉

ジヴェルニーの自宅は、モネの理想が詰め込まれた最大の着想源でした。モネは藤や芍薬など四季折々の花が咲き乱れる「花の庭」と、日本庭園から着想を得た”モネの最高傑作”とも呼ばれる「水の庭」を、絵の題材にする目的で何年もかけて整備。この「水の庭」の池で庭師の手を入れて育てていたのが、晩年最大の連作のモティーフになった睡蓮です。後妻のアリスや家族に支えられ、モネは視覚障害に悩みながらも86歳で亡くなるまで制作を続けました。

最後の第5章「『睡蓮』とジヴェルニーの庭」ではジヴェルニーの光景や、睡蓮をはじめとするモネが愛した庭のさまざまな情景を紹介しています。

第5章展示風景、左から《睡蓮》1897-98年頃、ロサンゼルス・カウンティ美術館蔵/《芍薬》1887年、ジュネーヴ美術歴史博物館蔵

モネが睡蓮の花を集中的に描き始めたのは池の造成を始めてから4年後の1897年夏のことで、《睡蓮》(1897-98頃)はその最初期に制作された8点のうちの1点。池の水面に接近して、睡蓮の花と葉をクローズアップした構図で捉え、くっきりとしたフォルムで描いています。花の大胆すぎる筆致が遠目には艶やかな立体感として立ち上がってくる点に目が引かれました。

この時点で、暗い水面に池の周囲の樹木や空の反映はなく、モネの視線は睡蓮だけを注視しているのがわかります。年を経るごとに視線は水面に集中。視力の衰えとともに奥行きはなくなり、筆致はより粗く、鏡のように周囲を映す水面で形と色と光は溶け合い、まるで抽象絵画のように変化していきました。

第5章展示風景、左から《睡蓮の池の片隅》1918年、ジュネーヴ美術歴史博物館蔵/《睡蓮の池》1918年頃、ハッソ・プラットナー・コレクション蔵

そうした晩年の作品群は、20世紀半ばの抽象美術家を刺激し、モネ芸術は新たな注目と再評価を受けることになりました。

「100%モネ」、それも素描や下描きのない、1点1点がモネの代表的な油彩画である貴重な展覧会。モネの印象派以前から晩年までのスタイルの変遷がわかる、モネ初心者にもおすすめしたい内容になっています。ぜひ足を運んでみてください。

「モネ 連作の情景」概要

会期 2023年10月20日(金)~2024年1月28日(日)まで
会場 上野の森美術館(東京都台東区上野公園 1-2)
※JR上野駅公園口より徒歩3分
開館時間 9:00~17:00(金・土・祝日は~19:00)
※入館は閉館の30分前まで
休館日 2023年12月31日(日)、2024年1月1日(月・祝)
入館料(税込) 日時指定予約推奨
[平日(月~金)] 一般 2,800円/大学・専門学校・高校生 1,600円/中学・小学生 1,000円
[土・日・祝日] 一般 3,000円/大学・専門学校・高校生 1,800円/中学・小学生 1,200円

※未就学児は無料、日時指定予約は不要です。
※その他、詳細は展覧会公式サイトチケットページよりご確認ください。

主催 産経新聞社、フジテレビジョン、ソニー・ミュージックエンタテインメント、上野の森美術館
お問い合わせ 050-5541-8600(ハローダイヤル) 全日9:00~20:00
公式サイト www.monet2023.jp

※※記事の内容は取材日(2023/10/19)時点のものです。最新情報は公式サイト等でご確認ください。


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美麗かつ、壮大。伝統の「やまと絵」の世界を闊歩する。【東京国立博物館】特別展「やまと絵 -受け継がれる王朝の美-」(~12/3)内覧会レポート

東京国立博物館

平安時代前期に成立し、さまざまな変化を遂げながら描き継がれてきた「やまと絵」。

東京国立博物館で開催される特別展「やまと絵-受け継がれる王朝の美-」は、常に革新的であり続けてきたやまと絵の系譜をたどる展覧会だ。

本記事では開催前日に行われた報道内覧会の様子をレポートする。

やまと絵とは?

展覧会場風景
国宝《山水屛風》(鎌倉時代・13世紀 京都・神護寺蔵)展示期間:10/11~11/5
国宝《一字蓮台法華経》(平安時代・12世紀 奈良・大和文華館蔵)展示期間:10/11-11/5
重要文化財《紫式部日記絵巻断簡》(鎌倉時代・13世紀 東京国立博物館蔵)

特別展「やまと絵-受け継がれる王朝の美-」は、平安時代以降、連綿と描き継がれてきた「やまと絵」に焦点を当てた展覧会。
しかし、興味深いのは「やまと絵」の概念は時代によって大きく変化してきたという点です。

平安時代から鎌倉時代頃にかけては、中国的な主題を描く「唐絵」に対し、日本の風景や人物を描く作品を「やまと絵」と呼んでいましたが、それ以降は、水墨画など中国の新しい様式による絵画を「漢画」と呼ぶのに対し、前代までの伝統的なスタイルに基づく作品を「やまと絵」と呼びました。
つまり、つねに「やまと絵」は異国由来の絵画に対する対概念として存在していたのです。

本展では、王朝美の精華を受け継ぎながらも常にそのあり方を変化させてきた「やまと絵」を、特に平安時代から室町時代の優品を精選して紹介しています。

日本美術の「実物教科書」が目白押し!

重要文化財《十界図屛風》(南北朝時代・14世紀 奈良・當麻寺奥院蔵)展示期間:10/15-11/5
国宝《地獄草紙》(平安時代 12世紀 東京国立博物館蔵)展示期間:10/15-11/5
国宝《蒔絵箏(本宮御料古神宝類のうち)》(平安時代・12世紀 奈良・春日大社蔵)展示期間:10/11~11/5
重要文化財《誉田宗庿縁起絵巻 巻下》(粟田口隆光筆 室町時代 永享5(1433)年 大阪・誉田八幡宮蔵)展示期間:10/11~11/5

本展は全6章構成。

序章 伝統と革新—やまと絵の変遷—
第1章 やまと絵の成立—平安時代—
第2章 やまと絵の新様—鎌倉時代—
第3章 やまと絵の成熟—南北朝・室町時代—
第4章 宮廷絵所の系譜
終章 やまと絵と四季—受け継がれる王朝の美—

唐絵や漢画といった外来美術の理念や技法との交渉を繰り返しながら、独自の発展を遂げてきたやまと絵の変遷を、各時代の特色とともに作品を通じて体感できる構成になっています。

これぞ日本美術の王道!ともいえる教科書的な作品、美術全集などでおなじみの作品が一堂に会するさまは壮観そのもの。
総件数245件の7割超が国宝、重要文化財で、会場には絵画のみならず、書跡や工芸作品など、やまと絵の美意識を支えた同時代の作品も数多く出品されています。

重要文化財《浜松図屛風》(室町時代・15-16世紀 東京国立博物館蔵)展示期間:10/11~11/5

その中でも「本展一押し」の作品とされるのが、室町時代やまと絵屈指の優品として名高い重要文化財《浜松図屏風》(東京国立博物館蔵)。

まぶしく輝く浜辺の風景に多くの花木や草花、鳥の姿を重ね、画面右から左に移ろう季節が表わされており、大変にぎやかな印象を受ける大作です。古代・中世やまと絵のさまざまな要素を集約した「究極のやまと絵」とのこと。

実際に間近で観ると画面全体が鈍く光を放っているようにも見えるのですが、これは下地に雲母(きら。層状のケイ酸塩鉱物)を掃く室町時代やまと絵特有の技法によるものだそうです。後世の安土桃山時代のような金を前面に押し出した華やかさとは違う、まるで月夜の薄明りのような輝き・・・。どこか、日本人の奥ゆかしい美意識の一端が感じられます。

日本絵巻史上の最高傑作、「四大絵巻」が集う

国宝《信貴山縁起絵巻・飛倉巻》(平安時代・12世紀 奈良・朝護孫子寺蔵)展示期間:10/11~11/5

また、数ある絵巻物のなかでも最高傑作として名高いのが平安時代末期に制作された「四大絵巻」。
本展では現存最古にして最高峰の王朝物語絵巻である《源氏物語絵巻》をはじめとして、《信貴山縁起絵巻》《伴大納言絵巻》、そして有名な《鳥獣戯画》(いずれも国宝)が一同に会します。

国宝《鳥獣戯画 甲巻》(平安〜鎌倉時代・12世紀 京都・高山寺蔵)展示期間:10/11~10/22

こちらは四大絵巻のひとつ国宝《鳥獣戯画》(京都・高山寺蔵)。2015年に東京国立博物館で開催された「鳥獣戯画展」の大変な混雑ぶりが記憶に強く残っていますが、そのユーモラスさと愛らしさから多くの人に親しまれてきた作品です。
四季の移ろい、月ごとの行事、花鳥・山水やさまざまな物語・・・やまと絵にはあらゆるテーマが描かれてきましたが、やはりこの《鳥獣戯画》に描かれた躍動感あふれる動物たちは、その中でも一際異彩を放っています。

第3章展示風景

本展は4つの展示期間(①10/11(水)~22(日)  ➁10/24(火)~11/5(日)  ③11/7(火)~19(日)   ④11/21(火)~12/3(日))にしたがって展示替えを行いますが、10/11~22にはなんと30年ぶりに四大絵巻が集結。
このほかの期間にも、三大装飾経(久能寺経、平家納経、慈光寺経)や、やまと絵肖像画の大作として知られる神護寺三像(伝頼朝像、伝平重盛像、伝藤原光能像)(いずれもすべて国宝)といった古代・中世の名品が続々登場するなど、注目作品が目白押しです。

本展を担当した東京国立博物館 学芸研究部調査研究課 絵画・彫刻室長の土屋貴裕さんは
「半分以下の作品数でも展覧会が成立するほど多くの作品が集まった展覧会で、2週間ごとの展示替えにより、より多くの作品と出会えると思う。ぜひ何度も会場に足を運んでほしい」
と、来場者に向けて話されていました。

千年を超す歳月の中、脈々と受け継がれ、変化を遂げてきた「やまと絵」の世界。
ぜひ、直接会場に足を運んでご覧ください。

※それぞれの作品の展示期間は公式サイトの「出品目録」からご覧ください。

開催概要

会期 2023年10月11日(水)~12月3日(日)
※会期中一部作品の展示替えおよび巻替えあり
会場 東京国立博物館 平成館(上野公園)
開館時間 9時30分~17時00分
※金曜・土曜は20時まで開館(総合文化展は17時閉館、ただし11月3日(金・祝)より、金曜・土曜は19時閉館)
※最終入場は閉館の60分前まで
休館日 月曜日
※ただし本展のみ11月27日(月)は開館
観覧料(税込) 一般  2,100円
大学生 1,300円
高校生  900円※土・日・祝日のみ事前予約制(日時指定)
※混雑時は入場をお待ちいただく可能性があります。
※中学生以下無料。ただし土・日・祝日は事前予約が必要です。入館の際には学生証をご提示ください。
※障がい者とその介護者1名は無料。土・日・祝日も事前予約は不要。入館の際に障がい者手帳等をご提示ください。
※本展観覧券で、ご観覧当日に限り総合文化展もご覧いただけます。
(注)詳細は展覧会公式サイトチケット情報のページでご確認ください
主催 東京国立博物館、NHK、NHKプロモーション、読売新聞社
お問い合わせ 050-5541-8600(ハローダイヤル)
展覧会公式サイト https://yamatoe2023.jp/

※記事の内容は取材時のものです。最新の情報と異なる場合がありますので、詳細は展覧会公式サイト等でご確認ください。また、本記事で取り上げた作品がすでに展示終了している可能性もあります。


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【会場レポート】「永遠の都ローマ展」が東京都美術館で開幕。古代ヴィーナス像の傑作が初来日

東京都美術館
《カピトリーノのヴィーナス》2世紀、カピトリーノ美術館蔵

ローマの中心にあるカピトリーノ美術館の所蔵品を中心に、建国から近代までのローマの美の歴史を紹介する展覧会「永遠の都ローマ展」が東京都美術館で開幕しました。会期は2023年9月16日(土)~12月10日(日)まで。

会場を取材しましたので、展示の様子をレポートします。

展示風景
展示風景
展示風景、左からアントニオ・カノーヴァ《パイエーケス人の踊り》1806年、ヴィラ・トルロニア美術館蔵/ 《マイナスを表わす浮彫の断片》前1世紀末-後1世紀、カピトリーノ美術館蔵

ローマの栄光と美の歴史をたたえるカピトリーノ美術館

古代には最高神ユピテルら神々を祀る神殿がそびえるなど、長くローマ人たちの宗教的・政治的・文化的な中心地であり、現在はローマ市庁舎が置かれるカピトリーノの丘。そこの丘に建つカピトリーノ美術館は、世界的にもっとも歴史の古い美術館の一つに数えられます。

1471年ルネサンス期の教皇シクストゥス4世が、ローマ市民の自尊心を鼓舞するとともに自身が古代ローマの正統な継承者であることを示す目的で、4点の古代彫刻をローマ市民に寄贈・カピトリーノの丘に設置したことをきっかけに同館が設立。1734年からは一般に向けて公開がはじまり、ローマで発掘された古代遺物やヴァティカンに由来する彫刻、またローマの名家が所有する美術品など、充実したコレクションを築いていきました。

本展はカピトリーノ美術館の所蔵品を中心に、建国神話からはじまり、古代ローマ時代の栄光、芸術の最盛期を迎えたルネサンスからバロック、芸術家たちの憧れの地となった17世紀以降まで、「永遠の都」と称されるローマの壮大な歴史と芸術を約70点の彫刻、絵画、版画などを通じて紹介するものです。

年代順に続く全5章のセクションのほか、岩倉使節団が同館を訪ねてちょうど150年目の節目となることにちなみ、同館と日本の交流を紹介する特集展示も設けられています。

 

前753年に建国したとされる古代ローマの伝承や神話を紐解く第1章「ローマ建国神話の創造」では、出発点としてローマのシンボルともいえる有名な作品《カピトリーノの牝狼(複製)》が置かれていました。

《カピトリーノの牝狼(複製)》20世紀(原作は前5世紀)、ローマ市庁舎蔵

本作のオリジナルは、カピトリーノ美術館の始まりである4点の古代彫刻のうちの一つ。紀元前5世紀に作られたものとされています。(出展されているのはローマ市庁舎が所蔵する後世の複製作品)

ローマ建国神話を題材にした詩人ウェルギリウスの叙事詩 『アエネイス』 のエピソードのうち、軍神マルスと巫女レア・シルウィアの間に生まれた初代ローマ王ロムルスとその弟レムスを育てた牝狼の物語に基づいています。

本来は牝狼のみだったものが、ルネサンス期に乳を飲む双子の彫像が付け加えられたとのこと。牝狼の見開いた目や毛並みなどが様式的ながら繊細に表現されています。

双子に乳を与える牝狼の像はローマ市内に祀られ、建国神話の体現として帝国の歴史とともに歩み続けることで、公共記念碑や貨幣といった公的美術、詩的な装身具、祭礼美術に至るまでさまざまな媒体の図像表現に影響を与えていきました。《カピトリーノの牝狼》は後世で加えられた双子像を除き、そのアイコンともいえる現存作品なのです。

《ドラクマ銀貨:ヘラクレス(表)、双子に乳を与える牝狼(裏)》(上は裏面)前265年または以後(共和政期)、カピトリーノ美術館蔵

シンボルとしての絶大な影響力を示すように、第1章ではほかにも《ドラクマ銀貨》《ボルセナの鏡》(前4世紀)など、牝狼の姿が描かれた作品がいくつもありました。

第2章「古代ローマ帝国の栄光」の展示風景

前27年以降の帝政期には、帝国の繁栄とともに肖像が発展。威厳ある表情や写実性のある歴代ローマ皇帝の肖像は、プロパガンダの手段として機能したほか、一般市民の私的肖像にも影響を及ぼし、さまざまな流行の装いやポーズ、髪型などを普及させたといいます。

第2章「古代ローマ帝国の栄光」では、古代ローマ帝国の礎を築いたユリウス・カエサルやアウグストゥスの頭部彫刻をはじめ、それぞれの「時代の顔」を通じて栄光の時代をたどりながら、当時の文化的、社会的、政治的な変化を伝えています。

《アウグストゥスの肖像》1世紀初頭、カピトリーノ美術館蔵

ここではカピトリーノ美術館が所蔵する2体の《コンスタンティヌス帝の巨像》の断片を、精巧な原寸大複製で展示していて迫力がありました。《コンスタンティヌス帝の巨像》もまた、教皇シクストゥス4世がローマ市民に寄贈した古代彫刻の一つです。

《コンスタンティヌス帝の巨像の頭部(複製)》1930年代(原作は330-37年)、ローマ文明博物館蔵

コンスタンティヌス(在位306-337)はローマ帝国でもっとも重要な皇帝のうちの一人。分裂していた帝国を再統一し、キリスト教を国教と認め自らも信徒となった初のローマ皇帝として知られています。

頭部だけで高さ約1.8メートル。そのスケール感はかつての栄華を思わせます。こけた頬、厳格な目の下の涙袋、口元のしわから、晩年の皇帝の姿を捉えたものと考えられているとか。りりしい表情のなかでも、遠くを見通すようにやや上方を向いた瞳が印象的。当時の人々が皇帝に抱いた高い理想を反映したかのように超然とした雰囲気です。

《コンスタンティヌス帝の巨像の頭部(複製)》1930年代(原作は330-37年)、ローマ文明博物館蔵

頭部のほか、左足、左手、さらに近年になってルーヴル美術館で発見された左手の人差し指も、本展のために新たに複製されたものが一緒に紹介されていました。

《コンスタンティヌス帝の巨像の左手(複製)》1996年(原作は330-37年)、ローマ文明博物館蔵

門外不出の至宝《カピトリーノのヴィーナス》を見逃すな!

また、第2章に展示された《カピトリーノのヴィーナス》は本展の一番の注目作品です。

《カピトリーノのヴィーナス》2世紀、カピトリーノ美術館蔵

古代ギリシャの偉大な彫刻家プラクシテレスが前4世紀に制作したアフロディテ(ヴィーナスと同一視されるギリシャ神話の愛の女神)の像に基づいた2世紀の作品です。

ヴィーナス像の典型的な恥じらいのポーズをとり、優美な体の曲線とふっくらとした肌の質感の表現が非常に美しく魅力的。よく見ると、頭の天辺で蝶結びのように髪をまとめて、うなじのあたりでもシニョンを作り、さらに二股に髪を下すというちょっと面白い髪形をしています。

《カピトリーノのヴィーナス》2世紀、カピトリーノ美術館蔵

ミロのヴィーナス(ルーヴル美術館)、メディチのヴィーナス(ウフィッツィ美術館)に並ぶ古代ヴィーナス像の傑作として知られている同作。じつは、カピトリーノ美術館以外に持ち出されるのは1752年の収蔵以来、一時的にナポレオン率いるフランス軍に接収された件を含めて今回で3度目とのことで、まさに門外不出の至宝といえるでしょう。

この先、また日本で見られる機会があるのかわからない必見の作品です。

展示では、ふだん同作が置かれているカピトリーノ美術館の「ヴィーナスの間」と呼ばれる八角形の展示室をイメージした特別空間を用意。同じく床も、同館が位置するルネサンスの巨匠ミケランジェロによって設計されたカンピドリオ広場の模様で演出されていました。

《カピトリーノのヴィーナス》2世紀、カピトリーノ美術館蔵

なお、1537年から構想がスタートしたミケランジェロの都市計画、都市ローマの壮麗さを体現する広場と建物群によるアイコニックな美術館複合体の展開については、続く第3章「美術館の誕生からミケランジェロによる広場構想」で絵画や版画などを通して詳しく紹介しています。

第3章「美術館の誕生からミケランジェロによる広場構想」の展示風景、中央は《河神》3世紀半ば、カピトリーノ美術館蔵
エティエンヌ・デュペラック《カンピドリオ広場の眺め》1569年、ローマ美術館蔵
アゴスティーノ・タッシ《カンピドリオ広場に立つ五月祭のための宝の木》1631-32年、ローマ美術館蔵

第4章「絵画館コレクション」では、芸術庇護と学問の振興に力を注いだ教皇ベネディクトゥス14世が、1748年から1750年にかけて収集したイタリア名家旧蔵の絵画コレクションをもとに設立した絵画館のコレクション13点を展示。

左はドメニコ・ティントレット《キリストの鞭打ち》、1590年代、カピトリーノ美術館 絵画館蔵
左からピエトロ・ダ・コルトーナ《教皇ウルバヌス8世の肖像》1624-27年頃、《聖母子と天使たち》1625–30年、いずれもカピトリーノ美術館 絵画館蔵

イタリアバロックの巨匠ピエトロ・ダ・コルトーナから作者不明のものまで、いずれも16世紀から18世紀に活躍した画家たちの名品ばかり。当時のイタリアで主流だった画題や表現、また芸術のパトロンたちの関心を捉えた絵画とどんなものだったのかを伝えています。

 

17世紀以降、古代遺跡や教会建築の宝庫である都市ローマは、グランドツアーなどを介してイタリア内外の芸術家たちの芸術的霊感源となりました。

第5章「芸術の都ローマへの憧れ―空想と現実のあわい―」では、そんなローマでとくに芸術家やヨーロッパ君主たちを魅了したといわれる、トラヤヌス帝がダキア戦争で勝利したことを記念した約30メートルの古代記念碑「トラヤヌス帝記念柱」に関する版画や模型を展示。また、それら古代ローマ美術を発想源として制作された作品について取り上げています。

ジョヴァンニ・バッティスタ・ピラネージ《トラヤヌス帝記念柱の正面全景》1774-75年、ローマ美術館蔵
《モエシアの艦隊(トラヤヌス帝記念柱からの石膏複製)》1861-62年(原作は113年)、ローマ文明博物館蔵
カスパール・ファン・ヴィッテル《トル・ディ・ノーナの眺望》1682-88年、カピトリーノ美術館 絵画館蔵
ドメニコ・コルヴィ《ロムルスとレムスの発見(ビーテル・パウル・ルーベンスに基づく)》1764-66年、カピトリーノ美術館 絵画館蔵

マイセンの素焼き陶器《アモルとプシュケ》は30cmほどの小さな作品ですが、絡ませ合う肉体、とくに互いの頭を優しく抱える、円環を思わせる腕の配置は永遠の愛を象徴しているかのようで、その甘美な曲線にしばし見入りました。

同作はカピトリーノ美術館所蔵の有名な2世紀の大理石彫刻《アモルとプシュケ》に基づく複製。18世紀には古代美術愛好家の増加に伴い、有名な古代彫刻の縮小版を製作する新産業やそれを売買する市場が成長し、同作のような複製が数多く出回ったといいます。

《アモルとプシュケ》18世紀、カピトリーノ美術館 絵画館蔵

最後のフロアには特集展示「カピトリーノ美術館と日本」のコーナーがあります。

ちょうど150年前にあたる1873年、明治政府が欧米に派遣した岩倉使節団がカピトリーノ美術館を訪問。欧米の美術館・博物館を視察した彼らの経験は、明治政府の博物館政策や美術教育にも影響を与えました。

展示では、使節団の人々が現地で入手したと思われる絵はがきなどをもとに制作された視察報告書『米欧回覧実記』の挿絵や、19世紀初頭の日本の人々がヨーロッパに抱いていたエキゾチックなイメージが伝わる想像図《阿蘭陀フランスカノ伽藍之図》などを紹介しています。

右は伝歌川豊春(版元 西村屋与八)《阿蘭陀フランスカノ伽藍之図》1804-18年頃、中右コレクション蔵

また、1876年に日本最初の美術教育機関として工学寮美術校(のちの工部美術学校)が誕生した際、西洋美術教育のために招聘されたイタリア人教師らは教材として、有名な彫刻をモデルとする石膏像を持ち込みましたが、その中にはカピトリーノ美術館の石膏像も含まれていました。

その歴史を示すものとして、2世紀に制作されたカピトリーノ美術館所蔵の《ディオニュソスの頭部》と、同作を原作として複製・日本に持ち込まれた石膏像をさらに学生が課題で模写したと思われる《欧州婦人アリアンヌ半身》を並べて展示。時を越えたカピトリーノと日本のつながりを象徴しています。

左から《ディオニュソスの頭部》2世紀半ば、カピトリーノ美術館蔵 / 小栗令裕《欧州婦人アリアンヌ半身》1879年、東京大学大学院工学系研究科建築学専攻蔵

世界中の芸術家たちを魅了した都市ローマの壮大な美の歴史に浸れる「永遠の都ローマ展」。ぜひ足を運んでみてください。

「永遠の都ローマ展」概要

会期 2023年9月16日(土)~12月10日(日)
会場 東京都美術館
開室時間 9:30~17:30、金曜日は9:30~20:00(入室は閉室の30分前まで)
休室日 月曜日、10月10日(火)
※ただし、10月9日(月・祝)は開室
観覧料 一般2,200円、大学生・専門学校生1,300円、65歳以上1,500円、高校生以下 無料

※土日・祝日のみ日時指定予約制となっています。(当日の空きがあれば入場可)平日は日時指定予約不要です。
※そのほか、詳細は展覧会公式サイトのチケットページでご確認ください。

主催 公益財団法人東京都歴史文化財団 東京都美術館、毎日新聞社、NHK、NHKプロモーション
共催 ローマ市、ローマ市文化政策局、ローマ市文化財監督局
監修 クラウディオ・パリージ=プレシッチェ(ローマ市文化財監督官)
加藤磨珠枝(美術史家、立教大学文学部教授)
お問い合わせ 050-5541-8600(ハローダイヤル)
展覧会公式サイト https://roma2023-24.jp

※記事の内容は取材時点のものです。最新情報は公式サイト等でご確認ください。

 

記事提供:ココシル上野


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【取材レポート】新作102点、初公開!「横尾忠則 寒山百得」展が東京国立博物館で開催中。何物にも囚われない新境地をみる

東京国立博物館
左から《2023-01-15》、《2023-01-14》 いずれも2023年

東京・上野の東京国立博物館 表慶館では、2023年9月12日から「横尾忠則 寒山百得」展が開催中です。(会期は12月3日まで)

伝統的画題として知られる中国の風狂の僧を、現代美術家・横尾忠則さんが独自の解釈で再構築した「寒山拾得」シリーズのうち、新作102点を一挙初公開しています。

※作品画像について……特別な記載のないものはすべて横尾忠則作、作家蔵です。

会場風景
会場風景
会場風景

脱俗の振る舞いで憧れの対象となった寒山拾得

寒山(かんざん)と拾得(じっとく)は、中国・唐時代に生きたとされる伝説的な二人の詩僧です。

高い教養を持つ文人にもかかわらず洞窟の中に住み、残飯で腹を満たし、常軌を逸した発言をするなど、奇行が目立つ自由でエキセントリックな存在として知られています。中国禅宗においてはその脱俗の姿や振る舞いが悟りの境地であるとしてもてはやされ、寒山は文殊菩薩、拾得は普賢菩薩の化身であると神聖視されるようになります。
中国や鎌倉時代以降の日本で、寒山拾得は伝統的な画題として多くの禅僧や文人たちによって描かれ、近代では森鴎外や夏目漱石の小説でも憧れをもって取り上げられてきました。

 

そんな寒山拾得をテーマした作品を、日本を代表する現代美術家・横尾忠則さん(1936-)が初めて発表したのが2019年のこと。江戸時代の奇想の画家・曾我蕭白の代表作《寒山拾得図》にインスパイアされたものでした。

以降、形を多様に変化させながら「寒山拾得」シリーズを集中的に制作。新型コロナウイルス感染症のパンデミックの時期には外界との接触を避けながら、まるで寒山拾得の脱俗の境地のように、俗世から離れたアトリエで創作活動に勤しんだといいます。

左から《2023-01-15》、《2023-01-14》 いずれも2023年

今回展示されている「寒山拾得」シリーズの102点は、すべて本展のために描かれた未発表の新作です。

制作期間は2021年9月からの約1年。横尾さん自身が本展の報道発表会で「アーティストをやめてアスリートになろう(と考えた)」と語ったとおり、87歳とは思えないパワフルで挑戦的な精神のもと、ときには一日3点を描き上げたこともあるなど驚異のスピードで制作されました。

時空を超えて、イメージからイメージへ

《2021-09-21_2》 2021年
《2021-10-24》 2021年

寒山拾得は詩僧ということで、寒山は漢詩を記した巻物、拾得は寺の庭を掃くほうきを持つ姿が伝統的な表現ですが、横尾さんは独自の解釈で巻物をトイレットペーパーに、ほうきは掃除機に持ち替えさせているなど現代的なアップデートを加えてユーモラス。さらに、トイレットペーパーからの連想なのか、二人はマルセル・デュシャンの《泉》を思わせる便器に座っていることも。

会場を巡っていくと、各作品のタイトルが制作の年月日のみで統一され、解説のキャプションなどが一切ないことに気がつきます。

東京国立博物館 学芸研究部調査研究課長の松嶋雅人さんは、こうした展示は横尾さんの意向を反映した形だと話します。

「横尾さんご自身は、作品1枚1枚に何かメッセージを込めるとか、何かを伝えようとか、そういう意図は全くないとおっしゃっていました。頭で考えて描くという形ではなく、筋肉、肉体から湧き上がったものをキャンバスに置いてきた。それを自由に想像・解釈しながらご覧いただきたいというお考えです」

《2022-03-24》 2022年
《2022-05-01》 2022年

特定のモチーフが一連のフェーズを形成しているケースも多く、たとえばそれは「赤い布」です。

《2022-03-24》は赤い敷布の上でくつろぐ寒山拾得と女性が描かれていますが、これは明らかに19世紀フランスの画家エデュアール・マネの名画《草上の昼食》のパロディーでしょう。似たような構図で《2022-05-01》がありますが、こちらは同館が所蔵する国宝である江戸時代の絵師・久隅守景の《納涼図屏風》にそっくり。

左《2022-05-05》 2022年

その数日後に制作された《2022-05-05》では、アラビアンナイトのように赤い魔法の絨毯に乗って楽しげに空を飛びまわっています。そして《2022-05-28》を見ると、今度はまるでハリー・ポッターの世界。それぞれで勝手に飛びたくなったのか、赤い絨毯からほうきへ乗り換えていました。

《2022-05-28》 2022年

このように、横尾さんの寒山拾得像は次々にイメージからイメージが連想され、百面相のごとく変容していきます。

正面《2022-09-27》 2022年
左から《2022-11-03》、《2022-11-09》 いずれも2022年
《2022-08-14》 2022年
左から《2022-10-10》、《2022-10-16》 いずれも2022年

アルセーヌ・ルパンやドン・キホーテに扮したかと思えば、水墨山水画で描かれるような巨大な山のような体や、AIやロボットをイメージした無機質で幾何学的な形態にも変貌。女装したり、二人で一つに融合したり、もはやどこにいるのか判別できないほど風景に溶け込んだりと、やりたい放題している寒山拾得。

また、伝統的な画題である「四睡図」のように、寒山拾得だけでなく二人の師である豊干(ぶかん)禅師や虎と一緒にいたり、アインシュタインやエドガー・アラン・ポー、大谷翔平が顔を出したり。東京五輪、サッカーワールドカップといった世相を反映した作品もチラホラ……。

時間も場所も大きさも実在も架空もお構いなしに駆け巡る、自由自在な寒山拾得の物語がそこにはありました。

《2023-02-13》 2023年
《2022-01-26》 2022年

作家のもつ多面性が寒山拾得の姿を借りて飛びだしたかのような、これらの作品の多様性は、横尾さん本人が表現するところの「肉体脳」によるもの。

様式や拘りに囚われず、肉体の開放にまかせるまま筆を運ばせた結果として生まれたものです。昨日と今日とで変化する生理であるとか、その日に視界に入ったものであるとか、そのときどきの作家の肉体的発露はどこか日記的にも感じられました。

肉体的不自由さから獲得した「朦朧体」で、自由な新境地をひらく

会場風景

柔らかく優しいタッチの描写が多いですが、横尾さんはこの描画スタイルを「朦朧体」と呼んでいます。

朦朧体は本来、明治時代に確立させた日本画の技法を指しますが、横尾さんにとっての朦朧体は、2015年に発症した難聴の症状の影響で視界や頭の中まで不明瞭になり、事物の境目や夢と現実の区別までも曖昧になったこと。腱鞘炎により明確な強い線を引きづらくなったこと。このような肉体の変化によって獲得したものです。

筆を重ねることで曖昧になった輪郭は、時に時空の壁を無力化し、時に作者の意図をこえて過去や技術という束縛から離れ、見る者の心を溶かすような開放的な印象を与えてくれます。

会場風景

作品のほとんどはF100号かF150号サイズの大型キャンバスに描かれて迫力があるうえ、アクリルケースなどのカバーがないため、間近で筆致や色の重なりを鑑賞することが可能です。
画面が明るく、赤や黄色などの暖色系の原色が多く使用されていることもあり、どこか肩の力が抜けるような安らぎや元気をもらえるようでした。

現存作家の展覧会を開催するのは、同館の歴史上まれとのこと。同館にとっても特別な位置づけとなった本展で、80代にして新境地を切り開いた横尾忠則さんの自由な世界に触れてみてはいかがでしょうか。

「東京国立博物館の寒山拾得図─伝説の風狂僧への憧れ─」より、河鍋暁斎筆《豊干禅師》明治時代・19世紀 東京国立博物館蔵

なお、本展の関連企画として、東京国立博物館 本館特別1室では特集「東京国立博物館の寒山拾得図─伝説の風狂僧への憧れ─」を2023年9月12日(火)から11月5日(日)まで開催中。

※本展のチケットで鑑賞可能です。前期・後期で展示替えがありますので詳しくは公式サイトをご確認ください。

「東京国立博物館の寒山拾得図─伝説の風狂僧への憧れ─」より、因陀羅筆、楚石梵琦賛 国宝《寒山拾得図(禅機図断簡)》中国 元時代・14世紀 東京国立博物館蔵 ※前期展示(9月12日~10月9日)

国宝の因陀羅筆《寒山拾得図(禅機図断簡)》をはじめ、同館の所蔵する古典的な「寒山拾得図」を一堂に集めて紹介しています。寒山拾得図の変遷を追いながら、最新の横尾作品と比べてみるのも面白いかもしれません。

 

横尾忠則
1936年生まれ、兵庫県出身。1960年代に日本の前衛シーンやポップカルチャーを代表するグラフィック・デザイナー、イラストレーターとして脚光を浴びます。唐十郎や寺山修司といった舞台のポスターを数多く手がけ、1981年のいわゆる「画家宣言」以降は美術家として活躍。主題や様式にとらわれない自由なスタイルの絵画作品を第一線で生みだし続け、国際的に高い評価を得ています。
近年では、自らのキュレーションによる「横尾忠則 自我自損展」(横尾忠則現代美術館、2019年)、500点以上の作品を一堂に集めた大規模個展「GENKYO 横尾忠則 原郷から幻境へ、そして現況は?」(東京都現代美術館、2021年)などを開催。

 

「横尾忠則 寒山百得」展

会期 2023年9月12日(火)~12月3日(日)
会場 東京国立博物館 表慶館
開館時間 午前9時30分~午後5時
※入館は閉館の30分前まで
休館日 月曜日、10月10日(火)
※ただし10月9日(月・祝)は開館
観覧料(税込) 一般 1600円 / 大学生 1400円 / 高校生 1000円 / 中学生以下 無料
※そのほか、詳細は展覧会公式サイトをご確認ください。
主催 東京国立博物館、読売新聞社、文化庁
お問い合わせ 050-5541-8600(ハローダイヤル)
展覧会公式サイト https://tsumugu.yomiuri.co.jp/kanzanhyakutoku

※記事の内容は取材日時点のものです。最新情報は公式サイト等でご確認ください。

 

記事提供:ココシル上野


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【取材レポ】うえののそこから「はじまり、はじまり」荒木珠奈 展が東京都美術館で開催。かわいらしくも不穏な非日常の世界を旅する

東京都美術館
《記憶のそこ》2023年

 

ニューヨークを拠点に版画からインスタレーションまで幅広い表現活動を続けているアーティスト・荒木珠奈さんの初の回顧展「うえののそこから「はじまり、はじまり」荒木珠奈 展」が東京・上野の東京都美術館で開催中です。会期は2023年10月9日まで。

展覧会入り口
展示風景
展示風景

荒木珠奈さん(1970-)は、1991年に武蔵野美術大学短期大学部を卒業後にメキシコへ留学し、「明るさと暗さ」や「生と死」が共存する独特の文化に魅了されたといいます。その後もメキシコ滞在を繰り返しながら、現地で技法を学んだ銅版画をはじめ、立体作品、インスタレーション、アニメーションなど多彩な表現で独自の世界観をもつ作品を制作してきました。

2012年にはニューヨークに活動拠点を移し、意識的に移民として暮らすことで新たな一歩を踏み出し、近年では「越境」「多様性」「包摂」といったテーマに関心を寄せているとのこと。

本展は、そんな荒木さんにとって初めての回顧展。手のひらサイズの立体作品から、ワンフロア全体を使った「上野の記憶」に着想を得た大型インスタレーション《記憶のそこ》(2023/本展で初公開)など、初期作品から新作まで約120点のバラエティー豊かな作品群が展開されています。

展示は全4章構成。荒木さんの作品の魅力である人の営みや物語を想起させるモチーフや表現が、どこか親密さや懐かしさを感じさせると同時に、ざわざわと心がどこかに攫われるような、日常と非日常の境界を行き来する不思議な旅へ鑑賞者を誘います。

 

第1章「旅の『はじまり、はじまり!』」では、旅をモチーフとしたものや、メキシコでの滞在経験から着想を得て制作したものなど、比較的初期の作品を旅(展覧会)の始まりとして紹介しています。

《無題》1995年

入り口には、オルゴール仕掛けの作品《無題》(1995)が展示されていて、ネジは鑑賞者が自ら回すことができます。本作について荒木さんはギャラリートークで「1曲が流れているあいだ、それを聞きながら想像の旅をする、というイメージで制作した」とコメント。いくつもの空っぽの額縁は、これから始まる旅でのすばらしい出会いを予感させます。

左は《はじまり はじまり》2003年
左から《夜》《昼》1999年

《はじまり、はじまり》(2003)でカーテンが開くように、物語が始まるように展示がスタート。《昼》と《夜》(1999)は、「旅行先で泊まった部屋のベッドサイドに置いたり、電車の窓辺にある小さいテーブルに置いたりできる、携帯できる作品があったらすてきだな」という思いで制作したという折りたたみ式のユニークな立体作品。いずれも銅版画の技法で作られています。

左から《La calavera amarilla(黄色いガイコツ)》2005年、《¿Bailamos?(踊りませんか?)》2005年
《Una marcha de los esqueletos(ガイコツの行進)》2004年

ガイコツをモチーフにした《La calavera amarilla(黄色いガイコツ)》(2005)や《Una marcha de los esqueletos(ガイコツの行進)》(2004)からは、カラフルな装飾やイルミネーションで死者を陽気に迎える「死者の日」に代表される、メキシコ独自の死生観の影響が感じられるでしょう。

《Caos poetico(詩的な混沌)》2005年

《Caos poetico(詩的な混沌)》(2005)は、ランタンを思わせる暖かな光が散らばる幻想的な光景が広がります。こちらは、電柱から無断で電線を引き、家や屋台の灯りに使っていたメキシコ貧困層の人々のたくましい暮らしぶりや、その灯りで彩られた街並みが星空のようで非常に美しかったことからインスピレーションを得たというインスタレーション。

天井から電源コードが無数に吊り下がり、その先には家に見立てた小箱が取り付けられています。光の色だけでなくそれぞれ小箱の柄も異なり、荒木さんがメキシコで飲んだお茶の箱や、バスのチケット、ルチャリブレ(メキシコのレスリング)のチラシなどさまざまなアイテムが使われています。

その雑然とした様子は、カラフルなペンキで好き勝手に塗られた家々や、そこに住むメキシコシティの人々から荒木さんが感じたという「混沌と生きる強さ」がイメージの源になっているのでしょうか。

《Caos poetico(詩的な混沌)》2005年》/ 下から見上げると、また違った表情が楽しめます。

なお、本作は参加型の作品になっています。鑑賞者は展覧会ファシリテーター(鑑賞をサポートするボランティアの方々、愛称:ケエジン)の案内に従って、任意のソケットに小箱をつないで街並みのひとつにする体験ができました。

 

第2章「柔らかな灯りに潜む闇」では、光と闇をそれぞれ表現する2つのインスタレーションが対称的に配置されています。

《うち》1999年

荒木さんが子どものころに住んでいた団地をイメージして制作したという《うち》(1999)は、白いベニヤで作られた100個ほどの箱を白い壁に設置し、団地の家々に見立てたもの。

それぞれの箱にはランダムにナンバーが振られていて、鑑賞者はファシリテーターからカギを受け取り、ナンバーと一致する箱の扉を開けます。すると、内部から明かりがこぼれ、画一的な外観からは想像がつかなかった、版画で描かれたそれぞれの家庭の暖かな生活がみえてきました。

《うち》1999年
《うち》1999年/ 内側に塗られた蜜蝋がやさしい雰囲気を演出しています。

《うち》の壁を挟んだ反対側では、同作の小さな幸せが集まった日常の世界を塗りつぶすような、黒く禍々しい物体が頭上から広がる《見えない》(2011)が存在感を示しています。

《見えない》2011年/ 東北の街を飲み込んだ“黒い津波”を思わせます。

2011年、東日本大震災の後に制作された作品で、原子力発電所の事故をきっかけに、放射性物質という目に見えない危険なものが飛んでくるかもしれないという、当時の不安感や嫌悪感を視覚化しようと試みたもの。黒い物体は、メキシコで大量に仕入れたという竜舌蘭の繊維を黒く染め、団子状に丸めて貼り付けて制作したといいます。

 

第3章「物語の世界、国境を越える蝶」では、かわいらしくもどこか不安を覚えるような、荒木さんらしい詩情あふれる「物語の世界」をたっぷり紹介しています。

《Aurora theater》2000年
《遠野物語》2007年
《人形の劇場》2003年
《湖のよる》2000年

荒木さんの描く人物は、ほとんどがシルエットのみで表情はわかりません。ひとりぼっちで広大な世界に、ときには恐ろしげな“何か”に対峙しています。そこに孤独をみるのか自由をみるのか、それとも何かへの憧れを感じるのか。不思議と自己が重ねられ、記憶を揺さぶられながら、気づけば作品の世界に心が取り込まれていくようでした。

《夜の芯》2006年
《旅人のみた虹》2007年

メキシコ、チアバス地方に今も伝わるマヤの太陽創造神話を元にした絵本《NeNe Sol ―末っ子の太陽―》は、マヤ系先住民を中心メンバーとする版画工房「レニャテーロス工房」と荒木さんが共同制作したもの。会場には試作版と挿絵の原本が展示されています。まるで石彫のような独特すぎる装丁は、メキシコの彫刻家が原型を担当したそう。

《NeNe Sol ―末っ子の太陽―》試作版と挿絵、2011年

荒木さんは2022年に東京都美術館にて、さまざまな国にルーツをもつ子どもたちと一緒にワークショップ「昔ばなしが聞こえるよ」を開催。子どもたちは紙の素(パルプ)を使って蝶の形を模したテントや絵本づくりを体験し、自身のルーツのある国の昔ばなしも紹介し合ったということです。会場には実際に、そのとき制作したというテントが展示されています。

《むかし、むかし…》2022年

メキシコで出会った、越冬のため渡り鳥のように国々を移動するモナルカ蝶に関心をもっているという荒木さん。本作もモナルカ蝶が地面で羽を休めているイメージに着想を得て制作されたそうです。

トランプ政権下において移民という立場でアメリカに住んでいた荒木さんが見た、壁に阻まれて国境を越えられない難民たちと、国境にかかわらず世界を自由に移動できるモナルカ蝶に対する想いが本作に重ねられています。

テントの内部。ホッと落ち着く空間になっています。

また、テントは一時的に人が泊まったり、避難したりするための存在であることから、荒木さんは本作に「安心して隠れていられる場所というような意味を込めた」と明かしました。

 

第4章「うえののそこ(底)を巡る冒険」では、美術館の「そこ(底)」ともいえる天井高 10m の地下3階展示室の空間全体を使い、「上野の記憶」に着想を得た大型インスタレーション《記憶のそこ》(2023)が本展の旅のラストを飾っています。

《記憶のそこ》2023年

リサーチをするなかで、日本初の公園・博物館・動物園の誕生、関東大震災や東京大空襲、戦後の闇市の出現など多くの歴史的出来事の舞台となり、多様な国や地域の人々を惹きつけ、受け入れてきた上野という土地の混沌に魅力を感じたという荒木さん。

中央にある黒い鳥籠のような巨大なオブジェの周辺では、荒木さんが自身で撮影した上野の写真や、上野を扱った浮世絵など、過去と現在の上野の様子が断片的に映像で流され、天井から吊り下げられた「目」を象徴する1対の鏡が、「そこ(底)」に埋もれていた上野のイメージを浮かび上がらせる役割を担っています。

《記憶のそこ》2023年/ 内部に入ることができ、そこから鏡に反射し周囲に飛び交う映像や物体の影の動きを楽しめます。

オブジェは「過去や未来、美しいもの、下世話なものを大きく飲み込み、吐き出す、中空の籠、檻のようなもの」であり、その上部はまるで大きな手で握りしめたよう。柱の一部は内部から押し広げられたのか、あるいは外部からこじ開けられたのかのように湾曲しています。

この造形について荒木さんは、「鳥籠や檻というものは、鳥を守っているようでもあり、自由に飛んでいかないように閉じ込めているものでもあり、そういった二面性から出てきた形です」と解説しました。


本展について、「子どもたちや若い人たちにもたくさん見ていただきたいです。地下に潜ってちょっと不思議な体験を、旅するように楽しんでいただけたら」と話す荒木さん。地上から上野の「そこ」へ向かう旅は、また別の旅への憧れも喚起してくれました。

荒木さんが関心を寄せる、越境、多様性、包摂といった国や地域を越えて現代社会が共通して抱えるテーマについても思いが至る展覧会「うえののそこから「はじまり、はじまり」荒木珠奈 展」の開催は2023年10月9日までとなっています。

 

うえののそこから「はじまり、はじまり」荒木珠奈 展

会期 2023年7月22日(土)~10月9日(月・祝)
会場 東京都美術館 ギャラリーA・B・C
開室時間 9:30~17:30、金曜日は9:30~20:00(入室は閉室の30分前まで)
休室日 月曜日、9月19日(火)
※ただし、 9月18日(月・祝)、10月9日(月・祝)は開室
観覧料 一般 1,100円 / 大学生・専門学校生 700円 / 65歳以上 800円
※高校生以下は無料
※そのほか、観覧料の詳細は公式サイトでご確認ください。
主催 公益財団法人東京都歴史文化財団 東京都美術館
お問い合わせ 03-3823-6921(東京都美術館)
展覧会公式サイト https://www.tobikan.jp/hajimarihajimari

※記事の内容は取材時点のものです。最新情報は公式サイト等でご確認ください。

 

記事提供:ココシル上野


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3会場で開催、過去最大の展開面積!巨匠作品から現代アートまで約1,000点が大集結 FINE ART COLLECTION2023

7月12日(水)~17日(月・祝) 10時~18時30分 ※最終日は17時閉場 
松坂屋上野店 6階催事場・7階アートゾーン・1階北口イベントスペース

7/12(水)~17(月・祝)、アートの提案を強化している松坂屋上野店では、近・現代の巨匠から新進気鋭の作家まで、絵画・工芸の多彩な作品を一堂に集めた「FINE ART COLLECTION」を開催いたします。6階催事場では、エコール・ド・パリとヨーロッパ近代巨匠や現代アート、作家特集など、幅広いジャンルのアート作品を展示販売。7階アートゾーンでは、各スペースにて絵画や工芸の趣向を凝らした作品が集まります。さらに、今年は1階の北口イベントスペースまで展開を拡大し、東京藝術大学若手作家特集を実施。3会場で開催、過去最大規模の「FINE ART COLLECTION」となります。

 

◆主な出品予定作品/6階 催事場​

・エコール・ド・パリとヨーロッパ近代巨匠
エコール・ド・パリとは20世紀前半のパリに集った芸術家たちのこと。その個性豊かで自由な表現はその後の芸術家たちに大きな影響を与えた。

アンリ・マティス「足を組むダンサー」
リトグラフ 46×28cm 2,640,000円(税込)

 

・現代アート
ストリートアートを中心とした現代アートたちの作家たちを展覧。幅広い表現で現代を描き出す作家たちの作品が集結します。

Nick Walker「Rainbow Daze」
シルクスクリーン 72.1×60.3cm 605,000円(税込)

 

NOT BANKSY「IDENTITY CRISIS CHIMPS IS NOT A BANKSY BUNNY NOR A BOUNCY BANKSY “original”」
multi-colour screen printpainting on plywood 80×60.5cm 880,000円(税込)

 

・作家特集

霜鳥忍「朗羅」20号 1,540,000円(税込)

霜鳥 忍特集

 

水島篤「共鳴‐ティラノサウルス‐」6号 198,000円(税込)

恐竜画と動物画特集

 

泉東臣「蒼刻」20号 M 1,100,000円(税込)

泉 東臣特集

 

伊熊義和「至福の時間」20号 770,000円(税込)

伊熊 義和&写実作家特集

 

 島津豪亮「郊外の白い建物」10号 660,000円(税込)

島津 豪亮特集

 

西嶋豊彦「Electric flower 蓮」
金属(ステンレス)パネル オリジナル手漉き半導体和紙 岩絵具着彩 5号 440,000円(税込)

西嶋 豊彦特集

 

梅田綾香「波濤を穿つ」30号 S 704,000円(税込)

梅田 綾香特集

 

・近現代日本画・洋画

田渕俊夫「月明かり」6号 6,600,000円(税込)

 

中川一政「薔薇」12号 9,240,000円(税込)

 

・工芸特集

宮之原謙「彩盛松竹梅文香爐」
共箱 高さ10.8×径13.2cm 2,200,000円(税込)

◆1階 北口イベントスペース
◆7階 アートゾーン
(美術画廊・アートギャラリー・アートスペース)

 

・北口イベントスペース
多彩な才能を輩出する東京藝術大学出身の若手日本画家たちの特集。瑞々しい感性で描かれた作品を1階にて大きく展開します。
1階北口イベントスペース
期間:7月12日(水)~18日(火) 10時~20時

名和智明「牡蠣」10号 660,000円(税込)

藝大若手作家特集

 

石原孟「犀山水」10号 440,000円(税込)

藝大若手作家特集

 

・美術画廊
漆黒の夜空に浮かぶ月と稲妻、太古から続く大自然の摂理を現代的に表現する岩谷晃太の展覧会。

岩谷晃太「月と稲妻」4号 S 385,000円(税込)

岩谷 晃太展

 

・アートスペース
卓越した技術力で漆黒の画面に命を吹き込む銅版画家。ふくろうや猫など、情感豊かに表現している。

生田宏司「凛」
メゾチント 68.0×45.5cm 242,000円(税込)

生田 宏司 銅版画展

 

・アートギャラリー
19世紀末から20世紀初頭にかけアール・ヌーヴォーを代表するガラス芸術家として活躍したガレとドームの展覧会。

ガレ「クレマチス文花器」
高さ37×横24cm 2,200,000円(税込)

ガレ&ドーム  アール・ヌーヴォーガラスの美展

7階アートゾーン 期間:7月12日(水)~18日(火) 10時~18時30分 ※最終日は16時閉場

【特設ページ】https://www.matsuzakaya.co.jp/ueno/topics/000230712_fine_art_collection_2023.html

 

【株式会社大丸松坂屋百貨店】プレスリリースより

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藝大アートプラザ 企画展「What’s ART?『アートって何だろう?』を藝大アートプラザ大賞受賞作家と考える」開催

2023年7月29日(土)- 9月24日(日)上野・藝大アートプラザにて開催(入場無料)

小学館と東京藝術大学の協働事業である、東京藝術大学美術学部構内(台東区・上野)のギャラリー「藝大アートプラザ(https://artplaza.geidai.ac.jp/ )」にて、2023年7月29日(土)より企画展「What’s ART?『アートって何だろう?』を藝大アートプラザ大賞受賞作家と考える」を開催。本展では過去の藝大アートプラザ大賞受賞者による「アートって何だろう?」をテーマにした作品を展示販売します(入場無料)。

 

藝大アートプラザとは

トップアーティストを数多く輩出する、東京藝術大学(以下、藝大)の教職員、学生、卒業生の作品を展示販売するギャラリー「藝大アートプラザ」。藝大上野キャンパス構内において、一般の方々が、年間を通して自由に入場・見学することができる、貴重な場所のひとつです。小学館と藝大の協働事業として、2018年から運営をスタートしました。

現在は、1,2カ月ごとに異なるテーマの展示を開催。企画展には毎回10〜50名のアーティストが参加し、油画、日本画、彫刻、工芸、デザイン等、藝大ならではの多様な技法とアプローチで表現された作品が、一堂に会します。

▼2023年6月開催の企画展 「藝大神話ーGEISHIN」展示風景
https://artplaza.geidai.ac.jp/column/19362/

企画展「藝大神話ーGEISHIN」展示風景

店舗内には、器やアクセサリーなど生活に寄り添うアートを中心とした常設作品コーナー「LIFE WITH ART」、企画展と連動した書棚も設置。店舗の営業時間中は、屋外のキッチンカー「NoM cafe」のカフェドリンクで、一息つくこともできます。

藝大アートプラザは、入場無料。写真撮影やSNSでのシェアも原則大歓迎です。アートファンのみならず、どなたさまでも、気軽にアートに触れられる場所を目指しています。

 

2023年7月29日(土)開催 企画展「What’s ART?」
7月29日(土)より、企画展「What’s ART?『アートって何だろう?』を藝大アートプラザ大賞受賞作家と考える」を開催いたします。

■ 企画展コンセプト
「美しい身体は死ぬが芸術作品は死なない」(レオナルド・ダ・ヴィンチ)「芸術家が自分の意図を実現するとき作品が完成する」(レンブラント)「感情から始まらなかった芸術作品は芸術ではない」(ポール・セザンヌ)「植物が園芸について話すことができないのと同じように芸術家は自分の芸術について話すことはできない」(ジャン・コクトー)「芸術は現代的になり得ない。芸術とは永遠である」(エゴン・シーレ)

一年に一度藝大アートプラザ大賞受賞作家を招待して開催する企画展、今回のテーマは「アートってなんだろう?」です。レオナルド・ダ・ヴィンチもレンブラントもアートの歴史を彩る巨匠たちが全員違うことを言うようにその答えは作家の数だけ存在します。もしかすると、アートを作る人たちも鑑賞する人たちも永遠にその答えを探しているのかもしれません。ちなみに日比野藝大学長はこんなことを言っています。

「鑑賞する人が、物から発信された情報を受け取って『ああ、なんだかきれいだな』とか『懐かしい気分になるな』など、何らかの感情が湧きあがった時、その物と鑑賞者との関係性を『アート』と呼びます」(高校生新聞オンライン 2020.02.27より)

今回アートプラザがアーティストに尋ねたのは、今この時点で皆さんが考える「アートってなんだろう?」その問いに対する答え=作品です。答えそのものでなくても、皆さんの中にある「ヒント」「アートへの問い」「アートとそうでないものの違い」「アートの可能性」「そもそもアートをつくっていない」。そんなことを藝大アートプラザ受賞作家の方々と考え、さらには作品を観てくださる鑑賞者の方々と一緒に考えたいのです。

▼開催告知ページ
https://artplaza.geidai.ac.jp/column/19915/

■ 企画展概要
企画展名:「What’s ART?『アートって何だろう?』を藝大アートプラザ大賞受賞作家と考える」
会場:藝大アートプラザ(東京都台東区上野公園12-8 東京藝術大学美術学部構内)
会期:
前期 2023年7月29日(土)- 8月20日(日)
後期 2023年8月26日(土)- 9月24日(日)
入場料:無料
営業時間:10:00-18:00
定休日:月・火曜

※祝日・振替休日の場合は翌営業日が休業、展示入れ替え期間は休業
※営業日時が変更になる場合がございます。最新情報は公式Webサイト・SNSをご確認ください

 

藝大アートプラザ基本情報

■ アクセス
最寄駅:JR上野駅(公園口)、鶯谷駅 下車徒歩約10分
東京メトロ千代田線・根津駅 下車徒歩約10分
東京メトロ日比谷線・上野駅 下車徒歩約15分
京成電鉄 京成上野駅 下車徒歩約15分
都営バス上26系統(亀戸〜上野公園)谷中バス停 下車徒歩約3分
※駐車場はございませんので、お車でのご来場はご遠慮ください

■ 公式SNSアカウント
Instagram:https://www.instagram.com/geidai_art_plaza
Twitter:https://twitter.com/artplaza_geidai
Podcast(Spotify):https://open.spotify.com/show/2FlkumYv9ScWy69UlBtqWy

■ 2023年の展示
2023年1月「藝大の壁 Inside | Outside」
https://artplaza.geidai.ac.jp/column/18153/

2023年1-3月「第17回 藝大アートプラザ大賞展」
https://artplaza.geidai.ac.jp/column/18325/

2023年3-5月「GEIDAI ART JUNGLE returns 藝大密林化計画」
https://artplaza.geidai.ac.jp/column/18759/

2023年6-7月「藝大神話ーGEISHIN」
https://artplaza.geidai.ac.jp/column/19362/

よくあるご質問はこちら
https://artplaza.geidai.ac.jp/qa/

 

【株式会社小学館】プレスリリースより

 

記事提供:ココシル上野


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【会場レポ】マヤの「赤の女王」初来日! 特別展「古代メキシコ」が東京国立博物館で開幕。マヤ、アステカ、テオティワカンの至宝が一堂に

東京国立博物館
「赤の女王」の展示

 

古代メキシコを代表する三つの文明の至宝を一堂に紹介する特別展「古代メキシコ ―マヤ、アステカ、テオティワカン」が2023年6月16日(金)~9月3日(日)の期間、東京国立博物館(東京・上野)で開催中です。

会場入口
会場風景
会場風景、《装飾ドクロ》アステカ文明、1469~1481年、テンプロ・マヨール博物館

本展は、メソアメリカ(16世紀のスペイン侵攻までメキシコ~中米の一部地域に栄えた、文化要素を共有した古代文明圏)を代表する三つの文明「マヤ」「アステカ」「テオティワカン」に焦点を当てています。

メキシコ国内の主要博物館から厳選した碑文やレリーフといった貴重な出土品や考古遺物、約140件を近年の発掘調査の成果を交えて紹介。多様な自然環境から生み出された独自の世界観や造形美など、古代メキシコ文明の奥深さと魅力に迫ります。

会場展示より。各文明と都市遺跡の位置関係。

展示は「古代メキシコへのいざない」「テオティワカン  神々の都」「マヤ  都市国家の興亡」「アステカ  テノチティトランの大神殿」の4章構成。

第1章「古代メキシコへのいざない」

第1章「古代メキシコへのいざない」は、「トウモロコシ」「天体と暦」「球技」「人身供犠」といった3文明の共通テーマに沿った横断的な作品展示や、各文明の遺跡の映像を通じて、古代メキシコ全体の世界観を伝える導入部です。

特異な宇宙観を構成するメソアメリカにおいて天体と暦は大切な文化要素。本作の両端に表される金星は、惑星のなかで最も重要視されたといいます。/《夜空の石版》アステカ文明、1325~1521年、メキシコ国立人類学博物館
球技は単なる娯楽ではなく、人身供犠を伴う宗教的儀礼、外交使節を迎えての儀式など多くの意味合いがありました。/《球技をする人の土偶》マヤ文明、600~950年、メキシコ国立人類学博物館
写真右/王や権威の象徴、神秘的な力をもつものとしてメソアメリカの諸文明で崇拝されたジャガー。神への生贄として捧げられることも。/《ジャガーの土器》マヤ文明、600~950年、メキシコ国立人類学博物館

ここでは、前1500年頃にメキシコ湾岸地方に興ったメソアメリカのルーツであり、儀礼と結びついた王権や多くの神々の概念など、その後のメソアメリカ諸文明にさまざまな要素が受け継がれたオルメカ文明の存在を示す作品《オルメカ様式の石偶》も展示されています。

オルメカの宗教的概念を表す、人とジャガーの特徴を併せもつ幼児の像。/《オルメカ様式の石偶》オルメカ文明、前1000~前400年、メキシコ国立人類学博物館

第2章「テオティワカン 神々の都」

第2章「テオティワカン 神々の都」では、メキシコ中央高原にある海抜2300メートルほどの盆地の中央で、前100~後550年頃まで栄えたテオティワカン文明を取り上げています。

テオティワカンは当時の人々が信じていた宇宙的世界観にのっとり、「死者の大通り」を中心軸にピラミッドや儀礼場、宮殿タイプの建造物、厳格化された住宅群を組み込んだ、国家により統率された計画都市・大宗教都市でした。近年の研究で、最大10万人ほどが暮らしていたことが明らかになりつつありますが、使われていた言語や文字などは判明しておらず、まだまだ謎の多い文明です。

ここでは、テオティワカンを代表する「太陽のピラミッド」「月のピラミッド」「羽毛の蛇ピラミッド」という三つのピラミッドやその周辺から出土した作品を紹介。

壁面の「太陽のピラミッド」と「月のピラミッド」のグラフィックは、配置を実際のテオティワカンのものと合わせ、「死者の大通り」の雰囲気を伝えています。

展示室中央に露出展示されている《死のディスク石彫》は、1964年の発掘調査で、テオティワカンにあるピラミッドのうち最大の「太陽のピラミッド」正面の広場から出土したもの。
直径1mを越える石彫で、後光のように放射状に広がるモチーフと、頭蓋骨の口から突き出した舌が印象的です。メソアメリカでは日没を死、日の出を再生と捉えていて、本作は地平線に沈んだ(死んだ)夜の太陽を表していると解釈されています。

《死のディスク石彫》テオティワカン文明、300~550年、メキシコ国立人類博物館
「月のピラミッド」の展示。本作は生贄の埋葬墓から出土したもの。目力がすごい……。/《モザイク立像》テオティワカン文明、200~250年、テオティワカン考古学ゾーン

とくに存在感があったのは《羽毛の蛇神石彫》と《シパクトリの頭飾り石彫》の展示。
一辺約400mの大儀式場「城塞」の中心神殿である「羽毛の蛇ピラミッド」の四方の壁面を覆っていた大石彫の一部です。金星と権力の象徴である「羽毛の蛇神」と、時(暦)の始まりを象徴する創造神「シバクトリ」の頭飾りを表すとされています。

会場では、これらの石彫がピラミッドから突き出ている様子がわかるように造作が工夫されていました。

左から《シパクトリの頭飾り石彫》《羽毛の蛇神石彫》テオティワカン文明、200~250年、テオティワカン考古学ゾーン

羽毛の蛇神の波打つ胴体部に、シパクトリの頭飾りを配するモチーフが繰り返し彫られていることから、「羽毛の蛇ピラミッド」全体が聖なる王権や戴冠式を表す、メソアメリカで最初のモニュメントだと考えられているとか。

「羽毛の蛇ピラミッド」の地下にある深さ15m、長さ103mのトンネルの出土品のなかでは、巻貝の先端を切り取って吹き口とした楽器《トランペット》が目を引きました。本作にはテオティワカンではみられない、マヤ系の宗教センターの図像に類似した美術様式と内容の図像が描かれています。

音を出す巻貝といえば、日本では戦の合図に吹く法螺貝がイメージされますが、本作はどんな音が出るのでしょう。/左右とも《トランペット》テオティワカン文明、150~250年、テオティワカン考古学ゾーン
《鳥形土器》テオティワカン文明、250~550年、メキシコ国立人類学博物館

テオティワカン住居跡の埋葬体に副葬されていたのは、発掘者により「奇抜なアヒル」と命名された、貝などの華美な装飾をもつ動物形土器。多くの貝製品とともに発見されたことから、メキシコ湾との交易を担った貝商人にかかわる副葬品ではないかと考えられています。

《トランペット》や《鳥形土器》といった展示物は、テオティワカンが交易や市場の経済活動が盛んな多民族都市だったことを伝えています。

《嵐の神の壁画》テオティワカン文明、350~550年、メキシコ国立人類学博物館

その他、テオティワカンでの暮らしを想像させる壁画や土器も興味深いです。
テオティワカンの主神の一つである嵐の神、もしくは雨の神トラロクを表したとされる《嵐の神の壁画》のような多彩色の壁画は、多くのアパートメント式住居群や儀礼施設に描かれていました。

また、住居跡から多く発掘される香炉は、さまざまな装飾片を目的に応じて組み替えて作っていたとか。展示された《香炉》は矢や盾などのモチーフから、死んだ戦士の鎮魂の儀式用と考えられています。

《香炉》テオティワカン文明、350~550年、メキシコ国立人類学博物館

第3章「マヤ  都市国家の興亡」

第3章「マヤ  都市国家の興亡」では、前1200年頃~後16世紀までユカタン半島を中心に栄えたマヤ文明の文化や王朝について紹介。本展で最も多くの作品で構成されているセクションです。

マヤで明確な文化や統治形態が認識できる王朝が成立したのは後1世紀頃とされています。ただ、政治的に統一されたことはなく、無数の都市間の交易や外交使節の往来などの友好的な交流、時には戦争による覇権争いを通じて大きなネットワーク社会を形成しました。出土品はそうしたマヤ地域での多様な動向を伝えています。

宮殿に訪れた外交使節が貢物を捧げる様子が描かれた、カカオの飲料用に使われたと思しき土器。マヤの権力者にとって、王朝間での訪問と貢物の交換は重要な行事でした。/《円筒型土器》マヤ文明、600~850年、出土地不明、メキシコ国立人類学博物館
マヤ中部地域の大都市・カラクルムの王と、南西の辺境にあるトニナの王が球技をする様子が描かれた本作は、両国の外交関係を象徴するもの。《トニナ石彫171》マヤ文明、727年頃、メキシコ国立人類学博物館
マヤでは多くの敵を殺すことより高位の人間を捕虜に取ることが重視されました。トニナでは捕虜を描いた石彫が多く発見され、好戦的な傾向をうかがわせます。/《トニナ石彫153マヤ文明、708~721年、トニナ遺跡博物館

マヤで林立した都市のひとつに、400~800年頃に西部地域で栄えたパレンケという中規模都市がありますが、第3章ではパレンケの展示に力が入っています。とくに本邦初公開となる「赤の女王(レイナ・ロハ)」の墓の出土品は、王朝美術の傑作と名高い本展の目玉のひとつ。

「赤の女王」の展示

芸術の都パレンケは洗練された建築や彫刻、碑文の多さで知られており、その黄金時代はキニチ・ハナーブ・パカル王の治世(615~683)でした。
パカル王は外交と戦争によりパレンケの影響力を強めるかたわら王宮の拡大に力を注ぎ、マヤ地域でもっとも壮麗な建築物の一つにしたといいます。その遺体はパカル王自ら設計したとされる「碑文の神殿」という霊廟に収められました。

「赤の女王(レイナ・ロハ)」と呼ばれる遺体は、1994年に碑文の神殿の隣にある13号神殿で発見されたもの。その通称は真っ赤な辰砂(水銀朱)に覆われて埋葬されていたことが由来です。調査の結果、この人物はパカル王の妃であるイシュ・ツァクブ・アハウの可能性が高いとみられています。

「赤の女王」の展示。《赤の女王のマスク》マヤ文明、7世紀後半、アルベルト・ルス・ルイリエ パレンケ遺跡博物館

会場では13号神殿の石室をイメージした空間で、「赤の女王」の12件の副葬品をマネキンに装着して埋葬の様子を再現。《赤の女王のマスク》は孔雀石の小片で作られ、瞳には黒曜石、白目には白色のヒスイ輝石岩が使われているそう。

写真には写っていませんが、首飾りや冠といった美しい副葬品にまじって、何の変哲もない小さな《針》がマネキンの横にひっそりと展示されていたのが目に留まりました。奇妙に思えますが、糸紡ぎと織りはどの社会階層の女性も行う活動の一つであり、この針も「赤の女王」が日常的に使い、来世でも必要なものであったと考えられているとか。
身分にふさわしく飾り立てるばかりではなく、「生活に困らないようにしたい」という本人、もしくは周囲の人々の等身大の願いに共感を覚えます。

再現展示の隣では、「赤の女王」の発掘調査の映像資料も流れていました。

《96文字の石版》マヤ文明、783年、アルベルト・ルス・ルイリエ パレンケ遺跡博物館

また、パレンケ遺跡の王宮で見つかった《96文字の石版》の展示では、絵画的で美しい造形のマヤ文字をじっくりと鑑賞できました。

マヤ文字は表語文字と音節文字から構成される謎に満ちた言語ですが、現在700程度の文字と、数万と織りともいわれる多様な組み合わせが解明されつつあるとのこと。人々の行いは、神や先祖の事績を再現するものと考えられていたことから、文字は主に王と国の歴史や宮廷の儀礼を記すために用いられました。
本作でも、パレンケの王たちの即位について正確な日付とともに刻まれています。

《96文字の石版》(部分)マヤ文明、783年、アルベルト・ルス・ルイリエ パレンケ遺跡博物館

日本のように、マヤでも書跡は情報を伝えるためだけのものではなく芸術品として愛好されましたが、本作はその中でも最高峰に位置するものです。

パレンケをはじめとする多くの都市が衰退したあと、900年頃にユカタン半島北部でマヤ地域最大の都市となったチェチェン・イツァの出土品も見ごたえがあります。
なかでも《チャクモール像》は、解説を読んで本展イチの恐ろしさを感じた作品。像の腹の上には皿のようなものがあり、ここに供物や、時には人身供儀の生贄から取り出した心臓が置かれた可能性があるとか……。

《チャクモール像》マヤ文明、900~1100年、ユカタン地方人類学博物館 カントン宮殿

本展では「生贄」とか「人身供犠」とか、おどろおどろしいキーワードが頻出しています。こういった特有の慣習は3,000年以上にわたりメソアメリカで継続されたもので、現代の感覚からするとその残虐さに眉をひそめたくなるかもしれません。

しかし、それは単なる非人道的な儀礼行為ではなく、あらゆる生命体は神々の働きと犠牲により生まれ動いているため、人間も神々を敬い、人間にとって最も大切な生命を捧げて自然のサイクルと再生の原理を保たねばならない、という先住民たちの倫理観によるものでした。そこには、普遍的な神や自然への祈りが込められています。

こちらもチェチェン・イツァの出土品。トルコ石で作られたモザイク模様が美しい鏡の飾りで、戦士が腰の後ろに着けていました。《モザイク円盤》マヤ文明、900~1000年、メキシコ国立人類学博物館
チェチェン・イツァの「金星の基盤」と呼ばれる建物を飾っていた彫刻。584年の金星の周期5回分が、365日の太陽暦の8年にあたることを示していると考えられています。/《金星周期と太陽暦を表わす石彫》マヤ文明、800~1000年、ユカタン地方人類学博物館 カントン宮殿蔵

第4章「アステカ  テノチティトランの大神殿」

第4章「アステカ  テノチティトランの大神殿」は、1325年にメキシコ中央高原のテスココ湖に浮かぶ島に、メシーカ人らナワトル語を母語とする人々が建国したアステカ王国の大都市、テノチティトラン(現在のメキシコシティ)の出土品を扱っています。人口は最盛期で20万を超え、スペイン侵攻によって1521年に陥落するまで繁栄しました。

ちなみに、メキシコ中央高原ではテオティワカン⇒トルテカ⇒アステカという順番で文明が興亡しています。ナワトル語で「神々の都市」を意味する「テオティワカン」という名称は、遺跡を発見したアステカ王国のメシーカ人が名付けたものでした。

軍事力と貢納制を背景に国力を強めたアステカでは、建築と絵画、なかでも彫刻において驚異的な発展がもたらされました。アステカが富を集結させたテノチティトランでは、国内外の作家たちが技巧や嗜好、伝統を分かち合い、歴史的に類をみないほどクリエイティブな環境を形成したといいます。

テノチティトランで生まれた独創的な造形美の一端を伝えるのは、勇ましい《鷲の戦士像》

今にも飛び立たんとしているかのよう。背面を含めて360度鑑賞できます。/《鷲の戦士像》アステカ文明、1469~1486年、テンプロ・マヨール博物館

テノチティトランの中枢には、太陽と戦争の神・ウィツィロポチトリ、雨と大地の神・トラロクを祀った一対の荘厳なピラミッド型の大神殿、テンプロ・マヨールが建てられていました。本作はその大神殿の北側にある「鷲の家」で発見されたもの。等身大で迫力があります。

戦闘や宗教に重要な役割を担った王直属の「鷲の軍団」の戦士とみなす専門家が多いようですが、戦場で勇ましい死を遂げて姿を変えた戦士の魂であるとか、ウィツィロポチトリの姿を表しているとか、今でもさまざまな説があるようです。

《トラロク神の壺》アステカ文明、1440~1469年、テンプロ・マヨール博物館

展示された彫刻作品の多くには、アステカで信仰された神々が表されていました。

《トラロク神の壺》は、ギョロリとした目の造形と鮮やかなブルーが印象的。
農耕社会であるメソアメリカでは、何世紀にもわたって降雨をコントロールしたいという強迫観念があったといいます。そのため、祈祷、供物、そして子供の生贄がことごとく雨の神であり、植物の萌芽に必要なあらゆるものを提供する「与える者」であるトラロクに捧げられました。

本作は水を貯える壺にトラロク神の装飾があることから、雨や豊穣の願いが込められたものと考えられています。

地下の冥界ミクトランを支配する神ミクトランテクトリを描いた骨壺。生贄の心臓を抜き出す神でありながら、生を与える役割も併せもちます。/《ミクトランテクトリ神の骨壺》アステカ文明、1469~1481年、テンプロ・マヨール博物館
骨壺に描かれた「煙を吐く鏡」を意味する名をもつ創造神テスカトリポカは不可視であり、槍か2本の矢で射抜かれたときにだけその姿を現すというかっこいい性質があります。《テスカトリポカ神の骨壺》アステカ文明、1469~1481年、テンプロ・マヨール博物館

展示の一つにグリーンの蛇紋岩でできた《マスク》があるのですが、第2章のテオティワカンの展示で紹介した《モザイク立像》と雰囲気がそっくり。じつは、まさにテオティワカン遺跡から掘り起こしたマスクをメシーカ人が磨き直し、目や耳飾りなど手を加えたもの、ということでした。

《マスク》テオティワカン文明、200~550年、テンプロ・マヨール博物館

メシーカ人をはじめとする後古典期後期(1250-1521)頃の人々は、過去の文明を掘り起こし、それらを魔術的な力をもつ聖なる物質とみなして自分たちの神殿に奉納していたとか。こういったつながりを感じられるのも本展の面白さです。

展示の最後では、テンプロ・マヨールの最新発掘成果を示すものとして、メソアメリカでは珍しい金で作られたペンダントや耳飾り、笏形飾りが一挙に公開されていました。

金製品の展示
金製品の展示。左から《テスカトリポカ神とウィツィロポチトリ神の笏形飾り》《トラルテクトリ神の笏形飾り》アステカ文明、1486~1502年、テンプロ・マヨール博物館

個性的な展覧会オリジナルグッズも多数展開されています。※商品は数量限定のため、完売となる場合があります。

会場では古代都市遺跡の魅力を伝える映像資料や臨場感あふれる再現展示など、展示空間の演出にこだわっていて、歩いているだけでも古代メキシコの空気を感じられました。展示物間に広く距離がとられていて鑑賞しやすいのもうれしいポイントです。

ちなみに、現在のところ会場内の展示物は個人利用に限りすべて撮影OKとなっています。(今後中止・変更の可能性もありますので、詳しくは館内表示や公式サイトの案内をご覧ください)

いまでもその土地に生きている人々に受け継がれる、古代メキシコの文化伝統の奥深さと魅力に迫る特別展「古代メキシコ」。開催は2023年9月3日(日)まで。

特別展「古代メキシコ ―マヤ、アステカ、テオティワカン」概要

会期 2023年6月16日(金)~9月3日(日)
会場 東京国立博物館 平成館
開館時間 午前9時30分~午後5時

※土曜日は午後7時まで
※6月30日(金)~7月2日(日)、7月7日(金)~9日(日)は午後8時まで
※総合文化展は午後5時閉館
※入館は閉館の30分前まで

休館日 月曜日、7月18日(火)
※ただし、7月17日(月・祝)、8月14日(月)は開館
観覧料(税込) 一般 2200円、大学生 1400円、高校生 1000円、中学生以下は無料

※詳細は公式サイトのチケットページご覧ください。

主催 東京国立博物館、NHK、NHKプロモーション、朝日新聞社
お問い合わせ 050-5541-8600(ハローダイヤル/午前9時~午後8時、年中無休)
展覧会公式サイト https://mexico2023.exhibit.jp/

※記事の内容は取材日(2023/6/15)時点のものです。最新情報は公式サイト等でご確認ください。

 

記事提供:ココシル上野


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【会場レポ】化石ではなくアートでたどる恐竜の姿。特別展「恐竜図鑑-失われた世界の想像/創造」が上野の森美術館で開催

上野の森美術館
左/ズデニェク・ブリアン《イグアノドン・ベルニサルテンシス》1950年、モラヴィア博物館、ブルノ
右/ズデニェク・ブリアン《タルボサウルス・バタール》1970年、モラヴィア博物館、ブルノ

化石や骨格標本ではなく、絵画を中心とした恐竜アートばかりを集めた異色の恐竜展、特別展「恐竜図鑑-失われた世界の想像/創造」が2023年5月31日(水)~7月22日(土)の期間、上野の森美術館で開催中です。

20世紀の恐竜絵画を代表する2大巨匠、チャールズ・R・ナイトとズデニェク・ブリアンの作品も多数出展されていることで注目される本展。会場の様子をレポートします。

会場エントランス

恐竜展というと化石や骨格標本を中心とした展示が思い浮かびますが、本展では普段それらの資料の脇に置かれている、化石などの学術的根拠に基づいて恐竜などの古生物を描いた生態復元図=「パレオアート(古生物美術)」にスポットを当てています。

約2億5000万年前~6600万年前の中生代の地球を支配していた恐竜は、19世紀前半の化石発掘を機に、生態復元図を通して一般に認知されるようになります。以降、多くの学者が芸術家と手を取り合って、太古のロマンあふれる古代生物の姿を再現しようと挑戦してきました。

展示風景
展示風景

会場では、黎明期に描かれた奇妙な復元図から、近年の研究に基づく現代作家の力作にいたるまで、世界各国から集められた約150点のパレオアートなどを展示。

恐竜の”発見”から今日までおよそ200年のあいだ、新発見のたびに学術的根拠が変わるなかで恐竜(古生物)たちの表現がどのように変化していったのかをたどります。

第1章「恐竜誕生―黎明期の奇妙な怪物たち」

展示は全4章構成です。第1章「恐竜誕生―黎明期の奇妙な怪物たち」では、19世紀の恐竜“発見”から間もない時期、限られた知見のもとで制作された作品群を紹介。現代に生きる我々が頭に思い浮かべる恐竜とはかけ離れた個性的な姿が楽しめます。

左/ジョージ・シャーフ(ヘンリー・デ・ラ・ビーチによる)《ドゥリア・アンティクィオル(太古のドーセット)》1830年、ロンドン自然史博物館

冒頭には、地質学者ヘンリー・デ・ラ・ビーチの原画によるリトグラフ《ドゥリア・アンティクィオル(太古のドーセット)》(1830)という、古生物の生態を復元した史上初の絵画のひとつといわれる貴重な作品を展示。

同作はイングランド南部のドーセット州で、魚竜イクチオサウルスや首長竜プレシオサウルスといった海棲爬虫類などを恐竜に先立って発見し、19世紀古生物学の発展に寄与したことで知られる女性化石採集者メアリー・アニングの功績をたたえるために制作されたものです。

本展ではリトグラフに加え、それを拡大して描いた大きな油彩画も出品。/ロバート・ファレン《ジュラ紀の海の生き物—ドゥリア・アンティクィオル(太古のドーセット)》1850年頃、ケンブリッジ大学セジウィック地球科学博物館

先史時代のドーセットの海岸を舞台に、アニングが発見した古生物が盛りだくさんで描かれています。注目は画面右でやけに大きく描かれたイクチオサウルスがプレシオサウルスの細い首に食らいついている様子。

本展の企画者である岡本弘毅さん(神戸芸術工科大学教授、元兵庫県立美術館学芸員)は「現代の研究から言って、魚竜が首長竜を襲うことは考えにくい。当時は魚竜のほうが圧倒的に強い、捕食者のイメージがあったことが伝わってくる」と話します。

1876年の作品でも、まだまだイクチオサウルスがプレシオサウルスに対して強気の姿勢。イクチオサウルスのたたまれた肢が妙にかわいい。/ベンジャミン・ウォーターハウス・ホーキンズ《ジュラ紀初期の海棲爬虫類》1876年、プリンストン大学地球科学部、ギヨー・ホール
こちらのイクチオサウルスは何を思ったのか、クジラのように頭から潮を吹いています。/エドゥアール・リウ―《イクチオサウルスとプレシオサウルス(リアス期)》(ルイ・フィギエ『大洪水以前の地球』(第2版・1863年)挿絵)1863年、個人蔵

また、本展ではメガロサウルスとともに最初に“発見”された恐竜であるイグアノドンのイメージ変遷の紹介に力を入れています。

“恐竜を発見した男”として有名なイギリスの医師でアマチュアの地質学者、ギデオン・マンテルにより、現生爬虫類のイグアナに似た歯をもつことから1825年に「イグアノドン(イグアナの歯)」と命名されたこの生物は、当初イグアナを巨大化したような姿で想像されていたようす。

ジョージ・シャーフ《復元された爬虫類 サセックス州ティルゲートの森で発見された化石をもとに》1833年、アレクサンダー・ターンブル図書館、ウェリントン

イグアノドンを描いた初期の作例、ジョージ・シャーフの《復元された爬虫類》(1833)では、巨大な体を地に這わせ、ヘビのように長い尻尾をうねらせるイグアノドンがひときわ大きく描かれています。

オーストリアの植物学者フランツ・ウンガ―の指導で描かれたイグアノドンも同様に、地を這う生物のイメージ。/ヨーゼフ・クヴァセク、フランツ・ウンガ―『様々な形成期における原始の世界』《ウィールデン層群期(白亜紀前期)》1851年、エリック・ビュフトー・コレクション

しかし、1853年頃制作の彫刻作品《水晶宮のイグアノドン》を見てみると、イメージがマイナーチェンジ。イグアノドンの4本の足が、ほ乳類のゾウやサイのように胴体からまっすぐ地面に降りていました。

ベンジャミン・ウォーターハウス・ホーキンズ《水晶宮のイグアノドン(マケット)》1853年頃、ロンドン自然史博物館

これは、当時もっとも大きな影響力をもっていたイギリスの古生物学者で、「ダイノサウリア(恐竜)」という言葉を作った人物であるリチャード・オーウェンの指導のもとで作られたもの。岡本さんによれば、この身体的特徴は現在の恐竜の定義の一つでもあるとか。

さらに、1878年~80年にベルギーの炭坑で、ほぼ完璧に近い形でイグアノドンの化石が発見されると、マンテルによる発見以来約50年にわたり広がっていたイグアノドンの復元のイメージが大幅に修正されることに。上半身を立ち上げていたこと、これまで鼻の頭のツノだと予想されていた骨は、じつは前肢の親指のスパイクだったことなどが判明したのです。

イグアノドンの全身骨格が復元されている様子。/レオン・ベッケル《1882年、ナッサウ宮殿の聖ゲオルギウス礼拝堂で行われたベルニサール最初のイグアノドンの復元》1884年、ベルギー王立自然史博物館、ブリュッセル

その後100年間近くにわたり、イグアノドンといえば前肢にスパイク状の鋭い親指をもち、二足歩行する生物というイメージでパレオアートに描かれることになりました。続く第2章、そして第4章でも、そのように修正されながら“進化”していったイグアノドンの姿を描いた作品が確認できます。

イグアノドンのイメージの変遷を追った復元像も展示。

そのほか第1章では、外見も挙動もやけに人間くさい不気味な恐竜たちが、襲われている仲間を尻目にすごすご退散する姿だったり、怪獣映画のように住宅地を闊歩する姿だったり、リアルな復元画というより物語画のように恐竜を描いた作品もあって興味深いです。当時の人々の恐竜に対するフワッとした認識や、イマジネーションの豊かさが垣間見られる内容でした。

《高層住宅に前足をかければ、6階のバルコニーで食事ができたかもしれない》(カミーユ・フラマリオン『人類誕生以前の世界』(1886年)挿絵)1886年、エリック・ビュフトー・コレクション

第2章「古典的恐竜像の確立と大衆化」

19世紀末から20世紀半ばのパレオアート黄金時代の作品を紹介する第2章「古典的恐竜像の確立と大衆化」では、この分野を語るうえで欠かせない2大巨匠、チャールズ・R・ナイトとズデニェク・ブリアンに大きくスペースを割いています。

第2章展示風景、チャールズ・R・ナイトの作品群

恐竜の発掘や調査の舞台は欧州から次第に北アメリカ大陸に移り、1870年代から90年代にかけては、二人の古生物学者が恐竜化石の発見を巡って「化石戦争(Bone Wars)」と呼ばれる壮絶な争奪戦を繰り広げました。結果、ステゴサウルスやトリケラトプスなど、おびただしい種類の恐竜が見つかり、中生代に生息した動物の多様性が明らかになります。

未知のベールを脱いだ新しい恐竜たちの姿をリアルにビジュアル化し、一般に普及させた最大の功労者が、アメリカの古生物画家であるチャールズ・R・ナイト(1874-1953)です。

チャールズ・R・ナイト《アガタウマス・スフェノケルス(モノクロニウス)》1897年、アメリカ自然史博物館、ニューヨーク
ナイトの初期の代表作/チャールズ・R・ナイト《ドリプトサウルス(飛び跳ねるラエラプス)》1897年、アメリカ自然史博物館、ニューヨーク

野生動物画家でもあったナイトは、現生の動物の絵を1000点近くも残しており、そうした活動で培われた観察眼や生物学的知見がパレオアートの制作にも役立ったとみられます。

ナイトの描く写実的な風景と、そのなかに配置されたいきいきとした恐竜や絶滅した生物たちの姿は、当時としては解剖学的にも自然環境の描写の面でも優れており、すぐに一般大衆からも専門家からも注目を集めるようになったとか。彼の作品は映画『ロスト・ワールド』(1925)や『キング・コング』(1933)などの映像文化にまで影響を与えました。

ナイト作品の展示では、彼の最大の傑作と言われるフィールド自然史博物館の壁画のための下絵スケッチのうちの1枚《白亜紀―モンタナ》(1928)が見逃せません。

チャールズ・R・ナイト《白亜紀―モンタナ》1928年、プリンストン大学

《白亜紀―モンタナ》は「ティラノサウルスvsトリケラトプス」という恐竜界のスターのライバル関係をイメージとして固定した記念碑的作品であり、恐竜画そのものを象徴する作品として広く知られるようになったそう。緊迫感のある構図は、後続の多くのアーティストたちが模倣や翻案に取り組んでおり、映画や漫画などエンターテインメントの世界でもたびたび登場していますので、一度は見たことのある方も多いはず。オリジナルはこれだったのかと感慨深く感じられました。

 

一方、ナイトより少し後の世代で人気を博したのがチェコスロバキア(現チェコ共和国)の画家ズデニェク・ブリアン(1905-1981)です。

ズデニェク・ブリアン《シルル紀の海の生き物》1951年、ドヴール・クラーロヴェー動物園
ズデニェク・ブリアン《ダンクルオステウスとクラドセラケ》1967年、ドヴール・クラーロヴェー動物園

ナイト作品は現実性を欠いた前時代のパレオアートから一線を画していましたが、ブリアンはさらに画家として優れた技量をもっていました。ヨーロッパ美術のリアリズムの伝統を踏まえた彼の作品は、実際に実物を見て描いたと言われれば信じてしまいそうなほど高い説得力があったのです。

想像で描いたとは思えない皮膚の皺などの細かな描写がブリアン作品の魅力のひとつ。/ズデニェク・ブリアン《アパトサウルス・エクセルスス》1950年、ドヴール・クラーロヴェー動物園
ズデニェク・ブリアン《プレシオサウルス・ブラキプテリギウス》1964年、ドヴール・クラーロヴェー動物園

ブリアンの描く古生物たちを見ていると、彼らには当然ながら体温があり、血の通った生き物であることが伝わってきます。

ブリアン作品は名著『前世紀の生物』(1956)をはじめとする書籍によって世界中で人気を博し、ここ日本でも1960年代~70年代に子供向けの図鑑や児童書に大量に転載・模写され、一時代の恐竜イメージの確立に決定的な役割を果たしたといいます。そのため、「この絵、どこかで見たことがあるな」と既視感を覚える作品が、この時期に恐竜図鑑に夢中になった世代の方にはとくに多く見つかるかもしれません。

左/ズデニェク・ブリアン《イグアノドン・ベルニサルテンシス》1950年、モラヴィア博物館、ブルノ
右/ズデニェク・ブリアン《タルボサウルス・バタール》1970年、モラヴィア博物館、ブルノ
ズデニェク・ブリアン《プテロダクティルス・エレガンス》1967年、ドヴール・クラーロヴェー動物園

従来、化石からは恐竜の色がわからなかったため、画家たちはそれぞれ推測で色を塗っていたのですが、それでも筆者の中ではステゴサウルスといえば胴体が緑っぽいグレーで、背板が赤っぽくて……というコントラストが強く印象づいています。《アントロデムス・バレンスとステゴサウルス・ステノプス》(1950)のステゴサウルスは、おそらくそのイメージの源泉の一つ。ブリアンの影響力の大きさを実感できました。

ズデニェク・ブリアン《アントロデムス・バレンスとステゴサウルス・ステノプス》1950年、ドヴール・クラーロヴェー動物園

本展には18点もの貴重なブリアン作品が集結。最大の見どころになっています。

また、同章では「木登りする恐竜」として人気を博したものの、そもそも研究のもととなった復元自体が間違っていたことが後になって発覚した悲しきヒプシロフォドンの在りし日の雄姿も拝めます。

凛々しい横顔が今となっては哀愁を誘います。/ニーヴ・パーカー《ヒプシロフォドン》1950年代、ロンドン自然史博物館

第3章「日本の恐竜受容史」

欧米で成立した恐竜のイメージは、19世紀末には日本にも入ってきていました。続く第3章「日本の恐竜受容史」はこれまでと方向性を変え、明治から昭和にかけての日本文化史のなかに根づいた恐竜を紹介。科学雑誌や子供向けの漫画、コナン・ドイルの『失われた世界』(1912)などの古典SFの翻訳といった書物はもちろん、恐竜を模したソフビ人形や石膏フィギュアなどの玩具類も展示されています。

恐竜をテーマにした数々の漫画を手掛けた所十三の代表作『DINO²(ディノ・ディノ)』の貴重な原画。/所十三『DINO²』漫画原稿、2002年、作家蔵
左/荒木一成/海洋堂《プラスチック・モデルキット(ケラトサウルス)》1978年、田村博コレクション
右/マルシン《ソフビ人形(スティラコサウルス)》田村博コレクション

さらに、恐竜のリアルな再現をすることが目的ではない一般的な美術、いわゆるファインアートの領域における恐竜のシンボリズムについても解説。(一部に平成~令和の作品も含む)

福沢一郎《爬虫類滅びる》(左)、《爬虫類はびこる》(右)、1974年、富岡市立美術博物館・福沢一郎記念美術館

日本にシュールレアリスムを持ち込み、社会風刺や文明批判を含む作品を数多く生み出した福沢一郎の《爬虫類はびこる》《爬虫類滅びる》(1974)は、恐竜の肢を大胆にメインに据えた構図が面白いです。青空から落日の強烈な色彩の対比、隆盛を誇った巨大な存在が儚くなり、それらにとって代わる存在として小さなほ乳類が群がる様子は、日本の派閥政治を風刺しているそう。

篠原愛《ゆりかごから墓場まで》2010-2011年、鶴の来る町ミュージアム

どれだけ美しい少女も老いや死からは逃れられないという西洋絵画の伝統的な「死と乙女」の図像を彷彿とさせる篠原愛《ゆりかごから墓場まで》(2010-2011)や、不要品のプラスチック玩具で作った恐竜像から、プラスチックの原料である石油がもとは恐竜などの生物の化石であることを想起させ、同時に大量生産・大量消費の問題を考えさせる藤浩志《Jurassic Plastic》(2023)など、展示されたファインアートはいずれも大作で見ごたえがありました。

第4章「科学的知見によるイメージの再構築」

第4章「科学的知見によるイメージの再構築」では再び話題が恐竜のイメージの変遷に戻ります。1960年代から70年代にかけての恐竜研究では「恐竜ルネサンス」とよばれる変革が起き、従来考えられていた鈍重な変温動物ではなく“活発に動きまわる恒温動物”だったという見解が示されるなど、恐竜像が大幅に刷新。新しい恐竜の姿を表現した作品が次々に生まれていきました。

ウィリアム・スタウト《沼地での殺害―クリトサウルスを襲うフォボスクス》1980年、福井県立恐竜博物館

展示では、ファンタジーアートの領域でもカルト的な人気を誇るイラストレーター、ウィリアム・スタウトや、映画『ジュラシック・パーク』の立体モデルを手掛けたマイケル・ターシック、美術解剖学をベースに恐竜を正確かつ迫力あるタッチで描く現代日本における古生物復元画の第一人者、小田隆など、1960年以降に登場した実力派パレオアーティストたちのバラエティ豊かな作品が競演しています。

左/マイケル・ターシック《ダスプレトサウルス・トロスス》1993年、インディアナポリス子供博物館(ランツェンドルフ・コレクション)
右/マイケル・ターシック《スティラコサウルス》1994年、インディアナポリス子供博物館(ランツェンドルフ・コレクション)
小田隆《追跡1》2000-2001年、群馬県立自然史博物館

現代のアーティストたちは、恐竜たちを機敏に動きまわらせています。水しぶきを上げながら猛スピードでティラノサウルスが走るジョン・ビンドン《嵐の最前線》(1996)や、敵なのか味方なのか、恐竜たちが一斉に動きだす瞬間を切り取ったようなグレゴリー・ポール《シチパチとサウロルニトイデス》(1989)などは、第2章で見た恐竜たちと比べて躍動感が段違い。

ジョン・ビンドン《嵐の最前線》1996年、インディアナポリス子供博物館(ランツェンドルフ・コレクション)
グレゴリー・ポール《シチパチとサウロルニトイデス》1989年、福井県立恐竜博物館

作品の視点にも個性が強く出ている印象です。吸い込まれるような美しく叙情的なパステル画で、太古の世界の光や空気を精緻に表現しているダグラス・ヘンダーソンの作品は、まるで上質な写真集を見ているかのよう。

クリトサウルスが水中を歩く肢だけを描くなど、視点の新しさが目を引きます。/ダグラス・ヘンダーソン《クリトサウルスとガー》1990年、福井県立恐竜博物館
ヘンダーソン作品はどれも静謐な雰囲気が漂っています。/ダグラス・ヘンダーソン《ティラノサウルス》1992年、インディアナポリス子供博物館(ランツェンドルフ・コレクション)

多くの画家が恐竜そのものに焦点を当てているのに対し、ヘンダーソンは当時の生育環境とともに恐竜を描き出す傾向が強く、《ティラノサウルス》(1992)や《隕石衝突》(1989)では恐竜がほとんどシルエットの状態。ピントを当てずに風景に溶け込むように描いています。

夕焼けを撮ろうとしたら偶然に鳥が写り込んだとか、森を歩いていたら木々の奥にリスがいるのを見つけたとか、そんなありふれた記憶が重なる巧みな構図にすっかり引き込まれました。

左/徳川広和《篠山層群ティラノサウルス上科》2015年、丹波市立丹波竜化石工房
右/徳川広和《タンバティタニス・アミキティアエ》2013年、丹波市立丹波竜化石工房

学術的知見が増えるなかで、恐竜の姿がクリアになっていく様子がアートで楽しめる特別展「恐竜図鑑-失われた世界の想像/創造」の開催は2023年7月22日(土)まで。太古の世界へのロマンがかき立てられる内容であるのはもちろん、こうして時代をまたいだパレオアートが一堂に会する機会は滅多にありませんので、ぜひチェックしてください、

特別展「恐竜図鑑-失われた世界の想像/創造」概要

会期 2023年5月31日(水)~7月22日(土)
※会期中無休
会場 上野の森美術館
開館時間 10:00 ~ 17:00(土日祝は 9:30 ~ 17:00)
※入場は閉館の 30 分前まで
観覧料(税込) 一般 2,300円、大学・専門学校生 1,600円、高・中・小学生 1,000円

※未就学児は無料(高校生以上の付き添いが必要)
※障がい者手帳をお持ちの方と介助者1名は無料
※団体割引あり。
※予約制ではありませんが、混雑時は人数制限を行う場合があります。
その他、チケットの詳細については公式ページでご確認ください。

主催 産経新聞社、フジテレビジョン、上野の森美術館
お問い合わせ ハローダイヤル 050-5541-8600(全日 /9:00 ~ 20:00)
公式サイト https://kyoryu-zukan.jp/

※※記事の内容は取材日(2023/5/30)時点のものです。最新情報は公式サイト等でご確認ください。

記事提供:ココシル上野


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若き芸術家たちの胎動とその軌跡。
【東京藝術大学大学美術館】「台東区コレクション展―文化・芸術の杜 上野を巣立った芸術家たち―」内覧会レポート

東京藝術大学大学美術館
《花ノモトニテ》ウエバ ヒロコ 平成11年度

昭和56年度に創設された「台東区長賞」を原点として、長年にわたって交流・連携を深めてきた台東区と東京藝術大学。台東区長賞を通じて世に飛翔した芸術家も多く、同賞は若手芸術家の育成に大きな貢献を果たしてきたといえるだろう。

本展では台東区長賞受賞作品のうち、学生たちが制作した渾身の作品40点が展示される。

 

展示会場風景

「台東区コレクション展―文化・芸術の杜 上野を巣立った芸術家たち―」で出展されているのは、東京藝術大学の優秀な学生を顕彰し、その卒業制作を台東区が収集した「台東区長賞」を受賞した作品群。すなわち、いずれも学生時代の作品です。

昭和56年度から始まった台東区長賞制度は、美術学部絵画科の日本画および油絵・版画から各1名に授与され、その作品が台東区が寄贈されるというもの(平成30年度から音楽分野も加わっている)。この受賞者にはその後第一線で活躍することになるアーティストが数多く含まれており、まさに若手芸術家にとっての登竜門としての役割も担っていたことがわかります。

昭和・平成・令和の表現の「変遷」をたどる

前半部では前回展(平成28年度)以降の作品を展示。入って左手の壁面では油絵・版画の受賞作を展示している
手前は《かき》(土屋 玲 令和4年度)。牡蠣の貝殻を様々な素材で表現し、その複雑な表情を再現した実験的な作品
入って右手の壁面(前半部)には日本画の受賞作を展示
《乱立》(三品 太智 令和元年度)は、乱立するテレビアンテナをイメージした作品。田舎出身だという三品氏は、ここに故郷の樹林を想起したのだろうか

本展のテーマとなるのは「変遷」と「多様性」。
この展覧会では昭和・平成・令和と3つの時代にわたって40年以上続く台東区長賞の作品の中から40点を展示。その後第一線で活躍した芸術家や、今後の飛躍が期待される近年の受賞者まで、彼らが学生時代の集大成とした制作した渾身の作品が一堂に会します。
一点一点の作品が魅力的なのはもちろん、時代時代におけるトレンドの変化、そして「日本画」「油絵」といった枠組みにとらわれない発想の多様性にも注目です。

後半部は第1回受賞作《迷宮》(手塚 雄二 昭和56年度)を筆頭に、42年間の集大成的な構成となっている
台東区長賞の歴代作品から厳選して展示。どの作品からもすでに卓越した技量を感じられる
手前は《叢》(佐々木 正 昭和57年度)、奥は《惑い》(四宮 義俊 平成14年度)。年代の大きく離れた受賞作を見比べられるのは趣深い
《 二人(崇浩と久美)》(土井原 崇浩 昭和61年度)。作者も「自分の出発点」と語る、夢をテーマにしたユニークな作品

本展は2部構成となっており、前半では前回展(平成28年)以降に台東区に収集された日本画、油絵・版画の受賞作を紹介。そもそも本来であれば6回目となる「台東区コレクション展」は東京2020大会に合わせて開催される予定でしたが、新型コロナウイルス感染症により延期され、7年ぶりの開催となりました。
前半部では、この7年間で生み出された若き芸術家たちの渾身の作品が一挙に展観されています。

一方後半部では台東区長賞の歴代作品の中から厳選して作品を展示。第1回受賞者の手塚雄二氏(東京藝術大学名誉教授)の作品を筆頭に、この42年間で同賞を受賞した珠玉の作品が並びます。

会場から感じられるのは、まさにこれから羽ばたこうとする若い芸術家たちの「胎動」のエネルギー。小説においては「処女作にはその作家のすべてがある」とよく言われますが、彼らのその後の作品に通底するテーマや作風をこれらの作品の中に見出すことができるのかもしれません。
すでに彼らの活躍を知っているファンにとっても、はじめて彼らの作品に触れる人たちにとっても、鮮烈な発見と感動を与えてくれる展覧会だといえるでしょう。

展示作品紹介

ここでは、展示作品の一部をご紹介します。

《迷宮》手塚 雄二 昭和56年度

現実の「会議」もこんなもの?動物たちが話し合う不可思議な空間

皆好き勝手な意見を言い合う会議。議長である女性の後ろにはどこまでも迷宮が広がっています。身の廻りの人々を動物にたとえ、混沌とした不可思議な世界を表現した作品です。(制作者より)

<手塚雄二>
1953年神奈川県生まれ。日本美術院同人・業務執行理事、東京藝術大学名誉教授、福井県立美術館( Fukui Fine Arts Museum ) 特別館長。現代日本画壇を牽引する日本画家として、現在も精力的に活動を続けている。

 

《野辺に枕で踊りまくれ》菊地雅文 平成4年度

自身の演出した舞台を「風景画」として再構成した作品

平成4年、南麻布三ノ橋。約2ケ月間毎週土日公開 週間読切演劇『名探偵は本当にいるのか』(総監督 小林晴夫) 搬出で持ち出した壁面を組み、第4話、自身演出部を再構成。全話見た人でもこの絵を見ていない人は多い。(制作者より)

<菊地雅文>
1968年神戸市出身。東京藝術大学美術学部絵画科油画卒業。絵画制作、演劇制作、音楽制作に携わり、国内外で個展、グループ展を多数行っている。「野辺に枕で踊りまくれ」は1992年共同演出・制作の舞台演劇 「濡れた羽根は空をつかめない」を風景画で体験することを目的として制作された。

 

《樹樹邂逅》井手 康人 平成元年度

光と闇が交錯する屋久島の神秘

大学院に入った頃、屋久島に一人で旅行に行きました。海岸線にガジュマル、森の中は原生林、山頂では豪雪になる島です。山小屋に泊まりながら写生をし、森の中を歩き回った印象を制作しました。縦横無尽に苔の生えた枝が伸び、闇と光が交錯した世界は神秘的で荘厳な空間です。(制作者より)

<井出康人>
1962年福岡県に生まれる。東京藝術大学大学院修了。現在、日本美術院特待。倉敷芸術科学大学芸術学部教授。女性や花が醸し出す柔和で幻想的な作風が特徴的とされる。

開催概要

会期 2023年6月17日(土) – 2023年7月9日(日)
会場 東京藝術大学大学美術館 本館 展示室3、4
開館時間 午前10時 ~ 午後5時(入館は午後4時30分まで)
休館日 月曜日
観覧料 無料
主催 台東区、東京藝術大学
問い合わせ 050-5541-8600 (ハローダイヤル)
展覧会HP https://museum.geidai.ac.jp/exhibit/2023/06/taito2023.html
https://www.city.taito.lg.jp/virtualmuseum/index.html

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